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14851村 非身内長期闇鍋村

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生存 2人
赤子 羽風
ID: kyowa
(人生の勝利者)
月狼
(元転生者)
(四天王)
おしゃま 優奈
ID: yukiutuno
(人生の勝利者)
聖人(従者)(四天王)
犠牲 22人
ニート 欧司
ID: Owl
(人生の勝利者)
コンピュータ
不良 智哉
ID: DUMMY
埋毒者
アイドル 茜
ID: 味噌ロモン
ガチしょんぼり沈殿丸
生命維持装置 続
ID: zeno
賢者
バニー 結良
ID: sazanami
看板娘
カメラマン つくね
ID: BOU
洗礼者
囚人 要
ID: 伯爵
求道者
情報学部 範男
ID: すづき
課金者
文学部 麻耶
ID: akakanamin
手相占い師
アイドル 岬
ID: mythree
殺人鬼
悪戯好き ダーヴィド
ID: drnm
人魚姫
ニット帽 光
ID: Aki
悪鬼
ウェイター 東
ID: ann
夢遊病者
(元溺愛者)
(恋人)
番長 露瓶
ID: ktzw
夢遊病者(恋人)
宇宙飛行士 星児
ID: ドラロ
勇者
ウェイトレス 南
ID: andante
(人生の勝利者)
幻狼
教育学部 伊澄
ID: 晋助
黒幕
看護師 小百合
ID: 紗紋
探知師(絆)
キャバ嬢 瑠樺
ID: PUSAN
共命者(絆)
警察官 晋護
ID: sasa1086
罠師(四天王)
お忍び ヴィクトリア
ID: satane
エスパー
学生 比奈
ID: しらたま団子
中身占い師
処刑 10人
学生 昌義
ID: イヅル
(人生の勝利者)
仁狼
ツンデレ 弥生
ID: ほうほう
(人生の勝利者)
帝狼(毒)
修道女 クリスタ
ID: 一真
吟遊詩人(罠)
研修医 忍
ID: トマソン
(人生の勝利者)
魔狼
外来 真子
ID: 鳥足
(人生の勝利者)
仁狼
小学生 朝陽
ID: からけ
プレデター(四天王)
御曹司 満彦
ID: とも
鬼女
ファン 紅
ID: TUKIN
(人生の勝利者)
凍狼
絵本作家 塗絵
ID: 翔鶴嫁
ゾンビ(悪霊)
令嬢 御影
ID: 有理
邪気腕使い
ツンデレ 弥生 は おしゃま 優奈 を従えました。
文学部 麻耶学生 昌義に投票しました。
情報学部 範男学生 昌義に投票しました。
宇宙飛行士 星児学生 昌義に投票しました。
ツンデレ 弥生おしゃま 優奈に投票しました。
学生 昌義バニー 結良に投票しました。
生命維持装置 続学生 昌義に投票しました。
アイドル 岬学生 昌義に投票しました。
ニット帽 光学生 昌義に投票しました。
看護師 小百合学生 昌義に投票しました。
赤子 羽風学生 昌義に投票しました。
ウェイター 東学生 昌義に投票しました。
悪戯好き ダーヴィド学生 昌義に投票しました。
ウェイトレス 南学生 昌義に投票しました。
外来 真子学生 昌義に投票しました。
修道女 クリスタファン 紅に投票しました。
お忍び ヴィクトリア学生 昌義に投票しました。
バニー 結良学生 昌義に投票しました。
囚人 要文学部 麻耶に投票しました。
絵本作家 塗絵学生 昌義に投票しました。
番長 露瓶学生 昌義に投票しました。
小学生 朝陽学生 昌義に投票しました。
研修医 忍学生 昌義に投票しました。
アイドル 茜学生 昌義に投票しました。
カメラマン つくね学生 昌義に投票しました。
教育学部 伊澄学生 昌義に投票しました。
おしゃま 優奈学生 昌義に投票しました。
御曹司 満彦学生 昌義に投票しました。
ファン 紅学生 昌義に投票しました。
キャバ嬢 瑠樺学生 昌義に投票しました。
令嬢 御影悪戯好き ダーヴィドに投票しました。
学生 比奈学生 昌義に投票しました。
警察官 晋護学生 昌義に投票しました。
ニート 欧司警察官 晋護に投票しました。
文学部 麻耶は、1票投票されました。
学生 昌義は、26票投票されました。
悪戯好き ダーヴィドは、1票投票されました。
バニー 結良は、1票投票されました。
おしゃま 優奈は、1票投票されました。
ファン 紅は、1票投票されました。
警察官 晋護は、1票投票されました。
投票の結果、学生 昌義 が処刑されました。
学生 昌義 は 人狼 だったようです。
学生 昌義 は 村人 だったようです。
修道女 クリスタ は 情報学部 範男 のために歌を歌っています。
情報学部 範男 は 歌を聴いています。
生命維持装置 続 は、悪戯好き ダーヴィド を占いました。
悪戯好き ダーヴィド は 人間 のようです。
学生 比奈 は、小学生 朝陽 の中身を占いました。
小学生 朝陽 の中身は からけ のようです。
おしゃま 優奈 は、看護師 小百合 を役職を調べました。
看護師 小百合 は 探知師 のようです。
文学部 麻耶 は、囚人 要 を占いました。
囚人 要 は 人間 のようです。
ツンデレ 弥生 達は、生命維持装置 続 を襲撃します。
ニット帽 光 は、おしゃま 優奈 を護衛しています。
令嬢 御影 は、生命維持装置 続 を護衛しています。
アイドル 岬 は、バニー 結良 を襲撃します。
村の看板娘である バニー 結良 は惨劇の犠牲者になってしまいました。
村人達は深い悲しみと激しい怒りに身を任せ処刑場へ赴きます。
小学生 朝陽 は、アイドル 茜 を襲撃します。
アイドル 茜 が無残な姿で発見されました。
アイドル 茜 は 激おこぷんぷん丸 だったようです。
生命維持装置 続 が無残な姿で発見されました。
生命維持装置 続 は 賢者 だったようです。
生命維持装置 続 の遺書が公開されました。
「パオーン(*≧J≦*)
【賢者CO】だぞう⊂((>J<))⊃

<<賢者日記>>
*占*
3日目:つくね殿→人間
4日目:ダーヴィド殿→?

*霊*
3日目:なし
4日目:昌義殿?→

*巫*
2日目:ニート殿→人間
3日目:智哉殿→人間
4日目:?→?
バニー 結良 が無残な姿で発見されました。
バニー 結良 は 看板娘 だったようです。
バニー 結良 の遺書が公開されました。
「バニーで看板娘とかイケるやん
エロ同人待ったなし

おめでとう!今日の処刑は2回ある」
「アイドル 茜 がやられたようだな…」
「ククク…奴は黒幕四天王の中でも最弱…」
「村人ごときに負けるとは四天王の面汚しよ…」
1 文学部 麻耶 2018/12/12 13:24:21
手相占い師CO
要人間
2 教育学部 伊澄 2018/12/12 13:24:36
びっくりした!来たしゅんかん明日になった!
3 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:24:41
うええ
*1 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:24:51
大至急!大至急応答せよ!
内情の報告を要請する!!
4 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 13:25:07
おはよ。
5 文学部 麻耶 2018/12/12 13:25:23
つーかなんで何人か票ブレてんのか謎
何を警戒したんだ
*2 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:25:32
ようこそ。
帝狼で君を仲間にした。誰がやったかは、見ての通りだ。
+1 学生 昌義 2018/12/12 13:25:35
死にスギィ
6 教育学部 伊澄 2018/12/12 13:26:01
バニーさん…やっぱり僕以外の人にも恨みかってたんだね…
7 文学部 麻耶 2018/12/12 13:26:04
つーかよく見たら3死体でうち2人が遺言なしとは
8 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:26:12
続さん、死んじゃったかあ……。
バニーさんの遺言はなんだこれ。
+2 バニー 結良 2018/12/12 13:26:14
瞬殺〜
9 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 13:26:36
ちゃっかり看板娘で役に立ってるのがさすがというか……。
*3 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:26:50
今日は誰を占った?
昌義は人狼だ。
10 文学部 麻耶 2018/12/12 13:26:57
ニートによるコンピュータ通信が待たれる
11 絵本作家 塗絵 2018/12/12 13:27:08
票ぶらした輩に人外有るのではないかな?

そしてこれか。
12 文学部 麻耶 2018/12/12 13:27:23
ごめん遺言ないの2人じゃなくてアイドルの片割れだけだったわ
13 教育学部 伊澄 2018/12/12 13:27:39
本当だ。遺言設定してなかったんだね
14 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 13:27:41
看板娘(看)(仮称)【村人陣営】
あなたは村で評判の看板娘。
ギスギスとした村の中に於いてもあなたの笑顔はきっと村人達に癒しを与えてくれる存在。
しかしそんなあなたに人狼の魔の手が襲いかかって来ます。
あなたが襲撃によって無残な犠牲者となったとき、村人達は強い怒りを抱き、その日の処刑を二度行うでしょう。
きっとその日は一度の議論では終わらず二度の議論を行う長い長い一日となるはずです。
15 教育学部 伊澄 2018/12/12 13:28:28
…?
16 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:28:55
ツンデレ 弥生 は おしゃま 優奈 に投票しました。
学生 昌義 は バニー 結良 に投票しました。
修道女 クリスタ は ファン 紅 に投票しました。
囚人 要 は 文学部 麻耶 に投票しました。
令嬢 御影 は 悪戯好き ダーヴィド に投票しました。
ニート 欧司 は 警察官 晋護 に投票しました。
17 教育学部 伊澄 2018/12/12 13:29:04
あ、バニーさんは看板娘って言う役職なんだね…!なるほど!
18 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:29:16
>>14
ほーーー。
19 文学部 麻耶 2018/12/12 13:29:57
んー まあ投票によるパッシヴ占い師だし、まさか初手で占い結果持ってこれるとは思ってなかったんだが
いかんせん初手での票ぶらしだし帝とか(初手に限らないところだと発狂とか)見てもらってもしゃーないかなと思うのでケアしたいなら柱にはなるよ
幸い看板娘のおかげで今日の襲撃はないみたいだし
20 文学部 麻耶 2018/12/12 13:30:55
ニートの投票が不穏というかなんというか
どうこうできるものでもないのにあえてそこに票を入れたのはなにか理由があるのかなんなのか
21 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:31:19
聖人CO
学者:紅村役職
霊媒:昌義村人
神主:茜激おこぷんぷん丸 続賢者 結良看板娘
教育学部 伊澄は、また夜にくるね! 2018/12/12 13:31:47
22 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 13:31:53
……激おこ。
*4 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:31:55
小百合調べたら探知師だったよ
23 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:32:12
犠牲多いよ!!
24 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:32:17
手相占い師(相)(仮称)【村人陣営】
その日自分に投票した者全てを占う占い師です。占うタイミングは翌日の朝です。
処刑で死んでしまった者は占いません。

なるほど。
25 文学部 麻耶 2018/12/12 13:32:46
東だっけ? 殺人鬼希望したとか言ってたけど、初っ端からこの死体の数じゃ普通にいそうね
-1 絵本作家 塗絵 2018/12/12 13:32:56
まあ賢者潰れたのはでかい
*5 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:33:04
探知師(探)【村人陣営】
4日目以降、偶数日の朝に現在生存している【人外変化】した人数が判明します。
メイン役職ごと変わっている者は反映されません。
26 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 13:33:42
3人襲撃役がいるのか続が逆呪殺されたのか。
27 文学部 麻耶 2018/12/12 13:34:13
真偽不明なコンピュータ通信を待つしか……
28 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:34:40
ツンデレ 弥生 は おしゃま 優奈 に投票しました。
学生 昌義 は バニー 結良 に投票しました。
修道女 クリスタ は ファン 紅 に投票しました。
囚人 要 は 文学部 麻耶 に投票しました。
令嬢 御影 は 悪戯好き ダーヴィド に投票しました。
ニート 欧司 は 警察官 晋護 に投票しました。

この中だと御影が気になる。
-2 教育学部 伊澄 2018/12/12 13:34:49
あ。四天王1人減ってる
29 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:34:51
>>21
激おこわらったなあ。
紅さんは、今は公開する気はないってことかな。
-3 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:35:55
手相占い師(相)(仮称)【村人陣営】
その日自分に投票した者全てを占う占い師です。占うタイミングは翌日の朝です。
処刑で死んでしまった者は占いません。
30 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:37:03
逆呪殺なの?
31 文学部 麻耶 2018/12/12 13:37:10
投票パッシヴの関係上もともと今日COするつもりではあったけど、まさか情報持ってこれるとは思ってなかったよ……ってさっきも似たようなこと言ったな
とりあえず票をずらした人には理由を聞きたいね
文学部 麻耶は遺言を書きなおしました。
「手相占い師だよん
自分に投票した人を占えるとかいう雑魚
要人間
マヤ」
32 文学部 麻耶 2018/12/12 13:38:15
まあとりあえず心置きなく眠れるので寝ます
ひとつ心配なのは仕事に寝過ごさないかだけである
おやすみ
33 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:38:56
処刑が2回って投票数1位2位が処刑されるってこと?
34 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:38:57
逆呪殺だとしても一死体多いよね
激おこぷんぷん丸と看板娘は自滅する原因不明だから迅狼か一匹・殺人がいそうだね
35 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:40:20
処刑→襲撃カット→次の日ってことじゃない?
36 文学部 麻耶 2018/12/12 13:40:47
というか初手票ずらししてくるなら陣営変化させてくれよ感はあった
まあなんというか……役職の都合上、進行役からの指定でも受けない限り味方に引き込む系でもない黒役がわざわざこっちに投票することなんてないだろうから、わたしは投票されたらほぼほぼ「お前は白だ」って言うしかないんだが
37 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:40:52
襲撃というか、セット系全部カットか。
38 絵本作家 塗絵 2018/12/12 13:40:56
かな。

二人に合わせて誰が誰に入れるとかした方が賢明とも思うね
39 文学部 麻耶 2018/12/12 13:43:16
で、提案なんですけど
せっかく看板娘ちゃんが仕事してくれたのでちょっと投票をこっちに分けてほしいななんて
ある程度の人数入れてくれればそこそこ白圧迫できるだろうし、まあそのぶんこっちが陣営変化する恐れもあるんだけどそのときはバレないように頑張るさぁ〜もしバレたら介錯頼む
40 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:43:40
>>29 公表するメリットがない役職ならとりあえず伏せとくよ
本人がCOするか私が吊られるようなら公表するけど
遺言には書いておくからもしもの時も大丈夫
41 文学部 麻耶 2018/12/12 13:44:58
……茜はなんで遺言を書かなかったんだろう?
悪戯好き ダーヴィド は 生命維持装置 続 を蘇生します。
42 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:45:58
看板娘は朗報だね
とりあえずどこを処刑していくか決めないと
外来 真子は遺言を書きなおしました。
「コンピュータ様バンザーイ!
あ、特にCOとか無いです。

村人表記なのでたぶん役に立たない何かです。」
+3 バニー 結良 2018/12/12 13:46:19
>>6
恨まれてなんかいないよ!
43 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:46:45
17村、11人外、か。
霊判定見たかったな。。
44 ウェイトレス 南 2018/12/12 13:48:11
>>40
そいや、遺言もあったね。了解だよー。
ニートさんの霊界通信、待つとしようかなあ。
45 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:48:14
摩耶さんに投票する人物を優奈さんが指定するのはどうか。
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅村役職
霊媒:昌義村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
46 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:49:26
弥生の優奈さん投票も変だな。
47 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 13:50:02
コミットしてたわん。

続!!!
死んでしもうたか。
そして看板娘は良い傾向だ。
48 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:50:06
優奈さんが指定するのは問題あるだろうか。。
49 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 13:51:33
>>3:1425が襲撃理由なのかな。
50 おしゃま 優奈 2018/12/12 13:51:51
>>45 別にいいけど麻耶本人が指定すればいいんじゃないの?
51 文学部 麻耶 2018/12/12 13:52:01
弥生が帝ならアレだし今日弥生にウチ投票してもらう?
結局寝てないな……
52 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 13:52:20
帝警戒とかも考えるとして指定するならニートにお任せって感じですな。
ニートがいるから続の結果はわかるかと
53 文学部 麻耶 2018/12/12 13:52:44
ニート盲信はちょっとできない
54 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 13:55:02
ニート、コンピューターだしね。
まあ、帝は使い終わってるだろうし票を合わせなくてもいいのかな?
投票先の役職わかる系がいるかもだか微妙なのかな
55 文学部 麻耶 2018/12/12 13:55:13
薬飲んだから眠気が来るまで喋ってるけど唐突に落ちる可能性あり
どんだけ寝るかわからんから次何時に来るかわからん……仕事とバイト寝過ごしたくないな……
56 文学部 麻耶 2018/12/12 13:56:34
別に賢狼いたって麻耶手相占い師はCO通りなんだし無駄に票を割かせるという意味ではいいんだけどね
57 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 13:57:15
後、死体がよくわからんの。
迅狼でもいるのだろうか。そう、考えるのがなんやかんや素直な気分
58 文学部 麻耶 2018/12/12 13:57:48
どっかの誰かが殺人鬼希望してたらしいからそっちの線も大いにあるよ
59 絵本作家 塗絵 2018/12/12 13:58:28
死体に関しては明日わかるだろうさ
60 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 13:59:39
殺人鬼か......
茜は占にやられたんじゃない?
と、思ったが村側でいるのかが疑問だから
不気味ではある
61 文学部 麻耶 2018/12/12 14:00:28
激おこぷんぷん丸が溶かされるって状況をよく想像したね
62 文学部 麻耶 2018/12/12 14:01:02
ダーヴィドなんか見えてるんかね……?
63 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:01:56
ダーヴィドくんはニートコンピュータを把握しておきながらニートに指定させようとしたり、なんか理解できないところある。
64 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 14:04:58
看板娘の死亡した短期を見てみたが、>>37っぽい。
65 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 14:05:34
えー、襲撃役職多いってことになる?
でもそれもありえなくないか。
占い殺よりもあるんかね。
66 研修医 忍 2018/12/12 14:07:39
こんにちは。賢者死んでるの痛いな。
他はなんだろ。逆呪おきてたとしても他襲撃系が一人は居るのか?
いや迅狼の線もあるか。霊界からの昌義の賢者判定も知りたいな。
67 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:08:39
変な投票した人らの発言待ちではあるけど、麻耶さんが自分の陣営変化の可能性を客観的に語っているところは、少なくとも現時点では変化してないって信じてもいいかなぁ。寄りに考えてるー。
68 おしゃま 優奈 2018/12/12 14:08:47
流石に襲撃系役職3人はいないんじゃないかな
それなら逆呪殺の方が普通にあり得ると思う
69 御曹司 満彦 2018/12/12 14:09:00
実を言うとすごい偶然だけど私も殺人鬼希望してたから可能性は(メメタァ)
70 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 14:09:17
>>50 帝が怖くなったので、そのほうがいいかもしれない。
-4 ニット帽 光 2018/12/12 14:09:48
恐れていたことが起きた気がする件
71 ニット帽 光 2018/12/12 14:10:13
激おこいたのか・・・
希望は通ってたんだな
令嬢 御影は遺言を書きました。
「【狩人CO】
3日目
生命維持装置 続 を護衛

4日目
し、死んでる……刻狼?


72 絵本作家 塗絵 2018/12/12 14:11:18
令嬢 御影 は おしゃま 優奈 を護衛します。
73 絵本作家 塗絵 2018/12/12 14:12:13
看板娘と狼少女はこちらで実験した形跡が残ってる
-5 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 14:12:20
私の希望役職はまだ出てこない。
74 おしゃま 優奈 2018/12/12 14:12:46
帝狼疑惑出てるね
弥生に投票されてるのか
特になんも変化してないからブラフだと思うんだけど…
うーん、よっぽど追いつめられてるのかな?
-6 番長 露瓶 2018/12/12 14:12:56
あー…殺人鬼希望したってのは表で言っちゃ駄目なやつだ
勝ち目ほとんどない役職なんだから、引いた人がいたら報復で襲撃してくる可能性が…
75 令嬢 御影 2018/12/12 14:13:02
少数派にも人権を
ニット帽 光は遺言を書きなおしました。
「ドーモ ミナ=サン 悪鬼 デス

悪鬼(劔)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
護衛を成功させると襲撃をセットした人狼のうち一人を返り討ちにします。
その後善悪相殺の理で人狼陣営以外からランダムで一人斬ります。もちろん護衛先も含まれます。
結果的に護衛成功するとその日の朝には2人の犠牲者が出ることになります。
人狼以外の襲撃できる役職から護衛が成功すると、襲撃者は全て返り討ちにして、返り討ちにした数だけその役職の陣営以外の中からランダムで斬ります。


1日目護衛 優奈 聖人と賢者というなかなかに胃痛な選択肢 とりあえず片方しか護衛できないからこっちを
2日目護衛 引き続き優奈 賢者噛まれてるし昨日の選択ミスったかもしれん 狼死んでたら返り討ちだったんだけど墓判定見るに全員襲撃死 とりあえず残った生命線を守る 

記:光」
76 令嬢 御影 2018/12/12 14:13:45
私にはわかる。ダーヴィドは吊らねばならんのだ
77 おしゃま 優奈 2018/12/12 14:16:25
いや、瘴狼もあるかな?
賢狼はなさそうだけど
あれ、でも瘴狼だったら今日狼の襲撃は失敗してなきゃおかしいはずだしないかな?
78 御曹司 満彦 2018/12/12 14:16:57
村であれば、多少は遺言を書くと思ってたんですけど
激おこねぇ…
79 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:17:24
帝疑惑を振り撒くためにブラフで投票とかあるんけー。
ブラフ役に選ばれるとしたら、よほどの捨て駒だね。
80 研修医 忍 2018/12/12 14:17:39
バニー看板娘似合いすぎ。
判定は紅村要人間ね。あと激おこ落ちたの勿体無いな。
捨て票メンはなんなの。昌義警戒、帝狼、賢狼他に投票で発動する能力ってあったっけ。
81 文学部 麻耶 2018/12/12 14:18:01
死体数以前に、わざわざ瘴を今日発動させる理由が見当たらない
それこそ瘴が占い位置にいたくらいしか
82 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:18:31
御影ちゃんは何か持ってるん?このダーヴィドくんは確かに全然庇う気しないけど。
83 ニット帽 光 2018/12/12 14:19:50
投票先にアクション仕掛ける役職とかあったか
84 文学部 麻耶 2018/12/12 14:20:42
なんか記憶から抜けがちなんだけど黒幕まだおるんよな
黒幕死ぬ前に狼や人間カウントがガリガリ削れてったら面倒だな
-7 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 14:20:58
この襲撃筋だと私も襲われたりするのだろうか。
85 絵本作家 塗絵 2018/12/12 14:21:43
絆を作る役職とか

まあ扇動は意味無いのでよほど生存必須ってそれ村じゃないよね感ある
ニット帽 光 は おしゃま 優奈 を護衛します。
86 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 14:22:55
じゃ、私は御影吊り推すわ
87 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:23:04
ダーヴィドくん、黒幕だったりしませんかね。
88 御曹司 満彦 2018/12/12 14:26:41
>>19
看板娘と付喪神、間違えてませんか
89 文学部 麻耶 2018/12/12 14:27:23
して、仮にニートが村と敵対するコンピュータであり、なおかつ賢者の結果がダーヴィド黒だった場合、黒幕生存の現状でニートがどういう情報を提供してくるのかが気になるね
90 文学部 麻耶 2018/12/12 14:27:53
>>88 間違えてないと思うけど
91 ニット帽 光 2018/12/12 14:28:06
看板娘はW処刑の方だぜ
92 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:28:18
>>87
状況に対して言及しようとはしてるけど、どっちに転ぼうと本質的な興味がなさそうな感じが、村のものでも狼のものでも無さそうと思いました。他の変な人外かもしれないけど。
93 文学部 麻耶 2018/12/12 14:31:43
ん、そうか……もしかしてこれ、両方の処刑を終えた翌日の朝に全部の占い結果が出る感じか?
94 御曹司 満彦 2018/12/12 14:32:17
ダーヴィドはなんとなく自分が死んでもさほど関係なさそうな動きにも見える
*6 研修医 忍 2018/12/12 14:32:47
ごめん優奈せっとしたままだった。申し訳ありません(土下座)
95 文学部 麻耶 2018/12/12 14:33:28
しかし賢者が噛まれたということは、なんというか……コンピュータを信じきれない以上票をもらっても正しい結果を持って来られない可能性が高いのか
96 文学部 麻耶 2018/12/12 14:34:06
いててて……脇腹が痛い
食い過ぎたか
*7 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:35:02
あっぶねーなオイ。
*8 研修医 忍 2018/12/12 14:35:54
今度から気を付けますぅ。
*9 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:36:37
能力は消えちゃったよな?
97 研修医 忍 2018/12/12 14:36:42
タイムアップ。また夜に。
*10 研修医 忍 2018/12/12 14:39:35
発動してないので残ってます。
*11 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:40:03
じゃあ結果オーライということにしよう。
+4 バニー 結良 2018/12/12 14:41:39
もうちょっと生きてたかったな〜
*12 研修医 忍 2018/12/12 14:45:16
上手くコピペ出来ないけど私が襲撃して失敗したときにシスメが出る仕様なので。
*13 研修医 忍 2018/12/12 14:45:39
セーフ
*14 研修医 忍 2018/12/12 14:47:17
忙しいのでまた後程。
*15 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:49:07
おつ。
*16 ウェイトレス 南 2018/12/12 14:51:03
今後の大雑把な展望だが、僕は割と今の狼人生が気に入っているので、順調ならどこかで手品師を始末したいと思っている。
居るならな。
まあ当面は麻耶あたりを食う事になるかな。
98 文学部 麻耶 2018/12/12 14:53:43
全然眠気がこないんだけど
+5 バニー 結良 2018/12/12 14:54:14
クスリが足りないようだね
99 小学生 朝陽 2018/12/12 14:54:41
聖人とか帝バレしてでも従者にしそうだし弥生の発言待ちか
小学生 朝陽 は アイドル 岬 を狩ります。
小学生 朝陽 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
*17 外来 真子 2018/12/12 14:58:41
チラ見
全て把握は出来てませんが、
死体が3はよくわかりませんね。

手相占い襲撃は賛成ですね。当面の驚異はそこですし。
服部さんはドンマイ、結果オーライ。セウト。
+6 バニー 結良 2018/12/12 14:59:13
俺なら溶かせる賢者の方引き込むけどな〜
100 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 14:59:46
殺人鬼希望が複数いることから、襲撃のひとつは殺人鬼由来と考えるのが自然か。

それにしても多くない?
迅なのか、さらになにかいるのか。
+7 バニー 結良 2018/12/12 15:01:32
賢者逆呪じゃないかな〜
本人来ればわかることだけど
-8 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:02:48
殺人鬼とかただの味方でしかない
101 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:03:00
殺人鬼は村のひとつ上の勝利優先度。
四天王陣営化してたら狼を狙うだろう。
陣営勝利を狙っていたら黒幕狙いになるのだろうか。
102 小学生 朝陽 2018/12/12 15:08:15
殺人鬼なら邪魔判定で分かるし手相占い様が役に立つな
賢者様がもう死んでるのは護衛ガバガバなのか逆呪殺なのか…
103 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:12:07
賢者特攻するで!
護衛されてたらツライし、迅で茜も食べるで!

って感じなのだろうか。
104 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:13:15
護衛してもらえなかったクルモンもいるし。。
105 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:14:03
迅いないと思うけどな

迅いるなら聖人も噛まないか?
+8 生命維持装置 続 2018/12/12 15:15:12
やっぱり死んだかorz
出るの早すぎたorz
本当村のみんなに済まない。
因みに逆呪ではない。

<<賢者日記>>
*占*
3日目:つくね殿→人間
4日目:ダーヴィド殿→人間

*霊*
3日目:なし
4日目:昌義殿→人狼

*巫*
2日目:ニート殿→人間
3日目:智哉殿→人間
4日目:茜嬢→人間
:バニー嬢→人間

昌義殿の黒さはメラニンたっぷりの松崎しげる並みやな(^^)
106 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:17:36
クルモンはゲス過ぎて人望に欠けてたのさ。致し方ない
107 文学部 麻耶 2018/12/12 15:18:50
>>105 護衛職が何人いるかわからんですし
毒持ちの狼がいるとすると片方灰にするのは不自然ではない
+9 バニー 結良 2018/12/12 15:19:33
ダーヴィド人間か〜
+10 バニー 結良 2018/12/12 15:20:05
まさよしくんはまあ
そうだね
+11 バニー 結良 2018/12/12 15:20:30
コンピュータがこの情報をどう処理するか
108 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:20:48
弥生さんが帝なら聖人噛まないしね。
109 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:21:14
寝なくて大丈夫ですか。。
110 文学部 麻耶 2018/12/12 15:22:50
薬は飲んだんだけど眠気が一向に来なくてね……
+12 バニー 結良 2018/12/12 15:23:08
バニーちゃんのやることなくなっちゃった
+13 バニー 結良 2018/12/12 15:23:27
墓を荒らすしかない
111 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:24:17
よく考えたら毒受けた狼がいるなら瘴狼が能力発動を狙うことはないね
112 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:35:27
3死体はダーヴィドで逆呪殺+人狼+襲撃系役職に見えるけど…
とりあえずコンピュータの報告を待とうか
113 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:37:38
ダーヴィドで逆呪なら今日ダーヴィドが麻耶投票したら麻耶死ぬねえ…

個人的に薄く見てるんだけどな
*18 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:38:08
手相占い師襲撃は賛成
ただ弥生は吊られそうだし罠のかかった手品師を始末するのは流石に厳しいかな
114 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:41:00
個人的に、茜を噛むのも違和感有るのよな。

せめてつくねだろう。なぜ完灰を噛む。
狼陣営なんだが、これ占を恐れる必要が無い役職がいるのではないか?桜とか…
*19 ウェイトレス 南 2018/12/12 15:41:22
罠手品師を襲撃することになるなら、紅君に頼もうと思っていた。
勿論、本人がイヤというなら仕方ないが。
115 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:42:19
>>113 手相占い師だとそういうことになるか
ダーヴィド自身は結構読みづらいところあるんだよね
村人か人狼で見てるんだけどその他も切れないんだよね
116 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:42:38
そういう意味で、殺人2で

殺人の殺先の片方が賢者を噛んだ可能性はある
+14 バニー 結良 2018/12/12 15:42:55
塗り絵は人外だな
クリスタもそう言ってた
+15 バニー 結良 2018/12/12 15:44:16
+16 バニー 結良 2018/12/12 15:45:32
御影ゆるさん!
117 文学部 麻耶 2018/12/12 15:45:34
桜はおそらくいるだろうね、だからこそパッシヴの身としてはいつ窓付きになるかわからなくて怖い
人狼陣営に勝機があるならそれはそれでいいんだが、無駄に道連れとかされたらキツイものがあるねえ……
あとは逆呪殺役がいた場合 これはもうどうしようもないね……
118 文学部 麻耶 2018/12/12 15:48:56
とりあえず吊り候補筆頭はダーヴィドかね
119 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:49:39
>>117 そういえば今度は桜狼も普通に出るのか
気をつけなきゃいけないね
…いや、私本人は気をつけなくていい気もするけど
120 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:51:44
まあ優奈はある種判定独占してるから気楽ではあるだろうねえ…
村としてはアンハッピーだが
121 ニート 欧司 2018/12/12 15:51:56
#コンピュータ通信

4日目まとめ
生命維持装置続さん「賢者CO」死亡確認
おしゃま優奈さん「聖人CO」
判定は>>21
文芸部麻耶さん「手相占い師CO」
判定は>>1

警察官晋護さん「罠師CO」(クリスタさんにランダム罠設置済)
クリスタさん「手品師CO」(罠付き)
学生 昌義さん「ドワーフCO」
囚人 要さん「猫又CO」
ニート 欧司「コンピュータ」

死亡
アイドル茜さん「四天王、激おこ(おしゃま情報)
バニー結良さん「看板娘」
生命維持装置続さん

希望タグ
#1 吊り希望
#2 占い先希望
*20 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:52:27
私が帝狼疑い読みの白特攻で紅村役職って出しちゃったから
それやるならストーリー考えないといけないね
122 文学部 麻耶 2018/12/12 15:53:31
こんな役職で発狂させられたらどないせいっちゅうねん
123 文学部 麻耶 2018/12/12 15:54:13
>>121 お墓は静か?
124 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:54:19
まず発狂元を吊るしかないだろう、さ
125 ニート 欧司 2018/12/12 15:54:44
#コンピュータ通信

4日目まとめ
生命維持装置続さん「賢者CO」死亡確認
おしゃま優奈さん「聖人CO」
判定は>>21
文芸部麻耶さん「手相占い師CO」
判定は>>1

警察官晋護さん「罠師CO」(クリスタさんにランダム罠設置済)
クリスタさん「手品師CO」(罠付き)
学生 昌義さん「ドワーフCO」
囚人 要さん「猫又CO」
ニート 欧司「コンピュータ」

死亡
アイドル茜さん「四天王、激おこ(おしゃま情報)
バニー結良さん「看板娘」
生命維持装置続さん

希望タグ
#1 吊り希望
#2 占い先希望
+17 バニー 結良 2018/12/12 15:55:02
ぴょんぴょん
+18 バニー 結良 2018/12/12 15:55:33
コンピュータ通信タグ失敗
126 文学部 麻耶 2018/12/12 15:55:54
そしたら発狂した身としては自爆行為になるからねえ
できるだけ身を隠したいわけだけど、複数の結果を持って帰れるとなるとなかなかそうもいかないじゃない
127 ニート 欧司 2018/12/12 15:56:28
伝えておくべきは、
「昌義殿の黒さはメラニンたっぷりの松崎しげる並みやな(^^)」
by生命維持装置壊れたさん
128 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:56:51
手相占が露出したから桜いたら投票しちゃうわけか。
割と気楽でいた昨日と雰囲気がえらい違うな。。
*21 外来 真子 2018/12/12 15:56:51
自分はもう能力無いも同然なので自分でもいいですが。>罠手品襲撃

紅さんは自分と襲撃するとやばいって言ってたので残ってもらった方がいいかもしれないですし。
優奈さんから人判定貰ってるならすぐ吊りにはならんでしょう。
+19 ニート 欧司 2018/12/12 15:57:01
通信に失敗する事は多々ある。
129 文学部 麻耶 2018/12/12 15:57:01
生命維持装置壊れちゃったんだね……医療過誤だね……
+20 バニー 結良 2018/12/12 15:57:02
人狼が死んだのがばれた!
130 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:57:15
まあ昌義君狼は驚くに値しないな
+21 バニー 結良 2018/12/12 15:57:35
でも裏読みしそうだな
131 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:58:08
これは月狼なんかでもあった話だね。

門番がそれで発狂した。
132 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 15:58:29
ほむ。昌義さん黒か。
133 文学部 麻耶 2018/12/12 15:58:49
そして昌義黒か……なんというか、非狼で見てたから以外だな……
信じ切ってるわけではないけど
ダーヴィドの占い結果は?
134 絵本作家 塗絵 2018/12/12 15:58:58
しかも狂窓オンだからな

これだから桜月は危険なんだよ
135 おしゃま 優奈 2018/12/12 15:59:24
>>127 昌義●か
これはまあ信じてもいいかな
この文面で騙りだったら笑うけど
136 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:00:40
11人外は5狼、黒幕、殺1-2、残3-4かな。
*22 ウェイトレス 南 2018/12/12 16:01:06
まあ優奈の信用と、クリスタの動向見ながらだな。
皆んな頑張れ。
137 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:02:06
>>3:1094はどう解釈するのが妥当か。
138 文学部 麻耶 2018/12/12 16:02:07
ダーヴィドの占い結果を同時に出してこないあたり不穏というか
*23 ウェイトレス 南 2018/12/12 16:03:30
>>*21
そんな事で君を失うなら、私が突っ込んだ方がマシだ。
頑張れ。
139 ニート 欧司 2018/12/12 16:04:06
#コンピュータ通信

+564 生命維持装置 壊
やっぱり死んだかorz
出るの早すぎたorz
本当村のみんなに済まない。
因みに逆呪ではない。

<<賢者日記>>
*占*
3日目:つくね殿→人間
4日目:ダーヴィド殿→人間

*霊*
3日目:なし
4日目:昌義殿→人狼

*巫*
2日目:ニート殿→人間
3日目:智哉殿→人間
4日目:茜嬢→人間
:バニー嬢→人間
140 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:04:49
墓下ログ進みすぎでは?
141 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:05:09
逆呪殺ではない、と。
142 ニート 欧司 2018/12/12 16:05:27
アオマド ハ ニギヤカ オイデ
*24 おしゃま 優奈 2018/12/12 16:05:40
まっずいな
これ意外と信用保ててる感じかな
真切られる前提で動くべきか真と見られる前提で動くべきか…
143 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:06:09
いくらバニーが荒らしてたとしてもこの量にはならないはずだよ。

聖人君の霊媒判定で確認したいね。ダーヴィド君を村視はできてない。
144 文学部 麻耶 2018/12/12 16:06:44
墓ログ進みすぎだし地味に名前マイナーチェンジさせてるあたり芸がこまかいコンピュータだ
ふむ、逆呪殺ではない白となると……
*25 外来 真子 2018/12/12 16:06:46
>>*23 ありがとうございます。
生きてる限り頑張ります!

あとついでに言っておくと自分、表では人外絶対追い詰める人になりますね。(要は首を自分で絞めていくスタイル)
145 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:07:14
霊媒判定なのは、占だと発狂リスクがあるからだね。

別のところを占うのが有意義だろう。
146 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:07:44
>>116 殺人鬼って>>101みたいに考えないのかな。
村を襲うというのがピンと来ないんだけど。
147 おしゃま 優奈 2018/12/12 16:07:52
んー、逆呪殺ではないのか
それだったら3襲撃?
その前に占いの結果はどうだったんだろう?
あんまりコンピュータを信用しない方がいいのかな
148 文学部 麻耶 2018/12/12 16:08:06
せやねえ
少なくともこの結果を見てダーヴィド占いたいとは思わんなあ
*26 ウェイトレス 南 2018/12/12 16:08:22
>>*24
まあ、信用を得るに越したことはないだろう。
*27 ウェイトレス 南 2018/12/12 16:08:56
>>*25
白で200発言くらいしてくれ。
149 文学部 麻耶 2018/12/12 16:08:56
もうこれ朝まで起きてた方がいい説
*28 おしゃま 優奈 2018/12/12 16:10:19
小百合が探知師だから既に捕捉されてる可能性あるんだよね…
人外変化が2人以上いれば誤魔化せるかもしれないけど
*29 外来 真子 2018/12/12 16:11:09
>>*27
さすがにむりですw

まぁ今ちまちま考察(他人の意見と重なるのもあり)書いてます。

夜には投稿して突っ込まれてを繰り返すことになるかな。
150 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:11:15
>>146
まず、村陣営が現段階で一番強いであろうこと。
次に、狼の位置がまだ取れない以上占はなるべく早めの処理を行った方が良いこと(邪魔判定がクリティカルになりかねない)
最後に、恋讐妖リスクを考えると全体的に余裕の無い状態にすることが賢明であること

この辺ではないかな
151 ウェイトレス 南 2018/12/12 16:11:31
ニートさんがログ数?とか名前をちょこっと改編してるっぽいのは完コピは抵抗があるみたいな感じなのかなー?
昌義くん人狼は納得しかしないけど。
152 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:12:41
>>150 邪魔判定は致命的か。なるほど。ありがとう。
153 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:13:24
恋讐はともかく、妖は希望者がそれなりにいる

妖狼 妖狼 ゾンビ さすがに1f程度はいると考えた方が賢明かと思うのよな
154 おしゃま 優奈 2018/12/12 16:13:47
>>151 なんかコンピュータが好き勝手なこと言ってめっちゃ楽しんでるような気がしないでもない
155 ニート 欧司 2018/12/12 16:13:59
#コンピュータ通信
4日目変な投票

ツンデレ 弥生はおしゃま優奈に投票
学生 昌義はバニー 結良に投票
修道女 クリスタはファン 紅に投票
囚人 要は文学部 麻耶に投票
令嬢 御影は悪戯好き ダーヴィドに投票
ニート 欧司は警察官 晋護に投票
156 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:15:06
欧司さんはなんで普護さん投票だったの?
157 ニート 欧司 2018/12/12 16:15:48
>>151
母国はシスコピアウトなので・・・
気持ちいじります。
158 ニート 欧司 2018/12/12 16:17:45
>>156
しゃーってやったら一番下に・・・
正直一回目は優奈さんになってこりゃヤバイと・・・
2回ふりました!
159 ニート 欧司 2018/12/12 16:18:33
>>154
タノシイ タノシイ タノシイ ヨ?
160 赤子 羽風 2018/12/12 16:19:20
お、コミッとる
+22 バニー 結良 2018/12/12 16:20:01
バブー
161 ニート 欧司 2018/12/12 16:21:12
希望役職が被ったら出来るだけ被らないように調整されるなら、妖狼2の可能性は少ないんじゃ?
162 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:21:28
>>158 しゃーってやりたかったのか。
気持ちはわかる。私もやってみたい。
163 赤子 羽風 2018/12/12 16:21:53
>>161
3ね
164 学生 比奈 2018/12/12 16:23:41
おしごとしゅーりょー。
+23 バニー 結良 2018/12/12 16:24:03
人狼6
妖狼3
殺人鬼2
コンピュータ
165 赤子 羽風 2018/12/12 16:24:23
手相占い何人くらい行く感じかね
+24 ニート 欧司 2018/12/12 16:24:36
食事・・・
行きたい・・・
+25 バニー 結良 2018/12/12 16:25:18
いってらっしゃい
166 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:26:17
桜を希望した人が村側ならすでに告白済だろうか。
167 赤子 羽風 2018/12/12 16:27:21
茜たん激おこは>>3:1425なるほどって感じやね
168 学生 比奈 2018/12/12 16:29:23
バニーさんは看板娘でも墓下から喋れるって聞いたんですけど。
+26 バニー 結良 2018/12/12 16:30:07
この貧弱ボディでは死んだら喋れない
169 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:31:47
あとは必ず見なければならないと思ってるのは要だよ。

▼麻耶は意図的なものを感じる
170 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:34:10
現状 ▼要 ▼ダーヴィド
これで提出しておく。
最低1人外は吊れると思ってる。
-9 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:35:52
弥生、範男、東、ダーヴィド、忍、御影、晋護
瑠樺、岬、伊澄、小百合、光、南、真子、朝陽、満彦
星児、羽風、要、クリスタ、塗絵、霧瓶、つくね、比奈
摩耶、優奈、紅
171 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:37:22
要さんは手相占の白だけど、第一候補なのか。
172 赤子 羽風 2018/12/12 16:37:43
手相占いも占い系だよね。要っち溶けてないから妖魔じゃなくて、結果人間だから一応狼じゃなさそうであってる?

吊るのは何予想で?狂人とかその他系とか、矢関連?
173 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:38:51
要を桜と考えているのだろうか。
174 赤子 羽風 2018/12/12 16:39:41
麻耶ちゃんの「投票してくれ〜〜」は真っぽい気がする
175 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 16:40:00
塗絵は麻耶を信用してない感じか?
それでも▼麻耶にせずに要にしてるのは不思議。
後、わしは続信じると白人外みたいだがその辺どう思っての希望かね
176 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:40:31
弥生、ダーヴィド、晋護あたりかなぁ。
177 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:40:46
そうだよ 桜
ダーヴィドは狂その他が第一候補
ウェイター 東 が投票を取り消しました。
178 赤子 羽風 2018/12/12 16:40:57
あー桜ね。

桜って占いを希望する人が多くないと楽しくなさそう。桜希望本当にいるんかなぁ
179 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 16:42:16
桜だとしても要は何故、麻耶が手相だとわかったのだろうか
180 赤子 羽風 2018/12/12 16:42:25
>>175
白人外?
181 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:42:28
ダーヴィドは賢者の白(コンピュータ通信)か。
いったん取り下げよう。
182 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:42:50
▼麻耶にしない理由はだね
少なくとも麻耶の役職そのものは手相占で間違いないと思っているからだよ
183 カメラマン つくね 2018/12/12 16:43:10
ういっすういっす、更新してた
184 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 16:43:10
>>180
塗絵視点ね。吊り希望ってことは人外で見ているだろうから
185 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:44:13
たとえ発狂がついていても本体より危険度は薄いと思っている。
186 赤子 羽風 2018/12/12 16:44:22
>>184
ああなるほど、ありがとう。

いやー、手相占いが今日投票を集めて発狂ならともかく、要桜はないんじゃないかね
187 カメラマン つくね 2018/12/12 16:45:05
>>21 >>167 激おこなのはかなりありそう。
聖人真かねこれ
188 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:46:22
自称証明簡単組が摩耶さんに投票する案を考えたが、狼黒幕がその中にいないと無駄打ちなんよな。
189 カメラマン つくね 2018/12/12 16:46:22
賢者は狼襲撃じゃねーと思うっす。
狼、昨日毒ってたわけだから、護衛なさそうなところ行きたいはず。
190 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:46:23
現状真で見てるよ 聖人
191 おしゃま 優奈 2018/12/12 16:46:37
四月馬鹿ってのは考えすぎかな?
四月馬鹿いるときの学者判定がどうなるのか知らないけど
192 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:47:30
四月馬鹿がいるとだね

村人 村人 村人 村人

って判定になるねえ
193 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:47:55
よって今回四月馬鹿は居ないだろう
194 赤子 羽風 2018/12/12 16:48:26
投票周りで1番よく分からんのは弥生ちゃんかな
195 カメラマン つくね 2018/12/12 16:48:27
投票二回あるってのは投票だけあるってことで、占いがもう一回できるどん、ってことではないんすよね?
196 ウェイター 東 2018/12/12 16:48:43
おっ覗けた。
まずは気になるのが死体3かー。ひょっとして、希望役職組み込まれ説によって、殺人鬼先生がいるのかな。
とんでもない怪物を世に生み出したマッドサイエンティストの心境なんだが。  

人狼襲撃、殺人鬼の人殺し、呪殺あたりかね。
197 学生 比奈 2018/12/12 16:48:46
麻耶さんに投票したのは分からないでもない。
私も手相占い師と思ったし。
198 赤子 羽風 2018/12/12 16:49:38
麻耶ちゃんに投票しろって言われたらするぞ
+27 バニー 結良 2018/12/12 16:49:43
弥生はさすがにキルするしかありませんね
199 赤子 羽風 2018/12/12 16:49:58
>>197
すごっ
200 カメラマン つくね 2018/12/12 16:50:12
クリスタさんはなんで紅さん吊りたかったんすか?私怨以外で。
なんか紅さんの中身がわかる役職だったかと思ったんすけど。
201 学生 比奈 2018/12/12 16:50:19
ただ日にち関係とか受動的だとかな占い系の麻耶さんを手相占い師読みして発狂させるって、全然いいことない気がするんだが、
202 カメラマン つくね 2018/12/12 16:51:12
紅さんと茜さん間違ってたのでさっきの忘れて
203 おしゃま 優奈 2018/12/12 16:51:35
>>193 じゃあ違うか
まあ言ってみただけ
204 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:51:38
門番を発狂させるメリットは僅かだが

占い系を発狂させるメリットは普通にあるだろう
205 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:52:16
手相占い読みは要なら充分に可能な範囲だ
206 学生 比奈 2018/12/12 16:52:46
>>199
そもそも日が関係する占い師ならその日に結果を持ってCOすればいいと思った。
昨日出たのは、出ることによって能力を活用できるのかなって。
207 赤子 羽風 2018/12/12 16:53:08
>>206
ほえ〜
208 学生 比奈 2018/12/12 16:53:25
そのメリットを具体的に聞いてみたい。
+28 生命維持装置 続 2018/12/12 16:54:23
>>170
塗絵嬢は結局ダーヴィド殿を釣るのかw 白でても黒でても吊るつもりなら何で占い希望にあげたんだw 何となく無駄手占いさせられたような気がしますなぁ。
赤子 羽風は遺言を書きなおしました。
「いつかまた会おう(ばぶう)」
209 絵本作家 塗絵 2018/12/12 16:55:14
判定を狂わせたら狼が投票しても安心だな?
210 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 16:55:28
塗絵さんに殴られているダーヴィドさんだが、なにかCOはないのだろうか。
211 学生 比奈 2018/12/12 16:55:56
要さんだけが手相占い師読みをできたわけではないのだし、そういう投票をすることによって今みたいな要さんと麻耶さんの両吊りコースに流れそうなのも分かるはず。
+29 生命維持装置 続 2018/12/12 16:56:56
>>21
ほーん、紅嬢は村役やんな。
昨日の態度は割と怪しんでいたけど外したかorz
212 学生 比奈 2018/12/12 16:57:05
桜1匹を生贄に1日吊り稼ぎ、しかも占い役職というのはメリットか。
213 学生 比奈 2018/12/12 16:58:12
そもそも麻耶さんに投票する場面というのが私は昨日の時点では想像できてない。
214 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 16:59:43
>>210
吊られるわけではない+今、COは村にとっても私にとっても利がないのでしないよ。
215 学生 比奈 2018/12/12 17:01:08
賢者の白であるダーヴィドさんにCOを聞く必要あるだろうか。
でも賢者の結果はそういえばコンピュータ情報なんだな。
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。
「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚、水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子のぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの洗礼者のつくね」
216 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:02:08
利がないなら、しょうがないね。
217 学生 比奈 2018/12/12 17:02:20
灰詰めかな。
218 学生 比奈 2018/12/12 17:03:58
因みに私は今日は朝陽さんにセットした。
つまらない結果だったよ。
+30 生命維持装置 続 2018/12/12 17:04:19
>>1
手相占いねぇ。
これ真ならもっと票集まれば飯うまやったのに!
219 ウェイター 東 2018/12/12 17:05:07
手相占い師coとその結果に関してはすんなり頭に入ってくるので、真だと思っているのだけどね。
塗君の▼要の根拠は理解できるが、
要君はその強烈な村人魂(欲望ともいう)と反して行動は傾いているからなぁ。一応意図があったかもしれないので、本人の説明聞いてからでもいいんじゃね?


+31 生命維持装置 続 2018/12/12 17:05:25
>>215
伝言ゲームですからねw
しかし、欧司殿はちゃんと働いているでござる!
220 学生 比奈 2018/12/12 17:05:49
私は弥生さんの投票が1番理解できないけどな。
そこ聞いてみたいよ。
221 赤子 羽風 2018/12/12 17:06:23
だよねー
222 学生 比奈 2018/12/12 17:07:27
随分とませたガキだな!
223 外来 真子 2018/12/12 17:07:49
ただいまです。コミットされたんですね。

ちょっと流れ見てきますー。
224 赤子 羽風 2018/12/12 17:07:50
えっ
225 カメラマン つくね 2018/12/12 17:07:54
ポイズン狼がグッジョブ覚悟で、もしくは、襲撃できる狼以外のやつが続さんにイったってゆーのなら、研修医さん怪しいっす。
226 赤子 羽風 2018/12/12 17:08:18
>>194 さ、先に言ったもんね〜〜
227 カメラマン つくね 2018/12/12 17:08:57
あー、また間違えた。続さんと宇宙飛行士さん間違えた
228 カメラマン つくね 2018/12/12 17:09:31
はじめてのチップだと容易に誤認する……
229 学生 比奈 2018/12/12 17:10:09
>>3:1459
心に刺さる!
+32 生命維持装置 続 2018/12/12 17:10:12
>>225
やっぱ結果出てから出なきゃな。
寡黙になるかと思ってチキったら、そうでもなかった。
そもそも、明確な吊り先できるなんて……
230 カメラマン つくね 2018/12/12 17:12:05
とりあえず、紅さん村役職判定からのクリスタさんの反応待ち
231 学生 比奈 2018/12/12 17:13:55
>>3:1466
あなたはそうやっていつもいつも.....!
それで勝った試しがないじゃないの!!
232 学生 比奈 2018/12/12 17:14:16
ったく、今日が最後だからね!つ2万円
233 赤子 羽風 2018/12/12 17:14:59
俺にもオムツ代2万くれ
234 学生 比奈 2018/12/12 17:15:32
随分とませたガキだな!
235 ウェイター 東 2018/12/12 17:16:08
オムツ代をたかる赤子....誰だよこいつの親は!
236 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:16:27
お似合いのカップル、なのかな。。
237 赤子 羽風 2018/12/12 17:16:54
親に頼らず自立して生きていくんだ
238 学生 比奈 2018/12/12 17:17:28
じゃあたかっちゃだめだろ!
239 赤子 羽風 2018/12/12 17:17:54
ニートは俺を見習ってくれ
240 ウェイター 東 2018/12/12 17:17:57
実は親を殺した殺人鬼ベイビーとかなら笑えるんだが。
+33 生命維持装置 続 2018/12/12 17:18:11
>>233
赤さん、元気やなw
オムツなんて贅沢やし、代わりにこれを……
つ【葉っぱ】
241 赤子 羽風 2018/12/12 17:18:49
殺しはしねぇ。割りに合わないからな
242 学生 比奈 2018/12/12 17:19:46
割に合ってもだめだからな!?
243 赤子 羽風 2018/12/12 17:20:28
>>242
鋭い
244 学生 比奈 2018/12/12 17:20:34
状況からの議論はいくらでも発展できるけど、中心となる人達が来ていないからな.....。
とりあえず待とうか。
245 カメラマン つくね 2018/12/12 17:21:00
赤ん坊パイセン、オムツのブランドにこだわりあるイメージっす
246 ウェイター 東 2018/12/12 17:21:03
>>241
こ、こいつ筋金入りのプロや。
疑わしい要素はあるけれど、怒らせると怖そうなので見守っておこう。
247 絵本作家 塗絵 2018/12/12 17:21:05
サングラスは御入り用かい?
248 赤子 羽風 2018/12/12 17:21:22
せやな
249 赤子 羽風 2018/12/12 17:23:04
>>245
俺はグーン派だ。ワンワンとうーたんの絵が可愛いからな。
+34 生命維持装置 続 2018/12/12 17:23:40
>>247
あ、そういや。
占い先指定とかするから、一瞬呪怨者とか九尾とか疑ってしまったけど、そんな事はなかったね。
250 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:24:22
うちはメリーズ派です。
+35 生命維持装置 続 2018/12/12 17:24:24
>>249
自立して生きる漢は黙ってフンドシ!
251 赤子 羽風 2018/12/12 17:27:31
>>250
ヴィクトリアもお忍びオムツか?メリーズもいいな。ウサギがかわいいんだ。
+36 生命維持装置 続 2018/12/12 17:27:34
これ貰とこ。

ツンデレ 弥生 は おしゃま 優奈 に投票しました。
学生 昌義 は バニー 結良 に投票しました。
修道女 クリスタ は ファン 紅 に投票しました。
囚人 要 は 文学部 麻耶 に投票しました。
令嬢 御影 は 悪戯好き ダーヴィド に投票しました。
ニート 欧司 は 警察官 晋護 に投票しました。
252 カメラマン つくね 2018/12/12 17:27:36
>>249 マジすかさすがっす!ゆきちゃん来年交代っすかね!
(先走って買っためりーずを返品しながら……)
253 ニット帽 光 2018/12/12 17:29:18
そこの赤子、なんかの主人公補正かかってないか?
254 カメラマン つくね 2018/12/12 17:29:47
>>250 旦那、めりーず愛用者っすか!?買ってきたやつあげるっす。
これ履いてると尻餅ついたときのクッション代わりになるっすよね!
255 カメラマン つくね 2018/12/12 17:30:52
はっ!もしや赤ん坊パイセンが黒幕様……?
256 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:31:44
貫禄のある喋り方はそのせいか。なるほどな。
257 ウェイター 東 2018/12/12 17:31:51
意見が分かれても、それぞれのアプローチで議論が進めて、噛み合ってゆく塗絵君と比奈君。今日も安定運転といったところか。

両者が同一敵対陣営だと正直勝てる気がしないんだが、そこは大丈夫じゃねーかな。その場合、今日からいきなり意見を分けて村に揺さぶりをかける場面でもないしな。
258 カメラマン つくね 2018/12/12 17:31:52
黒幕様はかっちょいー遺言頼むっすよ!
259 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:32:33
バニー村側でクリスタ吊り扇動してたんかな。。
+37 生命維持装置 続 2018/12/12 17:33:25
>>220
これは弥生嬢にマジで確認せにゃならん案件やね。
一番怖いのが帝狼やけど、裏を書いてそう見えるように装って、道連れ狙いということも。
少なくとも、弥生嬢に摩耶嬢へ投票させるのは強制して良いんでない?
260 カメラマン つくね 2018/12/12 17:33:42
バニーさんのクリスタさん吊りは遊んでただけでは?
むしろガチで吊ろうと思ってたのは俺っす
261 ニット帽 光 2018/12/12 17:34:29
とりあえず黒幕には名乗り出てもらったらどうだろう
262 外来 真子 2018/12/12 17:35:54
ざっと見てきました。

結果等はまとめも感謝。ただ信じるべきかどうか、全員の結果が疑わしい感じですか?
一先ず真仮定で進めて、変だなと思ったら疑います。

まぁ昌義さん狼らしい、少なくとも人外濃厚は間違いないと思うので良しとしましょう。
263 外来 真子 2018/12/12 17:36:41
・襲撃について

この国の護衛はガバガバなのかGJ思考なのか拙者にはわからぬでござる。(賢者抜かれかつ逆呪殺ない情報より)

死体3で逆呪殺がない(PC(コンピュータ)情報)となると狼に加えて襲撃者が2そして被りなし。
ということですかね。
264 外来 真子 2018/12/12 17:37:07
死んだ3人についての所感
続:襲撃対象としては最上、ただ襲撃者は護衛の危険性考えなかったのか。
(狼襲撃の場合、護衛いたら毒があることから狼死にますよね?)

結良:噛まれたのは本人補正でしょう、たぶん。看板娘は襲撃無しで処理ができると考えるとよい感じ?実感はない。

茜:軽く読み直しましたが噛まれた理由はよくわからない、ヴィクトリアさんの言う>>3:1425くらいでしょうか、これにはなるほどといった感じです。
265 外来 真子 2018/12/12 17:37:49
襲撃仮定ですけど襲撃以外は何かあるんですかね、呪殺は聖人結果から見ると無い感じですけど。
襲撃なら狼以外に2襲撃役、希望云々の話を察するに殺人鬼が濃厚。

まぁ殺人鬼さんも込みで人外探すなら手相占い師さんで探るのが手っ取り早いんですかね?
その辺よくわからないんですが、
変な投票した人全員(要さんは済)手相占い師さん投票
+あと数人、手相占い師さん発狂疑うなら民意?
くらいでしょうか、考え付いたのは。
266 外来 真子 2018/12/12 17:39:38
・逆呪殺疑いからダーヴィドさん人外濃厚→逆呪殺無しからダーヴィドさんについて。
疑いの流れはまぁ護衛濃厚な賢者が死んだ→逆呪殺の可能性は理解。
ダーヴィドさん本人は逆呪殺に対しての反応が特になかったな。
>>86なんか御影さんに対しては投げやり的な疑い返しかな。
生存意欲はそんなに強くないから重要役職っぽい感は無いのですよね。

賢者からの白なので非狼・妖魔。優先的に吊という感じは今はしませんね。
267 ウェイター 東 2018/12/12 17:40:01
>>263
襲撃者が3となると、人狼、殺人鬼以外で役職希望した人がいる可能性はあるね。希望組み込み説に信憑性があれば、の話だけども。
268 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:40:09
変な投票した人は素直に投票しないのでは。
+38 生命維持装置 続 2018/12/12 17:40:15
要殿の摩耶嬢に対する投票もかなり怪しいなぁ。要殿も弥生嬢もそこそこ話しているし、知らなかったでは済まないな。
+39 生命維持装置 続 2018/12/12 17:42:07
>>263
そもそも護衛いない説(震え
269 外来 真子 2018/12/12 17:42:37
>>267
正直システム面は謎ですし希望もどこまで反映されるのかいまいち。
逆呪殺で襲撃者2というのも途中で出てましたが否定されてますしね。
殺人鬼2とかよりは一匹、銀狼がいたりするんでしょうか?

>>268
まぁですよね…、その場合縄が飛ぶ気はしますけどもね。
+40 バニー 結良 2018/12/12 17:43:44
>>259
なにか問題が?
+41 生命維持装置 続 2018/12/12 17:44:39
>>263
まあ、護衛役からしても聖人の方を護衛するのでは?
ワシは結果出せてなかったしのう。
+42 生命維持装置 続 2018/12/12 17:45:32
>>+40
無問題(^ J ^)
+43 バニー 結良 2018/12/12 17:45:55
溶かせる賢者の方が有能なのになあ
270 ウェイター 東 2018/12/12 17:47:42
>>269
いるとすれば銀狼あたりじゃねーじゃな。村側の希望、必殺仕事人という感じで人気役職っぽいし、希望者がいても不思議ではないな。

で、その場合、希望どうり役職引いた人じゃないか予想。
271 外来 真子 2018/12/12 17:48:18
>>269の襲撃者2には狼含んでます。と捕捉。

んー、まぁ時間はなんかすごいある感じですしまだ来てない人の反応も見つつ考えましょう。

直近の流れでは赤子黒幕説、なんか映画になりそうな雰囲気。
+44 生命維持装置 続 2018/12/12 17:48:50
>>+43
このユビキタス社会では結果が全てなんですよ_(:3 」∠)_
せめて今日出なら、ちゃんと結果言えたのに_:(´ཀ`」 ∠):
+45 バニー 結良 2018/12/12 17:49:41
御愁傷様でやんす
272 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:49:50
銀狼がいたとすると襲撃はバニーか。

う、うーん。
人外と確信できない中で襲撃するものなのかな。
+46 生命維持装置 続 2018/12/12 17:50:23
>>270
銀狼いるとして、茜嬢や結良嬢を襲うか?
273 外来 真子 2018/12/12 17:50:56
>>270
その場合結良さん噛んだのが銀狼ですかねー。
賢者さん噛むのはあり得ない(陣営変化は知らない)
茜さんは村より発言あったって考えると。
274 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 17:51:00
昨日の様子を見たら襲撃したくなるか。
+47 バニー 結良 2018/12/12 17:52:24
>>274
禁則事項です
275 絵本作家 塗絵 2018/12/12 17:53:53
バニー人外で酷い目にあった人もいるだろうから銀あるかも?はわかるな
+48 学生 昌義 2018/12/12 17:55:01
2日有るからな、余裕
+49 生命維持装置 続 2018/12/12 17:57:52
>>273>>274
銀狼が結良嬢を襲撃するとか言う推理はどうなんやろ。むしろ、色々絡んで分かりやすかったようなw
+50 生命維持装置 続 2018/12/12 17:58:45
>>275
鬼やw
276 情報学部 範男 2018/12/12 17:59:12
おはよう
情報学部 範男 は ノーマル ガチャをまわします。
ノーマル★ 【村人】を手に入れました。
情報学部 範男 は課金します。
情報学部 範男 は プレミアム ガチャをまわします。
レア★★★ 【忠犬】を手に入れました。
277 情報学部 範男 2018/12/12 18:01:17
おおおおおおおお
これはいいのキターーーーー!!
278 情報学部 範男 2018/12/12 18:01:56
そうでもなかった
279 外来 真子 2018/12/12 18:02:16
ガチャガチャですか?
280 情報学部 範男 2018/12/12 18:02:30
明日にかける
281 情報学部 範男 2018/12/12 18:02:41
>>279
ガチャガチャです
282 外来 真子 2018/12/12 18:03:04
いいなー
-10 外来 真子 2018/12/12 18:03:58
いいなー
/1 看護師 小百合 2018/12/12 18:04:12
BBS形式の罠にかかって明日じゃないと能力発動されないみたいなので、COは明日にします。今日は潜伏続行するぞ〜
+51 ニート 欧司 2018/12/12 18:04:35
大変だなぁ。
+52 バニー 結良 2018/12/12 18:06:27
村の行く末を見守るニート
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
283 ウェイトレス 南 2018/12/12 18:08:19
先の99人村で銀狼でしたが、普通に誤爆人外があらわれるまでは灰に襲撃セットしていましたよ。誰とは言いませんがー!
まあこの村とは人外の割合が違うので、慎重な人なら襲撃しないのかもしれないですけどね。襲撃ボタンの誘惑に打ち勝つのは難しいですよ。バニーさんなら、襲撃したくなっても全く不思議ではないと思いますー。
284 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:08:27
なんだこいつ。
*30 外来 真子 2018/12/12 18:08:38
うっかり素で聞いたら素の反応っぽく帰ってきた。
面白そうだなぁ。ガチャガチャ。
-11 教育学部 伊澄 2018/12/12 18:08:59
>>258
えっ…!?
285 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:09:29
なら、銀の可能性もありそうね。
-12 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:09:53
そこにいったのか。
286 絵本作家 塗絵 2018/12/12 18:11:24
明日の噛み先と聖人の判定で把握できそうかなと

聖人生きてるかは別として
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


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 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
+53 バニー 結良 2018/12/12 18:11:37
バニーちゃん人気者過ぎて困っちゃう❤️
囚人 要 が 文学部 麻耶 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
-13 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:12:52
弥生、東、忍、御影、晋護
瑠樺、岬、伊澄、小百合、光、南、真子、満彦、ダーヴィド
朝陽、星児、羽風、要、クリスタ、塗絵、霧瓶、つくね、比奈
摩耶、優奈、紅、範男
287 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:13:42
無発言投票はマズイですよ、要さん。
288 ウェイトレス 南 2018/12/12 18:13:54
話を聞かせて欲しい弥生さん要さんなどがまだいらっしゃらないので、何ともですねー。
289 ウェイトレス 南 2018/12/12 18:14:24
ほんとだ投票してる。笑いました。
290 囚人 要 2018/12/12 18:16:02
俺を何度も占わせてやるぜえ〜。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
291 外来 真子 2018/12/12 18:17:01
ずっと入れ続ける気ですね。

Q.今日の投票は?
A.いつもの

にするために!
292 ウェイトレス 南 2018/12/12 18:17:26
麻耶さんに投票してるってことですかー?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
293 囚人 要 2018/12/12 18:19:05
俺が顔を乗っ取られる可能性を潰し、文学部が俺が村側だと証明し続けてくれるんだぞ?
こいつぁ楽だぜ。
294 囚人 要 2018/12/12 18:19:45
貴様等は警察官でも吊っていろ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
-14 外来 真子 2018/12/12 18:19:51
顔乗っ取り!そういうのもあるのか!
295 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:20:41
もうひとつはどこがお勧めです?
-15 学生 比奈 2018/12/12 18:21:27
考えすぎかもしれないが、これは中身占い師を誘ってないか?
296 囚人 要 2018/12/12 18:21:39
もう一つは議論が延長されたら考える。
今を生きる。
今を生きるだ。
-16 学生 比奈 2018/12/12 18:21:46
ふーん楽しそうだ。
297 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:22:47
今を生きる。いい言葉ですね。
-17 外来 真子 2018/12/12 18:23:45
伯爵さんのキャラはいまいち掴めない。
バランスよく上手くて話術が巧みな人って感じかな。
推理も説得もできるけど行動が割と突飛?
-18 外来 真子 2018/12/12 18:25:10
ヴィクトリアさんは割と真面目。
前の村より前面に出てきてるのは村側なのかな。
前村は恋で控えめ?結構議論しているイメージ。
298 ウェイトレス 南 2018/12/12 18:25:49
バニーさんが散らせた命を、大事にしましょうねー。
299 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:26:41
ふと思ったのですが、憑狼が入れ替わった場合、遺言はどうなるんでしょう。
+54 バニー 結良 2018/12/12 18:27:05
>>298
代わってよ〜!
300 赤子 羽風 2018/12/12 18:28:52
死んだ人と遺言の署名が一致しないことがあるのか
301 看護師 小百合 2018/12/12 18:29:18
ただいまかえりました。明けてるのですね。
さーて、うず高く積み上げられた宿題(寝ている間に進んだログ)を消化しましょう・・・。
302 看護師 小百合 2018/12/12 18:31:36
看板娘ってことは、今日の処刑先は最多得票者と次点になるので、バランスよく投票する必要があるってことですよね。

手相占いがうっかり吊られる事故を避けるためにも調整が必要そうではあります。
303 赤子 羽風 2018/12/12 18:33:15
>>302
議論→処刑→議論→処刑ってできるんじゃないのか?
+55 ニート 欧司 2018/12/12 18:33:45
ヤバイ役職がどれだけ入っているのか?
304 看護師 小百合 2018/12/12 18:33:51
あとなんだっけ。賢者聖人コンビはどっちも信じていいんだろうと。

それと、襲撃ですが、昨日誰かが「迅狼希望した」みたいなこと言ってませんでしたか?
賢者チャレンジと、もうひとり護衛がついていなさそうな灰の2人を襲撃することで毒回避…というのを想像しましたが。
+56 学生 昌義 2018/12/12 18:34:03
聖人賢者の結果が墓経由で残り続けるから村の完勝譜かと思ったけど襲撃役複数なら1番勝ち遠いの村になるかも知らんな
305 看護師 小百合 2018/12/12 18:34:34
>>303
襲撃フェイズというか夜明けを挟まずに処刑できる??
306 赤子 羽風 2018/12/12 18:34:48
>>305
そうそう
+57 ニート 欧司 2018/12/12 18:35:54
>>+56
お仲間強そうです?
307 看護師 小百合 2018/12/12 18:36:12
あれ、検索しても出てこないな、迅狼。
なんか昨日つくねさん?が言ってた記憶があるんですが…??
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
308 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:36:39
>>303 短期はこうなってた。
長期の仕様でどうなるかは見つけられていない。
+58 学生 昌義 2018/12/12 18:37:10
妖狼を警戒してるっぽいね
309 情報学部 範男 2018/12/12 18:38:01
看板娘は多分今日の処刑が最多投票と2番目になるんじゃない?
知らんけど
310 看護師 小百合 2018/12/12 18:38:09
>>3:1208 だった。
「仁狼」→「じんおおかみ」→「迅狼」
の脳内変換ミスですね…。
311 赤子 羽風 2018/12/12 18:39:05
迅狼ィ〜〜
312 情報学部 範男 2018/12/12 18:39:26
>>309
違った
313 看護師 小百合 2018/12/12 18:39:34
ィ派とゥ派にわかれる。
314 囚人 要 2018/12/12 18:39:58
>>182
ところでこいつ、文学部を信じてるのか信じて無いのか、どっちなんだ。俺は文学部を信じているが。
315 赤子 羽風 2018/12/12 18:39:59
実は俺はィ派だ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
316 看護師 小百合 2018/12/12 18:40:44
読みとしては「じんろう」なんだと思ってるんですが、多分「人狼」と脳内読みでごちゃごちゃになるので、脳内では「じんおおかみ」って認識しているっていうか…。
317 情報学部 範男 2018/12/12 18:40:47
私麻耶に入れといていい?
318 囚人 要 2018/12/12 18:41:12
>>201
そもそも桜狼なんてカス、希望した奴居るのか?
金狼と骸狼だろ、流行は。
319 ウェイター 東 2018/12/12 18:41:19
晋護君は独り言誤爆のネタよりは、>>3:1303以降の動きが面白いな。なんかどつぼにはまっていってるような。
昌義君吊りなんて別に大した根拠はなく、疑わしいことをやらかしたし、他に候補がいないからとりあえず吊ってみようと、大半の人がそんな軽い気持ちだったと思うのだけど。
この人、妙な理由をつけてわりとガチで吊りにいってるんだよな。しかもダジャレまでつけて。
320 囚人 要 2018/12/12 18:41:34
>>317
吊られるのは警察官だからいいぞ。
321 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:41:40
小百合さんが言い訳している。
322 囚人 要 2018/12/12 18:41:58
>>205
俺の評価たっけぇ……。
情報学部 範男 が 文学部 麻耶 に投票しました。
323 看護師 小百合 2018/12/12 18:42:39
>>306 >>308 ほえぇ。それは情報量的に美味しいですね。(霊判定が1手確実に見えるってことですよね?)
長期でも同じだろうとは思いますが、気になる場合は検証村芸人しても良いかもですね。
324 情報学部 範男 2018/12/12 18:42:50
票数がない場合手相に占われるのだろうか?
325 囚人 要 2018/12/12 18:43:00
可能な範囲なら仕方無いな……。
文学部は違うと知っているだろうが、その文学部を信じられない程に俺が信じられないのは仕方無いな……。

ID公開されると人に信じて貰う事が不可能になるぅ。
326 情報学部 範男 2018/12/12 18:43:15
>>323
好きだよ
327 囚人 要 2018/12/12 18:43:22
俺もID公開されてるsazanami博士とか必ず人外だと思ってるし、お互い様だよな……。
328 赤子 羽風 2018/12/12 18:43:44
>>323
占い結果はどうなんやろかね。ワクワク
329 看護師 小百合 2018/12/12 18:43:51
いちおう今はID非公開ですよ。(※IDリストあり)
-19 学生 比奈 2018/12/12 18:44:09
いや中身占い師発狂せんやん。
330 囚人 要 2018/12/12 18:44:20
要を信じる事など地球が逆回転しても不可能なのだ。

ちなみにスーパーマンは一作目で地球を逆回転させ、時空を逆流させ、死んでいた恋人を生き返した。
大ヒットトンデモ映画である。
331 看護師 小百合 2018/12/12 18:44:39
>>328 占はなんとなく「1日1回」なんだと思っていましたが。どうでしょう。
そのワクワクは検証芸人としてのワクワクでしょうか…?
外来 真子 は様子を見ます。
332 学生 比奈 2018/12/12 18:44:42
赤ちゃん吊り殺してえな。
333 囚人 要 2018/12/12 18:44:54
>>329
誤爆しないってことは、人外ではあるかも知れないが、窓は無いな!
334 赤子 羽風 2018/12/12 18:45:05
いや〜〜ん
335 看護師 小百合 2018/12/12 18:45:06
>>326 あっはい。今日もお薬出しときますね。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
336 看護師 小百合 2018/12/12 18:45:43
>>333 別に私誤爆したことなくないですか!!?!?
※墓下除く
337 囚人 要 2018/12/12 18:45:52
どうでもいいけど、ログが読み難いな……。
338 囚人 要 2018/12/12 18:46:13
>>336
なくなくない?
339 赤子 羽風 2018/12/12 18:46:33
>>337
混線かな?
+59 バニー 結良 2018/12/12 18:46:44
私の混ぜた狼は活躍するかな
340 ウェイター 東 2018/12/12 18:46:50
中身を気にすると、結良襲撃説なんて出てくるんだよな。
この村の結良君なんて、別に脅威でもなかったし、むしろ面白おかしくマイペースだったので人畜無害だよ。
341 看護師 小百合 2018/12/12 18:47:01
>>338 なくなくなくない??
342 囚人 要 2018/12/12 18:47:08
>>339
ククク、俺は村側だぜ……。
何故そんな事が起きているか……。
343 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 18:47:17
誰か文学貼ったのかな。。
344 囚人 要 2018/12/12 18:47:24
>>341
なくなくなくないかも。
345 囚人 要 2018/12/12 18:47:40
>>343
スルドーイ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
+60 バニー 結良 2018/12/12 18:48:26
>>340
そうだそうだ
346 赤子 羽風 2018/12/12 18:48:59
文学……文学部……はっ
347 囚人 要 2018/12/12 18:49:48
>>346
お気付きになられましたか。
348 看護師 小百合 2018/12/12 18:49:49
>>344 なくなくない!!
349 看護師 小百合 2018/12/12 18:50:19
ここにも文学の魔の手が。
350 囚人 要 2018/12/12 18:50:34
>>348
なくなくなくない?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
351 囚人 要 2018/12/12 18:51:06
ヒントは坂口安吾。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
352 学生 比奈 2018/12/12 18:51:36
赤ちゃん吊るすわ.....。
353 囚人 要 2018/12/12 18:51:57
赤ちゃんが何をしたって言うんだ。
354 赤子 羽風 2018/12/12 18:52:41
ばぶー
情報学部 範男 は 【忠犬】 を手放します。
355 学生 比奈 2018/12/12 18:53:55
少子化に貢献しようと思って。
356 囚人 要 2018/12/12 18:54:07
この俺を絶対に信じない絵本作家の中身は誰だよ。
クリック。
ホワイトだった。

駄目だこいつ、俺を神聖視しているからこそ死ぬまで、いや、死んでも俺が人外だと思い続ける男だぞ。
奴の殺​す気を抑える事は俺には出来ん。
やはり、俺は遠からず死ぬのか……。
357 囚人 要 2018/12/12 18:54:23
ククク、遠からず死ぬとしても、俺はまだ『何もしない』ぜ……。
358 看護師 小百合 2018/12/12 18:54:31
>>351 風博士に1BET。(適当)
359 情報学部 範男 2018/12/12 18:55:13
さっき忠犬引いて喜んでたけど
開始時に主人決めるから途中で忠犬なっても
劣化カズマーンにしかならなかった
360 囚人 要 2018/12/12 18:55:17
>>355
妊婦を殺した方が効率いいぞ。

こういう事を言うとサイコパスだと思われるので、良識ある人間は思っても口に出さないようにね。俺も口に出さない。(キーボードは打ってる)
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
361 学生 比奈 2018/12/12 18:56:36
じゃあ妊婦っぽい羽風さんを殺そう。
362 赤子 羽風 2018/12/12 18:56:40
このままぬるま湯に浸かっていたい
363 看護師 小百合 2018/12/12 18:56:55
>>359 劣化カズマーン草
364 囚人 要 2018/12/12 18:57:20
>>362
お前はバイオミラクルだ。
死地に飛び込まねばならん。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
365 赤子 羽風 2018/12/12 18:58:40
>>364
時が来たら働こうと思う
366 赤子 羽風 2018/12/12 18:58:59
今はまだその時ではない……ばぶー
367 囚人 要 2018/12/12 18:59:19
俺は時が来ないまま死にそう。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
368 学生 比奈 2018/12/12 18:59:27
オーカナメイズゴッド。
/2 看護師 小百合 2018/12/12 18:59:49
にゃーん。
369 囚人 要 2018/12/12 18:59:58
上質劣化カズマーンが、手品師な訳無いんだよなあ……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
看護師 小百合は遺言を書きなおしました。
「現時点では無能です。(4日目)
4日目以降、毛が生えた程度に能力発揮できる村側でした。
そのはずがBBSの罠にかかって4日目には能力発動してませんでした。5日目までCOは持ち越しだ…。

あと、キャバ嬢さんと絆つながってました。(一緒に死んでると思う)
多分私が希望してた共命者効果だと思います。※緑窓で直接は聞いてない。
12月12日18時56分時点では、私とキャバ嬢さん以外緑窓は喋っていません。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
370 囚人 要 2018/12/12 19:02:35
このカズマーンは、第一回99人長期で手品師騙りをしていたカズマーンと完全に相似の関係にある。
つまりクリスタは手品師では無いんだ。
371 看護師 小百合 2018/12/12 19:02:57
ログアウトしたけど今日は観戦者発言ありませんでした。

つまり。
つまり……

村側というのを信じるならば、遺言……?
372 囚人 要 2018/12/12 19:03:06
みんなも今すぐ99人村長期のログを全部読んで来てくれ。
そうすれば解って貰えるはずだ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
373 看護師 小百合 2018/12/12 19:03:25
このクリスタはシャッフル役職騙るのが大好きだからね。
374 囚人 要 2018/12/12 19:04:31
まあ、どうせ狼男とかクソ役職だろうから、占うのも無駄だと思うが。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
375 赤子 羽風 2018/12/12 19:05:50
遺言見れる役職あるのかと思ったけどそんなことはなかった。
376 囚人 要 2018/12/12 19:06:04
警察官を吊ってコンピューターおばあちゃんに警察官の役職を教えて貰い、カズマーンを「こいつどうせ村側でも足引っ張るだろうし吊ろうぜ」「罠師がマジだったの1? クリスタ放置しよ」のどちらかの方針を得ることが俺のオススメだ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
377 赤子 羽風 2018/12/12 19:06:12
俺の恥ずかしい遺言は隠しておこう
378 看護師 小百合 2018/12/12 19:06:35
クリスタの場合、どっちかというと警戒するべきは矢だと思っていますよ。
そこは昨日か一昨日かのヴィクトリアさんや南さんの考えと近いです。
379 ウェイトレス 南 2018/12/12 19:07:06
シャッフル役職騙るのが趣味だったんですか!
なんか真剣に受け止めちゃってましたよ。
ただのDVパチンコ野郎さんだったとは……。
380 囚人 要 2018/12/12 19:07:36
賢者襲撃するのはいいんだけど、巫女系能力って死体になってもガンガン結果が増え続けて行くんだよな……。
コンピューターが狂ってない限り市民は結構有利。
381 看護師 小百合 2018/12/12 19:07:48
>>375 見れたら強い。

まあ、要さんは自分の遺言に文学爆撃したんじゃないかなあって。
どうでもいいですが。
382 ウェイトレス 南 2018/12/12 19:09:35
遺言、文字数制限ないってマジですか?
383 囚人 要 2018/12/12 19:09:57
コンピューターが狂っていても、続が観戦者発言で結果を落とし続ける限り有利。
これはねじ天裏ルール、幽冥境曖昧掌なので、使うと「汚いぞ村側ッッッ!!!」と言う誹りを受けるかも知れない。
でもさあ、ねじ天の仕様が正直悪いよなあ……?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
384 赤子 羽風 2018/12/12 19:10:16
>>382
それ……やばいな……
385 赤子 羽風 2018/12/12 19:11:01
>>383
ねじ天が悪い
386 囚人 要 2018/12/12 19:12:00
>>384
無いよ。(断言)
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
387 情報学部 範男 2018/12/12 19:12:08
閃いた!!
遺言でラブレター書いたらこの溢れ出る思いを伝えれる
388 看護師 小百合 2018/12/12 19:12:11
ねじ天が悪いなら仕方ないですね。
389 囚人 要 2018/12/12 19:12:28
不思議と、ログが読み難いんだよな……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
390 看護師 小百合 2018/12/12 19:12:37
>>386 この人……既に試していらっしゃる……。
391 囚人 要 2018/12/12 19:13:01
何かこう、ログって、ログアウトしないとちゃんと読めなくないですか……?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
392 看護師 小百合 2018/12/12 19:13:20
……?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
393 情報学部 範男 2018/12/12 19:13:42
分かる
394 囚人 要 2018/12/12 19:13:42
不思議と、ログが読み難いんだよなあ……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
395 囚人 要 2018/12/12 19:14:16
要の役職は何か?
文学部だけが知っている。
396 ウェイトレス 南 2018/12/12 19:14:37
>>383
うわ、目から鱗ですがまあ、どうなんでしょうねー。
ツイッターなどの外部ツールに村の情報を書くのと同罪……と言うには、霊界からイヤでも見えるのが問題ですねー。
続さんがブチ切れたら、使うかもしれませんね!
397 囚人 要 2018/12/12 19:15:47
ねじ天裏ルールに詳しい囚人。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
398 囚人 要 2018/12/12 19:16:45
この要さんが、傍観者発言に全レスしていたのは、ログアウトしてログを読んでいたからさ。
しかし、何故ログアウトして読む必要があるのか?

答えは……自分で考えてくれ。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
399 囚人 要 2018/12/12 19:17:16
考えるまでもなく、そうしないと読み難かったって、答え自体は言っているんだが……。
400 囚人 要 2018/12/12 19:17:31
一つ、面白い話をしよう。
401 看護師 小百合 2018/12/12 19:17:44
考えると恐ろしいので、未来の自分に丸投げしておきましょう。
402 囚人 要 2018/12/12 19:18:10
簡単な説明と、複雑な説明。
人間はどちらの方が理解出来るか?
403 学生 比奈 2018/12/12 19:18:28
他人の遺言を消す役職の実装はまだですか?
404 囚人 要 2018/12/12 19:18:54
多くの人間は、簡単な説明の方が理解しやすいと思いがちだが……。
実際は、複雑な説明の方が人間は理解しやすい。
説明書は、複雑であればある程良い。

例を出そう。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
405 囚人 要 2018/12/12 19:19:38
とある登山家がこう聞かれた。

「貴方は何故山に登るんですか?」

登山家はこう答えた。

「そこに山があるからさ」
406 学生 比奈 2018/12/12 19:21:14
要さんを吊ろう!
-20 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 19:21:43
パブリッカー騙りは襲撃されたいからだろうか。
407 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 19:22:10
襲撃されるのでは。
-21 外来 真子 2018/12/12 19:22:10
吊られれば遺言は公開されない。
つまり遺言が見られたく無い人は吊られるべき。
いやいや
-22 教育学部 伊澄 2018/12/12 19:22:17
遺言かっこいいのって何だろう?
408 囚人 要 2018/12/12 19:22:55
とある登山家がこう聞かれた。

「貴方は何故山に登るんですか?」

登山家は、マスコミが大嫌いだった。
インタビュアーも。
連中はカスだ。
何を言っても自分の都合良くねじ曲げ、やりたい放題をする。
かの新聞王は言った。
『戦争をしているのは兵士かも知れない。だが、戦争を作っているのは我々だ』と。
登山家は、とにかくマスコミが大嫌いだった。
当然その手先であるインタビュアーも嫌いだったし、手早く切り上げる為に短くこう答えた。

「そこに山があるからさ」

山が無かったら、山に登れないだろう?
そんな事も解らないか、カスめ、死​ね。
翌日、彼の言葉が新聞により大々的に報道された。
409 情報学部 範男 2018/12/12 19:23:36
とあるすづきがこう聞かれた。

「貴方は何故そんなに求愛するんですか?」

すづきはこう答えた。

「そこに人が居るからさ」
410 囚人 要 2018/12/12 19:23:50
……とまあ、そういう訳だ。
シンプルな説明、解説より、複雑な説明の方が人間は理解出来る。

誰かに何かを解って欲しいと思うのならば、貴様等は複雑に説明するクセをつけていけ。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
411 囚人 要 2018/12/12 19:24:06
俺は貴様等に理解されなくても仕方無いと思っている。
412 囚人 要 2018/12/12 19:24:19
俺は貴様等に理解されなくても仕方無いと思っている。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
413 囚人 要 2018/12/12 19:24:41
ああ、ログが読み難いな……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
414 囚人 要 2018/12/12 19:25:36
まあ、人間判定された俺が吊られると言うなら、この村はその程度の村ということ。
受け入れるしかあるまい。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
415 囚人 要 2018/12/12 19:26:21
俺が吊られたら、この村を文学でいっぱいにするバイトでもするか。
囚人 要 が 文学部 麻耶 に投票しました。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
416 学生 比奈 2018/12/12 19:26:43
それはそれで楽しそうではある。
読まないが。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
417 囚人 要 2018/12/12 19:27:28
やったぜ、全ての責任をしらたまに押しつけるチャンス。
418 看護師 小百合 2018/12/12 19:27:34
おそろしいバイトが世の中にはあるのですね。
419 囚人 要 2018/12/12 19:27:50
しらたま君に……愉しんで、貰いたくて……。
しらたま君にやれって、言われたんです……。(号泣)
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
420 囚人 要 2018/12/12 19:28:15
この恐ろしいバイトは、しらたま君に脅されて……。。
421 看護師 小百合 2018/12/12 19:28:16
お腹空いたし眠いが今日は起きていようと思います。
とりあえずごはんたーべよ
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
422 看護師 小百合 2018/12/12 19:29:03
文学のバイトより、私のご飯を作るバイトはいかがですか。
423 学生 比奈 2018/12/12 19:29:42
私はれんかさんなので...。
424 赤子 羽風 2018/12/12 19:30:13
俺の10倍粥でよければ分けてやろう
425 赤子 羽風 2018/12/12 19:30:49
>>423
俺の前でれんかちゃんを騙れると思うなよ?
426 令嬢 御影 2018/12/12 19:31:23
パリを燃やしたら残業代が非課税になったときいたのですが
427 赤子 羽風 2018/12/12 19:32:34
令嬢は今日どこに投票するんだ?
428 囚人 要 2018/12/12 19:37:59
ところで俺マジ猫又なんだけど、道連れになる奴は文句言うなよ……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
429 囚人 要 2018/12/12 19:39:11
ホワイトを恨めよ……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
430 赤子 羽風 2018/12/12 19:39:39
にゃーん
431 令嬢 御影 2018/12/12 19:40:32
どこに投票したらいい?
432 赤子 羽風 2018/12/12 19:42:05
>>431
まだ決まってないけど。ダーヴィドはもういいのか
433 教育学部 伊澄 2018/12/12 19:46:00
今戻ったよ。間近を見ても何の話か全然分からないや…
教育学部 伊澄は遺言を書きなおしました。
「ココアに塩入れたら美味しいよね。」
-23 教育学部 伊澄 2018/12/12 19:47:41
かっこいい遺言がこれじゃないのは分かる。
-24 絵本作家 塗絵 2018/12/12 19:47:43
そりゃだって、妖魔だし。
434 令嬢 御影 2018/12/12 19:47:58
ログを流し読んだ。読める量だということに感動した
435 令嬢 御影 2018/12/12 19:48:46
>>432
よくないけど、ダーヴィドに白が出たとどこかでみたので……
436 赤子 羽風 2018/12/12 19:52:28
>>435
じゃ他はどこが怪しいか分かったら教えてほしい
437 教育学部 伊澄 2018/12/12 19:53:18
とりあえず今日は吊りが2回あるんだね。
看板娘って噛まれて初めて能力発動するんだ。
個人的にバニーさんがなるべくしてなった役職のように思えちゃうな。なんて!
教育学部 伊澄 が投票を取り消しました。
438 令嬢 御影 2018/12/12 19:59:00
ウェイトレス南とかも村ではない何かじゃないか
+61 アイドル 茜 2018/12/12 20:06:14
まさか死ぬとは思わなかったわ...☆
439 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:10:32
>>438
ウェイトレス南さんかぁ。特に気にして発言見てなかったなぁ
どう言うところがそう思うの?
440 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:11:39
間近の要さんの語りがすごいなぁ…ってのか一番に来すぎるよ
441 令嬢 御影 2018/12/12 20:13:39
インスピレーション
442 絵本作家 塗絵 2018/12/12 20:14:01
猫又と言って猫又だった人間のいかに少ないことか
443 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:14:30
>>441
なるほど…
444 令嬢 御影 2018/12/12 20:15:37
強いて言うならコンスタントに発言しており、RPも頑張っているので責任あるかつ、息抜きできる(素に近い形で喋れる)窓がある役職ではないかと思いました
445 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:17:19
>>444
成る程…!初めて聞く見方だよ〜
でも、言われてみれば分かるかも。僕も狼の時そうだったかも。
446 赤子 羽風 2018/12/12 20:19:08
そこそこ喋っててそこそこRPもしてて素に近い形で喋ってるが窓はない俺が通るぜ
-25 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:24:07
>>444
どうしろと言うんだ。
447 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:25:34
そう言う人もいるんだね。でも、御影さんの意見も1つの判断材料としてすごく良いと思うなぁ
448 赤子 羽風 2018/12/12 20:26:52
俺は令嬢が誰に投票するか興味ある
-26 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:27:01
文学部 麻耶▽ID: akakanamin
情報学部 範男▽ID: すづき
宇宙飛行士 星児▽ID: ドラロ
ツンデレ 弥生▽ID: ほうほう
学生 昌義▽ID: イヅル
生命維持装置 続▽ID: zeno
アイドル 岬▽ID: mythree
ニット帽 光▽ID: Aki
看護師 小百合▽ID: 紗紋
赤子 羽風▽ID: kyowa
ウェイター 東▽ID: ann
悪戯好き ダーヴィド▽ID: drnm
ウェイトレス 南▽ID: andante
外来 真子▽ID: 鳥足
修道女 クリスタ▽ID: 一真
お忍び ヴィクトリア▽ID: satane
バニー 結良▽ID: sazanami
囚人 要▽ID: 伯爵
絵本作家 塗絵▽ID: 翔鶴嫁
番長 露瓶▽ID: ktzw
小学生 朝陽▽ID: からけ
研修医 忍▽ID: トマソン
アイドル 茜▽ID: 味噌ロモン
ニート 欧司▽ID: Owl
カメラマン つくね▽ID: BOU
教育学部 伊澄▽ID: 晋助
おしゃま 優奈▽ID: yukiutuno
御曹司 満彦▽ID: とも
ファン 紅▽ID: TUKIN
キャバ嬢 瑠樺▽ID: PUSAN
令嬢 御影▽ID: 有理
学生 比奈▽ID: しらたま団子
警察官 晋護▽ID: sasa1086
449 絵本作家 塗絵 2018/12/12 20:27:23
【御曹司 満彦】
450 赤子 羽風 2018/12/12 20:27:45
おっと沐浴の時間だ
451 絵本作家 塗絵 2018/12/12 20:27:58
そういえばここでは希望などはでないのか?
-27 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:28:21
あとで色々書き込もう
452 令嬢 御影 2018/12/12 20:30:34
羽風はそんなに責任感強くなさそう
令嬢 御影 が 悪戯好き ダーヴィド に投票しました。
453 令嬢 御影 2018/12/12 20:31:50
とりあえずダーヴィドに入れておいたけど
-28 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:31:56
ところで遺言どうしよう!!!
かっこいいのなんて思いつかないよ…!
454 赤子 羽風 2018/12/12 20:32:27
そうだな、責任感はない
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
455 囚人 要 2018/12/12 20:37:48
俺を殺そうとしているホワイトは人外かも知れないので、奴はちゃんと自陣勝利の為に頑張っているのかも知れない。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
456 囚人 要 2018/12/12 20:38:33
しかしそんなに頑張らなくても、要君猫又だけどあっさり死ぬと思うよ。
sazanami博士によって猫又襲撃を誘導された哀れな99長期その3みたいに。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
457 赤子 羽風 2018/12/12 20:39:59
しかし貂は終盤まで残った
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
458 囚人 要 2018/12/12 20:40:44
しかし占い師に白出された猫又だってのに、執拗に命を狙われるとはどんなID性能だよ。死​ねよ。死ぬよ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
459 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:41:02
傷に響く…
460 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:41:15
>>452
わらっちゃったよ。アイコンの補正もあるんじゃないかなー。
461 囚人 要 2018/12/12 20:41:46
俺、白出された猫又だよな……?
これで執拗に吊られようとするとは、千の言葉を持っても不可能。
切り替えて行こう。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
462 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:41:56
僕の希望した人魚姫はどこにいっちゃったんだろうなぁ…
463 囚人 要 2018/12/12 20:42:47
>>462
村側以外の役職は、俺の希望役職のように、消滅している可能性がありますねえ……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
464 赤子 羽風 2018/12/12 20:42:56
>>460
ウエイトレスも赤ん坊も世間的には好ましく思われやすい属性だと思うぞ
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
465 囚人 要 2018/12/12 20:43:34
可愛いの科学を知っているか?
466 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:43:55
>>463
人魚姫が消滅…悲しいなぁ
467 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:44:08
バイオミラクル ぼくってウパ

誰に通じるんすかwww
468 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:44:28
明けてたおはよう!
469 赤子 羽風 2018/12/12 20:44:29
>>465
興味深いワード
470 赤子 羽風 2018/12/12 20:44:51
>>467
存在は知っている。やったことはないが
471 囚人 要 2018/12/12 20:44:56
人間は、生物は、赤ん坊を可愛いと思う習性があるんだ。
赤ん坊の特徴として、目玉の大きさは成長しないため、相対的に目が大きいと言うものがある。
だから、目が大きい子猫や、少女漫画のキャラクターは、可愛いと思われる訳だ。

可愛いの科学。
472 囚人 要 2018/12/12 20:45:09
あれっ?
要さん、目が小さいですね……?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
473 看護師 小百合 2018/12/12 20:45:46
死因:目が小さい
474 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:46:14
え、じゃあ瑠華さんも可愛いんじゃないかな?大きい目をしてるよ〜
475 看護師 小百合 2018/12/12 20:46:21
案の定お腹が一杯になって眠くなってきましたが、もうちょっとがんばります。
476 赤子 羽風 2018/12/12 20:46:24
見よこのつぶらな瞳
477 番長 露瓶 2018/12/12 20:46:40
今北ファミ通
#コンピュータ通信
478 囚人 要 2018/12/12 20:46:48
小百合さん、目が大きいですね……。
可愛いですね……。

人間や哺乳類の可愛いの基準は、赤ん坊を基準にDNAレベルで作られてると言う話。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
479 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:46:57
目よりもほっぺが可愛いよ
480 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:47:09
御影ちゃんにチェックされてるのはいいけど、伊澄くんが御影ちゃんの説明で何が分かったのか全く分からないよ……!
伊澄くん、最後に会話した人を信じるタイプじゃない?
あんま何も考えてないで、一緒に過ごした人を好きになっちゃうだけでしょ?気をつけてね。
人外なら忘れてー。
481 看護師 小百合 2018/12/12 20:47:10
>>476 この赤ちゃんが2万円をタカってると思うと…
482 囚人 要 2018/12/12 20:47:44
赤ん坊要素は可愛いと感じる。
それが正常な人間なのだ。
本能って奴だな。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
483 赤子 羽風 2018/12/12 20:47:57
>>480
すごく分かる
484 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:47:58
>>464
責任感はなさそうだよー。
485 囚人 要 2018/12/12 20:48:02
あれっ?
要さん、オッサン要素しか無いですね……?
/3 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:48:05
>>/1

能力って後追いのこと?
/4 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:48:17
にゃんにゃん

にゃにゃん!
486 赤子 羽風 2018/12/12 20:48:42
>>481
小百合ちゃん2万ちょうだい
487 看護師 小百合 2018/12/12 20:49:14
>>478 目が大きいだけでヒエラルキー上位に上がれますからね。
整形アイプチカラコン…あらゆる手を尽くして大きくしますよ。
488 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:49:33
>>480
そうかも…もう人は信じないって前に決めたはずなのに…!
でも、やっぱり会話してくれる人のことは好きになっちゃうよ
/5 看護師 小百合 2018/12/12 20:50:00
>>/3 いえ、私の役職の能力です。
489 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:50:00
要さんと小百合さんがいちゃいちゃしてる!
羨ましい!羨ましい!羨ましい!
/6 看護師 小百合 2018/12/12 20:50:05
にゃーん。
490 囚人 要 2018/12/12 20:50:39
この赤ん坊誰だよ。
そう思ってIDを確認して来た。

https://www.youtube.com...
の人だった。
/7 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:51:05
>>/5

あっ、何かの役職が付いているんですね。
了解!!!応援してますだ
491 赤子 羽風 2018/12/12 20:51:12
>>490
それは誤解だ。イルルの人の傑作だぞ
492 赤子 羽風 2018/12/12 20:51:47
俺はまだやっとどこに誰を配置するか決めたところだ……何ヶ月かかるやら
493 囚人 要 2018/12/12 20:51:53
イルルって誰だ……?
494 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:51:55
参加者から一人選んで毎日個人面談する人狼を思い出したなあ。
夜明かし人狼だっけ。
495 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:52:18
>>474

キミにはボトルサービスしちゃうよ☆
496 囚人 要 2018/12/12 20:52:26
てっきり作るって言ってるから作ったのかと。
ちゃんと俺を出さないで偉いな、と思っていたのに!
497 赤子 羽風 2018/12/12 20:52:35
本人が作ったコラで偽物扱いされてた人
498 囚人 要 2018/12/12 20:53:00
>>494
三人組になるワンナイト人狼もあったね。一人は死体で出て来る。
499 赤子 羽風 2018/12/12 20:53:12
>>495
ママ〜〜
500 囚人 要 2018/12/12 20:53:35
>>497
イルルがこんな面白い動画作れる訳無いだろ。
やっぱりkyowa制作じゃないか。(呆れ)
501 番長 露瓶 2018/12/12 20:53:36
四天王が一人死んだことまで把握した
-29 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:53:48
目が大きければいいってもんでもない。
とギョロ目のデブスは思うんだ
502 赤子 羽風 2018/12/12 20:54:42
実写は苦手でな……
503 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:55:04
>>498
ああ、夜明かしも三人部屋だったこともあったなあ。
死体で出てくるの、怖すぎるでしょ!
504 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:55:06
うん。きをつけよう… でも、御影さん意見に分かったって言ったのは、自分もそうだったから共感からくるものなんだよ。
こう言うのをパッションって言うんだよね?
505 赤子 羽風 2018/12/12 20:55:17
黒幕が誰かしってんの〜〜?
506 教育学部 伊澄 2018/12/12 20:56:12
>>495
うれしいなぁ。でも瑠華さんが僕とお話ししてくれる方がもっと嬉しいよ?
/8 看護師 小百合 2018/12/12 20:56:19
>>/7 ありがとー。

そちらの能力は、「村側の誰かに撃つ」だと思うので(共鳴の場合は「村人」優先で、村人がいなければ「村側の誰か」に撃つ)
相手方は村側能力者になります。つまり私も村側能力者。

たぶん死なないとは思うけどがんばりまーす。
507 番長 露瓶 2018/12/12 20:57:31
看板娘で2回処刑できると
508 赤子 羽風 2018/12/12 20:58:06
しかし吊り予約が特に入ってないので長い一日になりそうだな
509 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:58:14
ルスランは狼バレする前は別にコンスタントに喋ってなくなかった?
/9 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:58:20
>>/8

うむ、理解です。
ありがとうございます。
510 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:59:06
嫉妬のあまり看護婦さんに投票…したりしなかったり
511 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 20:59:36
>>506

いいよん!なに話す?
512 赤子 羽風 2018/12/12 20:59:45
>>509
RP頑張ってて窓で息抜きしてたのが図星だったんじゃないかな
513 看護師 小百合 2018/12/12 20:59:46
ルスランどうだったかなあ…
私が生きてる当初はあまり赤ログでも白ログでもたくさん喋る印象はありませんでしたが、終盤の様子を見る限り、本来お喋り苦手というタイプでもなさそうです。

もう一回前の癒し系アウローラを読み返したほうがいいでしょうか。
514 ウェイトレス 南 2018/12/12 20:59:59
何に共感したのか全くわからねぇ〜〜。
515 研修医 忍 2018/12/12 21:00:21
こんばんは〜。
ログ読み終わってないけど要は麻耶から人間判定、ダーヴィドもコンピューター信じるなら人間判定で逆呪殺も起きてない。他を吊った方が良いと思うのだけど。。。
/10 看護師 小百合 2018/12/12 21:00:23
女子会窓は癒やし。ごろごろ。
516 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:00:26
>>509
そうだねぇ。全然話が理解できてなくて、話の波?に乗っていけなかった+仕事の時間の影響かな?
狼バレした時は既になみさんから色々教えてもらってたからねー
517 赤子 羽風 2018/12/12 21:00:29
しかし891は多過ぎる
518 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:00:29
>>512
あー、なるほど。それなら理解。
519 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:01:22
>>512
そう言うこと…!!そう言うことだよ…!!伝わった!!
@1 muridana 2018/12/12 21:01:43
さざなみさん死んでて笑う
520 赤子 羽風 2018/12/12 21:02:13
俺はルスランが角兎騙ったこと忘れないからな
521 番長 露瓶 2018/12/12 21:02:15
>>508
そうなのか?
昨日、晋護の2回目の誤爆があったから、晋護吊りクリスタ吊りかと思ってた
@2 muridana 2018/12/12 21:03:11
>>ギスギスとした村の中に於いてもあなたの笑顔はきっと村人達に癒しを与えてくれる存在。<<

騙りかな?
522 看護師 小百合 2018/12/12 21:03:15
>>520 当時、狼側は皆が何騙るか相談しあいっこしてましたね。
523 赤子 羽風 2018/12/12 21:03:20
>>521
罠のやつ?
524 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:03:28
>>511
いざ話すってなると何話そう
えっと、瑠華さんの好物はなにかな?
/11 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 21:03:39
>>/10

アロマ焚いて〜
ハーブティー淹れて〜
新しいフェイスパック試して〜
恋バナいっぱいして〜
パジャマパーティしよ!
525 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:03:55
>>520
おススメだったからねー
526 研修医 忍 2018/12/12 21:04:35
よんでたら>>225 >>227が目についたが意味が良くわからない。
527 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:04:52
2回目の誤爆ってなんだろ。クリスタさん黒だったらすみませんみたいなやつ?
528 看護師 小百合 2018/12/12 21:06:33
>>521
クリスタ吊りは現状確定ではないですが、晋護さんについては普通に単体でも胡散臭いので、そこの吊りはして良いかもですね。
/12 看護師 小百合 2018/12/12 21:07:42
>>/11 きゃー素敵!
実は私、こういう女子会憧れてたんです!
529 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 21:07:52
>>524

この時期はやっぱり、牡蠣とワインが最高だね★
イスミンは〜?
530 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:08:00
一本吊りってわけでもないのと、麻耶さんから指定あるならそれを待ってる感じですかね〜。
警察官さんとクリスタさんなら、警察官さんと弥生さんのほうが気乗りしますね。弥生さんも発言待ちですけど。
531 看護師 小百合 2018/12/12 21:10:05
弥生さんって何か判定出てたんですっけ。
532 番長 露瓶 2018/12/12 21:10:07
>>523
それ1回目
>>527
それそれ
533 看護師 小百合 2018/12/12 21:10:34
あ、投票ブレ組ですか。
-30 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 21:11:19
>>462
ここにいるぞ!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
/13 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 21:11:43
>>/12

あたしィ、趣味マッサージだからぁ、
やってあげるよぉー💋
534 番長 露瓶 2018/12/12 21:12:25
黒だったら、というか占い真だったら黒出る、って感じだったような
535 囚人 要 2018/12/12 21:12:38
>>@1
ドッ
ワハハ
囚人 要 は何もしません。
+62 バニー 結良 2018/12/12 21:12:44
>>@2
なんだテメー禁則事項です
536 囚人 要 2018/12/12 21:12:56
しかしルスランって誰だ……?
537 囚人 要 2018/12/12 21:13:22
>>@2
死んでくれてみんなにっこりしてるだろ。
538 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:13:30
>>529
イスミン?!
牡蠣とワインかぁ最高だね。牡蠣はそのまま蒸してもいいし、酒蒸しでもおいしいよね。
僕は甘鯛って言う魚をごま油をかけて蒸したものが好きだよ
539 おしゃま 優奈 2018/12/12 21:13:44
余談だけどキャラの見た目に合う役職騙った方が成功率高い気がする
-31 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:14:27
箱前到着!
540 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:15:06
>>531
把握してないアピールはやめてください!!
/14 看護師 小百合 2018/12/12 21:15:10
>>/13
本当ですか!?
マッサージ出来る人すごいなあ。尊敬しちゃいます。
ぜひぜひお願いします!
541 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:15:33
ほんと信用できないなぁ!
542 ニット帽 光 2018/12/12 21:15:53
昔キャラをハムスターにしてハムスターCOしたら吊られた
/15 看護師 小百合 2018/12/12 21:16:01
インスタ映えしそうなスイーツ持ってきたので、夜食にちょっと食べちゃいましょう。
543 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 21:16:07
【急募】宇宙飛行士の見た目に合う役職
544 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 21:16:50
自分に素直に生きるのなら自分に殺意向けてきてなんかこわい御影吊りたいな。どうせこいつ私に投票しとるぞ。

あと、塗絵はしつこい感じは村だと思うぞ。
ただ自分の考えにロック気味なのは気をつけるべきだぞ★
545 看護師 小百合 2018/12/12 21:16:54
>>540 >>541
素で聞いたんですが、ええと、すいません…。
以後気をつけます。
546 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 21:17:04
>>543
宇宙人
547 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 21:17:08
>>542
そりゃ蝙蝠は吊られるでしょ……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
548 番長 露瓶 2018/12/12 21:18:20
宇宙飛行士…?
なんかよく分かんない玉かと思ってたわ
549 カメラマン つくね 2018/12/12 21:18:29
>>526 話せば長くなる勘違いの話なんでなかったことにして欲しいです
550 研修医 忍 2018/12/12 21:19:10
晋護吊りなら反対はしない。3分で罠師CO出た辺り、うっかりな真かなーと思ってたけど窓持ちの可能性無視できないし。単体微妙。
551 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:19:12
>>444は「やる気のある南さんは窓持ち人外」と言ってるように見えて、言われた側はどうしようもなくて切ない。
@3 spica 2018/12/12 21:19:35
>>543
タフガイはありきたりすぎる?
552 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 21:19:43
>>546
Thanks.
553 赤子 羽風 2018/12/12 21:19:45
>>532
見逃してた。見てこよ
-32 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:19:50
あ!名前のところに(四天王)って書いてある。。。
554 看護師 小百合 2018/12/12 21:20:17
>>534 なんかクリスタが反論してて、「まあ、そういう読み方もあるのかしら…一旦保留」って考えた記憶があります。

>>3:1253かな。
555 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:21:01
この村に人外って何人くらいで設定されてるんだっけ?
556 赤子 羽風 2018/12/12 21:21:27
>>554
これはクリスタの言い分がそのとおりっぽいけどな
557 文学部 麻耶 2018/12/12 21:21:29
あああああああああああああああああああ仕事寝過ごしたあああああああああああああああああ
558 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:21:47
>>551
発言とRPを頑張ってるから怪しいって言われて泣きそうですが、付き合いを長さを考慮して涙を飲みました!
559 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 21:21:48
ジャスト13人。その中の6人が狼。
560 文学部 麻耶 2018/12/12 21:21:52
>>555 6W含む13人外ですご飯ください……
561 看護師 小百合 2018/12/12 21:21:57
ひとまずは晋護さんを処刑する方向で、麻耶さんから指定を受けた何名かが麻耶さんに投票する、というイメージでしょうかね。
562 赤子 羽風 2018/12/12 21:22:16
狡狼あたりの誤爆にしては、警察官から申し訳なさとかそれこそ責任みたいなのを感じない
563 研修医 忍 2018/12/12 21:22:39
>>549 うーん?もやっとはするけど勘違い了解。後で独り言にでも埋めてたら後で見る。
564 赤子 羽風 2018/12/12 21:22:43
誤爆騙りはないと思ってる
565 文学部 麻耶 2018/12/12 21:22:45
悲しみに包まれながらもログは全部読みました
えーと……指定……指定……
566 看護師 小百合 2018/12/12 21:23:00
>>556 まあ、私もそっち寄りには見えてます。
567 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:23:33
それよりもビックリしたのは伊澄くんの「わかる〜〜」でしたが、分かる部分が別の所だったようなので引き下がります。
研修医 忍は遺言を書きなおしました。
「ねみぃ」
568 カメラマン つくね 2018/12/12 21:24:13
>>125 吊り希望は晋護さんで。
なんか、99人村で誤爆つっこやれてしっぽだした感じに似てるんすよね。
誤爆そのものよりその後のノリが変?みたいな
研修医 忍は遺言を書きなおしました。
「私の役職は後のお楽しみにとっとけ。」
569 文学部 麻耶 2018/12/12 21:24:37
誤爆の誤魔化しはいいとして、ランダム発動とかいうメタ要素を言い訳に持ってくるのってあんま良くないと思うの
570 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:24:53
弥生さんと晋護さんの二択なら仕様がどうであれ困らないだろうか。
571 赤子 羽風 2018/12/12 21:25:22
>>569
それって真偽関係なく?それとも偽が誤魔化す時の言い訳として?
572 番長 露瓶 2018/12/12 21:25:42
吊り1回目は晋護でいいんじゃないですかねー
573 小学生 朝陽 2018/12/12 21:26:09
一応発言を待ってはいるが弥生はどうせ人外なので処刑しよう
574 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:26:10
>>560 >>559
ありがとう。え、13人なら今だいたい半分の確率で誰吊っても人外に当たりそうな気がするよ。
575 カメラマン つくね 2018/12/12 21:26:23
>>563 え、なら書くっすよ。灰に書くのも白に書くのも手間一緒なんで。時間かかる。
576 番長 露瓶 2018/12/12 21:26:25
処刑2回ってことは手相占いも2回できるのかな
577 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:26:37
>>560
ごはんちょっと待ってね。今メニュー考えるよー
578 赤子 羽風 2018/12/12 21:26:57
素の誤爆っぽいと思ったけどな。まだ>>573 の方が賛同できる
579 研修医 忍 2018/12/12 21:27:07
そういえば星児に訊きたかったが、私評で『怖い。窓持ちかも。』的な事を言ってた気がするんだがどういう意味なんだ?
-33 絵本作家 塗絵 2018/12/12 21:27:28
村です(ゾンビ)
580 赤子 羽風 2018/12/12 21:27:37
>>579
眉間のシワかね
581 赤子 羽風 2018/12/12 21:27:51
見よこのつぶらな瞳👀
582 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:27:54
現段階で僕は怪しい人って見つけられてないんだよねぇ
晋護さんに対しても言うほど怪しいかなって・・・うーん。でも吊りには反対しないよ。確率的にも人外吊れる率が高そうだしね
583 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:28:02
伊澄さんはさすがに把握してなさすぎて胡散臭い。
584 文学部 麻耶 2018/12/12 21:29:09
明日っつーか実質明後日の死体はわしだと思うんだよねえ
人狼陣営にとってはまあ発狂チャンスあるかもしれんけど、他の襲撃人外にはデメリットしかないからねえ
585 研修医 忍 2018/12/12 21:30:03
こう、何を引いても通常運転玉虫色の私なので正直いつもの奴かなと流しそうになったが全体的に丁寧なのと雑なのが混じりあってて引っかかった。
ウェイトレス 南 は 文学部 麻耶 を襲撃します。
586 番長 露瓶 2018/12/12 21:30:16
ニート通信を信じるなら昌義●か
587 文学部 麻耶 2018/12/12 21:30:23
>>571 真偽関係なく、かなあ
ある意味シスメタ的なところあるから
588 赤子 羽風 2018/12/12 21:30:56
>>585
そらこの人数だと後半になるにつれ雑でも仕方ない
589 赤子 羽風 2018/12/12 21:31:26
>>587
ふむ〜、それなら尚更それが演技指導って線は薄くなるのかな
590 番長 露瓶 2018/12/12 21:32:16
紅が聖人で村役職でたからクリスタは紅吊れなくなったんで、シャッフルしてくれませんかね…
できるんなら
591 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:32:20
>>560
ごはんと豚の生姜焼き。イカと里芋の煮っころがしと、白菜漬け
どうかな?生姜焼きにはやっぱり白いご飯だよね
592 囚人 要 2018/12/12 21:32:41
処刑二回ってことは、襲撃する暇なく手相を占われるので人外は厳しいぞ
村側は機転を利かせておけ
593 囚人 要 2018/12/12 21:32:53
吊り先は警察官に決定な
594 囚人 要 2018/12/12 21:33:17
まあ、襲撃してもコンピューターが狂ってなければ結局占われるんだけどな
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
595 文学部 麻耶 2018/12/12 21:34:34
>>591 あーーーーたべる……
割と本気で実体化してほしいよ……
596 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:34:40
>>583
いつものことすぎてごめんね!!!としか言えない。
どこかで情報がそろってきたら戦えるタイプじゃない?ってのは言われたことがあるよ
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
597 研修医 忍 2018/12/12 21:35:05
>>580 >>588 それは一理ある。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
598 文学部 麻耶 2018/12/12 21:35:36
>>592 そこがどうなのか微妙なのよね
翌朝にまとめて占うかもしれないし
599 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:36:16
>>595
喜んで貰えてうれしいなぁ
一応今までのメニューも僕自身が実際に作れるものしか言ってないんだよ〜
600 囚人 要 2018/12/12 21:36:16
>>598
微妙も何も、即座に結果出るって
ねじ天裏ルールに詳しい俺を信じろ
-34 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:37:15
文学部 麻耶
情報学部 範男
宇宙飛行士 星児
ツンデレ 弥生
学生 昌義
生命維持装置 続
アイドル 岬
ニット帽 光
看護師 小百合
赤子 羽風
ウェイター 東
悪戯好き ダーヴィド
ウェイトレス 南
外来 真子
修道女 クリスタ
お忍び ヴィクトリア
バニー 結良
囚人 要
絵本作家 塗絵
番長 露瓶
小学生 朝陽
研修医 忍
アイドル 茜
ニート 欧司
カメラマン つくね
教育学部 伊澄
おしゃま 優奈
御曹司 満彦
ファン 紅
キャバ嬢 瑠樺
令嬢 御影
学生 比奈
警察官 晋護

〇CO済み

〇未CO

〇犠牲者

〇処刑

これを割り振ろう!
601 番長 露瓶 2018/12/12 21:37:28
とりあえず晋護に投票しておくかと思ったけど、手相占いには誰が投票するかってのは決まったの?
602 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:37:31
>>596 判定が色々出て考えやすくなっているはずだ。
雑談よりログを読んで考えを話してもらえると嬉しい。
603 囚人 要 2018/12/12 21:37:42
人外がsazanami博士を殺したら、sazanami博士によって結構ピンチに陥ってるの笑う
やっぱりあいつは死ぬべきバニーだった
604 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 21:38:10
>>579
中の人にそつなく人外で勝っていくイメージがあって怖いというか。村騙られても多分自分じゃ見抜けないから怖い。窓持ちは勘。

>>585
で、後半の灰雑は眠かった。ちゃちゃっと済ませるためにより雑になった。反省。
605 囚人 要 2018/12/12 21:38:35
>>601
占われて困らない奴は全員占われた方が得だぞ
うっかり吊れるぐらい占いが集まるなら、コンピューターおばあちゃんに結果を全部教えて貰えるので話合う必要すら無い
606 絵本作家 塗絵 2018/12/12 21:39:06
昼が長いあつかいだから

結果が出るのは翌日の朝つまり襲撃後だよ
607 囚人 要 2018/12/12 21:39:16
村の半数がいきなり全部占われて、人外がまともに呼吸出来ると思ってんの?
うっかり吊れるとか気にせず、潔白を証明したい村側はこっそり文学部に投票しておけ
608 看護師 小百合 2018/12/12 21:39:19
「狡狼だったら役職を間違えなくない?」
という指摘>>3:1266に昨日はそこそこ納得していたんですが、
あらためて警察官さん発言を見ていると、そもそも最初の誤爆は「ランダム発動になった」という内容だけで、「罠をかけた」じゃないんですね。

誤爆後、リカバリとして罠発言になっただけで、別の初日能力発動系という可能性も考えられます。その場合は窓指摘でリカバリした可能性が高く、初日発動系が多いのは狼側の印象があります。
ということで、狼目の可能性も排除まではできなそうです。
609 看護師 小百合 2018/12/12 21:39:43
>>601 まだなので皆待機中です。
610 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:39:47
>>602
うん。わかった!ありがとうね。
611 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:39:54
ログを読み、考えるのは面倒なことだ。
ログを読まず、編成も判定も把握せず、雑談に興じる姿は楽しい窓を持っているからなのかな、と思ったりしたよ。
612 カメラマン つくね 2018/12/12 21:39:55
>>563 まず、不良さんが埋毒者なので、狼はポイズンってるわけだから、GJを出したくない。だから護衛がありそうなところには行かない。だから賢者襲撃は狼以外だと思ったっす。ただ、狼はどうしても賢者さんを襲撃したい理由があったら襲撃するかなと思い、賢者さんどこか疑い先(占い予告)みたいなの昨日言ってないかなと賢者さんの発言を見に行ったはずが、老眼のせいでアイコンが同じ色味の宇宙飛行士さんの発言を賢者さんの発言だと勘違いしたっす。そしたら宇宙飛行士さんが研修医さんのことめっちゃ疑ってた上に占い希望とか出してたので、「賢者さん自分に希望だしてーら、自作自演だなあ」と思いながらも、研修医さん占い予告と勘違いし、
613 研修医 忍 2018/12/12 21:39:56
比奈村には自信あったし塗絵も村かもと思い直したところでクリスタがその二人を信じられるって言ってるのが見えて私はどうしたらいいんだ。
614 カメラマン つくね 2018/12/12 21:40:09
>>612 「狼な研修医さんな見つからないようにするために賢者さん襲った」可能性あるなと、その発言に至ったっす。
んで、発言したあとに、横の犠牲者欄が目に入り、「あれ、さっき見たアイコンとちょっと違う……?」と思ってクリックしたら占い予告なんてなくて、勘違いに気がついて2つ目の発言に至ったっす。
615 囚人 要 2018/12/12 21:40:31
>>606
激おこ二段爆撃を忘れたのか?
占われるから安心しろ
616 カメラマン つくね 2018/12/12 21:40:46
寝かしつけながら打ち込んだので改行なんてなかったすんまそん
617 研修医 忍 2018/12/12 21:41:19
>>612 どんまい。私も全員の名前と顔一致してない。。。
618 看護師 小百合 2018/12/12 21:41:35
簡単に村側役職証明できるよ〜
みたいな空気感の人がいた記憶がありますので、そういう人はわざわざ麻耶さんが占わずとも、近い内に証明してもらえば良いでしょうか?
619 番長 露瓶 2018/12/12 21:41:50
>>605
なるほどねー
それで上の話か
620 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:42:36
伊澄さんは村側なら頑張る人というイメージがあるからなのだが、実際どうだったかはもう記憶の彼方である。
621 囚人 要 2018/12/12 21:42:53
このホワイト、手相占い師を信用出来ない扱いしてるのは、自分が人外でみんな占われると手詰まりになるからでは?
622 文学部 麻耶 2018/12/12 21:43:17
>>605 処刑されたら占えるもんも占えねっすよ……
623 囚人 要 2018/12/12 21:43:26
絵本作家は人外だから、なんだかんだ理由つけて絶対文学部に投票しないぞ
みんな見てろよ見てろよ〜
624 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:43:33
>>611
なるほど・・・そう思われても仕方がないよね。
つい雑談が楽しくてたくさん雑談しちゃってたよ
625 研修医 忍 2018/12/12 21:43:45
>>604 なるほど。やっぱりいつもの奴だった。
626 囚人 要 2018/12/12 21:43:50
>>622
霊界から結果を言えるっつってんだろ
コンピューターおばあちゃんを信じろ
627 番長 露瓶 2018/12/12 21:44:07
>>609
おっけ、オラも待機すっぞ!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
628 文学部 麻耶 2018/12/12 21:44:56
>>626 ちげーーーーーよ占い自体はアクティヴだから霊能とかと違って処刑後まで生きてる必要があるんだよ処刑で死んだら占えねーよ
629 看護師 小百合 2018/12/12 21:44:57
帝狼懸念で弥生さんを先にという意見もわかりますので、どっちを先にというのはどちらでもいいですね…。

>>3:1009でほぼ確実に吊り先と「コンピュータ通信」は確認していそう、と。
+63 学生 昌義 2018/12/12 21:44:59
結果が出ないんだから結果言えなくないか
-35 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:45:01
よっしゃー!がんばろう!村人じゃないけど!!
なんかうれしくてやる気出た!
630 囚人 要 2018/12/12 21:45:51
行ける行ける、俺を信じろって
全然行ける
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
631 文学部 麻耶 2018/12/12 21:46:09
信じられんな
+64 生命維持装置 続 2018/12/12 21:46:20
>>614
忍殿も疑いは掛けてたけどね。
本命疑いは紅嬢だったんだぞう。
でも、占い希望みたら賢者は上半分とかダーヴィド殿指定とかあったし、かち合うのもなんなんで鳴く鳴くダーヴィド殿占いにしたんだぞう。
632 番長 露瓶 2018/12/12 21:46:20
>>628
どっちなんすか原住民の皆さん!
633 看護師 小百合 2018/12/12 21:46:28
>>628 襲撃なら見える・処刑だと見えないでOK?
634 文学部 麻耶 2018/12/12 21:46:35
>>632 オラ原住民
635 囚人 要 2018/12/12 21:47:01
連中より俺の方が詳しい
行けるって、俺を信じろ
636 小学生 朝陽 2018/12/12 21:47:02
晋護と弥生吊りでいいなら後は手相占いに入れる人だけだが
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*31 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:47:08
ま、事実キツいコンボが決まってるよなぁ。
麻耶が狂ってるとかコンピュータが狂ってるとか喚くしかないわけだ。
637 番長 露瓶 2018/12/12 21:47:27
>>611
ログはあんま読まんが推理はするぞ!(ガバ
638 囚人 要 2018/12/12 21:47:28
警察官吊りでいいだろ〜
639 カメラマン つくね 2018/12/12 21:48:06
>>125 学者さんにはヴィクトリアさんお願いしたいっすね。
昨日のクリスタさん吊り話の時にクリスタさん精査して白目だと思ったとのことで反対して慎重になってたのに、今日のダーヴィドさんが賢者(コンピューター通信)の白だってのを把握する付近の飲食と差があるっすね。
逆に村役職でもまとめというか、交通整理してくれそうなんで、結果どっちでもお得な感じっす!
640 囚人 要 2018/12/12 21:48:13
結局イヅルも人外だったし、警察官は200%人外だろ〜
+65 生命維持装置 続 2018/12/12 21:48:37
>>622
因果な商売ですよねー。
とりま信じて投票管理する人いないかな?
*32 研修医 忍 2018/12/12 21:48:40
ですねー
641 番長 露瓶 2018/12/12 21:48:59
ツンデレ弥生の名前が挙がってるのは投票揃えてないから?
642 文学部 麻耶 2018/12/12 21:49:00
>>633 ざっくり順序を説明すると
処刑>霊能>布教・吸血>(夜明け)>(初日セット)>占い>襲撃>タロットなど
だからそもそも要がここ誤認してる時点でほんとに投票後占えるのかもわからん
+66 学生 昌義 2018/12/12 21:49:13
そもそも人外COしてるっての
643 カメラマン つくね 2018/12/12 21:49:37
>>617 いやすんませんほんと。しかし宇宙飛行士さんからの研修医さんへのラブコール熱かったっす
*33 ウェイトレス 南 2018/12/12 21:49:53
コンピュータ狂ってなさそうだしな〜。
644 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:50:30
645 看護師 小百合 2018/12/12 21:50:38
>>641 投票そろえず、今日優奈さんに投票しているから。

帝狼(帝)【人狼陣営】
最初の投票先人物を自身の従者にして人狼の囁きを使用できるようにする人狼です。

これで聖人を味方に引き込んだ疑惑が出ている、のかな?
646 番長 露瓶 2018/12/12 21:50:40
霊能と似たようなとこっぽいイメージ
647 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:50:43
あっ
648 囚人 要 2018/12/12 21:50:49
>>642
優先順位の0番目ぐらい知ってますよ、俺もね
しかし裏ルールによりそうはならんから安心しろって
-36 教育学部 伊澄 2018/12/12 21:51:17
独り言チェックしてなかった・・・
649 看護師 小百合 2018/12/12 21:51:31
ほんとに気になるならBBS形式で検証村建ててくれば良いんやで
650 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:51:37
>>637 番長は発言から思考の軌跡を感じるし、把握しに動いているのが見える。
のだが、そのスタイルは人外でもやりやすいので、姿勢だけでは判断できないと思っている。
村視点なり人外視点なりこぼしてもらいたいものだ。
651 囚人 要 2018/12/12 21:51:41
要するにだ

発動しないのは短期だよ
長期女郎蜘蛛悪用事件も、その処理順だと不可能だろ?

此処は長期なので占えまーす!
652 囚人 要 2018/12/12 21:52:01
その処理順だとBJ計画が出来なかっただろうが!
653 番長 露瓶 2018/12/12 21:52:02
>>645
ああ、投票先まで含めて疑われてると
654 囚人 要 2018/12/12 21:52:18
貴様等はねじ天裏ルールに詳しくない

短期と長期では処理順が違うのだ
655 令嬢 御影 2018/12/12 21:52:33
知ってるか。可愛いは免罪符。
可愛いRPと可愛くないRPでは生きづらさが違う……!
656 囚人 要 2018/12/12 21:52:59
原住民よりねじ天長期をプレイしてるんだよ!
俺は!
具体的にはリアル日数で三ヶ月ぐらい!
657 絵本作家 塗絵 2018/12/12 21:53:09
>>615
激おこ二段爆撃だと二番目の人も吊られるのでは
658 囚人 要 2018/12/12 21:53:28
だから気にせず白判定欲しい奴は文学部に投票していけ
吊られてもいい奴は警察官に投票していけ
659 囚人 要 2018/12/12 21:53:52
>>657
一番も二番も占われるさ
660 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:54:40
>>639 かなり動きに隙があるので言われてもしかたないが、学者判定がもったいないからやめて欲しい。
661 看護師 小百合 2018/12/12 21:55:14
実際、BBS形式だとちょっと変な挙動するときあるんですよね、ねじ天。
普段の短期はカード形式なので。
662 囚人 要 2018/12/12 21:55:32
>>660
そうだよな、男なら文学部投票で白証明だよな
663 文学部 麻耶 2018/12/12 21:55:37
>>654 処理順が違うのは一部合ってるけど死んだ人間は占えないのは事実なんで……
664 囚人 要 2018/12/12 21:56:13
その事実は間違っているって!
このうさんくさい囚人を信じろ!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
665 カメラマン つくね 2018/12/12 21:56:22
>>647 どしたっすか?
666 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 21:56:25
長期形式で建てて検証するなら付き合おう。
667 囚人 要 2018/12/12 21:56:49
お前検証芸人かよぉ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
668 番長 露瓶 2018/12/12 21:56:56
>>650
ヴィクトリアはクレバーだなー
しっかり考えてて白いイメージ
ちょっと見習おうと思いましたスイマセン…
669 番長 露瓶 2018/12/12 21:57:23
>>664
670 文学部 麻耶 2018/12/12 21:57:33
BBS式の占い師にできるのはせいぜい処刑者占いで技術霊能になるくらいなもんっすよ
何をどう信じろというのか
671 研修医 忍 2018/12/12 21:59:06
看板娘と手相占い師が合わさる事により最強に見える。問題は、仕様を検証出来ない所か。
672 囚人 要 2018/12/12 21:59:52
いやいや、手相占い師は長期だと出来るんだって
ついでに手相占い師特有の処理で、処刑者占いだけは手相占い師は出来ないぞ

心配なら検証してくれば解るって、行ける行ける、俺を信じろ
673 令嬢 御影 2018/12/12 21:59:54
>>670
ねじ天の占い師ってそんなに役立たずなのか
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
674 カメラマン つくね 2018/12/12 22:00:03
伊澄さんの中の人は第三回99人村のラストウルフさんなんで、把握関係はちょっと素のあれやそれがありそうっすが、それこそ、>>647これなんか護衛ってるぅ?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
675 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:00:31
手相占い師で白判定量産計画をするなら、検証した方が安全だろうとは思うが、鳩なので建てられないのであった。
676 赤子 羽風 2018/12/12 22:01:07
俺は激おこ検証の時鳩で建てたぞ
677 カメラマン つくね 2018/12/12 22:01:33
寝かしつけ大成功したんで検証参加できるっすよ、ただし鳩なんでry
678 看護師 小百合 2018/12/12 22:01:41
ではえーと、建ててきますか。
一回建ててから必要な役職入れればいいか。
679 囚人 要 2018/12/12 22:01:43
検証したい連中はちゃんと検証して安心を得ておけ
俺はしないでも解るが
680 番長 露瓶 2018/12/12 22:01:55
鳩は甘え勢こわい
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
681 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:02:29
ねえねえ、手相占い師って猫を占っても人間ってなるの?
既出だったらごめんね
682 小学生 朝陽 2018/12/12 22:02:34
検証しようそうしよう
683 番長 露瓶 2018/12/12 22:02:41
鳩を言い訳は甘え勢、か
訂正
684 カメラマン つくね 2018/12/12 22:03:13
鳩うんぬんより、ここの国、設定が多過ぎてよくわからねーっす。
基本的にはらある国と一緒なんすかね
685 番長 露瓶 2018/12/12 22:03:27
猫又って基本的に白でしょ
というか狼以外って特別な能力なかったら白では >>681
686 看護師 小百合 2018/12/12 22:03:49
ひえっこの国たてるの超面倒くさい
687 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:04:28
>>685
ありがとう!
688 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 22:04:41
いけるいける、建てれる建てれる。頑張って。
689 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:05:17
>>668 ほめられた。
が、直近の私の発言は一般論で、内容はあまりない。。
690 文学部 麻耶 2018/12/12 22:05:29
もう鳩でやるのに慣れた
691 カメラマン つくね 2018/12/12 22:05:49
>>681 猫又は村役職だから人間判定っすね。
人間(白)・人狼(黒)・呪殺・逆呪のどれか、みたいな
692 文学部 麻耶 2018/12/12 22:06:35
>>672 処刑者占いができない=処刑>占いだとなぜわからないのか
693 令嬢 御影 2018/12/12 22:07:11
私はいつも、99人村鳩でしか見てないな
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
694 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:07:28
>>674 >>647>>644を独り言で言うつもりだったのかなと思ったよ。
695 カメラマン つくね 2018/12/12 22:07:33
らある国でさえ五年ぐらい村建ててねーから建て方忘れてるっす
696 看護師 小百合 2018/12/12 22:08:07
697 カメラマン つくね 2018/12/12 22:08:19
>>694 なるほど!さんくす!
698 小学生 朝陽 2018/12/12 22:08:22
看板娘でどうなるかの方が気になる
+67 生命維持装置 続 2018/12/12 22:08:47
>>672
その言い回しの胡散臭さよw
マルチな世界で活躍できそうw
699 令嬢 御影 2018/12/12 22:08:50
検証村って入ったら何したらいいのか
700 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:10:28
>>691
村役職はみんな人間になるんだ・・・。なるほど。ありがとう
701 番長 露瓶 2018/12/12 22:10:36
検証がんばえ〜
俺はログ読んでくるかなー
702 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 22:10:53
オール鳩だよ!甘えないよ!
703 ニット帽 光 2018/12/12 22:11:05
必殺鳩と箱での同時アクセス
704 小学生 朝陽 2018/12/12 22:11:55
>>700
村役職というか白か黒かの判定だよ
+68 生命維持装置 続 2018/12/12 22:12:15
>>703
目の負荷が半端ないってぇ!!
+69 生命維持装置 続 2018/12/12 22:12:45
>>704
邪魔されたら色なんか見えないしね。
705 カメラマン つくね 2018/12/12 22:12:51
参加する分には大人数村は箱より鳩の方が見やすいっす
706 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/12 22:13:46
要さんに我が票を捧げます(▼晋護)
キャバ嬢 瑠樺 が 警察官 晋護 に投票しました。
小学生 朝陽 が 警察官 晋護 に投票しました。
707 ニット帽 光 2018/12/12 22:15:24
このように、ありえないタイミングでの発言も可能になる
708 ニット帽 光 2018/12/12 22:15:25
鳩と箱で同時アクセスすることにより
709 ニット帽 光 2018/12/12 22:15:54
おっと、未来の発言が先に来てしまった
710 令嬢 御影 2018/12/12 22:16:14
お皿洗うのめんどくさいにゃ
+70 生命維持装置 続 2018/12/12 22:16:23
>>707 >>708
すげー!
って、何の意味があるんやw
+71 生命維持装置 続 2018/12/12 22:16:48
>>709
いっこく堂w
711 研修医 忍 2018/12/12 22:17:11
検証は任せた。
+72 生命維持装置 続 2018/12/12 22:18:19
>>711
検証医の忍殿もいくのじゃo(^-^)o
712 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:19:06
>>704
あれ?そうなんだ!?
-37 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:19:12
人外13人(狼6人)
〇CO済み
・おしゃま 優奈【聖人】
→学者:紅(村役職) 霊媒:昌義(村人)
・文学部 麻耶【手相占い師】
→要(人間)
・警察官 晋護【罠師】(クリスタさんにランダム罠設置済)
・修道女 クリスタ【手品師】(罠付き)
・囚人 要【猫又】

〇未CO
●何かしらの判定受けている人
・ファン 紅【?】(聖人より村役職判定)
・カメラマン つくね【?】(賢者より人間判定)
●何も判定を受けていない人
・情報学部 範男【?】
・宇宙飛行士 星児【?】
・ツンデレ 弥生【?】
・アイドル 岬【?】
・ニット帽 光【?】
・看護師 小百合【?】
・赤子 羽風【?】
・ウェイター 東【?】
・悪戯好き ダーヴィド【?】
・ウェイトレス 南【?】
・外来 真子【?】
・お忍び ヴィクトリア【?】
・絵本作家 塗絵【?】
・番長 露瓶【?】
・小学生 朝陽【?】
・研修医 忍【?】
・御曹司 満彦 【?】
・キャバ嬢 瑠樺【?】
・令嬢 御影 【?】
・学生 比奈 【?】

〇犠牲者
・ニート 欧司【コンピュータ】
・不良 智哉【?】(賢者より人間判定)
・アイドル 茜【激おこぷんぷん丸】『聖』激おこぷんぷん丸判定
・生命維持装置 続【賢者】『聖』賢者判定 
→占:つくね(人間) 霊:結果なし 巫:ニート(人間)・智哉(人間)
・バニー 結良【看板娘】『聖』看板娘判定
〇処刑
学生 昌義【ドワーフ】
713 番長 露瓶 2018/12/12 22:19:26
>>689
怖い人に擦り寄ってるだけだから信じたらあかんで
714 ニット帽 光 2018/12/12 22:19:36
暇を持て余した
715 ニット帽 光 2018/12/12 22:19:38
神々の遊び
+73 ニート 欧司 2018/12/12 22:20:07
なんか手相占いで天下取れるかみたいになってる?
716 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:20:12
見てるだけじゃ理解できてないところが多いから自分なりにまとめてみたんだけど、あってるかどうか見てほしいんだけど・・・いいかな?
717 警察官 晋護 2018/12/12 22:20:25
ただいまです、今日も
すばらしい日でした!
けっきょくこういう
てんかいになるんですか。
718 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:20:36
あ、貼っていいかな?
719 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:20:38
>>713 。。。
720 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:21:17
好きに話すといい。
+74 生命維持装置 続 2018/12/12 22:21:25
>>714 >>715
考察をダスゥンだよおおお!!!
<o>J<o>
721 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:21:34
うん!
722 文学部 麻耶 2018/12/12 22:21:36
>>717 たすけない
+75 生命維持装置 続 2018/12/12 22:22:13
>>717
縦読みですね。
これ吊りでよいなw
この局面でこの余裕やしw
723 警察官 晋護 2018/12/12 22:22:14
吊られそう
724 文学部 麻耶 2018/12/12 22:22:32
吊られて
+76 ニート 欧司 2018/12/12 22:22:35
>>+74
この人数厳しい。
725 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:22:40
>>710
食洗機、欲しいよねー!!
726 警察官 晋護 2018/12/12 22:22:43
>>722
かなしい
727 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:23:12
御影ちゃんに無視されるの好き
728 ニート 欧司 2018/12/12 22:23:20
ニートは労働中につき次は深夜です。
729 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:23:27

人外13人(狼6人)
〇CO済み
・おしゃま 優奈【聖人】
→学者:紅(村役職) 霊媒:昌義(村人)
・文学部 麻耶【手相占い師】
→要(人間)
・警察官 晋護【罠師】(クリスタさんにランダム罠設置済)
・修道女 クリスタ【手品師】(罠付き)
・囚人 要【猫又】(手相占い師より人間判定)
730 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:23:46
〇未CO
●何かしらの判定受けている人
・ファン 紅【?】(聖人より村役職判定)
・カメラマン つくね【?】(賢者より人間判定)
●何も判定を受けていない人
・情報学部 範男【?】
・宇宙飛行士 星児【?】
・ツンデレ 弥生【?】
・アイドル 岬【?】
・ニット帽 光【?】
・看護師 小百合【?】
・赤子 羽風【?】
・ウェイター 東【?】
・悪戯好き ダーヴィド【?】
・ウェイトレス 南【?】
・外来 真子【?】
・お忍び ヴィクトリア【?】
・絵本作家 塗絵【?】
・番長 露瓶【?】
・小学生 朝陽【?】
・研修医 忍【?】
・御曹司 満彦 【?】
・キャバ嬢 瑠樺【?】
・令嬢 御影 【?】
・学生 比奈 【?】
*34 ファン 紅 2018/12/12 22:23:50
ごめんね。赤ログだけ読んだよ。
731 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:23:56
罠師に見えないな。。。
732 ニット帽 光 2018/12/12 22:23:57
>>717
つらいだろうが、
りゆうもあるわけだし、
まあ、諦めてくれ。
すまない。
733 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:24:03
〇犠牲者
・ニート 欧司【コンピュータ】
・不良 智哉【?】(賢者より人間判定)
・アイドル 茜【激おこぷんぷん丸】『聖』激おこぷんぷん丸判定
・生命維持装置 続【賢者】『聖』賢者判定 
→占:つくね(人間) 霊:結果なし 巫:ニート(人間)・智哉(人間)
・バニー 結良【看板娘】『聖』看板娘判定
〇処刑
学生 昌義【ドワーフ】
+77 生命維持装置 続 2018/12/12 22:24:04
>>+76
そうすよね。
まあ、寡黙な人もいるし、気になる人だけってね。
734 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:24:05
素で喋ってしまいました。
警察官さん、今までレストランの警備してくれてありがとうねー!
*35 ファン 紅 2018/12/12 22:24:35
ちなみにぼくは凍狼。だれだこんなの希望したの!
735 警察官 晋護 2018/12/12 22:25:04
囚人に吊られる警察に
ついてどう思いますか?
736 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:25:08
間違ってるところがあったり、下記足りないところがあったら教えてほしいな
+78 生命維持装置 続 2018/12/12 22:25:12
>>734
警官お払い箱w
厳しい世の中やなw
*36 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:25:15
おかえり。罠につっこませるとかいう話もあったが、割とそれどころではなさそうだ。今を生きよう。
能力、あんまいいものじゃないのか?
*37 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:25:50
なるほど?……どう使ったものか。
+79 生命維持装置 続 2018/12/12 22:25:56
>>735
紺の組織の腐敗は来るとこまで来たなって感じです!
737 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:26:18
コンピュータ通信を介してだが、ダーヴィドは賢者に占われて白、逆呪殺ではないという情報があった。
738 アイドル 岬 2018/12/12 22:26:25
ルスラン君、正直、赤で顔出す度にこの人狼だったんだって思ってた。
ライモンド突然死騒動辺りまで。
+80 バニー 結良 2018/12/12 22:26:26
ちーんぽっ
*38 ファン 紅 2018/12/12 22:26:45
>>*19
疑われてるみたいだし、能力弱いし、やるよ!
*39 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:26:49
まあせっかく優奈に村判定貰ったので、よさげな村役職でも騙るつもりでいてくれ。
739 令嬢 御影 2018/12/12 22:27:14
>>725
一人暮らしだとあまり必要ないかもだけど、複数人分を洗うのはだるいから食洗機ほしいね
740 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:27:22
>>737
ありがとう!
741 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:27:27
同様に、コンピュータ通信を介して、昌義さんに霊黒判定が出ている。
742 警察官 晋護 2018/12/12 22:27:27
>>732
いんげん
やきそば
だんご
*40 研修医 忍 2018/12/12 22:27:29

凍狼(凍)【人狼陣営】
襲撃の際に凍傷の罠を仕掛けて、その日襲撃先相手にセットした者に凍傷を付加する人狼です。
凍傷になった者は次の日の投票で誰からも投票されないとその翌日に死亡します。
何度でも使用できますが凍狼がセットしていなければ発動しません。
仲間の人狼にも発動します。仲間の人狼に発動させたくない場合は本人が襲撃しない、もしくは仲間の人狼が襲撃させないようにしなければいけません。(様子を見るにセット)
襲撃先がダミーであった場合は発動しません。
※襲撃先相手が凍傷になるわけではありません。
743 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:27:38
>>738
えっ・・・
*41 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:27:47
>>*38
その時が来たら、だなー。今は騙りの方を考えておいてもらう方向でいい。
*42 研修医 忍 2018/12/12 22:27:52

凍傷【陣営変化なし】
寒さに凍えています。
凍傷の罠にかかった状態です。自覚しています。
その日の投票で一人からも投票されないと次の朝には死亡しています。死亡時の夜に行うセットアクションは間に合いません。(再投票有効の場合は直前の投票の結果のみ反映)
1日経過すると自動的に消えます。
凍傷の罠を設置できる役職は凍傷にはなりません。
+81 ニート 欧司 2018/12/12 22:28:03
>>+78
人狼捕まえられないから・・・
*43 ファン 紅 2018/12/12 22:28:29
はーい!がんばるよ!
744 令嬢 御影 2018/12/12 22:28:32
>>727
無視して上げたほうがよかったかな…
745 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:28:48
>>741
ありがとう。書き足すね!
746 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:29:04
>>739
無視されなかった……。
*44 ファン 紅 2018/12/12 22:29:22
優奈さんが来てくれて村役職判定出してくれたんだね。ありがとう!
+82 生命維持装置 続 2018/12/12 22:29:29
>>+81
まあ、ニート様より仕事できんなかった公務員は死すべし、になるか……
*45 ファン 紅 2018/12/12 22:29:57
護衛系を騙るのがいいのかな。
747 警察官 晋護 2018/12/12 22:30:01
>>731
...><
+83 生命維持装置 続 2018/12/12 22:30:41
>>746
現代社会のねじれを見た……
-38 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:31:05
748 ニット帽 光 2018/12/12 22:31:21
罠師罠に嵌るといったところか
*46 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:31:58
今は護衛職とかほんまおるん?状態になってるので、厳しいかもだが。気力あるなら占い系か、とりあえず生きてりゃなんでもいいなら適当なので。
749 令嬢 御影 2018/12/12 22:32:49
PS4起動したらアップデートを始めてしまって暇だ
750 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:33:19
あーあ
今日も全額スロットに預けてきたわ
751 警察官 晋護 2018/12/12 22:33:22
I 罠 be the trapper.
752 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:34:39
諸々確認した
死体が3つもあるのなあ
一匹か殺人いそうな気がする
753 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:35:18
紅さんが学者で村役判定出たのを確認したので、今日は紅さんに投票します
+84 生命維持装置 続 2018/12/12 22:35:25
真面目な話、晋護殿は白人外確定だと思う。
昨日の昌義殿のような生存欲が見られない。
しかも、弥生嬢も吊り候補だけど、そちらに吊り誘導もかけない。弥生嬢がご主人様だと困るからというのが本音だったり。
修道女 クリスタ が ファン 紅 に投票しました。
754 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/12 22:35:52
警察官見た感じ、警察官で良い感じやな
755 警察官 晋護 2018/12/12 22:36:40
ぐへ
756 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:36:49
俺は昨日から紅に投票するとしか言ってないし、紅が死んだら能力使うとまで言ってるのに票がブレてるっておかしくない?
ブレてないんですけどぉー
*47 ファン 紅 2018/12/12 22:36:54
ログ読みしつつ考えてみるね。
*48 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:37:22
ま、護衛職じゃないほうがいいなあ。
重要役職どんどん食べる予定なので。
757 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:38:10
訂正版
人外13人(狼6人)
〇CO済み
・おしゃま 優奈【聖人】
→学者:紅(村役職) 霊媒:昌義(村人)
・文学部 麻耶【手相占い師】
→要(人間)
・警察官 晋護【罠師】(クリスタさんにランダム罠設置済)
・修道女 クリスタ【手品師】(罠付き)
・囚人 要【猫又】(手相占い師より人間判定)
758 警察官 晋護 2018/12/12 22:38:16
棺担ぎさんがいるなら
私のサイズにぴったりの
棺作ってくださいネ☆
(やけくそ)
759 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:38:34
〇未CO
●何かしらの判定受けている人
・ファン 紅【?】(聖人より村役職判定)
・カメラマン つくね【?】(賢者より人間判定)
・悪戯好き ダーヴィド【?】(賢者より白)
●何も判定を受けていない人
・情報学部 範男【?】
・宇宙飛行士 星児【?】
・ツンデレ 弥生【?】
・アイドル 岬【?】
・ニット帽 光【?】
・看護師 小百合【?】
・赤子 羽風【?】
・ウェイター 東【?】
・ウェイトレス 南【?】
・外来 真子【?】
・お忍び ヴィクトリア【?】
・絵本作家 塗絵【?】
・番長 露瓶【?】
・小学生 朝陽【?】
・研修医 忍【?】
・御曹司 満彦 【?】
・キャバ嬢 瑠樺【?】
・令嬢 御影 【?】
・学生 比
760 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:38:56
・学生 比奈 【?】

〇犠牲者
・ニート 欧司【コンピュータ】
・不良 智哉【?】(賢者より人間判定)
・アイドル 茜【激おこぷんぷん丸】(聖人より激おこぷんぷん丸判定、賢者より人間判定)
・生命維持装置 続【賢者】(聖人より賢者判定)逆呪殺ではない(本人談) 
→占:つくね(人間)・ダーヴィド(人間)
→霊:昌義(人狼) 
→巫:ニート(人間)・智哉(人間)・茜(人間)・バニー(人間)
・バニー 結良【看板娘】(聖人より看板娘判定、賢者より人間判定)
〇処刑
学生 昌義【ドワーフ?】(賢者より人狼判定)
761 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:39:48
すごく見にくいや… でも書く前よりすこしこの村のことが理解できた気がするよ
悪戯好き ダーヴィド が 警察官 晋護 に投票しました。
762 番長 露瓶 2018/12/12 22:40:05
3日目終盤
・殺人鬼がいるかも
・昌義は晋護の誤爆をスルー

4日目
・死体多いから襲撃役職が複数おる? 迅狼?
・賢者は逆呪殺された?
・ダーヴィドに疑惑が向く
・逆呪殺ではない(コンピュータ情報)
・四月馬鹿(白黒逆になるやつ)はいないっぽい

ここくらいまで読んだ
疲れた
ちょっと休憩
763 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:40:25
流石に弥生は帝濃厚だと思うけどな
聖人も信用できるか怪しいぞ

警察官に手相占い当てて弥生吊りでいいと思うけど
764 番長 露瓶 2018/12/12 22:41:11
>>719 ほら! そういうの怖いから!
765 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:41:38
あと昌義人狼ならやっぱり昌義のドワーフCOが真に見えるって言った星児がくそ怪しいぞ
766 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:42:38
えっと、ドワーフとは・・
767 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:43:16
ドワーフ(髭)【特殊陣営】
あなた矮躯でありながら力強く屈強なドワーフです。
偶然訪れた村で人狼騒動に巻き込まれたあなたは人間達から依頼を受けることでしょう。人狼の脅威から守ってほしいと。
別段人間と協力的でもありませんが嫌悪してるわけでもないあなたは頼まれたら断れないようで、義理として数度仕事をすると誓います。
あなたはその村で【2回】以上護衛を成功させることを目的とします。自分自身も護衛は可能です。
2度守ったのなら義理は果たした、後は好きにして結構です。そのまま付き合いで護衛を狙うのも適当にするのも好きに生きて構いません。
条件を達した時点であなたは勝利となります。自身の生死は問いません。
768 警察官 晋護 2018/12/12 22:43:27
>>763
わたくしを...弁護してくださるのか?!
769 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:43:33
ヴィクトリアさんに喝を入れられて頑張りはじめてる人が数名いるのほんと草
770 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:44:10
地中で生活し、人間と関わらないように生きる偏屈者ですが、非協力的というわけではありません。しかし決して人間に協力することが目的を達成することに繋がるわけではないことを心がけましょう。
※【連続護衛制限】オプションがONの時は連続して同じ対象を護衛できません。
771 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:44:32
素が出ちゃいました。素も、出していきます!
怪しいって言われちゃうので〜〜(ふくれっツラ
772 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:44:54
>>768
弁護って言うか人外あるなら狂妖の方だと思ってるので占い処理の方がいいんじゃないかなあって
773 警察官 晋護 2018/12/12 22:45:08
ヴィクトリアさんなんかいったんすか...?
ログは流し読みしたから見逃してる定期
774 警察官 晋護 2018/12/12 22:46:22
>>772
なるほど
修道女 クリスタは遺言を書きなおしました。
「吟遊詩人CO

3日目:範男
初日にコミットが少し遅かったところからセットしています
4日目:」
775 警察官 晋護 2018/12/12 22:48:20
...あれ?手相はおは妖魔とかせたっけ
776 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:48:23
ドワーフって霊能判定で狼判定出るってわけではいないのかな・・・・?多分。だとしたらクリスタさんの言う通り宇宙飛行士さんの発言が謎で怪しいかも
777 文学部 麻耶 2018/12/12 22:48:36
検証してきたけどやっぱり死んだらなんも見えねえぞ要のドアホ
778 番長 露瓶 2018/12/12 22:50:18
779 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:50:24
実はそんなにふくれっ面じゃないですけどね。求愛するなら御影ちゃん!をガンスルーからの、「南人外じゃね」はこれぞ御影ちゃんって感じで、すきだなあって思いました!
780 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:50:58
>>777
わらいました。
781 文学部 麻耶 2018/12/12 22:51:17
>>775 占いだからね
溶かせもすれば逆呪殺もされるし桜で発狂もする
782 絵本作家 塗絵 2018/12/12 22:51:21
ネジ天裏ルールとはなんだったのか
修道女 クリスタ は アイドル 岬 のために歌を歌います。
783 研修医 忍 2018/12/12 22:52:07
>>777 残念。あ、キリ番おめ。
784 文学部 麻耶 2018/12/12 22:52:10
自分の白なんだけど要を私情で吊りたくなってきたぜ
785 文学部 麻耶 2018/12/12 22:52:45
あとついでに1回目の投票は手相占いの結果に反映されないようです
残念
786 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 22:53:17
やはり検証は大事だな。
787 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 22:53:31
要ェー
788 看護師 小百合 2018/12/12 22:53:31
6 柘榴石 グラニエ (kyowa) 2018/12/12 22:49:37
結果1:1回目の投票では占えない
結果2:2回目の投票では2回目投票者のみ占える
結果3:吊られたら結果は見えない
789 看護師 小百合 2018/12/12 22:53:47
そこそこ重要な結果でした。
790 番長 露瓶 2018/12/12 22:54:02
看板娘で2回手相占いは駄目か
791 赤子 羽風 2018/12/12 22:54:04
ああなんか恥ずかしい
792 宇宙飛行士 星児 2018/12/12 22:54:06
要って読み「よう」? それとも「かなめ」?
793 看護師 小百合 2018/12/12 22:54:13
ということで1回めは麻耶さん指定がなくとも投票して良いようです。
794 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:54:16
>>788
うぇぇー。
795 修道女 クリスタ 2018/12/12 22:54:18
1回目2回目ってなんだと思ったら看板娘の話か
看護師 小百合 が 警察官 晋護 に投票しました。
ウェイトレス 南 が 警察官 晋護 に投票しました。
修道女 クリスタは遺言を書きなおしました。
「吟遊詩人CO

3日目:範男
初日にコミットが少し遅かったところからセットしています
4日目:岬
なんか持ってそうなので」
796 ウェイトレス 南 2018/12/12 22:55:04
使えないバニーさんですねー!
じゃあもう、投票しまーす。
797 番長 露瓶 2018/12/12 22:55:27
ほんじゃとりあえず晋護に投票しておくか
番長 露瓶 が 警察官 晋護 に投票しました。
798 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:57:18
あれ?まって。クリスタさん。>>765 の宇宙飛行士さんの発言ってどこに書いてあるか教えてほしいなぁ。
つい鵜呑みにしちゃったけど、実際その発言を探してもみつけきれなくて・・・
799 ニット帽 光 2018/12/12 22:58:01
死なない程度に麻耶投票でいいのか?
800 カメラマン つくね 2018/12/12 22:58:20
>>660 俺的にはもったいなくないっすね。
あと、バレちゃいけない系だとしても聖人さん気使って役職伏せててくれるみたいっすよ。
ニット帽 光 が 警察官 晋護 に投票しました。
801 カメラマン つくね 2018/12/12 22:59:10
>>799 文学部さん投票が意味無いことわかったっすよ>>788
802 教育学部 伊澄 2018/12/12 22:59:20
>>798
ああ!ごめんなさいいいいみつけた!
803 小学生 朝陽 2018/12/12 23:00:17
晋護に投票してターンエンド
804 研修医 忍 2018/12/12 23:00:25
>>788 了解。検証お疲れ。
805 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:00:50
なんか自己解決したっぽいけど、>>3:1093
カメラマン つくね が 警察官 晋護 に投票しました。
806 番長 露瓶 2018/12/12 23:00:56
検証おつかれ、ありがとう
807 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:01:06
>>3:1094でした
808 カメラマン つくね 2018/12/12 23:01:18
しゃーってして最後にぴたっ
809 文学部 麻耶 2018/12/12 23:01:32
>>792 かなめだと思ってる
810 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:02:07
>>807
ごめんね!ありがとう!
811 看護師 小百合 2018/12/12 23:02:25
クッソ面倒くさい…ゴホン。少々手間のかかるねじ天の村建て方法を理解しましたので、次回のID公開大人数普通村「冬休み村」の会場はねじ天になります。(2020年冬開催予定)
812 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:02:48
ドワーフ真で見てた割には、昌義さん黒にはノーリアクションなんですよね星児さん
黒出るの知ってたのでは?
813 警察官 晋護 2018/12/12 23:03:07
手相占いだってよみなさん!
手相占いされるんで
吊らないでください!!!
814 アイドル 岬 2018/12/12 23:03:34
取り敢えず、楽勝って感じじゃ無さそうなのは把握。
占いも一回分しか出来ないみたいだし。
815 カメラマン つくね 2018/12/12 23:03:40
>>811 小百合さん!第四回99人村ちーっす!
816 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:04:21
ねじ天なのに普通村
カメラマン つくねは遺言を処分しました。
817 警察官 晋護 2018/12/12 23:05:19
第4回目99人村は
普通村だった...?
818 看護師 小百合 2018/12/12 23:05:28
>>815 第4回99人村には一参加者として参加しますが、村建てになるにはちょっと荷が重いですね。
カメラマン つくねは遺言を書きました。
「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%AD

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC」
819 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:05:46
悔しいけど、看護婦さんが建てるなら、二日で99人集まってしまいますね……。
820 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:06:02
でも、昨日の時点でドワーフCOが真っぽいって言うのって怪しいのかなって思ったけど。確かに真目で見ていたところに狼判定で何も反応はないのはおかしいね。この賢者は偽物だー!なんてことも言ってないし
アイドル 岬 は ウェイトレス 南 を襲撃します。
教育学部 伊澄 が投票を取り消しました。
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%AD

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC」
821 研修医 忍 2018/12/12 23:07:42
>>811 正気に返って。
-39 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:07:48
悲しいなぁ
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%AD

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
822 番長 露瓶 2018/12/12 23:09:24
>>812
「黒出るの知ってた」より、「黒出ないと知ってたのに黒だった」の方がクリスタの話に一貫性が見えてくる気がするが
「ドワーフCOが黒だと知ってた」よりも、「ドワーフCOが黒じゃないと知ってたからドワーフCO真だと思ってた」っていう?
823 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:09:59
「もう何もしたくない」という本が届いた。
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%AD

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC

824 番長 露瓶 2018/12/12 23:10:26
>>820
ああ、これは確かに…
825 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:10:50
826 文学部 麻耶 2018/12/12 23:11:18
伊澄クン夕飯作って(空気を読まない発言)
827 カメラマン つくね 2018/12/12 23:11:42
紅さんこないっすね
828 番長 露瓶 2018/12/12 23:11:44
大人数普通村とか怖い
829 研修医 忍 2018/12/12 23:12:04
検証も終わった所で

#1 吊り希望
▼晋護
理由は既出。

#2 占い先希望
●弥生
票変え勢の中では理由が一番わからん。でも吊る方針なら勿体ないので↓

●塗絵
これぞ必殺のクリスタ逆張りスキーム。
は半分冗談として昨日のクリスタにしても今日の要にしても邪魔な所を吊りたい人外な可能性が出てきた為潰しておきたい。
あくまで吊りたがるのは襲撃系では無さそうかなとは思うので、優奈が占いたい所があるならそっちを優先した方がヒットすると思う。
830 カメラマン つくね 2018/12/12 23:12:31
未発言者が紅さんと弥生さん
831 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:12:37
>>825
うーん・・・なんだろうな・・・。やっぱりただミスしただけのように見えちゃうな。他の発言もちゃんと見てこよう
832 看護師 小百合 2018/12/12 23:12:52
>>821 >>828
既に私は2014「春休み村」と2017「夏休み村」を実施しましたので…(どっちも40人程度でしたが)
研修医 忍 が 警察官 晋護 に投票しました。
833 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:14:12
>>800 そう思われるのもまたしかたのないことだ。
834 カメラマン つくね 2018/12/12 23:14:28
>>831 それ自体は別に気になんないんすけど、そのあとが臭いんすよね
835 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:14:30
>>826
あれ?!さっきのじゃ足りなかった??
うーん。もうこんな時間だしビターチョコとホットミルクはどうかな?
836 警察官 晋護 2018/12/12 23:14:34
>>825
............m(._.)m
837 アイドル 岬 2018/12/12 23:15:31
そういえば、ライバル(肩書き的な意味で)の茜さんが死んでる(´•_•`)
838 番長 露瓶 2018/12/12 23:16:11
アイドルユニット組んでたわけじゃなかったのか…
839 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:16:35
>>834
そのあと・・・?今見てきたけど引っかかるところがわからなかったや。どのへんが怪しいのか教えてもらってもいい?
-40 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:17:50
僕何目線で話をしてるんだろうなぁ
840 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:18:14
続や結良が噛まれる理由はわかるんですけど、茜が噛まれる理由ってよくわからないんですよね
-41 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:18:25
村役職の狼判定出る役を探そう。黒当てられたらそれ騙ろう
841 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:18:26
>>812は確かに。
842 カメラマン つくね 2018/12/12 23:18:32
>>839 テンション高くない?
843 絵本作家 塗絵 2018/12/12 23:18:35
晋吾…んー個人的にはあんま気にならなかったけど
844 アイドル 岬 2018/12/12 23:19:02
強 聖人>賢者 弱

だと思ってたんだけど、賢者の方が強いの?
845 番長 露瓶 2018/12/12 23:19:08
好みのアイコンから噛んでる説
846 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:19:15
まぁ99人村でもよくわからないところが噛まれていたので、ここ考えるだけ無駄かもしれませんが
847 文学部 麻耶 2018/12/12 23:19:16
>>835 満たされる〜〜
848 文学部 麻耶 2018/12/12 23:19:48
>>844 まず用途が違うから一概に強弱つけられないところではある
849 番長 露瓶 2018/12/12 23:19:56
>>844
聖人は呪殺できないんじゃないっすかね
850 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:20:24
>>823
きゃー!!うれし恥ずかし!!
851 絵本作家 塗絵 2018/12/12 23:21:02
大抵は賢者の方が狼としては厄介になるんじゃないかな
852 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:21:14
>>842
テンション?!
えーっと、確かに高いね。うん、高い。
でも僕には自分の役職COして吹っ切れてるようにも見えるかな?
853 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:22:00
>>847
よかったぁ〜
854 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:22:05
晋護さんは吊りに抵抗するだけ。
推理をするでもなく、疑い返すわけでもなく。
そういう村側だとしても生きて勝利に貢献しそうにはない。
お忍び ヴィクトリア が 警察官 晋護 に投票しました。
855 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:23:05
吊り当てなくてもいいと思ってるけど、このまま晋護さん吊りになりそうですね
晋護さん諦めてください
856 アイドル 岬 2018/12/12 23:23:08
>>849
その代わり村人判定という名のほぼ確定人外判定が出るんだから、大して変わらないように感じる。
-42 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:23:38
そもそも罠師ってなんだっけ
857 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:23:53
>>850 「はぁ?」と言うマミさんがかわいい。
-43 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:24:12
罠師(罠)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
一度だけ罠を仕掛けられます。
罠を仕掛けられた対象が襲撃/護衛された場合は襲撃者/護衛者を道連れに、
処刑された場合は投票した者の中から1人を道連れにします。
-44 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:24:12
罠師(罠)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
一度だけ罠を仕掛けられます。
罠を仕掛けられた対象が襲撃/護衛された場合は襲撃者/護衛者を道連れに、
処刑された場合は投票した者の中から1人を道連れにします。
-45 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:24:30
あれれ・・・
858 番長 露瓶 2018/12/12 23:25:27
>>856
どっかの人外村で「真でも偽でも村人やんけ!」のイメージが強くて…
859 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:25:46
>>812に関して星児さんから話を聞きたかったのに、いなくなってしまった
860 看護師 小百合 2018/12/12 23:27:27
もうちょっと考えるつもりだったけど眠い。
検証村たてたし昨日より2時間半も長く起きてるので寝ます。
861 番長 露瓶 2018/12/12 23:27:34
クリスタがちょっと白く見えてきてしまったので、これは紅を噛んでもらう方向でお願いした方がいいのではないかと思い始めている
862 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:28:06
忍さんは弥生さん帝狼を懸念していないのだろうか。
863 番長 露瓶 2018/12/12 23:28:23
>>860
おつかれさま
864 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:28:56
そんなにシャッフルしてもらいたいの。。
865 番長 露瓶 2018/12/12 23:29:47
>>864
めちゃくちゃしてもらいたい
866 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:30:25
聖人は帝に従者にされてて信用出来ないので紅を吊ろう
867 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:30:32
それまでの頑張りが無に帰すかもしれないから個人的には好かないのだが。。
868 番長 露瓶 2018/12/12 23:31:01
それはちょっと極論すぎるんだよなぁ
869 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:31:27
>>865 理由を聞いてもよろしいか。
870 番長 露瓶 2018/12/12 23:31:52
>>867
それは分かる
分かる、よく分かるが…
871 カメラマン つくね 2018/12/12 23:32:27
どーしてもこの間の99人村を比較してしまうけど、晋護さんの中の人、魔女を盗まれたときでさえ灰使ってないんすよね。
晋護さんの性格的には、みんなに聞いて欲しいこと以外は言わなそうなので(だじゃれ、ネタ、含む)、灰用じゃなくて何か窓用の発言を表に誤爆ったんじゃないかと思うっす。
未設定でランダムうんぬんについてはマジもんじゃねーかなって。
872 アイドル 岬 2018/12/12 23:32:27
普通に狼さんが聖人程護衛率高くないけど脅威な賢者を噛んだのでは、と思ってたけど、その前提がビミョーだとビミョーかもなあ。
873 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:32:51
つーかこんなん弥生十中八九帝狼でしょ
なんで優奈に投票してんだ
874 番長 露瓶 2018/12/12 23:32:51
>>869
ダメ☆デス★
875 警察官 晋護 2018/12/12 23:32:52
>>854
疑い返したりしたら余計人外見られるじゃないですか!
876 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:34:02
遊び人COしたら吊ってもいいぐらいだ
877 番長 露瓶 2018/12/12 23:34:15
あー、どうだろう…別に言ってもいいかもしれないんだが
とりあえずクソ役職だから、とだけ
878 絵本作家 塗絵 2018/12/12 23:34:45
変な投票を片付けるのは…ちょっと…

それを邪魔なところってどこがどう邪魔なのか教えてほしいところだね
879 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:35:41
>>873 そこは同感である。
880 研修医 忍 2018/12/12 23:36:04
>>862 帝狼が入ってるかどうかそもそもわからないので何とも。可能性は有るっちゃある。ので次弥生吊りでも反対はしない。一応COは見て考えるけど。
881 カメラマン つくね 2018/12/12 23:36:56
遊び人(遊)【村人陣営】
遊んでばかりで役立つどころか邪魔になる村側役職です。
投票時ある程度の確率で適当な投票先に投票してしまいます。日にちが経過するほど確率は上がっていきます。
以下の条件のうち一つでも満たすと夜明け時賢者に転職します。
・生存者数が開始人数の半分以下になった
但し【陣営変化】していると転職はおこなわれません。
毎朝ふざけた行動をとりますが特に意味はありません。
882 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:38:05
うーん・・・・うーん。昨日の時点で警察官さんにとって怪しい人物っていたのかな?ドワーフCOの昌義さんくらいしかいなかった・・・よね??ダジャレはともかくそこしか疑うところなかったならそれは素直な村人感情なのかなって
883 赤子 羽風 2018/12/12 23:38:05
>>871
庇うわけではないのだが、慣れない独り言をしようと思ったからこそ操作を誤ったのでは?とも思うのだ。

ただつくねっちが言いたいこともなんとなく分かるんだな。そもそも>>3:396の前に何かセット関連の会話があって、その途中を誤爆したとしたら>>562を読み取れなくてもあり得るかーとか。
884 カメラマン つくね 2018/12/12 23:38:21
ねむい。寝よう。おやすみっす。
885 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:38:57
>>875 疑い返すというと言い方が悪いが。
自分への触れ方で不自然さを感じたなら言えばいいのでは。
886 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:39:36
>>884
おやすみなさい
887 警察官 晋護 2018/12/12 23:40:09
>>885
ああ、そういうことですか
888 赤子 羽風 2018/12/12 23:40:09
>>872
何人か触れてるけど、毒食らった狼が賢者噛みに行くかねぇと言うアレ。別の襲撃者っぽくね?
889 研修医 忍 2018/12/12 23:40:35
>>878 要が脅威なので吊りたいように見える。クリスタは役職由来っぽい。
890 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:42:45
>>880 「なるほど!その役職なら聖人に投票するよね!」って役職なんかあるのだろうか。
891 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:43:24
ああ、投票回りのことも見てなかったや
っとその前に投票どうしよう。気持ちは宇宙飛行士さんに投票したいけど
892 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:43:36
遊び人が一応ある
893 番長 露瓶 2018/12/12 23:43:38
帝狼だったら賢者噛みで聖人を従者でっていうのも筋通ってるな
弥生は蕎麦のくだりで発言してて、そこでキャバ嬢がちゃんと昌義に投票してる話も出てたから投票間違ったって主張は苦しいように思うし
894 絵本作家 塗絵 2018/12/12 23:44:36
ぼく目線なんの役職だから脅威ってのが無いじゃないか
どうもよくわからんな

晋吾に関してはよくわからんがある
単体の黒さは弥生>晋吾な気がするんだけども
*49 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:44:39
遊び人(遊)【村人陣営】
遊んでばかりで役立つどころか邪魔になる村側役職です。
投票時ある程度の確率で適当な投票先に投票してしまいます。日にちが経過するほど確率は上がっていきます。
以下の条件のうち一つでも満たすと夜明け時賢者に転職します。
・生存者数が開始人数の半分以下になった
但し【陣営変化】していると転職はおこなわれません。
毎朝ふざけた行動をとりますが特に意味はありません。
895 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:44:52
>>304には納得できるので迅狼がいたら狼が賢者噛んで毒対策で茜辺りを噛んだのはありえる
それでも茜噛みたいかって言われたら微妙なとこだけど
896 警察官 晋護 2018/12/12 23:44:54
とはいえ今気になってるのは極少数なんですがね。(考えろ)
例をあげると疑われた時の反応が気になった羽風さん、
僕に恨みでもあるんでしょうかと聞きたい要さん、
などですかね。
897 赤子 羽風 2018/12/12 23:44:54
>>890
うーん、断罪者?
898 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:45:02
遊び人があったか。
899 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:45:38
しかし、弥生が帝であっても100%遊び人COする
900 番長 露瓶 2018/12/12 23:45:42
>>888
あっ、そっかぁ…(痴呆)
確かに
901 絵本作家 塗絵 2018/12/12 23:45:50
だから弥生吊りなら乗ってもいいと思ってる
晋護はちょい微妙
902 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:46:02
遊び人(遊)【村人陣営】
遊んでばかりで役立つどころか邪魔になる村側役職です。
投票時ある程度の確率で適当な投票先に投票してしまいます。日にちが経過するほど確率は上がっていきます。
以下の条件のうち一つでも満たすと夜明け時賢者に転職します。
・生存者数が開始人数の半分以下になった
但し【陣営変化】していると転職はおこなわれません。
毎朝ふざけた行動をとりますが特に意味はありません。
903 赤子 羽風 2018/12/12 23:46:08
>>896
いつの話?
-46 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:46:10
弥生さんってだれだっけ
904 警察官 晋護 2018/12/12 23:46:17
まあ、羽風さんの方は今はそんな疑わなくていいかとおもってますがね。
905 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:46:19
ほーーん
-47 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:46:32
あ、四天王!
906 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:47:28
断罪者なら帝を疑われないように他にするのでは。
-48 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:47:34
四天王組〜!! 生きてようが死んでようが僕にはあまり関係ないみたいだけど生きててほしい!
907 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:47:35
遊び人COでも吊っていいでしょう。
908 警察官 晋護 2018/12/12 23:47:38
4日目昼です、
まあログを見ただけですしおすし
その場にいなかったのでどうとも言えませんが
>>903
909 研修医 忍 2018/12/12 23:48:20
>>890 それもそーか。▼晋護→▼弥生で出しておこう。
910 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:48:22
断罪者なら優奈を吊りに持って行かないと意味がないはずなので断罪者ではなさそう
911 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:48:36
弥生さんっていうとまだ今日はきてないんだね
912 ウェイトレス 南 2018/12/12 23:49:56
弥生さん来てませんし。
昌義人狼なら、あんまり時間がとれない人が仲間にいるという私のプロファイルとも合致します。
913 お忍び ヴィクトリア 2018/12/12 23:50:28
弥生さんもだが、優奈さんが来ないの気になる。
昨日以前も多弁ではなかったが。
914 研修医 忍 2018/12/12 23:51:02
>>894 だからわからないから占って欲しいんだよ。吊るのは抵抗ある。
915 警察官 晋護 2018/12/12 23:51:10
自分吊られそうだから
説得力ゼロでしょコレ!!
+85 バニー 結良 2018/12/12 23:51:18
看護婦吊ろうぜ
916 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:51:21
うーん・・・弥生さんなら吊りには反対しないよ。
よくわからなすぎるから吊って中を見るか、占うか・・・だけど占うのはもったいない気がするよ
917 赤子 羽風 2018/12/12 23:51:23
>>910
ん?これって例えば弥生→優奈投票が人外を刺せていて、かつ処刑者昌義が村陣営だったら、昌義投票者全員処刑って意味ではないのか?
918 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:51:46
>>894>>901と同じですね

晋護より弥生吊りたいかなあ
919 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:52:24
>>917
読み間違えていた
そうでした
920 赤子 羽風 2018/12/12 23:53:00
>>919
改めてすごい役職だよなー
921 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:53:01
まぁそれでも優奈には投票しなさそうだなとは思います
922 修道女 クリスタ 2018/12/12 23:53:39
あーでも昌義村だったら優奈偽になるから一応あるか
923 赤子 羽風 2018/12/12 23:53:44
まぁ断罪者が優奈を人外だと思って投票はしないよなぁ
絵本作家 塗絵 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
教育学部 伊澄 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
教育学部 伊澄 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
924 赤子 羽風 2018/12/12 23:55:29
弥生ちゃんコア遅めっぽいからなぁ
-49 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:55:43
かっこいい遺言がいまだに思いつかないよ。。。
-50 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:55:43
かっこいい遺言がいまだに思いつかないよ。。。
教育学部 伊澄は遺言を書きなおしました。
「ココアに塩入れたら美味しいよね。」
-51 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:56:40
フハハハハハよくぞ私を破ったな!!ハハハハッハー!
-52 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:56:50
みたいな?
925 おしゃま 優奈 2018/12/12 23:56:58
現状の吊り先候補は晋吾と弥生かな
弥生は十中八九狼だから吊っていいと思うよ
晋吾は誤爆自体はそこまででもないけどその後の発言が割と黒いから十分吊り位置かな
926 赤子 羽風 2018/12/12 23:57:35
>>925
黒いかね?
927 小学生 朝陽 2018/12/12 23:57:47
まあ今日の処刑は2回もあるし弥生も吊り確定だから安心しよう
928 番長 露瓶 2018/12/12 23:57:50
2回吊れるんだから晋護も弥生も吊ればいいんじゃねーの派
929 警察官 晋護 2018/12/12 23:59:19
>>925
どっちかっていうと誤爆より
そのあとの発言が黒く見られてるようですね...
みなさんもそう言っていたような気がします。
930 赤子 羽風 2018/12/12 23:59:26
せやな
931 教育学部 伊澄 2018/12/12 23:59:47
僕の吊希望は星児さんと弥生さんかな。
弥生さんは怪しいっていうより実態がつかめない感からだから、希望は二回目だよ。来てから本当に投票するかも考えたいしね
教育学部 伊澄 が 宇宙飛行士 星児 に投票しました。
932 警察官 晋護 2018/12/13 00:01:11
まあ吊られるでしょうが
弥生さん投票しておきますね。

ハイル・ビレッジャー!
警察官 晋護 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
933 番長 露瓶 2018/12/13 00:01:46
星児吊りはクリスタに誘導されてる感が気にくわないので保留で
934 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:02:31
>>926 なんていうかあんまり真剣に返してないというか
妖鼬とかでヤケになって適当に誤魔化してる可能性はあると思うんだよね
罠師でもおかしくないけどどことなく単独臭があるというか
935 赤子 羽風 2018/12/13 00:02:32
手相占いの検証見た感じ、1回目の処刑では聖人の結果も見れないのかもなぁ

夜が明けるわけではないってことか
936 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:03:06
番長がそこまでヘイトを俺に向ける理由が理解出来ん

どうしても罠持ちを吊りで処理したいようにしか見えん
937 赤子 羽風 2018/12/13 00:03:36
>>934
悪く言う訳ではないけど、この人くるくる言ってた時も真剣味なかったしなぁという印象
938 教育学部 伊澄 2018/12/13 00:03:53
僕もそろそろ寝るよ。おやすみなさい。
939 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:03:57
弥生帝優奈従者濃厚の流れになってるが、優奈は投票されたことどう思ってるんだ
940 番長 露瓶 2018/12/13 00:03:58
>>936
だってシャッフルしてくれないんだもん…
-53 教育学部 伊澄 2018/12/13 00:04:13
ここまで読んだしおり
941 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:04:26
>>940
俺はひねくれ者だから疑われると余計シャッフルしたくなくなるぞ
942 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:04:46
>>935 夜行動は行われないけど霊能系の能力は処刑と同時に発動するはずだから霊媒結果は見れると思うよ
943 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:04:56
しかもクソ役職でシャッフルしてほしいのにクリスタ吊りとか言われたら余計にな

俺はこのまま使わずに死んでもいいんだが?
-54 教育学部 伊澄 2018/12/13 00:05:18
人外13人(狼6人)
〇CO済み
・おしゃま 優奈【聖人】
→学者:紅(村役職) 霊媒:昌義(村人)
・文学部 麻耶【手相占い師】
→要(人間)
・警察官 晋護【罠師】(クリスタさんにランダム罠設置済)
・修道女 クリスタ【手品師】(罠付き)
・囚人 要【猫又】(手相占い師より人間判定)

〇未CO
●何かしらの判定受けている人
・ファン 紅【?】(聖人より村役職判定)
・カメラマン つくね【?】(賢者より人間判定)
・悪戯好き ダーヴィド【?】(賢者より白)
●何も判定を受けていない人
・情報学部 範男【?】
・宇宙飛行士 星児【?】
・ツンデレ 弥生【?】
・アイドル 岬【?】
・ニット帽 光【?】
・看護師 小百合【?】
・赤子 羽風【?】
・ウェイター 東【?】
・ウェイトレス 南【?】
・外来 真子【?】
・お忍び ヴィクトリア【?】
・絵本作家 塗絵【?】
・番長 露瓶【?】
・小学生 朝陽【?】
・研修医 忍【?】
・御曹司 満彦 【?】
・キャバ嬢 瑠樺【?】
・令嬢 御影 【?】
・学生 比奈 【?】

〇犠牲者
・ニート 欧司【コンピュータ】
・不良 智哉【?】(賢者より人間判定)
・アイドル 茜【激おこぷんぷん丸】(聖人より激おこぷんぷん丸判定、賢者より人間判定)
・生命維持装置 続【賢者】(聖人より賢者判定)逆呪殺ではない(本人談) 
→占:つくね(人間)・ダーヴィド(人間)
→霊:昌義(人狼) 
→巫:ニート(人間)・智哉(人間)・茜(人間)・バニー(人間)
・バニー 結良【看板娘】(聖人より看板娘判定、賢者より人間判定)
〇処刑
学生 昌義【ドワーフ?】(賢者より人狼判定)

●怪しいかも・・・?
宇宙飛行士さん理由は>>4:776 >>4:820

●白いかも?
クリスタさん(手品師)

●わからない
944 赤子 羽風 2018/12/13 00:05:26
帝疑いの話題出すために狂人あたりがわざと票ずらしたりもあるんかね
945 番長 露瓶 2018/12/13 00:05:42
>>943
今日の吊りに挙げてないでしょ!
-55 教育学部 伊澄 2018/12/13 00:06:00

●わからない
弥生さん
946 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:06:24
>>944
それは全然あると思う
優奈に疑い向くし、悪いことじゃない
947 赤子 羽風 2018/12/13 00:06:39
>>942
なるなる
948 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:06:39
>>945
私の機嫌を損ねるなよ……
-56 教育学部 伊澄 2018/12/13 00:06:44
みんな意外と独り言使わないんだなぁ
949 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:07:09
>>939 狼陣営が賢者を襲撃で始末しながら
狼の弥生を捨て駒にして帝狼疑惑をかけてきたように見えるね
狼陣営の後ろには結構な手練れがいると思うよ
-57 教育学部 伊澄 2018/12/13 00:07:10
かっこいい遺言考えながら寝よう
950 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:07:16
その場合でも悪い結果にはならない気がするねえ

ぶらしたのは人外ってことだし
951 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:07:45
弥生さんってのは、狂人引いたときにそんなカッコイイプレイをされる方ですか?爆弾爆弾言ってたイメージしかないんですが……。
952 警察官 晋護 2018/12/13 00:08:11
>>937
あの時は指定がはっきりしていたので...
まあ指定に反応しろという話なんでしょうg。
953 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:08:22
狼仲間に指示された、なら納得です。
954 赤子 羽風 2018/12/13 00:08:30
>>950
うん、弥生人外は濃いと思うんよなー
955 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:08:37
要とか小百合はどうせ手品師騙りでしょみたいなことを言っているが、あの人達は「クリスタ本物ならいつかシャッフルされるやろ、騙りでシャッフルされないかもしれないからとりあえず騙りって言っとこ」みたいな感じで騙りって言っているだけに違いない
956 番長 露瓶 2018/12/13 00:08:43
>>948
(じゃあクリスタ毒殺でもされるの期待しとこ)
957 赤子 羽風 2018/12/13 00:09:19
>>953
妖狼いるっぽいし、なんの証明もできない自称狼がやらされた可能性とか
958 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:09:32
いつシャッフルされるかわからない恐怖に震えながら眠れ
959 警察官 晋護 2018/12/13 00:09:57
弥生さんについては何か吊られそうなので
考察していなかったなんて言えねえ
960 番長 露瓶 2018/12/13 00:10:14
嫌な奴に罠付いちまったもんだな…
-58 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:10:20
妖狼居ないんだよねえ…

なんだって折角の強職が悪霊憑きになるのか
961 研修医 忍 2018/12/13 00:10:28
>>949 聖人は呪殺できないのに賢者襲撃するかな。あと捨て駒なら何かCOしない?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
962 警察官 晋護 2018/12/13 00:10:59
せっていだいじ。
教訓ですわ。
963 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:11:17
弥生も一応原住民っぽいので、>>944ぐらいは思いつくと思うけどなあ
964 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:11:21
>>957
狼窓もギスってるんですかねえ。
容赦なく味方にそういう提案が出来るプレイヤーって、限られそうですね!弥生さん捨て駒だったのなら。
965 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:11:45
ただ茜と結良の襲撃は結局謎なんだよね
前村でも殺人鬼が祓魔師を襲撃してたしあんまり深く考えない方がいいのかな…
966 赤子 羽風 2018/12/13 00:11:55
>>964
そのために希望出したからな・ω`・
967 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:11:59
原住民のイメージがね……。
968 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:12:31
>>966
第3回99人村を通して性格ひどくなってませんか?
969 番長 露瓶 2018/12/13 00:12:32
狼が呪殺してもらう考えで占い噛まない方が薄いと思うが
-59 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:12:55
狼にギスらせるために妖狼疑惑投げつけたんだが

塗絵さん妖狼いないの知ってるから正しくもやもやする。
-60 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:12:55
狼にギスらせるために妖狼疑惑投げつけたんだが

塗絵さん妖狼いないの知ってるから正しくもやもやする。
970 赤子 羽風 2018/12/13 00:13:12
>>968
赤子のように純真無垢だよ
971 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:13:41
まぁ何にせよ弥生は帝か帝疑惑かけたい人狼陣営のどちらかでしょうね

運が悪かった遊び人もあるかもしれませんが
972 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:13:57
第三回99人村でまたひとつ性格が悪くなってしまった

癒されたい
973 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:14:24
要さんはなぜ弥生さんに触れなかったのだろう。
974 囚人 要 2018/12/13 00:15:08
ちょっとー、検証村バグってっんよー。
そうはならないから。
あれはバグ。
俺を信じろ。
975 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:15:13
>>961 むしろ捨て駒なら何もCOせずに「ランダム投票でしたー」とか言ってきそうな気がする
あんまりそれっぽい理由つけると逆に帝狼疑い薄れるし
賢者の方はまだ逆呪殺の線も切れないし他の襲撃系役職の可能性も残るね
一応考察するなら私の方が賢者より護衛がついてそうだと読んだ、くらいかな?
976 囚人 要 2018/12/13 00:15:24
>>973
弥生って、誰だ……?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
977 赤子 羽風 2018/12/13 00:15:32
要っちは手相占い関連をうやむやでゴーしたかったっぽいのが怪しい
お忍び ヴィクトリア が ツンデレ 弥生 に投票しました。
978 番長 露瓶 2018/12/13 00:15:49
でも毒ってる狼もいるしなぁ
狼がイキナリ占いチャレるか? 他の襲撃系じゃね? っていうのとか、迅狼いて灰噛みも混ぜてってのは分かる
迅狼で噛みどっちかでも通れば毒で死なないと理解したが合ってる?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
979 囚人 要 2018/12/13 00:16:05
誰だか知らないが、今日は二人殺せるね。やったね。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
980 囚人 要 2018/12/13 00:16:35
知らないが、疑わしきは殺せ。
そうして俺はこの網走に来る事になった。
じゃんじゃん殺そうぜ。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
981 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:16:41
>>978
たぶん合ってるよ
流石にどっちか通れば襲撃失敗判定にはならんと勝手に思ってるが
982 赤子 羽風 2018/12/13 00:16:54
せやな
*50 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:17:06
帝疑惑捨て駒論って普通に受け入れられるんだな。
優菜次第でまだまだイケるかもな〜。
983 研修医 忍 2018/12/13 00:17:33
>>969 そうかな。。。
984 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:17:48
>>976 そこのツンデレです。
聖人に投票していたので>>971という話が出てます。
985 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:18:03
毒ってても占いを潰さないとゆとり設定では狼は勝とうにも勝てなくないのか?

冷静に残す意味を感じないんだが
986 囚人 要 2018/12/13 00:18:06
殺しこーろーさーれーいつーかー
消えゆくーとしーてーもー
永遠にーおーわーらなーい
時の河はー 流れてーゆーくー
囚人 要 は何もしません。
987 赤子 羽風 2018/12/13 00:18:11
毒の効果ってずっと?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
988 囚人 要 2018/12/13 00:19:01
しかし検証村がバグるとはね
とにかく文学部に投票しておけば占われるから安心だな!
989 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:19:17
フェンスオブディフェンス。三国志。
990 囚人 要 2018/12/13 00:19:47
あんな検証村より俺の方が正しいから安心しろ
991 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:19:48
>>987 そうバニーは言ってた。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
992 囚人 要 2018/12/13 00:20:15
ちょっとあの村は、建て方が悪かった
確度とか
この村と完全に同一では無い
お忍び ヴィクトリア が 警察官 晋護 に投票しました。
993 囚人 要 2018/12/13 00:20:27
所詮は看護婦、建設業者ではござらん
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*51 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:20:31
私が真取るなら明日は小百合村人判定で潰しにかかる
私が切られるなら明日は小百合探知師判定でラインに見せる…かな
994 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:20:40
まぁ賢者と聖人両方残すのは危険すぎるよな
995 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:21:01
>>987 ずっとだよ
医者に治療されるまで
996 赤子 羽風 2018/12/13 00:21:22
>>991
ふむふむ。

迅がいたとして能力使ってまで急いで賢者噛みたかったのかねぇ
997 番長 露瓶 2018/12/13 00:21:39
>>981
半ば予想かー
まぁ普通に考えたらそうか
998 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:21:41
狼は毒ってた上に、初っ端から昌義くんが吊られてるわけでしょ?
GJされたら負けでいいくらいの気持ちで占い特攻選ぶのは不思議でもなんでもないと思うなあ。
999 アイドル 岬 2018/12/13 00:21:48
狼視点、聖人&賢者(&昨日時点占い系CO者)は一刻も早く何かしらの方法で処理しなきゃ不味いのでは。
毒に罹ったのがブレーンでもない限り、狼一匹の為に日和る可能性は低いと思うけど。
1000 赤子 羽風 2018/12/13 00:21:48
>>994
確かに
1001 囚人 要 2018/12/13 00:21:53
弥生って誰だ……?
良く解らんので貴様等殺しておけ
1002 研修医 忍 2018/12/13 00:21:53
>>975 それはそうか。しかしそうだとするとずいぶんと贅沢な使い方をするな。。。
1003 赤子 羽風 2018/12/13 00:22:23
>>998
これも確かに
1004 囚人 要 2018/12/13 00:22:35
今日は二人も殺せるんだ
その弥生(誰だ?)とやらと、シンゴー! シンゴー! をぶっ殺せばそれで良かろう
1005 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:22:47
むしろ占いのどっちかに行かないほうが、勝つ気がないと思う。
*52 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:23:10
紅は生存路線で行くなら撫子騙り準備
罠に突っ込む予定なら墓下で調停官か錬金術師COして黒特攻か逆囲いの準備をする
…ってところかな
1006 小学生 朝陽 2018/12/13 00:23:14
狼が単に優奈を疑わせたいなら吊られる昌義がやればいいと思うんだが
弥生が帝か帝疑いで自吊りを誘ってる人外だろうな
1007 囚人 要 2018/12/13 00:23:24
>>*0721
流石andanteさん、人狼だけあって人狼の気持ちが良く解ってらっしゃる
村人達は全員騙されてますぜ
1008 赤子 羽風 2018/12/13 00:23:30
しかし狼の切羽詰まってる状況と、弥生帝狼説がなんか噛み合わない気がする
1009 囚人 要 2018/12/13 00:23:43
おっとアンカーミスった、>>998だった
1010 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:23:54
>>1007
しこらないで!
1011 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:23:54
生き残れない仲間はガンガン使い潰さないと狼は勝てない。
1012 警察官 晋護 2018/12/13 00:23:58
ぶっころされる
1013 囚人 要 2018/12/13 00:24:44
ぶっころー
ぶっころー

俺もお前も時の河の果てで死体で流れ着く身よ
1014 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:25:12
>>1002 賢者と聖人が両方いたら1日ごとにものすごい勢いで圧迫されていく
速攻で始末するには博打に出るしかなかったのかもね
*53 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:25:24

撫子(撫)【村人陣営】
あなたは心優しい撫子です。
ナデシコのように可憐なあなたは、あるとき死んでしまった不幸な者の存在が目に留まります。
しかしあなたができることは死した者のために祈り続けることのみ。
そんなあなたも命奪われ犠牲となったとき、あなたの想いは奇跡を呼び、祈っていた者が蘇ることになるでしょう。
ただしその祈りは襲撃によって命が奪われたときのみ届きます。処刑や他の死因では残念ながら祈りは届くことはないでしょう。
自らの不幸を他者への幸として送りと届けるあなたの祈りはきっと。
※この役職が編成に含まれると強制的に墓下公開オフになります。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1015 警察官 晋護 2018/12/13 00:25:44
囚人とともに地獄なんていきたかねえ!
1016 囚人 要 2018/12/13 00:26:13
>>1015
逆だったかもしれねぇ……!
1017 警察官 晋護 2018/12/13 00:26:50
>>1016
そんなはずがない!
1018 囚人 要 2018/12/13 00:27:14
http://livedoor.blogimg.jp...
本当は俺が法の番人であり、お前が強姦魔だったのかも知れないのだ
神妙に縛り首につけ
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
1019 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:27:28
>>1006 うーん
昌義が吊られた直接的な原因が私だったから昌義が私に投票してもみんな不思議に思わない気がする
1020 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:27:51
狼は作戦会議をしただろうから、>>1002というと感想は白いのだろうか。
発言がうまい人ではあるが。
1021 番長 露瓶 2018/12/13 00:28:31
俺はまだイマイチゆとり設定に頭が追いついてない部分がある
2/3人外スタート村の後遺症やばない?
1022 赤子 羽風 2018/12/13 00:28:54
>>1021
俺も俺も
1023 囚人 要 2018/12/13 00:29:02
猫又の俺を襲撃する余裕が人狼君にあるかな……?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1024 警察官 晋護 2018/12/13 00:29:09
>>1018
悪の言葉に耳はかさぬ
1025 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:29:35
強姦罪だったんだ……。
1026 番長 露瓶 2018/12/13 00:30:03
ナルトでそんなんあったなと思いながら違ってたらあれだし言わなかったら本当にナルトのやつだった
1027 警察官 晋護 2018/12/13 00:30:13
しかもなんで強姦なんダヨ
1028 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:30:13
猫又と言ってる者が真猫又だったことなど数えるほどしかあるまい…
1029 囚人 要 2018/12/13 00:30:41
俺は思想犯で捕まったが
そこの警察官が犯罪を犯す時は、どうせ性犯罪者だろうと決めつけて話をしている
そういう顔だもんあいつ
俺、詳しいんだ
1030 修道女 クリスタ 2018/12/13 00:30:45
てっきり人を殺してるのかと
1031 警察官 晋護 2018/12/13 00:30:52
ナルト見てないのでわかりま仙人
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1032 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:30:58
>>1021
最初のほう、四天王勝利が本線、みたいな気持ちでいた人は多いと思う。よく見てないけど!
1033 小学生 朝陽 2018/12/13 00:30:59
>>1019
吊られるまでの動きも頑張ってれば一応追ってはくれそうだが昌義の投票じゃ確かに弱いか
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
1034 研修医 忍 2018/12/13 00:31:22
特攻するしか無かったってのは言われてみるとそうかも。それだと今日の噛み筋からは狼わからんなー。誰だってそーするんじゃなぁ。
1035 警察官 晋護 2018/12/13 00:32:14
>>1029
何をどうやって捕まったンダ...
1036 番長 露瓶 2018/12/13 00:32:38
でもまぁ、呪殺してもらう目的で占い残すよりは、狼にとっちゃ占いなんて出来るだけ早く死んでほしいに決まってるんじゃないだろうか
妖狼? だったかを賢者が先に占ってくれる保障もないだろう
1037 令嬢 御影 2018/12/13 00:32:43
>>779
該当発言見てなかった
ありがとう。御影ちゃんのイラストを描いてね
1038 赤子 羽風 2018/12/13 00:32:52
バニーちゃんと茜たんからはもうちょい考えられそう?バニーちゃんは中の人由来っぽいな
-61 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 00:33:51
うーん、摩耶さんがどさくさで吊られることはないと思うけど、晋護さんに変えておこう。
1039 情報学部 範男 2018/12/13 00:34:21
あー早くガチャ引きたーい
1040 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:34:43
最近お食事出してなかった!
皆さん、夜遅くまでお疲れさまですー。
深夜の低糖質パンと、ほうれん草のソテーをサービスしますね!
1041 囚人 要 2018/12/13 00:35:46
そう言えば統計を取ったんだが、長期で飯配りRPをする奴は八割人外だった。
1042 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:35:51
>>1037
ラインくれる女の子みんなイラスト目当てで辛いんです。
でも御影ちゃんは別にラインくれないから、私のことが好きなんだと思います。描くよー。
1043 番長 露瓶 2018/12/13 00:36:00
>>1022 だよねー

>>1032
99人村で黒幕様がいなくて落胆してた人が多かったからノリを合わせていた部分も少なからずありました
1044 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:36:07
>>1041
じゃ、やめます。
1045 囚人 要 2018/12/13 00:36:12
いや、でもandanteさんは残りの二割ですからね。
俺がandanteさんを疑う訳無いじゃないですかー、ハハハ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
1046 赤子 羽風 2018/12/13 00:36:29
賢者と聖人が仲良く1票ずつ、そして要っちは人間判定……

狂人か?
1047 囚人 要 2018/12/13 00:36:46
寒いからこの刑務所燃やして暖を取ろうぜ。
俺が指揮を執る! 面舵イッパァアアアアアイ!!!!!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1048 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:36:53
>>1045
でしょ!配り続けるからねー。
1049 囚人 要 2018/12/13 00:37:31
>>1046
猫又なんだよなあ……。
1050 赤子 羽風 2018/12/13 00:37:53
>>1049
にゃーん
1051 令嬢 御影 2018/12/13 00:38:13
>>1042
かわいそう。。。
1052 囚人 要 2018/12/13 00:38:33
行灯の油うめえwwwwwwwww
ペロペロペロリンチョwwwwwwwwwwwww
*54 ツンデレ 弥生 2018/12/13 00:38:35
ただいまーやっぱり疑われるかあ
どうしようかな
1053 囚人 要 2018/12/13 00:38:45
>>1052
ほーらどう見ても化け猫
1054 令嬢 御影 2018/12/13 00:39:07
LINE用事がないとしないからな……
1055 番長 露瓶 2018/12/13 00:39:21
おっ、そうだな
1056 令嬢 御影 2018/12/13 00:39:45
で、結局誰に入れればいいの
1057 研修医 忍 2018/12/13 00:39:51
▲結良→私怨・脅威

▲茜→村役職と読んだ。ログを丁寧に読む人?
1058 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:40:00
>>1051
ほんとっぽい同情しないで
1059 番長 露瓶 2018/12/13 00:40:26
人狼やってる最中にラインっていうと一瞬違うやつのことに思える
*55 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:40:42
1.微妙なことを言って順当に吊られる
2.帝狼COして逆噴射狙い
1060 赤子 羽風 2018/12/13 00:41:21
>>1059
南ちゃんは女の子とライン繋がってるらしい
*56 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:41:27
言っちゃあなんだが、どうしてもいいと思う。
捨て駒狼が、帝狼ブラフっぽい投票をしたことにしたい。
がんばって。
*57 研修医 忍 2018/12/13 00:41:33
遊び人COして吊られる
1061 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:41:55
御影ちゃんには、私から連絡するからいいよ。
1062 番長 露瓶 2018/12/13 00:42:11
>>1060
マジかよ許せねぇ…!
1063 令嬢 御影 2018/12/13 00:42:12
御影は女の子じゃないよ
*58 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:42:23
>>*55
まあこれだと、僕の趣味だと1かな。
1064 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:42:32
役職分かってると却って犠牲の理由が不明になる
不思議だね
*59 研修医 忍 2018/12/13 00:42:33
セットできてませんでした><;ふえええええ
*60 ツンデレ 弥生 2018/12/13 00:42:47
どうあがいても吊られるのね
一時までちょっと考えてくる
帝狼COしたら面白そう
1065 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:43:52
>>1052 >>1053 なんか化猫の夢が壊れる
*61 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:44:01
面白そうなら、好きにやってくれ。
1066 番長 露瓶 2018/12/13 00:44:48
>>1063
ご令嬢!?
1067 研修医 忍 2018/12/13 00:45:23
>>1063 男の娘だと(ゴクリ)
1068 赤子 羽風 2018/12/13 00:45:58
俺も男の娘ってやつか
1069 赤子 羽風 2018/12/13 00:46:28
最近は男もピンクを着こなすんだ
1070 研修医 忍 2018/12/13 00:46:56
>>1068 自分ペドじゃないんでそっちはちょっと
1071 赤子 羽風 2018/12/13 00:47:56
>>1070
10年後また考えてくれ
赤子 羽風 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1072 番長 露瓶 2018/12/13 00:49:26
どっちから吊るのがいいんかね
弥生まだ来てないからとりあえず晋護に投票したままにしてるが
1073 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:50:57
そういえば遺言、ふざけて看護婦さんを適当に糾弾したままでした。
誰が死んでもおかしくないような襲撃があるようなので、真面目なものに直しておきましょう。
1074 研修医 忍 2018/12/13 00:51:26
>>1071 フリルが似合うゆめかわボーイになれるよう祈っておくよ。
1075 赤子 羽風 2018/12/13 00:51:44
遺言か……びしっと決めたいんだが
ウェイトレス 南は遺言を書きなおしました。
「皆さんがこのメッセージを読んでいるということは、私はこの世には居ないということでしょう。そう、私は殺されたのです。
あの卑劣な、看護婦の手によって……。
どうか、彼女の息の根を止めて下さい。
南」
研修医 忍は遺言を書きなおしました。
「誰だ狼男入れたの。」
1076 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:52:23
>>1075 赤子の発言とは思えない
1077 赤子 羽風 2018/12/13 00:53:29
研修医 忍は遺言を書きなおしました。
「塗絵で邪魔出た。」
赤子 羽風は遺言を書きなおしました。
「復活の時を待て(ばぶう)」
*62 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:54:58
占い判定は優奈のセンスに任せていいと思っているが、なにか相談したいことがあったら言ってくれ。実際に占ってもらいたい先は僕も考えよう。
*63 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:56:17
全員騙る役職は決めておいてもらえると助かる
その方が動きもよくなるだろうし
それだけ決めといて貰えば後は勝手に対応する
*64 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:56:39
承知した。
*65 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:57:02
今のところは役職不審の要を調べておく予定
1078 ツンデレ 弥生 2018/12/13 00:57:46
ただいまー
#今北産業
*66 ウェイトレス 南 2018/12/13 00:58:05
https://wikiwiki.jp...
これちょっと古いんだよなあ。
1079 ツンデレ 弥生 2018/12/13 00:58:06
よし!何事もないな!
1080 絵本作家 塗絵 2018/12/13 00:59:03
>>1078
▼は概ね決まった
弥勒菩薩に慈悲を請え
生きたい、と。
*67 おしゃま 優奈 2018/12/13 00:59:19
>>*66 1世代前のものだね
説明書引くのは苦手?
研修医 忍は遺言を書きなおしました。
「誰だ狼男入れたの。」
1081 番長 露瓶 2018/12/13 01:00:15
よし、弥生に変えた
番長 露瓶 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
警察官 晋護は遺言を処分しました。
1082 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:00:38
>>1080
い゛ぎだい゛!!!!!!!!!!!
1083 おしゃま 優奈 2018/12/13 01:01:03
弥生吊ろうか
1084 警察官 晋護 2018/12/13 01:01:05
それでは(永遠に)おやすみなさい🌙
*68 研修医 忍 2018/12/13 01:01:08
了解。考えておきます。
+86 学生 昌義 2018/12/13 01:01:56
死にそうな狼が生存欲出して仲間死んだらギャグだぞ
1085 警察官 晋護 2018/12/13 01:02:08
遺言処分したが処刑死だと表示されないんだっけか
1086 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:02:11
ああいいさ、吊ればいいさ
そのかわり聖人の理性も一緒に連れて行くぞ!
おしゃま 優奈 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1087 警察官 晋護 2018/12/13 01:02:37
..?!
1088 おしゃま 優奈 2018/12/13 01:02:50
>>1086 微妙な捨て台詞やめて!!
1089 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:04:02
君たちに味方は居ない!
墓場で君たちが誰が狼なのか狂人なのかわからぬままうろたえるがよい!
1090 警察官 晋護 2018/12/13 01:04:05
じゃあ今遺言を残そうか。

やっぱやめた。
*69 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:05:07
頑張って説明者を引こう。
1091 警察官 晋護 2018/12/13 01:05:10
我々は助からない運命なんです弥生さん...
地獄でまた会いましょう。
*70 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:05:45
おう、出来れば警察官が吊られてから、開き直った欲しかったのだが。
*71 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:06:21
>>*70
あ、そうなのかすまんかった
1092 修道女 クリスタ 2018/12/13 01:06:29
弥生吊りで良さそうね
1093 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:06:48
>>1091
一気に狼が二人減るのはきついよな
1094 おしゃま 優奈 2018/12/13 01:06:55
>>1091 なんかドラマの1シーンみたい
あなたはどういう立場なんだ
*72 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:07:05
困ったな。
*73 おしゃま 優奈 2018/12/13 01:07:09
>>*71 十分十分
*74 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:08:01
まあ警察官も吊れるように祈ろう。
1095 警察官 晋護 2018/12/13 01:08:53
>>1093
おおかみあつかいしないでください(泣)
>>1094
てきとうにいったのでわかりま仙人
1096 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:12:00
もうやけくそなので、投票先で狼を教えます!
みなさん、注目してください!
ツンデレ 弥生 が 小学生 朝陽 に投票しました。
1097 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:20:37
なるほど。弥生さんに変更しますー。
ウェイトレス 南 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1098 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:23:36
覚悟の上だったって感じですね。狼達には、しっかりとした道筋を示す人が要るってことでしょうかー。
1099 おしゃま 優奈 2018/12/13 01:27:42
これで狂人ならかなり有能だけど
1100 ニート 欧司 2018/12/13 01:28:13
どうなんですかねー。
1101 修道女 クリスタ 2018/12/13 01:31:23
投票されて得する人外の可能性もあるがまぁ
1102 研修医 忍 2018/12/13 01:32:57
ゲーム消化してた間に来てた。うん吊ろう。
弥生投票でおやすみなさい。
研修医 忍 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
*75 研修医 忍 2018/12/13 01:34:51
逆に騙って欲しい役職とかあったら言って下さいね。ではおやすみなさい。
1103 ニート 欧司 2018/12/13 01:35:00
しゃーってやってピッだとちょうどツンデレさんになったんでそれでいいかなぁ。
ニート 欧司 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
*76 おしゃま 優奈 2018/12/13 01:38:34
私が一匹狼とか殺人鬼とかに襲撃されたら後は頑張ってね!!
1104 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:39:06
>>1101
まあそういうはた迷惑なのが入っていたら仕方ないですね……。
続さんの死亡と合わせて考えると素直に狼グループの作戦のような気がします。
*77 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:39:38
その時は紅さんに一生頑張ってもらおう。
1105 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:40:45
あ、まって、やっぱり生きたい
死にたくない
なんのために生まれてなにをして 生きるのかこたえられないなんてそんなのは いやだ!
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅村役職→小百合
霊媒:昌義村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
おしゃま 優奈 は 囚人 要 の役職を調べます。
1106 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:41:16
>>1105
何をしてくれますか?
1107 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:42:23
>>1106
私を生かしてくれたら、アマギフ1000円分差し上げます!
1108 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:43:40
>>1107
先払いでお願いしますねー。
*78 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:44:23
騙るのが楽そうなのを並べていくぞ。
*79 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:44:53
いばら姫(茨)【村人陣営】
あなたは眠れる森の美女。眠り姫。
幼き頃に呪いと魔法をかけられたあなたは死にはせず深い眠りにつくことになります。
しかし目覚めなければ死んでいるのと同然。あなたが目が覚めるのには不思議な力を持った占い師の力が必要でしょう。
死んだように眠っているあなたを占うことであなたは一度だけ蘇ることができます。
あなたが死んでいたとしても占い師は死んでいるあなたを占うことができるはずです。
※この役職が編成に含まれると強制的に墓下公開オフになります。
*80 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:45:15
灰かぶり(灰)【村人陣営】
あなたは憐れな灰かぶり。
そんな苦難の日々を過ごしているあなたにも転機が訪れます。
あなたは不可思議な力を持った占い師に占われると不思議なことに別の役職になってしまいます。
但しその役職は村人だとは限りません。しかしあなたの新たな人生に幸あらんことを!
1109 修道女 クリスタ 2018/12/13 01:45:30
アマギフだとスロット回せないんだよなあ
1110 ツンデレ 弥生 2018/12/13 01:46:10
>>1109
わかった、三重のオールナイトでとっておきの店教えてやる!
*81 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:46:37

白雪姫(檎)【村人陣営】
あなたはこの世で一番美しい白雪姫。
あなたは幸運の星の下に生まれたのか死にはせず深い眠りにつくことになります。
しかし目覚めなければ死んでいるのと同然。あなたが目が覚めるのには勇敢な狩人の力が必要でしょう。
死んだように眠っているあなたに近づき護衛することであなたは一度だけ蘇ることができます。
あなたが死んでいたとしても狩人は死んでいるあなたを護衛ができるはずです。
※この役職が編成に含まれると強制的に墓下公開オフになります
*82 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:48:01

仙狸(山)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:×][狼:×][妖:×][呪:×]
終了判定では人狼にも人間にも数えません。
人狼が仙狸襲撃に成功すると人狼陣営以外から一人、人狼以外が仙狸襲撃に成功すると襲撃した役職の陣営以外から一人、ランダムで蘇生します。
仙狸が処刑されると、村人陣営以外からランダムで1人が次の日の朝に蘇生されます。(ダミー以外)
該当する死者がいない場合は何も起こりません。ダミーがこの役職になった場合も何も起こりません。
この役職が編成に含まれると強制的に墓下公開オフになります。
*83 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:49:21

蓑亀(亀)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:×][狼:×][妖:×][呪:×]
終了判定では人狼にも人間にも数えません。
襲撃で死にません。ただし4日目までの投票が数に含まれません。(0票扱い)
5日目以降は通常通り1票入ります。
※この役職が編成に含まれると強制的に票数公開オフになります。
*84 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:52:56
優奈が長生きしたときの事を考えると占いで蘇生系はやめとくか。
*85 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:53:33

巫女(巫)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
犠牲になった人物が人間であったか人狼であったかを神託によって知ることができます。
神託の判定は霊能者と同じです。
*86 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:54:15
神官(官)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
巫女系です。
犠牲になった者が狂人かどうか判明します。
気占師、導師と同様に狂人役職もしくは発狂した者には異常と表示されます。
1111 修道女 クリスタ 2018/12/13 01:55:45
交渉は成立ですね
*87 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:56:08
鬼女(嫉)【村人陣営】
恋人/復讐者陣営に対して投票した場合のみ投票数が二票入ります。
※この役職が編成に含まれると強制的に票数公開オフになります。
*88 ウェイトレス 南 2018/12/13 01:56:52
鬼女ええな。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*89 ウェイトレス 南 2018/12/13 02:06:47
麻耶に投票指定された人は、灰かぶりCOがいいのかな〜。
1112 囚人 要 2018/12/13 02:07:01
お前じゃアンパンマンになれない……。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*90 ウェイトレス 南 2018/12/13 02:10:00
不審者(不)【村人陣営】
占い、霊能共に人狼判定が出る村人です。
自覚がなく自分自身では単なる村人だと表示されます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
1113 ツンデレ 弥生 2018/12/13 02:23:20
>>1111
私が明日いきていることが条件だからな?
頑張ってみんな説得してくれ
1114 ツンデレ 弥生 2018/12/13 02:24:14
>>1112
愛と勇気が友達なら誰でもアンパンマンになれるってお母さんが言っていた!
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


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 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1115 修道女 クリスタ 2018/12/13 02:33:24
この状況で説得して弥生さん生かすとか無理じゃない?
1116 修道女 クリスタ 2018/12/13 02:33:57
じゃあ明日弥生が生きてたらシャッフルを使うか
1117 囚人 要 2018/12/13 02:34:08
>>1114
お前には赤い仲間が居るから無理。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1118 ツンデレ 弥生 2018/12/13 02:38:14
>>1115
絆6だぞ!いいのか?
1119 ツンデレ 弥生 2018/12/13 02:39:14
>>1117
赤い仲間はみんな私を見放した
このデコ助野郎って罵られてる
*91 ウェイトレス 南 2018/12/13 02:40:31
>>1119
ごめんて
*92 ツンデレ 弥生 2018/12/13 02:41:44
>>*91
いや、本気にしないでよう
吊られるの覚悟で投票したんだから
あとは君たちにまかした。頑張ってくれ
*93 ウェイトレス 南 2018/12/13 02:46:29
本気で謝ったつもりじゃなかった!酷
大丈夫
*94 ウェイトレス 南 2018/12/13 02:48:07
妖狼もいないし陣営変化もいなさそう。
気にしている余裕がないとも言えるが。
生きるしかない。
1120 ウェイトレス 南 2018/12/13 02:48:56
>>1119
かわいそう……。
ウェイトレス 南は、ツンデレ 弥生のおでこをおしぼりで拭いてあげた。 2018/12/13 02:49:32
ツンデレ 弥生のおでこから滅びの光が迸る。終わりの始まりだ。絶望せよ 2018/12/13 02:51:48
1121 ニート 欧司 2018/12/13 02:51:55
>>1119
ニートは貴方の味方です。
青窓で沢山の告発をお待ちしております。
ウェイトレス 南は、目が、目があ〜〜。 2018/12/13 02:52:50
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
1122 囚人 要 2018/12/13 02:55:16
俺のように、愛と勇気 だけ が友達になってからアンパンマンを目指しなさい。
1123 囚人 要 2018/12/13 02:55:30
大丈夫、君なら来世できっとやれる。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1124 ツンデレ 弥生 2018/12/13 03:01:12
>>1121
ニートに味方になってもなぁ…
スマブラ一緒にやるぐらいしか出来ねえよ
1125 ツンデレ 弥生 2018/12/13 03:01:41
>>1122
( ;∀;)
+87 ニート 欧司 2018/12/13 04:08:00
長い1日になりそう・・・
*95 外来 真子 2018/12/13 04:25:28
寝てました。軽く流れは把握。

自分は現在村人表記で役に立たない何かなのかな?
見たいなのやる気でした。
総統閣下周りで自覚のない人狼猫とか、夢遊病者とか。
*96 研修医 忍 2018/12/13 04:26:41
起きたけどめむい。代々木さんはいろいろありがとうございます
*97 外来 真子 2018/12/13 04:27:52
まぁ朝に反応、投票をしますね。

>>*92
ありがとうございます。頑張ります。
*98 研修医 忍 2018/12/13 04:46:47
霊能系。気占、暗殺者、狛犬、羊飼い辺りかんがえてます。
ネタなら中身占いしと狼男かな。
*99 研修医 忍 2018/12/13 04:52:27

ですね
張りましょうしょう、。
1126 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:12:34
弥生さん狼かと思ってたけど、裏切者もアリか。
1127 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:16:11
弥生さんに変えよう。
1128 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:16:11
弥生さんに変えよう。
お忍び ヴィクトリア が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1129 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:22:44
吊られる動きが完璧で、咎人や囚人もありか。
1130 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:24:37
>>1101 何があるかな。
お忍び ヴィクトリア が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1131 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:30:47
吊りだと遺言が出ないと気づきつつ、表でも言わないという晋護さんもなんというかこうアレだが。
令嬢 御影は遺言を書きなおしました。
「【狩人CO】
3日目
生命維持装置 続 を護衛

4日目
し、死んでる……刻狼?
とりあえず優奈護衛

1132 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:32:51
塗絵さんは今でも要さんを桜と考えているのだろうか。
1133 番長 露瓶 2018/12/13 05:36:55
時間あるみたいだし、あとは手相占いに投票する人を決めておくくらいか?
摩耶の指定だったっけ
1134 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:37:04
要さんの発言やっぱり面白いな。
あ、ヒソカ過去編もすごい面白かったです。感謝です。
村側アピがいつになく激しい。
桜なら摩耶さん検証村に来ないのではと思うし、白では。

と思っているのだが。
1135 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:38:20
1136 番長 露瓶 2018/12/13 05:39:15
>>1135
ああ、それは把握してる
次の投票でって意味だった
1137 番長 露瓶 2018/12/13 05:40:16
まぁ指定なら別に話し合う必要もないのか
お忍び ヴィクトリア が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1138 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:42:32
手相占い師投票組を話すのも考察材料になるかも。
どんどんアイデアを出そう。
1139 番長 露瓶 2018/12/13 05:44:12
おけー
あんまり多すぎても吊られてしまうかもしれないから駄目なんだよな
何人くらいがいいんだろう
1140 番長 露瓶 2018/12/13 05:45:04
とりあえずクリスタ希望
1141 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:45:46
10人だと不安になるから5人くらいなのかな。
もっと攻めるべき?
1142 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:46:11
クリスタさん好きやね。
1143 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:47:25
ここが狼だったら怖いなってところだと南さんか。
1144 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:48:28
>>1098 この発想だと原住民人外強い組?
1145 番長 露瓶 2018/12/13 05:48:31
つくねは除外していいか
ダーヴィドは…賢者逆呪殺の件が完全に晴れたって感じではないから除外しておいた方がいいんだろうか
しかしコンピュータのダーヴィド〇を信じて逆呪殺否定は信じないというのも一貫性がない気もするし
まぁダーヴィドも除外しておいた方が無難か
1146 ニート 欧司 2018/12/13 05:49:40
私も占われたい・・・
1147 番長 露瓶 2018/12/13 05:49:49
>>1142
シャッフルしてくれないからな…
だから偽目強いんじゃないかと
1148 ニート 欧司 2018/12/13 05:49:55
コンピュータの手相とは?
1149 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:50:44
ダーヴィドも追試の意味でありな気がする。
1150 ニート 欧司 2018/12/13 05:50:47
処刑されていると占えない。
死んでるコンピュータはダメですかねぇ?
1151 番長 露瓶 2018/12/13 05:51:05
ユーザーインターフェースの使いやすさ?
1152 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:52:00
>>1147 人だと思うけど、手品師ではないかも。
1153 番長 露瓶 2018/12/13 05:52:41
追試なー
アリではあるけど、って感じであんまり気は進まない
1154 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:53:44
>>1148 興味はあるが、うっかり摩耶さん死ぬとやだから、欧司さんには普通の投票をしてもらいたい。
1155 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:55:32
村に味方するコンピュータなら不穏な動きを避けるだろうから、悲しいけど敵性なのかな。。
1156 番長 露瓶 2018/12/13 05:56:53
他は誰かな
セオリー的には多弁に占い当てるイメージだが
1157 ニート 欧司 2018/12/13 05:57:01
>>1154
ま、しゃーないですね・・・
1158 番長 露瓶 2018/12/13 05:57:45
>>1155
敵だったらダーヴィド追試は危ない…
1159 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:57:53
殺人っぽいところを入れたいが候補はよく分からない。
1160 ニート 欧司 2018/12/13 05:58:25
>>1155
むしろ敵対していたら不穏な動き避けます。
しゃーってやって敵対バレとか無能にもほどが・・・
1161 番長 露瓶 2018/12/13 05:59:22
まぁ誰かが言ってた気もするが、手相占い自身が陣営変化してたらどうしようもないな
1162 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 05:59:45
>>1158 ん、敵性コンピュータかもだから追試を考えてたけど、ダーヴィドさんで逆呪だったら摩耶さん死ぬのか。

ダーヴィドさんなしのが安全ね。
1163 番長 露瓶 2018/12/13 06:01:04
殺人鬼か
占い邪魔になるんだったな
賢者も聖人も普通にできてるから邪魔系いないっぽいし、邪魔判定でたら一発で分かるわけね
1164 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:01:28
>>1160 それもそうなのだが。
ネタを織り混ぜて不自然さを隠そうとしてるのかと。
1165 番長 露瓶 2018/12/13 06:02:05
いや、賢者が占いできてるっていうのもコンピュータ情報か…
1166 番長 露瓶 2018/12/13 06:03:17
コンピュータ、最初に説明見た時は面白い役職だと思ってたが、こうやって実際にいると結構めんどくさいな…
1167 ニート 欧司 2018/12/13 06:03:46
シンジテ シンジテ・・・
1168 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:04:08
かっこよかった骸がそうだったように途中までは信じてもらうべく動くほうがいいか。
欧司さんは頑張れる人だし。
1169 番長 露瓶 2018/12/13 06:05:14
狼男COはまだ許されてないけどな
1170 ニート 欧司 2018/12/13 06:05:17
てか、味方証明不可能役職ですしねぇ。
言いたいことは8時以降に言います。
1171 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:05:40
>>1167 。。。
1172 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:06:41
墓でいい推理があれば教えて欲しいです。
1173 ニート 欧司 2018/12/13 06:06:43
まだ仕事中でなぁ・・・
1174 番長 露瓶 2018/12/13 06:07:23
それはおつかれさまだ…
1175 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:07:26
あのバニーが喋ってないわけがない。
まともかどうかはわからないが。
1176 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:07:43
お疲れ様です。。
1177 宇宙飛行士 星児 2018/12/13 06:09:28
>>765
ドワーフは本気で真だと思ってた。
>>812
で、黒出た訳だけど昌義人外は変わらないから触れなかった。自己完結してた。
1178 宇宙飛行士 星児 2018/12/13 06:10:43
>>1177
多分コンピュータ通信が無ければ今も昌義ドワーフで考えてたよ。
+88 バニー 結良 2018/12/13 06:13:41
昨晩は忘年会で携帯を暇そうにいじる仕事で忙しかった
1179 番長 露瓶 2018/12/13 06:18:04
優奈が紅を調査した理由を言っていないのが少し引っかかった
襲撃数とかの他の事に目が向いてしまっただけかもしれないが、昌義の時はすぐに言ってたからな
1180 修道女 クリスタ 2018/12/13 06:18:51
>>1130
真っ先に思いつくのは詐欺師
後は羅刹とか女豹とか婆娑羅とかかなあ
-62 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:20:02
弥生、東、御影、晋護
瑠樺、伊澄、小百合、光、南、真子、満彦、ダーヴィド、忍
朝陽、星児、羽風、要、クリスタ、塗絵、岬、霧瓶、つくね、比奈
摩耶、優奈、紅、範男
1181 修道女 クリスタ 2018/12/13 06:21:00
>>1177
いや同じ人外でもドワーフと黒出たのは流石に変わるくない……?
1182 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:21:17
詐欺師(詐)【人狼陣営】
1度だけ能力発動の準備をした次の日の投票時に自身に投票した者全てと絆を結ぶ狂人です。
1183 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:23:07
難しいが強力だな。
吊りをずらせば対応できるが。
1184 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:24:17
羅刹(羅)【復讐者陣営】
あなたはその身を変化させ人を惑わすと言われる羅刹です。
あなたが初めて投票された時に、あなたに投票した者は翌日には惑わされ仇敵になっていることでしょう。
あなた本人は仇敵にはなりません。当然夜の間に死んだ者も仇敵にせず除外されます。
あなたが既に誰かに復讐を誓っている身ならば、新たに敵を作ることはありません。
1185 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 06:25:27
女豹(豹)【恋人陣営】
あなたは女豹のように誘い込む求愛者です。
あなたが初めて投票された時に、あなたに投票した者は翌日には見事に魅了され恋人になっていることでしょう。
あなた本人は恋人にはなりません。当然夜の間に死んだ者も恋人にならず除外されます。
あなたが既に誰かに恋をしている身ならば、新たに恋人を作ることはありません。
1186 番長 露瓶 2018/12/13 06:25:31
>>1182
それ吊られる時でも発動するの?
そうならさすがに強すぎでは
1187 文学部 麻耶 2018/12/13 06:27:16
>>1186 羅刹と女豹は発動しないけど詐欺師は発動する
1188 番長 露瓶 2018/12/13 06:27:19
この辺りどうなんだろう
投票される系は吊られる時でも発動するのか
1189 文学部 麻耶 2018/12/13 06:27:40
バイトも寝過ごしいろんな面で瀕死です
1190 番長 露瓶 2018/12/13 06:27:55
>>1187 ヤバスギィ!!
1191 修道女 クリスタ 2018/12/13 06:28:08
過去ログ見たら発動してるね
処刑された後に後追い起きてる
1192 宇宙飛行士 星児 2018/12/13 06:29:19
>>1181
どうせ人外なんだし狼でもドワーフでも似たようなものだって。
1193 番長 露瓶 2018/12/13 06:33:31
えー、これ弥生吊りでいいの?
とか言ってたら誰も吊れなくなってくるけど…
宇宙飛行士 星児 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1194 番長 露瓶 2018/12/13 06:37:37
次の日の投票時ってことは、これ今日の2回両方に対して発動するんですかね?
番長 露瓶 が 警察官 晋護 に投票しました。
+89 バニー 結良 2018/12/13 06:39:54
一番信用高いやつに投票させて確認したら
+90 ニート 欧司 2018/12/13 06:47:38
>>+89
ワタシの出番か!
+91 バニー 結良 2018/12/13 06:48:40
ニートは人数にカウントされないので意味がない
+92 バニー 結良 2018/12/13 06:49:22
聖人信じるなら紅あたりがちょうどいいんでね
あいつが従うかはわからんけど
+93 ニート 欧司 2018/12/13 06:51:40
なるほど!
1195 文学部 麻耶 2018/12/13 06:51:43
ログ読破
いや、手相占いの検証を元に考えると1回目の処刑で絆はつかないと思う
吊るなら弥生→警官の順だな
1196 番長 露瓶 2018/12/13 06:53:18
なるほど、1回目がボーナス吊りの特別枠か
+94 バニー 結良 2018/12/13 06:53:42
手相占いは処刑されたらダメじゃん
つまり処刑→占い

詐欺師は処刑されてもOK
つまり絆→処刑
番長 露瓶 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
+95 バニー 結良 2018/12/13 06:54:03
なので発動します
1197 ニート 欧司 2018/12/13 06:55:00
墓下の有能っぽい意見
+891 ニート 欧司
一番信用高いやつに投票させて確認したら

+920 バニー 欧司
聖人信じるなら紅あたりがちょうどいいんでね
あいつが従うかはわからんけど
+96 バニー 結良 2018/12/13 06:55:48
ぴょんぴょん
+97 ニート 欧司 2018/12/13 06:56:07
ぴょんぴょん
1198 番長 露瓶 2018/12/13 06:56:37
自分が入ってるの草
+98 ニート 欧司 2018/12/13 06:57:34
>>1198
下のバニーをニートに編集しわすれた・・・
1199 ニート 欧司 2018/12/13 06:58:07
>>1198
下のバニーをニートに編集しわすれた・・・
+99 バニー 結良 2018/12/13 06:58:46
名前は変えたのにね
+100 ニート 欧司 2018/12/13 06:59:34
バニーとニートなんか似ているからしょうがないね・・・
1200 番長 露瓶 2018/12/13 06:59:54
>>1199
自分の手柄にしようとしていた悪いコンピュータだ!
+101 バニー 結良 2018/12/13 07:01:01
証明できるとか言ってたヴィクトリアでもいいぞ
+102 バニー 結良 2018/12/13 07:01:24
自殺系の証明なら道連れにも出来る
1201 ニート 欧司 2018/12/13 07:02:04
証明できるとか言ってたヴィクトリアでもいいぞ
自殺系の証明なら道連れにも出来る
1202 ニート 欧司 2018/12/13 07:02:45
byバニー 結良
1203 番長 露瓶 2018/12/13 07:07:59
ああ、これ絆付くだけで発狂ではないのか
内通者やってたせいで絆=発狂だと勘違いしてた
1204 番長 露瓶 2018/12/13 07:08:42

絆【陣営変化なし】
絆が結ばれています。
どちらか片方が死ぬともう片方も後追いしてしまいます。
陣営は変わらず元のままです。
【後追い表示】をOFFにすると後追い時のメッセージが表示されなくなります。
【共鳴会話】をONにすると共鳴会話を使えるようになります。
1205 文学部 麻耶 2018/12/13 07:10:32
バイト先の店長から怒りの電話が来ると予告が来たので現実逃避のために寝ます
アイドル 岬は遺言を書きなおしました。
「銀狼ぃ〜の襲撃日記

一日目:由良
私念。

二日目?:南
私念。

by岬」
1206 番長 露瓶 2018/12/13 07:11:10
ヒェッ
おつかれさまです…
アイドル 岬は遺言を書きなおしました。
「銀狼ぃ〜の襲撃日記

一日目:由良
私怨。

二日目?:南
私怨。

by岬」
1207 番長 露瓶 2018/12/13 07:13:43
もし絆付いたら白いとこ後追いされるのも勿体ない気はするなー
検証した方が安全か?
人多い時に提案してみるか
+103 アイドル 茜 2018/12/13 07:14:45
お疲れ様☆
+104 アイドル 茜 2018/12/13 07:15:19
あれ、まだ処刑されてないのね☆
1208 ファン 紅 2018/12/13 07:16:57
おはよう。昨晩は来られなくってごめんね。
カメラマン つくねは遺言を処分しました。
カメラマン つくねは遺言を書きました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421

+105 バニー 結良 2018/12/13 07:18:07
お疲れ様ー
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC


1209 番長 露瓶 2018/12/13 07:18:31
詐欺師と決まったわけではないから大げさだろうか…?
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC

http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409

+106 バニー 結良 2018/12/13 07:20:12
まあなんか墓のまさよしくん見た感じ弥生狼っぽく見えるけどね
1210 番長 露瓶 2018/12/13 07:20:17
おはよう
紅だァーッ!!のAAが思い浮かんだ
1211 番長 露瓶 2018/12/13 07:21:01
一瞬ぐぐってきて貼ろうかと思ってしまった
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。
「https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409」
1212 ファン 紅 2018/12/13 07:21:31
99人村終わってる…!あいさつし忘れた!
1213 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:25:11
ねじ天に染まった この俺を
慰めるやつは もういない♪
1214 ファン 紅 2018/12/13 07:25:31
弥生さんが人外COしてるみたいなので投票しておこう。
ファン 紅 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1215 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:26:21
むしゃくしゃしたときに歌うといいですよねー。
おはようございます!
結局吊り順は弥生さん先のほうが安全なんですかね?
1216 ニート 欧司 2018/12/13 07:26:56
もう二度と届かないこーの思い♪
*100 ファン 紅 2018/12/13 07:30:09
騙るの狛犬とかいいかなとか思ったけど。
黒判定出ても優奈さん破綻しないし、CO伏せの理由にもなるし。
*101 ファン 紅 2018/12/13 07:31:04
護衛先は優奈さん鉄板で。
*102 ファン 紅 2018/12/13 07:31:51
でも優奈さん発狂疑惑きてるし微妙なのかな…?
*103 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:32:06
一応優奈さんのオススメがあったようだよ。
撫子だっけな?過去ログ参照。
1217 番長 露瓶 2018/12/13 07:32:26
手相占い検証を元に考えると先吊りの方が安全っぽいねー
1218 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:33:40
おはよう。今日も寒いね〜
1219 文学部 麻耶 2018/12/13 07:34:50
黒幕がいる以上どの陣営も下手な襲撃はできないと思うけど、それは吊りに対しても同じだからね
あんまりゴリゴリ狼削ってたらあとあとそれこそ殺人鬼とかにやられるかも
1220 文学部 麻耶 2018/12/13 07:35:01
>>1218 ごはんください
1221 アイドル 岬 2018/12/13 07:35:24
寝落ちてた。
取り敢えず弥生さんに投票しとくね。
アイドル 岬 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1222 文学部 麻耶 2018/12/13 07:35:39
紅の歌詞がまんま現在の自分で笑い泣きしてる
1223 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:35:57
今日のモーニングセットは、チーズドッグとコールスローに、ホットコーヒーです!温まって下さいねー。
*104 ファン 紅 2018/12/13 07:36:06
ほんとだ。そしたらとりあえず撫子か狛犬あたり騙り予定で行くよ。
1224 文学部 麻耶 2018/12/13 07:36:37
>>1223 コーヒーをココアに変更できませんか
1225 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:37:36
>>1222
お前は走り出す♪
何かに追われるよう〜〜♪
1226 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:37:56
>>1224
できますよー!はいどうぞっ!
*105 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:38:07
ういうい。
カメラマン つくね が ツンデレ 弥生 に投票しました。
-63 アイドル 岬 2018/12/13 07:38:13
1227 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:38:32
>>1220
そうだなぁ今日は寒いから、ごはん、さつまいもとタマネギの味噌汁に湯豆腐、焼き海苔と明太子を用意するね。
1228 文学部 麻耶 2018/12/13 07:39:43
>>1226 >>1227 あーーー和洋で両方とも美味しそう、いただきまーす!
1229 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:39:49
弥生さん人外COしてるの??ちょっとログ見てくるね
1230 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:40:31
伊澄くん、うちのキッチンスタッフになりませんかー?
明るく楽しい職場です!残業代未払い!
+107 バニー 結良 2018/12/13 07:40:58
給料も未払い!
1231 文学部 麻耶 2018/12/13 07:41:04
ブラックやん
アイドル 岬は遺言を書きなおしました。
「銀狼ぃ〜の襲撃日記

一日目:由良
私怨。

二日目?:南
私怨。
>>1073からすると、COする意味の薄いクソ役職or人外っぽい。
クソ役職にしては無防備感が無い。

by岬」
1232 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:41:38
残業代未払い……
1233 文学部 麻耶 2018/12/13 07:41:56
クリスタが引くレベル
1234 番長 露瓶 2018/12/13 07:42:26
かなしいなぁ
おはよう
1235 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:42:35
弥生さんなんてほぼ狼の手の者じゃないかと決めつけていた私ですが……番長さんのオロオロとした態度は、あわよくば弥生さんを延命させようとしてる仲間というよりは、心配性な村に見えますかねー。
番長なんて肩書きなのに、ちょっとかわいいですね!
1236 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:42:46
いえ、残業代未払いに心当たりがあるような気がして
くっ、思い出せない……
1237 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:43:00
>>1232
親近感!?
1238 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:43:28
私は現在無職なので関係ありませんね
1239 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:43:54
今日も比奈からお金借りて甲賀卍谷にいくぞ〜
1240 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:44:34
>>1230
残業代は出して欲しいなぁ
1241 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:46:02
前に東くんが、キッチンスタッフにお前らは料理作ってるだけだから楽だよなーみたいな事言って、殴り合いになってたことがありますー。お互いの仕事を尊重することが、大事なんですねー!
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。
「https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
https://www.kewpie.co.jp/recipes/QP10002304
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409」
1242 外来 真子 2018/12/13 07:46:45
おはようございます。寒い。

またログがうず高く…。とりあえず見てきます。
1243 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:47:25
>>1240
払われない分は、自らのスキルアップ!未来への投資とお考え下さいー!
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
http://www.ntv.co.jp/3min/sp/recipe/20180626.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409
1244 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:48:08
東くん、よくクビにならないな
1245 番長 露瓶 2018/12/13 07:48:15
>>1235
昨今の番長はコミュ力の塊だからな!
アルカナを育てているんだ
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
https://www.kewpie.co.jp/recipes/QP10002304
http://www.ntv.co.jp/3min/sp/recipe/20180626.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409
-64 外来 真子 2018/12/13 07:48:56
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
http://www.ntv.co.jp/3min/sp/recipe/20180626.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409
-65 カメラマン つくね 2018/12/13 07:49:33
しつこいな。削ろ
1246 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:49:36
>>1244
ほんと、信じられませんー!勝手な男です!!
1247 番長 露瓶 2018/12/13 07:49:48
真子って外来っていうより完全に入院してるように見えるんだが
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409
-66 カメラマン つくね 2018/12/13 07:50:06
これで
1248 番長 露瓶 2018/12/13 07:50:36
東くんそんなヤバい人だったのか
1249 ウェイトレス 南 2018/12/13 07:50:50
>>1245
ごめん、よく考えたら大した村要素でもないかなと思っちゃいました、でも番長さんは好き!頑張ってくださいー!
1250 カメラマン つくね 2018/12/13 07:51:26
おっはよーさん。弥生さん回りで動きありっぽいな。
とりま、投票変えた。読んでくるっす。
1251 外来 真子 2018/12/13 07:52:12
>>1247
服が私服ですもんね。
外来受付じゃなく、外来に来た人じゃないでしょうかね。

ごほんごほん
1252 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:53:04
見てきたよ。うん。これは弥生さん投票で良さそうだね
教育学部 伊澄 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1253 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:54:13
弥生さんが人外なのは間違いないが、問題は中身がなにかっていう話
教育学部 伊澄は遺言を書きなおしました。
「生まれ変わったらパン屋さんになりたいなぁ」
1254 番長 露瓶 2018/12/13 07:54:16
>>1249
まぁこれだけで判断されるのもあれだしな
うちの村のために頑張ってるぜ!
1255 外来 真子 2018/12/13 07:54:32
まだ読み中ですが、弥生さん投票でいいのかな?
とりあえずセットしときますね。
外来 真子 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1256 番長 露瓶 2018/12/13 07:54:54
>>1251 (パジャマに見えてた…)
1257 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:55:39
番長はクリスタさん吊りたそうにしててコイツ人外だろと思っていたが、あまりにもクリスタクリスタ言うので一周回って村なんじゃないかと思い始めた
1258 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:55:49
人が道連れで、狼がわかる役職って何だろう
1259 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:55:51
シャッフルはしないけどな
1260 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:56:42
>>1258
そんな役職思いつかないけど、適当言ってるだけだと思うから真に受けない方がいいと思う
1261 番長 露瓶 2018/12/13 07:56:50
>>1259
シャッフルしない手品師は人外!
1262 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:57:59
>>1261
そんなこと言っていいの?
シャッフルボタン持ったまま死ぬよ?
1263 令嬢 御影 2018/12/13 07:58:03
マスク忘れたので電車で息を止めてる
1264 教育学部 伊澄 2018/12/13 07:58:43
>>1260
あれって適当に言ってたんだね。そう言う役職が無いなら尚更弥生さん吊りに賛成
1265 番長 露瓶 2018/12/13 07:58:58
そんなにクリスタクリスタ言ってたつもりはないんだけどな
1266 修道女 クリスタ 2018/12/13 07:59:14
電車内に花粉でも撒かれてるの?
1267 番長 露瓶 2018/12/13 07:59:49
>>1262
手品師希望した人の気持ちを考えてさしあげろ
いるのかは知らないが
1268 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:00:08
ヴィクトリアにもクリスタさん好きやねって言われてたやないか
+108 バニー 結良 2018/12/13 08:00:17
腋臭
1269 番長 露瓶 2018/12/13 08:01:24
手相占いで白出たら疑いが晴れるから良かれと思って言ってたんやで(大嘘
+109 学生 昌義 2018/12/13 08:01:53
墓から護衛出来ねーかなー
1270 番長 露瓶 2018/12/13 08:02:32
まぁ実際白出てくれた方が変な引っかかりなくなって良いとは思う
+110 バニー 結良 2018/12/13 08:02:42
生き返らせてもらってね
1271 学生 比奈 2018/12/13 08:03:38
一昨日寝れなかった反動で爆睡してた申し訳ない。
1272 御曹司 満彦 2018/12/13 08:03:41
寝てましたᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ
投票ぽちー。
御曹司 満彦 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
+111 アイドル 茜 2018/12/13 08:04:10
まさか序盤に死ぬとは思わなくて遺言残してないわ☆
1273 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:04:26
我に占いなど必要あらぬ
+112 アイドル 茜 2018/12/13 08:04:35
まあこの感じなら12月中には終わりそうかしらね?☆
1274 教育学部 伊澄 2018/12/13 08:05:04
昨日も疑ってた宇宙飛行士さんを見てきたけど>>1192 これは…狼にもドワーフにも興味ないのかな…?なんか、こう村陣営じゃなくて所謂第三陣営っぽか見えるかな
1275 御曹司 満彦 2018/12/13 08:05:13
早く手品みせーて。
1276 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:06:05
体の一部を大きくする手品やります
1277 教育学部 伊澄 2018/12/13 08:06:10
あ、もう少しでコミット完成しそうだね
+113 バニー 結良 2018/12/13 08:08:50
38時間起きてたけど10時間寝たから大丈夫みたいな生活してるやつがいますね
1278 令嬢 御影 2018/12/13 08:08:57
ダーヴィドに入れたままなんだが
+114 バニー 結良 2018/12/13 08:09:27
アイドル仲間の犯行かしら
令嬢 御影 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1279 令嬢 御影 2018/12/13 08:10:05
弥生に入れたらいいのか
キャバ嬢 瑠樺 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1280 教育学部 伊澄 2018/12/13 08:13:49
第三陣営って狐とかそう言うのも含むんだっけ
1281 カメラマン つくね 2018/12/13 08:13:57
紅さんが適当に言ってそうなことはわかったけど、結局紅さんが何故あんな投票したのかわからずしまい?
/16 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 08:15:42
おはよーんねむねむ
/17 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 08:16:03
弥生に入れたど
1282 ウェイトレス 南 2018/12/13 08:17:18
>>1281
弥生さんの間違いです?
1283 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 08:18:09
夜明け後に村側っぽいCOがいくつが出てて、
村側いけんじゃね?って一瞬思ったけど、
説明書をよく読んで騙ってる人いるのかなどうかな
1284 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 08:18:40
▼弥生にしたょ
1285 赤子 羽風 2018/12/13 08:18:42
あーよく寝た
キャバ嬢 瑠樺は、赤子 羽風を高い高〜い 2018/12/13 08:20:17
1286 令嬢 御影 2018/12/13 08:20:53
堅苦しい喋り方をする令嬢RPをしているが、素にしかみえんな
1287 赤子 羽風 2018/12/13 08:21:11
きゃっきゃっ
1288 カメラマン つくね 2018/12/13 08:21:42
>>1282 ……はい……顔と名前が全然一致しない……
1289 カメラマン つくね 2018/12/13 08:22:53
とりあえず弥生さんは非狼かなと。
狼なら>>1093は言わないっすよね
/18 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 08:23:27
せっかく証明可能なんだから変な発言して疑いを集めたりまとめたりした方がいいのかなって思うけど、やりません!ごめんなさい。
1290 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:23:59
>>1286
それRPだったんだ……
-67 教育学部 伊澄 2018/12/13 08:25:11
寒いなぁ
キャバ嬢 瑠樺は遺言を書きました。
「共命者です。
絆は小百合さんと結ばれましたぁ☆
キャッキャウフフの女子会窓楽しかったよ♡」
/19 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 08:26:37
遺言は書いておきました。念のため♪
悪戯好き ダーヴィド が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1291 囚人 要 2018/12/13 08:27:53
俺も囚人RPだって気付いて貰えたかな?
こんなに殺​す殺​すいつも言わないよ。
+115 バニー 結良 2018/12/13 08:29:33
おっそうだな
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
1292 カメラマン つくね 2018/12/13 08:32:50
やっぱり弥生さんの方が紅さんって顔してるっす
1293 外来 真子 2018/12/13 08:33:10
>>490の動画見て爆笑してますw
要さんありがとう。

弥生さん周りのやばい能力持ちだったら怖い〜は>>1193に同意ですかね、それだと何もできない。
あと1日目なら防げるなら(能力発動が夜明けだから?って認識)一先ず弥生さん吊、というのはいいのでは。
ミスったとかの発言もないし何かしら意図があったのでしょうし。(諦めがあるのかもしれないが)
1294 学生 比奈 2018/12/13 08:34:22
早寝したから読むのめんどかった。
投票してやる.....。
学生 比奈 は 囚人 要 の中身を占います。
学生 比奈 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
-68 学生 比奈 2018/12/13 08:35:39
発狂たのまい!
学生 比奈は遺言を書きなおしました。
「中身占い師。

修道女 クリスタ:一真さん
小学生 朝陽:からけさん」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
1295 外来 真子 2018/12/13 08:36:23
俺がパン屋だ!(錯乱
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1296 ニート 欧司 2018/12/13 08:36:45
コンピュータなので完全な証明は出来ないですが、一応。
敵対?なら幽霊騙って優奈さん破綻破綻破綻って騒いでいます。多分。
そのくらいかなぁ、友人アピ。
後は、目をつけられるような事はしないかなぁ。
1297 ウェイトレス 南 2018/12/13 08:37:03
>>1286
中の人をRPしてるんですねー!

>>1291
そんなことばっかり言ってたら、出所できませんよー。
1298 囚人 要 2018/12/13 08:37:06
その外来 マコアイコン、違うセットでも見た記憶あるな。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
ウェイトレス 南 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1299 ウェイトレス 南 2018/12/13 08:38:18
ニートさんは、狂ってないといいですねぇ。
1300 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:38:48
このマコはカテドラルのマコと同じマコかなたぶん
1301 囚人 要 2018/12/13 08:39:04
CPUが狂っていたら、素直に霊界の結果を伝えないと思うが。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1302 絵本作家 塗絵 2018/12/13 08:39:24
僕は完璧で幸福だよ
1303 ニート 欧司 2018/12/13 08:39:26
投票はなぁ、自分でもシャーってやってピってやるかもしれんなぁと思うけどどうだろうなぁ。怖いからやらないと思う。
1304 ウェイトレス 南 2018/12/13 08:40:17
ジェラール君とかも居たような気がしますね。
1305 外来 真子 2018/12/13 08:40:23
>>1298
結構他のセットと同じキャラの人いますよね。

優奈さんとかこの前のユーナさんと同じですし。(ですよね?)

絵師さん同士のコラボかな。
1306 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:40:35
そもそもコンピュータが敵だってバレて困ることあるんだろうか
1307 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:41:19
優奈もカテドラルのユーナと一緒のはず
1308 外来 真子 2018/12/13 08:41:30

被験者 マコ

なにか闇を感じる
1309 学生 比奈 2018/12/13 08:42:06
最近寒すぎ...。
1310 ウェイター 東 2018/12/13 08:45:11
弥生さん、結婚しよう
1311 ニート 欧司 2018/12/13 08:46:01
>>1306
味方なのに誤解で生命維持装置さんの判定とかが伝わらないのは悪いなぁと。
1312 ニート 欧司 2018/12/13 08:46:43
>>1310
ヒェッ。
1313 ニート 欧司 2018/12/13 08:46:43
>>1310
ヒェッ。
1314 絵本作家 塗絵 2018/12/13 08:47:47
毒は最後に一刺しで良い

んだっけ
1315 カメラマン つくね 2018/12/13 08:49:03
>>1314 逆に言えば途中まては毒じゃねーっすね!
1316 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:49:11
幽霊じゃなくてちゃんとコンピュータでCOした辺り、信用していいと思ったんだが安直かな
*106 ウェイトレス 南 2018/12/13 08:49:30
ま、どう見ても友好コンピュータだよなぁ。
邪魔だなあ……。
1317 カメラマン つくね 2018/12/13 08:49:31
>>1285 パイセン!今朝のお食事ははぐくみ?すこやか?
1318 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:49:41
まぁコンピュータの判定は一応鵜呑みにはしていないが
*107 外来 真子 2018/12/13 08:51:08
邪魔ですがどうにも出来ないですねぇ。
村から骸狼を見てる気分。

まぁ判定鵜呑みにしない、で対応するしか。
1319 カメラマン つくね 2018/12/13 08:51:27
どっちにせよこれまでの結果は真ぽいし、敵対コンピューターならもっと敵対敵対して遊ぶんじゃね?みたいな感じっす!
1320 ニート 欧司 2018/12/13 08:51:52
>>1314
そもそも墓情報シャットアウトの方が強くないですかね?
バニーさんみたいに勝負の勘所がわかれば一撃でいいんでしょうけど・・・
*108 ウェイトレス 南 2018/12/13 08:53:13
諸行無常の響きあり。
1321 修道女 クリスタ 2018/12/13 08:54:10
狼男を騙ったのは許していない
1322 カメラマン つくね 2018/12/13 08:54:30
弥生さんはなんか投票に理由がある第三陣営っすかね
+116 バニー 結良 2018/12/13 08:54:46
とんだ納豆ですね
1323 外来 真子 2018/12/13 08:56:09
>>1307あ、追認ありがとうございます。ですよね。

コンピュータさんは一応鵜呑みにせず、違和感感じたら疑う感じで。
違和感はまぁセンサーにお任せる。
1324 ニート 欧司 2018/12/13 08:59:40
>>1321
狼男の力が必要だったのだ・・・
窓があればヒャッハー出来るのだ・・・
1325 赤子 羽風 2018/12/13 09:03:39
>>1317
母乳
1326 カメラマン つくね 2018/12/13 09:04:03
ウェイターさんは投票無しで去っていってしまったのか
-69 番長 露瓶 2018/12/13 09:04:19
まぁこれで吹き飛んでも仕方ないか
1327 カメラマン つくね 2018/12/13 09:05:36
>>1325 だ、だれのパイ乙に吸いつくんだ
*109 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:07:50
僕を占いたいとか言ってるヤツがたまにいるので、灰かぶりのつもりで生きていくことにする。
-70 ウェイター 東 2018/12/13 09:08:18
弥生ちゃんの吊られ際の美しさときたら、もう!
生への未練、執着っぷりもさることながら、プライドを一切捨てておねだりする弥生劇場を見て、やべえ、惚れてしまったわ。

人は吊られる時が最も美しいと言われるが、彼女は一級品だね。面白いさも含めて。
つ、吊りたくねーなぁ
*110 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:09:55
この上窓覗かれてたらもうどうしようもないので僕は隠さなくいいかな。服部と木戸はバレてないかもしれんが。
1328 文学部 麻耶 2018/12/13 09:13:29
>>1291 禁則になってない……!?
1329 ウェイター 東 2018/12/13 09:15:06
弥生ちゃんの吊られ際の美しさときたら、もう!
生への未練、執着っぷりもさることながら、プライドを捨ててがむしゃらにおねだりする弥生劇場をみて、やべえ、惚れてしまったわ。

人は吊られる時が最も美しいと学校で教えてもろうたけど、彼女は一級品やね。面白さも含めて、わいの背徳の女神。
つ、吊りたくねーなぁ。
1330 令嬢 御影 2018/12/13 09:15:40
>>1297
中の人はこんな堅苦しい喋り方はしないぞ
1331 ニット帽 光 2018/12/13 09:15:55
>>1328
例の文字コード突っ込む裏ワザか
1332 ニート 欧司 2018/12/13 09:16:23
>>1329
弥生さんの仲間・・・?
1333 令嬢 御影 2018/12/13 09:16:47

俺も囚人RPだって気付いて貰えたかな?
こんなに殺​す殺​すいつも言わないよ。
*111 外来 真子 2018/12/13 09:17:06
まぁ今のところほぼ見られてはいないとは感じています。
視線的に。

村人表記の不審者か夢遊病者辺りですかね。夢遊病者はいますしね。
もし占いされて黒出たら不審者、占われないなら夢遊病者のつもりで行きます。
1334 令嬢 御影 2018/12/13 09:17:10
コピペでも禁則にならないのか
1335 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:17:59
ねじ天裏ルールの一つ
*112 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:18:07
これ以上占い師はいないと思いたいが。
1336 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:19:38
この裏技は99人村で発見されたが、当然御影さんもご存知ですよね
*113 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:19:59
麻耶に指定されないように祈ろう。
*114 外来 真子 2018/12/13 09:20:02
ですねぇ。

ではまたしばらく消えます。次来るときにはまた進んでそうですね。
*115 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:22:08
白判定をどんどん始末していってもらわないとつらいものがあるなー。なんでバニーとか食ってんだ殺人鬼ィ。銀狼かもしれんけど。
1337 カメラマン つくね 2018/12/13 09:22:09
東さんのこれはなんだ?
+117 バニー 結良 2018/12/13 09:22:23
はよ投票しろ
1338 文学部 麻耶 2018/12/13 09:23:27
なんぞそれ

目を瞑ったらリアルシャチに襲われる幻覚を見た
正直人狼に襲われる以上に怖いものがある
1339 ニート 欧司 2018/12/13 09:23:37
バニー様がウェイター東さんに
「はよ投票しろ」と

ちなみに弥生さん投票でいいんですかね?
1340 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:24:31
東さんのこれはたぶん、よくあることなのでスルーでいいと思うが
+118 バニー 結良 2018/12/13 09:24:41
どこでもよかろ
1341 ウェイター 東 2018/12/13 09:25:06
件の発言を見る限り、さすがに村側が「やけくそ(本人談)」になって訴えた内容になるとは思えないので、人外。
感覚的には単体系人外かなー、仲間との絆が深い人狼陣営ならもそっとトリッキーな動きをしてもよさげなので、妖魔か蝙蝠系と予想してみる。
1342 ニート 欧司 2018/12/13 09:25:44
誰が来るかな誰が来るかな!
ジャーン!
1343 カメラマン つくね 2018/12/13 09:25:52
なるほど
+119 バニー 結良 2018/12/13 09:26:27
妖魔とか単独人外で変な投票はせんだろ
1344 令嬢 御影 2018/12/13 09:26:43
>>1336
前回入ってなかったからわからんな
1345 ニット帽 光 2018/12/13 09:26:45
寝て起きたら投票先指定変わってるとかある?
1346 ニート 欧司 2018/12/13 09:27:29
妖魔とか単独人外で変な投票はせんだろ
1347 文学部 麻耶 2018/12/13 09:27:30
東クン投票しよう
1348 ツンデレ 弥生 2018/12/13 09:27:38
>>1345
ある、だからもっと慎重になるべきだと思うんだ
1349 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:27:41
>>1344
あれ!?!!!?!?
1350 カメラマン つくね 2018/12/13 09:27:43
>>1345 流行りは弥生さん
1351 ウェイター 東 2018/12/13 09:27:46
>>1337
これはなにと言われても、素直な感想だよ。
美しいものは美しい、面白いものは面白い 
1352 ニート 欧司 2018/12/13 09:28:23
>>1346
By バニー様
ニット帽 光 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1353 カメラマン つくね 2018/12/13 09:28:51
そもそも本当に慎重な人は、大人数村に入らないっすよ
ウェイター 東 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
1354 ニット帽 光 2018/12/13 09:30:12
>>1348
ログチラ見したら晋護吊りから弥生吊りに傾向変わってた
あざす
文学部 麻耶 が ツンデレ 弥生 に投票しました。
文学部 麻耶ツンデレ 弥生に投票しました。
情報学部 範男文学部 麻耶に投票しました。
宇宙飛行士 星児ツンデレ 弥生に投票しました。
ツンデレ 弥生小学生 朝陽に投票しました。
アイドル 岬ツンデレ 弥生に投票しました。
ニット帽 光ツンデレ 弥生に投票しました。
看護師 小百合警察官 晋護に投票しました。
赤子 羽風ツンデレ 弥生に投票しました。
ウェイター 東ツンデレ 弥生に投票しました。
悪戯好き ダーヴィドツンデレ 弥生に投票しました。
ウェイトレス 南ツンデレ 弥生に投票しました。
外来 真子ツンデレ 弥生に投票しました。
修道女 クリスタファン 紅に投票しました。
お忍び ヴィクトリアツンデレ 弥生に投票しました。
囚人 要文学部 麻耶に投票しました。
絵本作家 塗絵ツンデレ 弥生に投票しました。
番長 露瓶ツンデレ 弥生に投票しました。
小学生 朝陽警察官 晋護に投票しました。
研修医 忍ツンデレ 弥生に投票しました。
カメラマン つくねツンデレ 弥生に投票しました。
教育学部 伊澄ツンデレ 弥生に投票しました。
おしゃま 優奈ツンデレ 弥生に投票しました。
御曹司 満彦ツンデレ 弥生に投票しました。
ファン 紅ツンデレ 弥生に投票しました。
キャバ嬢 瑠樺ツンデレ 弥生に投票しました。
令嬢 御影ツンデレ 弥生に投票しました。
学生 比奈ツンデレ 弥生に投票しました。
警察官 晋護ツンデレ 弥生に投票しました。
ニート 欧司ツンデレ 弥生に投票しました。
文学部 麻耶は、1票投票されました。
ツンデレ 弥生は、23票投票されました。
小学生 朝陽は、1票投票されました。
ファン 紅は、1票投票されました。
警察官 晋護は、2票投票されました。
投票の結果、ツンデレ 弥生 が処刑されました。
ツンデレ 弥生 は 人狼 だったようです。
ツンデレ 弥生 は 村人 だったようです。
「ツンデレ 弥生 がやられたようだな…」
「ククク…奴は黒幕四天王の中でも最弱…」
「村人ごときに負けるとは四天王の面汚しよ…」
今日は昼が長いようです。続けて処刑投票を行います。
1355 文学部 麻耶 2018/12/13 09:30:46
もちろん情報学部の結果はなし
+120 バニー 結良 2018/12/13 09:30:49
ようこそ!
1356 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:31:25
こうなるんだね、おもろ。
修道女 クリスタ が ファン 紅 に投票しました。
+121 ツンデレ 弥生 2018/12/13 09:31:42
バニーがお迎えに来た!
1357 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:31:44
よし、なにもなかったな!
ウェイトレス 南 は様子を見ます。
1358 ニット帽 光 2018/12/13 09:31:53
あ、また四天王が死んだ
1359 文学部 麻耶 2018/12/13 09:32:22
さて、色が知りたいので生命維持装置壊れちゃった人が来るのを待つか
1360 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:32:22
四天王枠が減っていく
*116 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:32:27
では服部に麻耶襲撃を頼もうか。
1361 絵本作家 塗絵 2018/12/13 09:32:31
やはり長い昼扱いか
+122 バニー 結良 2018/12/13 09:32:51
両足を掴んで墓場に引きずり込んだ
1362 カメラマン つくね 2018/12/13 09:33:00
日付も継続っすね。
1363 令嬢 御影 2018/12/13 09:33:01
連続投票とは
1364 カメラマン つくね 2018/12/13 09:33:30
四天王枠期待値残り6
令嬢 御影 が 警察官 晋護 に投票しました。
絵本作家 塗絵 が 警察官 晋護 に投票しました。
1365 ニート 欧司 2018/12/13 09:34:28
#コンピュータ通信
4日目午前の部

ツンデレ 弥生さん処刑(元四天王)

変な投票
情報学部 範男は文学部 麻耶に投票
看護師 小百合は警察官 晋護に投票
修道女 クリスタはファン 紅に投票
囚人 要は 文学部 麻耶に投票
小学生 朝陽は警察官 晋護に投票
+123 ツンデレ 弥生 2018/12/13 09:34:37
やーめーろーよー
1366 文学部 麻耶 2018/12/13 09:34:49
ところでほんとさあ
リアルシャチに襲われる様子イメージしてみてよ
めっちゃ怖い
1367 ニート 欧司 2018/12/13 09:35:07
1368 赤子 羽風 2018/12/13 09:35:10
発言数回復してない……!?枯れちゃう
1369 修道女 クリスタ 2018/12/13 09:35:22
俺は紅さんに投票するってちゃんと言ったんだ
変な投票ではない
1370 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:35:58
変な投票というよりは、ログのどの時点で投票したかみたいな感じですね。
1371 ニート 欧司 2018/12/13 09:36:13
>>1369
その辺はまあ、その都度釈明をお願いします
1372 ニット帽 光 2018/12/13 09:36:40
晋護投票はたぶんログ未読勢だろうし麻耶投票は占いの仕様に関する情報の行き違いだと思われる
1373 文学部 麻耶 2018/12/13 09:36:52
リアルシャチまじ怖えよ
研修医 忍 は 文学部 麻耶 を襲撃します。
1374 文学部 麻耶 2018/12/13 09:37:13
>>1372 要昨日占ってるんすけどね
1375 ニート 欧司 2018/12/13 09:37:40
個人的にはそこまで引っかかる投票はないですねー。
1376 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 09:38:08
処刑だけ行わられた感じね
*117 研修医 忍 2018/12/13 09:38:23
麻耶さん襲撃セットしました。
1377 赤子 羽風 2018/12/13 09:38:42
まだ4日目だもんな
*118 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:38:44
さんきゅー。
1378 ニット帽 光 2018/12/13 09:39:30
>>1374
たぶんアイツなりのこだわりかなんか
1379 ニート 欧司 2018/12/13 09:40:02
シャーってやってピッで御曹司さんにとりあえずセット。
1380 研修医 忍 2018/12/13 09:40:07
おはよ〜。
看板娘発動てこういう感じなんだ。
1381 ウェイター 東 2018/12/13 09:40:09
>>1346
そこはさほど考慮していないんだよな。なぜそんな投票をしたのか、本当の理由なんて分からないのだから。
そもそも変な投票の有無で陣営予想するならば、人狼や狂人もあえてやるメリットもないし。限られた数での仲間がいれば殊更慎重になるんとちゃうの?予想になったんだ。
ニート 欧司 が 御曹司 満彦 に投票しました。
1382 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:43:26
東くんってどれくらいログ把握してるんだろ。
1383 ニット帽 光 2018/12/13 09:44:50
さて、今度こそ晋護吊りでいいんだっけか
ニット帽 光 が 警察官 晋護 に投票しました。
ニート 欧司 が 警察官 晋護 に投票しました。
1384 ニート 欧司 2018/12/13 09:45:16
なら変更しておこう。
1385 ニット帽 光 2018/12/13 09:45:58
看板娘は夜を介さずに連続で処刑フェイズに入る、覚えておこう
1386 研修医 忍 2018/12/13 09:47:04
昼には判定出てるかな。
それではまた昼〜。
-71 番長 露瓶 2018/12/13 09:47:22
味方でも吊りたくなるような言動なんだが…
1387 ニート 欧司 2018/12/13 09:48:28
生命維持装置が壊れても働かされる人が来たら早めに送るつもりです。
悪戯好き ダーヴィド が 警察官 晋護 に投票しました。
+124 ツンデレ 弥生 2018/12/13 09:51:53
生命維持装置からの伝言です
ツンデレ弥生白だそうです
1388 ニット帽 光 2018/12/13 09:52:31
死してなお働かされるというこの世の闇
悪戯好き ダーヴィド は 生命維持装置 続 を蘇生します。
1389 ウェイトレス 南 2018/12/13 09:53:55
続さんもだけど、ニートさんもお疲れ様ですよー。
+125 バニー 結良 2018/12/13 09:54:34
墓場仲間を増やすのだ
+126 バニー 結良 2018/12/13 09:55:19
やはりあの自称手品師が殺人鬼なのでは?
1390 御曹司 満彦 2018/12/13 09:56:36
>>1379
私に票を飛ばさないで〜
+127 ツンデレ 弥生 2018/12/13 09:56:59
殺人鬼ならわざわざ、自分から手品師名乗らないんじゃないか
+128 バニー 結良 2018/12/13 09:57:30
名乗る名乗る
あいつはそういうやつだ
御曹司 満彦 が 警察官 晋護 に投票しました。
+129 バニー 結良 2018/12/13 09:58:24
手品使わないよと言い張り続けて吊りを回避する
卑劣な手段よ
1391 御曹司 満彦 2018/12/13 09:58:48
もう投票欄の人数少ないなーって思ったらここ99人村じゃなかった。
+130 ツンデレ 弥生 2018/12/13 09:59:22
まじか、吊らなきゃ…
+131 バニー 結良 2018/12/13 09:59:36
罠を爆発させて人外も道連れに出来る
あれを吊らない理由はない
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1392 番長 露瓶 2018/12/13 10:01:24
良かった、何もなかったか
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1393 番長 露瓶 2018/12/13 10:02:05
>>1391
投票したことなかった人だっているんだぞ!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1394 番長 露瓶 2018/12/13 10:03:56
とりあえず晋護に投票しておく
番長 露瓶 が 警察官 晋護 に投票しました。
1395 囚人 要 2018/12/13 10:04:29
ロマサガRSの話をしよう。
1396 囚人 要 2018/12/13 10:08:58
このゲームは何でもかんでも技同士が連携し、酷い連携名が出来ることがある。

超短小マシンガン突きとか。
https://i.imgur.com...

これは超風+短剄+小転+マシンガンジャブ+高速突きの技名が連携したものだ。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1397 囚人 要 2018/12/13 10:09:21
スマッシュ+高速突き=ス突き

となる。

すづき。
1398 囚人 要 2018/12/13 10:09:31
イメージが悪い。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 文学部 麻耶 に投票しました。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*119 ウェイトレス 南 2018/12/13 10:12:51
>>1398
最悪だなー。
1399 囚人 要 2018/12/13 10:12:52
何度でも俺の手の平を見せてやるぜ、文学部。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*120 ウェイトレス 南 2018/12/13 10:13:50
襲撃系人外に優奈ちゃんが殺される可能性はそこそこあるわけだ。
がんがれ、まじがんがれ。
1400 文学部 麻耶 2018/12/13 10:15:12
>>1399 めんどいなぁ……
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+132 バニー 結良 2018/12/13 10:19:52
何度も手のひら見れるくらいどうってことない
1401 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:20:05
弥生さんを無事に吊ることが出来た。

弥生さん吊りの流れを加速させたのはクリスタさん。
やはりここは白いのでは。
1402 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:21:12
と思ったが、弥生さん妖狼の可能性もあるのか。
ないないしておこう。
1403 囚人 要 2018/12/13 10:21:23
>>1399
お前、俺の顔が入れ替わったらどうするんだよ。
猫又だから被害甚大だぞ。
俺の白証明を毎日続けてくれ。
1404 囚人 要 2018/12/13 10:21:51
>>1400だった。ログが読み難くてな。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+133 ツンデレ 弥生 2018/12/13 10:22:06
少女を寄ってたかって吊り上げて
それで大歓声とか人外なのはお前らの方じゃんかよう!
1405 文学部 麻耶 2018/12/13 10:22:45
>>1403 入れ替わりとかないでしょ……わざわざこんな面倒なところ
1406 囚人 要 2018/12/13 10:23:29
面倒かあ?
何言っても「要なら……あり得る!」と言われるから楽だと思うんだけどな。
何処にでも居るようなただの囚人だよ。
+134 バニー 結良 2018/12/13 10:24:13
少女の皮を被った外道にかける情けはない
1407 囚人 要 2018/12/13 10:24:17
ついでにパッシブ能力なんだから、何が無駄になるという訳でも無いし。
詐欺師全滅ENDも防げるし。
いいことづくめじゃないか?
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1408 囚人 要 2018/12/13 10:24:45
俺に良し
お前に良し
村側に良し

三良し揃って三好入道だぞ。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1409 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:25:35
要さん、摩耶さん投票は誰がお勧めでしょうか。
1410 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:26:41
三好宗渭
三好 宗渭は、戦国時代の武将。三好氏一族、宗家の家臣であり、三好三人衆の1人である。 一般には政康と呼ばれているが、本当の名前は初めは右衛門大輔政勝、続いて下野守政生、後に出家し釣竿斎 宗渭となった。
1411 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:28:52
証明容易組はローリスクローリターンと思っている。
1412 文学部 麻耶 2018/12/13 10:38:11
>>1407 詐欺師エンドは他の生存者が不穏票してる時点で防げないんですよねえ……
1413 文学部 麻耶 2018/12/13 10:39:21
というか今更ながらほとんど疑われてないのが逆に気になる
せいぜい発狂考えられた程度では
1414 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:43:32
>>1413 狼にも殺にも脅威であり、襲われそう。
なので、恋も復讐もなさそうかなぁ。
1415 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:44:06
摩耶さんは誰に投票して欲しいとかありますか。
1416 文学部 麻耶 2018/12/13 10:47:11
>>1414 というか役職自体は盲信なのね
割と騙りやすい部類ではあると思うんだけど

うーん、まだわからんなあ……発言見るの苦手で、占いやるときいつも限界まで悩むタイプだからだいたい人任せにしちゃう……
+135 バニー 結良 2018/12/13 10:48:25
上から5人くらいにつっこんでもらったら
1417 赤子 羽風 2018/12/13 10:49:37
俺はニット帽の兄ちゃんとか気になるな。無難なところにおさまりたそうで
1418 赤子 羽風 2018/12/13 10:50:23
御曹司の坊ちゃんも似た匂いがする
+136 アイドル 茜 2018/12/13 10:53:49
あれ、弥生処刑されてるのに5日目にならないのね
*121 ウェイトレス 南 2018/12/13 10:54:01
僕は襲撃死した場合の判定が白らしいから、遺言は占い系で仲間に人間判定でも出しておくか。
1419 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 10:55:20
>>1416 聖人賢者コンピュータの見えたこの村で騙りやすいとは思えなかったです。

リクエストなし、了解です。
*122 ウェイトレス 南 2018/12/13 10:59:04
学者である。
優奈 聖人
木戸 蓑亀

とかだな、うん。
+137 バニー 結良 2018/12/13 11:00:28
弥生の死は取るに足らない出来事だったので日が変わらない
+138 ニート 欧司 2018/12/13 11:01:37
可哀想・・・
1420 学生 比奈 2018/12/13 11:03:34
正直昨日はクリスタさんが誘導しなくても弥生さん吊りにはなったと思うけど。
1421 赤子 羽風 2018/12/13 11:05:01
弥生にまず言及したのは俺だぜ・ω`・
1422 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:05:08
今何食わぬ顔でさっさと投票済みにしちゃう人って、麻耶さんに指定されたくないのかなーって思っちゃうところはあります。
1423 学生 比奈 2018/12/13 11:05:50
やるじゃねえかベイビー。
1424 赤子 羽風 2018/12/13 11:06:08
>>1422
やはりニット帽と御曹司からにおうな
1425 小学生 朝陽 2018/12/13 11:07:41
2回目になったか
1426 赤子 羽風 2018/12/13 11:07:43
>>1423
弥生の結果前に白いも黒いもないと思うがな
小学生 朝陽 が 警察官 晋護 に投票しました。
+139 バニー 結良 2018/12/13 11:09:17
弥生は今日の投票で狼教えるって言ってたぞ
小学生が人狼だ!弥生を信じろ!
1427 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:09:17
私が弥生を吊りました
+140 バニー 結良 2018/12/13 11:09:41
クリスタは殺人鬼です
処刑しましょう
1428 赤子 羽風 2018/12/13 11:09:56
>>1427
君投票してへんやん
1429 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:10:50
>>1428
詐欺師だったら怖いから他人に投票させるよ
1430 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:11:16
後追いが起きてたら面白かったんだが
1431 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:11:31
弥生を吊ったのは私です
1432 赤子 羽風 2018/12/13 11:11:45
看板娘さまさまかな?
1433 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:11:58
>>1424
占われたくない人は、じゃ、次は警察官だよな、みたいにさりげなく投票しようとするでしょうねー。
+141 バニー 結良 2018/12/13 11:12:13
誉めよ称えよ
1434 御曹司 満彦 2018/12/13 11:14:18
吊りたいとこ両方吊ればいいじゃない理論なのでー
1435 番長 露瓶 2018/12/13 11:15:23
>>1433
スッ(投票済)
1436 番長 露瓶 2018/12/13 11:16:02
>>1416 >>1419
リクエストなしかー
1437 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:16:54
>>1435
番長さんはまあ、ただのテキトーな人なのかもしれませんねー。
1438 番長 露瓶 2018/12/13 11:16:58
これマジで詐欺師で看板娘ボーナスで回避できてたなら凄いな
1439 赤子 羽風 2018/12/13 11:18:09
どうなんだろうな?1回目の投票なら絆結べないとかだったら詐欺師涙目なんだろうか。かわいそー
1440 番長 露瓶 2018/12/13 11:18:31
>>1437
人間何があるか分からないからとりあえず投票しておくスタイルってだけだな
あと俺だけになってしまって待たせたら悪いし
1441 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:20:28
現時点投票済
光、ダーヴィド、クリスタ、要、塗絵、霧瓶、朝陽、満彦、御影

光、満彦の潜伏臭はわかる。
個人的には塗絵に手相組行ってもらいたいのだが。
1442 赤子 羽風 2018/12/13 11:20:34
>>1434
明確に吊り希望出てなかったのに投票済みでその言い訳だと後出し感あるな
1443 御曹司 満彦 2018/12/13 11:21:33
>>1440
私は投票を忘れることに定評があるので安心!()
というか昨日は人狼を忘れてゲームしてました╮(´・ᴗ・` )╭
1444 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:22:46
流れを無視すると明日の吊り希望は東さんなのだが。
1445 御曹司 満彦 2018/12/13 11:22:55
>>1442
どこかの誰かも言ってませんでしたっけ。両方吊ればいいじゃんって
1446 ニット帽 光 2018/12/13 11:23:22
オレが怪しいか?
そう思えるときはだいたい村だ(全力のメタ発言
1447 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:23:37
ヴィクトリアさんの、自分を占うのは無駄だしローリターンだみたいな発言が二回くらいあったのは気になるっちゃ気になりますが、まあ純粋に麻耶さんの判定をフルに有効活用したい村なのかなー、という思いの方が強いです。
警戒狙いなら南を占いたいみたいに言ってたのも、評価されてると思えば悪い気はしませんねー、えっへん。
でもどうみても真っ白じゃないですかね、南ちゃん。
1448 赤子 羽風 2018/12/13 11:23:54
ウェイターの兄ちゃんか
1449 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:24:36
>>1444
わかるなー。特に白くないし、ぶっちゃけログまともに読んでなさそうだし。
1450 ニット帽 光 2018/12/13 11:24:50
何なら手相に回してもらっても構わない
-72 番長 露瓶 2018/12/13 11:24:54
>>1444
同意したいから困る…
あれはヘイトもらうよぉ…
1451 赤子 羽風 2018/12/13 11:24:55
>>1445
どこかの誰かと君は別人だろう

それともどこかの誰かが人外かどうか検討せずそいつの意見に乗っかりたいのか?
-73 ニット帽 光 2018/12/13 11:25:34
護衛露出はなるべく避けたいんでな
1452 番長 露瓶 2018/12/13 11:25:51
>>1443
このコロシアイよりも楽しいゲームがあるのか!?
1453 赤子 羽風 2018/12/13 11:26:30
ウェイターの兄ちゃんを吊りたいって聞くとなんと言うか……味方に誤爆されたくないのかなって感じてしまうのは流石に申し訳ない
1454 番長 露瓶 2018/12/13 11:26:55
ウェイトレスの同僚のヒドイ男だったっけ
-74 ニット帽 光 2018/12/13 11:26:56
ただ悪鬼は強いけど村にも生贄求めるデメリットあるから役目がなくなり次第墓下行きがよさげ
1455 赤子 羽風 2018/12/13 11:27:34
ニット帽の兄ちゃんは俺と似た匂いがするな。ミルクくせぇ
1456 ニット帽 光 2018/12/13 11:28:06
どうでもいい話だがミルクティーとか抹茶ミルクは好きだぞ
絵本作家 塗絵 が投票を取り消しました。
1457 赤子 羽風 2018/12/13 11:28:51
>>1456
君はいいやつに違いない
1458 御曹司 満彦 2018/12/13 11:29:20
>>1451
私は背が高くないので、乗っかりたいですね。
1459 御曹司 満彦 2018/12/13 11:29:56
紅茶が飲めない
1460 赤子 羽風 2018/12/13 11:30:04
>>1458
俺も背は決して高くないが……誰かに背負われる人生はごめんだぜ
1461 ウェイター 東 2018/12/13 11:30:18
>>1453
南ちゃんは何故か特別に冷たいんだよな。
わいは流しているが。
1462 赤子 羽風 2018/12/13 11:30:43
この二本の足で歩いてみせる……!!今はまだ練習中だがな
1463 ニット帽 光 2018/12/13 11:30:59
>>1460
おんぶは嫌いか
抱っこひもの用意がいるな
1464 赤子 羽風 2018/12/13 11:31:27
>>1463
ママの顔が見えないと不安なんだ
1465 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:32:37
東は99人村の時みたいな私でもわかるレベルの露骨な人狼臭さがないが、なんか残ってたらテンポ悪そうなので吊ってもいいなとは思っている
1466 小学生 朝陽 2018/12/13 11:32:37
宇宙飛行士 星児
看護師 小百合
ニット帽 光
ウェイター 東
ウェイトレス 南
研修医 忍
教育学部 伊澄
御曹司 満彦
キャバ嬢 瑠樺
令嬢 御影

適当に10人選んだぞ!
1467 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:33:01
#手相組リクエスト
ヴィク 南 >>1143>>1441
羽風 光・満彦 >>1417>>1418
+142 ニート 欧司 2018/12/13 11:34:07
>>1441
死んでるけど忘れないで!
今日もニートは元気です。
1468 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:34:16
朝陽さんの>>1466は手相組リスエストかな?
1469 小学生 朝陽 2018/12/13 11:34:30
はい
ニット帽 光 が 文学部 麻耶 に投票しました。
1470 ニート 欧司 2018/12/13 11:34:56
ここは間をとって私が!
1471 ニット帽 光 2018/12/13 11:34:58
了解、麻耶に投票先変更しておいた
1472 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:35:31
>>1469 了解。
1473 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:36:00
あー、小百合さんにも手相組まわって欲しいよね。
1474 学生 比奈 2018/12/13 11:36:48
手相を真で見ているか偽or陣営変化で見ているかでまわしかたは変わりそうだな。
1475 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:36:49
要さんも投票してるだろうから10人は不安なのよな。
1476 ウェイター 東 2018/12/13 11:37:38
なんだ手相占いの話題か。いいんじゃないの?
わいは▼晋譲投票するが、

ヴィクトリア

小百合

ここ3人は手相占いでいいいんじゃねーかな。
アクティブ人外狙いとして。

1477 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:37:39
何人いけるか、ですねー。
続さんの判定を聞きたくもあります。
1478 ニート 欧司 2018/12/13 11:38:19
#ニートの推理
やはりあの自称手品師が殺人鬼なのでは?

殺人鬼ならわざわざ、自分から手品師名乗らないんじゃないか

名乗る名乗る
あいつはそういうやつだ

手品使わないよと言い張り続けて吊りを回避する
卑劣な手段よ

まじか、吊らなきゃ…

弥生は今日の投票で狼教えるって言ってたぞ
小学生が人狼だ!弥生を信じろ!

墓場仲間を増やすのだ
1479 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:38:22
判定の前の希望なのでまとめなくていいか。
ウェイター 東 が 警察官 晋護 に投票しました。
1480 学生 比奈 2018/12/13 11:38:57
票ぶらされて手相吊られてしまってもそれは人外露呈するからいいんじゃないと思ったが、問題は今までの吊り先にも手相にも入れなかった人達か。
1481 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:38:58
墓盛り上がってるな。
ウェイター 東 が 警察官 晋護 に投票しました。
1482 赤子 羽風 2018/12/13 11:39:24
>>1476
うーん、これは人外
1483 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:39:51
>>1478
大体こういう突拍子もないこと言い出すのって結良さんなんだよな
1484 学生 比奈 2018/12/13 11:40:26
クリスタさん吊らなきゃ...!!
+143 バニー 結良 2018/12/13 11:40:43
クリスタを吊れ!!
1485 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:41:12
どうせシャッフル出来ないんでしょって油断してる時にシャッフルしてやるからな
覚えてろ
1486 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:41:32
それまで俺はパチンコに行く
1487 小学生 朝陽 2018/12/13 11:41:45
>>1478
弥生のせいで俺に人狼疑惑が出てしまった…!
1488 赤子 羽風 2018/12/13 11:41:57
5人程度かね。ただ、麻耶ちゃんが下手したら吊られそうって状況だと麻耶ちゃん噛みづらいだろうから悪いばかりでもないのか
-75 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:41:58
#手相組リクエスト
ヴィク 南・塗絵・小百合 >>1143>>1441>>1473
羽風 光・満彦 >>1417>>1418
朝陽 星児・小百合・光・東・南・忍・伊澄・満彦・瑠樺・御影>>1466
東 ヴィク・南・小百合 >>1476
1489 番長 露瓶 2018/12/13 11:42:21
墓下の叡知で偽手品師を吊らなければ(使命感
1490 小学生 朝陽 2018/12/13 11:42:49
5人は少なくない?
1491 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:42:51
あいつはそういうやつって俺殺人鬼引いたこともないし人外ほぼ引かないのに知らないでしょ!
適当なことばっか言うんだから!
1492 赤子 羽風 2018/12/13 11:43:22
10人いっとく?
1493 学生 比奈 2018/12/13 11:43:25
今日は1万しかあげないよ。
1494 ニート 欧司 2018/12/13 11:43:30
+1192 バニー 結良
クリスタを吊れ!!
+144 バニー 結良 2018/12/13 11:43:32
>>1491
知らんけどどうせそういうやつだよ
1495 赤子 羽風 2018/12/13 11:43:55
>>1493
おいおいきっちり2万で頼むぜ
1496 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:44:20
間をとって7人がいいか?
1497 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:44:31
>>1493
俺にはお前しかいないんだよ
今日は本当に勝てる気がするんだ
だから……な?
今日も頼むよ
1498 ウェイター 東 2018/12/13 11:44:52
10人くらいならいけるんじゃね?
あからさまに人外が組織票で麻耶吊りする場面でもなさそうやしな。
1499 小学生 朝陽 2018/12/13 11:45:12
要が入れると考えて8人ぐらいかな
1500 ニート 欧司 2018/12/13 11:45:24
>>1497
(GODを引けるのか?)
1501 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:46:06
この村にはちゃんと投票しないヤツが何人かいるぞ

ほんとに10人でいいのか?
1502 ニート 欧司 2018/12/13 11:46:13
墓にはGODを引いた看板娘が待機中。
1503 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:46:17
光・満彦・南・小百合の4名は暫定手相組でいいかな。

光さん投票してくれたみたいだし。
1504 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:46:28
範男さんも入れそうですねー。
1505 御曹司 満彦 2018/12/13 11:46:33
手相把握だよー
御曹司 満彦 が 文学部 麻耶 に投票しました。
1506 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:46:50
うっかりいっぱい票持ってるヤツが一発逆転アタックかけてきたらどうするんだ
1507 ウェイター 東 2018/12/13 11:46:50
では8人指名しようぜ。
投票先変更しないといけない人もでてくるのだから。
-76 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:47:15
ウェイトレス 南 が 警察官 晋護 に投票しました。
1508 ウェイター 東 2018/12/13 11:48:10
>>1506
それはそれで…伝説になるな。ネタとして
+145 バニー 結良 2018/12/13 11:48:33
そんなに伝説にもならない
1509 ニート 欧司 2018/12/13 11:48:58
ねじれ天国ではよくある事では?
-77 ニート 欧司 2018/12/13 11:49:28
かぶった、やっぱり普通なんだ、ねじれ天国怖い・・・
1510 学生 比奈 2018/12/13 11:49:32
>>1497
.....しょうがないわね!!つ2万円
1511 御曹司 満彦 2018/12/13 11:49:33
一応、麻耶さんに投票するなら言わないで大変なことにならないように言っておきます。


[票数が通常ではない役職CO]
1512 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:49:34
手相組に王様がいたらさすがに言うだろう。
2票持ちが複数特攻してきたら危険か。
1513 御曹司 満彦 2018/12/13 11:50:06
王様ではないです。
1514 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:50:12
>>1511 何票持ってるの?
+146 バニー 結良 2018/12/13 11:50:26
王様は票数公開だからいないのは確定である
1515 ニート 欧司 2018/12/13 11:50:38
COしてしまえばいいのでは?
1516 御曹司 満彦 2018/12/13 11:51:26
>>1514
変動します
1517 小学生 朝陽 2018/12/13 11:51:29
ここまで言ったならCOしてもいいな
1518 ウェイター 東 2018/12/13 11:51:45
うんうん、COしちまえよ
1519 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:51:59
>>1510
いつもありがとうな
行ってくるよ(ちょろいわw)
1520 ニート 欧司 2018/12/13 11:52:10
たまにねじれる役職ですかね?
1521 番長 露瓶 2018/12/13 11:52:16
俺は クリスタ、羽風、小百合、南、真子、塗絵、比奈、あたりかなー
白なら頼りになりそうって感じの選び方だが
1522 御曹司 満彦 2018/12/13 11:53:21
COしたら真面目にこのゴミ役職の私の存在価値がなくなってしまいます…(。>ㅿ<。)
1523 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:53:46
シャッフルされるからよくない?
1524 番長 露瓶 2018/12/13 11:54:37
たぶん俺よりはマシだろ
1525 ウェイター 東 2018/12/13 11:55:03
俺よりもマシだと思う。
1526 御曹司 満彦 2018/12/13 11:55:23
>>1523
約束してくれるの?
1527 番長 露瓶 2018/12/13 11:55:39
便乗された!
1528 ニート 欧司 2018/12/13 11:55:57
ゴミ役職騙りがいっぱい・・・・
全部吊ろう。
1529 小学生 朝陽 2018/12/13 11:56:03
大変なことになる可能性があって票数が変動するゴミ役職
1530 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:56:20
吊りではなく、わざわざ占いを使うという意味なら、御影ちゃん、塗絵さん、小百合さんあたりですかねー。人数に余裕があるなら、ダーヴィドくんにもお願いしたいと思って居ます。ニートさん情報の白ではあるのですがー。
1531 番長 露瓶 2018/12/13 11:56:42
>>1528
狼男騙りした奴が何を…
1532 ウェイター 東 2018/12/13 11:57:02
番長は結構いい役職もってそうなんだがなー。
その堂々とした余裕っぷりが一貫してるからな。
今は深く詮索するつもりはないが。
1533 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 11:57:12
票数操作関連
座敷童子 村長 王様 角兎 ギャンブラー 商人 社長 芸者 画家 秘書 花魁 裁判官 鬼女 雀鬼 厄神様 叛逆者

イカサマ師 革命家 圧制者 支配者

他にもあるかもしれない。
1534 ニート 欧司 2018/12/13 11:57:25
>>1530
生命維持装置さんの判定であり、発狂とかしてたら免責で・・・
1535 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:58:03
>>1534
ま、なので、ということですねー。
1536 学生 比奈 2018/12/13 11:58:49
絶対俺よりマシ。
1537 番長 露瓶 2018/12/13 11:58:50
いい役職だったらこんな明らかに偽な手品師に一縷の望みを賭けたりしてないぞ
1538 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:58:56
>>1526
いつかは言えないけど、そのうちするよ
1539 ウェイトレス 南 2018/12/13 11:59:24
ヴィクトリアさんと羽風さんはほんとに証明が容易ならしてくれるでしょう。もしこのへんが人外で、そのとき言いくるめられる様な人しか残ってなかったらアレですが。
1540 修道女 クリスタ 2018/12/13 11:59:35
誰が明らかに偽だよ
1541 ニート 欧司 2018/12/13 12:00:08
>>1531
クリーンインストールしたのでノーカンデス。
1542 学生 比奈 2018/12/13 12:00:45
南さんに残っててもらおう。
1543 番長 露瓶 2018/12/13 12:02:05
>>1541
鼠さんは美味しかったか?
1544 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:02:31
>>1542
卑劣なヴィクトリアさんにしれっと手相組に追加されてるんで、あそこ人外なら私を食べるつもりですよ、残れないですねー。
1545 ニート 欧司 2018/12/13 12:03:18
>>1543
毒入りだったので・・・
1546 ニート 欧司 2018/12/13 12:04:02
忍者は誰だ?
1547 赤子 羽風 2018/12/13 12:05:29
俺は自分自身では証明できねぇんだ
1548 赤子 羽風 2018/12/13 12:06:19
アレがソレでなんやかんやな状態になると分かるアレやで
1549 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:06:24
死亡証明ではないよ。
1550 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:06:31
なんか、しれっと追加されてんのむかついてきたな。
ヴィクトリアさんも手相占って下さい!
+147 バニー 結良 2018/12/13 12:06:34
>>1540
おまえじゃい!
1551 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:07:07
満彦さんはCO迷ってるのかな。
1552 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:07:07
>>1547
赤ちゃんだもんねー。
1553 赤子 羽風 2018/12/13 12:07:42
バブー
1554 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:07:55
3人中2人が希望した4名を暫定にしたけど、いやだった?
1555 ウェイター 東 2018/12/13 12:08:23
>>1537
それはその通り、といっておいたほうがいいのかな。
役職はおいといて、希望をぱっとだせるスピード感と
占い希望の内容が白狙いである(占い師への信頼感)点とセットで
番長も信頼できそうだ。
1556 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:08:41
聖人CO
霊媒:弥生村人
1557 赤子 羽風 2018/12/13 12:08:59
ぶっちゃけ迷ってんだよな。

能力使うと証明はできるけど村利かどうか分からん。しかしせっかくある能力だから使ってみたい。しかし使わない方が勝てるんじゃないかと思ってる。
1558 赤子 羽風 2018/12/13 12:09:12
>>1556
やったぜ
1559 文学部 麻耶 2018/12/13 12:09:13
まあせやろな
で、占いは
1560 文学部 麻耶 2018/12/13 12:09:45
>>1557 マッチ売りとか独裁?
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅撫子→小百合
霊媒:昌義村人→弥生村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
1561 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:09:55
弥生人外はせやね、という。
1562 赤子 羽風 2018/12/13 12:10:09
>>1560
まだ秘密
1563 文学部 麻耶 2018/12/13 12:10:21
あ、なんでもないです
日付変わったわけじゃなかったんだった
1564 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:10:44
マッチ売りの少女(燐)【村人陣営】
あなたは可哀想なマッチ売りの少女。
全く売れないマッチを売り続けるあなたは、ふと自分を暖めるために売り物のマッチに火を付けるか悩みます。
もしあなたが思い切ってマッチに火を付けたのならあなたに一時の安らぎを与え、翌日にはマッチの火と共に安らかな眠りにつくでしょう。
そしてその翌日にはマッチの炎が映し出した幻影なのか不可思議なことに、全ての亡くなった者が現世に現れます。もちろん蘇ったわけではなく会話ができるだけです。
マッチの火が消えるように、その光景は1日だけの現象となるでしょう。
1565 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:10:47
まああれで村役職だったらびっくりだけどね
1566 情報学部 範男 2018/12/13 12:11:02
カッコいいポーズ?
1567 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:11:18
独裁者(独)【村人陣営】
一度だけ議論を中止させて指定した者を強制的に処刑することができる村人です。
この能力はコミットに含まれません。使用してもしなくても他がセット完了した時点でスキップされます。
1568 情報学部 範男 2018/12/13 12:11:28
生還?
1569 絵本作家 塗絵 2018/12/13 12:11:45
弥生村人ね

まあ納得ではある
問題は白黒だよ
1570 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:11:45
範男さんはまた摩耶さんに投票する?
1571 番長 露瓶 2018/12/13 12:12:12
まぁ人外よな
あとは色か
1572 情報学部 範男 2018/12/13 12:12:16
>>1570
元々我票ないから他に変える理由がない
1573 赤子 羽風 2018/12/13 12:12:20
だから放って置かれる限り村陣営としてそこそこのやる気で頑張るぜ
1574 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:12:33
>>1569 コンピュータは何も言ってないの?
1575 学生 比奈 2018/12/13 12:12:39
>>1547的にどっちも違う。
1576 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:12:52
>>1572 ああ、今ゼロ票なのか。了解。
1577 情報学部 範男 2018/12/13 12:12:54
あれ?夜あけてる?
1578 情報学部 範男 2018/12/13 12:13:14
よっしゃガチャ引ける
1579 赤子 羽風 2018/12/13 12:13:19
夜は明けてない
1580 ウェイター 東 2018/12/13 12:13:35
よってガチャはひけない
1581 学生 比奈 2018/12/13 12:13:56
白夜なうって感じ。
1582 情報学部 範男 2018/12/13 12:14:01
いやガチャ引けるんだけど
情報学部 範男 は課金します。
情報学部 範男 は プレミアム ガチャをまわします。
レア★★★ 【冒険者】を手に入れました。
1583 情報学部 範男 2018/12/13 12:14:35
これは…
1584 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:14:48
>>1554
早い段階で暫定みたいに纏められたら、意思の弱い人が追従してきますからねー。
1585 赤子 羽風 2018/12/13 12:14:51
これは……
1586 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:15:05
>>1582 持ち票0になるまで引けるみたいだよ
1587 赤子 羽風 2018/12/13 12:15:09
>>1584
乗っかり御曹司とかな
1588 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:15:21
投票済みですけど。
1589 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:15:25
またねじ天裏ルールを見つけてしまったか
1590 情報学部 範男 2018/12/13 12:15:40
これどうしよう
これでもいいなー
1591 ウェイター 東 2018/12/13 12:15:57
なんか迷ってるぞ
1592 学生 比奈 2018/12/13 12:15:57
魔法使い引くまで粘れ!
1593 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:16:21
>>1554
何様のつもりなんだろうなあ、これ。
1594 御曹司 満彦 2018/12/13 12:16:42
>>1538
(´・-・。)
1595 情報学部 範男 2018/12/13 12:16:46
何故か知らないけど今日ノーマルガチャが引けなかった
+148 バニー 結良 2018/12/13 12:17:20
ノーマルガチャは朝イチで引いたろ
1596 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:17:28
ノーマルは一日一度ってこと?
-78 絵本作家 塗絵 2018/12/13 12:17:39
というか 賢聖コ(多分狂ってない)手相とかなんの罰ゲームだよ

こんなの手相が死なないと勝ち目がほぼ無いんだけど
-79 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:17:49
#手相組リクエスト
ヴィク→南・塗絵・小百合 >>1143>>1441>>1473
羽風→光・満彦 >>1417>>1418
朝陽→星児・小百合・光・東・南・忍・伊澄・満彦・瑠樺・御影>>1466
東→ヴィク・南・小百合 >>1476
露瓶→クリスタ、羽風、小百合、南、真子、塗絵、比奈 >>1521
南→御影、塗絵、小百合、ダーヴィド>>1530
1597 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:17:51
>>1595 ノーマルは1日1回のはずだけど
+149 バニー 結良 2018/12/13 12:17:54
票が復活しただけで日が変わってないからノーマルは引けないよ
1598 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:18:44
>>1593 しょんぼり。
1599 情報学部 範男 2018/12/13 12:18:54
【77/100】
88以上ならこれにする
1600 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:19:11
2回目の処刑で投票数だけ増えたから2回目のプレミアムガチャが引けるってことか
1601 情報学部 範男 2018/12/13 12:19:14
よし捨てよう
情報学部 範男 は 【冒険者】 を手放します。
1602 赤子 羽風 2018/12/13 12:19:48
じゃ全部で3回引いたのか
1603 情報学部 範男 2018/12/13 12:20:03
冒険者でした
1604 赤子 羽風 2018/12/13 12:20:16
それはうーん……
1605 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:20:23
>>1598
しょんぼりじゃないですよ、加害者。
別にいいですけどねー。
1606 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:22:44
>>1605 もうちょっと様子見るべきでしたでしょうか。
すいません。。。
-80 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:22:45
>>1595
これたぶん俺のせいだな
1607 情報学部 範男 2018/12/13 12:23:28
2日目ノーマル 蓑亀星3 プレミアム子羊星3
3日目ノーマル 村人星1 プレミアムなし
4日目 ノーマル村人星1 プレミアム忠犬星3 冒険者星3
1608 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:24:08
南さん人外で強いし、占いで安心して一緒に戦えたらいいなって思ってたんですが。。
-81 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:24:14
あ、いや、引けてんのか?
わからん
-82 番長 露瓶 2018/12/13 12:24:29
自分が白くなるのだけで精一杯ですよぉ
1609 赤子 羽風 2018/12/13 12:25:25
ガチャいいなぁ
1610 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:25:36
>>1606
あの時点で、暫定は南かな、みたいに勝手に纏めておいて、「現時点で集計しただけだけど、キミは感情でむかついてるの?」みたいに上から言われたら、何だって思いますよ。
そーゆうとこですよー?ヴィクトリアさんは、もっと素敵になれるはずです。
情報学部 範男 が 文学部 麻耶 に投票しました。
1611 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:26:26
気をつけます。。。
1612 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 12:26:33
処刑の後、続いてる。
なんじゃこりゃ〜面白いね。
1613 情報学部 範男 2018/12/13 12:26:46
票ないんで麻耶にでもいれとく
1614 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:27:22
おうおう。
-83 番長 露瓶 2018/12/13 12:28:50
元恋人陣営ボロボロやないか
1615 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 12:28:51
仮投票先は麻耶ですかね
キャバ嬢 瑠樺 が 文学部 麻耶 に投票しました。
1616 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:29:24
>>1607 子羊星3なんだ…
1617 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:29:32
投票先は明言してもらえると助かります。
1618 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:30:18
いちおう、麻耶さんに入れてますよー。
1619 情報学部 範男 2018/12/13 12:31:02
ごめん今見たら子羊じゃなくて山羊だった
+150 バニー 結良 2018/12/13 12:31:39
どっちにしてもゴミじゃん
文学部 麻耶 が投票を取り消しました。
1620 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:32:04
>>1618 ありがとうございます。
*123 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:32:49
まあ、入れてないがな。
1621 情報学部 範男 2018/12/13 12:33:59
(しゃもんさんにまた騙された)
1622 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:34:07
>>1619 まあ引いてないなら間違っても別に問題ないけど
ちなみに村人が星1、占いや狩人とかの普通の役職が星2、それ以外が星3以上だった気がする
1623 情報学部 範男 2018/12/13 12:34:43
>>1622
星1で村人以外なんか引いたことある気がする
+151 バニー 結良 2018/12/13 12:37:20
迷い子とかクソみたいなデメリット系が☆1なのでは
1624 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:37:59
>>1623 なんだろう
私も忠犬星3、王子様星4くらいしか引いたことないからわからないや
1625 番長 露瓶 2018/12/13 12:38:39
今気付いたが、もしかして俺の名前、ロビンか?
1626 絵本作家 塗絵 2018/12/13 12:38:42
★6なら聖人だねえ ねじれ民もそうだな
-84 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:39:49
_______∧,、________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
1627 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:40:06
うーん、キャバ嬢さんも麻耶さんに投票してるの?
-85 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:40:41
_______∧,、________
+152 生命維持装置 続 2018/12/13 12:40:53
おぅ! 弥生嬢が死んでてビックリしたぞぅ!
バニートラップですな(`・J・´)
一瞬、この世に対してツンデレでも拗らせたのかと思たわw

【弥生嬢は人狼でした】

弥生嬢が人狼となると帝狼の危険性は出るわけだ。マトリックスのエージェントスミスの如く。まあ露骨すぎて逆にそう思わせて、黒でる狂人系が聖人吊りに誘導しようとしてる可能性はあるか。
+153 バニー 結良 2018/12/13 12:40:56
聖人と同格のねじれ民
1628 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:41:06
>>1625 「つゆがめ」でなければね!!
-86 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:41:11
_______∧,、________

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
+154 生命維持装置 続 2018/12/13 12:41:27
では、アデュー
+155 バニー 結良 2018/12/13 12:41:56
人狼連続吊りですね
めでたい
1629 ウェイター 東 2018/12/13 12:42:20
自己証明が容易じゃないなら、麻耶君投票もありといえばありか。
キャバ嬢はそんなところじゃねーの?
1630 番長 露瓶 2018/12/13 12:43:05
>>1441
ここでこいつ誰やねんと思って初めて番長の右側に興味を持った
1631 番長 露瓶 2018/12/13 12:43:43
>>1628
落語家系の読みかもしれない(名推理
1632 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:44:10
一応、朝陽さんの希望でしたか。
続さんの霊結果と、麻耶さんの希望(出すと思っていたのですが、意外とそんな感じの人でもないんですね)を聞いてからでもいいと思いますけどね〜。
1633 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:44:14
霧と露を間違えていた。
1634 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:45:16
優奈さんは手相組リクエストなにかあるでしょうか。
1635 看護師 小百合 2018/12/13 12:45:48
きのういつもよりよふかししたらねぼうしました
23時代にはねたのにー
あさも発言できずすみません。
投票統一は見れてなかったです。

職場かrっすきをみて発言してるのでmsたよるに。
+156 バニー 結良 2018/12/13 12:46:10
酔っぱらってる
1636 看護師 小百合 2018/12/13 12:46:22
Kindleうちにくいな!!!
1637 赤子 羽風 2018/12/13 12:46:44
>>1635
俺のあざとセンサーに反応したぞ。この誤字は怪しい
1638 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:46:46
>>1635
たどたどしい感じでかわいさアピールしてるなあ……。
1639 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:47:02
手相占い先は麻耶が指定を出せばいいと思うけどな
少なくとも「結果だけ出すから占い先は勝手に決めてください」なんて言う占い師を信用できる?
1640 看護師 小百合 2018/12/13 12:47:05
投票は摩耶していまちでおkかな
1641 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:47:17
大丈夫かよ
1642 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:47:28
もしかしてまだ携帯ないのか……
1643 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:47:59
>>1639 対応できますかねそれ。
1644 看護師 小百合 2018/12/13 12:48:26
携帯が直ればこういうのなくなるから。。


今上司に
まだ携帯ご臨終なのww
とリアルにあおられましたが。
1645 看護師 小百合 2018/12/13 12:49:07
>>1642 ないyp
1646 看護師 小百合 2018/12/13 12:49:26
キーボード配列なのが悪い
1647 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:49:29
麻耶さんが現時点では指定についてなぁーんにも考えてなかったようなので間に合うかは。まあ時間はあるっちゃありますけどー。
1648 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:49:34
>>1645
なにがpだ
1649 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:49:54
携帯なしで生きてるの、現代人とは思えない
1650 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:50:02
>>1643 コアタイムの話?
次の更新15日の7時だから大丈夫でしょ
1651 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:50:17
コミットアンカー好きだし、15日7時まで時間はあるか。
1652 赤子 羽風 2018/12/13 12:50:28
今日13日だからな。更新は15日の朝だ
1653 看護師 小百合 2018/12/13 12:50:32
>>1648 おーとピーが隣なんだ
1654 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:51:08
>>1635への反応が今までの実績を物語っている。
1655 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:51:13
麻耶さんは間違いなく今日狙われるから麻耶さんの真偽とかそこから考えたらいいと思っている
1656 ウェイター 東 2018/12/13 12:51:22
じゃ、麻耶君指定でいいんじゃね?
1657 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:51:25
麻耶さん自身がコミットアンカー好きな方のようなので、フルに使ってもらっていいと思いますけどねー。
1658 看護師 小百合 2018/12/13 12:51:54
人外ひょうでうっかり吊られないようにするなら
摩耶投票は何人が安全なんでしょうかね
1659 看護師 小百合 2018/12/13 12:52:52
>>1654
かなしい
いえ。私が悪いのですが、これはふかこうりょくなのにゃ
1660 看護師 小百合 2018/12/13 12:53:09
じかんぎれ😃
1661 ウェイター 東 2018/12/13 12:53:34
>>1658
一応8人という線がでてるけどな。
1662 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:53:35
>>1659
むかつくなぁ……。
1663 おしゃま 優奈 2018/12/13 12:53:41
(看護師が舌ったらず…これはあざとい!!)
1664 修道女 クリスタ 2018/12/13 12:53:47
😃とかつけてかわいこぶりやがって
1665 ウェイター 東 2018/12/13 12:54:22
じゃ、わいもそろそろ。
次は明日の朝だな。
1666 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:54:50
今日の南はピリピリしてるかも。いけませんねー!
顔を洗ってきますよー。
-87 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 12:55:25
白をもらいたくない村側なのか人外なのか。
1667 赤子 羽風 2018/12/13 12:55:51
お腹が空くとイライラするらしいぞ
1668 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:56:54
麻耶さん、結構論理的に喋ってたから出来る人イメージあったけど、実は灰をロクに見てないんじゃ感があってちょっと不安です。
1669 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:57:27
>>1667
そうかもしれませんー!カロリーメイト、食べよ!
1670 学生 比奈 2018/12/13 12:58:14
ウェイトレスの仕事は大変だにゃー。
少しは東くんに回そう。
1671 学生 比奈 2018/12/13 12:58:36
昌義くんはサボりですと教授に伝えておこう。
1672 ウェイトレス 南 2018/12/13 12:59:00
東くんには、常識が通じないのです。
無駄なのですー!
1673 ウェイター 東 2018/12/13 12:59:58
>>1668
では、自己証明が困難な村側役職者に生き汚く立候補してもらう手もあるぞ。
困るのは人外だ。
1674 学生 比奈 2018/12/13 13:00:58
私も証明ほぼほぼ不可能だから麻耶さん投票したほうがいいんかなー。
1675 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:01:10
まあ時間はあるんだから焦る必要はないよ
1676 ウェイター 東 2018/12/13 13:01:42
そうなるとわいも投票してもいい気がしてきた。
なにせ吊り候補になってるからなぁ。
1677 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:02:32
>>1673
後ろ暗いところのない村人は、自ら投票するべきなのはそうだけど、麻耶さんが吊られちゃったら困るってことだねー!
1678 文学部 麻耶 2018/12/13 13:03:24
>>1668 実は灰をロクに見ていないのは正解
ねじれの役職から潰していくやりかたに慣れちゃってて発言からの推理は苦手なのよ
1679 ウェイター 東 2018/12/13 13:04:03
>>1677
吊り先明言、更に記名投票なんだから。
仮に麻耶さんが吊られたら、投票先変更した人間を皆殺しにすればいい話だろう
1680 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:04:13
寝ちゃってた…僕のお休み半分はどこに…
1681 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:04:39
あ、コミットされたんだね。
1682 文学部 麻耶 2018/12/13 13:04:53
>>1680 ごはんください(無慈悲)
1683 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:05:28
>>1678
それもう人狼じゃなくてガチャじゃん。ねじ天でこれを言うほど野暮な事もないのかもしれませんが……。
1684 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:06:44
>>1679
まあ匙加減含めて話し合おうってことだねー。
1685 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:07:00
>>1678 占い師引いた時はどうしてたんだろう
1686 文学部 麻耶 2018/12/13 13:07:04
>>1683 ねじれ人狼はねじれ人狼というジャンルとして考えてるから……
そのぶん起きた出来事を役職想定して組み立てる能力はあると思うけど
1687 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:08:21
>>1682
うーん。鱈の竜田揚げ、豚肉と蓮根の炒め煮と小松菜菊の胡麻和えとミカンにしようかな?
ごめんね眠たくてまだ頭が回らないや…
1688 文学部 麻耶 2018/12/13 13:08:35
>>1685 普通に個人的な趣味で毎回アンカー欲しがってるのもあり、ギリギリまで人の発言抽出して悩みまくってる
1689 ウェイター 東 2018/12/13 13:09:25
>>1684
うん、そうなる。
なので、わいはともかく、麻耶をdisるような事を言うなよ。
別にログを読むのが苦手でも、正確な判断や意見を柔軟に聞ける姿勢さえあれば問題ないだろ
1690 学生 比奈 2018/12/13 13:09:57
まあ私も全員は見れてないなあ。
目立つ人しか頭の中に入ってない。
1691 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:10:06
まあ、ギリギリまで悩むことを選択してくれる人なら信用しますよ。
個人ごとの抽出だけに頼るのは、危ういとは思いますがー。
1692 文学部 麻耶 2018/12/13 13:10:08
潜伏人外やるのが好きなタイプの人間に占い能力を求めてはいけない……(甘え)
1693 学生 比奈 2018/12/13 13:11:10
まあ村に入った以上はできる努力は全部していきたいよな!
1694 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:12:02
>>1689
東くんのことはズタボロに言ってるけど、麻耶さんのことはそんなにdisってないよ多分ー!
1695 学生 比奈 2018/12/13 13:12:26
大人数村では、発言数を多くするだけで存在を訴えかけることができる。
1696 学生 比奈 2018/12/13 13:12:52
34人村は少人数村か.....。
1697 文学部 麻耶 2018/12/13 13:13:00
狂人や背徳で占い騙るときですら発狂寸前まで爆発してるのに、普通に占い引いちゃった日には責任重大すぎてですね……
1698 学生 比奈 2018/12/13 13:14:39
手相占い師に投票する人とか吊りとかを考えると、流石に今日からは灰もしっかり見なきゃと思うんだぜ。
1699 赤子 羽風 2018/12/13 13:14:54
99人の3分の1しかいない
1700 絵本作家 塗絵 2018/12/13 13:16:05
比奈君99人灰雑はまだかい?
-88 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:16:21
角兎、
-89 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:16:22
角兎、
1701 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:16:58
>>1697 狂人が発狂したら逆に正常になるかもしれない
1702 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:17:00
実際、想像してたよりはるかに普通の人狼っぽい流れになってるのには驚いてはいますー!
1703 学生 比奈 2018/12/13 13:18:03
チェッカーONなのと、34人はまだ追える人数ということかな。
1704 学生 比奈 2018/12/13 13:18:51
>>1700
残り65人は誰をやればいいんだ...。
1705 ウェイター 東 2018/12/13 13:18:52
麻耶君的にどうしたいかだな。

・占いたい人を決めて発表する
・自信がないので、村の希望まとめに従う
・証明困難な村側立候補者を募り、人外の吊り確率をあげる

こんなところか。
狂人系が占われても仕方ないとわりきる方向で。
1706 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:19:45
ああ、べつにしっかり考えてとは言っても、期限ギリギリまで使わなかったからって糾弾したりはしませんのでー。
基本的にコミット進行が好きな短気な南ちゃん。
1707 ウェイター 東 2018/12/13 13:19:49
>>1702
それはすなわち、みんなログに関心をもって参加しているという事じゃないか。
1708 赤子 羽風 2018/12/13 13:20:21
サクサク進むのはいいよな
1709 文学部 麻耶 2018/12/13 13:20:43
村の希望まとめに従う、かなぁ
下手に立候補制にすると死にそうだし、下手したら桜あたりで発狂しそう
1710 ウェイター 東 2018/12/13 13:20:50
突然死もいない事もな
1711 赤子 羽風 2018/12/13 13:20:52
よし、俺も全員の考察でもやるか
1712 学生 比奈 2018/12/13 13:21:05
随分とませたガキだな。
-90 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:21:36
角兎、社長、裁判官、雀鬼のどれかかなぁ。
1713 学生 比奈 2018/12/13 13:21:38
よし、じゃあ私はベイビーの逆からやるかな。
1714 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:21:49
叶うなら99人短期とかもやってみたいなぁ…
集める労力と村の内容が見合わない気もするけど
きっとカオスだけは保証される
1715 ウェイター 東 2018/12/13 13:22:40
>>1709
無難な進め方だな。
ではあらためて希望を出してもらう方向でよい気はする。
まとめは、誰かしてくれるだろう、うん(ヴィクトリアを見る
1716 赤子 羽風 2018/12/13 13:22:42
ちょっとパソコン立ち上げてくるわ
1717 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:23:00
じゃー続さんの判定出てから改めて希望募ればいいんじゃなきかなー。
1718 赤子 羽風 2018/12/13 13:23:02
>>1714
楽しそう
1719 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:23:11
雀鬼は現在の自分の票数はわからないんでしょうか。
1720 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:23:36
雀鬼(槓)【村人陣営】
投票先によって票数が増減する村人です。初期の投票数は0票です。
投票先が人外だった場合次回以降の投票数が+1票増え、村人陣営に投票した場合は0票にリセットされます。(その日の投票数には反映せず)
村人陣営でもサブ役職で【人外変化】してい
1721 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:24:01
>>1718 最大の敵は503
1722 文学部 麻耶 2018/12/13 13:24:14
>>1714 鯖が爆発する未来が見える
1723 文学部 麻耶 2018/12/13 13:24:49
>>1719 無自覚よ
前に雀鬼やったことあるけど
1724 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:25:37
>>1723 やっぱりそうですか。ありがとう。
1725 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:26:58
満彦さんは角兎、社長、裁判官、雀鬼のいずれかか、その騙りでしょうか。
*124 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:27:12
とんだ茶番だったなあ……。
大人しく五人とかの少数占いでお茶を濁したかったが。
-91 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:28:09
>>1556
メモ
1726 ニート 欧司 2018/12/13 13:28:24
+1549 生命維持装置 壊 2018/12/13 13:27:53
おぅ! 弥生嬢が死んでてビックリしたぞぅ!
バニートラップですな(`・J・´)
一瞬、この世に対してツンデレでも拗らせたのかと思たわw

【弥生嬢は人狼でした】

弥生嬢が人狼となると帝狼の危険性は出るわけだ。マトリックスのエージェントスミスの如く。まあ露骨すぎて逆にそう思わせて、黒でる狂人系が聖人吊りに誘導しようとしてる可能性はあるか。
1727 ニート 欧司 2018/12/13 13:28:47
仕事が早いコンピュータは違うなぁ。
1728 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:29:18
>>1726
あーね。
ありがとー!
1729 文学部 麻耶 2018/12/13 13:29:43
もしこれがニートの自作文面だとしたら中身騙り上手すぎてお手上げってくらいには人狼なんやな
1730 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:30:01
おお、弥生さん黒ですか。
1731 文学部 麻耶 2018/12/13 13:31:04
あと30分でバイト先の店長との面談なんだけどなんかもうアイキャンフライ
*125 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:31:29
手相占い師に対しては自由投票するよう誘導する手もあったけどかえって投票者増えるかな…
まあちゃんとしたまとめも不在、コンピュータも信用不十分、灰かぶり騙りなら投票回避も可能とまだ戦えるかな…
1732 文学部 麻耶 2018/12/13 13:31:49
どうしたら寝過ごさずに済むかなんて自分が知りたい……とは言えず……
1733 学生 比奈 2018/12/13 13:31:55
弥生さん吊り推していたところが白くなるというか、それ以外を推していたところが黒くなるかな。
1734 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:31:58
妖狼ではないということでもあるか。
+157 バニー 結良 2018/12/13 13:32:06
バックレ
-92 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:32:16
>>1603
メモ
*126 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:32:51
やれるとこまでやってみよーう。
+158 バニー 結良 2018/12/13 13:32:53
目覚まし5個かけろ
1735 修道女 クリスタ 2018/12/13 13:33:13
じゃあ帝の聖人従者化してんじゃないのと思うが
1736 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:33:15
弥生●か
素直に人狼で見た方が良さそうだね
1737 学生 比奈 2018/12/13 13:33:20
帝狼だったとしても、十分切ることはできる雰囲気だったよなあ。
1738 文学部 麻耶 2018/12/13 13:33:20
なあ……やぁーな可能性思いついちゃったんだけど……

弥生が狼少女だったらどうするよ?
1739 学生 比奈 2018/12/13 13:33:54
弥生さんは白のほうがありがたかったな。聖人が見づらくなる。
+159 バニー 結良 2018/12/13 13:34:29
どうってことないだろ
2回襲撃があるだけだ
1740 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:34:30
黒出る狂人系が帝がいた時のために聖人に投票したという形も成り立つが、真実はわからないなぁ。
*127 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:34:49
灰かぶり騙るときは、今日は表面上従っておいて、実際は麻耶に入れなかった理由として明日COするつもり。
1741 赤子 羽風 2018/12/13 13:34:51
処刑も二回やったし襲撃も二回やっとくかー的な?
*128 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:35:19
>>*127 上々
1742 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:35:35
帝狼か、捨て狼というのが本線ですかねー。
1743 ニート 欧司 2018/12/13 13:36:18
#コンピュータ通信
4日目午後の部

生命維持装置→弥生さん(元四天王)人狼

情報学部範男さん「課金者CO」ですかね。
御曹司満彦さん「票数不確定役職」
1744 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:36:19
狼少女(幼)【人狼陣営】
あなたは人狼に育てられた狼少女。
人狼に育てられたからといって人間であるあなたは襲撃にも囁きにも参加できず、人狼の数にも数えられません。
しかしそんなあなたでも占い/霊能結果は人狼と見なされます。
我が子のように愛されたあなたが処刑されたとき、人狼達は怒りのままその日の襲撃を二度行うでしょう。
※この能力による追加襲撃は夜コミットに含まれません。使用してもしなくても他がセット完了した時点でスキップされます。(※先に第一襲撃セットを行うとコミットされてしまいます)
1745 文学部 麻耶 2018/12/13 13:36:33
ここで思い出すべくは今朝3死体出ていることである
狼少女の効果で3死体を2回もだされたら普通にキツイぞ
1746 学生 比奈 2018/12/13 13:36:39
黒出る狂人だとしたら、中々上手いプレイ。
めんどくさいことこの上ない。
-93 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:37:00
>>1726
メモ
1747 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:37:14
別に特別狼少女っぽいところはなかったかな
人数まだ多いし襲撃1つくらいは大丈夫だと思うけど
1748 学生 比奈 2018/12/13 13:37:47
襲撃2回出たら、それは帝狼ではないということが確定する。
そもそも聖人偽という可能性はあるが。
1749 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:37:48
優奈さんが手相リクエスト組について意見を言わないのは視点漏れ警戒なのだろうか。
1750 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:37:54
>>1744
ほーん。まあ、防ぎようがなくない?
1751 修道女 クリスタ 2018/12/13 13:37:57
狼少女ねえ
そういうめんどくさいことしたってよりはバレてもいいから帝使って従者化させたように見えるが
1752 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:38:03
ここまでログは読めた
-94 ニート 欧司 2018/12/13 13:38:19
私はフェイタルな時だけ手を出しますか・・・
基本は静観、素人が下手に手を出すとよろしくないはず。
1753 学生 比奈 2018/12/13 13:38:46
まあ狼少女かどうかは明日判断つくんだから考えることでもないでしょう。
1754 修道女 クリスタ 2018/12/13 13:38:59
まぁ聖人はもう信用できんな
1755 文学部 麻耶 2018/12/13 13:39:49
ちなみに昔子連れ狼が帝ムーブかまして無事吊られたことがあるよ
+160 ニート 欧司 2018/12/13 13:40:04
弥生さんが帝狼騙ったように見えるんですけど、どうなんですか?
内緒にしますよ?
1756 学生 比奈 2018/12/13 13:40:14
「まあ」って便利な言葉だよな。
1757 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:40:19
手相占いは 麻耶さんが占いたいところ(希望があれば)+村意見をまとめたものでいいんじゃないかな?って思う
1758 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:40:52
>>1749 いや
私自身が調べたいところはいくつかあるんだけどね?
別にあえてそこから外す必要も被せる必要もないとは思ってる
一応調べ先は予測されたくないから自分の調べたい場所はあまり言わないようにしてるけど
+161 バニー 結良 2018/12/13 13:41:15
あまあま
1759 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:41:20
コンピュータ通信を含めて総合的に考えていこう。
1760 赤子 羽風 2018/12/13 13:41:38
#考察ベイビー

1人目:麻耶ちゃん

自称手相占い師。多分真やな。しいて気になるとすれば>>2:259「実質柱みたいな役職」ってどういう意味やろか?

発狂疑惑あったけど、発狂してたら逆に今日の麻耶投票者希望しっかり出すと思うんだよな。狂窓ONなんやろ?「(種類は明かさんけど)占い系やで」って言うてるとこに恋刺すのも変な気する。

このまま本人には希望出させんでええような気がするわ。
1761 学生 比奈 2018/12/13 13:42:20
>>1729
結果だけ変えればいいだけでは。
1762 ニート 欧司 2018/12/13 13:42:31
今弥生さんに帝狼か聞いているので・・・
(内緒ですよ)
1763 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:42:49
>>1758 ほむ。
1764 学生 比奈 2018/12/13 13:43:18
灰雑始める時間を数時間遅らせることでベイビーとは下の方でぶつかることができる。
+162 バニー 結良 2018/12/13 13:43:19
人狼一匹使ってやるのが聖人の信用落とすだけってのはないんじゃないかな
引き込めるなら帝一匹使う価値はあるけど
1765 修道女 クリスタ 2018/12/13 13:43:29
それ帝ですとしか言わなくない?
1766 赤子 羽風 2018/12/13 13:43:40
#考察ベイビー

2人目:範男

頑張ってレア役職引いてほしい。でも更にいいやつ更にいいやつって欲張っていつの間にか死んでそう……。
+163 ニート 欧司 2018/12/13 13:45:18
>>+162
帝狼だとどうにも・・・
感覚的になんですけど・・・

いやでも、帝狼いるよなぁ、となると使うよなぁ。
普通そうですよね・・・
+164 ニート 欧司 2018/12/13 13:46:44
弥生さんがビッグに生きるイメージがあるからかもしれない・・・
1767 ニート 欧司 2018/12/13 13:47:23
ワレ シゴト シュウリョウ!
+165 バニー 結良 2018/12/13 13:47:54
いうほどビッグマンか?
やつは所詮一介の爆弾職人
世界を獲るにはまだ若い
-95 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:47:55
人外13人(狼6人)
〇CO済み
・おしゃま 優奈【聖人】
→学者:紅(村役職) 
→霊媒:昌義(村人)弥生(村人)
・文学部 麻耶【手相占い師】
→要(人間)
・警察官 晋護【罠師】(クリスタさんにランダム罠設置済)
・修道女 クリスタ【手品師】(罠付き)
・囚人 要【猫又】(手相占い師より人間判定)
・情報学部 範男【冒険者】
〇未CO
●何かしらの判定受けている人
・ファン 紅【?】(聖人より村役職判定)
・カメラマン つくね【?】(賢者より人間判定)
・悪戯好き ダーヴィド【?】(賢者より白)
●何も判定を受けていない人
・宇宙飛行士 星児【?】
・アイドル 岬【?】
・ニット帽 光【?】
・看護師 小百合【?】
・赤子 羽風【?】
・ウェイター 東【?】
・ウェイトレス 南【?】
・外来 真子【?】
・お忍び ヴィクトリア【?】
・絵本作家 塗絵【?】
・番長 露瓶【?】
・小学生 朝陽【?】
・研修医 忍【?】
・御曹司 満彦 【?】
・キャバ嬢 瑠樺【?】
・令嬢 御影 【?】
・学生 比奈 【?】

〇犠牲者
・ニート 欧司【コンピュータ】
・不良 智哉【?】(賢者より人間判定)
・アイドル 茜【激おこぷんぷん丸】(聖人より激おこぷんぷん丸判定、賢者より人間判定)
・生命維持装置 続【賢者】(聖人より賢者判定)逆呪殺ではない(本人談) 
→占:つくね(人間)・ダーヴィド(人間)
→霊:昌義(人狼)弥生(人狼)
→巫:ニート(人間)・智哉(人間)・茜(人間)・バニー(人間)
・バニー 結良【看板娘】(聖人より看板娘判定、賢者より人間判定)
〇処刑
・学生 昌義【ドワーフ?】(賢者より人狼判定)
・ツンデレ 弥生【?】
●怪しいかも・・・?
宇宙飛行士さん理由は>>4:776 >>4:820
1768 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:49:00
お疲れニートさん。
1769 赤子 羽風 2018/12/13 13:49:45
#考察ベイビー

3人目:宇宙飛行士

この人あんまり怪しく感じないわ。生存欲なさそう。ドワーフの真偽まわり、自分に変な視線が集まることには執着なさそうだしな。

>>4:1192「似たようなもん」は同意はしないが、言い訳ならもっとそれらしいこと言える気が。狂人系、背徳系はあるかもしれんが、人外の本体じゃないんじゃない?
1770 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:50:06
明日は夕方時間とれるから希望まとめはできるよ。
1771 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:50:32
生命維持装置さんとおしゃまさんが嘘をついているのってどっちのほうが可能性高いんだろう…?おしゃまさんが噛まれない状況的におしゃまさん偽ってのが僕の中ですんなり来るんだけど…
となるとおしゃまさんが狼じゃなかったら、最初に占った紅さんが狼役職だったりするのかな?
1772 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:51:00
割と厳しい状況になってきたかな
でも私を残す選択をした以上狼陣営は私とラインを割ってくるはず
狼同士で連携してくる可能性はあるね
1773 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:51:04
聖人が従者化してるならあんま長生きして欲しくないって感じだけど。吊りぶっぱはちょっとねー。信用出来なそうなら、襲撃死してくれたらラクってとこですかね。
1774 赤子 羽風 2018/12/13 13:52:36
#考察ベイビー

4人目:アイドル岬たん

無難な不穏枠やな。さっき手相占い候補の話の時ニット帽の兄ちゃんの反応が悪くなかったからここと入れ替えもありかなって思ってる。両方でもいいけど。
1775 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:52:56
ただもしコンピュータが結果騙りしてて弥生が狂人とかだった場合は私はあっさり襲撃されるかな
1776 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:52:59
>>1771
おしゃまさん狼ってどこから来たの。
+166 バニー 結良 2018/12/13 13:53:03
発狂してる可能性はあるが
逆に言えば聖人であることは信じてもいいということで
霊媒とか神主主体に情報利用すれば良いのではないかな
1777 カメラマン つくね 2018/12/13 13:53:18
ん?
>>1771 賢者と聖人のライン切れたっすか?
1778 学生 比奈 2018/12/13 13:53:23
発狂してるなら襲撃死しないんじゃないか?
1779 学生 比奈 2018/12/13 13:53:49
その他の襲撃役職か。
1780 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 13:53:52
聖人従者化の場合、弱い狼を売り、強い狼に村役判定を出してくる可能性はどうだろうか
1781 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:54:30
>>1779
そそ
1782 学生 比奈 2018/12/13 13:54:44
>>1775
その場合は、聖人を吊らせにくると私は思った。
1783 カメラマン つくね 2018/12/13 13:54:45
賢者さん・弥生さん黒
聖人さん・弥生さん非村役職

こうっすよね?切れてはいないっすよね?
1784 赤子 羽風 2018/12/13 13:55:24
#考察ベイビー

5人目:小百合ちゃん

この人嘘上手いらしいから何もなくてもとりあえず警戒しとくわ。吊れ吊れ言ってたら狼COしてくれるかもしれんな。吊ってみるか。

小百合ちゃんが誰をどう怪しんでるのか興味ある。
1785 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:55:26
>>1776
ううん?ちがうよ。おしゃまさん狼って言ってるんじゃなくておしゃまさんが狼だったら噛まれないのは当然。狼じゃなかったら占った先の紅さんが狼で、おしゃまさんが偽物だって狼が分かったんじゃないかな?っていう意味だよ
1786 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:56:23
おしゃまさんが本物で従者化していることもあるんだね
陣営変化はややこしいよ・・・
1787 学生 比奈 2018/12/13 13:56:24
>>1781
銀狼さん聖人噛んでください!!!
1788 カメラマン つくね 2018/12/13 13:56:36
聖人さん発狂してても吊りはまだいいかなって思ってるっすけど、そしたら紅さんを手相占いに入れてみたらどーっすか?
1789 学生 比奈 2018/12/13 13:56:49
99人村今日の朝閉じてたのか。
後半全く顔出してなかった。
1790 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:56:58
従者とは・・・
1791 おしゃま 優奈 2018/12/13 13:57:04
>>1787 それ吊るのと何ら変わらないからね!?
1792 ウェイトレス 南 2018/12/13 13:57:04
>>1785
いや、断言してるわけじゃないのは分かってたけど、おしゃまさん人狼説が新しかったので聞いて見た。
+167 バニー 結良 2018/12/13 13:57:17
閉店ガラガラ
1793 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:57:20
従者【陣営変化】
仕えています。
忠誠を誓っていて対応した主人が襲撃が成功されそうになると身代わりになります。
主人の勝利が自身の勝利になります。
1794 教育学部 伊澄 2018/12/13 13:59:09
>>1792
なるほどー
1795 学生 比奈 2018/12/13 13:59:34
浅はかなり。
1796 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:01:02
考察ベイビーがんばれ〜。
-96 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:01:03
よし!村人騙ろう!!そんで不審者でもなんでも思ってもらおう!
考えるのが面倒になってきた!
1797 赤子 羽風 2018/12/13 14:01:59
#考察ベイビー

6人目:東君

なんか村の進行とかまとめに興味ありそうだけど、元々こういう人だっけ?その割に南ちゃんとか数人が「読んでなさそう」評を出しているな。

初日>>2:496>>2:506四天王勝利にロマン求めてた=勝ちづらい陣営?>>219>>1476等今日の手相占い関連への言及+「自分は手相占いには投票しない」を合わせると……妖魔ってことにしておこう。
1798 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:04:49
>>1797
弥生さんが変な投票をした、くらいにしか認識してないっぽかったところかなー。帝狼疑念が掛かってるってことを知らないんだと思った。どっかで。
1799 文学部 麻耶 2018/12/13 14:06:20
>>1760 実質柱っていうのは投票トリガーで陣営変化させてくるような輩もいるし、占い系統の中では信用を得難い役職な自覚もあるんで何かあったとき真っ先に疑われて死ぬやろなぁって思って書いた、確か
1800 学生 比奈 2018/12/13 14:07:53
よーまはログをよーまない
1801 赤子 羽風 2018/12/13 14:08:31
#考察ベイビー

7人目:ダーヴィド

賢者が人間だと言っている、とコンピュータが言っている。少なくとも溶けなかったから非妖魔ってことか。

>>3:35>>3:63>>54「ニートはコンピュータである」ことを念押ししてるあたり村っぽいかなーと思ってる。自分が占われる前も占われた後も念押ししてるのがイイネ。俺を1人の灰として見てくれ的なアレを感じた。

>>2:521以降塗絵ちゃんとバチバチやってたのは中の人たち的に日常風景なのか誰か教えてくれ。
1802 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:08:38
>>1777
弥生さんの霊能結果が二人のが一致しないんだよー
1803 文学部 麻耶 2018/12/13 14:08:52
>>1800 貴重なキリ番をそんなクソ寒いギャグで埋めていいと思ってんの?
1804 文学部 麻耶 2018/12/13 14:09:21
>>1802 人外は「村人」って表記になるやで
1805 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:10:07
>>1804
え!?えそうなの!!?ごめん!
1806 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:10:49
じゃあ全然ラインきれてなんかないね!ごめんね!
1807 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:11:05
伊澄くんさすがにマジ?
1808 修道女 クリスタ 2018/12/13 14:11:22
この伊澄さんに仲間はいないな
1809 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:11:38
>>1788 確かに。
+168 バニー 結良 2018/12/13 14:11:47
本当にそうかな
1810 おしゃま 優奈 2018/12/13 14:11:47
>>1807 99人村の学者判定をどう思ってたんだろう…
1811 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:12:30
>>1810
二回参加してるはずなんだけどね、99人村……。
1812 学生 比奈 2018/12/13 14:12:44
>>1803
ご、ごめん。
1813 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:13:04
え、でもまって?生命維持装置さんは弥生さんを霊能結果で狼、おしゃまさんは人間って言ったのはやっぱり切れてるんじゃないの??
あれ?違うのかな

1814 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:13:09
ただ、判定を騙るということは、生存役を期待してのことだろうが、紅さんを託すのかというとどうなんだろう。
1815 修道女 クリスタ 2018/12/13 14:13:37
コンピュータが嘘ついてるとしたら>>1726がかなり手が込んでるので信用していいものだと思っているが
-97 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:13:58
何回したってわかんにゃいもん
1816 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:14:00
伊澄さんタイプは判断しにくい。。
1817 学生 比奈 2018/12/13 14:14:23
おしゃまさんはそもそも弥生さんを人間と言ってないような。
1818 修道女 クリスタ 2018/12/13 14:15:01
>>1813
おしゃまーんが出したのは人間判定じゃなくて村人判定だよ
おしゃまーんの判定は人外は全部村人判定になる
なのでなにもおかしなところはない
1819 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:15:09
聖人(君)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
学者と霊媒師と神主の能力を持っています。
1820 おしゃま 優奈 2018/12/13 14:15:19
別に紅を手相占い師に占わせるのはいいよ
私が言ってもなんだけど
1821 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:15:21
>>1811
ご・・・ごめんね。いまだに理解しきれてない役職が多くて・・・
1822 学生 比奈 2018/12/13 14:15:36
がんばれ伊澄さん...っ!
1823 赤子 羽風 2018/12/13 14:15:41
#考察ベイビー

8人目:南ちゃん

甲子園に連れてってあげたい女子堂々1位だな。>>29の反応とか結構自然なんじゃないか。情報がなさそうな感じはする。

疑われた時の反応が結構過敏な感じ(伊澄君とかヴィクトリアちゃんとかの絡み辺り)で、そこそこ生存欲を感じる。言いたい奴は言わせとけみたいな人なんかなーとか勝手に思ってたけどそうでもないんかな。

よく分からんから手相占いGOって意見はまあ分かる。
1824 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:16:25
学者系は過去二回とも出ていたはずだが……。
1825 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:16:56
つついたら考え始めたが、役職由来というより中身由来な気がするんだよなぁ。
1826 修道女 クリスタ 2018/12/13 14:17:06
>>1769
星児はドワーフも黒も人外だから一緒とか言い出したのはマジかよ……って思ったが、変に誤魔化そうという感じがしなかったので確かに人外の本体ではなさそう
1827 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:18:09
>>1823
南ちゃんの番待ってた!ありがとー!!
1828 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:19:18
なにが甲子園と思ったらタッチか。
1829 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:19:19
学者(学)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
役職を調べることができます。
占い師と似ていますが妖魔など占いで死ぬ役職を呪殺できません。
ただし呪狼など占った方が死んでしまう役職を調べると呪い殺されてしまいます。
役職を判明できるのは村側陣営のみです。それ以外の陣営の役職を調べると全て村人と表示されます。
1830 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:22:37
>>1815 未練者いるかもだし、そうそうに嘘はつかないような気がしている。
1831 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:22:57
学者は中身を占う!そして村陣営以外だったら村人表記!覚えたよ。たぶん…
1832 赤子 羽風 2018/12/13 14:23:46
#考察ベイビー

9人目:真子っち

警察官の誤爆について結構丁寧に事情聴取してた割にその結論がどうなったのか謎だな。

3日目>>3:1283>>3:1314>>3:1351からどう感じたか知りたいのと、それ放置で>>4:1255って処刑先にあんまり興味なさそうなんだよな。警察官を吊るかどうかって結構村の中で中心の話題だったのに、4日目襲撃の話ばっかりだし。

この人、役職や勝利条件問わず推理するの好きで真面目な印象持ってるから結論適当に放り投げられてるのは気になるところ。
1833 文学部 麻耶 2018/12/13 14:25:06
>>1830 その未練者が骸狼だと否定できるものは投票(任意)くらいしかない
まあそれでも生還者とか、墓の中身見られる村役はいるけどね
1834 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:26:23
>>1833 課金者が引けば解決だ。
1835 文学部 麻耶 2018/12/13 14:27:42
>>1834 なるほど
しかしわかりきった未練者をわざわざ縄にかけるかと言われたら謎
+169 バニー 結良 2018/12/13 14:28:09
星児人狼じゃねーかな
1836 文学部 麻耶 2018/12/13 14:28:38
面談が前倒しで早々に終わったのはいいんだけど自分の環境としては何一つ変わってないからよくない
+170 バニー 結良 2018/12/13 14:28:52
>>1826
こいつがこんなことを言い出してるときは逆を狙え!
1837 文学部 麻耶 2018/12/13 14:29:03
リアルがアイキャンフライ状態
1838 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:29:40
>>1835 それはその通りなので、役職伏せてる時に襲撃してもらう形しかないだろうか。
1839 赤子 羽風 2018/12/13 14:29:58
#考察ベイビー

10人目:クリスタ

手品師〜?それは嘘じゃろ〜。と煽っておこう。俺はシャッフルされてもされなくてもどっちでもいいからな。多分いい人っぽいから能力使うならさっさと使ってくれるんじゃないか。

真面目な話、手品師の割に議論に真剣って言うか「シャッフルしてからが本番だぜ!」みたいな印象ないからやっぱ偽だな、うん。人外かどうかとかはよく分からん。占うか。

一応罠の話は本当だと思う。
1840 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:30:11
生きて。。。
+171 バニー 結良 2018/12/13 14:30:50
さすがベイビーは話がわかるぜ
1841 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:31:19
ああ、そうだ。
摩耶さん、希望まとめいつまでに欲しいとかありますか。
1842 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:32:23
霊媒師(媒)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:○][狼:×][妖:×][呪:×]
霊能者系です。
処刑された者の役職が判明します。
学者と同様に役職がわかるのは村側陣営のみです。
それ以外は村人と表示されます。
1843 赤子 羽風 2018/12/13 14:33:48
#考察ベイビー

11人目:要っち

猫又らしいにゃー。一旦手相占いで人間保証されたから急いでなんかしたいとかはない。

仕様まわりが強引だったから不穏ではあるけど……この人が不穏じゃない時はない気がするので関係なかった。
1844 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:34:17
>>1843
わらう
-98 番長 露瓶 2018/12/13 14:35:59
うーん…厳しいなぁ…
噛みと占いは仕方ない部分も大きいが、吊りくらいは自力で回避して欲しかったんだが…
1845 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:36:03
おしゃまさんは本物としても、やっぱり噛まれないのがなんでだろう?ってなるから手相占い師に紅さんを見てほしいな
1846 文学部 麻耶 2018/12/13 14:36:04
>>1841 んーにゃ
7時前後はコアタイムだしギリギリでも構わへんよ
それに他人に押し付けといて期限まで決めるのもどうかと思うし
1847 文学部 麻耶 2018/12/13 14:37:33
7時前後というか明後日まであるやーん
それこそいつでも問題なし
1848 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:38:17
飛ばされてる。
-99 番長 露瓶 2018/12/13 14:38:21
素村COが通るとナチュラルに考えてた様子でだいたい分かってはいたが…
自力の白さがあってギリギリのラインだろう
1849 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:39:26
では、適当に。
1850 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:39:58
弥生さん黒判定を受けて。
>>829>>880 仲間への言及にしては微妙?
>>916 ここはスパッと切ってる。
>>1001>>1117 よくわからんから狼へ。
1851 令嬢 御影 2018/12/13 14:40:43
めっちゃ腹痛い
1852 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:41:29
>>1851
お腹暖かくしてねー。
1853 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:41:57
御影さんは唐突っぷりが窓なさそう感。
-100 番長 露瓶 2018/12/13 14:42:04
フォローしようにも東くんを白いとかよう言えんしなぁ
そんなん言った瞬間、私に占いか襲撃が飛んできそう
1854 赤子 羽風 2018/12/13 14:42:28
#考察ベイビー

12人目:塗絵氏

妖狼希望の話とか▼要希望とか、印象は悪くないな。警察官投票の流れに乗っからない>>4:843のもイイネ。組織票したい感じがない。

ネタで恋の矢刺すなら結構有り得ると思う。警戒するなら狼妖魔より恋って感じ。
1855 赤子 羽風 2018/12/13 14:43:03
あっ、ヴィクトリア抜かした
1856 令嬢 御影 2018/12/13 14:43:04
村のことをTwitterだと思ってるからね
1857 赤子 羽風 2018/12/13 14:44:52
#考察ベイビー

13人目:ヴィクトリア

抜かしたことに深い意味はない……ごめんね。

証明可能らしいから時期が来れば分かるでしょって思ってた。終わり。
1858 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 14:45:56
みんなそんな感じなんだろうな。。。
1859 ニート 欧司 2018/12/13 14:46:01
ワクワクが止まらない!
楽しみだな、考察!!
-101 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:46:19
四天王はいるけど仲間は居ない黒幕はやっぱりボッチで寂しい役職だよね。同じボッチでもやっぱりパン屋さんになりたい
1860 ウェイトレス 南 2018/12/13 14:47:32
ニートさんのことも考察してもらえるのかな?
-102 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:47:58
食パンとクロワッサンとバターロールとメロンパンは作れるからきっとなれるよね
1861 文学部 麻耶 2018/12/13 14:51:17
ニート考察楽しみです(無茶ぶり)
-103 教育学部 伊澄 2018/12/13 14:51:24
毎朝パンだけ作って生きていたい
1862 赤子 羽風 2018/12/13 14:54:25
#考察ベイビー

14人目:番長ロビン

これ!っていう自分の強い主張がある風ではないけど人の発言はよく読んでるんじゃないか。しかし村への貢献意欲って感じはないんだ。

>>3:460からの>>3:465が異様に早いのとわざわざ>>3:473で釈明するあたり……窓持ち臭がするぜぇ。
+172 学生 昌義 2018/12/13 14:54:30
それは露骨なんじゃないか相方。
+173 バニー 結良 2018/12/13 14:56:21
人間多少露骨なくらいがちょうどいい
1863 赤子 羽風 2018/12/13 15:00:16
#考察ベイビー

15人目:緑キャップの小学生

>>1466が出てくるのは意外だった。占い先興味あるのかい?

優奈ちゃんが>>1758って言ってるのは置いといて、手相占いの候補から外れると聖人の占い先候補になりうると思うのだが、聖人は溶かせないじゃろってことなんやろか……?結構大胆に10人ぶっこんで来たのが少し気になったかな。
+174 バニー 結良 2018/12/13 15:02:00
>>1635
確かにこの辺は露骨にあざといが
1864 ウェイトレス 南 2018/12/13 15:05:22
#手相希望

吊りではなく、わざわざ占いを使うという意味なら、御影ちゃん、塗絵さん、小百合さんあたりですかねー。紅さんもアリだと思います。人数に余裕があるなら、ダーヴィドくんにもお願いしたいと思って居ます。ニートさん情報の白ではあるのですがー。
-104 番長 露瓶 2018/12/13 15:05:57
窓はあるんだがな
完全に人間性能で行ったことを窓のせいにされるのは心外である
1865 赤子 羽風 2018/12/13 15:06:07
#考察ベイビー

16人目:研修医の忍君

>>3:786>>829真面目だな。>>909とか柔軟な感じで村っぽいと思うぞ。人外って結構結論ありきと言うか方針ありきなところがあるからな。

わざわざ>>1038>>1057回答してくれてるのも、推理意欲というか模索してる感じがあってイイネ。
_1 絵本作家 塗絵 2018/12/13 15:06:44
覗きはいるのかな いないか
1866 ウェイトレス 南 2018/12/13 15:07:23
大して変わってませんが、出しておきましょう。
もうちょっと人数いけるとは思いますが、人数分挙げる必要もないと思いますー。他の人もいるし。
1867 赤子 羽風 2018/12/13 15:07:54
#考察ベイビー

17人目:つくね

おいしそう。>>3:638が何か刺さってたら逆に言わんじゃろって感じで今のところ村だと思う。
-105 番長 露瓶 2018/12/13 15:09:06
まさか闇鍋で灰考察を出さなければいけない羽目になってくるとは思っていなかった
-106 番長 露瓶 2018/12/13 15:10:43
まぁ別に出さなくていいか
出さん奴も多いだろう
1868 ウェイトレス 南 2018/12/13 15:10:45
あと、立候補もいるでしょうしねー。採用されるかはともかく。
1869 ウェイトレス 南 2018/12/13 15:12:17
南は積極的に立候補はしませんが、指定されるなら従いますと言っておきますー。
1870 赤子 羽風 2018/12/13 15:13:21
#考察ベイビー

18人目:伊澄君

俺のあざとセンサーに引っかかる。こいつは信用ならねぇぜ。

ただ99人村との比較になるがよく分からんなりに意見言いたそうにしてるし村6:人外4って感じかな。

そもそも聖人と賢者のラインが本当に切れてて謎だと思ってたら窓の中で先に話題にしそうというメタから非窓勢と思われる。
1871 赤子 羽風 2018/12/13 15:14:39
#考察ベイビー

19人目:優奈ちゃん

かわいい。聖人は真じゃろ。発狂とか陣営変化系はなんでもあると思う。一旦様子見。かわいい。
1872 ニート 欧司 2018/12/13 15:15:04
>>1871
かわいい。
1873 赤子 羽風 2018/12/13 15:15:33
#考察ベイビー

20人目:御曹司の坊ちゃん

怪しい。占おう。
1874 赤子 羽風 2018/12/13 15:17:51
#考察ベイビー

21人目:紅ちゃん

勇者だろ。優奈ちゃんが村側って言うからとりあえず村側でいいかなって思ってる。発言少なくてよく分からん。
1875 赤子 羽風 2018/12/13 15:19:38
#考察ベイビー

22人目:ママ

>>2:30これで狼ってことはないんじゃない?と思うのは安直か。

発言少なくてあんまり視線も集まらないし手相占いに入れておくのがいいのではないか。
1876 赤子 羽風 2018/12/13 15:25:34
#考察ベイビー

23人目:令嬢

この人の投票は弥生並みに気になっていた。

3日目の感じから個人的なこだわりなのかなーと思って4日目の投票先とか気にしてたんだけど結局弥生に揃えてるし、じゃぁなんで3日目揃えなかったん?とか。

ダーヴィドは白出たからって理由なら>>438>>444で南投票でもええやん?とか色々。なんかありそうやね。
1877 赤子 羽風 2018/12/13 15:26:52
#考察ベイビー

24人目:比奈ちゃん

うーん多分村。
1878 学生 比奈 2018/12/13 15:27:08
めっちゃ待ってたのに。
1879 学生 比奈 2018/12/13 15:27:18
7文字って。
1880 学生 比奈 2018/12/13 15:27:28
.......。
1881 学生 比奈 2018/12/13 15:28:19
赤ちゃんに投票します。
1882 ニート 欧司 2018/12/13 15:28:20
私の超長文考察の犠牲になったのだ・・・
1883 赤子 羽風 2018/12/13 15:28:41
あっ、ニット帽抜かした?
学生 比奈 が 赤子 羽風 に投票しました。
1884 学生 比奈 2018/12/13 15:29:46
クソ役職を押し付けた挙句。
1885 赤子 羽風 2018/12/13 15:29:52
#考察ベイビー

25人目:ニット帽の彼

無難枠かなーと思ったけど、手相占いまわりの反応が悪くなかったから今はそこまで気になってない。ミルクの臭いがする。
1886 赤子 羽風 2018/12/13 15:32:42
えー仕方ないなぁ。

#考察ベイビー

24人目:比奈ちゃん

アンカー拾ってくるの面倒なくらいな数の発言で真面目に議論参加してると思う。要所要所で鋭いと言うか押さえた発言してると思ってるからとりあえず村でいいんじゃないかと。

99人分の灰考察お待ちしております。
1887 赤子 羽風 2018/12/13 15:35:02
#考察ベイビー

26人目:パパ

誤爆まわりの感想は結構言ったからもういいかな。積極的に吊りたいとは思ってない。

が、>>854って言われるのは仕方ないと思うのでもっと頑張ってみないか。
1888 ニート 欧司 2018/12/13 15:35:47
キターーーーーーーー!
♪───O(≧∇≦)O────♪
1889 赤子 羽風 2018/12/13 15:35:51
#考察ベイビー

27人目:ニート

頑張って働いてくれ。
1890 赤子 羽風 2018/12/13 15:36:10
よし、終わったぞ。
-107 番長 露瓶 2018/12/13 15:36:49
しかし…自分の役職も分からないのがこれほどやりづらいとは…
テキトーにやってる素村ムーブで狼さんたちに庇ってもらおう
1891 ニート 欧司 2018/12/13 15:37:45
>>1890
えっ?
1892 ニート 欧司 2018/12/13 15:38:37
死んでも働いているニートに・・・
せめてこう、村側だとかいや敵対しているとかなんかこう・・・
1893 赤子 羽風 2018/12/13 15:39:51
>>1892
うーん、どっちとも取れるから分からん。君一匹狼でも働くからな。
1894 文学部 麻耶 2018/12/13 15:39:52
社畜に肩書き変えた方がいいなじゃないかな
-108 番長 露瓶 2018/12/13 15:41:59
私は人狼猫じゃないかと思ってるんだけどなー
相方は本当に村人だと思ってそうだけど
-109 番長 露瓶 2018/12/13 15:43:46
こんなにバンバン狼死んでいってると人狼猫だったら詰んでる気がするんだよなぁ
1895 学生 比奈 2018/12/13 15:44:28
絶対総合したらベイビーのほうが発言してると。
1896 ニート 欧司 2018/12/13 15:44:38
・・・
1897 学生 比奈 2018/12/13 15:45:29
だけど投票はベイビーから変えないぜ。
1898 赤子 羽風 2018/12/13 15:47:20
1票じゃ俺は吊れねぇよ
1899 ニート 欧司 2018/12/13 15:49:18
ニートはね、生存してみたいんだ。
今まで一度も生存して村が終わったことがないからね。
死亡率100%の呪縛から解放されたくて99人村に来たんだ。
死んだね。即死んだね。
次こそは生存できる役職が来ると信じてこの村に来たんだ。
死んだね。ダミーより早く死んだね。

なんなん?
1900 ニート 欧司 2018/12/13 15:49:44
なんなん?
-110 番長 露瓶 2018/12/13 15:50:18
飽和が無理くさい
狼全滅で赤窓引き継ぐのはだいぶキツイ
その前に何かしら食らって発覚すると死ぬ
1901 赤子 羽風 2018/12/13 15:50:33
>>1899
まぁ気を落とすなよ。次の村で頑張って生きようぜ
-111 番長 露瓶 2018/12/13 15:52:10
もう噛んでほしいです…勝ち筋が見えないよぉ…
99人村より無理ゲーな気がする…
1902 ニート 欧司 2018/12/13 15:52:49
>>1901
ウィー〜〜!
+175 バニー 結良 2018/12/13 15:53:05
+176 ニート 欧司 2018/12/13 15:53:44
草も生えない・・・
1903 文学部 麻耶 2018/12/13 15:55:03
ああああああああああ気づいたら1891終わってるうううううう
+177 バニー 結良 2018/12/13 15:55:11
まあ死んだことは死んだとはいえ
君の一票が世界の命運を左右する未来もあるだろう
ウェイトレス 南 が 警察官 晋護 に投票しました。
1904 文学部 麻耶 2018/12/13 15:55:39
1860あたりから待機してたのに忘れてたとは不覚……
1905 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 15:55:53
>>1801
中の人的っていうか、言っちゃうとそりが合わない。この一言に尽きると思う。
1906 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 15:56:28
ダミーよりも早く死ぬとかなかなか出来る経験じゃないから喜んでいいと思うんだ
+178 バニー 結良 2018/12/13 16:00:50
この国のダミー結構しぶといからな
1907 文学部 麻耶 2018/12/13 16:02:34
はにほへといろはにほへといろははろいとへほにはくいんてっ
1908 小学生 朝陽 2018/12/13 16:07:53
麻耶から指定しないならリクエスト8人全員に出させる指示ぐらいはしよう
1909 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:09:25
>>1774 不穏って>>2:79>>3:1252とか?
1910 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:20:50
>>2:311ってノリだったんかな。
1911 赤子 羽風 2018/12/13 16:23:45
>>1909
具体的にどの発言がとかではなく戦術論とか一般論ばっかりで推理意欲なさそうなところって言うか、人の視線集めない無難なところを不穏って表現した。

あと>>999の一匹狼って突然どうした?とか
1912 赤子 羽風 2018/12/13 16:24:08
>>1910
それはネタ……
+179 バニー 結良 2018/12/13 16:28:02
一匹狼ではなく狼一匹
1913 令嬢 御影 2018/12/13 16:28:30
>>1876
ダーヴィド怪しいと思って投票して以降ログをまともに読んでいないので学生にまとめられてると知らなかった、というのが回答になるな
序盤だしまとめがあるとあまり考えていなかった
1914 令嬢 御影 2018/12/13 16:29:47
まあしかし確かに、過半数を人外が占めていそうな村でグレランなんかしないか
1915 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:30:27
2日目、昌義さん弥生さんは第一声が遅いな。
それより第一声が遅いのは、忍さんと続さんだけ。
+180 バニー 結良 2018/12/13 16:30:59
二人ともそんなに頻繁に来ないからな
1916 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:31:55
>>1911 前半は了解。
後半は一匹狼じゃなくて、毒になった狼の話では。
1917 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:34:01
御影さん、判定を把握してなかったってことなんだろうけど、そんなに今回やる気ないのん?
わざわざ入ってくれたのに。
お忍び ヴィクトリア が投票を取り消しました。
1918 赤子 羽風 2018/12/13 16:36:55
>>1916
狼一匹と一匹狼を読み間違えてた
1919 赤子 羽風 2018/12/13 16:39:06
>>1913
帝だの桜だのって警戒されてるからある程度疑われるのは仕方ない。弥生が吊られたのも起点はそこだしな
1920 ニート 欧司 2018/12/13 16:39:43
>>1906
わーい!(棒ー)
1921 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:40:57
>>1912 ただのネタか。。
人外炙り出したろ!って援護射撃した村側でも、ネタにのった人外でもありうるから要素にならないか。
1922 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:44:34
>>3:4はコミット直前に喋っていないことを踏まえると判定が怖くない立場なのだろうか。
*129 外来 真子 2018/12/13 16:47:51
ただいまですー。

>>*122
それだと蓑亀のつもりで考えてた方がいいですかね。
まぁつじつま合わせ等はおいおい?

今日は18:00くらいには浮上、かな。
1923 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:50:13
>>2:414って唐突だな。
なんでだったんだろう。
+181 バニー 結良 2018/12/13 16:53:16
>>2:413
>>2:414の流れならそう唐突でもないと思うが
-112 教育学部 伊澄 2018/12/13 16:53:38
>>1870
献立考えるのも大変なんだよ!
1924 ニート 欧司 2018/12/13 16:56:03
>>2:413
>>2:414の流れならそう唐突でもないと思うが
Byバニー 結良さん
1925 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:56:07
次の言及は>>3:117
「ほら人外だったでしょ!
私って魂が白いから自然と人外当てちゃうんですよね」
とか言いそうなイメージなんだけど。
1926 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 16:58:00
>>2:413が臭っただけなのかな。
1927 カメラマン つくね 2018/12/13 17:02:08
投票の振り分け中な感じ?
賢者手相占い両方真でみるなら俺は結果は一緒になるから吊り先に投票でいいっすよね?
1928 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:04:43
>>1927 いいと思うよ。
1929 カメラマン つくね 2018/12/13 17:04:45
>>1870 うーんうーん、中の人を知ってるので、窓あってもこんなかんじだよな、ってのが先行するっす
1930 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:05:08
そういえば、占CO増えないな。
1931 カメラマン つくね 2018/12/13 17:05:35
>>1928 ういっす。さんくす。
1932 ニート 欧司 2018/12/13 17:06:53
ニア占い師CO(生命維持装置さんが本体)
推理師CO(青窓連合)
1933 学生 比奈 2018/12/13 17:07:04
手相には普通に怪しいところをぶつけるのか、わりと印象いいところをぶつけるのか。
1934 学生 比奈 2018/12/13 17:08:33
明日灰雑するかー。
1935 学生 比奈 2018/12/13 17:08:52
パソコンじゃないと灰雑する気にはなれない。
1936 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:09:14
>>1932 いつもお世話になってます。
1937 御曹司 満彦 2018/12/13 17:10:11
怪しいところの方が良さげなんじゃないですかねー
不安要素は排除したくなるお年頃
1938 ニート 欧司 2018/12/13 17:12:03
学生昌義さんやツンデレ弥生さんが推理してくれるとニートの推理力がパワーアップするのですが・・・
1939 カメラマン つくね 2018/12/13 17:12:32
令嬢さんの投票が気になる人は令嬢さんが何の目的で投票悪目立ちしたと考えているっすね。
二匹目の帝?
1940 学生 比奈 2018/12/13 17:12:45
人外に頼るな。
1941 学生 比奈 2018/12/13 17:13:28
帝だとしたら投票先が渋井丸拓男じゃない?
1942 学生 比奈 2018/12/13 17:14:33
いや、要さん投票であれこれ言われてたから帝はこんなもんでいいのかな。
+182 バニー 結良 2018/12/13 17:17:14
帝でダーヴィドは仲間にせんだろ
1943 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:20:55
>>3:404で誤爆に素早く反応している。
タイミングいいですね。。
1944 カメラマン つくね 2018/12/13 17:21:20
聖人発狂の可能性があるなら、紅さん手相占いに出そうよ。
聖人が結果村人だったのを村役職変えた可能性つぶし。
1945 ニート 欧司 2018/12/13 17:22:04
発狂を占っても無意味では?
1946 ニート 欧司 2018/12/13 17:22:58
占い師→占い師
占い師(発狂)→占い師
判定のままでは?
+183 バニー 結良 2018/12/13 17:23:05
問題は紅がちゃんと投票するかどうか
1947 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:23:21
満彦さんは晋護さんの誤爆に反応なし。
気にならなかったのかな。。
1948 ニート 欧司 2018/12/13 17:23:32
あ、紅さんか。
失礼しました。
1949 カメラマン つくね 2018/12/13 17:23:54
ん?発狂したかものは聖人さんで、聖人さんが発狂したかも直後に占い結果出した先が紅さんっすよね?
1950 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:24:55
優奈さんの学者村役職判定だった紅さんを、手相組にまわすという話ではないでしょうか。
1951 警察官 晋護 2018/12/13 17:26:10
...?
生きてる
1952 ニート 欧司 2018/12/13 17:26:13
よみちがえていたことに気がつきました・・・
1953 ニート 欧司 2018/12/13 17:26:40
>>1951
今日死ぬぞ?多分。
1954 カメラマン つくね 2018/12/13 17:27:43
>>1950 これこれ
非狼非妖魔ならとりあえず悩まなくていいし。

デメリットは、手相占いが偽もしくは陣営変化の場合、紅さんに黒あてて、村役職の中身開示させる方向に向かせるだろうなってこと。
1955 ニート 欧司 2018/12/13 17:28:33
問題は紅がちゃんと投票するかどうか
byバニーさん
1956 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:29:11
御影さんも誤爆騒動に無関心。
+184 バニー 結良 2018/12/13 17:29:41
シンゴ吊っても意味なくない?
ランダム発動なら狼じゃないっしょ
1957 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:29:47
紅さんはCO素直にしてくれない可能性も高い。
+185 バニー 結良 2018/12/13 17:30:02
シンゴ吊るならまだクリスタ吊っとけよ
1958 警察官 晋護 2018/12/13 17:31:48
状況が読めぬ
1959 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:32:52
ログを読み、考える気にはならないかな?
1960 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:33:15
生きていたかったのではないのか?
1961 ニート 欧司 2018/12/13 17:33:44
シンゴ吊っても意味なくない?
ランダム発動なら狼じゃないっしょ

シンゴ吊るならまだクリスタ吊っとけよ

バニーさんに裏付けられたニートの圧倒的考察力にひれ伏すのだ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1962 カメラマン つくね 2018/12/13 17:34:12
>>1958 方向性を検討中なんで、灰考察くれたらみんな喜ぶっすよ
1963 御曹司 満彦 2018/12/13 17:34:19
>>1947
誤爆かー、ふーん って感じで特に気にしなかった記憶
罠師とかいう判断するのもびみょーな役職だったし、元々この人に興味が薄かったのもあったかな
1964 学生 比奈 2018/12/13 17:34:35
考察なくてもバニーさんはクリスタさん吊りと言いそうだから。
1965 ニート 欧司 2018/12/13 17:34:45
>>1958
私考察をしよう、そうしよう。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1966 警察官 晋護 2018/12/13 17:36:27
あー、なるほど看板娘の仕様はこうなのか
1967 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 17:36:58
>>1963 なるほど。
今の興味はなんでしょう?
1968 警察官 晋護 2018/12/13 17:37:28
いや、ちょっと弥生さんが死んでいるのに
次の日が来ていないことにビビってしまいまして。
1969 修道女 クリスタ 2018/12/13 17:39:26
これ以降はバニーさんの発言は地上に出さなくていいです
1970 警察官 晋護 2018/12/13 17:40:14
>>1965
ゆうれい。
おわり!
1971 学生 比奈 2018/12/13 17:40:27
そしたらバニーさん本人が墓から発言してきます。
1972 修道女 クリスタ 2018/12/13 17:42:18
骸狼じゃねーか
1973 警察官 晋護 2018/12/13 17:43:15
骸狼ってすぐ死ぬっけ
1974 学生 比奈 2018/12/13 17:44:00
晋護さんには生存欲というか緊張感というかそういうものがあんまり見られない。
人外だったら必然的に出そうではあるが、村側ならもう少し出して欲しいとは思う。
吊り視野に入っていない生存欲がない人とは状況が違うのだ。
1975 学生 比奈 2018/12/13 17:44:54
そこに1番当てはまる罠持ち役といえば、やはり狂人であると思う。
1976 警察官 晋護 2018/12/13 17:45:25
バニーさんの話か
1977 カメラマン つくね 2018/12/13 17:45:29
窓があるからランダムにはならない。
第三回99人村の狂窓を見るととてもそうには思えないなっていう
+186 バニー 結良 2018/12/13 17:46:48
罠狼は最初のセット先に罠つけるからランダムにはシステム的にならない
+187 バニー 結良 2018/12/13 17:47:28
狂人の罠と妖魔の罠はほっといたらランダムに設置される
1978 学生 比奈 2018/12/13 17:48:01
晋護さんが村側なら、吊られないための白アピや代わりの吊り先案。
吊られることを容認しているならこれから見ていって欲しい場所所謂灰雑的なものや役職真偽陣営変化についての意見を出して頂けると私は喜ぶ。
1979 学生 比奈 2018/12/13 17:49:27
人外ならばそのまま吊られてくれて結構です。
1980 警察官 晋護 2018/12/13 17:49:37
あー狂人で見られてるのですか。
爆弾魔だっけか狂人版罠師。
生存欲はありますね。
看板死んで吊り増えてるとはいえ。
1981 警察官 晋護 2018/12/13 17:50:15
>>1978
わかりました
1982 学生 比奈 2018/12/13 17:51:56
こうやって人に仕事をさせて私は何もしない...っっ!!
1983 ニート 欧司 2018/12/13 17:53:33
罠を仕掛けられる役職でランダムにセットされるのはいくつかある。
しかし、狼はない。
よって、狼以外では?

狂人妖魔はあるので、そっちでは?
1984 警察官 晋護 2018/12/13 17:54:12
その妖魔の疑いがかかっているのでは。
+188 バニー 結良 2018/12/13 17:58:21
妖魔疑いなら手相に投票して晴らせばいい
+189 バニー 結良 2018/12/13 17:59:01
投票しなければ明日の吊り先になるだけだ
+190 バニー 結良 2018/12/13 18:01:03
狙うべきは狼と殺人鬼
つまりクリスタです
処刑しなさい
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1985 ニート 欧司 2018/12/13 18:03:36
>>1984
手相占い師に投票すれば罠師証明可能。
投票しなければ明日処刑。

狙うべきは狼と殺人鬼
つまりクリスタです
処刑しなさい
By バニー 結良さん
+191 バニー 結良 2018/12/13 18:03:36
星児も処刑して構いません
1986 ニート 欧司 2018/12/13 18:03:59
自分が賢くなった感覚に襲われる・・・
1987 赤子 羽風 2018/12/13 18:04:13
俺も警察官は手相組でいいと思うぞ
1988 囚人 要 2018/12/13 18:05:04
おい南、お前、文学部に投票出来なかったら人外な。
1989 囚人 要 2018/12/13 18:05:19
警察官は吊れ。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
1990 赤子 羽風 2018/12/13 18:06:01
ばぶー
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
1991 囚人 要 2018/12/13 18:06:52
光はどうせ村側だろう、スルーしよう。
まあ手相占いしてもいいぞ。お得だぞ。GO。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 が 文学部 麻耶 に投票しました。
1992 囚人 要 2018/12/13 18:09:10
>>1475
じゃあ俺は警察官に投票してやるよ。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
1993 囚人 要 2018/12/13 18:09:29
スッ
1994 御曹司 満彦 2018/12/13 18:09:58
>>1967
今日の夕飯のおでんの具。
+192 バニー 結良 2018/12/13 18:10:13
ポリを吊ってる場合ではない
1995 赤子 羽風 2018/12/13 18:10:36
>>1994
卵いれよう
1996 囚人 要 2018/12/13 18:10:55
クリスタは確かに、何かこう、なあ。
白くもないし、手品師でも無い。
でもカズマーンだから、味方の敵は通る。

まあ適当に処理しておけ。
1997 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 18:11:29
罠師の証明は学者でないと無理では。
-113 外来 真子 2018/12/13 18:11:40
うーむ、LWになるやもな。胃痛の日々かな。
狼は慣れてないがその時が近づく前に少しはビジョンを持たないとな。
1998 御曹司 満彦 2018/12/13 18:12:20
>>1967

進展として、気になるのは麻耶の占い結果ですかね。何人か黒出そうな人も見かけたので。あと、併せて麻耶のサブがどうなのかも。

人に関してだと光。 (ニット帽)
発言があっさりしてる。少なくとも狼ではなさそう。
気になった所は>>3:1521
それと、活躍できそうなの?って聞かれてた時の答えが曖昧だったのも。

興味があるだけで人外疑ってる訳では無いです。(´-ω-)
1999 囚人 要 2018/12/13 18:12:51
東は別に、案外ああいう奴が村側だったりするもんだよ。
推理小説ではそうなってる。
2000 御曹司 満彦 2018/12/13 18:13:27
>>1995
卵とこんにゃくとだいこんはほぼ確で入ってます🙌
2001 赤子 羽風 2018/12/13 18:14:04
>>2000
焼き豆腐もあれば更に良い
2002 ニート 欧司 2018/12/13 18:14:28
練り物は良いぞ!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2003 赤子 羽風 2018/12/13 18:14:58
ちくわ!ちくわ!
2004 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 18:16:08
>>1994 大根は外せません。
2005 赤子 羽風 2018/12/13 18:16:47
大根は時間がかかるがその分美味い
2006 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 18:16:54
>>1998 黒出そうな人は後で具体的に挙げられます?
2007 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 18:17:25
既に大根入ってた。。
2008 赤子 羽風 2018/12/13 18:18:56
こんにゃくは糸こんと板こん両方入れたいところだ
2009 赤子 羽風 2018/12/13 18:19:23
しかし赤子はこんにゃくを食べさせてもらえないんだ
2010 外来 真子 2018/12/13 18:29:22
ただいまです。

先に軽くログは読んできました。
看板娘はこんな感じになるのか。
弥生さんに黒判定と。賢者と聖人がそろってるならまぁ信じていいかな?というのが感想。
どっちも偽の判定出す可能性はあるとは認識していますが、
とりあえずは弥生さん狼と見ます。

こうなると優奈さんからの村役職判定が出ている紅さんが怪しくはなりますね。
単体では余り印象がないですね。手相占いに突っ込むのはいいのでは。
ここも発狂しているとかはあるかもしれませんが(雰囲気的にないのか?)、結果がどうなるかは情報になるのでは。
2011 外来 真子 2018/12/13 18:29:39
>>1832
そういえば書いてませんでしたね、外出で尻切れトンボに
とはいえ自分わからんことはわからん、ですましますよ
ここにはそれすらないという意味でしょうけど。

まぁ当時の印象で直近喋り出してるのは加味してませんが以下に

>>3:1326
ここらの結論としては、対クリスタさんに疑いを持ってるわけではない感じ。
クリスタさん生かそうというよりは素の感想に見え、一時期あった警察官-クリスタ
っぽくはないですね。
割とふざける余裕がある感じなんですよね>おは妖魔とか
初手仲間吊りになった狼っぽくはない感じ、なので人外なら単独なのかなぁと言う感じ。
2012 研修医 忍 2018/12/13 18:30:07
こんばんは。弥生狼は本当っぽい。
捨て駒狼より帝狼の方がしっくりくるかな。
紅に手相見てもらうとして。他はどうしよ。
状況的に塗絵村かなってなった。クリスタ、ヴィクトリアも非狼と思う。ザル読み印象だけど弥生吊りに動いてたのと帝狼説を言ってたから。占い方針によって挙げる人変わるから麻耶の考えを聞きたい。
2013 外来 真子 2018/12/13 18:30:22
まぁ村でも残せる位置かなぁという感じでしょうか。他に吊り位置出せと言われたら
困るくらいにまだは灰ほぼ見てません。これから見ますね。

>>4:1255
これに関しては帰ってきたら吊先決まってた感じですねぇ。
軽く直近見ての弥生さん投票の流れから。
あとは上記から警察官さん狼という感じがなかったので急いで吊る気もそんなになかったという感じですね。
弥生さんとどっちがというと帝狼についての実感がないのでそれについては周りの皆さんの方が詳しいのかなという感じですね。捨て駒やらなんやらとは言え世論や雰囲気的に見て弥生さんの方が狼、あって狂人、な雰囲気を感じました。
これは結果的に従って正解だった感じかな。
2014 外来 真子 2018/12/13 18:33:06
とりあえず、範男さんは真課金者っぽいですね。
ガチャガチャの下りが騙りで出せるとは思えない素っぽさを感じました。
放置でいいでしょう、毎日のガチャ報告も聞きたい。


おでんには巾着入れましょう、お餅と五目!
2015 令嬢 御影 2018/12/13 18:34:47
>>1919
桜は桜狼のことで、帝は帝狼のことであってるか?
投票で目立つことで占い、あるいは得票を狙うってこと?
桜ならともかく帝って悪目立ちして票が増え過ぎたら吊られるしそんな動きするのか?



2016 研修医 忍 2018/12/13 18:36:15
あと今日忙しいので昨日ほど居られない。すまん。
2017 外来 真子 2018/12/13 18:36:36
羽風さんは純粋な村というよりはなんか特殊なのかな?
って感じはしますね…。
狼でこれを匂わせる意味って何だろう。

なんか前村と比べ、アクティブさが控えめになった感はあるので証明が難しい役ってのは嘘じゃないと思うんですね。

まぁ吊位置ではないですし、人外でも狼っぽくはない。
妖魔?ともなんだかな。妖魔に関してはセンサーも何もないですが置きでいいと思う。
2018 外来 真子 2018/12/13 18:40:57
逆にヴィクトリアさんがすごくアクティブになっている感じがするんですよね。
前でも説明書引っ張りはありましたが、雑談とかには余り混ざってない印象なんですよ。
窓あり→なしの変化なのかな?という感覚かな。
演じて出せてるならすごいですが。
+193 バニー 結良 2018/12/13 18:41:32
帝吊られても聖人引き入れられたらトータルプラス
2019 赤子 羽風 2018/12/13 18:44:06
>>2017
証明自体は誰の目にも明らかにすることはできるぞ。その時が来ればな
2020 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 18:44:34
村側と人外で動きを変えすぎると次から困るので、普段は窓なしでも沈みぎみに動くようにはしてますね。
2021 外来 真子 2018/12/13 18:45:08
羽風さん考え直してみるとアクティブさの方向性が違うだけかな。
でもまぁ前と動き違うのは立場違うから当たり前か。
(まとめに近いのと灰ではそりゃ違う)


とりあえず、あんまり読まずの印象はこんなもの。ちょっと読んできまする。
2022 外来 真子 2018/12/13 18:47:35
>>2019
そうなのですか。パッとは思いつかないのはまぁ知識不足なのでしょう。あとで説明書とにらめっこしてネタバレを待ちます。

>>2020
普段はってことはなにか今回は何かあるってことです?
怪しむというよりは興味の方向性ですね。これは。
2023 学生 比奈 2018/12/13 18:48:06
そうやってその時がこない人外を私は何人も見てきた。
2024 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 18:48:29
>>2022 前村であんまり喋れなかったから。。。
2025 赤子 羽風 2018/12/13 18:49:19
>>2023
俺がいよいよ怪しくなって放置できなくなればその時は来るぞ……多分な
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2026 外来 真子 2018/12/13 18:51:24
>>2024
お疲れ様です…。(勝手な多忙予想

>>2025
あー、来ないフラグですね、これは。
2027 ニート 欧司 2018/12/13 18:51:54
猫又じゃーーー!
2028 赤子 羽風 2018/12/13 18:52:49
にゃーん
2029 ニート 欧司 2018/12/13 18:53:09
コンピュータは間もなく本日の業務を終了します。
具体的には後1時間程度で。
御用の方はお早めにどうぞ!
2030 赤子 羽風 2018/12/13 18:54:07
>>2029
マインスイーパーやりたいんだが
2031 ニート 欧司 2018/12/13 19:00:48
>>2030
マインスイーパーで検索ゥ!
2032 赤子 羽風 2018/12/13 19:01:11
(´・ω・`)
-114 教育学部 伊澄 2018/12/13 19:04:06
2033 教育学部 伊澄 2018/12/13 19:12:54
今戻ったよ。灰雑をした方がいいんだろうけど、まだ箱前じゃないからやめておこ。
今日の夜と明日の夜は別の用事があるから不在だよ。
2034 教育学部 伊澄 2018/12/13 19:18:49
おでんにはうどん入りのこんにゃくは外せないと思うんだ
2035 教育学部 伊澄 2018/12/13 19:19:11
こんにゃくじゃない、巾着!
2036 ニット帽 光 2018/12/13 19:25:24
確かにこんにゃくもおでんの必需品ではあるが
2037 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/13 19:29:34
>>1875

はーたん、ママですよ〜
ミルク飲みましょうね☆
2038 赤子 羽風 2018/12/13 19:31:02
>>2037
ばぶー
2039 教育学部 伊澄 2018/12/13 19:32:56
>>1870
自分で言うのもあれだけど、村だろうが狼だろうがなんだろうがこんな感じだと思うよ
第2回99人村のログを見返しても僕はあまり進歩してないかな…
2040 教育学部 伊澄 2018/12/13 19:33:29
>>2036
こんにゃく食べたかったんだ…でももう既に出てたし
*130 ウェイトレス 南 2018/12/13 19:40:08
その機会はなさそうだ。
2041 御曹司 満彦 2018/12/13 19:47:57
>>2006
ウェイ2人と小百合。この中に少なくとも1wはいそうだとおもってる。特に東は怪しすぎる…(›´ω`‹ )

でも南は狼というよりかは個人かもしれない。結局人外臭。
スパッと言いたいこと言っててすごいと思う(粉みかん)
2042 ニット帽 光 2018/12/13 19:48:51
おでんは大根が全てだ
大根の味でおでんの良し悪しが決まるといっても過言ではない
2043 赤子 羽風 2018/12/13 19:58:35
なんかまとまらなそうだなぁ
2044 カメラマン つくね 2018/12/13 20:05:44
とりあえず手相占い参加者(文学部への投票者)決めておくっすかね。

文学部への投票者
2045 カメラマン つくね 2018/12/13 20:06:00
2046 ニット帽 光 2018/12/13 20:06:53
オレは既に投票済みだが問題ないな?
2047 カメラマン つくね 2018/12/13 20:08:59
>>2045
宇宙飛行士、ウェイター、ニット帽、令嬢、看護師、教育学部、紅さん

これでどない?
希望ありそうだったところ。
7人だから、万が一考えてもうちょい減らす?
2048 御曹司 満彦 2018/12/13 20:09:10
✋( ͡° ͜ʖ ͡° )アッシェンテ
2049 カメラマン つくね 2018/12/13 20:09:29
すまん、ちょいとおちる
2050 御曹司 満彦 2018/12/13 20:13:07
ハブられた(´・ω・`)
2051 看護師 小百合 2018/12/13 20:13:29
ただいま。ちょっとバタバタしてます。
ご飯食べて落ち着いたら話にきますね。

日中思ったこととして、人外のなかに処刑人数増やせる人とかいないか調べといた上でケアしたいなとは思っていました。既に誰か言及してたらすみません。

あとKindleで喋るのはしばらく控えます。あざといって言われるから…。
2052 学生 比奈 2018/12/13 20:16:43
僕も手相入れたい。
2053 学生 比奈 2018/12/13 20:17:01
白稼ぎめんどいからな.....。
2054 赤子 羽風 2018/12/13 20:18:54
発言チェックあるのに直さないからよ
2055 赤子 羽風 2018/12/13 20:23:36
#手相占い

アイドル岬たん、
看護師小百合ちゃん、
ウェイター東君、
ウェイトレス南ちゃん、
番長ロビンちゃん、
御曹司の坊ちゃん、
キャバ嬢のママ、

あと吊らないなら警察官のパパってとこやな
2056 カメラマン つくね 2018/12/13 20:24:32
>>1503 これがまずは確定かな

#文学部への投票者
2057 赤子 羽風 2018/12/13 20:25:14
真子っちと令嬢は一旦外しといたわ。

しかしこれ、希望出したところでまとまるんか?
2058 カメラマン つくね 2018/12/13 20:25:17
+194 バニー 結良 2018/12/13 20:25:19
キャバ嬢もたぶん入れてるぞ
2059 カメラマン つくね 2018/12/13 20:26:45
合算するとどうなるんだ、すまん、またおちる
2060 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:26:48
あ、占い立候補ありなんだ。なら僕立候補するよ。
正直今の役職が本当の僕の役職だと思ってなくてこの先どうしたらいいかわからないから…
2061 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:27:44
投票してますよーぅ。
+195 バニー 結良 2018/12/13 20:28:58
これは手相死ぬな
2062 赤子 羽風 2018/12/13 20:29:23
それ以外はどこ吊るかも揃えないとな。麻耶ちゃんが吊られちまう
2063 赤子 羽風 2018/12/13 20:29:44
>>2060
村人おっす
2064 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:30:11
あと30分くらいで落ちるね。投票は一応麻耶さんに投票しておくね
教育学部 伊澄 が 文学部 麻耶 に投票しました。
2065 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:30:36
>>2063
おっす
2066 赤子 羽風 2018/12/13 20:30:50
しかし本当に村人表記だとしたら忌み子の可能性とかもあって危険なのでは
2067 赤子 羽風 2018/12/13 20:31:09
占い師を殺してしまう可能性
*131 ファン 紅 2018/12/13 20:32:59
魔法使いはよ!
2068 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:33:43
>>2066
忌み子…?ちょっと調べてくるね
+196 バニー 結良 2018/12/13 20:33:51
呪殺待つまでもなく投票で既に危険域だぞ
2069 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:34:00
>>2067
それは困るね
2070 ファン 紅 2018/12/13 20:34:39
風邪引いたんだ…。
*132 おしゃま 優奈 2018/12/13 20:34:54
そろそろCOする役職決めてね
どれも切られるのは変わりないと思うけど
2071 赤子 羽風 2018/12/13 20:35:25
>>2070
薬飲んで寝ておくんだ
*133 ファン 紅 2018/12/13 20:35:33
狛犬か撫子にするよー。
2072 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:35:36
忌み子(忌)【村人陣営】
占われると占い師を殺してしまう村人です。
自分からではただの村人として表記されるので自覚はありません。
*134 おしゃま 優奈 2018/12/13 20:36:24
妥当かな
2073 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:36:28
これか…そうだったら大変だからやっぱり投票は外しておくよ
教育学部 伊澄 が投票を取り消しました。
2074 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 20:36:42
>>2060 村人表記ならちょっと待って欲しい。
2075 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 20:37:13
>>2056 そこは確定にしないで欲しい。
改めてまとめるので。
2076 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:37:25
>>2074
了解だよ〜
2077 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 20:37:37
>>2073 ありがとう。
2078 赤子 羽風 2018/12/13 20:37:51
本当に村人表記なら……色々可能性あって困るな
-115 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:38:19
よっし、とりあえず村人CO完了
2079 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 20:38:26
忌み子を希望した人がいるなら教えて欲しいかな。。
+197 バニー 結良 2018/12/13 20:38:36
冷静になって今投票済みになってる連中と投票先を調べてみろよ
相当数手相にはいってるぞ
*135 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:39:58
>>2079
なんてメタメタな村だ。
*136 おしゃま 優奈 2018/12/13 20:40:21
とりあえず私は遺言に紅の役職を書いとかないといけないんだけど
2080 看護師 小百合 2018/12/13 20:40:24
身体がバッキバキすぎるんですが、人生がつらい。
2081 カメラマン つくね 2018/12/13 20:41:04
>>2056 確定じゃない
2082 カメラマン つくね 2018/12/13 20:41:35
片手間でやるとよくないな。
すみません、>>2075 まかせるっす
2083 教育学部 伊澄 2018/12/13 20:42:28
僕も本当の役を知りたい…この村で村人を希望した人はいないと思うし
+198 バニー 結良 2018/12/13 20:42:30
>>2079
こういうところがアカンねん
希望役職聞くとか無粋の極みやろ
*137 ファン 紅 2018/12/13 20:42:34
どっちでもなんとかするよ。
2084 看護師 小百合 2018/12/13 20:43:10
占希望とかはあとで出すけど、とりあえず、自分立候補はOKなんですね、これ。
明日もちょっと顔を出しづらい(忘年会)ので、私占いたいという意見がそこそこあるなら占ってもらったほうが良さそうですかね。
2085 ファン 紅 2018/12/13 20:43:28
ほとんどログ読めてないけど晋吾さん投票でいいのかな?
2086 赤子 羽風 2018/12/13 20:43:35
村人希望した人がいるなら正直に言ってみ?
*138 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:44:19
優奈が死亡して紅が死亡したあとに、優奈偽バレして困ることあったっけ?騙るの面倒なら撫子、占い指定くらいそうなら狛犬かねー?
2087 赤子 羽風 2018/12/13 20:44:28
立候補するやつは桜疑惑つきまとうのは了承って見えるんだが
2088 ファン 紅 2018/12/13 20:44:40
>>2071
ありがとう!
*139 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:44:59
おまかせ
ファン 紅 が 警察官 晋護 に投票しました。
*140 外来 真子 2018/12/13 20:45:20
>>2079
まぁ気持ちはわからんでもないです。

事実、夢遊病者いるんでそういうの希望した人割といそう
/20 看護師 小百合 2018/12/13 20:45:57
>>2087 まあ、私共鳴ですし。
*141 外来 真子 2018/12/13 20:46:44
魔法使いはガチャに期待してください。出るのかは知りませんが。
*142 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:48:32
ま、なかなかにキツいが、リセットして村側になってまで勝ちたいワケではないなー。この人生は好きなのだ。
昌義や弥生に悪いのもあるしな。
*143 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:49:01
魔法使いなら関係ないけど。手品師だったときの話だねー。
2089 看護師 小百合 2018/12/13 20:49:12
>>2087
なるほど桜疑惑。確かに。
というか手相占いを桜で引き込むのってものすごく容易そうですね。
2090 看護師 小百合 2018/12/13 20:52:18
希望役職はシャーッとやってピッだったので、さすがに村人(たぶん一番上)ではないはずです。
*144 外来 真子 2018/12/13 20:52:39
まぁ頑張っていただいたのにシャッフルで消されるのは寂しいですからね。

真手品師かどうか怪しいですけどね…。
2091 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 20:53:00
桜を懸念すると自薦はちょっとなぁ。。
中身的に警戒されるところが桜であるリスクは飲んだ上で色をつける方針がいいのかなと思っている。
2092 看護師 小百合 2018/12/13 20:53:01
前回の99人村でラーニングしたマイブーム「シャーッとやってピッ」
2093 学生 比奈 2018/12/13 20:53:12
僕の手相占い師投票したいはスルーされるんだね。悲しみの向こう側。
2094 学生 比奈 2018/12/13 20:53:32
桜じゃねえ!
2095 学生 比奈 2018/12/13 20:53:54
どうせ人狼猫かナイトメアだって。
2096 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:54:10
まあ感覚ですと、今のところ立候補(光くん、伊澄くん、比奈さん、小百合さん?)の人が桜狼に見えるかっていうと、そうでもないですけどねー。
+199 バニー 結良 2018/12/13 20:54:36
いうほど前回の村か
2097 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:55:18
小百合さん桜なら最初からもっとあからさまに変なことしそうです。
2098 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:56:24
私は麻耶さんに投票してますが、どう見ても立候補じゃない点は信じて欲しいですねー。
2099 看護師 小百合 2018/12/13 20:57:22
そういえば、大人数を占いすぎず、3〜4人程度の色を見るくらいのほうが安全じゃないかしら、と日中は思っていたところではあります。
2100 看護師 小百合 2018/12/13 20:57:48
あからさまに変なこと…。
2101 ウェイトレス 南 2018/12/13 20:57:54
>>2096
伊澄くんはよくわからんか。。。
+200 バニー 結良 2018/12/13 20:58:53
>>2099
既に自分だけなら投票しても大丈夫やろの精神を発揮してるやつが結構いるので摩耶の命は今日までである
*145 研修医 忍 2018/12/13 20:59:03
狛犬良いと思う。お勧めの騙りってあります?
2102 看護師 小百合 2018/12/13 21:00:28
今回の私はねむねむスヤァなのでポイントポイントしか読めてないんですが、ポイントポイント読んでる限り、今回の南さんに同意できる点が結構多く、なんかうっかり白視しそうです。

でもこの人、人外引いた時ものっすごい白いことで(私の中で)有名な方なので…まあ、今回の手相占いでついでに占ってもらえるならそのほうが安心ですね…。
*146 研修医 忍 2018/12/13 21:01:20
占い系なら易者とか思ったけどそのつもりで動いてなかったんですよね。
2103 看護師 小百合 2018/12/13 21:03:44
あと、やっぱり御影さんが気になるなーと昨日は思っていたのですが、
>>1914 は編成意識そうな狼の視点ではないのかもしれないと思いました。(今回の編成ってPPチェッカー+2で、過半数は村側のスタートですよね。)

でも気になる感が拭い去れたわけではないので、うーん。
2104 看護師 小百合 2018/12/13 21:04:03
残りはログ読んできながらまた感想戦していきます。
2105 ニット帽 光 2018/12/13 21:04:16
オレはなんか疑いの目を向けられてたから流れでこうなった
+201 バニー 結良 2018/12/13 21:04:34
+4だぞ
2106 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:05:07
>>2102
こんなん、中身隠してアリスで入りたくもなるわ!!
2107 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:05:29
素が出てしまいましたー。
+202 バニー 結良 2018/12/13 21:05:44
まさかこんなゆとり仕様の村で負けることはないと思うが
なんかシンゴを吊ろうとしてるので少し怪しい
+203 バニー 結良 2018/12/13 21:06:07
>>2106
わかる〜〜!!
2108 看護師 小百合 2018/12/13 21:06:21
>>2106
私は南さんと御影さんの狼コンビにID公開大人数長期で生存敗北させられたことを忘れていません。
*147 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:06:52
忍はLW狙える位置だから無理に黒役職騙らない方がいいと思うよ
今までの動きからは情報がない役職にした方がいいかな
*148 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:08:03
ぶっちゃけ服部と木戸に未来を託す形になっているからな。
-116 看護師 小百合 2018/12/13 21:08:39
でもまあ、、前回のアリスについては、少なくとも私が死ぬくらいまではそんなに印象に残ってなかったんですが、今回の南さんの発言は比較的素直に入ってくるんです。

単に99人村のログに翻弄されてたからなのか、狼COしてテンションが変になってて、ロクに他人の発言読んでなかったのかはわからないんですけど。
*149 外来 真子 2018/12/13 21:08:57
うーむ、自分はあまり詳しくないので…。
いくらかは佐々木さんが出してくれていたかなと。
2109 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:10:29
>>2108
あの村はなんか、シャモン先輩が考察頑張ってるけどポイっと捨ててみたいな事を言ったのが悪かったなーと思って気にしてたりするんだぜ。多分、言ったような。大昔なので何分だが。
狼だったので許してくれ。
+204 バニー 結良 2018/12/13 21:10:52
あとなんか手相占いに欲張りすぎっていうか
そんなに焦らなくてもいいと思うんだが
たくさん占えるということに目が眩んでいて
手の施しようがない
2110 看護師 小百合 2018/12/13 21:11:39
でもまあ、、前回のアリスについては、少なくとも私が死ぬくらいまではそんなに印象に残ってなかったんですが、今回の南さんの発言は比較的素直に入ってくるんです。
なので、前回より今回のほうが白く見える、ということなのでしょう。

単に99人村のログに翻弄されてたから印象に残ってなかっただけかもしれませんし、狼COしてテンションが変になってて、ロクに他人の発言読んでなかったってだけかもしれませんし、そもそも私が露骨にポンコツなのかもしれませんが。
うんまあ、やっぱり保険で占っていただきましょう。(結論)
+205 バニー 結良 2018/12/13 21:12:46
>>2110
南なんかとりあえず占う枠でいいんだ上等だろ
でも私は占わないでくださいね殺しますよ
2111 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:13:02
アリスはまあ、雑魚白いと思ってもらいたかったからなあ。
効果的だったのかは分からない。
2112 看護師 小百合 2018/12/13 21:13:47
>>2109
狼だったので仕方ないですね。
私も弱いわお友達補正に騙されるわポンコツだわでした。
でもそれはそれとして白い狼ができることは一生覚えておきます。
2113 赤子 羽風 2018/12/13 21:14:34
こうなるとどこに投票したもんか悩ましいな
2114 看護師 小百合 2018/12/13 21:14:36
印象に残らない感じでふわっと白い、ということなら、そんなかんじに見えてた気はしますね。

やっぱり手のひらの上じゃないですかー
2115 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 21:15:01
いちゃいちゃしてるこの二人が両狼はなさそうかなぁ。
*150 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:15:47
うーん
忍は魔物使いCOで「出ていいのかどうか分からなかった」とか
真子はいっそ村人COで「微妙な動きになった」とか
そんな感じで通るかな…
+206 バニー 結良 2018/12/13 21:16:56
忍あたりを調査しておくのが良いのではないでしょうか
2116 赤子 羽風 2018/12/13 21:17:00
なるほど恋か
2117 看護師 小百合 2018/12/13 21:17:03
ヴィクトリアさんも、普段の印象よりは私は割と白っぽく見えてはいるんですけど、どのあたりで思ったかイマイチ曖昧なのであとで見直してきます。
2118 情報学部 範男 2018/12/13 21:18:44
>>2117
好きだよ
2119 看護師 小百合 2018/12/13 21:19:07
>>2118 あっハイ
2120 看護師 小百合 2018/12/13 21:19:28
お薬出しときますね、が抜けていました。
いつもより強いの出しときますね。
2121 情報学部 範男 2018/12/13 21:19:31
>>2119
薬はよ
2122 赤子 羽風 2018/12/13 21:19:48
その注射器で打ってやっては
+207 学生 昌義 2018/12/13 21:19:54
明日の犠牲の数でこの村が簡単かどうかはっきりしそうね
情報学部 範男は、看護師 小百合から薬を受け取った 2018/12/13 21:20:04
2123 看護師 小百合 2018/12/13 21:20:06
(メンタルクリニックの患者さんかな?)
*151 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:20:34
忍も真子も騙りがどうこうというより、白発言をどれだけ頑張ったかにより騙ったものの信用が付いてくるみたいな感じだと思うので、騙り内容よりも白発言をストレートにこなすことに注力してもらっていいんじゃないかなー。
2124 看護師 小百合 2018/12/13 21:20:35
>>2122 直接触る作業は男性の看護師を読んできます〜
*152 研修医 忍 2018/12/13 21:21:15

魔物使い(躾)【村人陣営】
魔物を使役する特殊な役職です。
魔物使いが生存時は【人間にも人狼にも数えない】役職を人間として数えます。
妖魔も人間として数えるようになるので妖魔が生存していても妖魔勝利にはなりません。
村人勝利のときに魔物使いが生存していた場合妖魔陣営も一緒に勝利になります。
2125 情報学部 範男 2018/12/13 21:21:26
薬飲まないと禁断症状が出る
*153 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:21:36
騙るものに関しては優奈のオススメで間違いないだろう、僕は良く知らないんだ!
2126 番長 露瓶 2018/12/13 21:21:45
2127 情報学部 範男 2018/12/13 21:21:55
薬物はダメ絶対
2128 番長 露瓶 2018/12/13 21:22:08
つらい
*154 外来 真子 2018/12/13 21:22:20
>>*150
正直自分が村側なのか狼側なのかわからん、みたいな心境です。(狼なのに)

視点漏れさえ気を付ければいいかな程度に考えているんですよね。
あんま推理しすぎると狼側の時あれかな?でもどうなん?みたいな感じでやってます。
2129 番長 露瓶 2018/12/13 21:22:24
*155 研修医 忍 2018/12/13 21:22:49
それは確かに
*156 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:23:10
攻めるなら執事COとか天人COとかもありなんだけどね
そこは2人の能力次第
*157 外来 真子 2018/12/13 21:23:23
>>*151
了解ですー。とりあえず寝る前に考察と希望くらいは落とそうかな…。

寝落ちないといいな。
*158 研修医 忍 2018/12/13 21:23:51
魔物使いで行きましょう。
2130 番長 露瓶 2018/12/13 21:24:14
弥生●か
狂人のヤバい奴じゃなかった
*159 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:25:27
まあ視点漏れも何も、昌義弥生が狼で、優奈と紅も怪しい、南は占い候補みたいなのは生存者の共通認識だろう。
とくにビビることはないのでは。
2131 学生 比奈 2018/12/13 21:27:18
今北でそれを使うと検索するときにめんどくさいので独り言でやってくださいって!
-117 看護師 小百合 2018/12/13 21:27:44
コンピュータ通信は割と信用できるイメージなんでしょうか。
帝が聖人引き込んだのは確定気味と思っていいのかしらね。
2132 学生 比奈 2018/12/13 21:28:07
いちゃいちゃすると白く見られるので誰かいちゃいちゃしよう。
2133 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:28:48
>>2132
いつも腹パンされてるじゃないですかー。
2134 学生 比奈 2018/12/13 21:28:50
まあ私はタグ抽出なんてしたことないからどうでもいいんだがな...。
+208 学生 昌義 2018/12/13 21:29:02
比奈ちゃん学校でいちゃいちゃしない?
2135 番長 露瓶 2018/12/13 21:29:40
直近の流れだけ見たが…
占い指定されたら言おうと思ってたけど、もうCOした方がいいか
俺も村人だぞ
2136 番長 露瓶 2018/12/13 21:30:06
はい! すいません! >>2131
学生 比奈は遺言を書きなおしました。
「中身占い師。

修道女 クリスタ:一真さん
小学生 朝陽:からけさん」
2137 学生 比奈 2018/12/13 21:30:46
腹パンはいちゃいちゃなのか.....?
*160 外来 真子 2018/12/13 21:31:02
>>*159
そですね。今のところ大丈夫か。

いや、狼経験少ないんですよね…。まぁその辺で恐れてもしょうがない感じはするので、たぶん表での情報増えるにつれて伸ばしていけるかな。

正直村、狼にかかわらずこの場自体に慣れるのに時間がかかりますね。役職考慮とかの勝手がわからないので…。
*161 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:31:02
村人COが2人出た
真子も顔出す時に乗っかった方がいいかな
+209 バニー 結良 2018/12/13 21:31:06
罠設置自体は真に見える
ランダム設置もまあ真なんだろう
すると狼ではない
殺人鬼でもない
真の可能性もそこそこある
どう考えても晋護を吊ってる場合ではないのだが
まとめられそうなやつが地上にいない
2138 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:31:08
>>2135
なるほどなあ……?
2139 学生 比奈 2018/12/13 21:31:48
分かる分かる。村人は騙りやすいからな。
+210 バニー 結良 2018/12/13 21:32:20
仮に偽でも全く美味しくないんだが
何を思ってアイツを吊るんだ
2140 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 21:32:23
村人表記多くない?
*162 外来 真子 2018/12/13 21:32:39
わかりました、ただもうちょいかかります。
…後半雑でいいか(諦め
*163 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:32:54
そうだねえ、とくに占い候補にされてないうちに村人COしたほうが心証はよいな。あれ、私の他にも村人のひと結構いる感じですか…?みたいな。
+211 バニー 結良 2018/12/13 21:33:01
殺人鬼の犠牲が増えるだけだぞ
2141 番長 露瓶 2018/12/13 21:33:13
一応、占われないようには頑張ってたつもり
2142 赤子 羽風 2018/12/13 21:33:18
また村人が現れたか
*164 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:33:40
>>2139 >>2140
ちょっと雲行きを見るか。
2143 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 21:33:40
村人COは占いも吊りも遠くなると思うのだが。
+212 バニー 結良 2018/12/13 21:34:48
しかし摩耶に迫る吊りの危機も把握してないようでは
なんともかんとも
2144 番長 露瓶 2018/12/13 21:35:34
どう動いたらいいのか分からなかった、というのが正直なところか
自分が何陣営かもハッキリしてないし
2145 赤子 羽風 2018/12/13 21:36:01
村人希望してみようかなとか思ってたこともあるが……
+213 バニー 結良 2018/12/13 21:36:05
過ぎたる欲は身を滅ぼす
金の卵を生む鶏とはいえ殺してしまえばただのエルチキ
*165 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:36:30
ま、真子に任せるわー。
2146 番長 露瓶 2018/12/13 21:36:36
最初に村人って表示される役職はざっと調べたよ
2147 看護師 小百合 2018/12/13 21:36:43
コンピュータ通信は割と信用できるイメージなんでしょうか。
帝が聖人引き込んだのは確定気味と思っていいのかしらね。

>>949で「狼の弥生を捨て駒にして」理論が出るあたり、弥生黒が見えてたような印象も受けます。(>>944>>946で「狂人がやったのでは」という話題が出ていて、そっちのほうが納得感がいくというか、思いつきやすい戦法に思えたので。)

だとするなら、>>925>>926>>934あたりを見る感じ、警察官さんは人狼ではないのかもしれませんね。第三陣営等はありえます

……とはいえ、その後の議論の流れを見ると、狼を捨て駒にするという発想もものすごく珍しいというわけではないようなので、薄い印象程度に。
*166 外来 真子 2018/12/13 21:37:09
>>2144
この心境にすごく同意できるんですよねぇ。

狼なのに。なんというかこの国の狼と母国の狼が違いすぎる。
2148 看護師 小百合 2018/12/13 21:37:23
村人表記が2人もいるのですか?
*167 外来 真子 2018/12/13 21:37:31
はーい
2149 番長 露瓶 2018/12/13 21:38:33
>>2145
これでマジの村人だと結構キツイからやめよう…
2150 赤子 羽風 2018/12/13 21:38:47
夢遊病者、忌み子、不審者、亡者、覚醒者、人狼猫、ナイトメア……まだあるか?
+214 バニー 結良 2018/12/13 21:39:10
申し子と適格者
2151 番長 露瓶 2018/12/13 21:39:27
特異点?
+215 バニー 結良 2018/12/13 21:39:39
特異点もいたな
*168 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:39:58
ここID公開なんで、真子の人はねじ天に詳しくなくてもおかしくないと皆思うだろう。正直戸惑ってるってのはそのまま出していいと思うがなー。
2152 学生 比奈 2018/12/13 21:40:30
貴様こんな役職だけでなく村人も視野入れていたのか!!!
吊るしかねえ!
2153 赤子 羽風 2018/12/13 21:40:33
>>2151
サンクス
2154 番長 露瓶 2018/12/13 21:40:45
潜在者、適格者
2155 赤子 羽風 2018/12/13 21:41:12
>>2152 >>2149
最終的に狼騙そうと思って妖狼にしといたから許してちょ
2156 学生 比奈 2018/12/13 21:41:16
入れるなら囚人とか入れろよ。
+216 バニー 結良 2018/12/13 21:41:16
洗剤は自覚がある
2157 赤子 羽風 2018/12/13 21:41:32
>>2154
結構あるな
2158 学生 比奈 2018/12/13 21:41:44
えっ妖狼か。
2159 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:41:48
とりあえず村人CO2人まで確認
2160 アイドル 岬 2018/12/13 21:41:51
期待値的には、村人CO者は占わない方が良さそう?
2161 看護師 小百合 2018/12/13 21:41:55
表記される役職って、

覚醒者(覚)【村人陣営】
夢遊病者(夢)【村人陣営】
亡者(亡)【村人陣営】
忌み子(忌)【村人陣営】
不審者(不)【村人陣営】
申し子(申)【村人陣営】
特異点(特)【村人陣営】
ナイトメア(ナ)【妖魔陣営】
人狼猫(9)【人狼陣営】
眠り鼠(眠)【蝙蝠陣営】

こんなもんでしょうか?
「村人と」と「村人だと」でしか検索していませんが。
2162 学生 比奈 2018/12/13 21:42:13
じゃあこのクソ役職入れたの誰だよ.....。
見つけ次第ブッコロス.......。
2163 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:42:46
>>2154 潜在者は自覚あったと思うよ
2164 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:42:54
期待値というか、忌み子警戒じゃないですかねー。
2165 学生 比奈 2018/12/13 21:42:55
面白さ的に希望されやすそうなのは下3つ。
2166 アイドル 岬 2018/12/13 21:43:19
誰かが言ってたけど、絶対チェッカーonだから、
妖狼が居ても裏切り者が居るのは分かると思う。
2167 学生 比奈 2018/12/13 21:43:46
絶対チェッカーいずなんだっけ。
2168 看護師 小百合 2018/12/13 21:43:59
もっとあるのか。「覚醒」とか「自覚」とかで検索すればいいのでしょうか。
2169 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:43:59
私の役職は、まあ誰か入れてもおかしくないなと思ってます。
2170 情報学部 範男 2018/12/13 21:44:05
村人coが居るってことは村人coが本当なら私も村人だった可能性があった
しかし私は村人ではなく課金者になった
この村人と課金者の差って普段の生活での行いが大きいと思う
つまり何が言いたいかと言うと
私は普段の行いが素晴らしい
+217 バニー 結良 2018/12/13 21:44:48
>>2170
一理ある
2171 赤子 羽風 2018/12/13 21:45:09
俺のは……よく分からん
2172 学生 比奈 2018/12/13 21:45:25
7匹以上にはならない的な?
2173 アイドル 岬 2018/12/13 21:45:37
>>2164
>>2161を見ても、占ったら何かしらマイナスになる役職が多そうだけど。
2174 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:45:42
範男さんは最初、ソシャゲのガチャの日記でも書いてるのかと思いました。
2175 看護師 小百合 2018/12/13 21:46:09
私のは…どうなんだろう。
まあ、入れたいと思う気持ちもわからなくはないけど、全役職のなかでこれをチョイスするかしら…?みたいな。
赤子 羽風 が投票を取り消しました。
2176 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:46:22
>>2173
そういうことですねー。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2177 研修医 忍 2018/12/13 21:46:45
遅くなったら悪いので希望だけ。

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囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2178 学生 比奈 2018/12/13 21:46:57
マイナス以上にナイトメアや人狼猫🐱は占っとかなきゃだと思うが。
2179 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:47:23
>>1524 >>1537 露瓶の方は微妙な役職って言ってたから割とそれっぽい感じ
伊澄の方はよく分からないな
2180 番長 露瓶 2018/12/13 21:48:31
>>2163
そうなのか… >>2161 で俺が見逃してたのもあるし、探しにくいな…
2181 情報学部 範男 2018/12/13 21:48:43
>>2175
だとしたら私の希望したのかもしれない
つまり人外ですね?
2182 研修医 忍 2018/12/13 21:48:53
村人表記の人が多いの?本物の村人が居たら逆にすごいな。。。
2183 学生 比奈 2018/12/13 21:49:14
手相入れないで以降の吊り候補になるんだったらさっさと白貰っといてぬるま湯に浸かりたい。
2184 赤子 羽風 2018/12/13 21:49:37
村側に希望出した人いたら教えて差し上げて
2185 アイドル 岬 2018/12/13 21:49:48
闇鍋村って、怪しいかどうかよりも、役職が何なのかで推理する方が精度高い気がする。
2186 学生 比奈 2018/12/13 21:50:25
村人は役職希望欄のたしか1番上なので1番上投票の感覚で選ばれてもおかしくない...。
2187 赤子 羽風 2018/12/13 21:50:31
>>2183
ちょっと吊ってみていい?
2188 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:50:32
一応、不審者や迷い子は占うのは損だけど
学者で調べるのは別に問題ないからどっちか調べてみる手はあるね
忌み子は結構怖いけど
2189 看護師 小百合 2018/12/13 21:50:33
>>2161 ここに
適格者(適)【村人陣営】
潜在者(潜)【村人陣営】?←自覚あるのかも。わからない。
が追加くらいでしょうか?
2190 赤子 羽風 2018/12/13 21:51:43
>>2189
99人村で潜在者COしてた人がいたな。元々狼だったけど
2191 令嬢 御影 2018/12/13 21:51:53
結局どこに入れたらいいのかね
2192 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:51:59
私が希望したのも、狼ですからね〜。
2193 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:52:16
迷い子じゃないや
亡者だった
2194 赤子 羽風 2018/12/13 21:52:26
>>2192
何狼かこっそり教えて
2195 看護師 小百合 2018/12/13 21:52:26
>>2181 人外なら嬉々として嘘をつけるんですけどね。
今回はおしとやかに生きています。
2196 学生 比奈 2018/12/13 21:52:48
村人占うってそもそも村人が人外の騙りであるか判断するためでしょ。それかナイトメアか人狼猫など。
実際村側なら不審者や忌み子などどうでもいい。

人外も村人と出る学者は村人占う意味ないと思うが。
人外でも「じゃあ村人なんだね」で逃げられるからな。
2197 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:53:09
>>2191
更新は明後日だから寝てもいいんじゃないかなー。
2198 学生 比奈 2018/12/13 21:53:31
学者に占わせて、そのあと手相に占わせるってんなら構わないが。
2199 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:53:36
>>2194
骸狼。
2200 学生 比奈 2018/12/13 21:53:55
>>2187
一緒に死のうぜベイビー。
2201 赤子 羽風 2018/12/13 21:54:10
>>2199
ひえっ
2202 赤子 羽風 2018/12/13 21:54:21
>>2200
いいぞ
2203 学生 比奈 2018/12/13 21:54:38
まずは貴様からだ。
2204 赤子 羽風 2018/12/13 21:54:53
>>2203
後悔するなよ
2205 おしゃま 優奈 2018/12/13 21:54:56
>>2196 村人判定が出たら吊ればいいと思うけど
確かにそれなら調べずに吊っちゃうのもありかな
2206 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 21:56:04
>>2170 こんな人に希望が行って悲しい。
2207 学生 比奈 2018/12/13 21:56:16
うん、それなら直吊りしたい。
2208 看護師 小百合 2018/12/13 21:56:42
学者は村人COしてない人を占うほうが適切のような気はしますが。
COしないってことは、「村人って書いてないです」ってことなので。
村人判定が出れば人外でしょと判断すれば良くなります。

まあ、そもそも既に引き込まれてる可能性が高いんですけど。
2209 番長 露瓶 2018/12/13 21:56:54
ほっといたら証明できる役職に覚醒するってたぶん
2210 ウェイトレス 南 2018/12/13 21:57:12
では村人COはどんどん吊っちゃいましょうねー。
そして人外が甘えた村人COを出来ない空気にしましょう。
変なCOして、ボロ出してくれます。
2211 学生 比奈 2018/12/13 21:57:18
あ、直吊りを希望してるわけではなくて私は村人表記は手相に入れとけば派。
2212 赤子 羽風 2018/12/13 21:58:09
村人COしてる時点で柱だしな。おい、非狩晒すなよ〜〜
2213 学生 比奈 2018/12/13 21:58:16
村人表記はとりあえず全員今日のうちにCOしとけよ〜っ。
2214 番長 露瓶 2018/12/13 21:58:54
そうだなー
逆呪殺マンだったら嫌だとばかり思ってたけど、とりあえず白黒付けてもらうのはいいのか
2215 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 21:59:23
村人表記を手相組とするのは明日?今日?
2216 看護師 小百合 2018/12/13 22:00:27
うっかり忌み子だと嫌なのでとりあえず1日は待ちたいですけど。>村人表記を手相に

1回使って何人か占ってもらった上で翌日チャレンジならまあ、最低限情報は出たと判断して、必要に応じて村人COを手相占いでも構わないのかな…?とは思いますが。
2217 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:00:43
襲撃ならコンピュータ経由で結果わかるんだっけ。
逆呪でもわかるんかな。。
+218 バニー 結良 2018/12/13 22:01:12
逆呪でもわかるよ
-118 番長 露瓶 2018/12/13 22:01:50
流れに任せてたら相方が占いか吊りか来そうだったし、それならもう自分から言った方が印象は良いよね
これで村側だったらワンチャン放置枠いけるかもだし
2218 学生 比奈 2018/12/13 22:01:54
忌み子希望する物好きなんていない...っ!
2219 赤子 羽風 2018/12/13 22:02:21
>>2218
自分には当たらんやろの精神で選ぶんだぞ
2220 看護師 小百合 2018/12/13 22:02:30
コンピュータ経由でもわかるとはいえ、コンピュータを完全に信用していいかの判断はつけられていませんからね。
確実に村側で墓情報を取ってこられるという方がいるなら良いんですが。
2221 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:02:55
うーん
村人表記は吊るのがセオリーではあるんだけどね
2222 番長 露瓶 2018/12/13 22:03:13
1日待っている間に麻耶が死んでるという可能性は
2223 学生 比奈 2018/12/13 22:03:16
その心が日本を汚していると何故気づかないっ!
2224 赤子 羽風 2018/12/13 22:03:25
少なくとも警察官よりは吊っていいんじゃないかと思う
2225 研修医 忍 2018/12/13 22:03:27
逆呪殺はシスメが出る筈。
2226 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:03:28
コンピュータを信用するなら、麻耶さんの結果は最低一回は分かるでしょ?
2227 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:03:38
>>2216 襲撃も濃厚なのでどうすべきかと。
2228 カメラマン つくね 2018/12/13 22:04:41
村役職希望者が少なくて残った枠が村人で埋められたとかにはならないんすか?>シャッフル
2229 学生 比奈 2018/12/13 22:04:53
10人の中に1人か2人入れるくらいならべつにいいんじゃないのーって感じ。
吊るならそれはそれでありだけど手相いる以上はって。
2230 研修医 忍 2018/12/13 22:05:23
警察官吊らないなら手相見てもらいたいな。
2231 学生 比奈 2018/12/13 22:05:49
そんなルールがあるならみんな村側は希望しなくなるだろうな...。
2232 カメラマン つくね 2018/12/13 22:06:45
村人吊りはありかね。晋護さん吊らないなら学者行き。
残りは非CO者から四人ぐらい手相占いに入れる
2233 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:07:14
>>2228 基本はランダムと同じだから
ランダムに役職が入るはず
2234 学生 比奈 2018/12/13 22:07:36
ただ現状表立った吊り先というものがないんですよね。
灰詰めはいいと思うが如何せんまとまるかどうか。
2235 看護師 小百合 2018/12/13 22:07:39
>>2222 >>2226 >>2227 明日襲撃死のパターンですか。

うーん。
正直、狩人系入ってると思ってるんですけどね。

まあ、そこをケアするなら今日になるのか。ふーむ
2236 カメラマン つくね 2018/12/13 22:07:43
あー、学者発狂疑惑あったか
2237 看護師 小百合 2018/12/13 22:08:11
>>2228 村人で埋められるじゃなくて、村側役職ランダムなのではないかと。
2238 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:08:36
>>1981以降の晋護さんの頑張りは明日見られるのかな。
2239 赤子 羽風 2018/12/13 22:08:41
村人なら番長より伊澄君吊りかな。

彼の村人COに迷いがなくて背後に何か感じる。
-119 番長 露瓶 2018/12/13 22:08:44
やっぱこんな感じだよなー
2240 学生 比奈 2018/12/13 22:09:13
賢者が死んでいる以上狩人系にはあまり期待できないと思う。
2241 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:09:36
うーむ
帝狼に関しては言い訳が利かないのが厳しいところ
2242 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:09:49
一回しか占えないのが濃厚だと思ってますよ。
意外と自占い希望者もいるようだし、私の事も占わせないと気が気でない人も多いでしょ?枠があんまりないと思うんですよね。
2243 看護師 小百合 2018/12/13 22:09:57
警察官を手相に回して村人COを一人吊ってしまうのはアリかなあ、という気がします
2244 学生 比奈 2018/12/13 22:10:29
警察官を狂人で見てる人ってあんまりいないんですか?
2245 番長 露瓶 2018/12/13 22:10:45
誰か守るやろの精神が出てしまっただけかもしれないが、期待しない方がいいかもな
2246 カメラマン つくね 2018/12/13 22:10:57
>>2241 こればっかはすまねーですけど、疑いは晴れないっすね
2247 外来 真子 2018/12/13 22:10:59
こんばんは、というか連投でお目汚しを失礼いたします。
2248 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:11:19
晋護さん吊りか村人CO吊りか。

晋護さん手相組にして村人CO吊りがいいのかな。
2249 外来 真子 2018/12/13 22:11:22
宇宙飛行士さん
>>4:1192
そう、なんでしょうか?妖魔や狂人とかならわかりますけど。
結果に興味ないという感想は確かにという感じですかね。

岬さん
んー、強い印象は無いですね。よくわかんないから手相に突っ込むのは安直ですかね。でも突っ込みます。
2250 外来 真子 2018/12/13 22:11:38
光さん
単喉印象、警察官さん吊は早め強め。
>>732>>1383
ただなんか強い理由は出てないので流れに乗ってる系か
>>1446は何でしょう、村であるという自信があるんですかね。>>1471も軽いか。

小百合さん
まぁ本人補正が出るお人かな。周りの雰囲気的にも。
発言読んでたんですが読みにくい。からたぶん素の相性は悪いんでしょうかね。
感覚多分で申し訳ないです。白黒とかは拾えてません。
2251 外来 真子 2018/12/13 22:11:55
東さん
んー、把握漏れというかちょっとずれた発言に感じる箇所はありますね。
>>196とか、聖人結果みたら呪殺の可能性は低く見えるかと
結構早めに聖人結果は出てたと思うので死体数確認まで見たなら賢者や聖人の結果は見るんじゃないかな?とは思うのですが。
個人要素の域は出ないかな。
>>267>>270直近で見えた話に議論していく辺りにそれは伺えますね。

色が見える発言は特には拾えていませんかね。占吊に関してもよくわからん。
2252 外来 真子 2018/12/13 22:12:07
ダーヴィドさん
まぁとりあえず手相占いからは置きでいいかな。賢者からの人間判定から。
>>52ニートさん妄信気味かな。
>>65も合わせてみると信用度的にニート>聖人なのかな。
帝を警戒してからの聖人結果信用せず、というところなのか。
(聖人の茜さん激おこ結果見てからの呪殺思考は謎)把握してなかったーとかもなし。

言葉少なげなのは前と変わらず忙しそう。でもまぁ一先ず放置かな。
2253 外来 真子 2018/12/13 22:12:18
南さん
アクティブ。前の村ではあんまし印象無かったんですよね、この人。
窓持ちかつ襲撃役で沈んでいた感じでしょうか。
ちょうどヴィクトリアさんに近い印象を持っています。

占いが飛んでいるのは身内票なのかな?どんな人かっていうのはまだつかみきれていないのでそれが正しいのかはわからないですね。
2254 外来 真子 2018/12/13 22:12:33
クリスタさん
自称手品師、かつ罠セット。
まぁこれだけで割と放置な位置、吊よりは占いを向けるかな。
ポイントポイントではざっくり言ってますね。
怪しいのは手品師周りですかね、それ以外は思ったことをスパッと言ってて隠してるとかの雰囲気は感じにくい、疑われるのを恐れないといった意味で。


要さん
この人はつかめないとか以前に警戒しなければいけないという雰囲気がある。
>>404>>405>>406にはうなづけるんですがね。人狼と関係ないな。
と思いつつ自分も結構そうだな、と思いつつ。

まぁ手相占いさんから人間判定あるし、特段何かする必要はないのでは。
2255 研修医 忍 2018/12/13 22:12:34
伊澄って前回のルスランだっけ。それだと色々把握してないのは本人のキャラなのかな。
2256 外来 真子 2018/12/13 22:13:02
塗絵さん
白い(中身的に)
真面目にします。

前村早期退場で印象は掴めていませんね。
>>114の噛み位置違和感は同意、そっから桜狼はまぁ把握してませんが自然なのだろうか。
手相からの白の要さん、賢者占いから白のダーヴィドさん吊希望。
狼よりは妖魔とかの第3狙いかな。要さん警戒はまぁ本人補正なのでしょう。
3日目見直して第三陣営絶対撲滅者と感じた、まぁ置いとこうか。くらい。
2257 看護師 小百合 2018/12/13 22:13:05
>>2244 というか、狂人だとして白が出たとしても、そんなに脅威には思わないので。それなら占で妖魔・狼ケアできればいいかなと

初日セット系の能力がランダムで飛んじゃったという誤爆そのものは事実だと思いますし、地上戦動力が強いというわけでもないようですし。
2258 外来 真子 2018/12/13 22:13:16
朝陽さん
前村でのイメージ通りでしょうか。
ポイントポイントで喋っていく。
白黒につながる印象は特になし。占いはあり。


忍さん
キッチリ吊占い希望を出しているのが印象的。
村なら頼れそう、人外なら怖い。
前村でも意見そのものは出してたけど埋もれてた印象かな。
2259 外来 真子 2018/12/13 22:13:36
つくねさん
賢者からの白、一先ず除外というか省略で。
単体で特に引っかかりなくまとめよりに動いてる辺りなんか確白見てる気分。
とくに疑ってませんし処理する位置でもない。

伊澄さん
まぁ素直。問題なのは村でも狼でもそのほかの人外でもこれ素なんでしょうね。
ただまぁ前村の序盤より後半の隠すことないっていう状態の印象に近い。
と思ったら>>2060>>2065村人CO(でいいのかな)。
んー、まぁなんというか変に騙る人でもないと思うし、騙る際に仲間がいればそっちを頼る人。
2260 外来 真子 2018/12/13 22:13:48
満彦さん
投票数変化形の役職?ってくらいの印象。
割と騙りやすい部類?でも騙るならもうCOしちゃってもよい?
という感覚。
>>2050でハブられたは狼っぽくないパッション

瑠樺さん
まぁ印象がない。要さんについていくみたいな。
2261 外来 真子 2018/12/13 22:13:57
御影さん
ダーヴィドさんロック。
それ以外は自分の意見無さげかな。


比奈さん
何かしらセット役職且つクソ役職?わからん
あとたまに出る赤子さんへの殺意はネタか、ネタだな。
ポツポツ出る意見はなるほどと思う。
2262 看護師 小百合 2018/12/13 22:14:28
読みづらいと言われてしまった。
一時期すごく気を使っていたのですが、昔の悪い癖が出ているようなので、ちょっと見直します。すみません。
2263 看護師 小百合 2018/12/13 22:14:28
読みづらいと言われてしまった。
一時期すごく気を使っていたのですが、昔の悪い癖が出ているようなので、ちょっと見直します。すみません。
2264 外来 真子 2018/12/13 22:15:03
番長さん
名前に親近感

だけでなくまぁ発言とかでも共感感じてる部分あるんですよね。
指しあたって>>1193>>2144

この流れで出るのもあれですが
自分も村人表記ですCO、正直迷いましたが>>2213あったので出た方がいいのかなと
2265 学生 比奈 2018/12/13 22:15:08
>>2261
下から3.4行目にIDを発見した。
2266 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:15:16
>>2244 比奈さんの晋護さん考察には頷いた。
能力使用済みの狂人なら処理優先順位低い気がしている。
2267 カメラマン つくね 2018/12/13 22:15:29
んーんー、晋護さん狂人は結構あるかも。

>>1980ですんなり爆弾魔って出てきたんですよね。
他の役職把握の低さから考えると、ほんとすんなり。
それそのものなんじゃ?みたいな。
2268 学生 比奈 2018/12/13 22:16:06
>>2257
あーなるほど、白なら放置って感じですか。なるほどなるほど。
2269 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:16:15
3人目だと。。。
2270 番長 露瓶 2018/12/13 22:16:21
>>2264 !?
2271 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:16:37
印象ないっていうのがかなり自尊心を傷付けられることに気付いた。
まあアリスの狙いからすると、いいのか……。
2272 外来 真子 2018/12/13 22:16:42
#文学部への投票者

紅さんは賢者の発狂?疑惑から

印象無い方から
岬さん
瑠樺さん

相性が悪そうなので
小百合さん
朝陽さん

謎枠で
宇宙飛行士さん

あたりでしょうか。小百合さんについては周りからの印象に引っ張られもある感じです。
がまぁいいかなって。
2273 アイドル 岬 2018/12/13 22:16:49
誰か煽動者希望したって人居なかったっけ?

煽動者が居るなら、人外濃厚な人から吊っていく方が良いと思うけど。
2274 番長 露瓶 2018/12/13 22:16:52
>>2265 ふふってなった
2275 学生 比奈 2018/12/13 22:17:05
んー、判定村人なら中身関係なしに吊れる学者に突っ込むのがベストだとはおもうんですが学者陣営変化とかがネックなんですよねえ.....。
2276 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:17:06
>>2264
はあーー。。。
2277 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:17:24
>>2264 さらっと言いすぎて見逃すところだった
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2278 看護師 小百合 2018/12/13 22:17:54
>>2264
3人目の村人COが出たぞーっ!!
2279 学生 比奈 2018/12/13 22:18:21
村人表記のスリーカード。
2280 学生 比奈 2018/12/13 22:18:32
めんどくせえぇぇえええ!!!
2281 アイドル 岬 2018/12/13 22:19:07
村人表記多過ぎ。
2282 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:19:19
作為が混じっているやんな流石に。
2283 外来 真子 2018/12/13 22:19:20
>>2144がですね、ほんとに共感できてですね…。

言っていいものかあれですが、人外時には推理しすぎんほうがいいのかとか。
この流れで出ていいもんなんかとか。は思いましたがまぁ。出た方が楽に動けるかなと。はい。
2284 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:19:32
何人村人系希望してるんだ
2285 学生 比奈 2018/12/13 22:19:38
村人表記は全員突然死でお願いしま.....え?
2286 看護師 小百合 2018/12/13 22:20:27
流石に3人は、村人表記じゃない人が混ざっていますよね、おそらく。
吊占はどっかで当てないといけなさそうですね。
2287 研修医 忍 2018/12/13 22:20:33
3人目っすか
2288 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:20:42
>>2239に同意である。

>>2273はどうなんかなぁ。
2289 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 22:20:44
ただいも🍠
今更過ぎるが茜激おこ把握したの実は>>61で内心やべーって思ってたよ。
警察官は焦ってて周り把握出来てない感>>1951>>1958死んだら終わりって思う。故に人狼よりも第三陣営っぽいかな
2290 学生 比奈 2018/12/13 22:20:52
私の中ではアリスちゃん99人の中でもかなり存在感のあるほうでしたよ!
2291 外来 真子 2018/12/13 22:21:25
>>2263
ぶっちゃけ気力も薄れている段階で見てましたので雑読みな可能性も否めません。

>>2265
見直して気づきました。偶然とは恐ろしい。
2292 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 22:21:57
おっと、書いてたら素村さんが出ておりました。
便乗する気はないよ
2293 学生 比奈 2018/12/13 22:22:04
村人表記のなかで1番面白い人を残そう。
2294 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:22:08
>>2290
ありがとうだよー!
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2295 外来 真子 2018/12/13 22:23:02
>>2290
そうですかね?
まぁ自分はあんまし話してなかったからかもしれません。

自分の中では小説の中のキャラの印象が…(失礼かもしれませんすいません)
2296 番長 露瓶 2018/12/13 22:23:15
めっちゃ共感してくれてる
いやでもほんと、悩んだからね…
2297 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:23:15
真子さんはほんとの村人表記に見える。のは騙されてますかね。
2298 研修医 忍 2018/12/13 22:23:36
アリスちゃんには騙されたな。言われてみるとプロのネカマの犯行だった。
2299 学生 比奈 2018/12/13 22:24:02
村人表記の処遇、今日の吊り先(晋護or灰or村人表記?)、手相占い師へ投票する人。
を話すべきですね。
2300 看護師 小百合 2018/12/13 22:24:08
>>2291
いえ。
「考えたことを垂れ流しにする」「RPを行う」を同時進行すると、私の発言は読みづらくなりがちなのです。自覚はある…。

以後できるだけ気をつけます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要 は何もしません。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2301 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:24:23
ネカマじゃないですよ!!
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2302 研修医 忍 2018/12/13 22:24:39
ネトゲ―あるある

可愛い女の子は大体おっさん
2303 学生 比奈 2018/12/13 22:25:05
私も発言読みづらいはめっちゃ言われるので共感。
2304 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:25:28
うーん
真子はイベントに反応する割にグレーへの絡みが少ないと思ってたけど
村人ならそれなりにそれっぽいかな
2305 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:25:35
おっs……。
2306 番長 露瓶 2018/12/13 22:25:38
おっさんの方が可愛いまである
2307 学生 比奈 2018/12/13 22:25:59
南ちゃんはおっさんさんだったのですか.....!!
ウェイトレス 南は、令嬢 御影にセクハラする作業に戻った。 2018/12/13 22:26:19
2308 看護師 小百合 2018/12/13 22:26:37
>>2297
真子さん本人はデキる人だと思いますけれど、
人外で3人目に出るのは、結構勇気がいる行動ですよね。

私も、比較的ホントの村人表記に思います。
2309 研修医 忍 2018/12/13 22:26:37
一般論ですよ
2310 学生 比奈 2018/12/13 22:27:10
真子さんは灰雑頑張ってたから村陣営認定!w
2311 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 22:27:51
かわいいショタの中身は何かな?

素村表記ねぇ。覚醒系もあるから占いたいという気持ちと忌怖いねって気持ちがぐるぐる
2312 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:29:03
2313 赤子 羽風 2018/12/13 22:29:05
全素会は無自覚系役職を門前払いします
2314 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:29:18
>>2308
こういうの信じちゃうんだよなあ……。
2315 外来 真子 2018/12/13 22:30:01
>>2296
自分も出ないほうがいいかなーとか、忌み子の話見つつ思っていたのですが。

結局人外か村側かはっきりしないのは変わらないのでどうしたらいいものやらと。
でCO促しが考察投下前に見えましてですね。
結局出た方がいいんかなとなりまして。はい。
-120 研修医 忍 2018/12/13 22:30:22
一応弁護しておくと南さんがおっさんだとはおもってませんからね!!
2316 看護師 小百合 2018/12/13 22:30:30
>>2313 厳格。
2317 学生 比奈 2018/12/13 22:31:18
>>2312
君も灰雑すれば真認定!w
2318 赤子 羽風 2018/12/13 22:31:25
どう動いたらいいか分からん手探り感はやはり番長と真子が「言われてみたらそれっぽい」かな。

特に吊るぜって言われてる中村人COで出てきた真子ちんは本当に村人表記っぽそう。

伊澄希望変わらず
2319 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:31:47
無自覚の超人とか無自覚の王子様とかあってもいい気がする
2320 赤子 羽風 2018/12/13 22:32:03
>>2317
俺もやったから村陣営認定くれ
-121 外来 真子 2018/12/13 22:32:18
一応狙いはしました。狼としては微妙かもしれない感じですが>吊の流れ
2321 学生 比奈 2018/12/13 22:32:19
ベイビー吊るぜ!
2322 番長 露瓶 2018/12/13 22:33:06
>>2315
そうそう
もう1人出たんなら出た方がいいかと落ち着いた
2323 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/13 22:33:06
自分が素村だと思って全素会に入った後に無自覚だと分かったら迫害されるよ。

3人目ね、素直に考えれば本当に素村系か狂か背徳とかそんなかんじかへ
今はまだ置いておいて良さそ
2324 赤子 羽風 2018/12/13 22:33:48
>>2323
入る前に審査受けてもらう
2325 学生 比奈 2018/12/13 22:33:49
さしあたって考えるのは伊澄さんの処遇か...?
2326 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:34:20
ダーヴィドくんが思ったより喋っているので、どこかで出した手相組希望から取り下げます。
2327 囚人 要 2018/12/13 22:34:27
>>2254
良く見ると、「要さんを吊ろう!」に頷かれている。
みなさんそう仰るんですよ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2328 学生 比奈 2018/12/13 22:34:56
要さんを吊ろう。
2329 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:35:06
>>2324 審査で呪殺されたり逆呪殺したりするのかな…?
2330 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:36:26
要さん生きてたほうがログが楽しいし、白出てるから村なら食われるでしょ。
2331 研修医 忍 2018/12/13 22:36:55
無自覚ストーカー、無自覚マゾの字面がやばい
/21 看護師 小百合 2018/12/13 22:37:18
ごろごろ
番長 露瓶 が投票を取り消しました。
-122 アイドル 岬 2018/12/13 22:38:33
殺人鬼に対する複数対象の占いってどうなるんだろうな。

私だけ邪魔って出たらウケるんだけど。
2332 番長 露瓶 2018/12/13 22:38:43
投票キャンセルしておいた(報告
2333 外来 真子 2018/12/13 22:38:48
>>2310
実はしらたまが入っていたからでは…

>>2327
あ、すみませんミスです。
簡単な説明と複雑な説明のお話。
理解度に差が出ますから複雑な話の方が伝達力は高いな。
という納得をしてます(正しいかは知らない)。
要さんはまぁ今日吊る位置ではないと思いますよ。狼目は低いですし。
手相さん発狂というのもまぁ実感がないから真に見てるとかそんな感じではあるのですが。
2334 赤子 羽風 2018/12/13 22:40:09
>>2329
呪殺も逆呪もなく、ふつうに人間判定かつ素村判定出た村人のみ通れる狭き道よ
2335 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:41:22
>>1988
投票してんだろうが!!見とけよ見とけよ〜〜。
2336 番長 露瓶 2018/12/13 22:43:30
俺としては手相占い希望だな
それで証明できる村側役職に変化すると精神的にも楽になるし
逆呪殺ありえる状況だと麻耶が噛まれないかも、というのも思いついた
2337 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:43:45
要さん、伊澄さん、露瓶さん、真子さんの3人が村人表記だそうなのですが、どう見えていますでしょうか。
*169 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:44:17
村人COが信じられたぽいのはいいが、手相避けたいところだな、真子ちん。私が枠に固定されることで、なんとか押し出す可能性を上げたい。
2338 ニート 欧司 2018/12/13 22:44:46
おはようございます!
COが増えてるみたいですが明日読みます。
2339 赤子 羽風 2018/12/13 22:45:20
>>2338
働く時間だぞ
2340 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:45:45
>>2336
たぶん関係なく麻耶さんは殺される。
2341 研修医 忍 2018/12/13 22:45:45
村人CIOの処理優先順位は 伊澄>露瓶>真子 という感じ。
アイドル 岬は遺言を書きなおしました。
「銀狼ぃ〜の襲撃日記

一日目:由良
私怨。

二日目?:南
私怨。

by岬」
+219 バニー 結良 2018/12/13 22:45:59
おはよう
アホどもが手相占い殺しそうだからツッコミ入れといて
ちゃんと投票済みの人数と投票先確認しろってな
2342 学生 比奈 2018/12/13 22:46:13
自覚ニートは働け。
2343 学生 比奈 2018/12/13 22:46:51
欧司さんのことを言っているわけではないですからね!
2344 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:47:03
>>2333 説明は分かりやすいものに限る!!
*170 外来 真子 2018/12/13 22:47:06
そうですね。
個人的にはもし占われても不審者ってなるのがいいかな。

自分も>>2336と考えそうではあるんですね。忌み子怖いとはなりそうですが。
*171 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:47:58
人狼猫がある以上占われたら吊りは避けられないだろうねぇ
2345 赤子 羽風 2018/12/13 22:48:06
CIO……Chief Information Officer
2346 番長 露瓶 2018/12/13 22:48:15
>>2340
じゃあ逆呪殺しても、まぁええか!(ポジティブ
*172 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:48:34
とするなら、口では占い立候補するのもいいのかもな。
2347 研修医 忍 2018/12/13 22:49:20
COだった>>2341
*173 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:49:26
占われても構いませんが実際は占われないようにがんばれ。
ウェイトレス 南 は様子を見ます。
*174 外来 真子 2018/12/13 22:49:42
ですねぇ。その方向で行きます。

あとすみませんが気力限界なのでもうちょい発言したら落ちます。
2348 外来 真子 2018/12/13 22:51:21
自分の扱いに関してはどうするのかがよくわからないですね。
>>2336すごいわかる、楽になりたい。
なので自分も立候補良いですかね?

余談ですが正直そろそろ気力が限界を迎えそうなのですが。
時間まだあるから大丈夫、ですかね。寝落ちたらすみません。
*175 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:51:33
南は幻狼なら占いは避けない手もあるね
墓下賢者と手相占い師のラインが切れる
*176 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:52:38
なーるほどねえ。
2349 学生 比奈 2018/12/13 22:52:57
まとめ役いないとめんどいな。
*177 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:54:07
南吊られるのは後になりそうだから効いてくるのは遅いけど
*178 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:54:26
しかしま……吊られてしまうんじゃなあ?という。
見苦しく灰かぶりしそうだ。
2350 学生 比奈 2018/12/13 22:54:53
指揮役というほうが正しいか。
-123 ニート 欧司 2018/12/13 22:55:01
>>+219
すまぬ・・・
寝落ちするのだ・・・
手相占い処刑は美味しい。
襲撃行きそうな気もしますが・・・
*179 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:55:02
桜狼疑惑をかけられそうな奴が手相組に来たら、考慮しよう。
2351 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 22:55:27
>>2299は非常にいい提案だと思う。
2352 赤子 羽風 2018/12/13 22:55:39
例えば今村陣営の人が村人表記希望してたなら言えばいいと思うんだよな。

で、例えば狼陣営の人がナイトメアとか希望してたなら、それも言えばいいと思うんだ。逆に妖魔が人狼猫とかも。

誰も言い出さないなら村側の無自覚系なんかね。そんなん関係なく黙ってる人もいるとは思うけど。
2353 ウェイトレス 南 2018/12/13 22:55:53
>>2349
おい、誰かまとめろよ!みたいなのは私も思ってます。
2354 番長 露瓶 2018/12/13 22:56:53
完全ランダムなら確白もちょくちょく入るイメージだったが、希望シャッフル?だとあまり希望されない系かもしれないな
2355 赤子 羽風 2018/12/13 22:56:56
あと、もう自分が何希望したか言っちゃってる人は、それ信じるなら村人表記希望者ではないんよな
2356 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:57:09
闇鍋だといない方が普通なんだけどね
絶対者や勇者が出ても本人がやる気ないことの方が多い
2357 学生 比奈 2018/12/13 22:58:03
もともとなやつ、ランダムでしたっけおまかせでしたっけ、自分そっから変えてないですね。
2358 学生 比奈 2018/12/13 22:58:16
やる気ないなら入るな〜〜っ。
2359 赤子 羽風 2018/12/13 22:58:40
まとめはありがたいんだぜ……
+220 バニー 結良 2018/12/13 22:58:45
入る気はあるんだからしゃーない
2360 学生 比奈 2018/12/13 22:58:48
村のやる気とまとめのやる気は別だろ!
2361 おしゃま 優奈 2018/12/13 22:59:29
>>2352 少なくとも無自覚系の希望明かしたらあえて無自覚系を選んだ意味がなくなるからね
選ぶ人は本人を惑わせたくて選んだんだろうし
村側でも明かさない人は普通にいそう
2362 番長 露瓶 2018/12/13 23:00:00
ころころ変えてたから何を希望してたか忘れたからプロローグの独り言見て確認してきた
コンピュータ→パン屋→ゾンビ だった
2363 学生 比奈 2018/12/13 23:00:23
希望が自分にこないならば、どうでもいい.....。
2364 研修医 忍 2018/12/13 23:01:11
居なくなってわかるまとめのありがたみ。
2365 番長 露瓶 2018/12/13 23:01:41
希望変える前の希望も反映されたりしないよな…?
2366 学生 比奈 2018/12/13 23:01:45
適当にまとめ役に適任そう(つまり村そう)な人何人か他推して決めた方がいいんですかね〜〜。
正直手相占い師に投票する人とか絶対まとまんないと思います。
2367 学生 比奈 2018/12/13 23:02:20
まとめ役させる人もそしたら手相に投票させたほうがいいか。
2368 学生 比奈 2018/12/13 23:02:36
潜伏絶対者さんCOしてください!!!
2369 外来 真子 2018/12/13 23:04:05
これ希望言う流れですか?
最初探索者にしてたんですが(SAN値直送見たいというネタ)、
ただこれ引いたらその人悲しくなると思って考え直して幽霊希望したのでニートさん幽霊だとばかり思ってましたけど。
コンピュータっぽい?ので弾かれたのかな?と思ってます。はい。
2370 看護師 小百合 2018/12/13 23:04:24
……ちょっと寝てました。
2371 学生 比奈 2018/12/13 23:04:24
ヴィクトリアさんとか村っぽい感じあるしよく顔出してくれるからまとめ役やってほしいなあとか思うけど同村3.4回しかしたことないから人外でもこんな感じとかわかんないんだよなあ。
研修医 忍は遺言を書きなおしました。
「魔物使いだ。どうしたもんかと悩みに悩みまくった。手相白貰ったら喰われかねないし。かといって吊られるわけにもいかないし。2陣営勝ちの目が自分にかかってると思うとな。。。」
2372 看護師 小百合 2018/12/13 23:05:29
麻耶さん本人に選んでもらう想定でしたけど、来ないっぽいです?

それなら暫定まとめを委任する必要がありますね。
「そうしないと纏まらない」に同意です。
2373 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:06:03
ヴィクトリアさんは手相組希望の最終的集計は請け負うと言ってくれていたと思います。ただ、怠惰な私たちが求めるのは工場的なまとめ役なんですね。
+221 バニー 結良 2018/12/13 23:06:05
幽霊ってカウント外の村役ですからね
一応名目は村陣営ですけどシャッフルチェッカー的には人外なんすよ
なので弾かれてますね
2374 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:06:43
恒常的。
2375 おしゃま 優奈 2018/12/13 23:06:54
幽霊希望2人いたんだ
誰だ幽霊希望×2弾いてコンピュータ入れた人
2376 学生 比奈 2018/12/13 23:06:59
工場的なまとめ役はじゃあクリスタさんにでもやってもらおう.....。
-124 研修医 忍 2018/12/13 23:07:13
私だ
2377 番長 露瓶 2018/12/13 23:07:24
まとめ役の希望はヴィクトリアかなー
自分からそれっぽい感じで動いてたようなところもあって
2378 看護師 小百合 2018/12/13 23:07:31
>>2371
ヴィクトリアさんにまとめをお願いするなら、
「比較的証明しやすい村側役職ですよ」と言っていましたし、
その証明をしていただいた上でお願いしたいですけどね。

わざわざ占手使いたくない主張もありましたし。
2379 学生 比奈 2018/12/13 23:07:38
恒常的かいっっ!
2380 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:08:05
私がまとめる流れなのか。。
2381 番長 露瓶 2018/12/13 23:08:13
幽霊さんちょっとザコすぎでは?
2382 看護師 小百合 2018/12/13 23:08:13
工場
恒常

結構印象が変わりますね…。
2383 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:08:28
証明するなら明日か明後日がいいんだが。
+222 バニー 結良 2018/12/13 23:08:35
私がコンピュータ使ってまとめよう
2384 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:09:03
あと平日はともかく土日はまとめるのがキツイ。
2385 学生 比奈 2018/12/13 23:09:12
それはクリスタさんには無理だ...!
+223 バニー 結良 2018/12/13 23:09:20
コンピュータが手元にない
また明日戻ってくるのを待つか
2386 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:09:26
みんな適当なので、証明しなくても別にまとめていいよくらいに思ってるんじゃないですかね。
2387 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:09:27
あんまりまとめ向きでないと思うし。。。
+224 生命維持装置 続 2018/12/13 23:10:02
>>2352
自分は希望って毎回ランダムなんやよね。
何が来るか分からないってのが楽しみなんで。
2388 学生 比奈 2018/12/13 23:10:50
とりあえず手相投票者は誰かに(ヴィクトリアさんが集計は請け負ってくれると言っていたらしい?)集計してもらって、最終決断を麻耶さん本人にして貰う感じですかね。
2389 おしゃま 優奈 2018/12/13 23:11:03
ちなみに最初は裁定者希望しようとしてた
2390 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:11:12
じゃあ、赤ちゃんにまとめを投げる見下げた大人達しかいない村にしましょう。
2391 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:11:13
#村人表記の処遇
手相組がいいと思う。
2392 研修医 忍 2018/12/13 23:11:34
片白メンはつくね・ダーヴィド・要だけど難しいな。多忙、疑われてる×2だから。
2393 学生 比奈 2018/12/13 23:11:43
働けよベイビー。
2394 研修医 忍 2018/12/13 23:13:25
>>2390 何そのクズの集まり。。。
2395 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:13:57
#今日の吊り先
晋護さんが考察しないのは狼に迷惑かけたくない狂人説を思いついたので、吊りでいいかなという気分。
村人表記から吊るなら伊澄さんかな。
2396 学生 比奈 2018/12/13 23:13:57
若い人が重労働をするのは当然なんだな。
2397 赤子 羽風 2018/12/13 23:14:04
俺はまとめは引退したんだ
2398 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:14:39
手相希望はもう少し考える。
2399 学生 比奈 2018/12/13 23:14:47
そのまま生も引退して墓下行くか!?
2400 外来 真子 2018/12/13 23:14:48
>>2390
母国では少年少女がまとめとして働き大人達に考察を迫る事例が良くあります。

それより酷い光景があるとは。
2401 赤子 羽風 2018/12/13 23:15:12
どうしてもって言うなら独断と偏見で全員の投票先を指定してやろう
2402 学生 比奈 2018/12/13 23:15:31
それはそれで悪くない。
2403 学生 比奈 2018/12/13 23:15:56
私は手相投票でたのまい!
2404 看護師 小百合 2018/12/13 23:16:23
赤ちゃんか、ヴィクトリアか、
あとは、村人表記本当っぽいし、
暫定で真子さんにお願いするのもアリかなとは。
(「恒常的」にはなりませんが、今日だけとか。)
2405 おしゃま 優奈 2018/12/13 23:16:37
なんか羽風と比奈が憎まれ口を叩き合うライバルかつ親友キャラみたいになってきた
2406 看護師 小百合 2018/12/13 23:16:41
>>2401
もうそれでお願いしていい気はしてきました。
2407 学生 比奈 2018/12/13 23:17:35
赤ちゃんと憎まれ口を叩き合う学生.....。
2408 外来 真子 2018/12/13 23:18:16
位置的にはつくねさんまとめ推しますが、
片白後の動き的にもまとめに動いていて信用できそう。

ただ多忙そうなのですよね。負担が大きそう。
2409 赤子 羽風 2018/12/13 23:18:25
こんなやる気ない赤子に指定させるとか正気か……?放置してくれって言う奴だぞ……?
2410 学生 比奈 2018/12/13 23:18:36
情報学部でもいいかもな。
*180 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:18:54
赤ちゃんは忍をかなり村視してたはずだしなー。
2411 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:19:47
>>2410
絶対やらないでしょ。
2412 学生 比奈 2018/12/13 23:19:54
情報学部は拒否しそうだな。
2413 学生 比奈 2018/12/13 23:20:23
>>2411
だよねーー。
2414 看護師 小百合 2018/12/13 23:22:39
情報学部はちゃんと課金者なんでしょうけど、まとめてくれるタイプには見えないというか…。
2415 看護師 小百合 2018/12/13 23:22:57
既に言われていた。
2416 学生 比奈 2018/12/13 23:23:36
まとめをしなければいけない役職があれば希望したんだけどな。
2417 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:23:44
マジで赤ちゃん以下の大人しかいなくて草
2418 学生 比奈 2018/12/13 23:24:09
そんな南さんどうです?
2419 おしゃま 優奈 2018/12/13 23:25:13
まとめ役は別に決めるとしても手相占い師への投票者は麻耶本人が決めればいいと思うけどね
2420 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:26:08
>>2418
私って今まとめが許されるほど信用されてるん。
2421 看護師 小百合 2018/12/13 23:26:11
私は暇な日は結構がんばれるんですが、
今回そんなに暇感がないので、
赤ちゃん以下になるしかないようですね…。
2422 外来 真子 2018/12/13 23:27:09
>>2404
この国の進行のベストがわからないのでちょっと受け兼ねます。
勝手が違いすぎて自信がないですね。
あと流石に一応純灰なのでそれがまとめるのもどうかな、と。

>>2410
課金者は真だと思うのでそれもありですかね。
+225 バニー 結良 2018/12/13 23:29:04
範夫(0票)



満彦
瑠偉
比奈

は手相に入れてるぞ
2423 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:29:27
摩耶さんが決めればいいが、指定された人が投票間に合うのかどうかがわからないのがなぁ。

明日の夕方までに手相希望をまとめるつもりなので、希望はそれまでに出して欲しい。
2424 赤子 羽風 2018/12/13 23:29:31
>>2419
決まらん気がする
2425 外来 真子 2018/12/13 23:29:35
範夫さんはタイプ的にしない人なのか。>直近見つつ。

すいません。議論途中ですけど、流石に限界なので落ちます。

おやすみなさい
2426 絵本作家 塗絵 2018/12/13 23:29:36
ラジオと性癖人狼を楽しんでた塗絵さんだよ

今北産業を頼める会?
2427 番長 露瓶 2018/12/13 23:30:02
俺はヴィクトリアか >>1521 で言った中で手相占いに投票してくれる人にやってもらいたいな
*181 外来 真子 2018/12/13 23:30:20
ひとまず落ちます。ではまた。
2428 警察官 晋護 2018/12/13 23:31:03
99人評…ではなく3/99人評を書いてみました。
クソガバ推理かなり混じってると思いますが…
+226 バニー 結良 2018/12/13 23:31:09
ダーヴィド
クリスタ
朝陽


の投票はバラけてるぞ
*182 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:31:12
私もお風呂。おやす。
2429 看護師 小百合 2018/12/13 23:31:16
>>2422
純灰なら赤ちゃんもヴィクトリアもそうですし、
皆さぐりさぐりではあると思いますが、
まあ辞退されるなら無理強いをするつもりはありません。
2430 赤子 羽風 2018/12/13 23:31:45
>>2428
期待
+227 バニー 結良 2018/12/13 23:32:28
残り15人だぞ
2431 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:32:42
分母と分子逆では?
2432 警察官 晋護 2018/12/13 23:32:51
3人ずつ貼ります

・麻耶さん COは手相占い。とりあえず今は真で見ていいと思っています。
・範男さん 課金者CO。どちらかというと人外目だが、そんなに見なくていいと思っている。ガチャに幸運を。
・星児さん 微妙な位置。村にも見えるし狼にも見える。たぶんどちらか。どっちかというと狼。ドワーフのCOをなぜ真で見たのか不明。でも吊る、といってるあたり狼なのだろうか?
2433 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:32:59
>>2426 伊澄さん、露瓶さん、真子さん村人CO。
吊り先、手相組を検討中。
まとめ役欲しいという意見も。
2434 警察官 晋護 2018/12/13 23:33:29
・弥生さん 「い"ぎだい"!」人狼判定。トクニ イウコト ナイ。
・昌義さん ドワーフCO。勝利条件を満たしていないドワーフがCOするようは思えないし黒幕COというよくわからないことをしているので吊ってよかった。賢者判定人狼。はい。(はいじゃない)
・続さん COは賢者、だが狼にとってはクルモンの如く脅威だったんだろう、即死んでしまった。この村護衛いねえのかよ。かなしい。結果は噛まれたのもあり(最後のコンピュータが伝えた結果以外は)盲信していいと思っている。
2435 警察官 晋護 2018/12/13 23:34:14
・岬さん あまり村には見えないが、狼らしくもない。その他か妖魔とかその辺に見えてしまう。
・光さん 疑われた時の発言が村っぽいが、それ以外の発言は人外くさいと思っている。よって占ってもらった方がいいのでは、とおもっている。
・小百合さん ここの位置は村に見えるが、若干狼くささもある。放置でいいと思った。
2436 学生 比奈 2018/12/13 23:34:28
分母と分子逆は笑う。
2437 絵本作家 塗絵 2018/12/13 23:34:39
村人ロラしよう?

で、ロラ対象者を聖人で見て二日で見終わるとか良いじゃないか
2438 警察官 晋護 2018/12/13 23:34:49
・羽風さん 疑いがかかった時に場を濁したところが気になりましたが意見はしっかり出せてるところを見ると村なのかな?狼陣営ではなさそう。その他とかあって妖魔とかその辺だろうって感じです。手相占いやってもらった方がいいかなと思った。
・東さん 半分村で半分人外と見ている。手相占いしてもらった方がいい感があります。
・ダヴィードさん 賢者占いってことは妖魔はないんだろうがコンピュータが本当のこと言ってるかどうかもわからないし、謎な位置。この位置は本当によくわからないze…殴ってるところをかばってるあたり余裕があるように見える。
2439 警察官 晋護 2018/12/13 23:35:09
逆だった…
2440 警察官 晋護 2018/12/13 23:36:24
・南さん よく話すので村目。窓もなさげ。過信はしないが村で見ていいんじゃないかと思っている。
・真子さん 窓は持ってなさげ。ただ寝落ちを理由に内通してるのかもしれない。とりま放置したい。追記:村人COとのこと。えぇ…
・クリスタさん COは手品師。使用を催促されてたけど使用しない気持ちもわかるし証明については今はいいやという感じ。未設定で罠を仕掛けてしまった相手。自分のミスを偉そうに言うのもなんだけど、巻き添えが起きるのでよほどのことがない限り吊りたくない。というよりここを吊りたいと言っている人こそ吊っていい気もする。
2441 警察官 晋護 2018/12/13 23:37:30
・ヴィクトリアさん 特にCOはないがよく話すので今のところ村目。あまり過信はしませんが。
・結良さん 看板娘。吊り増えたのはありがたい。超クール。まあそれで私が吊られかけているのですが。
・要さん 猫又CO。猫又COについては信用ができない。僕を占わせるでもなくとにかく殺しにかかってくる人。白出されてるし僕に死んで欲しい系のその他役職や復讐陣営だったりするんだろうか。捕まったから恨んでいるのだr(ry
+228 バニー 結良 2018/12/13 23:37:36
巻き込みはどうせ人外が爆発するよ
2442 令嬢 御影 2018/12/13 23:37:50
にゃーん
2443 令嬢 御影 2018/12/13 23:38:23
ねじてんはログを読むだけじゃ意味がわからないので難しいですね。。。
2444 警察官 晋護 2018/12/13 23:38:28
・塗絵さん ダヴィードさんを吊りたがってる。その意見自体は賛否両論。で、人外にみえるかどうかだが、人外にはあまり見えない。まあ全く人外見てない訳ではないが。
・露瓶さん よく喋る=窓なさげ=村かその他。現状村で見ていいと思っています。追記:村人CO。………………
・朝陽さん 人外っぽい。(直球) 窓も持ってそうだ。占ってもらうか吊ってしまうか、かな。
2445 警察官 晋護 2018/12/13 23:39:11
・忍さん こちらも人外っぽい。発言ペース的に窓も持ってそう。占うか吊るかどちらかかな。
・茜さん 遺言もCOもないまま死んでしまわれた。あらら…
・欧司さん COはコンピュータだった。幽霊COとかいうノイズ失礼。村に反逆してる可能性もあるので盲信は禁物だと思っている。
2446 警察官 晋護 2018/12/13 23:40:05
・つくねさん クリスタさんを吊ろうとしてきたりしてたので人外で見ている。あまり好印象ではない。
・伊澄さん 村っぽくもないし狼っぽくもない印象。その他、あたりだと思っているが、よくわからないので今後も反応を見たい。窓持ってそうとか言われている。羽風さんとだいたい同じ印象なので同じく手相占いしてもらいたい。追記:村CO。村人CO多くない?どう見ろと言うのだ…
・優奈さん COは聖人。ふと思ったが複合系役職多いネ。希望した人がいたりするのか気になるところだけどそれは置いといて、今は占い系とかをCOしている人は放置で見たいと自分は思っている。真偽は置いといて。昌義さんの吊りに動いたのは真目が高いと思った。という
2447 警察官 晋護 2018/12/13 23:41:09
字数制限オーバーっぽいので
・優奈さん COは聖人。ふと思ったが複合系役職多いネ。希望した人がいたりするのか気になるところだけどそれは置いといて、今は占い系とかをCOしている人は放置で見たいと自分は思っている。真偽は置いといて。昌義さんの吊りに動いたのは真目が高いと思った。というか複合系役職って騙るの面倒だからだいたい真なのでは?(ガバ推理)
2448 警察官 晋護 2018/12/13 23:41:56
・満彦さん 票数がどうたらこうたらの役職CO。ぶっちゃけ人外くさい。吊るか占うかかなぁ。
・紅さん 寡黙。疑われているけど生存欲もなさそう。占うか吊るかした方がいいと思います。
・瑠樺さん ログは読んでそうだけどもうちょっと話して欲しい感。(おまいう)
2449 警察官 晋護 2018/12/13 23:43:00
・御影さん ダヴィードさんを吊りたがっているが、なぜ殴ってるのかはわからない。あまり喋らないけどログはよく読んでる模様。中身は人狼というより狂人かはたまたその他とかの役職のような印象がある。
・比奈さん 彼女の鶴の一声でこの3/99人評を書いた。羽風さん吊ろうとしているのが気になるな。羽風さんは確かに怪しいが今はそこまででもない位置だと思っているので。現状COこそないものの村で見ている。あとダジャレ師匠と呼ばせてくd(ry
・晋護さん いろいろやらかしたクソ罠師
2450 看護師 小百合 2018/12/13 23:43:37
タグを利用してみます。 #村人表記の処遇

希望:
第1希望.伊澄さん本日吊、残り2名を手相占
第2希望.伊澄さん本日吊、露瓶さん手相占、真子さん灰放置
2451 学生 比奈 2018/12/13 23:44:16
ベイビーを吊ろうとしてるのはこのクソ役職を入れたのがベイビーかと思ってたからだ。実際は妖狼らしいが。
2452 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:44:30
晋護さんは、そうだな。
「コンピュータ通信」タグを使って判定を見たほうがいいと思うよ。
2453 警察官 晋護 2018/12/13 23:44:33
と言うことで死ぬ前に書きました。
あまりあってる推理だとは思えませんが。
2454 看護師 小百合 2018/12/13 23:45:01
>>2450
・「手相占は今回だけでは?」意見が多いようなので考え直しました。見れないよりはコンピュータ経由でも情報がある方がいいかな、と。

・伊澄さんは「とぼけた発言」「白ログお喋り」は窓持ちでもできる方です。
読み直しましたが明確な白要素は見つけらませんでした。
(むしろ、ログ読んで情報まとめてる割に情報の把握力が不自然に低いようにも)
吊ってしまってもいい範囲。
※警察官さん手相占が前提です。

・手相占枠を圧迫したくない場合は、
村人COがより本気っぽい真子さんを灰放置で。
村人として推理していただいた上で、ケアが必要そうなら吊。
ただ、ケア時期の見極めが難しいのでできれば両方占に当てときた
2455 赤子 羽風 2018/12/13 23:45:21
俺だぞ
2456 学生 比奈 2018/12/13 23:45:39
2457 警察官 晋護 2018/12/13 23:45:52
コンピュータ通信ですか、
あんま見てなかったから
ちょいと時間あいたら見ます。
2458 絵本作家 塗絵 2018/12/13 23:46:10
あすたらびすた
2459 学生 比奈 2018/12/13 23:47:26
この塗絵全く村に見えないんだが。
+229 バニー 結良 2018/12/13 23:47:41
>>2459
確かに
2460 赤子 羽風 2018/12/13 23:47:42
判定結果興味ないようだな
-125 教育学部 伊澄 2018/12/13 23:47:46
>>2454
大真面目なんだけどなぁ…悲しい
2461 学生 比奈 2018/12/13 23:48:03
クソガキがっ!!
+230 バニー 結良 2018/12/13 23:48:11
かといって狼にも見えない
またなにか刺さってるかな
2462 赤子 羽風 2018/12/13 23:48:29
警察官の話な
2463 番長 露瓶 2018/12/13 23:48:44
今日はちょっと疲れてるからすまんがもう寝ることにする
おやすみ
2464 看護師 小百合 2018/12/13 23:49:03
>>2435
ちょっと目が滑るので自分のところしか読んでませんが、
若干狼臭さがあるのに放置でいいんでしょうか?という純粋な疑問が。

「油断できないけど白より」くらいの意味合いなのかな…。
2465 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:49:30
>>2457 頑張って書いたのはよく伝わったんだが。
つくねさんは賢者の初回白だとか。
紅さんは学者村役職判定もらっているとか。
茜さんは霊媒で激おことわかってたりとかがね。
2466 赤子 羽風 2018/12/13 23:49:38
聖人を真と置くならその結果くらい見るべきでは
+231 バニー 結良 2018/12/13 23:50:09
警官は頑張って書いたんだ
まずは誉めろよ
2467 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:50:25
頑張り始めたから警察官より伊澄くん吊りでいいかなと思っていたら判定ガバガバで草
2468 絵本作家 塗絵 2018/12/13 23:50:30
比奈君、目隠ししてそれを言うのは無いぜ
2469 アイドル 岬 2018/12/13 23:50:36
番長さんが煽動者希望してたのかと思ったら違った。
じゃあ村人CO者から吊りでも良いのかなあ。

そもそも何で晋護吊らない流れになってるのかよく分かってないけど。
2470 警察官 晋護 2018/12/13 23:51:02
正直賢者の結果あまり見てませんでした。
この把握漏れはいたい…
2471 カメラマン つくね 2018/12/13 23:51:05
すまん、まじすまん、仕事でトラブってて仕事に戻った。
明日解決するはずなので、明日の夜になれば時間できるので、明日まとめでもよいっすか。
更新は明後日の朝っすよね。
2472 看護師 小百合 2018/12/13 23:51:44
しかし、この頑張り方、あんまり狂人っぽくない気がしますね。
2473 警察官 晋護 2018/12/13 23:52:03
ただし4日目の結果は信じんぞ!
2474 警察官 晋護 2018/12/13 23:52:28
コンピュータが偽ならばな!
2475 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:52:29
この警察官さん、今日吊らないとしても、手相組にぶちこむほどの人材なんです?
2476 学生 比奈 2018/12/13 23:52:33
賢者の結果を見ないで君は一体この村の何を見ていたのだ。
2477 看護師 小百合 2018/12/13 23:52:55
そして昨日感じた人外っぽい胡散臭さを考えると、
やっぱり今日吊ってもいいのでは感が若干増しましたが。
2478 赤子 羽風 2018/12/13 23:53:12
微妙
2479 カメラマン つくね 2018/12/13 23:53:16
ちなみに俺がまとめるなら弥生さん吊り後の意見しか採用しないんで、強い要望は繰り返しよろしくっす
2480 看護師 小百合 2018/12/13 23:53:40
手相組にぶちこまずに吊り縄予約にしときますか。
2481 警察官 晋護 2018/12/13 23:53:45
妖魔疑い出てるようなので。
>>2472
狂人ならたぶん33人評書いてないと思います。はい。
2482 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:54:11
判定はおいといて個人個人で考察しよう、という姿勢はどう考えるのがいいのかね。。
役職由来なのか中身由来なのか。。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2483 令嬢 御影 2018/12/13 23:54:56
警察官は村側役職な気もする
2484 赤子 羽風 2018/12/13 23:55:06
>>2482
中身だと思う
2485 看護師 小百合 2018/12/13 23:55:12
頑張ってる姿勢見せは生存欲か何かの現れには思いますけど。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2486 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:56:06
>>2484 人外であって欲しいというのが正直な気持ち。。
2487 警察官 晋護 2018/12/13 23:56:12
賢者結果はよく確認しておきますね…
2488 赤子 羽風 2018/12/13 23:56:24
罠師なんだろうと思うのだが、残しておくのがいいかって言われるとうーん。こんな時、激おこがいてくれたら……
-126 警察官 晋護 2018/12/13 23:56:45
正直賢者結果をメモるの忘れたなんて言えない。。。
2489 研修医 忍 2018/12/13 23:56:57
ゲーム消化して来たらなんともいえないものが。
2490 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:57:04
まとめに立候補して投票指示するほうがいいのかコレ。。
2491 警察官 晋護 2018/12/13 23:57:14
賢者結果をメモるの忘れたなんて言えない。。。。。
+232 バニー 結良 2018/12/13 23:57:28
ポリスマンで吊りを稼ごうとしている小百合と南は人外であるな
ヴィクトリアは残念な村役ってことにしといてやろう
2492 赤子 羽風 2018/12/13 23:57:45
>>2485
人外でも村でもあり得る生存欲だろうな
2493 学生 比奈 2018/12/13 23:57:55
というか欧司さんの灰雑もあるから欧司さんの発言も見てると思ったんだが...。
2494 研修医 忍 2018/12/13 23:58:17
限定SSユリアンが黄龍剣を覚えました。
2495 お忍び ヴィクトリア 2018/12/13 23:58:27
聖人の判定も把握してなくないかね。。。
2496 学生 比奈 2018/12/13 23:58:43
灰雑してくれたのは普通に私が灰雑してくれ〜ってお願いしたからな気がする。、
2497 学生 比奈 2018/12/13 23:59:10
逆に言えばそれをお願いするまではそういう生存欲というものが全く見えなかった。
2498 赤子 羽風 2018/12/13 23:59:15
1人分の判定見逃してたとか言うレベルではないからなぁ
2499 ウェイトレス 南 2018/12/13 23:59:17
>>2454
伊澄くん以外の村人CO者の手相組への扱いについては同意ですねー。
正直ぶちこみたい人であふれてるんですよ。リスクもあるし、枠使うくらいなら村人として一生考察に協力してもらって、適当なとこで処分するのもアリだと思います。ひどいけど。
+233 バニー 結良 2018/12/13 23:59:36
>>2488
残して先に期待は出来ないが
吊るのは縄の無駄である
この村での吊り一回は命3人分に相当する
2500 警察官 晋護 2018/12/13 23:59:48
>>2496
それはあります
2501 看護師 小百合 2018/12/13 23:59:56
>>2492
今日のこの頑張り単体を見ると、村側の生存欲でもおかしくはなさそうです。
排除できたのが狂人だけかなあ。

昨日の誤爆後のなんとなく胡散臭い言動が尾を引いて私が思考ロック気味なんでしょうか。うーん…?
2502 アイドル 岬 2018/12/14 00:00:07
星児さんってもっと出来る人なイメージが有るのよね。
第三回99人村でもそう思ってて、実際囚人だったし。

なんか怪しまれて得する役職なのかなー。
-127 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:00:21
爆弾魔臭いな…

6W1K1F1Bコ
+3人外
2503 学生 比奈 2018/12/14 00:00:45
だからこそ、私は狂人だと思ったんだ。
2504 令嬢 御影 2018/12/14 00:01:02
私も賢者とやらの判定は全然覚えていないから大丈夫だ。
2505 警察官 晋護 2018/12/14 00:01:19
アッハイ
2506 令嬢 御影 2018/12/14 00:01:33
聖人だったっけ
+234 バニー 結良 2018/12/14 00:01:39
>>2504
大丈夫ではない
2507 警察官 晋護 2018/12/14 00:01:53
どっちもです。
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅村役職→小百合
霊媒:昌義村人→弥生村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
2508 看護師 小百合 2018/12/14 00:01:55
御影さんは灰雑やれと言われたってやらないだろうから前提が…。
2509 学生 比奈 2018/12/14 00:02:52
2510 ニット帽 光 2018/12/14 00:03:06
今の話題何?
2511 学生 比奈 2018/12/14 00:03:16
ファーストインプレッションでいくと狂人なんだけどなあ。うーん...。
2512 令嬢 御影 2018/12/14 00:03:31
私にだって50人近くをまじめに灰雑してた頃があったんですよ
2513 赤子 羽風 2018/12/14 00:03:37
俺なんて灰雑やるときいかに省エネでやるかを考えてまず一旦は考えなくていいところ確認したんだがな。紅とかダーヴィドとか。
2514 学生 比奈 2018/12/14 00:03:47
>>2510
地球温暖化についてとその解決策について。
2515 令嬢 御影 2018/12/14 00:04:24
窓があればまとめ役がいるのでは?
+235 バニー 結良 2018/12/14 00:04:30
襲撃役職がバリバリ大鉈を振るっている状況で
罠使い終わった絞りカスみたいなやつを悠長に吊ってる場合ではない
2516 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:04:32
>>2510 伊澄さん、露瓶さん、真子さん村人CO。
晋護さん、考察するも賢者聖人の判定未把握、何者?
2517 学生 比奈 2018/12/14 00:04:37
私のことも最初7文字で終わらせてたよなあベイビー?
2518 研修医 忍 2018/12/14 00:04:44
生存欲がある事と頑張った事は伝わった。単独みはある。
2519 赤子 羽風 2018/12/14 00:04:45
>>2510
おしゃぶりを使い過ぎると出っ歯になるというのは本当か否か
2520 看護師 小百合 2018/12/14 00:04:54
>>2512 あのころの貴女は若かった。
2521 赤子 羽風 2018/12/14 00:05:22
>>2517
村だと思ったからそれでいいじゃろってなった
2522 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:05:22
警察官さんは吊り縄ゾーンでいいと思いますけどねー。
極端な話、
あなた・警察官さん・超頑張ってる人狼
で残されたとき、超頑張ってる人狼の方を信じちゃいそうじゃないですか?襲撃もされないと思うしなあ。
2523 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:05:37
覗き見を警戒して窓が活発でない可能性はある。
2524 ニット帽 光 2018/12/14 00:05:39
>>2514
人類が出してる熱源よりもそれ以外の放熱量の方が圧倒的に多量だから人の身で解決するのは諦めろ
2525 赤子 羽風 2018/12/14 00:06:37
メアリーなかったから覗きないんでないの?
2526 ニット帽 光 2018/12/14 00:06:42
>>2519
おしゃぶり使った記憶は微妙だがオレの中の人は出っ歯だ(ただの自分語り
2527 学生 比奈 2018/12/14 00:06:46
>>2518
狼も妖魔も狂人も窓あると思うから単独ではないと思うんですが罠自体偽読みです?
2528 研修医 忍 2018/12/14 00:06:54
>>2523 そっか。闇鍋だから。
2529 看護師 小百合 2018/12/14 00:07:09
>>2509 >>2511
あー、なるほど。受動的。

しかし、そこで受動的に灰雑やったって事実が狂人像から離れる気がするんですよねぇ
2530 警察官 晋護 2018/12/14 00:07:13
まあ言いたいことは言いました。
いろいろgdgdになりましたが。
2531 学生 比奈 2018/12/14 00:07:18
妖魔と狂人は窓あっても単独な可能性があるか。
そのときはまあどんまい。
+236 バニー 結良 2018/12/14 00:07:18
忍あたりが黒幕か人狼な気がしますね
2532 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:07:34
>>2525 あれ、そうなの。
そのへんの仕様を理解していない。
2533 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:07:43
>>2522
警察官さんが罠師でも、ってことですね。
2534 研修医 忍 2018/12/14 00:08:13
>>2527 いや、真かぼっち人外かなって思ったんだけど>>2523で白紙に戻った。
2535 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/14 00:08:51
ダーヴィドくんのことは考えなくても良いを貰いました。

警察官は生存意欲の塊って思うんだよね。
妖魔目
2536 学生 比奈 2018/12/14 00:09:09
メアリーonなのでダミーのシスメがない限り覗きはいないですね。
つまり今回は覗きはいません。
たしかね。
_2 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:09:34
覗き見君見てるぅ?
いえーい
2537 警察官 晋護 2018/12/14 00:09:36
まあ村でもなるべくは吊られたくはないので。。。
*183 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:09:37
>>2536
そうなのかよ!!
2538 研修医 忍 2018/12/14 00:09:38
って言ったそばから>>2525わかんなくなってきた。
2539 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:09:41
障子にメアリー
ONにすると会話を覗ける役職が村にいた場合開始時にダミーが警告してくれます。
ダミーがいない場合は全体公開メッセージで表示されます。
墓下会話の覗き役職は効果外です。
OFFにすると何もおきません。
2540 看護師 小百合 2018/12/14 00:09:43
もうあんまり考えずに>>2522 >>2533 でいいのかな…という感じはありますね。
狂人か否か、を考えても自己満足以外の生産性はないかあ。
2541 ニット帽 光 2018/12/14 00:09:58
>>2532
設定で「障子にメアリー」になっている場合、覗き役職がいれば初日にダミーがそれっぽい発言を一言残す仕様
2542 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:10:13
ずっといるものと考えてたのに。。。
2543 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/14 00:10:25
役職変化で覗き出る可能性は0じゃないし、警戒心が強い人なら覗き警戒しててもおかしくはないかな
2544 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:10:26
まあでも課金真ならガチャ結果で覗き見はあり得るだろう

やるかどうかは別として
2545 学生 比奈 2018/12/14 00:10:34
むしろ私はとりあえず言われたことをやっただけって感じの生存欲ないように見えるなあ。
これから生き続けたいなら、生きた前提でログはしっかりと読んでいるはずだし。
2546 看護師 小百合 2018/12/14 00:10:34
>>2537
こういう「村でも」という言い回しとかが私はいちいち引っかかりはするんですけどね。
*184 おしゃま 優奈 2018/12/14 00:10:35
>>*183 あれ?
知らなかった?
2547 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:10:49
>>2536 >>2541 ありがとう。
2548 学生 比奈 2018/12/14 00:11:24
白紙に...白紙に.....はっくしょん!まもの
2549 ニット帽 光 2018/12/14 00:11:37
なお役職変化による覗き役職化は考慮されてないので注意されたし
2550 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:11:45
>>2537 警察官
村意識、にはちと欠けていそうだが…
2551 赤子 羽風 2018/12/14 00:11:49
>>2546
確かに「村だって生存欲あるぞ!」っていうストレートな言い回しではないな
2552 アイドル 岬 2018/12/14 00:12:01
温暖化って言うくらいなんだから、冬は暖かくなってくれたっていいのにねー。

近頃寒くて大変(´・ω・`)
2553 ニット帽 光 2018/12/14 00:12:01
へっくしょん!なまもの
2554 学生 比奈 2018/12/14 00:12:27
今も手がかじかんで文字が打ちづらいな。
2555 赤子 羽風 2018/12/14 00:12:44
吊るか。南ちゃんの警察官評が完全同意
2556 学生 比奈 2018/12/14 00:13:47
やっぱり南ちゃんも村く見えるんだよなあ。
でも99人村でも村見てて恋だったしなあ。
/22 看護師 小百合 2018/12/14 00:14:02
私達にうっかり偽黒が出たりすると美味しいですが、なかなかそうはならないかなあ。
-128 警察官 晋護 2018/12/14 00:14:41
-129 警察官 晋護 2018/12/14 00:14:43
*185 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:15:10
>>*184
ねじてんは、99人村以外で来ないんだよ!
2557 研修医 忍 2018/12/14 00:15:13
覗き関係の情報サンクス。非狼はもちろんとして占いを気にしてないって事は溶けや邪魔が出る奴ではないんだろうなと思った。
2558 赤子 羽風 2018/12/14 00:16:06
>>2557
なるほど……
2559 学生 比奈 2018/12/14 00:16:37
忍さんは私と共感が多くて考えてる感あって村目強いんだけどなあ。
あ〜〜分かんねえ〜〜っ!
2560 学生 比奈 2018/12/14 00:16:54
人外さんCOしてくれませんか?
2561 赤子 羽風 2018/12/14 00:17:07
>>2557
……いやどうだろう?自分さえ占われてなければその辺は興味なくてもいいのだろうか
-130 警察官 晋護 2018/12/14 00:17:42
…かなしい
2562 学生 比奈 2018/12/14 00:18:28
吊りはこの感じだと罠師さんかなあ〜〜。
2563 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:19:24
忍さんは、トマソンさんか。リアルタイムで得た情報をもとに柔軟に推理を更新してる感じ。
人外だといつも淡々としてるイメージかなぁ。失礼だけどこんなに器用に人外で立ち回れないと思うので村目。
-131 看護師 小百合 2018/12/14 00:19:30
※は白っぽく見えても油断しない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん

<思考の流れは理解できるところも多いが、警戒中>
塗絵さん

<なんか当てときたい>
御影さん、伊澄さん
2564 赤子 羽風 2018/12/14 00:19:36
おっロックが外れたぞ
2565 警察官 晋護 2018/12/14 00:20:34
…何も吊り逃れはしません。
投票の指示あれば聞きますが。
2566 学生 比奈 2018/12/14 00:20:45
こういうメタ推理はありがたや。
-132 看護師 小百合 2018/12/14 00:21:09
※は白っぽく見えても油断しない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん

<思考の流れは理解できるところも多いが、警戒中>
塗絵さん

<なんか当てときたい>
御影さん

<吊り枠かなあ>
伊澄さん、晋護さん
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2567 学生 比奈 2018/12/14 00:22:46
あとは手相投票者か。
とりあえず真子さんは手相投票させたいかな。
直吊りしたくないの意で。
2568 囚人 要 2018/12/14 00:22:59
>>2337
人狼が一匹混じってるに決まってんだろ。
2569 囚人 要 2018/12/14 00:23:12
でもその一匹を探そうとすると、多大な犠牲が出る。
-133 看護師 小百合 2018/12/14 00:23:20
※は白っぽく見えても油断しない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん
紅さん(判定および>>1820より)

<思考の流れは理解できるところも多いが、警戒中>
塗絵さん

<なんか当てときたい>
御影さん
瑠樺さん

<吊り枠かなあ>
伊澄さん、晋護さん
2570 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:23:44
#手相希望
#文学部への投票者

伊澄さん、霧瓶さん、真子さん
小百合さん、南さん、御影さん
満彦さん、岬さん
2571 研修医 忍 2018/12/14 00:23:46
人外だとだいたい仲間頼みになるから。。。
2572 学生 比奈 2018/12/14 00:24:11
私も入れてくれ〜〜。
2573 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:24:24
>>2568 >>2569 むむむ。
2574 学生 比奈 2018/12/14 00:24:34
ぬるま湯に浸かりてぇんだ。
2575 囚人 要 2018/12/14 00:24:50
まとめ役の要だが(言ったもん勝ち)、白判定が欲しい奴は手相占い師に投票、それ以外は警察官に入れておけぇ!!!
2576 囚人 要 2018/12/14 00:24:59
これで十分だろ、流れは。
2577 赤子 羽風 2018/12/14 00:25:07
ぬくぬく
2578 囚人 要 2018/12/14 00:25:15
どうしても警察官を救いたい奴とかいねーだろ。
2579 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:25:22
仕様を理解していなかったので言うと。
要さんパブリッカーかな、と思っていたんだよねぇ。。
2580 学生 比奈 2018/12/14 00:25:53
要さんは遺言荒らしかなと思っていたよ。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
2581 学生 比奈 2018/12/14 00:26:09
いや、荒らしはウォンか.....。
2582 囚人 要 2018/12/14 00:26:23
でも何かクリスタの顔がムカついたからクリスタ投票に変えたわ。
お前等は警察官に投票しておけ。
2583 赤子 羽風 2018/12/14 00:26:36
俺はまさか麻耶ちゃん厄神様で暗闇でも食らったか?とか考えてたこともあった
2584 囚人 要 2018/12/14 00:27:08
猫又と言う平凡な役職なので、その内誰かを道連れに死ぬだろ〜。
別に真猫又だからこそ、信じられずに襲撃されてもどうでもいい。
-134 看護師 小百合 2018/12/14 00:27:21
※は白っぽく見えても油断しない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん
紅さん(判定および>>1820より)

<思考の流れは理解できるところも多いが、警戒中>
塗絵さん

<なんか当てときたい>
御影さん
瑠樺さん、満彦さん

<吊り枠かなあ>
伊澄さん、晋護さん
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2585 学生 比奈 2018/12/14 00:27:32
暗闇にそんな抜け道が。いいことを聞いた。
2586 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:27:47
摩耶さん吊り防止のために希望を集計します。
暫定で指定しますが、摩耶さんの指示で解除変更してもらう方向で考えています。
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅村役職
霊媒:昌義村人→弥生村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
2587 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:28:14
この方向で問題ありそうであればご指摘ください。
2588 文学部 麻耶 2018/12/14 00:28:15
黒幕生存中だってのに呑気なもんだね……。
2589 囚人 要 2018/12/14 00:28:19
>>2420
この世界は言ったもん勝ちなんで、大声でまとめたもん勝ちだよ。
2590 看護師 小百合 2018/12/14 00:28:53
>>2579
ログが読みづらい云々は多分遺言を荒らしまくってるが正解かと。
2591 学生 比奈 2018/12/14 00:29:21
そんなこというなら黒幕予想位置を教えてください。
2592 囚人 要 2018/12/14 00:29:30
>>2586
>>2587
謎の票が5票ぐらい無いと吊れないので、うっかり吊られたら謎の投票をした5人を殺​す。
だから集計は必要無い。
したければしてもいい。
必要は無い。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2593 文学部 麻耶 2018/12/14 00:29:51
>>2584 これね
2594 囚人 要 2018/12/14 00:30:50
>>2494
限定ユリアンが黄龍剣覚えません。
でもなぎ払いで十分だよなこいつ。
2595 看護師 小百合 2018/12/14 00:31:12
>>2588
黒幕の見つけ方って、占に当てる以外は難しそうですし…
窓もないし探し方や警戒の仕方がわかりづらいところではあります。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
2596 学生 比奈 2018/12/14 00:31:29
案外要さんが黒幕なのかもしれんな.....。
合ってたらクリスタさんから5万円貰おう。
2597 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:31:34
>>2592 了解です。集計はしますね。。
2598 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:31:56
朝陽 紅あたりでいいんじゃないかな
2599 囚人 要 2018/12/14 00:32:27
黒幕生存で呑気?
当たり前だろ!
恋人生存、殺人鬼生存、人狼生存、妖魔生存、どれも確実に負ける!

黒幕生存は負けない!(1/4ぐらい)

そして黒幕の生命力は気が付いたら人狼に殺されてるレベルだ!
どうでもいい!
2600 学生 比奈 2018/12/14 00:32:28
黒幕なんて村に寄り添えば村人と全く同じ動きになりますしねー。
2601 看護師 小百合 2018/12/14 00:32:34
要さん黒幕だと、麻耶さんの判定が偽ってことになるので、おそらくないのでは。
2602 研修医 忍 2018/12/14 00:33:03
>>2594 言えてる。
2603 囚人 要 2018/12/14 00:33:03
この中で、長期村で勝利した黒幕陣営だけが、黒幕に危機感を覚えなさい。


そんな経験持ってる奴はいない。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2604 学生 比奈 2018/12/14 00:33:07
そういやそうだった。5万円消えた。
2605 学生 比奈 2018/12/14 00:34:08
そもそも要さんはなんかイメージだけど中核を担う役職は引けないというか、意外と地味な役職を引いているイメージがある。
2606 囚人 要 2018/12/14 00:34:23
>>2547
この村の最初の方で、俺が「壁に耳あり障子に目あり(パブリッカーいねーな)」と言ってるんだぜ。
2607 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:34:34
集計希望者はタグを使ってもらえると嬉しい。
2608 囚人 要 2018/12/14 00:34:34
まあ誰も見てなかったろうけどな。
2609 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:35:17
>>2606 仕様を調べる手間を惜しんでいました。。
2610 学生 比奈 2018/12/14 00:35:39
#手相希望
比奈さん
2611 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:36:06
#手相希望
#文学部への投票者

星児さん、岬さん、小百合さん、御影さん
塗絵さん、朝陽さん、満彦さん、紅さん
2612 囚人 要 2018/12/14 00:36:07
要さんの直近5村の履歴

素人狼
素占い師
鬼女
激おこぷんぷん丸
トリックスター

役職ガチャに何も期待しなくなったが、今回珍しく強役職を引いて嬉しい。
2613 学生 比奈 2018/12/14 00:36:16
麻耶さん自身はなにか希望ないんです?
-135 御曹司 満彦 2018/12/14 00:36:56
>>2612
誰かが鬼女を希望している可能性が…?
2614 学生 比奈 2018/12/14 00:37:07
強役職.....猫又.......強役職...?
2615 囚人 要 2018/12/14 00:38:08
今まで引いたどんな役職より強いぞ?
2616 囚人 要 2018/12/14 00:38:20
超強役職じゃんこれ。
2617 学生 比奈 2018/12/14 00:38:33
相対的.....。
2618 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:38:39
#村人表記の処遇

伊澄くんは処刑。他2人は村人として生きてもらい、どこかで処刑。
2619 学生 比奈 2018/12/14 00:38:48
隠者とか引いてくださいよ。
2620 囚人 要 2018/12/14 00:38:52
猫又引いて文句言う奴おらんやろ。
2621 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:39:10
#今日の吊り先

警察官さんと伊澄くんどっちでも。
2622 学生 比奈 2018/12/14 00:39:15
それは、たしかに。
2623 囚人 要 2018/12/14 00:39:36
ちなみに素人狼引いた時、遠吠えもこう、ほぼ無い状態で、でも人数は40人以上居て、どうしようも無い感じあった。
2624 研修医 忍 2018/12/14 00:39:52
私の希望は>>2177
ヴィクトリアの方針に従う。
ただ眠気が限界なので晋護に仮セットして寝る。
おやすみ。
2625 学生 比奈 2018/12/14 00:39:56
お通夜じゃん...。
2626 囚人 要 2018/12/14 00:39:57
何か短期だったかどっかで忘れたけど、素村人も引いた気がする。
研修医 忍 が 警察官 晋護 に投票しました。
2627 囚人 要 2018/12/14 00:40:34
短期では迅狼とかも引いた。
強すぎて楽勝した。
2628 囚人 要 2018/12/14 00:40:54
猫又は超強役職じゃん。
2629 囚人 要 2018/12/14 00:41:51
まあシャッフル編成だと、根本的に強役職と嫌がらせ役職しか入って無いと思うけれどね。
-136 看護師 小百合 2018/12/14 00:41:53
※は白っぽく見えても油断しない枠
☆はぶっちゃけサラッとしか見れてない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん
紅さん(判定および>>1820より)

<思考の流れは理解できるところも多いが、警戒中>
塗絵さん、忍さん☆

<なんか当てときたい>
御影さん
瑠樺さん、満彦さん

<吊り枠かなあ>
伊澄さん、晋護さん、朝陽さん☆

<対象外>
つくねさん(判定より)、優奈さん(帝狼の手篭め?)
2630 研修医 忍 2018/12/14 00:41:57
#手相希望
>>2177

一応こちらでも。ではおやすみ。
2631 警察官 晋護 2018/12/14 00:41:59
まあ自分死ぬとは思いますが
伊澄さんに投票しておきますね。
2632 囚人 要 2018/12/14 00:42:03
嫌がらせ役職引かなくて良かった〜。
2633 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:42:04
投票は明言しておいてもらえると助かります。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
警察官 晋護 が 教育学部 伊澄 に投票しました。
2634 看護師 小百合 2018/12/14 00:42:44
灰をとりあえず一旦概観して希望出すからちょっとだけ待ってね。
1時までには出す。
2635 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:43:01
本指定されるまでは警察官さんに投票してます〜。
2636 囚人 要 2018/12/14 00:43:02
sataneのまとめがあんまり強くない理由を教えよう。
2637 囚人 要 2018/12/14 00:43:15
お前のまとめ、雰囲気悪いんだよ!
2638 囚人 要 2018/12/14 00:43:32
もっとおちゃらけてまとめる奴のが強い。
andanteとか男爵とかだな。
2639 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:43:35
ログイン率は高いので本指定を見逃すことはありません。
2640 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:43:42
2641 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:43:58
しょんぼり。
2642 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:44:01
>>2637
ひどい
2643 囚人 要 2018/12/14 00:44:06
このカス共は、委員長に止められると逆にそれをやるタイプ。
悪ふざけする男子リーダーの積もりで、文面にいちいちユーモアを混ぜないと勝てるまとめは出来ない。
2644 学生 比奈 2018/12/14 00:44:10
ログイン率高いとそれだけで村目に見てしまう...。
2645 囚人 要 2018/12/14 00:44:39
勝ちたいのなら、ブラックジョーク まとめでgoogleして、ガチ発言の後ろに必ずブラックジョークを付け足せ。
2646 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:45:02
ユーモアのセンスはないからなぁ。。。
2647 囚人 要 2018/12/14 00:45:30
sataneがまとめをすると、村側の結束力が逆に下がって行くだろ!
まあsataneは大体人外だから狙い通りなのかも知れないが!
2648 学生 比奈 2018/12/14 00:45:44
センスは磨けるとかなんとか。
2649 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:45:51
>>2644 比奈
やあ、呼んだかい?
2650 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:45:53
かなしい。
2651 囚人 要 2018/12/14 00:45:54
>>2646
googleで拾ってこられる世の中なので、ブラックジョーク まとめ で検索してね。
-137 研修医 忍 2018/12/14 00:45:56
>>2643 真理
2652 囚人 要 2018/12/14 00:46:08
『警察官はね、木に登ったよ』
2653 囚人 要 2018/12/14 00:46:56
仕事の出来る奴は、google検索が上手な奴になっていってる世の中だぞ。
高校・大学の単位で「正しいググり方」が採用される始末。
2654 学生 比奈 2018/12/14 00:46:57
>>2649
いや君そんな高くないでしょ...。
2655 囚人 要 2018/12/14 00:47:16
ユーモアは外付けでいいんだよ。
と言うか、大体外付けでしか生まれない。
2656 学生 比奈 2018/12/14 00:47:29
それでなくても塗絵の発言は胡散臭いんだ!
2657 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:47:32
村人COを手相にぶっこむの、危なくないですか?
麻耶さんの占い、あと1回が濃厚だと思うんですよね。他の人の情報増やしたいっていうか。
さんざん考察させて、あとで始末すればよくないですか?
2658 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:47:41
>>2654 比奈
そこは魂の白さで補ってくれたまえ
2659 囚人 要 2018/12/14 00:47:44
俺の持ってるユーモアは全部外付けだ。
内から生まれたユーモアなど、滑稽さぐらいしか持ち合わせていない。
2660 学生 比奈 2018/12/14 00:47:49
>>2656
あ、敬称抜けたごめん。
2661 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:47:59
まとめをやめよう。。。
2662 囚人 要 2018/12/14 00:48:00
ユーモアが無いと自称する奴は、ググるのをサボってるだけの奴だ。
2663 囚人 要 2018/12/14 00:48:20
まとめとかしたところでプラスに働くことは余りないぞ。
2664 囚人 要 2018/12/14 00:48:32
出来る男は扇動をする。
-138 看護師 小百合 2018/12/14 00:48:47
※は白っぽく見えても油断しない枠
☆はぶっちゃけサラッとしか見れてない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん、範男さん(多分課金者)

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん
紅さん(判定および>>1820より)

<思考の流れは理解できるところもあるが、まだ判断中>
忍さん☆、露瓶さん、岬さん☆
ダーヴィドさん、塗絵さん、光さん☆

<なんか当てときたい>
御影さん、満彦さん
瑠樺さん、東さん

<吊り枠かなあ>
伊澄さん、晋護さん、朝陽さん☆

<対象外>
つくねさん(判定より)、優奈さん(帝狼の手篭め?)
要さん(判定白だし一旦放置で)
2665 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 00:48:48
>>2657 投票は止められないかなぁと思っています。
2666 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:48:51
南ちゃんの皮がはがれかけて中身が出ているので、皮つけ直します。
2667 囚人 要 2018/12/14 00:49:06
そもそも、リーダーって袋叩きにされるからリーダーなのであり、現代人はみんな副リーダーのポジションを狙いたがる。
2668 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:49:09
>>2665
ま、そうですね。
2669 囚人 要 2018/12/14 00:49:41
俺は袋叩きになりながらも最善を模索するリーダーポジション好きだけどね。
ギルマスは全部俺がやる。他のクズ共にやらせるより遙かに勝率が上がるからな。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2670 絵本作家 塗絵 2018/12/14 00:50:00
扇動はどうも僕がやるとうまくいかない…

かなしい
2671 囚人 要 2018/12/14 00:50:52
絵本作家は、俺が絶対者なら絶対に殺しているポジション。
2672 囚人 要 2018/12/14 00:51:10
理由:俺を疑う奴は皆殺しだ(恐怖政権)
2673 囚人 要 2018/12/14 00:52:03
どんなに綺麗事を言おうともな、人狼と言うゲームで、自分を疑う存在は常に邪魔だ。
しかも、その邪魔者は人外で、自分の敵かも知れない。
殺し得。
2674 ウェイトレス 南 2018/12/14 00:52:23
露瓶さんと真子さんは、自己の判断で占い投票した場合は、厄災上等、人外変化(というかわからないけど)上等だと思ってしたものだと解釈しますよー。
正体のわからぬまま村側のために働きませんか?
2675 看護師 小百合 2018/12/14 00:52:41
※は白っぽく見えても油断しない枠
☆はぶっちゃけサラッとしか見れてない枠

<思考が共感できるので白っぽく感じる>
南さん※、ヴィクトリアさん
羽風さん※、比奈さん、範男さん(多分課金者)

<割と村よりに見える>
真子さん、クリスタさん
紅さん(判定および>>1820より)

<思考の流れは理解できるところもあるが、まだ判断中>
忍さん☆、露瓶さん、岬さん☆
ダーヴィドさん、塗絵さん※、光さん☆

<なんか当てときたい>
御影さん※、満彦さん
瑠樺さん、東さん、朝陽さん☆、星児さん☆

<吊り枠かなあ>
伊澄さん、晋護さん

<対象外>
つくねさん、要さん(判定)
優奈さん、麻耶さん
2676 囚人 要 2018/12/14 00:53:00
ただ、こいつは一度疑った後に信用出来ると思い直したら、その結論をずっと持ち続けるタイプだな……と自分が人外で思った時だけだ。
自分を疑う奴を好ましく利用出来るのは。
自分が村側だと、自分を疑う奴は皆殺しで構わん。
2677 看護師 小百合 2018/12/14 00:53:33
現状のざっくりした印象。
☆ついてる人以外は理由が多少なら出せると思うので、気になる場合は聞いてください。

で、このなかから手相占希望を出します。
2678 囚人 要 2018/12/14 00:54:42
そういやこの村、「誤爆したことは反省してます」とか「今回の村は反省したので、次回はもっと頑張るかIDを変更して目立たないようにします」とか言ってたオーバーロードやbouさんが普通に入ってたんだよな……。

連中の目立たないとか反省とか、一体どういう要素なんだろう?
2679 囚人 要 2018/12/14 00:54:59
いや、別に入ってくれた方が、なんだかんだみんな喜ぶと思いますけれどね。
2680 囚人 要 2018/12/14 00:55:19
何なら俺達は、豆蔵君でも豆蔵君二号でも、入ったら喜ぶと思うし。
2681 学生 比奈 2018/12/14 00:55:26
1番上の欄だやったぜこれで手相投票許される。
+237 ツンデレ 弥生 2018/12/14 00:55:42
ただいまー
2682 囚人 要 2018/12/14 00:56:02
二度と同村したくない程のクズなんて、やっぱり突然死推奨マンぐらいしか居ないんだよなあ……。
2683 学生 比奈 2018/12/14 00:56:17
豆蔵軍団がIDを変えて入っている可能性はあるかもしれない。
2684 囚人 要 2018/12/14 00:56:27
そういやbouさんは突然死しても仕方無いよね、みたいな事をブラッド君に言っていたが……。
+238 ツンデレ 弥生 2018/12/14 00:56:48
自分は赤子が黒幕だと思います
赤ちゃんボス、頑張って!
2685 囚人 要 2018/12/14 00:56:49
数人に何か言われたからって95人が飲んでる井戸に毒を入れるのか?
2686 囚人 要 2018/12/14 00:57:24
そういう真似は、公共性・社会性の敵だよ。
真面目にやってる人間も多いんだからさ。
2687 囚人 要 2018/12/14 00:57:38
突然死する奴は許さねえぞ……。
2688 囚人 要 2018/12/14 00:57:50
白玉、このカス野郎!!!!!!!
2689 学生 比奈 2018/12/14 00:58:24
れんかです。
2690 囚人 要 2018/12/14 00:58:44
カズマーンと付き合ってるからって、調子乗ってんじゃねえぞ白玉ァアアア!!!!!!
2691 学生 比奈 2018/12/14 00:58:50
ただ、罵られるのは、嫌いじゃあない。
2692 囚人 要 2018/12/14 00:59:03
井戸に毒を投げる奴は皆殺しにしなければならない。
それが、社会と言うものだ。
2693 令嬢 御影 2018/12/14 00:59:10
>>1917
ねじてん長期で私がやる気に満ち溢れていたことなんか一度としてないが
2694 囚人 要 2018/12/14 00:59:42
sataneさんのまとめは、井戸にタバスコを流し込むようなまとめが多いです。
だから支持されない。
2695 令嬢 御影 2018/12/14 00:59:54
やる気になるような役職が来ないのがわるい
2696 学生 比奈 2018/12/14 00:59:54
フォートナイトディビジョンが火を噴くぜ。ぶんぶん。
2697 囚人 要 2018/12/14 01:00:08
毒じゃあ無いけどさあ……。
2698 囚人 要 2018/12/14 01:00:32
毒じゃあ無いんだけどね……。
2699 囚人 要 2018/12/14 01:00:41
みんな甘い水が飲みたい。
2700 囚人 要 2018/12/14 01:01:19
そしてクズ共は、普通の水を飲んでいると「なんでこの水甘くねえんだ! 甘い水寄越せよオラァン!」と暴動を起こし始める。
2701 学生 比奈 2018/12/14 01:01:33
あまいあまいばぁ。
2702 囚人 要 2018/12/14 01:01:46
そんな場所でリーダーに求められる資質は、とても難しいね。
2703 令嬢 御影 2018/12/14 01:02:17
ヴィクトリアはなんだ、私のことを知ったような口ぶりのわりにあんま良く見てないのでは?と思ったらさたねさんだった。ぽふんぽふん
2704 囚人 要 2018/12/14 01:02:37
白玉は突然死するカス野郎だよ……。
白玉を病院へ行く日に朝四時まで付き合わせるカズマーンもカス野郎だよ……。
2705 囚人 要 2018/12/14 01:03:10
sataneさんはタバスコしか振る舞わないから>>2703みたいに言われるんですよ!
2706 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:03:20
さたねさんは、大昔に天国でユッタとか使ってたときがほんわかして好きだったなあ。今が好きじゃないとか、そうじゃないけど。
そうじゃないですよ!
2707 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 01:03:32
タバスコ野郎です。
2708 囚人 要 2018/12/14 01:03:53
占われたい村側:文学部に投票
それ以外:警察官に投票

このまとめで何か文句があるのか!
2709 令嬢 御影 2018/12/14 01:04:04
人格攻撃の引用元にしないで!
2710 囚人 要 2018/12/14 01:04:07
文句があるなら掛かって来いやァアアアア!!!!!!!
2711 看護師 小百合 2018/12/14 01:04:13
#手相希望
・満彦さん
・朝陽さん
・ダーヴィドさん
・御影さん
・塗絵さん
・露瓶さん(>>2454
・南さん(警戒枠として入れといたけど抜いても良い)

占よりも吊枠かな?という人を除いた感じで、大体>>2675のリスト通り。
(光さんは>>2046 >>2105 見て外す気になりました)
2712 囚人 要 2018/12/14 01:04:31
>>2709
人格攻撃を始めたのは御影なんだよなあ……。
俺は引用しただけ。
2713 囚人 要 2018/12/14 01:05:01
光は俺が今一番村側だと思っている男。
2714 看護師 小百合 2018/12/14 01:05:56
今日の私はがんばりました。
おやすみ!
2715 令嬢 御影 2018/12/14 01:06:20
>>2712
私は単に、御影さんが普段はやる気あるのに今回だけやる気ないみたいなことを言われたので、どこみてんだテメーと言っただけで人格攻撃ではないですよ
2716 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 01:06:28
私だけ頑張るのはムカつくので皆さんも考察してください。
2717 囚人 要 2018/12/14 01:06:44
ただ、コンピューターおばあちゃん居るし、自称村側はこっそり文学部に投票して変身してもいいんじゃないの?
俺怒らないよ。
2718 囚人 要 2018/12/14 01:06:54
自称村人だ。
2719 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 01:07:07
タバスコ攻撃だ!
2720 令嬢 御影 2018/12/14 01:07:16
タバスコとかいってたのは要だろ!
2721 囚人 要 2018/12/14 01:07:38
>>2716
全力を出して超考察した奴は、大体人外にとって邪魔で殺されるんだが?
みんな、生き残るのに全力を出してるんだよ。
2722 看護師 小百合 2018/12/14 01:07:46
はっ。うっかり大声に。(意図的)

えーと、明日忘年会なので、夜はこれないかもしれません。
6時間後、朝起きたときに指定があればそこに投票します。
(寝坊したら昼休みに投票します。)
2723 カメラマン つくね 2018/12/14 01:07:48
とりあえず文学部さんが吊られそうなことは確認したっす。

あと大人しく粛々と1歯車になろうとしたら「もっとしゃべれるはず」っていう理由で占われた俺っす。
2724 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:08:09
>>2714
おつかれしゃもん先輩
2725 囚人 要 2018/12/14 01:08:25
自称村人は、恐らく、文学部に投票すると変身する。
妖魔とか、他の役職とか、あるいは逆呪殺を起こす。

それは愉しいことだ。
2726 囚人 要 2018/12/14 01:08:51
>>2723
文学部は吊りから一番遠い位置だぞ……?
2727 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 01:09:00
>>2715 第2回99人村では結構やる気だったから。。
2728 囚人 要 2018/12/14 01:09:09
このカメラマン、殺していいのでは?
こういう奴に限って村側だが。
2729 令嬢 御影 2018/12/14 01:09:10
残業が増えると人はメンヘラになる
2730 令嬢 御影 2018/12/14 01:09:52
>>2727
いや……?
/23 看護師 小百合 2018/12/14 01:10:00
にゃーん。ねむい。
ごろごろ。
2731 囚人 要 2018/12/14 01:10:01
>>2715
それが人格攻撃なんだよなあ……。

「お前の頭はハッピーセットかよ?」「眼科か脳外科、どっちか行った方が良くない?」

これらは人格攻撃だろ。
2732 看護師 小百合 2018/12/14 01:10:13
>>2729
この世の真理。
2733 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:10:15
>>2716
まあ正直、手相希望すら出さないまま終わりそうな人がいそうだな〜って思う。ヴィクトリアさんは、真剣に取り組んでと思うよー。
2734 囚人 要 2018/12/14 01:10:17
「テメーの目は節穴でございますか?」は人格を攻撃している。
-139 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:10:28
あー吊られるなぁ 遺言どうしようかなぁ
2735 令嬢 御影 2018/12/14 01:10:50
私は人格ではなくあくまで根拠が不明な推理に対する批判なのです
2736 カメラマン つくね 2018/12/14 01:10:54
#手相希望
#文学部への投票者

小百合さん、南さん、御影さん、満彦さん、紅さん

こんなかんじか。
村人表記者に手相は反対。
文学部さん逆呪阻止はだいぶ重要だと思うっす。
2737 囚人 要 2018/12/14 01:11:00
sataneさんは、節穴と言う人格なんだ。
そこを攻撃するのは人格攻撃だよ!
2738 囚人 要 2018/12/14 01:11:53
>>2735
根拠は明瞭に示されてるだろ!

「第二回ではゆりもん頑張ってたけどぉー、今回はぁー」

根拠は明瞭!
明瞭に節穴!
つまり、人格攻撃!
2739 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:12:10
さらっと見た感じ僕吊り候補なのかな…?COしなけりゃ良かった…
2740 カメラマン つくね 2018/12/14 01:12:23
>>2726 いやなんか結局みんな手相占って欲しそうなんで文学部さん大人気そうっす。かくゆう俺も無駄に占われたい。
2741 令嬢 御影 2018/12/14 01:13:11
>>2738
その根拠がでてきたのは>>2727 だから後出しでしょ!
私が指摘したときには提示されてません!
2742 囚人 要 2018/12/14 01:13:25
>>2736
俺達村側はそう言うけどさあ、自称村人にナイトメアとか混ざってるんだぜ?
村人だよねーって思って村側勝利したら、実はお前村側じゃないから敗北ね、とか言われる可能性もあるんだぜ?

村人が勝手に文学部に投票しても、仕方無いっしょー。
ニット帽 光 が 警察官 晋護 に投票しました。
2743 囚人 要 2018/12/14 01:14:12
>>2740
じゃあなんで昨日弥生に投票した奴ばっかなんだよ!
俺のように文学部に投票しろや!
2744 カメラマン つくね 2018/12/14 01:14:50
>>2742 仕方無いっすよねー、ってことで>>2740
2745 囚人 要 2018/12/14 01:15:10
まあ、俺達村側からしたら、自称村人共はそのまま野垂れ死んでおけ、と言う感想しか抱けないが。

連中だって生きてるんだぞ。
/24 看護師 小百合 2018/12/14 01:15:12
村人COが3人いますが、
まあ、共鳴ってことにしても別になんの問題もないでしょう。たぶん。
本物の村人が混ざってたら
「ぬか喜びさせてすまんな!」って言おう。
2746 学生 比奈 2018/12/14 01:15:13
感情かもしれないが、村人COして吊られるならばCOしなければ良かったという伊澄さんの発言は村に見えない。
というか、本当に村人表記なら吊られるのも仕事と思って欲しい。
2747 絵本作家 塗絵 2018/12/14 01:15:22
村人COっていうのはですね

自分はナイトメアや人狼かもしれないなー
っていう姿勢の表れなんですよ…

そして、たいていの場合、このクソシャッフル村において村人表記は 人外or迷い子or不審者or忌子

碌な役職じゃないな!
2748 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 01:15:27
よくも節穴と言ったな!
2749 カメラマン つくね 2018/12/14 01:15:32
>>2743 検証村で占いがされないことバレちゃったからじゃないっすかね。
2750 囚人 要 2018/12/14 01:15:34
>>2744
手相占い師に15票とか集まる訳ねーだろ!!!!!
2751 ニット帽 光 2018/12/14 01:15:47
投票先を晋護に戻しておいた
なんか思ったより手相占いが満員御礼みたいだからな
2752 囚人 要 2018/12/14 01:16:12
>>2749
そんな訳ねーだろ!!!!!1
2753 カメラマン つくね 2018/12/14 01:16:30
うーん、ねむいけど仕事おわらん
2754 囚人 要 2018/12/14 01:16:38
人外が手相占い師に投票して、処刑されなかったら敗北農耕だぞ?
票が集まる訳ねえんだよ!!!!!!
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2755 カメラマン つくね 2018/12/14 01:16:57
>>2752 検証村のバグ解析が待たれる
2756 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:16:59
>>2746
自分が素の村人だと思ってる村人COの人が一体何人いるのかって思うんだけど…
2757 ニット帽 光 2018/12/14 01:17:12
そこの囚人はツッコミ芸人にでも就職したんだろうか
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
2758 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:18:20
東くんの雑感でも投げておこうかな。
「人外の散り際のCOは美しい」
「ログを読めてなかったり、把握が遅れたりしている人だって、人の意見に耳を傾ける気持ちがあれば友達だろ?いじめるなよこの南野郎!」
という感じで、中の人の美学をそのまま喋ってくれている感じですね。
わからなくはないですー。
良くも悪くも「勝利」以外になんの興味もない私とは、つくづく相性が悪いですねー。

東くん自体の白黒は全くわかりませんので、こっそり麻耶さんに投票するというなら大歓迎です。
2759 学生 比奈 2018/12/14 01:18:32
じゃあなんで村人COしたんです?
村人COするけど人外の可能性もあるから吊らないでね〜とでも?
2760 カメラマン つくね 2018/12/14 01:18:41
>>2754 でも要さんは投票するわけっすね
2761 ニット帽 光 2018/12/14 01:18:46
素村COは基本占いに回すより吊り処理な気がする
占いリソースがvery mottainai
2762 囚人 要 2018/12/14 01:19:10
>>2746
村人表記でそのままじっとしてたら敗北する人外も居るんだから、村側の都合であって、村人表記にじっとしていろは当人からしたら通らない。

「人狼は負けてね」
「やだよ」

となるに決まってるだろ。
2763 学生 比奈 2018/12/14 01:19:26
村人表記として村陣営の手助けをするためにCOしたのだと私は思っていましたが。
2764 囚人 要 2018/12/14 01:19:30
まあ、俺は猫又なので、村人表記はそのままそっと野垂れ死んでくれた方が有り難いが。
2765 囚人 要 2018/12/14 01:19:56
>>2763
ねじ天の役職を全部読んで無いから取り敢えず村人COしただけだぞ。
2766 学生 比奈 2018/12/14 01:20:13
ならCOしなければ良くない?と思うんですが。
2767 カメラマン つくね 2018/12/14 01:20:23
東さんは弥生さんのどこが好きだったんだろう
2768 学生 比奈 2018/12/14 01:20:32
>>2765
それならしょうがねえな!
2769 絵本作家 塗絵 2018/12/14 01:20:40
ああ、もうひとつあったね
村人(村人)

クソ食らえともいえる
2770 ニット帽 光 2018/12/14 01:21:06
>>2765
ズコーッ
2771 囚人 要 2018/12/14 01:21:11
ねじ天の役職を全部読んでないと、

[>騙る

   何を?
   何を騙ればいいんだ?
   何をすればいいんだ?
   わ、解らん。でも村人って書いてあるなら……村人COするかあ……。
   最善が全く解らん……。
   え? 村人表記なら死​ね?
   い、嫌だ!
   村人COしなければ良かった!

こうだぞ。
2772 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:21:14
>>2759
別にそう言う訳じゃないよ。
あの時に僕を手相占い希望の発言があったから念のために言ったんだよ
ニット帽 光は、昭和な感じでコケた 2018/12/14 01:21:28
2773 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:21:30
さたねさんはユーモアを取得したいなら、キャラRPから始めるのが手っ取り早いんじゃないかなあ。
素顔を隠して街で遊びたいお姫様とかですかね、そのキャラ。
2774 絵本作家 塗絵 2018/12/14 01:22:02
説明書を読まない人間はゴミのように扱われるのさ…

ああ、読んでもゴミのように扱われるのも良くある話だが
一匹殺人許さないからな
-140 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:22:44
僕だって黒幕なんてやだったんだよ〜!!(泣)
パン屋さんに就職させてー!!
2775 囚人 要 2018/12/14 01:22:47
誰も彼も、村人って書いてあった時に最善行動が取れるねじ天エキスパートばかりではなく、解らん殺しをされる立場の者も多いのだ。
2776 カメラマン つくね 2018/12/14 01:22:58
いやー、俺が村人表記なら絶対手相占い投票するなあ。
だって自分が変われるチャンスかもしんないっす。
新しい自分、無限の可能性にレッツゴー。
村陣営じゃないかもしれないんで手相占い師の生死が重要かわからないしってことっすよね。
-141 研修医 忍 2018/12/14 01:23:38
私はさたねさんのクソがつくくらいの真面目さは良い所だと思うけどなあ。
先に何が地雷かさえ言ってくれればこっちも気を付けるし。
相性の良い相方が加わる事で、丁度良いバランスのコンビになりそう。
*186 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:23:44
くっそー、こんなゆとり仕様村でなければお前達など3回は滅ぼしている。なめやがってえ……。
2777 囚人 要 2018/12/14 01:24:33
>>2776
どうせ手相襲撃されるから、逆呪殺してもかまわへんやろ……。
行くぜ!

ぐらいやるね、俺が村人表記なら。
2778 囚人 要 2018/12/14 01:24:48
ただ、それは村人表記であることを黙ったままやる。
2779 カメラマン つくね 2018/12/14 01:24:51
説明書っていえば、案の定、今回の俺の役職も理解できてねーっすし。
2780 囚人 要 2018/12/14 01:25:03
村人COは、明らかに解らん殺しを喰らっている。
*187 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:25:23
なんで!!
占い師を殺しても!!
結果が発表されるんだよ!!!
2781 囚人 要 2018/12/14 01:25:31
「あれっ? 人外って占いと村人って表記されるの!?」

と言う人間すら混ざってる村なんだからな。
忘れるなよ。
*188 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:25:33
南パンチ!!
+239 ツンデレ 弥生 2018/12/14 01:26:35
ツンデレビィィィイィィィム!!!!
2782 囚人 要 2018/12/14 01:26:50
寒いので寝よ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2783 カメラマン つくね 2018/12/14 01:27:16
そりゃそーだ>>2778

ってことは、いま出てる村人CO者は……?

ただ、中の人で考えると、伊澄さんは黙ったままより、お伺いたてるタイプっすね。
*189 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:27:41
しかし、今回は味方が強い。それだけは、喜ぶべきことだ。
私が死んでもワンチャンありそうとか、幸せすぎる。
+240 ツンデレ 弥生 2018/12/14 01:27:44
要いったい何者なんだ…
-142 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:27:59
ちょっと泣きたくなっちゃった…
2784 囚人 要 2018/12/14 01:28:11
>>2783
解らん殺しを喰らった可哀想な村人二名と、人狼一名。
*190 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:28:17
……まあ、ワンチャンだけどな。なんだのこの拡散メガ占い師。
しね。
2785 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 01:28:29
>>2773 アドバイスありがとうございます。
今回は今更感あるのでまた今度でしょうか。。
2786 囚人 要 2018/12/14 01:28:32
人狼だって村人COして隠れるわい。
処理するの面倒だからな。
2787 カメラマン つくね 2018/12/14 01:28:39
>>2772 「念のため」ってのは何を懸念しての念のためっすか?
2788 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:29:45
>>2785
ねじ天に通いましょう。私は通わないけど……。
2789 囚人 要 2018/12/14 01:30:12
どれが解らん殺しで、どれが解らん殺しに紛れた人狼かは、適当に考察を出すとかして殺したいリストBEST3でも作成していいぞ。

村人COの扱いは結局そうなるしかない。可哀想に。
2790 ニット帽 光 2018/12/14 01:30:42
今回のベストRP部門は間違いなく羽風(個人的に
2791 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:31:48
赤ちゃんのはRPを超えたRPですね。
2792 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:33:30
>>2787
村役職の狼判定が出るものだったとしても、そのほかでも真を証明しづらいから。自分が本当はどんな役職かわからないから。もし、ほかの陣営だったら本当どうしようもないけどね
2793 カメラマン つくね 2018/12/14 01:33:34
>>877 >>1524 >>1537 >>3:984
番長さんの自役職言及
2794 カメラマン つくね 2018/12/14 01:34:45
>>2793 変なの混ざった >>3:981
*191 おしゃま 優奈 2018/12/14 01:35:30
いやー
私が村人陣営だったら要に乗っかって大量に手相占い師に投票させるか
10人くらい指定して手相占い師に投票させてただろうなぁ
*192 研修医 忍 2018/12/14 01:35:53
私がコンピューター希望したばっかりに。。。
2795 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:36:04
あ、死ぬのはちょっとやだけど吊りになっても抵抗しないよ。
*193 おしゃま 優奈 2018/12/14 01:36:26
>>*192 お前が犯人か
2796 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:36:30
おはよ〜
-143 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:36:34
早く吊られて楽になりたーい!
2797 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:37:35
村人COは3人ともほんとに村人表記なんだろうけど、絶対猫かナイトメアが入っている気はしますね
2798 カメラマン つくね 2018/12/14 01:37:35
真子さんはCO前の言及なし
-144 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:37:36
投票は麻那さんにしちゃえー☆
絵本作家 塗絵 が 警察官 晋護 に投票しました。
2799 学生 比奈 2018/12/14 01:38:05
クリスタさん永眠したと思ってたのに。
*194 研修医 忍 2018/12/14 01:38:23
反省して生まれ変わったので

灰雑と魔物使い日記頑張ります!
明日は時間が取れる筈。
2800 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:38:24
あとまぁ既に言われてるけど、村人COが手相に突っ込む可能性があるから気を付けた方がいいかもしれませんね

ていうか普通手相に突っ込むよね
2801 学生 比奈 2018/12/14 01:38:53
伊澄さんが人外ならごめんだけど村陣営と信じて吊られてくれ...!
*195 研修医 忍 2018/12/14 01:39:00
その節は大変申し訳。
2802 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:39:06
>>2799
ギャンブルで一発逆転するまでは死なねえ
*196 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:39:24
>>*191
だよなあ。かなりの大人数いけるよなあ。
*197 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:39:48
>>*194
めちゃがんばれ。いけるいける。
2803 学生 比奈 2018/12/14 01:39:52
おふろはーいろ。
-145 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:39:57
勝ち筋うっすい黒幕勝利は流石に目指してないしね☆
みんな頑張れー
2804 学生 比奈 2018/12/14 01:40:15
>>2802
その口振りじゃ今日も勝てなかったのね。
2805 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:41:11
>>2582
ひどいにゃ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)
*198 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:41:13
白狼が欲しかった。
2806 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:41:33
>>2804
明日は絶対勝つよ
*199 おしゃま 優奈 2018/12/14 01:42:52
>>*194 日記いるんだ…
2807 学生 比奈 2018/12/14 01:43:19
あなたはいっつもそう言うけど!
*200 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:43:27
ヒヨって、7〜8人とかで済んでくれることを願う。
2808 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:43:31
>>2797 >>2801
まぁ、僕自身薄々人外なんだろうなぁって思ってるのは内緒だよ。
今村人(仮)だけどやっぱり村人勝って欲しいから、あとは頑張ってね!とだけ言っておくね
教育学部 伊澄 が 文学部 麻耶 に投票しました。
2809 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:44:05
あァ?うるせえなあ
修道女 クリスタは、学生 比奈を殴った。 2018/12/14 01:44:17
2810 学生 比奈 2018/12/14 01:44:49
っ.......。
ごめんなさい.......責めるつもりはなかったの。
2811 学生 比奈 2018/12/14 01:45:23
>>2808
本当に村陣営なら、ごめんね。ありがとう。
2812 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:45:48
わかりゃいいんだよ
口答えすんな
*201 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:46:04
ランダム設定
PPチェッカーON : 半数+4人以上が村側陣営


なめやがってえ……。
2813 学生 比奈 2018/12/14 01:46:18
はい.....ごめんなさい.......。
学生 比奈は、修道女 クリスタに明日の分の2万円を差し出した。 2018/12/14 01:46:40
2814 御曹司 満彦 2018/12/14 01:47:11
ひどい現場を見てしまった:(´◦ω◦`):
修道女 クリスタは、2万円を財布に入れた。 2018/12/14 01:47:18
2815 学生 比奈 2018/12/14 01:47:52
だ、大事に使ってね.....。
2816 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:47:54
満彦くんはなにも見てないよ
いいね?
2817 御曹司 満彦 2018/12/14 01:48:33
村人CO3人でエクシーズ召喚!
+241 ツンデレ 弥生 2018/12/14 01:48:41
ガチクズだあああああああああ
2818 御曹司 満彦 2018/12/14 01:48:50
>>2816
アッハイ
*202 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:50:04
幻狼(幻)【人狼陣営】[占:●][霊:○][数:○][狼:○][妖:×][呪:×]
霊能の結果が人間と出る人狼です
占いの結果は人狼と出ます。
自身を襲撃先に選択して自死することができます。
他の人狼からも襲撃先として選べる人狼です。

なめやがってえ……。
-146 御曹司 満彦 2018/12/14 01:50:45
鬼女スレに書いとこ…
2819 学生 比奈 2018/12/14 01:51:17
満彦くん、もう夜遅いし家に帰ろ?お母さん心配するよ。
-147 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:51:44
お魚食べたいなぁ
とりあえず鱈の香草焼きか鰈のおろし煮。フリッターもいいなぁ
刺身だったら甘鯛。
アジでなめろうもいいなぁ。絶対日本酒に合う!
学生 比奈 が 警察官 晋護 に投票しました。
-148 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:53:00
フグも好きだけど自分じゃ捌けないし…いつか免許欲しいなぁ
フグの身を厚く切った刺身が好き。あれを食べたら薄いのなんて食べられない
+242 ツンデレ 弥生 2018/12/14 01:54:04
ここまで悲しい村は初めて見た
-149 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:54:11
遺言なんてないし食べ物関連話しちゃえ☆
2820 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:54:33
おい比奈なにやってんだ
早く酒買ってこい
*203 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:54:39
>>2808
か、かわいそう……。
2821 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:56:04
要するに、村人COの人達は麻耶さん投票しかったから勝手にこっそりやるだろうから、指定枠に入れる必要はないってことですねー。
*204 おしゃま 優奈 2018/12/14 01:56:06
どうでもいいけど私はシャッフル・ランダムの村の内
PPチェッカーありの村を普通の「闇鍋村」
PPチェッカーなしの村を「深闇鍋村」と呼んでいる
普通の闇鍋村などぬるま湯や接待と同然
深闇鍋村こそねじれ天国の真髄よ…!
+243 学生 昌義 2018/12/14 01:56:33
墓の前で何やってるんだ
2822 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:56:47
うーん、ひどい現場ですねえ。
南は何も見てませんー。
2823 学生 比奈 2018/12/14 01:56:53
あっうんごめん。
ハードコーラでいいかな...?
2824 学生 比奈 2018/12/14 01:57:07
あのめっちゃまっずいやつ。
+244 学生 昌義 2018/12/14 01:57:23
シャッフルを闇鍋
シャッフル希望無効を闇投げ
ランダムをランダムで呼んでる
*205 ウェイトレス 南 2018/12/14 01:57:24
こいつらをぬるま湯で負ける雑魚プレイヤー共にしてやろう。
+245 学生 昌義 2018/12/14 01:57:42
ホットコーラにしなさい
-150 教育学部 伊澄 2018/12/14 01:58:00
魚じゃないけど酢豚も食べたいなぁ。お肉は脂があってもなくても良い!2度揚げして柔らかくしたい。パイナップルは汁も入れると旨味が増してGOOD!
2825 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:58:08
うるせえよ!
それでいいからさっさと買ってこい!
修道女 クリスタは、学生 比奈を蹴った。 2018/12/14 01:58:19
2826 修道女 クリスタ 2018/12/14 01:58:27
ハードコーラはマズくねえ!
+246 ツンデレ 弥生 2018/12/14 01:59:09
結婚指輪を質屋に入れる展開はまだ?
2827 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:00:09
それを踏まえると、指定枠は7〜8人あたりが安全ですかね?
他にもこっそり入れたい人いるかもしれませんしねー。
ウェイトレス 南は、修道女 クリスタが割った瓶の破片がほっぺに当たった。 2018/12/14 02:01:05
-151 教育学部 伊澄 2018/12/14 02:02:06
大根と豚肉の煮物も食べたくなってきた…
2828 学生 比奈 2018/12/14 02:02:23
ごめん.....おいしいよね。おいしい!
じゃあ急いで買ってくるね...!
*206 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:02:33
99人村でもないのにログが2800とかになってんじゃねーか。
2日あったとはいえ。
*207 おしゃま 優奈 2018/12/14 02:02:43
望んで来た訳ではないけど逆境は嫌いじゃない
全ては手品師次第だけどね…
+247 ツンデレ 弥生 2018/12/14 02:03:22
ホットコーラって美味しいんか
2829 学生 比奈 2018/12/14 02:03:22
っ!!ごめん南ちゃん!
怪我ない.....?大丈夫?
ごめんね、私がどんくさいばっかりに...。
*208 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:03:30
>>*207
望んできたわけじゃないのは悪かったと思ってるが、キミに帝狼ぶつけないとどうしようもなかったからな。
*209 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:04:06
一緒に地獄で生きよう。
2830 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:05:08
大丈夫だよー!
比奈ちゃんが、謝るんだ……。。。
*210 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:05:57
しかし結構、優奈は明日の犠牲者じゃないッスかねー。
キツいなー。
2831 学生 比奈 2018/12/14 02:07:18
彼を怒らせてしまった私が悪いから.....。
私、いつもヘマばっかりしてるから、いつも怒られちゃうんだ。たはは.....。
*211 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:08:18
DVは、よくないですねー。
*212 おしゃま 優奈 2018/12/14 02:08:24
護衛の存在は不明、護衛されるかも不明
遺言は適当にごまかしとこう…
*213 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:09:14
でもクズしか愛せない人、ほんとにいるんですよねー。
立派な人と付き合うと、自分がどんどん惨めに感じちゃうとかでしょうか。
+248 ツンデレ 弥生 2018/12/14 02:09:53
だめんずうぉ〜か〜ってやつだね
*214 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:10:17
護衛は居ても麻耶のほうに行きそうっスねー。
きついっすねー。
*215 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:10:31
がんばれ人狼!
-152 教育学部 伊澄 2018/12/14 02:11:26
大根は1cm〜1.5cmくらいの厚さのいちょう切りちょうど良いと思うんだよ。それを下茹しておく。そして鍋に1cm〜3cmくらいに水を張って大根と同じようにいちょう切りにした人参を入れて煮る。
沸騰してきたら砂糖とみりんを味がちょっとらいに入れる。それと同時に豚肉も入れて灰汁を取りつつ下茹でした大根と砂糖とみりんを少し足して弱火で煮る。落し蓋をしないと煮崩れしちゃうね。
全部が煮えたら薄口醤油と濃口醤油で味を薄めに整えて沸騰するまで煮る。沸騰したら火を止めて味を染み込ませて完成!
小口切りにしたネギを乗せても色味がいいよね!
*216 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:11:54
要の占い結果は知りたいから、生きてて欲しいッスけどねー。
-153 教育学部 伊澄 2018/12/14 02:12:42
お腹すいたぁ
*217 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:12:57
要が本当に猫又だった場合に、伝えてもらう暗号みたいなのを決めようか。
2832 学生 比奈 2018/12/14 02:13:19
遅くなってごめんね。
買っ起動戦士ガンダムてきたよ。
学生 比奈は、修道女 クリスタに缶の入った袋を手渡す。 2018/12/14 02:13:40
*218 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:13:44
コンピュータが、伝えてくれそうな、発言。
*219 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:13:52
うーん。
*220 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:15:51
・猫又、または襲撃トラップ系だった
すいません、襲撃されちゃいました

・食って問題なし
すみません、襲撃されちゃいました


とかかなあ。
2833 修道女 クリスタ 2018/12/14 02:20:07
おせえんだよ
さっ起動戦士ガンダムさと動けよな
-154 教育学部 伊澄 2018/12/14 02:20:19
本当BOUさんはいい人だなぁ…中身知ってるからかもだけど、本当いい人だ
修道女 クリスタは、缶を取って袋を投げた。 2018/12/14 02:20:50
2834 学生 比奈 2018/12/14 02:21:34
これ以上何を動けってんだ...!
*221 おしゃま 優奈 2018/12/14 02:27:49
いっそ派手に行こうか
襲撃した方がいいなら小百合村人
どっちでもいいなら小百合邪魔判定
襲撃しない方がいいなら小百合逆呪殺
とか
*222 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:28:22
>>*221
オッケー。
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅撫子→小百合
霊媒:昌義村人→弥生村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
*223 おしゃま 優奈 2018/12/14 02:29:23
私の信用とかもういらないでしょ
*224 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:31:35
ま、そうね。
怪しい優奈が存在していたことで、私は灰かぶりCOを渋ったってことにするつもりだし。
*225 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:32:22
どっちにしろ南指定食らうようなら、明日COはするがな。
*226 おしゃま 優奈 2018/12/14 02:37:21
手相次第で表面上の調べ先はまた変えるかもしれないけど上手く汲み取ってね
*227 ウェイトレス 南 2018/12/14 02:38:45
ういうい。
2835 文学部 麻耶 2018/12/14 04:22:51
普通に満員御礼で死にそうな気がするのはわたしだけ……?
ほどほどにしといてよ
2836 文学部 麻耶 2018/12/14 04:23:14
ログ読んでたら寝落ちてた
あかんなあ……
2837 学生 比奈 2018/12/14 04:26:07
おはよう。
2838 学生 比奈 2018/12/14 04:26:21
ログ読んでると眠くなるのは分かる。
2839 学生 比奈 2018/12/14 04:29:39
あと話し相手がいないと眠くなる。
2840 学生 比奈 2018/12/14 04:30:03
いくら壁に向かって喋ってるとはいえ多少はね。
2841 学生 比奈 2018/12/14 04:32:26
多少は。
2842 学生 比奈 2018/12/14 04:32:49
壁に向かって喋るようになったのは幼少期に友達がいなかったからだろうか。
2843 学生 比奈 2018/12/14 04:33:08
だから人と話すと楽しいと感じてしまう。
2844 学生 比奈 2018/12/14 04:33:31
人と話すことが当然である皆にはわからない感覚かもしれないけど。
2845 学生 比奈 2018/12/14 04:37:30
そうこう言っているうちにまた1人だった。
*228 ウェイトレス 南 2018/12/14 04:38:08
>>2842
かわいそう……。
*229 ウェイトレス 南 2018/12/14 04:38:50
だから変な連投とかし出すんだ。
*230 ウェイトレス 南 2018/12/14 04:39:36
世界は、君が思っているほど、ひとりぼっちじゃない。
2846 番長 露瓶 2018/12/14 04:42:03
おはよう
寒い…
2847 学生 比奈 2018/12/14 04:43:45
おはよう。
寒いね。
2848 学生 比奈 2018/12/14 04:44:36
寒くてこその冬とは思うが。
2849 学生 比奈 2018/12/14 04:45:02
毛布に包まる幸福は、寒ければ寒いほど高まると思う。
2850 学生 比奈 2018/12/14 04:47:28
素手で剣持ちに挑むほど馬鹿なことはない。
2851 学生 比奈 2018/12/14 04:48:23
だが、武器がないんだ。挑むしかない。
2852 学生 比奈 2018/12/14 04:54:33
エクスカリバーを抜いても使い手が下手ではな。
2853 学生 比奈 2018/12/14 04:54:42
猫に小判。
2854 学生 比奈 2018/12/14 04:54:50
そうだろ?クリスタ。
2855 修道女 クリスタ 2018/12/14 04:55:43
なにが?
2856 学生 比奈 2018/12/14 04:58:26
ばか。
2857 ウェイトレス 南 2018/12/14 04:59:39
麻耶さん居るぅー?
2858 学生 比奈 2018/12/14 05:00:50
南ちゃんおはよう。
2859 番長 露瓶 2018/12/14 05:01:36
イチャイチャしやがって…微笑ましい
2860 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:02:01
おはよう。
2861 番長 露瓶 2018/12/14 05:02:31
おはよー
2862 学生 比奈 2018/12/14 05:02:50
ホットミルクがほしい!
2863 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:06:35
ま、居なくてもいいか。
【麻耶さんへ】
指定されなくても、勝手に麻耶さんに投票しそうなのが、多分6人くらいいる。そのうち3人は村人COしてる人達だが……。
そこに加えて人外が乗ってくる(こっちは結構リスキーだと思うのでさほど警戒しなくてもいいが)かもしれないことを考えると、5人〜多くても7人くらいが指定の人数の臨界点かな。
今日の夕方までにヴィクトリアさんが集計をしておいてくれるらしいので、それを踏まえて麻耶さんが指定してくれるのが良いかと。
2864 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:08:44
【全生存者へ】
指定に対応できるよう、夕方以降一度は村を除けるようにしておいて下さいー。投票先を確認するだけでいいです。
指定者は麻耶さん投票、それ以外は警察官さん投票となります。
2865 番長 露瓶 2018/12/14 05:09:11
昨夜は読めてなかったんで今読んでるんだけど、伊澄が学者判定を把握していなかったのが99人村で同じ陣営だった者として普通にショックなんだが…
あざといアピールであってくれと願ってしまった
2866 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:10:06
私がまとめないと駄目ね?この村。
2867 学生 比奈 2018/12/14 05:10:30
ふぁいと!
2868 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:10:37
>>2865
さすがに把握してないは演技やろ。はっはっはー!
2869 学生 比奈 2018/12/14 05:11:02
そういう文章とかは何かタグ使ってもいいんじゃないかなー。
2870 小学生 朝陽 2018/12/14 05:13:56
#手相希望
#文学部への投票者

宇宙飛行士 星児
看護師 小百合
ウェイター 東
ウェイトレス 南
研修医 忍
御曹司 満彦
キャバ嬢 瑠樺
令嬢 御影
2871 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:14:06
>>2869
スマホだから、また書き直すのめんどくさいー!!
2872 学生 比奈 2018/12/14 05:14:39
にゃるほどにゃ。
2873 小学生 朝陽 2018/12/14 05:16:03
聖人が従者になってるなら表では伏せや囲いしながら役職の情報は狼に流れていくんだよな
2874 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:16:03
今日もタバスコきめていこう。
2875 学生 比奈 2018/12/14 05:16:12
#ウェイトレス指令
>>2863 >>2864
ではこんな感じで。
2876 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:17:30
>>2863 >>2864 これがいいまとめか。ふむふむ。
2877 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:18:24
>>2873 困ったね。
2878 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:18:37
いいまとめかどうかわからないけど、タグありがとうー。
おやすみ。
2879 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:19:35
南さん、おやすみなさい。
2880 番長 露瓶 2018/12/14 05:21:20
麻耶に投票してもいいような空気を感じたので、もう投票しておいてもいい?
2881 文学部 麻耶 2018/12/14 05:23:19
どうあがいても死亡
2882 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:23:25
2883 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:24:02
まあ真実の自分を知りたいという欲求を、他人が止められるはすまもないけど。
2884 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:24:22
スマホ打ちづらい。
2885 番長 露瓶 2018/12/14 05:24:46
>>2882

ウェイトレスは鬼かな?
2886 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:26:26
>>2885
いえ、投票を制限する権利は南にはないのですー。
2887 番長 露瓶 2018/12/14 05:29:39
でも悩む提案だな
占いで変化する役職ではないかもしれないし
2888 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:30:49
>>2777>>2778にあるように。
黙ったまま投票することも出来たのに、村人COしてくれたわけで、そんな露瓶さんに投票せず村人として生きてそのうちお墓へ行けとは言いにくい。
2889 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:32:52
>>2795 あ、じゃあ、遠慮なく。
2890 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:33:11
言いにくいですが、言ったほうが村勝てそうなので言いますー。
でも、真実の自分、知りたいですよね。わかります。
悩める露瓶ちゃん、コーンポタージュをどうぞ!
2891 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:34:42
>>2795 そんなこと言わずに村側である可能性を信じて頑張っていこうよ!
2892 番長 露瓶 2018/12/14 05:35:04
コーンポタージュを飲んで考えよう…
2893 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:35:30
ヴィクトリアさんが何か新しい芸を始めてる……。
2894 番長 露瓶 2018/12/14 05:36:01
2895 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:37:10
麻耶さん投票しないでくれた村人CO勢には、それなりの厚遇をお約束したいのですが、結局最後までは生かせないんですよね……。
99人村のような無法地帯ではないので、絵を描くとかの取引も使えないです。
2896 番長 露瓶 2018/12/14 05:38:33
この国そのものが無法地帯だと認識していたんだが
2897 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:39:23
たしかに。ルール、なかったですしね!
2898 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:39:34
>>2801 君に人の心はないのか!
ウェイトレス 南 は様子を見ます。
2899 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:42:36
ヴィクトリアさん、絡みづらいのでタバスコモードにしません……?
2900 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:46:03
>>2161と参加者の顔ぶれを見るに村側な気がする。
2901 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:46:34
慣れないことはするもんじゃないな。
2902 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:48:09
だいたい村ですね。リスキーなことしなくても、謎を抱えて村人として生きていきましょ?
2903 番長 露瓶 2018/12/14 05:48:34
ナイトメアって、占われたら自分がナイトメアって分かった瞬間に死んでるの?
99人村でバニーの人がそんなこと言ってた覚えがある
2904 修道女 クリスタ 2018/12/14 05:49:03
死ぬらしいよ
2905 修道女 クリスタ 2018/12/14 05:49:42
学者に占われないと意味がない
2906 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:50:11
じゃあ、投票はあぶないね!
2907 番長 露瓶 2018/12/14 05:50:53
学者に村人出されても死ぬしなぁ
噛まれて自覚するのが一番マシなパターンなのかな
2908 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:51:24
ナイトメア(ナ)【妖魔陣営】
あなたは村人だと思い込んでいる妖魔です。
仲間の妖魔からの念話も聞こえず、村人だと信じたくともあなたがいる限り村の平和は訪れません。
占い/襲撃によって真実を知った時、あなたの悪夢の終わりと始まりが告げられます。
2909 ウェイトレス 南 2018/12/14 05:51:52
とか言っても、私だったら村人COしちゃってても、投票するもんな。他人なんか知ったこっちゃねぇーよなあ。
いやあ、まいったまいった。
2910 修道女 クリスタ 2018/12/14 05:51:54
ナイトメアは妖犬がいないと目覚めることなさそうだ
2911 番長 露瓶 2018/12/14 05:52:31
麻耶投票にはメリットもデメリットもあるわけか
2912 修道女 クリスタ 2018/12/14 05:53:16
たぶんデメリットの方が大きいよ
2913 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:54:23
狼も殺もナイトメアだったらヤダから襲わないかな。
2914 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 05:56:05
人外13全露出すれば村側だとわかる。
2915 修道女 クリスタ 2018/12/14 05:57:22
>>2161
覚醒者(覚)【村人陣営】→占われても意味がない
夢遊病者(夢)【村人陣営】→占われても意味がない
亡者(亡)【村人陣営】→占われると死ぬ
忌み子(忌)【村人陣営】→占われると占い師を禁則事項です
不審者(不)【村人陣営】→占われると黒
申し子(申)【村人陣営】→占われても意味がない
特異点(特)【村人陣営】→占われても意味がない
ナイトメア(ナ)【妖魔陣営】→占われると死ぬ
人狼猫(9)【人狼陣営】→占われると黒が出る
眠り鼠(眠)【蝙蝠陣営】→蝙蝠になる
2916 修道女 クリスタ 2018/12/14 05:58:23
なんかこの中にいなかったが、得するのって適格者ぐらいじゃない?
2917 番長 露瓶 2018/12/14 06:00:12
適格者と忌み子くらいか?
自分の役職が分かって村陣営っていうの
2918 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:01:21
ロクな事ないですねぇー。
2919 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:01:26
ナイトメア猫鼠以外は全部村陣営だけど、大体は意味がないか黒が出たり死んだり占い師を殺したりする
2920 番長 露瓶 2018/12/14 06:01:58
投票しないで、自分が村側だと信じてやっていくのがいいんだろうか
結構メンタルが削れていく気がする
2921 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:02:12
更にまず間違いなく疑われて吊られるだろうから、適格者で証明役職引いてCOするぐらいしか生き残る道はなさそう
2922 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:02:15
複数人の村人COが同時に投票したら、誰が忌み子かはわからないかな。
2923 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:02:39
そう考えたら投票しない方がいいかもしれんが、俺達に止めることは出来ない
2924 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:03:45
>>2922
占いで逆呪殺判定出るから占いにはわかると思う
占い死ぬけど
2925 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:03:47
露瓶さんには、毎日がんばれって言ってあげますから、大丈夫ですよ。メンタルケアです!
2926 番長 露瓶 2018/12/14 06:03:50
俺は特異点なんだ…誰が何と言おうが特異点なんだ…(自己洗脳
2927 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:04:11
まぁ手品師の奇跡のシャッフルショーを待て
2928 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:04:27
シャッフルしたら村人が一人増えるが
2929 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:04:28
>>2924 コンピュータ通信でわかるのか。
2930 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:05:47
シャッフルのダルさ倍増やな。
2931 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:06:03
>>2929
本人に届けるにはそれしかないですね
2932 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:06:42
特異点だと嬉しいね。
*231 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:06:45
これでまあ、真子ちゃん麻耶投票しなくても不自然ではなくなったかな。
2933 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:08:44
手相希望を修正しよう。
2934 番長 露瓶 2018/12/14 06:09:39
うん
しばらく残してもらえるなら、麻耶投票はやめておくよ
2935 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:11:14
麻耶さんは、さっき一瞬居たけど、ログの海に潜ってるのかしら。
寝ちゃったか。
2936 番長 露瓶 2018/12/14 06:11:54
麻耶が襲撃されると決まったわけでもないし、その方が村には良いだろう
俺にとっても分の良い賭けでもなさそうだし
2937 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:12:14
>>2934
村側は、明るく楽しい職場です!!
2938 修道女 クリスタ 2018/12/14 06:12:49
俺の熱心な説得が村人3人の心に響いたようだな
2939 番長 露瓶 2018/12/14 06:13:12
>>2928
そっちガチの素村ですよねぇ…
2940 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:13:29
何よりも自由を尊重します!!
2941 番長 露瓶 2018/12/14 06:16:44
>>2937
あーブラックですねこれは…
2942 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:20:53
どんちき♪どんちき♪
2943 ウェイトレス 南 2018/12/14 06:22:43
この村、なにか足りないと思ったら、そうだウォンだ。
あいつ、必要だったんだなぁ……。
2944 番長 露瓶 2018/12/14 06:27:22
有能()
2945 番長 露瓶 2018/12/14 06:28:49
でもウォンは荒らすからなー
=1 番長 露瓶 2018/12/14 06:32:26
東さんは村人COしない方が良さそうかなー
=2 番長 露瓶 2018/12/14 06:34:53
手相占いで白貰えたらオイシイ気がする
人狼猫やナイトメア、忌み子で逆呪殺だったら吊られるけど
-155 番長 露瓶 2018/12/14 06:37:30
人狼猫で、南や真子が狼だったら私は残れそうなんだよな
その方向でワンチャン狙うしかないか
2946 アイドル 岬 2018/12/14 06:41:23
取り敢えず警察官さんに仮投票しておくね。
アイドル 岬 が 警察官 晋護 に投票しました。
2947 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:41:48
#村人表記の処遇
村側と思い込んでもらう。いけるいける。
2948 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:42:11
#今日の吊り先
晋護さんで。
2949 看護師 小百合 2018/12/14 06:43:04
>>2864は確認しました。
確認しました…。

えーーーと。が、がんばります。
多分結構酔っ払って帰ってくるので、アホでもわかるように投票先の指示はコンピュータ通信などにまとめておいていただけると幸いです。
2950 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:43:56
#手相希望
#文学部への投票者

小百合さん、南さん、御影さん
満彦さん、岬さん、塗絵さん、星児さん
2951 看護師 小百合 2018/12/14 06:45:17
#今日の吊り先
これ言ってなかったですね。

晋護さんか伊澄さん。>>2675
アイドル 岬 は おしゃま 優奈 を襲撃します。
アイドル 岬は遺言を書きなおしました。
「銀狼ぃ〜の襲撃日記

一日目:由良
私怨。

二日目?:優奈
発狂濃厚。

by岬」
2952 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 06:57:40
ふと思ったが、霊界の希望もまとめるほうがいいのか?
2953 文学部 麻耶 2018/12/14 07:01:23
寝てました
2954 文学部 麻耶 2018/12/14 07:02:18
夢の中で読みかけの漫画の続きを捏造してたのを覚えてます
紅葉が綺麗でした
-156 番長 露瓶 2018/12/14 07:03:09
まぁ相方に黒出たら終わるんだけど
それはそれでもう仕方ないかなって思うし
人狼猫やナイトメアだったら無理だわ
2955 カメラマン つくね 2018/12/14 07:03:14
>>2915 みた。占いでシャキーンとなる確率低いってことっすね
2956 カメラマン つくね 2018/12/14 07:05:28
>>2947 これがなんかすごい好きなんでこれで
2957 アイドル 岬 2018/12/14 07:13:42
手相占い対象は誰でも良いや。
真結果さえ出ればかなり有利になるだろうし。

組織票で吊られない程度に多めの人数の方が良いかな。
何人か知らないけど。
+249 バニー 結良 2018/12/14 07:14:45
晋護吊りはリスクばかり高く得られるリターンは少ないのである
通常村においては狂人を減らすというのは立派なメリットではあるが
今回は襲撃の数がどうも多い
罠使い終わった絞りカスを吊っている間に村側が減るのである

99人村で十分狼を全滅させられる村側がいたのにパペットマンとかモエミを吊ってる間に村人が減りまくった
やつらは確かに人外だったが、それは村を滅ぼす吊りだったのだ
ましてや今回は晋護村側の可能性も高い。
ハッキリ言って滅亡の一手である
+250 バニー 結良 2018/12/14 07:17:48
手相占いは既に人の話を聞かずに突っ込んでる人外が多いので
この上村側が手相判定させようとすると摩耶は死ぬ
村側が票をまとめれば心配はないが積極的に票を散らそうとしてる殺人鬼クリスタのようなやつがいる時点でまとまるわけはないのである
欲を突っ張りすぎて金の卵を生む鶏を禁則事項です
+251 バニー 結良 2018/12/14 07:20:49
既に晋護に投票してるやつも多いのでたぶん票をまとめるため晋護が吊られるのだろう
この村はだいぶヤバい
ヤバいが食い止められないまま滅びそうな気がする
2958 カメラマン つくね 2018/12/14 07:31:16
#手相希望
#文学部への投票者

票数多いところ4,5人でいいと思う。
人数と票数の関係がどういう状況かわからないからっすね。
2959 カメラマン つくね 2018/12/14 07:33:05
>>2792 懸念したのはそこかー。いま村人表記なら、村側で狼判定ってのはないはずっすよ
+252 バニー 結良 2018/12/14 07:33:35
不審者
2960 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 07:34:20
集計用のエクセルは作れた。
問題は新幹線での作業による酔いだな。
2961 番長 露瓶 2018/12/14 07:40:19
#今日の吊り先
晋護
狼じゃなくても吊っといていいでしょ
残しておくと処遇の議論が再発して時間無駄にしそうな気がしてならない
2962 番長 露瓶 2018/12/14 07:41:13
手相占いの希望は白出たらいいなーという希望がこれだった >>1521 が、変えておこう
2963 番長 露瓶 2018/12/14 07:41:33
#手相希望
星児、光、東、朝陽、満彦、瑠樺、御影
2964 カメラマン つくね 2018/12/14 07:41:48
伊澄さん見直すか晋護さん見直すか……

ただ伊澄さんの四方八方への対応みると、非窓にみえる。
この人たぶん、窓があると安心感得る人だし。
あと、人外ならCO迫られるまでCOしないタイプかなと。
2965 ニート 欧司 2018/12/14 07:44:16
晋護吊りはリスクばかり高く得られるリターンは少ないのである
通常村においては狂人を減らすというのは立派なメリットではあるが
今回は襲撃の数がどうも多い
罠使い終わった絞りカスを吊っている間に村側が減るのである

99人村で十分狼を全滅させられる村側がいたのにパペットマンとかモエミを吊ってる間に村人が減りまくった
やつらは確かに人外だったが、それは村を滅ぼす吊りだったのだ
ましてや今回は晋護村側の可能性も高い。
ハッキリ言って滅亡の一手である
2966 ニート 欧司 2018/12/14 07:44:47
手相占いは既に人の話を聞かずに突っ込んでる人外が多いので
この上村側が手相判定させようとすると摩耶は死ぬ
村側が票をまとめれば心配はないが積極的に票を散らそうとしてる殺人鬼クリスタのようなやつがいる時点でまとまるわけはないのである
欲を突っ張りすぎて金の卵を生む鶏を禁則事項ですな
2967 ニート 欧司 2018/12/14 07:45:14
by バニーさん
2968 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 07:46:32
摩耶さんは吊られない気がしてきた。
吊られても人外たくさん釣れたならお得?
2969 番長 露瓶 2018/12/14 07:47:52
禁則事項で草
2970 カメラマン つくね 2018/12/14 07:47:54
伊澄さんの>>2959 このあたりCOした理由が雑(?)なのは村(村人表記)くさいと思ってる。

逆に晋護さんは、いきなり説明し出した感じ。確かに役職は聞かれてたんだけど、全体的な雰囲気からするとやっぱり違和感っすね。

んでもって、晋護さんの中の人、第三回99人村だと、魔女を盗まれたときでさえ灰使ってないんすよね。
あんな説明口調な灰使うっすかねー?ってのがぬぐえず。
2971 カメラマン つくね 2018/12/14 07:49:50
【なみさんへ】
晋護さん非狼で思ってるのは「窓あるやつがランダムなんてするわけねーよ」理由?
2972 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 07:50:11
バニーさん、大変貴重なご意見ありがとうございました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2973 囚人 要 2018/12/14 07:50:41
ロマサガRSの話をするか、人狼の話をするか、それが問題だ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2974 囚人 要 2018/12/14 07:51:06
ロマサガRS村で、人狼の話をするのはマナー違反じゃないのか……?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+253 バニー 結良 2018/12/14 07:51:16
他の罠役と違って狼はランダムで罠をつけられないんだ
2975 番長 露瓶 2018/12/14 07:51:29
狼の罠仕掛けるやつはランダム発動しないから、じゃなかったか >>2971
2976 囚人 要 2018/12/14 07:51:42
俺に別窓があったら、別窓で如何にロマサガRSを普及出来るかと言う別のゲームをして遊んでたと思う。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2977 囚人 要 2018/12/14 07:52:11
ロマサガRSの話をするべきか……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
2978 ニート 欧司 2018/12/14 07:52:38
>>2971
多分ですが、狼で能力ランダム発動はないからじゃないですかね?
2979 カメラマン つくね 2018/12/14 07:53:01
俺的にはこればっかは赤窓の雰囲気によるかなーと。
処刑二人見てると、晋護さん狼でも面倒みたかねーみたいな。
2980 番長 露瓶 2018/12/14 07:53:17
スカーレッドグレイス緋色の野望ちょっとやっただけで積んでるんだよなー
2981 ニート 欧司 2018/12/14 07:54:00
他の罠役と違って狼はランダムで罠をつけられないんだ
byバニーさん
2982 カメラマン つくね 2018/12/14 07:54:25
>>2975 >>2978 あれま。仕様的な意味だった
2983 囚人 要 2018/12/14 07:54:41
>>2915とか言っちゃうカズマーンは、カズマーンの知能では無い。
こんなに賢い奴は偽物か、窓のある人外である。
2984 カメラマン つくね 2018/12/14 07:54:42
なみさんもさんくす
2985 囚人 要 2018/12/14 07:54:57
やっべ人狼の話しちゃった。
ロマサガRSの話しなきゃ。
2986 カメラマン つくね 2018/12/14 07:55:54
んでは、>>2267の理由で晋護さんは狂人だと思うっす
2987 囚人 要 2018/12/14 07:55:58
>>2980
緋色の野望じゃない方のスカーレットグレイスやったけど、面白いけどめっちゃ時間掛かる上に訳わかんねーからなあのゲーム。
攻略本を買ったら感動したが、やっぱり初見は何も見ないで訳解らないままプレイするのが愉しいね。
2988 番長 露瓶 2018/12/14 07:56:05
バニーはクリスタ吊りたいのかな
俺も吊れるなら吊りたいんだが
2989 囚人 要 2018/12/14 07:56:50
>>2986
もっと単純に、「人狼様、ごめんなさい!」って誤爆してる時点で狂人なんじゃねーのあいつ。
殺そう。
2990 囚人 要 2018/12/14 07:57:20
猫又の俺がうっかり罠で死ぬと連鎖してどっか死ぬんだよな。
面白そうだしクリスタに投票している。
2991 囚人 要 2018/12/14 07:57:46
村側の利点?
自分の命を投げ捨てる事で勝利に近づけるところだろ。
2992 番長 露瓶 2018/12/14 07:58:00
>>2987
訳わかんねー草
手探りでやりながらウルピナ?が二刀流習得したあたりで止まってるわー
2993 囚人 要 2018/12/14 07:58:28
ただし政治しか無い編成に直面すると、命を投げ捨てても何も良い事が無くなるので村側の利点無し。
何あの罰ゲーム陣営。
編成を作った奴の頭は大分おかしい。
2994 カメラマン つくね 2018/12/14 07:59:28
個人的には人数多いうちにクリスタさん花火はいけるいけると思ってるんすけど、そうじゃないなら手相突っ込むってのはどうっすかね?
+254 バニー 結良 2018/12/14 08:01:42
村人CO組とか星児とか忍とか塗絵とか東とか
その辺でいいんじゃないか
役職の臭いがしない
たぶん何騙ろうかまだ考えてない
2995 カメラマン つくね 2018/12/14 08:01:46
>>2989 シンプルイズベスト!
2996 囚人 要 2018/12/14 08:02:42

>>2992
本当訳わかんねーでしょ。
TRPGのように選択肢と訪れる順番でシナリオ変わるからよー、解決法も幾つもあって違うシナリオでぶっ殺した魔女と不思議と仲良くなって仲間になったり、火山を噴火させまいと行動したら実は噴火した方が良かったり、謎の政治家を追いかける順番で村が滅びたり滅びなかったり。

超訳わかんねーよあのゲーム。
ただ、間違った道を行くのも面白いし、人生はいつも正しい道ばかり進める訳じゃない。
そう思って適当に遊ぶと笑える。モンド編はモンドが苦労人で面白いよね。
2997 囚人 要 2018/12/14 08:03:04
>>2992

余談だが、TIPS集めて解読して行くと「モンドは小剣使うとめっちゃ強いけど初期装備は違うものを使っています。掛かったな!」と書いてあり、そういう訳の分からない部分を解読してモンドに小剣使わせると強くて笑ったり愉しい。おっと、ウルピナ編だった。
+255 バニー 結良 2018/12/14 08:03:22
クリスタでも小百合でもいいかな
2998 番長 露瓶 2018/12/14 08:03:48
>>2994
クリスタは手相に投票しない宣言してる
2999 囚人 要 2018/12/14 08:04:14
北沢君、この村が終わったら俺のシマ(ディスコード)に来ないか。
二人でサガの訳解らなさとまがとりもんについて語り合おう。
3000 カメラマン つくね 2018/12/14 08:04:18
クリスタさん吊りで村の役職飛んで負けても「運が悪かった」って言い訳を……
3001 カメラマン つくね 2018/12/14 08:04:37
>>2998 なんでやねん
3002 囚人 要 2018/12/14 08:04:38
クリスタは人外だと解ってしまったので、どのタイミングで禁則事項ですか話合おう。
3003 囚人 要 2018/12/14 08:05:04
クリスタは人外だ。
要が保証する。
3004 番長 露瓶 2018/12/14 08:06:00
>>2996 >>2997

面白そうでちょっとヤル気でてきた
再開してみるか
3005 囚人 要 2018/12/14 08:06:16
シャッフル使わないで死ぬぞとか脅されてるが、お前、猫又以上の強役職がある訳ねーだろ!
さっさと死​ね!
シャッフルなんて要らねえんだよ!
自称村人とか回って来たらどうすんだ!
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3006 番長 露瓶 2018/12/14 08:07:25
>>2999
それはちょっと興味ある
3007 囚人 要 2018/12/14 08:08:28
だろ。
ちなみにまがとりもんとディスコードで語り合ったが良い奴だった。magatoriね。前村の君の相棒。
北沢君も一緒に雑談しよう。
3008 番長 露瓶 2018/12/14 08:08:32
>>3001
黒出るか、殺人鬼なら邪魔されたって出るからじゃない?
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3009 令嬢 御影 2018/12/14 08:12:18
今日は外出だから定時で帰れるらしい
3010 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 08:12:43
クリスタさん、摩耶さんに投票しないんだっけ。
3011 囚人 要 2018/12/14 08:12:53
何か人狼をやってると色々ごちゃごちゃ考える連中が居るが、このゲームってどうやって自陣の敵を皆殺しにするか考えるゲームだろ?

手段の為の手段を模索したりあーだこーだ言う連中が多いが、取れる行動なんて「投票する」「特殊アクションを選ぶ」「言葉で人を動かす」の三種類しか無いんだから、言うべきことを言ったらもう語るべきことはロマサガRSについてしか無い。
占われたい奴は文学部に投票、占われなくてもいい奴は警察官に投票、それだけの話だろ。
集計とかごちゃごちゃ言わず、全員投票すればオートで集計されるんだよ。

何故こんな単純なゲームをわざわざ難しく考えるんだ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3012 囚人 要 2018/12/14 08:13:50
クリスタは占われると不都合があるらしい。
まあ警察官にあんな事言われたら、ブラフだとしても俺でも投票を渋る。
だって本当だったら占い師と共に爆発するんだぞ。やだろ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3013 囚人 要 2018/12/14 08:14:51
それはそうとクリスタは村側の敵らしいので殺​す。
自称村人陣営は、シャッフルに賭けてぼーっとしてるのもいいんじゃないか。あいつ手品師だとは思わないけど。
一縷の望みに縋ると言う点では、文学部に投票するのと似たようなものだ。
3014 囚人 要 2018/12/14 08:15:43
まあまあマシなペースで人外を圧迫してると思うが、シャッフルされて圧迫された人外が回って来たらどうするんだよ?
と言うか、猫又以上に強い役職なんてねえよ。
シャッフル不要!
ついでにクリスタは人外!
シャッフルなんて持ってない!
殺そう!
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3015 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 08:16:20
そうしよう。
3016 囚人 要 2018/12/14 08:18:42
カズマーンといっぱい同村した俺は知ってんだ。
賢い時のカズマーンは人外。
3017 囚人 要 2018/12/14 08:19:33
>>2915は賢すぎた。
あいつが窓無しであそこまでやる気のある賢い発言を出来る訳がねえ。
ぶっ殺​すしかねえ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3018 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 08:19:42
>>3002 明日がいいんですかね。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3019 囚人 要 2018/12/14 08:21:21
別に明日でもいいが、より人外な奴が出て来るかも知れん。
臨機応変に必ずクリスタを殺そう。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3020 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 08:22:03
そうしましょう。
3021 令嬢 御影 2018/12/14 08:22:11
このかずまーんは妖魔だよ
+256 バニー 結良 2018/12/14 08:22:40
明日絶対吊るってんなら今日吊っとけよ
+257 バニー 結良 2018/12/14 08:23:06
そうまでして警官吊る意味ないだろ
3022 囚人 要 2018/12/14 08:23:10
妖魔かも知れん。
村側でない事は確定している。(俺の中ではな)
ぶっ殺そう。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3023 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 08:25:14
手相占い白の要さんと看板娘のバニーが疑っている。
これは怪しい。
3024 囚人 要 2018/12/14 08:26:02
まあ、白窓しか見えない俺よりは、霊界も見えている看板娘の推理の方が当たるかもな……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*232 ウェイトレス 南 2018/12/14 08:28:42
面白いことになっているな。
3025 研修医 忍 2018/12/14 08:31:42
おはよ〜。
>>3016 >>3017は確かに。
村だったときはもっとポンコツ感出てた気がする。
あと後ろから味方の要を角材で殴ってたイメージが強い。
赤子 羽風は遺言を書きなおしました。
「復活の時を待て(ばぶう)」
3026 赤子 羽風 2018/12/14 08:34:14
おはよう
3027 カメラマン つくね 2018/12/14 08:34:22
手相占いは占い師グループなので呪殺ができるんすよね?
溶けるやつはまあ投票しないっすね
3028 赤子 羽風 2018/12/14 08:34:34
誰に投票しようかな
3029 研修医 忍 2018/12/14 08:34:41
バニーの伝言はもっともではあるので、吊り先についてはもうちょっと考える。
では行ってきます。
3030 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:34:52
見てないうちにバカにされていた
3031 囚人 要 2018/12/14 08:35:05
あいつ本当、味方の時だけ必ず俺を背後から角材でフルスイングするんだよな……。
今回はして来ないし、やっぱり人外だよあいつ。
3032 囚人 要 2018/12/14 08:35:55
>>3030
褒めてるんだよ。
人外の時はまともだって。
sazanami博士も、村側だとああだが、人外の時はめっちゃ強いでしょ。
3033 囚人 要 2018/12/14 08:36:33
人外の時ですらまともでは無いクズ共がどれほど存在してると思ってるんだ?
人外の時 は まともだって、褒めてるに決まってるじゃん。
3034 囚人 要 2018/12/14 08:36:45
被害妄想は良くないよ、クリスタ君。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3035 赤子 羽風 2018/12/14 08:37:16
人外の時強いのはいいことだ
3036 赤子 羽風 2018/12/14 08:37:49
いつでも自分を人外だと思ってやればいいのでは?
3037 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:38:27
>>2915ぐらい、ねじれでそこそこやってたら誰でもわかるよ
そもそも人外ならわざわざ教えないで村人3人に投票させる
3038 赤子 羽風 2018/12/14 08:38:29
「人狼」表記で囁きにも参加できるけど実は思い込みで村人でしたーみたいな役職になろう
+258 バニー 結良 2018/12/14 08:38:39
>>3036
そのせいで村が滅ぶのでは?
3039 囚人 要 2018/12/14 08:38:52
ちなみに俺は、そんなんで白黒判断されるのは弱点だと思うので、村側でも人外でも等しくまともでは無い。

等しくまともでは無いので、ID公開されると何やっても信じられず、一応白出てる現在ですら「白か……吊ろう!」って躊躇わずに絵本作家に言われた。
あいつ絶対殺​すからな……。あいつが生きてる限り、例え同陣営であっても、利益が無さそうだ……。
3040 囚人 要 2018/12/14 08:39:35
>>3037
人外ならわざわざ村人3人に投票させることにより、自分の立場を怪しくする行動は取らない。
3041 赤子 羽風 2018/12/14 08:40:01
今朝は冷えるな
3042 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:40:21
殺人鬼だろうが妖魔だろうがそんな適当なことに誰も耳を貸さないと思ったが、この流れだと本気でそんなこと言いそうなので困ったな
3043 囚人 要 2018/12/14 08:40:21
冷えない朝など無い。
修道女 クリスタ が 文学部 麻耶 に投票しました。
3044 赤子 羽風 2018/12/14 08:40:43
雪はやめてほしいな
3045 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:41:18
まぁいいや
罠を吊りで消費するのは勿体ないし、何より俺は四天王の権利を失いたくない
占いで証明できるなら麻耶に投票してやろう
3046 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:41:41
俺の票数0だから人数にカウントしなくていいよ
3047 囚人 要 2018/12/14 08:41:54
別に占いでも証明出来ないからクリスタは必ず殺​すぞ。
3048 囚人 要 2018/12/14 08:42:21
いつ殺​すかと言う話を俺達はしてるんだ。
3049 囚人 要 2018/12/14 08:42:39
文学部に投票するのが二日遅かったな、クリスタ。
3050 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:42:56
麻耶に投票するので、君たちが村側なら適当なこと言っているバニーや要の話は一切聞かないように
3051 赤子 羽風 2018/12/14 08:43:23
黒幕吊って夢からさめよう
3052 囚人 要 2018/12/14 08:43:39
まあ、流石により人外な連中が出て来ることも良くあることなので、明日必ず殺​す訳ではない。
しかし、クリスタはいつか必ず人外なので殺​す。

俺達は、そういうことを話し合ってたんだ。
3053 囚人 要 2018/12/14 08:44:15
適当なことを言っている?
じゃあクリスタ、貴様の役職はなんだ?

俺は猫又。
3054 囚人 要 2018/12/14 08:44:43
自分が潔白であると証明したいなら、まずはCOからだろう。
文学部に投票するぐらいでは、潔白は得られないんだよ。
3055 囚人 要 2018/12/14 08:45:02
←文学部に投票したぐらいでは潔白を得られなかった人間の顔
3056 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:45:05
手品師だよ
3057 囚人 要 2018/12/14 08:45:20
そこまで文句言う割にCOしない時点でクリスタは人外なんだよなあ……。
3058 囚人 要 2018/12/14 08:45:42
>>3056
手品師なら今日は吊られないからシャッフルすれば生き延びられるじゃん。良かったな。
3059 囚人 要 2018/12/14 08:46:01
では、手品師では無いだろうからクリスタを殺そう。
3060 修道女 クリスタ 2018/12/14 08:46:15
シャッフルはまだしない
3061 囚人 要 2018/12/14 08:46:42
本当に手品師ならばクリスタは吊られないし、手品師で無ければ人外なので当たり前のように吊られる。
Q.E.D.
3062 囚人 要 2018/12/14 08:46:57
そうだな、シャッフルはしないでいいぞ。
しないまま吊られよう。
3063 囚人 要 2018/12/14 08:47:29
よしんば本当に手品師であったとしても、猫又のような強役職かつ勝てそうな陣営を引いている人間は、みんなそう思ってるんだ。
3064 囚人 要 2018/12/14 08:47:52
折角勝てそうな陣営に配属されたのに、ボタン一つでひっくり返せる奴をさっさと殺さない理由ある??????
3065 囚人 要 2018/12/14 08:48:14
クリスタはどの視点から見ても必ず殺​すのが正しい。
3066 赤子 羽風 2018/12/14 08:48:20
そうだな。下手に村人表記のナイトメアが来たら嫌だ
3067 囚人 要 2018/12/14 08:48:30
人外だけは、クリスタを殺​したがらないだろうがね……。
3068 囚人 要 2018/12/14 08:49:48
村人COをした奴が、理論的に「村の為に死​ね!」と言われるように、手品師COをした奴は理論的に「村の為に死​ね!」と言われるんだ。
3069 囚人 要 2018/12/14 08:50:05
俺達は、そういう論理的な話をしている。
クリスタは必ず殺​す。
3070 カメラマン つくね 2018/12/14 08:50:30
吊り先を、手相占いorクリスタさんのどっちか好きな方、にしたら人外はどっちいくんだろう。
3071 囚人 要 2018/12/14 08:51:23
どっち行くんだろうなあ?
俺はまあ、連鎖も愉しいから今クリスタに投票してるけど。
おい警察官、一緒にクリスタ投票しようぜ!
運が良ければ俺達二人とも生き延びられるぞ!
3072 カメラマン つくね 2018/12/14 08:51:34
まあ呪殺されるよりはクリスタさんでしょうけど。
3073 赤子 羽風 2018/12/14 08:52:12
いいなそれ、楽しそうだ
3074 囚人 要 2018/12/14 08:53:42
「村人COをした奴は殺​すしかないよねー」と同じで、「手品師COしてる人外っぽい奴は殺​すしかないよねー」と言っている訳で。

流される流されないの問題ではなく、理論的に村側はそういう行動を取るしかないんだよね。
勿論、村人表記の奴とクリスタ自身がそれに付き合う必要は無いぞ。
俺達は自らの勝利を信じ、情け容赦なく村利だと思ってそれを実行するだけだから。
3075 囚人 要 2018/12/14 08:54:28
君達には君達の都合があるだろう。
俺達は俺達の都合で、クリスタを必ず殺​す。
3076 囚人 要 2018/12/14 08:55:29
村人COに対し、「出来れば村側の奴隷として働いてね♪」とか言っちゃう村側連中に情けなど求めるなよ。
クリスタは必ず殺​す。村人COもどうにかして必ず処理する。必ずだ。
3077 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 08:55:35
増えてる増えすぎー!
読まないからいいけど!
絶対読まないから!
3078 ウェイター 東 2018/12/14 08:55:42
クリスタ君を禁則事項です流れになっている
3079 カメラマン つくね 2018/12/14 08:56:38
>>3077 夜ぐらいに本決定出ると思うっすよ
3080 囚人 要 2018/12/14 08:57:17
警察官は今日殺​す。
それが世界の選択である。
3081 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 08:57:25
マイベイビーが考察ベイビーになって大活躍してるのは見ました。
高級ミルクと高級オムツと高級ロンパースで手厚く育児します。
3082 囚人 要 2018/12/14 08:58:07
流石に「人狼様、ごめんなさい!」みたいな誤爆をかましといて、生きられると言うのは甘え。
3083 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 08:58:27
>>3078
>>3079

麻耶ではのうなったんかいのぅ
了解じゃあ
3084 囚人 要 2018/12/14 08:58:42
さようなら、警察官。
君が村側だったとしても、何でお前そんな誤爆をしたんだ?
舐めてんのか。とエピローグで言われることであろう。
3085 ウェイター 東 2018/12/14 08:58:51
>>3079
そっか、じゃあゆっくりできるな。
キャバ嬢 瑠樺 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3086 囚人 要 2018/12/14 08:59:14
>>3083
文学部に投票した奴は占われるので、白判定貰いたい村側だけこっそり投票するという流れ。
3087 囚人 要 2018/12/14 08:59:46
村側が白判定もらいまくれれば、人外なんて圧殺出来るじゃーん?
楽勝じゃーん?
3088 囚人 要 2018/12/14 09:00:50
実際、俺が人外で、一日に10白とか作られたら舐めてんのかと思う。
一つ占うだけの賢者でさえ、人外は敏感に殺しに行くぐらいだぞ。
五つも六つも一日で占われたら、政治村以外だと人外壊れちゃーう。
3089 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:00:59
票割れたので麻耶が吊られるな
3090 囚人 要 2018/12/14 09:01:34
文学部吊りに賭けて投票してもいいんだぞ。
3091 囚人 要 2018/12/14 09:02:03
文学部が吊られなかったら、貴様等は全滅だ。
文学部が吊られても、意味不明な投票は吊りを招くだろうが。
3092 囚人 要 2018/12/14 09:02:25
取り敢えず、>>3089は村側の発言では無いね。
3093 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 09:02:50
要さんは、やたら連呼してる役職でないことは確かだと思う。
つまり猫又ではない。
やる気を無くして怒り狂ってもいないため、村側は引いてない。
じゃあどんな人外かというと、この空回り感だけがよくわからないのよねぇ。
吊りも占いもアリだと思います。
読んでないけど!
3094 囚人 要 2018/12/14 09:03:08
「票を割らない為に警察官に投票しますが、自分の為にシャッフルします!」だよな、フツー。
3095 囚人 要 2018/12/14 09:03:21
クリスタが人外であることを隠さなくなったぞー!!!!!!!
3096 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:03:27
つくねとかいう狂人が票を割るのに仕事しているからな

こんなんで割れるような村なら元々勝ち目はない
3097 囚人 要 2018/12/14 09:03:37
村側が>>3089とか言う訳ねーだろ!!!!!!!!!!!!!
*233 ウェイトレス 南 2018/12/14 09:03:49
3098 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 09:03:54
▼クリスタにしたょん
3099 囚人 要 2018/12/14 09:04:09
割れるようなら勝ち目が無い、ではなく。
割れないように「今日は警察官吊りな!」って言うのが村側の仕事。
3100 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:04:17
瑠樺はせめてタグついてるログ読んでね
3101 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:04:26
人外ならどうでもいいや
3102 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:04:41
>>3099
じゃあクリスタ吊りって言ってる伯爵も村側じゃないし、猫又じゃないな
3103 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 09:04:50
>>3100

読まないよ?
3104 囚人 要 2018/12/14 09:05:18
sataneのように、「票を集計して吊れそうなら文学部吊り出来るようにしたろ!」と言うのも、人外の利になると思わんか?

まとめがあって有利になるのは、大体人外の方だって理解してないのか?
それとも人外なのか?

これだからヴィクトリアは信用されない訳だ。
3105 カメラマン つくね 2018/12/14 09:05:36
ちょいと夜まで離脱するっす。
3106 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:05:57
>>3103
人外なんですか?
3107 囚人 要 2018/12/14 09:05:58
>>3102
俺は今日は警察官を殺​すとずっと言ってるんだが?
ログ読まないのも自由だが、そういう言い掛かりは音速で否定されるぞ。
3108 囚人 要 2018/12/14 09:06:26
>>3106
自分もログ読んで無いのにキャバ嬢にだけログ読めは通らんだろ〜。
3109 囚人 要 2018/12/14 09:07:01
発言数に実質制限が無いと、どの陣営でも俺が強すぎるな。
3110 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 09:08:06
>>3109

それ!

要さんマイスターの名に恥じぬよう、一生懸命テイスティングしまぁす☆
3111 囚人 要 2018/12/14 09:08:14
今日は警察官を殺​す。
明日はこのままだとクリスタを殺​すかー。

俺達はずっとそういう話をしてるんだ。
3112 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 09:09:05
>>3106

かもね?
だったらどうする?
3113 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:09:27
めんどくせー
手品師じゃないしシャッフルも出来んからほっといてくれ
3114 囚人 要 2018/12/14 09:09:42
だったらどうするんだ、クリスタ。
どうせお前の方が殺​す優先度は高くなるだろうが。
3115 囚人 要 2018/12/14 09:10:06
>>3113
何で信じて欲しいのに自分の役職を隠すんだ?
3116 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:10:18
はい、手品師じゃないので村側が禁則事項です理由なくなった
解散

麻耶に投票して占ってもらうので白出て終わり
3117 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:10:28
ほんとに無駄なんだよなあ
*234 ウェイトレス 南 2018/12/14 09:10:34
伯爵が暴れてるときは、私はできるだけリアルタイムで顔を出さない。ちょっと後からきて、ああ、伯爵はこういうことが言いたかったんですね〜みたいにまとめる。
コバンザメ戦法だ。
3118 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:11:42
>>3115
ギャンブラーだよギャンブラー
3119 囚人 要 2018/12/14 09:11:47
言わない方がいい村側役職なら、COしても問題無い村側役職を騙ってCOすればいいだけだろう。
味方に信じて貰う為に、敢えて仲間に嘘を吐いた方がいい場面のが多いなんて常識、ねじ天でいっぱい戦ってるクリスタさんがご存知無い訳無いよね。
3120 囚人 要 2018/12/14 09:12:18
ギャンブラーか。
じゃあ殺​すリストは大分下がったな。
3121 修道女 クリスタ 2018/12/14 09:12:44
票貯めようと思って隠してたのにほんとにめんどくさいな
3122 囚人 要 2018/12/14 09:12:56
でも動きが人外っぽ過ぎるし、COが遅すぎるんで村人COと同じレベルで殺​すわ。
+259 バニー 結良 2018/12/14 09:13:03
スロカス
3123 囚人 要 2018/12/14 09:13:27
>>3121
お前が貯めて村側にいいことあんの??????
無いよね????????
3124 囚人 要 2018/12/14 09:15:44
>>3037でねじ天で遊んでいたら、自分が潜伏する為に騙っても問題無い役職ぐらい解ってるはずだよなあ!!!1???
3125 囚人 要 2018/12/14 09:16:07
誰でも解る事を何故しなかったのか?
答えはクリスタが人外だからだろう。
3126 囚人 要 2018/12/14 09:16:47
ついでにギャンブラーだよ、とか言いつつギャンブラーの説明文を貼ろうともしない。
遅すぎる。
3127 囚人 要 2018/12/14 09:17:30
「騙るならギャンブラーとかどうです?」とでも言われたか。
本当にギャンブラーなら、色々と即座に行動理由とか説明が飛んで来るよなあ?
3128 囚人 要 2018/12/14 09:17:51
今、つじつまを合わせている最中か。
3129 囚人 要 2018/12/14 09:18:25
まあ、時間を掛ければ掛ける程クリスタの心証は悪化していくが、それはクリスタがどの陣営だったとしても、自らの行動が招いた結果だよ。
3130 囚人 要 2018/12/14 09:19:14
わざわざ味方の敵として振る舞っておいて、「なんで自分を疑うんだ!」と言う逆ギレが通る訳ねーだろ!
実際村側でそんなことをされたら、キレるのは俺達村側の方だよ!!!!!!
3131 囚人 要 2018/12/14 09:19:26
俺は味方の敵にいつもキレている。
3132 囚人 要 2018/12/14 09:19:43
クリスタは村側だとしても味方の敵だったCOをしたので殺そう。
3133 囚人 要 2018/12/14 09:20:13
明日以降、クリスタを殺​す事に反対の者は居るか?
まあ、今日はどっちみち警察官を殺​すのだが。
3134 囚人 要 2018/12/14 09:20:43
明日以降クリスタを殺​すことに反対の者は、今の内にクリスタの弁護をしておけ。
+260 バニー 結良 2018/12/14 09:20:51
ギャンブラーだってんなら数日待ってやってもいい
3135 囚人 要 2018/12/14 09:21:54
俺達はなあ、勝つ為に人狼をやってるんだよ!
激おこを引いたから爆発してみたーいとか、そういう下らない手前勝手は必要ねーんだよ!
村の為に動けや!!!!!!!
修道女 クリスタ は お忍び ヴィクトリア のために歌を歌います。
お忍び ヴィクトリア は 修道女 クリスタ のプレッシャーを感知しました。
3136 囚人 要 2018/12/14 09:23:01
で、よしんばギャンブラーだったとして、手前勝手に潜伏しました、味方の敵でした、という言い訳以外ある?
無いなら多分、クリスタは反感を買って死んで行くぞ。自業自得だな。
修道女 クリスタは遺言を書きなおしました。
「吟遊詩人CO

3日目:範男
4日目:ヴィクトリア」
3137 囚人 要 2018/12/14 09:24:02
まあ、スーパーつじつま合わせタイムにこういうことを言うのも酷いのかも知れないが。

本当に三日前からギャンブラーであるならば、こういう時も想定して何か言うことを用意してあるはずだよね。
ねじ天で遊んで無くても、ぱっとなんか出て来るよね。
3138 ウェイター 東 2018/12/14 09:24:36
クリスタ君は非狼要素が強いし、占って黒がでるように思えないので、別に占いはいらんだろ。辞退して、その分自己証明が難しい人に席を譲ってやったらどうなんだ。村人Co者とかの方がよっぽど有意義じゃねーの?
3139 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 09:24:52
クリスタさん、今は摩耶さん投票でしたっけ。
3140 囚人 要 2018/12/14 09:25:03
>>2915がぱっと出て来る人間が、こんなことでだんまり決めこむぅ?

人外か味方の敵でしかあり得ないな。両方村の敵だ。その内殺そう。
3141 囚人 要 2018/12/14 09:25:35
>>3138
席はいっぱい空いてるから、別に文学部に投票してもいいぞ。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
3142 囚人 要 2018/12/14 09:26:28
よし、クリスタ君の為に警察官に投票してやったぞ。
これで一つ席が空いた。
クリスタ君は文学部に投票出来るぞ。良かったな。
3143 ウェイター 東 2018/12/14 09:26:45
村人表記の役職が複数あって可能性を考えるとめんどうっちゃーめんどうだが。
-157 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 09:27:00
ほほー。
3144 囚人 要 2018/12/14 09:27:11
>>3143
面倒っつーか、普通に人狼混ざってるし殺​すしかないよね。
3145 囚人 要 2018/12/14 09:27:41
自称村人共は、吊り候補の高い場所にいつでも在籍している。
そういう構造だ。仕方あるまい。
3146 囚人 要 2018/12/14 09:28:57
自分ですら自分の潔白を証明出来ない連中を、他人が村側だと証明してやる方法……無いよな。
仕方無いよな。
俺達は勝つ為に人狼をやってるんだ。
仕方無いんだ。
@4 tom928 2018/12/14 09:28:59
あれまだ4日目か…
早くもコンピュータ通信しか追えなくなってしまった(・・;
3147 囚人 要 2018/12/14 09:29:45
だから彼等が文学部に投票することも、また、仕方の無い事である。
俺達に止める権利は無いんだ。

権利はなくとも、俺達が不利になるからやめてくれえ!!! とは言うが。言うだけ。
3148 囚人 要 2018/12/14 09:30:03
俺達が不利になるから、自称村人共は警察官に投票してくれえ!!!!!!!
お忍び ヴィクトリアは遺言を書きなおしました。
「エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットされた瞬間に感知できる。
ヴィクトリア」
3149 囚人 要 2018/12/14 09:30:16
頼む!!!!!!!!
3150 囚人 要 2018/12/14 09:30:27
この身勝手さ。
これが、人間だ……。
お忍び ヴィクトリアは遺言を書きなおしました。
「エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットされた瞬間に感知できる。
>>3135>>3136の間でクリスタからのプレッシャーを感知。
ヴィクトリア」
3151 囚人 要 2018/12/14 09:31:07
しかし身勝手な願いなので、こっそり文学部に投票しても、別にいいんだよ。
まあ、それで生き残っても何か結果としてより吊り位置に立つかも知れないけど。
それはそれ、これはこれ。
+261 バニー 結良 2018/12/14 09:31:11
狂人かもしれない警官吊ってる間に犠牲が増えるんだよ
真面目にやれ
3152 囚人 要 2018/12/14 09:31:40
俺のように、猫又に産まれなかった不幸を呪ってくれ……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+262 バニー 結良 2018/12/14 09:33:10
村人CO組とか星児とか忍とか塗絵とか東とか
その辺でいいんじゃないか

俺は星児薦めるけど票割れ怖すぎる
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3153 囚人 要 2018/12/14 09:35:51
でも白判定出てる猫又の俺ですら音速で処刑候補に立つ世の中で、舐めプした自称ギャンブラーが吊られずに済むと思うなよ……。ぶっ殺​すぞ……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3154 囚人 要 2018/12/14 09:36:54
あの野郎がフォートナイトばかりやってる事は、白玉からのリークで解ってるんだ。
自分はフォートナイトを一日六時間遊んでおいて、舐めプして逆ギレかましました、じゃ絶対に通さねえからな……。

絶対に殺​す……。
3155 囚人 要 2018/12/14 09:37:52
それにどう考えても人外だろあいつ。
人外じゃなけりゃ相当な味方の敵だ。やっぱり殺​す。
3156 囚人 要 2018/12/14 09:38:42
どう転んでも村の為に殺​す。
だんまりが長すぎたので殺​す。
今もだんまりを続けるので殺​す。
あいつは今現在無職であることを知っているので必ず殺​す。
時間が無いとは言わせねえ……。
+263 バニー 結良 2018/12/14 09:38:59
票割れ怖くて結局警官になる
進むも地獄引くも地獄
初動を間違えてるんだ
3157 囚人 要 2018/12/14 09:39:24
ID公開で俺だけが疑われるじゃねえ。
ID公開だと、無職で時間があることが知られている奴が訳の分からないプレイをしたらこのように追い詰められるのだ。
3158 囚人 要 2018/12/14 09:39:40
クリスタ、貴様だけは、必ず地獄へ吊れて行く……。
3159 囚人 要 2018/12/14 09:40:36
此処まで論理的にクリスタ吊りを推奨しておけば、流石に俺が人狼と一緒に死んでもクリスタ吊られるやろ〜。

いやー、村の為に働いてしまったなー。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3160 ウェイトレス 南 2018/12/14 09:50:11
だいたいの指定枠人数を決めるため、こっそり麻耶さん投票する可能性のある人リストを作ったんですが……これ、投下しないほうがいいかな。
人外が一致団結する目安を作ってしまったような気がする。
3161 ウェイトレス 南 2018/12/14 09:50:50
どっちにしますか、ヴィクトリアさん。
ファン 紅 は様子を見ます。
3162 ウェイトレス 南 2018/12/14 09:54:17
クリスタさんのことはとりあえず、票が大幅に割られるというような事態にはならなさそうですね。
瑠璃さんはもう帰っていらっしゃらない可能性がありますが。

【指定を受けなかった方は、今日は警察官さんへ投票お願いします】
3163 ウェイター 東 2018/12/14 09:55:00
>>3160
いらんだろ。一致団結するような心配しているなら、なぜ投下する判断を求めるのか理解に苦しむで。
3164 ウェイトレス 南 2018/12/14 09:57:42
>>3163
ならば、麻耶さん投票は完全自由意志に任せるか、指定は相当少な目の人数でお願いすることになりますねー。
ヴィクトリアさんは集計のためにエクセルまで作ってくれたようなので、聞いたまでです。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+264 バニー 結良 2018/12/14 10:00:34
どうせ要には恋の矢が刺さりまくってるぞ
3165 囚人 要 2018/12/14 10:01:44
ヴィクトリアの信用ならない点としては、委員長のフリをしながら人外利になるリストを作ろうとする点。
3166 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:02:17
>>3104という指摘もあるし。
完全自由意志でいいような気もしてきた。
3167 囚人 要 2018/12/14 10:02:25
「こうすれば君達は勝てるよ」みたいなことは自分で気付くまで永久に黙っておきゃーいーんだ。
3168 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:03:02
気を利かせて希望を出さない人もいますがまぁ。
3169 囚人 要 2018/12/14 10:03:15
>>3166
それが俺は一番いいと思うぞ。

村側、誰だって勝ちたいだろ?
俺は勝ちたいぞ。
勝ちたいなら勝てるような行動を各自考えて取れ。
誰かに従ってるだけで勝ちたいと言うなら、俺に従え。
3170 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:03:32
ところで反応ないのでもう言ってしまおう。
3171 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:03:52
>>3166
賛成ですね。最悪の場合、かなりローリスクで麻耶さんが票で暗殺される可能性が高いとわかりました。
指定をとっても2名までかな。
3172 囚人 要 2018/12/14 10:04:05
クリスタは村側の勝ちたい行動では無いよね。
人外の勝ちたい行動だよね。
論理的な説明はした。
結果はエピローグになりゃ解るよ。
3173 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:04:17
エスパーCO。
>>3135>>3136の間でクリスタからのプレッシャーを感知した。
3174 囚人 要 2018/12/14 10:05:04
エスパーとは一体?
3175 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:05:05
エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットしたとき感知できる村人です。
3176 囚人 要 2018/12/14 10:05:26
流石satane!

見たかクリスタ。
村側はこういう風にぱっと説明してくれるんだぞ。
3177 囚人 要 2018/12/14 10:05:52
で、ギャンブラーってどんな役職ぅー?
クリスタが説明してくれないのは、村側にとって何か利があるんですかぁー?
3178 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:05:53
エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットしたとき感知できる村人です。
+265 バニー 結良 2018/12/14 10:06:21
やはり殺人鬼だったか(テノヒラクルッ)
3179 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:06:23
ヴィクトリアさんに能力セットされたということですかね。
3180 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:06:33
真証明がめっちゃ簡単な役職である。
吊られないからどっかで襲撃来るだろうと思っていたが。
3181 囚人 要 2018/12/14 10:06:38
で、ヴィクトリアに投票する意味ってなんかあるか?
無いよな。
能力を使った訳だよな。

クリスタ超人外じゃねーか!!!!!!
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3182 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:07:26
ギャンブラーは他人にセットする役職じゃないので。
殺人鬼なのかなぁ。
3183 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:07:48
やめて!!
読みにくくしないで。。。
+266 バニー 結良 2018/12/14 10:07:52
さっさとクリスタ吊れ
3184 囚人 要 2018/12/14 10:07:54
でも村側役職を真証明しても、恋人疑惑はつきまとうんですよ。
俺も人狼側が勝てそうになったら、「恋人だったら負けるし誰か噛んでこーい! 死​ねぇ!!!」で人狼と道連れになる運命。
3185 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:08:05
されると思ってた。。。。
+267 バニー 結良 2018/12/14 10:08:06
明日と言わず今日吊れ
教育学部 伊澄 が 宇宙飛行士 星児 に投票しました。
3186 囚人 要 2018/12/14 10:08:18
囚人 要 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
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囚人 要 が お
3187 囚人 要 2018/12/14 10:08:23
忍び ヴィクトリア に投票しました。
囚人 要 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
囚人 要 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
3188 囚人 要 2018/12/14 10:08:50
この程度で読み難い訳無いだろ?
ヴィクトリア、本当にエスパーか……?
3189 囚人 要 2018/12/14 10:09:16
で、クリスタは何の能力をヴィクトリアにセットしたのかちゃんと説明してね。
出来なければ人外確定ということで……。
3190 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:09:23
目に眩しいオレンジ色なので結構びっくりする。
3191 囚人 要 2018/12/14 10:09:48
あの流れでヴィクトリアに投票する訳は無いんだよなあ……。
文学部に投票するぜ!
とか言っちゃったもんなあ……。
3192 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:09:54
要さんがやったら、他の人が真似するでしょ。。
3193 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:10:34
ではクリスタさんの発言待ちということで。
3194 囚人 要 2018/12/14 10:10:39
ねじ天解らん殺し役職、エスパーに告発されたクリスタは可哀想ではある。
3195 囚人 要 2018/12/14 10:11:51
このエスパーとか言う役職強すぎない?
だから入れたんだろうけど。
シャッフル編成は基本強役職と引いたら可哀想な利敵役職とかばかりやぞ。
+268 バニー 結良 2018/12/14 10:12:33
>>3195
だからいまいち好きじゃないんだよなあ
3196 囚人 要 2018/12/14 10:12:49
ああいうように見苦しく言い訳をしても、論理の螺旋は真実を紡ぐ事が証明されてしまったな。
みんな、俺について来いやーーーー!!!!!!
3197 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:12:51
しかし、殺人鬼だとすると、一日も早く処理する必要がありますね。
3198 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:13:00
優奈さんのセット役職証明もできますが。。
意味がどれほどあるかはよくわかりません。
3199 囚人 要 2018/12/14 10:13:26
でも此処まで有能を示してしまうと、猫又であろうとも流石に殺されるだろうな。
短い命だった。
3200 囚人 要 2018/12/14 10:14:10
>>3197
じゃあ明日はクリスタ吊りかー。
+269 バニー 結良 2018/12/14 10:14:20
エスパー地雷に当たってしまうとはカズマーンアワレ
+270 バニー 結良 2018/12/14 10:14:33
何で明日なんだよアホか
3201 囚人 要 2018/12/14 10:14:41
ところでこのエスパーとか言う無法、どうやって処理したらいいの?
3202 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:15:00
要さんに追従してるまとめっぽい位置だから襲撃に来たのかなぁというのが第一感ですが。
+271 バニー 結良 2018/12/14 10:15:10
食べて処理
3203 囚人 要 2018/12/14 10:15:29
普通はコミットアンカーで余計な事を言われる前に襲撃するが、この村にはコンピューターが居る始末。

襲撃すると墓下から告発されるんだぞ。
3204 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:15:42
>>3200
今日の方が良くないですかね?
+272 バニー 結良 2018/12/14 10:16:01
一匹くらい処られたって平気平気
3205 囚人 要 2018/12/14 10:16:07
>>3202
成る程。
今日クリスタ吊りにすれば、もう一匹エスパーで釣れるかも知れないな。
囚人 要 が投票を取り消しました。
3206 囚人 要 2018/12/14 10:16:23
投票キャンセルっと。
3207 囚人 要 2018/12/14 10:17:34
よっしゃー!
エスパーがクリスタを人狼だと告発したぞおおおお!!!!!
みんな、クリスタに投票だあああ!!!!!!
罠師を恐れるな!
クリスタに投票だああああああ!!!!!!

白判定が欲しい奴は、こっそり文学部に投票だああああ!!!!!!
3208 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:17:41
警察官さんに投票したまま、かえって来なさそうな人はいるかなあ……。
3209 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:17:51
狼にセットされてそのまま死ぬことを想定してましたが。
生き延びられるのだろうか。
3210 囚人 要 2018/12/14 10:17:59
クリスタは人狼だああああ!!!
エスパーのヴィクトリアに告発されたああ!!!!!
今日はクリスタ吊りしかねええええ!!!!!!!
3211 囚人 要 2018/12/14 10:18:22
>>3208
明日の朝七時まで粘ろう。
3212 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:18:34

罠【陣営変化なし】
罠が設置されています。
自分自身では罠が設置されているかわかりません。
襲撃された時は襲撃者を、処刑されたときは投票者の中から一人を道連れにします。
護衛された時は護衛者共々道連れにします。(探偵/忍者/逃亡者にも有効)
罠を設置できる役職に対しては発動しません。
+273 バニー 結良 2018/12/14 10:18:39
いいぞ〜
3213 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:18:56
人狼かどうかはわかりません。
なんらかのセット役職というだけです。
ウェイトレス 南 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3214 囚人 要 2018/12/14 10:19:38
エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットしたとき感知できる村人です。

エスパーのヴィクトリアが、クリスタに襲撃をセットされたと告発したぞおおおおお!!!!!
クリスタを吊って、エスパーのヴィクトリアを守れええええ!!!!!!!
3215 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:19:39
手が滑ってヴィクトリアに投票したんだよ!
という言い訳も不可能ではないですが。。
3216 教育学部 伊澄 2018/12/14 10:20:08
おはよう。
昨日の学者の件本当にごめんね。参加者さんたちにすごく失礼な事をしたよね。でも、本当に演技とかじゃなくて、色々な占い師さんの占い結果とごっちゃになっちゃってたんだよ。僕が例え窓持ち人外だっだとしてもこんな村アピはしないよ…
3217 囚人 要 2018/12/14 10:20:30
>>3212
警察官が狂人系で、罠を持たない者である可能性も高い。
恐れるな。
猫又である俺は、罠連鎖を恐れずクリスタに投票するぜぇ!!!!
3218 囚人 要 2018/12/14 10:20:59
村側よ!
命捨てかまつるは今ぞ!!!

こっそり文芸部に投票する奴以外、クリスタに投票だあああ!!!!!!!
3219 囚人 要 2018/12/14 10:21:25
このクリスタは、めっちゃ遠吠えしてる感じあるので、恐らくは人狼で良かろう。
クリスタを吊れぇえええ!!!!!!!!!!!
+274 バニー 結良 2018/12/14 10:21:30
捨てがまりじゃあ
*235 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:21:45
エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットしたとき感知できる村人です。

強いなあ。
3220 囚人 要 2018/12/14 10:21:52
PPチェッカーを入れると、普通に政治ゲームではなく人狼ゲームになるということを、クリスタを吊る事で教えてやれええええ!!!!!!!
3221 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:22:34
ヴィクトリアそのCOなんで明日にしてくれんかったの。。。
3222 囚人 要 2018/12/14 10:22:57
この調子でヴィクトリアに能力をセットした奴を殺していくと、人狼はどうやってヴィクトリアを処理すればいいんだ?

不可能だ。

つ、強すぎる……。
なんだこの役職は……。
だから入れたんだろうが……。

コンピューターとエスパー!
なんという組みあわせ! 凶悪なコンボか!
3223 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:23:11
明日にする理由って何かあるでしょうか。
3224 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:23:18
まぁもう吊られてもいいやめんどくせ。。。

吟遊詩人CO
3225 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:23:30
>>3223
歌が聴けた
3226 囚人 要 2018/12/14 10:24:15
またまた苦しい言い訳が出たな。
3227 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:24:19
吟遊詩人(詩)【村人陣営】
二日目以降、歌を歌って選択対象の夜行動をキャンセルさせます。
相手は歌を聴いて夜に何も行わなかったことになります。
人狼が相手の場合1人の時のみキャンセルされます。2人以上の時には効果がありません。(歌った人狼のセットのみキャンセルされます)
前日に歌った相手に対して連続して歌うことが出来ません。
3228 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:24:31
襲撃セットかもしてない時点で黙る理由がないのですが。
3229 囚人 要 2018/12/14 10:24:45
あそこまで論理的に村側でないと言われた後に、自己弁護せず、ヴィクトリアに歌を歌う意味は一体?
3230 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:25:17
昨日は初日のコミットがちょっと遅かった範男にセットした
たぶん歌聴いてるはず
課金者なので歌が意味なかったのかはよくわからん

今日は最初岬がなにか持ってそうだったから岬にセットしてた
そしたら殺人鬼だの妖魔だの言われるから後で証明できるように、自称証明役職のヴィクトリアに>>3173でセットした
3231 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:25:24
真証明可能な役職に歌を歌うメリットとは。。
+275 バニー 結良 2018/12/14 10:25:54
ヴィクトリアなんかに歌ってはな〜
3232 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:25:57
吟遊詩人だと証明するため
3233 囚人 要 2018/12/14 10:26:08
味方の行動を妨害してなんかいいことあるんですか?
3234 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 10:26:14
狼なり殺人鬼なりを狙うものではないのか?
3235 囚人 要 2018/12/14 10:26:19
味方の敵ですよね、それ。
3236 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:26:30
だから狙ってましたよね
3237 囚人 要 2018/12/14 10:26:32
はい今日処刑。
+276 バニー 結良 2018/12/14 10:26:37
しかもギャンブラーだとか言っておきながらそれはギルティやな〜
3238 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:26:58
疑われてだるいから証明できるように、信用出来て邪魔にならないところに歌ったんですけど

メリット全くないですか???
+277 バニー 結良 2018/12/14 10:27:21
やはり殺人鬼
間違いない
3239 囚人 要 2018/12/14 10:27:37
人狼が、ヴィクトリア邪魔だから襲撃したと考える方が自然なぐらい、メリットが全くありません。
3240 囚人 要 2018/12/14 10:28:10
何より、あの話の流れで自己弁護をせずヴィクトリアに能力をセットして居留守を決め込んだのは何故でしょうか?
3241 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:28:22
まぁ麻耶投票は変えてないままなので、明日になれば人狼ではないことも殺人鬼ではないことも占いで証明される上に邪魔しない真証明可能なエスパーさんが歌を聴けるので吟遊詩人は信用してもらえると思うが
3242 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:28:22
範男さんからは何かあるかなー。
3243 囚人 要 2018/12/14 10:28:24
居なかった、という言い訳は出来なくなりましたよね。
3244 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:28:38
>>3240
要がめんどくさいから
3245 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:28:50
あとアマゾンで映画見てた
3246 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:29:36
まぁ別に吊るならどうぞ

無駄に誰か道連れにするだけだが
人外吊れたらいいね
3247 囚人 要 2018/12/14 10:29:47
クリスタが人狼ですと、明日はヴィクトリアが襲撃されてますよね。
ヴィクトリアは必ず人外を道連れに出来ますが、そのヴィクトリアの命を危険にさらしてまで、クリスタの命を救おうとするメリットが何かありますか?
+278 ニート 欧司 2018/12/14 10:29:52
エスパーはなぁ。
即時か・・・
強いな・・・
3248 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:30:15
罠に関しては警察官がミスって勝手につけたもんだから村道連れになっても俺は知らん
+279 バニー 結良 2018/12/14 10:30:22
あまりにも強すぎる
3249 囚人 要 2018/12/14 10:30:42
つまり、自陣の勝利なんてどうでもいい味方の敵だったという訳ですね、村側だったとしても。
ありがとうございました。
続きは霊界でどうぞ。
3250 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:30:56
俺が明日にCOしてもらった方が嬉しかっただけで、ヴィクトリアの事情とか知らないデース
+280 バニー 結良 2018/12/14 10:30:59
どうせ人外が吹っ飛ぶって平気平気
3251 囚人 要 2018/12/14 10:31:03
警察官は人外だからお前に罠はついてない。
安心して死ぬんだ。
3252 囚人 要 2018/12/14 10:31:26
うっかり道連れになるとしても、きっと俺だ。
安心して死​ね。
3253 学生 比奈 2018/12/14 10:31:32
なんかイベントおきてるぅ!
3254 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:31:52
私が悪かったのでどうでもいいデース
3255 囚人 要 2018/12/14 10:31:57
クリスタが人狼だってエスパーヴィクトリアが告発したんで吊ろうぜ!
3256 囚人 要 2018/12/14 10:32:35
此処まで見事な味方の敵であるよりは、普通に人狼であると考える方が自然だよね。
3257 囚人 要 2018/12/14 10:32:57
クリスタは人外だ!
今すぐ処刑しろ!
ヴィクトリアへの襲撃を許すな!!!!
3258 学生 比奈 2018/12/14 10:33:36
とりあえず情報学部さんの話を聞こうね。
3259 囚人 要 2018/12/14 10:33:50
解ってるだろうが、村側が面白半分でヴィクトリアに投票とか占いとかセットすると、明日以降人外と疑われて始末されるからな。

気をつけろよ。
3260 学生 比奈 2018/12/14 10:33:58
何故手品師を騙ったのかが世界最大の謎。
3261 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:34:23
範男、歌聴いてるの黙ってる理由がよくわからなかったから人外なんかなって思ってたが、本当に課金者っぽいしよくわからん
3262 囚人 要 2018/12/14 10:34:40
そんな訳で、ヴィクトリアの真証明はその場に居る俺がする必要があった。
した。
もうしなくていいからな!

解ってるな、村側!
勝ちたいだろう!?
-158 教育学部 伊澄 2018/12/14 10:34:53
人外でも村人でもやっぱり基本スタンスは変わらないんだけどなぁ
まぁ、人外だしそういうのをあざといとか信用ないとかって言われるのは仕方のないとこだよね。僕の落ち度だし…
あー!早く吊って欲しいー!!飼い殺しはやだー!!
3263 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:35:06
>>3260
ただの天丼だが
3264 囚人 要 2018/12/14 10:35:33
>>3260
カズマーンはいつも手品師を騙りたがるよ。
そこに意味なんて無い。

何故ギャンブラーを騙ったのかの方が謎。

何でギャンブラーを騙ったのか、理由をお聞きしても?
3265 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:36:17
めんどくさかったから適当に思いついたの言っただけ

吟遊詩人は伏せたかったし
-159 教育学部 伊澄 2018/12/14 10:36:37
なんで僕吊りじゃなくてクリスタさん吊りの話が出てるの?!
エスパーって役職すごすきじゃ…!
3266 囚人 要 2018/12/14 10:37:21
あの時点で「すいませーん、吟遊詩人でーす。文学部に投票して白貰ってきまーす」で構わないやろ。
それをしない……いや、出来なかったのは人狼だからだろ?

普通はそう考える。
つまり、クリスタは今日処刑される。、
3267 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:37:54
文学部に投票して白貰ってきまーすって言ってるが?
3268 囚人 要 2018/12/14 10:38:00
伏せたい理由が、村側なら勝利に繋がらないので死ゾ。
3269 囚人 要 2018/12/14 10:38:19
吟遊詩人でーすを言ってないが?
3270 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:38:37
伏せたいから伏せたって言ってるが?
ウェイトレス 南 が投票を取り消しました。
3271 囚人 要 2018/12/14 10:38:41
言って無いことを、言ってると嘘吐くのはなんなんだこいつ。
@5 turugi 2018/12/14 10:38:47
何か盛り上がってますね〜。
+281 バニー 結良 2018/12/14 10:39:01
0票だから入れても平気とか言ってるのがもうアカン
3272 囚人 要 2018/12/14 10:39:13
山に登った理由は、山に登ったから?
それは説明してると言わないよね。
3273 学生 比奈 2018/12/14 10:39:20
ヴィクトリアさんバッチバチの証明役だった。つよい。
3274 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:39:28
別にわざわざ邪魔出来ますってCOする必要も感じなかったし、範男みたいな歌聴いたことを伏せてるヤツ探して人外探そうと思ったから伏せてただけだけど
3275 囚人 要 2018/12/14 10:39:30
そこに山があったから、よりも解説になってねえぞ。
3276 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:39:55
めんどくさいなあ
3277 囚人 要 2018/12/14 10:40:16
範男を見つけたのに伏せていた理由は?
*236 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:40:19
エスパーとか、こんなんどうやって始末すればいいんだ優奈クン。
3278 囚人 要 2018/12/14 10:40:25
面倒なのはこっちだよ。
3279 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:40:30
課金者だったから
3280 囚人 要 2018/12/14 10:40:44
何で俺にこんな面倒を掛けるんだ。殺​すぞ。死​ね。
*237 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:40:55
更新時間ギリギリに暗殺しても霊界で暴露される。
3281 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:40:55
だったらほっときゃいいのに
結論変わらないのにわざわざつっつく意味はなんなんだ
3282 ウェイター 東 2018/12/14 10:41:04
面白い状況になってんだなー。

真相は知らんが、クリスタ君はヴィクトリア君の告発そのものは否定しないんだ?
3283 囚人 要 2018/12/14 10:41:28
課金者でも、お前は歌を伏せてると感じたんだろ?
何でそこで告発しないんだ?
3284 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:41:30
>>3282
否定しないし、セットした時間とかも全部合ってるよ
3285 囚人 要 2018/12/14 10:42:00
結論は変わるぞ。
お前がしっかりと説明を出来、村側の心を動かせるなら、結論は変わる。
3286 囚人 要 2018/12/14 10:42:13
だから俺がわざわざこんなめんどくせーことしてんだよ。
3287 囚人 要 2018/12/14 10:42:21
めんどくせーな、もう。
3288 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:42:46
もうこれ以上説明することはないし、明日になったらわかる

今日吊りたいなら知らんし、誰か道連れで死ぬ
3289 囚人 要 2018/12/14 10:42:46
警察官吊りでまとまった心をこんなにも乱しやがって。
クリスタ超めんどくせえ。
3290 囚人 要 2018/12/14 10:43:11
ほーん、警察官の何処が信用出来るの?
3291 囚人 要 2018/12/14 10:43:32
道連れで死ぬ、の意味が解らないんだが。
何をどうやって警察官を信じるに至った?
3292 囚人 要 2018/12/14 10:43:48
それどころか、信じてる警察官を吊りに行こうとしてる訳?
*238 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:43:50
最終日までヴィクトリアと付き合うのか。ダリィ!
3293 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:43:57
寝よ
3294 囚人 要 2018/12/14 10:44:10
罠を設置された、罠師だって信じてるんだよね。
じゃあなんで警察官を助けようとしない。
3295 囚人 要 2018/12/14 10:44:29
めんどくせーなクリスタ。
3296 囚人 要 2018/12/14 10:45:00
以上の論理的対話により、クリスタは今日吊るべきなので今日吊りましょう、みなさん。
3297 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:45:01
別に罠を設置できるのは罠師だけじゃないし、その辺は散々今まで言ったので……
3298 ウェイター 東 2018/12/14 10:46:16
>>3284
ありがとう。
ヴィクトリア君の告発がクリスタ君を追いつめかねない状況
クリスタ君が非狼的
と、セットで考えれば、ヴィクトリア君の真要素が強いなー。
+282 ツンデレ 弥生 2018/12/14 10:46:45
おはよ、寝てる間に何があったと言うんだ…
なんかスロカスの家庭内暴力野郎がこっちにくるんだって?
3299 囚人 要 2018/12/14 10:47:46
クリスタが村側なら、何でこんな人狼にしか見えない行動を狙って取れるんだよ。
味方の敵の天才かよ。

天才かも知れんな。
天才だったら仕方無い。一緒に死のう。
+283 ツンデレ 弥生 2018/12/14 10:48:12
クリスタはなあ、クリスタはなあ
赤窓で私のおでこを磨いて今日のスロ勝ちますようにとつぶやいていたんだ。許さねえ
3300 囚人 要 2018/12/14 10:48:22
味方の敵の天才を生かしておいて勝てる程、村側に余裕がある訳でも無いしな……。
3301 囚人 要 2018/12/14 10:49:00
やれやれ、村の為にこの猫又の要様が一緒に死んでやるよ。
3302 囚人 要 2018/12/14 10:49:25
本当やれやれだよ。
クリスタめんどくせーな。
3303 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:49:42
>>3224
>>3230
>>3238
>>3241
>>3274
この辺に理由とか纏めてるんで、他になにかあったら起きた時答えます
3304 囚人 要 2018/12/14 10:49:49
自分だけが面倒みたいなツラしてんのが一番めんでえ。
殺​すぞ。
-160 修道女 クリスタ 2018/12/14 10:51:35
ナサニエルレベルでやる事裏目に出た
3305 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:51:42
範男さんは、ログを確認したら、一応歌関連のお話を聞かせて下さいー。確認してくれるのか知らんが。。。
-161 教育学部 伊澄 2018/12/14 10:52:01
こわい…こわいよ…
+284 バニー 結良 2018/12/14 10:53:06
>>+283
デコをペカらせろ
3306 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:53:20
とりあえず、麻耶さん投票は、占って欲しい人の自由意志という事で。
+285 ツンデレ 弥生 2018/12/14 10:55:00
>>+284
私のおでこは常にペカってる
3307 囚人 要 2018/12/14 10:56:17
>この能力は夜コミットに含まれません。使用してもしなくても他がセット完了した時点でスキップされます。

ガチャ回しは歌で妨害されず、ガチャ変身は妨害されると書いてあるんだが、本当に吟遊詩人ならそんな場所に歌う訳無いんだよなあ……。
3308 囚人 要 2018/12/14 10:56:47
村側の変身を意地でも阻止したろ!

とかやる味方の敵、おりゅ??????
3309 囚人 要 2018/12/14 10:56:58
おりゅなら死んでも仕方あるめえ。
*239 ウェイトレス 南 2018/12/14 10:58:27
明日灰被りCOする気満々だったのだが、機を逸した感あるな。
まあ臨機応変ばーむくーへんだ。
3310 囚人 要 2018/12/14 10:58:35
敵に使うべき能力を、味方に使いまくろうとする奴は、よしんば吟遊詩人だったとしても人狼と恋人になってるのでは?
3311 囚人 要 2018/12/14 10:59:07
クリスタを吊る、以外の論理的最適手が何かあるか?
あるなら聞こう。
3312 ニート 欧司 2018/12/14 10:59:28
+1841814 ツンツンデレ 弥生
クリスタはなあ、クリスタはなあ
赤窓で私のおでこを磨いて今日のスロ勝ちますようにとつぶやいていたんだ。許さねえ
3313 囚人 要 2018/12/14 10:59:34
俺はいつだって、最適手が聞けるもんなら聞きたいと思っているね。
不可能じゃない奴で頼むぞ。
+286 バニー 結良 2018/12/14 10:59:56
赤窓組がどうやらろくでもなさそうで何よりだ
でも優奈が入ったりしてまだ邪魔そうなんだよなあ
3314 囚人 要 2018/12/14 11:00:26
>>3312
そいつぁ許せねえな……。
弥生の仇、俺達が取ってやるぜ。
3315 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:01:00
ワロタ
3316 御曹司 満彦 2018/12/14 11:01:16
手品師を騙ってたなんて、アタイ…ゆるせへんっ!!
3317 番長 露瓶 2018/12/14 11:02:31
ここまで読んだ
クリスタに投票するわ草
やっと吊れる!
番長 露瓶 が 修道女 クリスタ に投票しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が 警察官 晋護 に投票しました。
3318 番長 露瓶 2018/12/14 11:03:40
とか言いながらヴィクトリアに投票してみるのがいつもの俺だが、今回は違う
ヴィクトリア最白位置に見てたからな
+287 ニート 欧司 2018/12/14 11:04:05
ヴィクトリアさんに変更してみたけど反応あるかな?
+288 バニー 結良 2018/12/14 11:04:36
生存者からだけかもね
3319 ウェイター 東 2018/12/14 11:06:58
うーむ、クリスタ君は白いと思ったんだが、状況的に村側に見えないな。やたら「めんどくさい」と連発する姿勢も含めクリスタ株絶賛下落中。

そういや、ヴィクトル君の意見に便乗して>>3:146を言ってわいを殺そうと目論んでたし、
あまつなぜか生き汚く摩耶投票する姿勢は止めないし、こいつは生かす価値がないな。
3320 カメラマン つくね 2018/12/14 11:09:42
これた。わろた。
吟遊詩人で範男さんに歌ったなら、範男さんの課金キャンセルされてるんじゃないっすか?
*240 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:12:56
賢者
成人
コンピュータ
手相占
エスパー

なんなん!!
+289 ツンデレ 弥生 2018/12/14 11:13:01
>>+287
エスパー真を確認したいのなら
何回か連続で投票して、その数を確認させるんだ
+290 バニー 結良 2018/12/14 11:13:59
コンピュータもプレッシャー発するのかな
*241 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:14:02
なめやがってえ……。
3321 ウェイター 東 2018/12/14 11:14:50
信頼できるのはやはり比奈と塗絵のコンビよ。

要君は、四天王を信じてやまない村側であり、
そうでなければこんな村は滅べ、
途中であっさり死ぬような黒幕ならば滅べ
といった勢いで突っ走っている印象変わらず。好き放題やって楽しそうではあるが、それでも投票先をきっちり提示するのは村側ゆえか?と思うな。
ま、ここを暴れさせると、通常補足できない人外もキャッチできそうだから、わいは支持しておこう。
+291 ツンデレ 弥生 2018/12/14 11:15:07
あれだ、自我に目覚めたんだよ
3322 囚人 要 2018/12/14 11:17:57
折角猫又なのに、長生きしても「でも要さん恋人の可能性ありますよね?」とか言われて最終的に吊られる未来が見える。
いえ、それで勝てるなら喜んで吊られますけれどね……。
3323 囚人 要 2018/12/14 11:18:07
死は恐れない。
負ける事が恐ろしい。
3324 学生 比奈 2018/12/14 11:19:05
でも要さん恋人の可能性ありますよね?
+292 バニー 結良 2018/12/14 11:21:11
たしかに!
3325 ウェイター 東 2018/12/14 11:22:16
恋対策か。
たいがい矢を撃たれる人物というものは、ガチで考えるなら
人徳と実績がある(ありそうな)人、生存力を期待できる人
が候補となるので、村側的には直吊りしにくい場合がほとんどなんだよな。
なのでそこは人狼に任せるしかないとは思っている。
3326 学生 比奈 2018/12/14 11:25:54
だけど要さん襲撃対策で猫又COしているらしいんですよ。
まったく、困った恋人ですね。
-162 番長 露瓶 2018/12/14 11:29:33
クリスタ黒なら羽風、小百合、真子まで狼見えてくるな
忍はビミョいとこか
そして岬ちゃんクッソ白い
-163 番長 露瓶 2018/12/14 11:31:00
あと星児もビミョーなとこだが白位置になってくるか
-164 番長 露瓶 2018/12/14 11:32:58
問題は俺が人狼猫だった場合だが、これはもう無理だわ
人狼猫だったら勝てん
村側決め打つしかねぇ
-165 番長 露瓶 2018/12/14 11:33:55
塗絵も黒いか
-166 番長 露瓶 2018/12/14 11:35:41
>>3325
俺に人徳と実績は無いんだが
なんで俺に刺したのか
3327 囚人 要 2018/12/14 11:36:33
恋人じゃないんだよなあ……。
3328 囚人 要 2018/12/14 11:37:02
どんな白判定を貰っても最終的に人外ケアで死んで行く未来が見える。
地獄。
3329 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 11:38:47
_______∧,、________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
3330 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 11:39:08
欧司さん、投票しないでください。。
+293 バニー 結良 2018/12/14 11:39:51
コンピュータからもプレッシャーが関知できるとは
自我を持ったというのは本当だったか
3331 囚人 要 2018/12/14 11:40:36
襲撃かも知れんぞ。
3332 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 11:40:39
>>3046へのツッコミってもう出たかな。
3333 囚人 要 2018/12/14 11:41:14
ヴィクトリアが触るな危険過ぎる。
なんだこの強役職。
+294 バニー 結良 2018/12/14 11:41:20
墓では出た
3334 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:42:07
>>3332
ギャンブラー騙りの伏線?ですかね?
エスパー楽しそうだなぁー。
3335 囚人 要 2018/12/14 11:42:15
発言の意味が解らな過ぎて放置している。
何かを騙りたかったのかも知れないし、説明が無ければそのまま人外だろう。
人外じゃなければ自分から説明してくれるだろう、そう思って放置している。
3336 学生 比奈 2018/12/14 11:42:58
自分がセット役職ということだけヴィクトリアさんにアピールするか.....。
3337 囚人 要 2018/12/14 11:43:17
andanteさん、自分が人外で、エスパーが混じってたらどうする?
放置……しか無いような。霊界繋がってなければコミットアンカーで殺​すが。
3338 囚人 要 2018/12/14 11:43:48
>>3336
翌日ヴィクトリアが死体になってたら、疑われるのはお前だがな……。
3339 囚人 要 2018/12/14 11:44:35
村側は、その辺り良く考えろよ。
複数「証明の為にセットしました」

人狼「今ならバレへん! 俺も証明の為って言いながら襲撃セットしたろ!」

こうなるんだからな。
3340 学生 比奈 2018/12/14 11:44:46
霊界繋がってるから大丈夫っしょっしょっ。
3341 囚人 要 2018/12/14 11:44:57
良く、考えろ、よ……。
3342 学生 比奈 2018/12/14 11:45:15
私は全く証明のためではないが。
3343 囚人 要 2018/12/14 11:45:18
>>3340
繋がっていても、複数容疑者がいる時点で駄目だよ。
3344 学生 比奈 2018/12/14 11:45:30
ちなみに今は要さんにセットしている。
3345 囚人 要 2018/12/14 11:45:55
ヴィクトリアの死体と四人の容疑者、ただし村側三人、みたいな状況なら当然襲撃セットするよ。
ローラーする暇無いでしょ?
3346 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:46:06
>>3337
コンピュータ君がいますからね〜。
どうしても殺したければ、仲間一人に霊界告発上等でアンカー襲撃してもらうかな。
それよりは放置選びそうだけど。
3347 学生 比奈 2018/12/14 11:46:08
このままだと今夜襲撃死するのは要さんかもな.....。
3348 囚人 要 2018/12/14 11:46:14
>>3344
そのまま要さんにセットしておけ、村側ならな……。
3349 囚人 要 2018/12/14 11:46:32
>>3347
猫又なんで別にいいぞ。
3350 囚人 要 2018/12/14 11:47:12
死は怖く無い。
負ける事が怖い。
3351 囚人 要 2018/12/14 11:47:44
第一、俺が生きていても俺の推理が当たる保証ってある?
無いよな。

人外と一対一交換なら許容範囲だ。
3352 囚人 要 2018/12/14 11:48:10
自分の命ですらコマに過ぎないのが人狼と言うゲームだ。

故にクリスタは人外やろ……。
+295 バニー 結良 2018/12/14 11:48:18
せやせや
-167 番長 露瓶 2018/12/14 11:48:23
ヴィクトリアに投票してみたい衝動と戦っている
静まれ俺の右手ッ!
3353 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:48:28
ヴィクトリアさんは万が一にでも罠で失いたくないので、警察官さんにでも投票してもらいましょうかね。
3354 囚人 要 2018/12/14 11:48:51
そりゃ、俺だってあわよくば生き残り、生存敗北するとしても四天王で逆転劇はしたいよ。
3355 囚人 要 2018/12/14 11:49:06
>>3353
そうですね。
+296 バニー 結良 2018/12/14 11:49:21
この村では村人一人が人外一人と道連れになれば村が勝つ
そういう風にできている
3356 学生 比奈 2018/12/14 11:49:26
今要さんにセットしているのは、要さんからそういう意思を一瞬感じたからなんだが、仕様上そう上手くはいかないらしい.....。
3357 囚人 要 2018/12/14 11:49:43
でも俺のそんな都合、村側にとっちゃ関係無いだろ?
自陣の勝利を目指すんだよ。
自陣の……。
3358 学生 比奈 2018/12/14 11:49:55
まあただの気のせいかもしれないけど.....。
3359 囚人 要 2018/12/14 11:50:44
何の能力か解らないが、要さんにセットしたいと言うならすればいいんだよ。
それが村側の為だと思えば幾らでもやればいい。
3360 囚人 要 2018/12/14 11:51:40
銀狼ストライクだったとしても、それが村側だと思っての行動なら、受け入れるさ。

霊界で「なんで村側同士争うの! 銀狼バーカ!」って言い争うと思うが。
それはそれ。
これはこれ。
3361 学生 比奈 2018/12/14 11:51:53
私の役職を読んでいて、それであの発言ならすっげーと、思った...。
3362 囚人 要 2018/12/14 11:52:22
お前の事なんか知らねえ!
やりたければやれ!
3363 囚人 要 2018/12/14 11:52:38
俺は勝てればそれでいいんだ。
3364 学生 比奈 2018/12/14 11:54:18
じゃあヴィクトリアさんにセットしよう。
3365 囚人 要 2018/12/14 11:54:43
マジで?
3366 囚人 要 2018/12/14 11:54:53
ヴィクトリアだけはないっしょー。
3367 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:55:11
一応範男さんの見解を待ってるんですが、いつも18時くらいかー。
ぬーん。
3368 学生 比奈 2018/12/14 11:55:11
冗談だよ。
3369 学生 比奈 2018/12/14 11:55:26
しょうみどこだって変わらん.....。
3370 囚人 要 2018/12/14 11:55:53
ヴィクトリアだけは無いっしょーと言う話をあれだけして、するならそれで構わないが。
今後ヴィクトリアになんかする奴は、それが護衛であったとしても吊り対象になっていくとは言っておくぞ。
3371 囚人 要 2018/12/14 11:56:26
投票も護衛も許されない取り扱い危険物、ヴィクトリアだ。
3372 学生 比奈 2018/12/14 11:56:55
要さんのままでいいや。
3373 囚人 要 2018/12/14 11:57:19
襲撃すると霊界で告発される、ヴィクトリアだ。
3374 囚人 要 2018/12/14 11:57:30
うーん、エスパー強くない……?
3375 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 11:58:41
おはよ。
3376 囚人 要 2018/12/14 11:59:00
まあ、最終的にはどんな立場も、「恋人の可能性ありますよね!」で終了する世の中だが。
3377 ウェイトレス 南 2018/12/14 11:59:17
ごっちゃごちゃの闇鍋ならそんな強くないのかもしれないけど、割と普通の進行してるこの村だと超強いなあ。
+297 学生 昌義 2018/12/14 11:59:42
エスパー自体は投票で確認するふりして襲撃しとけば襲撃はできるんだけど墓と繋がったら墓から告発来るからやべーんだな
3378 囚人 要 2018/12/14 12:00:55
最初から政治を強いられてる村と違い、PPチェッカーがあると一応村主導で進行するからな。
3379 学生 比奈 2018/12/14 12:01:10
墓下と繋がってるのも。
3380 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:01:22
発言数ワースト2位。
3381 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:01:41
喋っとかないと……。
+298 バニー 結良 2018/12/14 12:01:45
吊り余裕は甘え
+299 バニー 結良 2018/12/14 12:02:08
発言数稼ぎだ!
3382 囚人 要 2018/12/14 12:02:11
とは言え、俺が人外なら幾らでもやりようを考えるが。
村側なのでそれをわざわざ教えてやることもあるまい……。
3383 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:02:29
仮に18時に範男さんが「そういや歌聞こえたで」とか言い始めても、麻耶さんのこともあるし投票調整がめんどくさいな。。。
何人が対応できるかわからないからなー。
3384 囚人 要 2018/12/14 12:02:34
>>3381
発言稼ぎのコツは、クリックを連打することだよ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+300 ツンデレ 弥生 2018/12/14 12:02:41
長期村なら、時間ギリギリでかつ、エスパーがおねむのときに変更すればばれへんやろ
ただ、コンピュータ様がバラすからなあ
3385 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:02:49
セットされた瞬間に察知と知ってからは楽しくなった。
3386 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:02
3387 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:23
くっ、鳩だと出来ない。
3388 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:23
くっ、鳩だと出来ない。
3389 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:24
くっ、鳩だと出来ない。
3390 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:24
くっ、鳩だと出来ない。
3391 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:25
くっ、鳩だと出来ない。
3392 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:25
くっ、鳩だと出来ない。
3393 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:25
くっ、鳩だと出来ない。
3394 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:03:35
出来た。
3395 囚人 要 2018/12/14 12:03:51
>>3383
仮にあったとしても、セットで人外かも知れないから結局クリスタ吊りだ。
宇宙飛行士 星児 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 宇宙飛行士 星児 のプレッシャーを感知しました。
宇宙飛行士 星児 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 宇宙飛行士 星児 のプレッシャーを感知しました。
宇宙飛行士 星児 が投票を取り消しました。
+301 バニー 結良 2018/12/14 12:04:14
一気にランク外に躍り出た
吊り対象にも入った
3396 学生 比奈 2018/12/14 12:04:33
情報学部は真課金者っぽいけどな。
3397 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:04:42
えっ。星児さん。。。
3398 囚人 要 2018/12/14 12:04:53
俺はそれよりも、誰も「俺が吟遊詩人希望したよ」って奴が出ない方がクリスタが死ぬに足る理由だな、と思っている。
3399 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:04:55
範男、動け!範男、何故動かん!?
みたいなのはクリスタさんが呼びかけるべきじゃないんですかね、真なら。。。
3400 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:05:01
情報学部は普通に課金者でしょう。
宇宙飛行士 星児 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 宇宙飛行士 星児 のプレッシャーを感知しました。
宇宙飛行士 星児 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 宇宙飛行士 星児 のプレッシャーを感知しました。
宇宙飛行士 星児 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 宇宙飛行士 星児 のプレッシャーを感知しました。
宇宙飛行士 星児 が投票を取り消しました。
3401 ニート 欧司 2018/12/14 12:05:27
>>3330
これはニュータイプ!
死者からでも感知できるんですねー。
ちなみに何回投票されましたか?
3402 囚人 要 2018/12/14 12:05:37
>>3399
真じゃないクリスタにそこまで要求するのは……。
3403 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:05:38
セット役職じゃないよ!
3404 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:05:39
何セットしてるんすか。。
3405 学生 比奈 2018/12/14 12:06:05
だから私はクリスタさん真吟遊詩人もそこそこあると思ってる。
3406 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:06:24
エスパーは同村したことなかったから投票で遊んでみた。
3407 学生 比奈 2018/12/14 12:06:25
そこそこな。
3408 囚人 要 2018/12/14 12:06:30
>>3403
ちなみにヴィクトリアにセットした奴は、明日の吊り候補に上がってくるんだ。
人柱どうも。
3409 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:06:34
>>3317>>3318の間に1回。
3410 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:06:35
楽しい。
3411 情報学部 範男 2018/12/14 12:07:00
おはよう
3412 囚人 要 2018/12/14 12:07:08
>>3405
なんだぁ……?
テメーも人外かぁ……?
3413 学生 比奈 2018/12/14 12:07:12
星児さんは要さんの話を何も聞いていなかったらしい。
3414 ニート 欧司 2018/12/14 12:07:43
>>3409
アリガトウ アナタ ハ ガチエスパー デス
3415 囚人 要 2018/12/14 12:07:44
>>3410
愉しさの代償は命。
3416 情報学部 範男 2018/12/14 12:07:53
なんか呼ばれてた気がしたけど気のせいだった
3417 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:07:55
>>3395>>3396の間に2回、
>>3400>>3401の間に3回。
こちらは星児さん。
3418 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:08:00
3419 囚人 要 2018/12/14 12:08:15
これは地雷ですよって教えて、踏む奴は、死にたいってことだろう?
止めはしないよ。
3420 ニート 欧司 2018/12/14 12:08:17
>>3416
なんか変わったことありませんでしたか?
3421 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:08:17
まあ、何とかなるなる。
3422 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:08:32
>>3416
歌聞いたことあります?
3423 学生 比奈 2018/12/14 12:08:41
情報学部早起き有能。
+302 ツンデレ 弥生 2018/12/14 12:08:45
もしかしたら、このねじれ天国をスーパーハッキングしてすべての窓を開いてエスパー騙りしてるかもしれない!
3424 囚人 要 2018/12/14 12:08:49
>>3421
それはどうかな……?
3425 令嬢 御影 2018/12/14 12:09:06
外来真子って人外だと思うんだけどどう思う?
3426 囚人 要 2018/12/14 12:09:25
俺も人外だと思う。
3427 情報学部 範男 2018/12/14 12:09:29
おおおおおおおお!!
歌聴いてる
+303 ニート 欧司 2018/12/14 12:09:30
>>+302
リアルハッカーは対策できない・・・
3428 情報学部 範男 2018/12/14 12:09:48
全く気づかなかった
3429 学生 比奈 2018/12/14 12:09:48
今気付いたのかよ。
3430 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:09:52
今気付くの……。
+304 バニー 結良 2018/12/14 12:09:56
可能性はある
+305 ニート 欧司 2018/12/14 12:09:56
>>3427
うーん、コノ・・・
3431 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:09:58
私を護衛する価値はないが、なにしてるんだ?
3432 囚人 要 2018/12/14 12:09:58
村側主導で進む人数ではあるが、棒を投げれば人外に当たる程度には人外がいっぱいいるからな。
3433 学生 比奈 2018/12/14 12:10:02
歌聴いててもガチャ引けるのか。
3434 令嬢 御影 2018/12/14 12:10:23
>>3432
それな
3435 情報学部 範男 2018/12/14 12:10:26
>>3429
俺はガチャだけ楽しむタイプだから
朝何が起きたかとか気にしないのさ
3436 囚人 要 2018/12/14 12:10:41
>>3431
襲撃だろ。
3437 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:10:48
>>3427
ほんとお?
3438 学生 比奈 2018/12/14 12:11:03
歌程度ではガチャ欲に勝てないということか。
3439 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:11:11
いいなー、課金者。
3440 囚人 要 2018/12/14 12:11:16
>>3437
クリスタの仲間じゃねーの、あいつ。
3441 学生 比奈 2018/12/14 12:11:18
>>3435
なんかかっこいい。
3442 情報学部 範男 2018/12/14 12:11:23
>>3437
嘘つくメリットなくね?
3443 囚人 要 2018/12/14 12:11:35
疑惑は更に深まった。
+306 バニー 結良 2018/12/14 12:12:02
>>3443
わかる
3444 学生 比奈 2018/12/14 12:12:36
そのまま晋護さん吊りでいいんじゃにーの。
3445 囚人 要 2018/12/14 12:12:44
仮に吟遊詩人だとしても、村側への敵対行為を連発する時点で、発狂している可能性が高い。
警察官が設置したのは罠ではなく、発狂だとみてクリスタを吊るべきだ。
+307 ツンデレ 弥生 2018/12/14 12:12:50
二日間も気づかないとか流石にないやろ…
3446 情報学部 範男 2018/12/14 12:12:54
疑惑あるなら聖人に俺占わされていいよ
3447 囚人 要 2018/12/14 12:12:54
どう思う、南。
3448 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:13:09
クリスタさんが吟遊詩人と恋をしている可能性。
+308 バニー 結良 2018/12/14 12:13:14
納得いく説明はなされなかった
クリスタ内閣解散要求
3449 囚人 要 2018/12/14 12:13:33
>>3448
それもあるかー。
3450 情報学部 範男 2018/12/14 12:13:48
そもそもそんなのしなくてもクラスタ占えば解決やんけ
3451 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:13:51
ふーむ。
3452 文学部 麻耶 2018/12/14 12:13:56
独裁者だったら要吊ってた
うるさい
3453 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:14:03
どっかで修道女は恋疑惑否定してたよね。
3454 囚人 要 2018/12/14 12:14:24
罠じゃなくてランダムで発狂させて、あんなん発狂させて良かったのか?
ごめんなさい、ボルガ博士!

コースも割と考えてるんだが。
ああ、ランダムが恋矢もあるか……。
+309 ツンデレ 弥生 2018/12/14 12:14:39
解散できるのは簡単ですよ
でもね、解散してどうするというんですか。なにもならないでしょう
あんたたちね、解散ってのを軽く捉えすぎなんですよ
3455 文学部 麻耶 2018/12/14 12:14:44
>>3448 そうしたらまたヴィクトリアは別の人からプレッシャーを感じることになるけど
3456 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:14:56
>>3157

好き、大好き
一緒に羽風を育てませんか

>>3173

お手柄!?でもサヨナラなのかな
私も一回投票状態変えてみていい?
3457 囚人 要 2018/12/14 12:15:07
>>3452
うるせークリスタに投票しておけ。
3458 学生 比奈 2018/12/14 12:15:12
発狂セットってことは誤爆騙りってことですよね。
クリスタに罠セット騙りの発狂させてるはさすがに意味わからんくない?
3459 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:15:17
見っけ。
>>3:9 >>3:840
3460 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:15:20
>>3456 ダメです。
3461 情報学部 範男 2018/12/14 12:15:25
俺のガチャ日記教えるから
誰か今の状況教えて
3462 文学部 麻耶 2018/12/14 12:15:28
>>3457 誰がてめーの言うことなんざ聞くかボケ
3463 囚人 要 2018/12/14 12:15:32
>>3456
駄目。
3464 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:15:44
>>3450
殺人鬼だったら、1日も早く処理したいからね。
まあ、範男くんが承認するなら、単独人外はないのか。
恋は知らん。
3465 囚人 要 2018/12/14 12:16:28
>>3462
ほう、ではどうすると言うのだね?
3466 学生 比奈 2018/12/14 12:17:04
恋かは分からない上に判別の仕方がないからなあ。困る。
3467 囚人 要 2018/12/14 12:17:09
俺の言う事を聞かないなら、どうする積もりだ文学部ぅ?
3468 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:17:19
また関係ないとこで喧嘩が勃発している。

麻耶さん、占わせ指定はしないことになりましたー。
3469 文学部 麻耶 2018/12/14 12:17:33
>>3465 普通に警官へ投票するけど
3470 囚人 要 2018/12/14 12:17:36
お前の行動を聞かせてみろよぉ。
3471 囚人 要 2018/12/14 12:17:55
>>3469
うるせー! 黙って警察官に投票しとけ!
3472 文学部 麻耶 2018/12/14 12:18:05
>>3468 あーい
寝てる間にいろいろありがとう
3473 学生 比奈 2018/12/14 12:18:19
漫才かよ。
3474 囚人 要 2018/12/14 12:18:24
ふう、俺の命令に従ってくれるなんて、文学部はなんていい人なんだ……俺に白判定もくれたし。
3475 カメラマン つくね 2018/12/14 12:18:48
歌聞いたらガチャはキャンセルされんの?
3476 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:18:54
>>3461
ヴィクトリアがエスパーで、クリスタがヴィクトリアに何かセットしたのがバレた。
吟遊詩人だと言っている。
3477 文学部 麻耶 2018/12/14 12:19:01
自分でも寝過ぎてる自覚ある
3478 囚人 要 2018/12/14 12:19:02
そんないい人の文学部が警察官をそんなにも殺したいと言うなら、仕方無い、殺人鬼恋愛人外のクリスタを放置して警察官に投票するかー。
3479 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:19:09
>>3455 確かにそうなりますね。
星児さんを学者するのがいいのかな。
囚人 要 が 警察官 晋護 に投票しました。
3480 情報学部 範男 2018/12/14 12:19:27
>>3475
されない
3481 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:19:44
>>3475
ガチャは引けるけど引いた役職に変化できないらしい。
3482 文学部 麻耶 2018/12/14 12:19:57
>>3475 キャンセルさせるのは夜明けセットだけだから恒常的にいじれるものは無関係だよ
3483 情報学部 範男 2018/12/14 12:19:59
>>3476
ありがとう
愛してる
3484 学生 比奈 2018/12/14 12:20:06
何気ない星児さんの行動がこんなにも。
3485 文学部 麻耶 2018/12/14 12:20:11
>>3481 えっマジか
3486 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:20:35
クリスタさん恋殺容疑で吊るなら別がいいけども。
3487 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:20:36
:;(∩´﹏`∩);:
3488 囚人 要 2018/12/14 12:20:39
>>3485
変身は夜セット行動、ガチャは無制限行動、そりゃそうよ。
学生 比奈 は 囚人 要 の中身を占います。
3489 情報学部 範男 2018/12/14 12:20:45
>>3481
そうなの?
3490 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:21:05
>>3488
だそうです。
3491 囚人 要 2018/12/14 12:21:12
無敵の手相占い師様が警察官を殺そうって言ってんだぞ?
波に乗れ……!

このビッグウェーブに……!
3492 学生 比奈 2018/12/14 12:21:37
乗るしかないこの。
3493 囚人 要 2018/12/14 12:21:50
いけぇー!
みんなで警察官を処刑だああああ!!!!!!!
3494 情報学部 範男 2018/12/14 12:22:00
うわぁ
告白する人間違えてるし…
3495 囚人 要 2018/12/14 12:22:17
>>3494
……。
3496 文学部 麻耶 2018/12/14 12:22:23
>>3488 なるほど
キャバ嬢 瑠樺 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は キャバ嬢 瑠樺 のプレッシャーを感知しました。
3497 情報学部 範男 2018/12/14 12:22:56
票ないから麻耶に入れとく
3498 情報学部 範男 2018/12/14 12:23:22
あと票なくてもエスパー使えるか調べるからちょっと投票するね
3499 囚人 要 2018/12/14 12:23:24
みんなああああああ!
今日は警察官吊りだあああああ!

文芸部様のお達しだぞぉおおおおお!
みんな続けぇえええ!!!!!!!!!

占われたい奴はこっそり文芸部に投票だああああ!!!!!!!
3500 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:23:25
間違えてるはいいけど、うわあはショックですね。
私が何したん……。
3501 情報学部 範男 2018/12/14 12:23:28
情報学部 範男 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 情報学部 範男 のプレッシャーを感知しました。
3502 情報学部 範男 2018/12/14 12:23:44
情報学部 範男 が 文学部 麻耶 に投票しました。
キャバ嬢 瑠樺 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3503 情報学部 範男 2018/12/14 12:23:56
教育学部 伊澄 が 警察官 晋護 に投票しました。
3504 囚人 要 2018/12/14 12:24:15
なまこは内蔵を吐き出して逃げる。
3505 情報学部 範男 2018/12/14 12:24:37
>>3504
はいここテストに出ます
3506 囚人 要 2018/12/14 12:24:53
生物のテストかあ……。
3507 文学部 麻耶 2018/12/14 12:25:21
ねこかわいい
あと個人的に好きなのはニセクロナマコです
3508 囚人 要 2018/12/14 12:25:33
ちなみにイカがイカスミを吐き出して逃げるのも、なまこが内蔵を吐き出して逃げるのと一緒。
3509 学生 比奈 2018/12/14 12:25:49
告白してないのに振られた的な。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
キャバ嬢 瑠樺 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3510 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:26:34
では、占い希望者以外は警察官さんにー。
キャバ嬢 瑠樺 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は キャバ嬢 瑠樺 のプレッシャーを感知しました。
ウェイトレス 南 が 警察官 晋護 に投票しました。
3511 情報学部 範男 2018/12/14 12:26:49
>>3509
私達は告白してないのに付き合ってるよね?
キャバ嬢 瑠樺 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3512 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:26:54
高度な精神攻撃。
キャバ嬢 瑠樺 が 警察官 晋護 に投票しました。
3513 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:27:35
>>3510
ヽ( ・∀・)ノ
3514 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:27:38
_______∧,、________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄'`'` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
宇宙飛行士 星児 が 警察官 晋護 に投票しました。
3515 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:28:15
>>3460
>>3463

ゴメンナサイ
3516 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:29:22
>>3496>>3497の間に1回、
>>3519>>3511の間に1回、瑠樺さんから。

>>3501>>3502の間に1回、範男さんから。
番長 露瓶 が 警察官 晋護 に投票しました。
3517 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:29:52
もうこれ以上イベントは起きませんかね……?

#今北産業
▼警察官
占い希望者▼麻耶
3518 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:30:02
>>3504
>>3508

要さんは何を吐き出して逃げますか?
暴言ですか?
3519 番長 露瓶 2018/12/14 12:30:37
はいよ、晋護に投票変えた…
偽手品師吊りたかった…
3520 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:31:09
>>3516

2つ目はタイポですね

正解!!!大正解!!!
3521 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:31:19
イベントってわりと集中して起こるし……。
何かまだ出てくるんじゃ……。
3522 情報学部 範男 2018/12/14 12:31:20
>>3516
合ってる
3523 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:32:18
私がこんなに頑張って範男くん呼んだのに、クリスタさんはふて寝してるだけなんですねえ……。
3524 情報学部 範男 2018/12/14 12:33:03
>>3523
ありがとう
好きだよ
3525 学生 比奈 2018/12/14 12:33:06
>>3511
もちろんよ。
宇宙飛行士 星児は遺言を書きなおしました。
「勇者(勇)【村人陣営】
伝説の選ばれし村側役職です。
1日に一度だけ昼夜関係なく伝説の秘技・カッコいいポーズ!!を使用して注目を集められます。
カッコいいポーズ!!は真なる村人陣営の状態でのみ使用できます。サブ役職などで【人外変化】している場合は使用できません。
この能力はコミットに含まれません。使用してもしなくても他がセット完了した時点でスキップされます。

つきん計画フェーズ1000……!

星児」
3526 情報学部 範男 2018/12/14 12:33:26
>>3525
ごめん人違いだった
3527 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:33:39
クリスタ、機嫌直して〜
でてきて〜
3528 学生 比奈 2018/12/14 12:33:44
クリスタさんは5時半まで私を殴ってたから...。
+310 バニー 結良 2018/12/14 12:34:26
クリスタ残すとかマジかよ
3529 文学部 麻耶 2018/12/14 12:34:54
いつまでも眠れる
あかん
3530 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:35:07
クリスタさんは罠疑惑のおかげで恋狙いで襲われることもないでしょうねえ。めんどくさいな……。
-168 番長 露瓶 2018/12/14 12:35:25
>>3409 ……?
まぁヴィクトリア偽だと面白いからスルーしておこう
+311 ツンデレ 弥生 2018/12/14 12:38:23
素で見ると村同士がぺちぺちと殴り合ってるようにしかみえない
+312 アイドル 茜 2018/12/14 12:38:55
昼時間1日越えてるわよねこれ
3531 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:39:09
まあでも、白を消したいタイプの襲撃者がいるなら、範男くんは食べられたりするんですかね?
+313 バニー 結良 2018/12/14 12:39:14
二日くらいたったかな
+314 バニー 結良 2018/12/14 12:39:54
前の更新12日13時だったわ
3532 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:40:43
そういや襲撃3だったね。
+315 ニート 欧司 2018/12/14 12:41:30
新しい青窓フレンズが欲しい。
3533 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:41:53
村の中でくらい恋人になりたかった
3534 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:42:11
狼、一匹、一匹だったら、縄があと4つしかない……?
3535 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:43:01
ピンチ……?
+316 アイドル 茜 2018/12/14 12:43:40
噛まれるの賢者だと思ってたから遺言残してなかったのは本当にミスしたわね...
+317 バニー 結良 2018/12/14 12:44:31
まあ激おこなだけなら別に遺言は関係ないからいいじゃん
+318 ニート 欧司 2018/12/14 12:44:54
>>+316
今からでも遺言預かりますよ?
3536 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:46:41
破綻者(破)(仮称)【人狼陣営】
初日に一人を発狂させる狂人です。
3537 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:46:44
要さん村側でこんなに頑張る人ですか!?
よっぽど面白い村側役職引いたのかな?
3538 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:47:07
殺人鬼は居るらしいですね。希望者によれば。一匹狼はどうなんだろなあ。
3539 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:47:11
最高23人カウント、襲撃役が殺人、殺人、狼だとしても……5縄……。
+319 バニー 結良 2018/12/14 12:47:58
その貴重な縄を狂人に使おうとしてるらしい
3540 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:48:02
要さんは、たとえ素村人でも割と頑張りますよ。
3541 おしゃま 優奈 2018/12/14 12:48:10
エスパー把握
しかしクリスタが本当に吟遊詩人なら確定村側っぽいところじゃなくて襲撃系役職を狙って歌うべきな気がする…
3542 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:48:31
迅狼だといいな……。
+320 バニー 結良 2018/12/14 12:48:44
てかほんとに狂人なのか?
クソッタレな真の方だと思うぞ
3543 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:49:11
>>3536
クリスタさんがそれにかかってる疑惑ですか?
3544 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:50:20
>>3543 晋護さん破綻者、クリスタさん発狂吟遊詩人説。
3545 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:50:46
よもやバニーさんともあろうお方が、自分を襲った者の正体もわからない無能だったとはね……。
+321 バニー 結良 2018/12/14 12:51:04
吟遊詩人なんて嘘だよウソウソ
3546 学生 比奈 2018/12/14 12:51:15
破綻者なら罠騙りクリスタセットが謎。
3547 ウェイトレス 南 2018/12/14 12:51:20
>>3544
なるほどですねえ。
3548 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:51:44
それだと罠誤爆の流れはいらなかったんじゃ。
+322 バニー 結良 2018/12/14 12:51:48
>>3545
犯人は生存者が見つけるべきだが
教えてやるとクリスタ
3549 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:52:28
>>3546 狂人ですからそこは不思議なんですよね。
+323 アイドル 茜 2018/12/14 12:52:55
占い系とかじゃなくて良かったわ
3550 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:53:02
それに発狂してるなら、それこそ賢者とか聖人に唄を歌うべきだったのでは……。
3551 おしゃま 優奈 2018/12/14 12:53:02
まああって小夜啼鳥かなぁ
麻耶とクリスタのどちらかに必ず投票するように指示して
挟み撃ちの形にするという面白い作戦を考えたけど
現実に実行するのは損かな
3552 学生 比奈 2018/12/14 12:53:36
ましてや他の罠系役職も知らないでそれをやるかと言った印象。
3553 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:55:12
小夜啼鳥(啼)【蝙蝠陣営】
あなたはとても素晴らしい声で鳴くナイチンゲール。人としては数えません。
あなたを歌声を聴いた者は聴き惚れて、夜に行おうとしたこともついつい忘れてしまいます。
ただし人狼達の襲撃は集団での行動です。複数いる内の一人の人狼をうっとりさせてもその者の決定がなくなるだけで襲撃が止むことはないでしょう。
そしていくら素晴らしい鳴き声と言っても連日聴かせるのはよくありません。同じ相手に続けて歌うことはできません。
あなたはあくまでも中立なのでその歌声で村人達を支援するのも人外を支援するのも自由です。
村の諍いに巻き込まれずに生き残ることこそ勝利なのです。
3554 学生 比奈 2018/12/14 12:55:13
小夜啼鳥なら別に焦って処理する必要もないと思うんだ。
3555 学生 比奈 2018/12/14 12:55:15
小夜啼鳥なら別に焦って処理する必要もないと思うんだ。
3556 学生 比奈 2018/12/14 12:55:28
連投ごめん。
+324 バニー 結良 2018/12/14 12:57:18
手相占い一人がグチグチ言ったくらいで諦めるとは要さんも大したこと有りませんね
3557 おしゃま 優奈 2018/12/14 12:57:19
>>3554 まあ今のところ吊る位置ではないね
-169 番長 露瓶 2018/12/14 12:57:22
ゲーム終わるタイミングで生存かぁ…
素村の恋陣営2人で生き残れる気がしない
3558 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 12:57:28
いや、でも小夜啼鳥でも情報学部に使うか……?
3559 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 12:57:39
>>3550 歌い先を見るに狼陣営じゃなさそうよねぇ。
3560 学生 比奈 2018/12/14 12:57:59
うーん、クリスタさんが普通に村の詩人だったとしてもそんなに違和感はないけどなあ。
+325 バニー 結良 2018/12/14 12:58:15
違和感しかない
3561 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 12:58:43
>>3560

同感〜
クリスタ出てきて〜
ご機嫌直してくださいな〜
3562 学生 比奈 2018/12/14 12:58:55
村利の歌い先より自分の証明を優先したタイプって感じ。
そこは性格的要素だがクリスタさんはそういう人なのかな?
3563 おしゃま 優奈 2018/12/14 13:00:53
>>3562 遺言あるのに無理に証明する必要もないと思うけど
3564 ウェイトレス 南 2018/12/14 13:01:20
>>3562
納豆野郎ですねえ……。
+326 バニー 結良 2018/12/14 13:01:37
ホンマ納豆ですね
3565 学生 比奈 2018/12/14 13:01:40
ヴィクトリアさんが昨日?今日?結構まとめていたし、たしか数日後に証明したい的なこと言ってたよね。
それならその日までは行動はないと踏んで自己証明のために歌を聞かせた的な。
3566 ウェイトレス 南 2018/12/14 13:02:21
四天王勝利も捨てたくないみたいな事言ってたから、死にたくなかったとかですかね?
3567 ウェイトレス 南 2018/12/14 13:03:34
3568 学生 比奈 2018/12/14 13:03:43
罠ついてると言われていたクリスタさんの遺言が公開されることなんてそうそうないと思う。
危惧するのは吊られる方では。
3569 ウェイトレス 南 2018/12/14 13:04:54
遺言、村利という概念からは遠い所にいる方だと解釈すれば、まあ……。
-170 絵本作家 塗絵 2018/12/14 13:05:39
蝙蝠は殺せ
3570 赤子 羽風 2018/12/14 13:06:59
>>3221は違和感あるけどな

エスパーは何セットされたか分からんからそりゃ今日言うだろ。「お前エスパーかよ運悪かった」とかならまだ分かるが。
3571 文学部 麻耶 2018/12/14 13:06:59
おなかすいた
3572 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:07:19
えっと…結局誰投票したらいいのかな…?
3573 赤子 羽風 2018/12/14 13:08:06
歌聞いた証言はあるから襲撃役職ではないのかもしれんが……
3574 ウェイトレス 南 2018/12/14 13:08:21
>>3572
警察官さん。
3575 文学部 麻耶 2018/12/14 13:08:24
>>3572 警官かわしでごはんください
3576 赤子 羽風 2018/12/14 13:08:41
どっちに投票しようかなぁ
3577 おしゃま 優奈 2018/12/14 13:08:54
>>3568 総統閣下、手品師、ギャンブラーと散々COしといて有用な能力を自己証明のためだけに使うって村役職として割とだめなのでは?
3578 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:09:19
(せいぜい悩むがいい……。)
3579 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:09:40
>>3574 >>3575
了解だよー。ご飯はすぐに用意するね
3580 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:09:57
手品師ってなんだったんだろうね。
3581 学生 比奈 2018/12/14 13:10:12
何が言いたいかというと、クリスタさんはとりあえず放置でいいんじゃないかなーということ。
晋護さんとクリスタさんはどちらも焦って吊る位置ではないと思うが人狼濃厚であるのも人外濃厚であるのも晋護さんのほうだと思うので今日は晋護さん吊りたい。
クリスタさんはとりあえず様子見で。
3582 学生 比奈 2018/12/14 13:10:48
>>3577
ニートだし殴るし納豆だしな。
+327 バニー 結良 2018/12/14 13:10:57
どこをどう見るとあれが人狼濃厚になるんだ
3583 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:11:11
寒いからあったかいお蕎麦といなり寿司2ケに、ほうれん草のピーナッツ和え、あとはデザートにフルーツあんみつはどうかな?
3584 赤子 羽風 2018/12/14 13:11:22
占われて白だよーん溶けてないよーんって言いたい気もするが、麻耶ちゃんが吊られるのは見たくないなぁ
+328 バニー 結良 2018/12/14 13:12:49
このタマキン野郎もやはり人外なのでは
3585 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:13:01
これで一人も文芸部に投票してなかったら笑う。
3586 赤子 羽風 2018/12/14 13:13:37
しかし立候補したらしたで桜!発狂!結果信用できん!とかなりそうだなぁ
3587 赤子 羽風 2018/12/14 13:14:20
しかし発狂してないなら村側であると知らせておくのは悪くないんだよなぁ
3588 赤子 羽風 2018/12/14 13:14:50
優柔不断ばぶー
3589 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:14:58
>>3560 全く同意できない。
クリスタさんが村側吟遊詩人であの歌い先をすると?
3590 文学部 麻耶 2018/12/14 13:15:06
>>3583 いただきまーーーす!
3591 赤子 羽風 2018/12/14 13:15:34
妖魔疑惑あるっぽいし、最低限溶けない証明になるのはいいな。俺麻耶ちゃん投票しよっかな
-171 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:16:07
50“以上”なら文芸部投票。
3592 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:16:29
【6/100】
3593 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:16:31
>>3561もか。
駄目って言ったのにセットするになんなのもう。
3594 赤子 羽風 2018/12/14 13:16:33
18時までにやめろバカって言われなかったら麻耶ちゃんに入れるわ
3595 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:16:51
低っ。
宇宙飛行士 星児 が 警察官 晋護 に投票しました。
-172 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:17:32
ラン神はおっしゃった……警察官を吊れと……!
3596 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:21:06
もう僕麻那さんの専属料理人に就職しようかな
3597 学生 比奈 2018/12/14 13:22:31
>>3589
ヴィクトリアさんへの歌いは>>3565 の自己証明かなあと。
情報学部への歌いは知らないけど、特段狼利ってわけではないというか、その時点で露出してたのって聖人賢者くらいだよねたしか。
その中でそこに歌わずに情報学部を選んだというのは村よりかなあと。
3598 学生 比奈 2018/12/14 13:23:45
専属なら名前くらい覚えてあげてね。
3599 文学部 麻耶 2018/12/14 13:24:01
>>3596 歓迎します
3600 赤子 羽風 2018/12/14 13:24:18
まやちゃんだぞ
3601 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:25:25
本当だ…あれ、ずっと間違えてたかも…!ごめんね…!
3602 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:25:38
3日目って情報学部の課金者が透けた日じゃなかったっけ? と、思ってたら透けたのは4日目だった。
3603 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:25:52
>>3599
わーい!
3604 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:26:24
まなさんって空見してたよ…
3605 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:26:42
発言見てきたが、課金者バレは4日目か。
3606 文学部 麻耶 2018/12/14 13:27:39
そういえば濃グラコロ食べたけど美味しかった
3607 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:28:33
>>3589 下段については撤回しよう。

村側吟遊詩人が>>3046というメリットはなんだろうか。
3608 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:29:02
3日に唄を聞いた人は誰なんだろうか。
3609 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:29:06
グラコロ食べたことない…いいなぁ。朝も昼もまだだし食べ行こうかな
3610 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:29:41
岬さんと言っていたな。
3611 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:30:07
>>3610
ほむ。
3612 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:30:12
歌ってどんなのなんだろう…役職調べてこよ
3613 赤子 羽風 2018/12/14 13:30:40
99人村にもいたんだけどなぁ……
3614 学生 比奈 2018/12/14 13:30:47
>>3607
それは正直わかんない。
ただ村利狼利になるなあという印象はなくてシンプルに意味がわかんない。
3615 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:31:56
怖くてログが見れないから…
3616 学生 比奈 2018/12/14 13:32:01
クリスタさんがすねてる近辺の発言そんな読んでないんだよな。
読んでこよう。
3617 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:32:48
あぁ、歌詞があるわけじゃなくて歌を聴いています。になるんだね
3618 学生 比奈 2018/12/14 13:33:21
麻耶さんが吊られたときの布石か...?
3619 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:34:48
歌姫(歌)【村人陣営】
あなたは歌声で人を魅了する魅惑の歌姫です。
2日目以降あなたは村でコンサートを開くことが出来ます。
コンサートは夜行われるようで、夜あなたにセットして近づいた者は全て歌声を聴くことになるでしょう。
そしてその歌声を聴いた者はどんな相手も魅了して、夜に行おうとしたこともついつい忘れてしまいます。
ただし人狼達の襲撃は集団での行動です。複数いる内の一人の人狼を魅了させてもその者の決定がなくなるだけで襲撃が止むことはありません。襲撃を止めるには人狼全てに歌声を届かせる必要があります。
3620 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:35:08
流石に連日コンサートを開くことは大変なので、続けて開演することはできません。必ず1日は開ける必要があります。
あなたの歌声は時に人狼達の手を止め、時に村人達の手まで止めることになるでしょう。
3621 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:35:55
>>3227 >>3553 >>3619 >>3620
歌を歌える役職
3622 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:36:35
めっちゃいっぱいいる…!!
3623 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 13:37:19
歌姫は受動型だから今回は関係ないけどね。
3624 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:37:35
どの陣営の歌も行動をキャンセルできるのか…
+329 バニー 結良 2018/12/14 13:38:13
比奈はクリスタ吊らせたくないだけだぞコイツ
おしゃま 優奈 が 警察官 晋護 に投票しました。
3625 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:42:36
例えば蝙蝠陣営の歌を歌う役だったら、村に見切りをつけたってことになるのかな…?でもその役職って自分のカウント票が0になるわけじゃないよね?クリスタさんのことがちょっとわからなくなってきた…
3626 教育学部 伊澄 2018/12/14 13:48:33
いや、そもそもヴィクトリアさんが村側って知ってたわけじゃないなら見切りをつけたわけじゃないのか
3627 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:50:50
>>3614 クリスタさんの1票が致命傷になるかはわからんが、摩耶さんが吊られる可能性を上げる行為だろう。
+330 バニー 結良 2018/12/14 13:51:41
クリスタが吟遊詩人なんてあるわけないだろいい加減にしろ
あいつが自分で考えた騙りはギャンブラーまでだ
その次の吟遊詩人は誰かの入れ知恵に決まってんだろ
3628 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:52:04
あと>>3570に同意である。
3629 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 13:55:15
岬さんの3日目第一発言は>>3:4
このタイミングだとシスメ見えそうなものだが。
+331 バニー 結良 2018/12/14 14:04:58
誰かって言うか優奈っぽいけどな
3630 学生 比奈 2018/12/14 14:07:47
そう言われると村としては不可解な発言は多いなあ。
うーん状況や行動は村だけど発言が人外的な?
発言が人外というか、役職と見合ってないというか。
3631 学生 比奈 2018/12/14 14:08:06
岬さんが来たら聞いてみよう。
+332 バニー 結良 2018/12/14 14:09:11
ニートがまあ人外とはいえ
人狼2人吊ってる間に村人4人死んでるんで
マジで警官なんか吊ってる場合ではない
3632 学生 比奈 2018/12/14 14:12:27
情報学部が歌を聞いているから歌う系役職がいるのは確定だとして、
人外パターンを挙げるとするなら
・クリスタさん発狂
・クリスタさん恋化or恋相手が歌う系役職
・クリスタさん情報学部さん両人外で歌う系役職などいない
あたりかな。
3633 学生 比奈 2018/12/14 14:14:44
私は情報学部の中の人は相性悪いというか、人外のときでも普通に村で見てしまうからなんとも言えないけど、情報学部は村だと思うんだよなあ。
だから一番下は除外したいけど、ここは他の人にも判断伺いたい。
-173 番長 露瓶 2018/12/14 14:16:23
これ晋護マジ罠師で煽動者で吹き飛んだら面白いなー
3634 学生 比奈 2018/12/14 14:17:20
クリスタさん発狂なら、晋護さんが破綻者のパターンもあれば晋護さん普通に罠師で他の人が破綻者のパターンもあるか。
晋護さんが破綻者は罠師誤爆騙りがかなり謎なのでこれも排除。
他の人が破綻者なら正直そんなの分からんって感じだけど、クリスタさんが人狼陣営化しているなら賢者か聖人に歌いそうではあるから発狂はあまりないかなあ。
3635 囚人 要 2018/12/14 14:17:58
白出てる猫又が「独裁者だったら貴様を真っ先に殺​す」「こいつはこれぐらいやる桜狼だ……!」と言われてる世の中で、味方の敵ロールをする自称吟遊詩人が吊られ候補から逃れられると思うなよ……。
-174 教育学部 伊澄 2018/12/14 14:18:05
やっばい、全然話がわからない
+333 バニー 結良 2018/12/14 14:19:11
>>3635
もうちょっと頑張れよテメー
3636 学生 比奈 2018/12/14 14:19:41
恋化なら、例えば恋相手が占い避けを必要としない役職つまり村側とか普通の恋役職とかなら、この歌い先でもありえるな。
ただ恋にしては、すねたりして生存欲というか吊られちゃダメだ感があんまりないという気もしなくはない。
恋にしては目立つ発言わりとしてたと思うし。
学生 比奈は遺言を書きなおしました。
「中身占い師。

修道女 クリスタ:一真さん
小学生 朝陽:からけさん」
学生 比奈は遺言を書きなおしました。
「中身占い師。

修道女 クリスタ:一真さん
小学生 朝陽:からけさん」
+334 バニー 結良 2018/12/14 14:21:01
一見囚人はとても頑張っていて
頑張ってないのは手相占いとか罠師とかそっちの奴らなんだが
出来ないヤツにやれって言う残酷なことは私には出来ない
+335 バニー 結良 2018/12/14 14:21:30
囚人がもっと頑張るしかない
3637 学生 比奈 2018/12/14 14:21:35
小夜啼鳥はわりとある、というかかなりあると思う。
3638 学生 比奈 2018/12/14 14:22:05
純粋な村詩人、小夜啼鳥、恋化詩人のどれかかな。
3639 文学部 麻耶 2018/12/14 14:22:13
お徳用ベーコンうまい
+336 バニー 結良 2018/12/14 14:22:13
>>3637
蝙蝠じゃねーか
はよ殺せ
喜び勇んで殺せ
3640 文学部 麻耶 2018/12/14 14:23:04
>>3637 蝙蝠の小夜啼鳥なら>>3636 で言及してる「吊られちゃダメだ感がない」っていうのと矛盾しない?
3641 囚人 要 2018/12/14 14:23:08
>>3639
ああん?
貴様、ベーコンの焼き加減はしっとり派か?
カリカリ派か?
3642 囚人 要 2018/12/14 14:23:23
それとも加熱済みだからって生で食べる派かぁ?
3643 囚人 要 2018/12/14 14:24:21
>>3640
仲間に迷惑を掛けるから吊られては駄目と思う人間と想定しているのだろう
自分一人で勝敗が完結する奴は勝手に死んでいいや、と言う考え
3644 学生 比奈 2018/12/14 14:25:20
あーそれ、要さんの言う通りです。
3645 学生 比奈 2018/12/14 14:26:16
道連れで共に敗北する仲間を持っているようには見えないって感じ。
3646 学生 比奈 2018/12/14 14:26:42
カリカリに決まっとるだろうが!
3647 囚人 要 2018/12/14 14:26:45
俺は料理によって全部使い分ける欲張り派だ。
お湯で洗ってゆで卵・キャベツと混ぜてパンに挟むと超美味いし、しっとり焼いたものを七味醤油で頂くのも酒に良く合う。
ハムエッグにするならカリカリベーコンと半熟卵のハーモニーが素晴らしいね。
3648 囚人 要 2018/12/14 14:27:09
>>3646
カリカリも美味しいよな、うん。
3649 学生 比奈 2018/12/14 14:27:14
というか要さんいつのまに500発言もしてたんだよ.....。
+337 バニー 結良 2018/12/14 14:27:21
料理などしない派だ
3650 囚人 要 2018/12/14 14:28:09
この村は発言数が少ないから500発言に抑えてるんだぞ。

毎日1000発言出来る村がコミットされた時は一日2000発言ぐらいしたこともある。
3651 学生 比奈 2018/12/14 14:28:29
ベーコンなんてしばらく食べてないなあ。
+338 バニー 結良 2018/12/14 14:28:53
※そんな村はありません
3652 囚人 要 2018/12/14 14:28:57
一日3発言で三日乗り切る事もある。
第三回99人村参照。
+339 バニー 結良 2018/12/14 14:29:26
メガネっ娘じゃん
3653 囚人 要 2018/12/14 14:29:26
勝つ為には何でもやるぜぇ……。
+340 バニー 結良 2018/12/14 14:29:42
>>3653
勝てましたか?
3654 文学部 麻耶 2018/12/14 14:29:50
>>3641 生で食った
3655 囚人 要 2018/12/14 14:30:31
>>3654
生も美味いよな〜。>>3647で言ったように、俺は生ならパンに挟んだりして喰ってるな〜。
3656 学生 比奈 2018/12/14 14:31:42
序盤発言少なくて忙しいのかなとか思ってたけど、なるほど。
3657 文学部 麻耶 2018/12/14 14:31:52
>>3655 もともとバターロールに挟んでレンチンしようかと思って買ってきたけど、生でもそもそ食べるのもなかなか美味しい
3658 学生 比奈 2018/12/14 14:32:37
麻耶さんと要さん、合うのか合わないのか分からんな...。
3659 囚人 要 2018/12/14 14:36:12
>>3657
ハイボールと共にむしゃむしゃ生ベーコンを食ってる動画を投稿している奴も居たな。
ベーコンは生(加熱調理済みと書いてある)でも美味い。
3660 囚人 要 2018/12/14 14:37:04
>>3658
俺は自分を殺しに来た相手とだって、笑いながら酒を飲む自信があるぜぇー?
そして翌日には何事も無かったかのように殺される。
+341 学生 昌義 2018/12/14 14:37:52
死んじゃうのか…
+342 バニー 結良 2018/12/14 14:38:00
竹島で酒を酌み交わせ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3661 学生 比奈 2018/12/14 14:39:22
殺されとる...。
+343 バニー 結良 2018/12/14 14:39:25
白判定もらった猫又COなら長く生きてられるでしょ
+344 バニー 結良 2018/12/14 14:39:45
聖人に調べられるかもしれんが
3662 文学部 麻耶 2018/12/14 14:40:26
わたしはうるさいのがやーなだけよ
ベーコン食べながらハイボール飲んでるだけの動画とかシュールだな……
+345 バニー 結良 2018/12/14 14:42:15
騒げ騒げ
3663 囚人 要 2018/12/14 14:42:55
シュールな動画だけど、カルト的な人気があり、結構面白いんだこれが。
https://www.nicovideo.jp...
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3664 囚人 要 2018/12/14 14:44:21
アル中豆知識:ウィルキンソン炭酸は日本の炭酸。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3665 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 14:49:53
要さんの玉子焼きは味がしないらしいですよ。
たべてみたいですね。
3666 文学部 麻耶 2018/12/14 14:51:46
俺は6分間何を見ていたんだ……
3667 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 14:55:41
クリスタさんの3日目の発言に「岬」という単語はない。
3668 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 14:58:39
誤読してた。>>3230
岬さんは2日目のではなくて、今日の最初のセットか。
+346 学生 昌義 2018/12/14 14:59:01
人狼ゲームの発言だけで原稿何ページ分もできないわ……羨ましい
3669 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 15:00:50
まぁ、護衛履歴出さない狩人もいるしな。
3670 文学部 麻耶 2018/12/14 15:01:07
うちの猫(黒い方)がわしのこと大好きなのめっちゃ伝わってきてものすごく可愛い
三毛の方は三毛の方でまた別ベクトルで可愛い
3671 ニート 欧司 2018/12/14 15:04:44
#コンピュータ通信
4日目長い長い午後の部

生命維持装置→弥生さん(元四天王)人狼

情報学部範男さん「課金者CO」
御曹司満彦さん「票数不確定役職」
お忍び ヴィクトリアさん「エスパー」(チェック済み)
クリスタさん「セット役職」

とりあえず警察官さんに投票。
警察官は狼ではない可能性が高いためあんま余裕ないぞ(by青窓連合)
-175 番長 露瓶 2018/12/14 15:09:19
しかし恋窓、返事すらないのは何なんだろう
よく分からん人だなー
3672 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:10:29
確かに警察官は狼ではなさそうだけど、他に吊り場所が……。
3673 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:12:37
あと狼4……うーむ……。
-176 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:14:27
思った。
-177 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:16:36
村側全員で投票しても16票。
村でも投票しない人はいる。エスパーとか聖人とか。
ならば今のうちに白貰っといたほうがいいのでは……?
-178 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:16:59
いや、でも真証明出来るし……。
-179 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:17:09
うーん。
3674 ファン 紅 2018/12/14 15:17:51
ログ長すぎなんじゃないですかねえ…。
3675 ニート 欧司 2018/12/14 15:24:46
#コンピュータ通信
4日目長い長い午後の部

村人CO
外来 真子さん>>2264
番長 露瓶さん>>2135
教育学部 伊澄さん
夢遊病者、忌み子、不審者、亡者、覚醒者、人狼猫、ナイトメア、申し子、適格者、特異点とかかも?

★ブラックジョークまとめ
うちの息子も1年生。さっそく、学校で「初テスト」を受けてきたらしい。

問「おさかなは1ぴき2ひき、とりは1わ2わと数えます。ではウマは?」

答「1ちゃく2ちゃく」

回答用紙を見ながら涙が出た。
-180 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:25:33
村役17人
文芸部、情報学部、宇宙飛行士、赤子、ニット帽、小学生、おしゃま、ファン、学生、修道女、お忍び、カメラマン(12)
人外10
アイドル、警察官(2)
不明
看護師、悪戯好き、ウェイター、ウェイトレス、外来、囚人、絵本作家、番長、研修医、教育学部、御曹司、キャバ嬢、令嬢(13)
3676 ニート 欧司 2018/12/14 15:26:20
言うほどブラックジョークかこれ?
-181 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 15:27:45
村人coは本人たちも分かってないし、修道女は蝙蝠の可能性がある。
3677 文学部 麻耶 2018/12/14 15:27:49
なんだブラックジョークまとめって
+347 バニー 結良 2018/12/14 15:28:47
ワハハ
3678 ニート 欧司 2018/12/14 15:30:11
>>3677
>>2645 準拠。
+348 バニー 結良 2018/12/14 15:36:58
1000%ヴィクトリアが歌聞くことはねぇんだからクリスタ生かしておくだけ無駄なんだよな
3679 警察官 晋護 2018/12/14 15:38:18
その青窓連合に今にも招かれそうである。
3680 文学部 麻耶 2018/12/14 15:38:33
なるほど
3681 ニート 欧司 2018/12/14 15:40:19
範夫(0票)



満彦
瑠偉
比奈

は手相に入れてるぞ

ダーヴィド
クリスタ
朝陽


の投票はバラけてるぞ
23:30時点バニーさん集計
3682 ニート 欧司 2018/12/14 15:41:25
>>3679
青窓連合の見解
「襲撃役職がバリバリ大鉈を振るっている状況で
罠使い終わった絞りカスみたいなやつを悠長に吊ってる場合ではない」
3683 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 15:42:23
光さんは晋護さん投票に変えてたよ。
3684 学生 比奈 2018/12/14 15:43:09
私はずっと赤ちゃんに入れててさっき晋護に変えたとこだけどな。
3685 学生 比奈 2018/12/14 15:43:24
>>3684
また敬称抜けた晋護さん。
3686 ニート 欧司 2018/12/14 15:43:51
>>3683
23:30時点でのあれこれです。
私は変更を追ってなくてですね・・・
すみません。
3687 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 15:44:40
あ、いや、責めてるわけじゃないのです。
いつも助かってます。
3688 学生 比奈 2018/12/14 15:45:51
じゃあバニーさんの集計通り手相に入れさせてもらおう。ぬるま湯サイコー。
3689 警察官 晋護 2018/12/14 15:49:12
>>3686
絞りカス。。。
まあその通りなのですが。。。
3690 ニート 欧司 2018/12/14 15:53:15
個人的には村人表記の方々は突っ込んでくるかと。
なので、他で3人くらいで6票
吊る側に22票なら安全圏かと。

手相占いを能動的に選択できるのは最大5人までですかねー。
下手して吊られると一番不味いので安全圏でやりたい。
+349 バニー 結良 2018/12/14 15:54:49
吊る側に22票集まるわけないじゃん
クリスタも手相に参戦してるしな
3691 ニート 欧司 2018/12/14 15:54:51
>>3689
現在、素狂人レベルの脅威度なので・・・
3692 文学部 麻耶 2018/12/14 15:55:03
襲撃役職はどうせ互いに足引っ掛けあって転ぶやろって思ってるとこある
3陣営いたとして、みんな脅威なわけだからね
+350 バニー 結良 2018/12/14 15:56:23
一番脅威なのは村側に決まってるだろなに甘いこといってんだ
3693 文学部 麻耶 2018/12/14 15:56:33
その前に黒幕どうにかしてほしいもんだが
今から死ににいく以上、四天王の便乗勝利もできないしねぇ
-182 教育学部 伊澄 2018/12/14 15:56:42
えっ、本当に麻耶さんに投票したほうがいいの?やんないよ?
+351 バニー 結良 2018/12/14 15:56:49
足引っ張りあうのは村の勝ちが無くなった後だ
3694 小学生 朝陽 2018/12/14 15:57:38
弥生のおかげで俺の非狼は透けてると思うが占い希望多いみたいだし白判定もらっておくのはいいかもしれない
小学生 朝陽 が 文学部 麻耶 に投票しました。
3695 警察官 晋護 2018/12/14 15:57:52
>>3691
喜ぶべきなのか
悲しむべきなのか...
+352 ニート 欧司 2018/12/14 15:58:35
>>+349
吊り先に15票入ればいけるの前提で、村人以外に13人突っ込みますかね?浮動票は手相占いにいくとしても22人の中に7人外いなければセーフかと。
3696 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 15:59:09
ギャンブラーCOしてる人からセットされたら。
襲撃役職か〜と思ってCOする。
そこで>>3221と言われてもなぁ。
+353 バニー 結良 2018/12/14 16:00:00
確かに15絶対に確保できれば間違いないな
どいつもこいつもクソ信用ならないのが揃ってるが
3697 ニート 欧司 2018/12/14 16:00:26
99人村とちがってチェッカーオンなので、基本的に人外はまず村を潰しに来るのでは?
99人村における狼陣営ポジションは村だと思ったのですが?
3698 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:00:56
クリスタさん吊ったら、比奈さんが後追いするやろ。
くらいの気持ちなんだけども。
+354 バニー 結良 2018/12/14 16:01:44
>>3698
間違いないぞ
3699 警察官 晋護 2018/12/14 16:02:09
黒幕が勝つ可能性があるから
生存欲が多少あるのです。
生きていたら1/4の可能性で勝てる。
魔女を盗まれて天文学的な確率の
龍玉勝利のチップを捨てない私だからこそ
その生存欲があるのです。
+355 ニート 欧司 2018/12/14 16:02:27
22人中7人(窓系人外+フリーダム村側)か・・・
うーむ。
3700 警察官 晋護 2018/12/14 16:03:07
あ、99人村のはなしです。
-183 教育学部 伊澄 2018/12/14 16:03:56
今の四天王って赤ちゃんとウエイトレスさんとクリスタさんと小学生さんとおしゃまさんと警察官さんかぁ…結構いるなぁ
+356 バニー 結良 2018/12/14 16:04:18
さすがにここまで投票済みになっちまうともう晋護は手遅れである
+357 バニー 結良 2018/12/14 16:05:09
晋護を今さら守って全力手相ってことも無いだろうから
一応晋護に合わせるならまず安全圏な票数ではある
3701 学生 比奈 2018/12/14 16:06:25
あ、そういう話でしたらどうぞクリスタさん吊ってください。
別にそこまでして生かしたいわけではないです。
+358 バニー 結良 2018/12/14 16:06:28
問題は吊って明日ってなったときに
割と手遅れ臭いっていうか
そこからクリスタ吊って本当に間に合うの?っていう気持ちがあ?
3702 学生 比奈 2018/12/14 16:07:06
というかそう見られてるなら自分は手相投票しないほうが良さそうですね。
3703 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:07:13
襲撃役職が多く縄が厳しいので、狂人が私にセットしてきた可能性があるのかなぁ。
-184 教育学部 伊澄 2018/12/14 16:07:14
僕合わせて7人
そのほかの人が6人の13人以下の状態になったらCOするのはアリかもだけど、説得できる気がしないなぁ。
27>25>23>21>19>17>15>13>
8吊りを耐えられるとは思わないし…やっぱり黒幕ってやな役職だなぁ
+359 バニー 結良 2018/12/14 16:07:46
>>3703
あるわけねーだろ
3704 学生 比奈 2018/12/14 16:08:58
晋護さんに入れておこうっと。
教育学部 伊澄 が 警察官 晋護 に投票しました。
-185 教育学部 伊澄 2018/12/14 16:09:15
黒幕(幕)【黒幕陣営】
それも私だ。
全ての騒動の黒幕です。村に黒幕がいる場合、開始時に黒幕が存在するとの全体公開メッセージが表示されます。黒幕が全滅した時にも全体公開メッセージが表示されます。
黒幕生存時は陣営、勝利条件関わらず黒幕以外の全役職が強制敗北します。
黒幕が複数存在している場合生存している黒幕のみ勝利になります。
以下黒幕生存が勝利条件になってしまった時の例外時の処理。(初日の黒幕選択時点で勝利できなくなってしまう役職救済のため)
・【黒幕】が恋人/絆相手の場合後追いしません。
・【黒幕】の従者は黒幕死亡が勝利条件です。
・【黒幕】を眷属/悪霊に選んだ冒涜者/崇拝者は自分が悪霊になります(自覚無し)。
開始時に4分の1の数を四天王にします。4人でなくても四天王です。
四天王は陣営は変わっていませんが黒幕勝利時に一緒に勝利になります。自覚はしていません。1度でも死亡すると四天王ではなくなります。
あやしいので占いと霊能ともに人狼と判定されます。
-186 教育学部 伊澄 2018/12/14 16:10:26
それも私だ!
3705 赤子 羽風 2018/12/14 16:10:55
さむさむ
-187 教育学部 伊澄 2018/12/14 16:11:05
てか、警察の人吊られるし…
3706 赤子 羽風 2018/12/14 16:12:36
比奈ちゃんからのプレッシャーが消えたらしい
3707 赤子 羽風 2018/12/14 16:12:49
俺はエスパーじゃないから分からん
3708 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:14:14
消えたのはエスパーもわからない。
3709 赤子 羽風 2018/12/14 16:15:18
なるほど。

これ以降ヴィクトリアにセットしたやつはネタだと言い張っても襲撃だと思っておこう。
3710 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:16:32
警告を知りつつセットしたのは星児さんと瑠樺さん。
+360 バニー 結良 2018/12/14 16:17:05
どっちもクソ怪しい
3711 赤子 羽風 2018/12/14 16:17:22
ママ……
-188 教育学部 伊澄 2018/12/14 16:18:25
もっと黒幕っぽい人が黒幕をやればいいと思うんだよ
3712 赤子 羽風 2018/12/14 16:18:28
ちなみに……これまでセットされたことは一度もなかった?
3713 小学生 朝陽 2018/12/14 16:19:10
あったら言ってるのでは?
3714 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:19:27
なかった。
明日か明後日に襲撃セットされると予想してた。
3715 赤子 羽風 2018/12/14 16:19:52
>>3713
念のためね。

どうせ人外変化してたら嘘かもしれんが
3716 赤子 羽風 2018/12/14 16:20:08
>>3714
了解っす
3717 赤子 羽風 2018/12/14 16:20:35
かっこいいなぁエスパー
3718 赤子 羽風 2018/12/14 16:20:54
俺も大きくなったらなれるかな
3719 ニート 欧司 2018/12/14 16:22:09
>>3709
ネタと言い張るニート。
3720 赤子 羽風 2018/12/14 16:22:47
>>3719
ニートはまぁ、襲えないからいいよ
3721 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:22:51
今のところ陣営変化してない。
こればかりは姿勢を見てもらうしかないんかねぇ。
3722 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:23:30
>>3718 いい子にしてれば、きっとね。
3723 ニート 欧司 2018/12/14 16:23:39
晋護さん吊って明日ってなったときに
割と手遅れ臭いっていうか
そこからクリスタ吊って本当に間に合うの?っていう気持ちがあ?
By バニーさん
3724 赤子 羽風 2018/12/14 16:23:56
>>3721
そうだなぁ
3725 赤子 羽風 2018/12/14 16:25:00
でもクリスタ狼じゃないっぽい?歌聞いたのは本当なんじゃろ?
3726 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:25:02
クリスタさん吊りでまとまれそうと思ってたんだが、なぜか晋護さん吊りになってたんだよな。。
3727 赤子 羽風 2018/12/14 16:25:19
岬たん待ちか
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
3728 学生 比奈 2018/12/14 16:25:53
晋護さんとクリスタさんで比較してクリスタさんを吊りたいと思った理由がわからない。、
3729 赤子 羽風 2018/12/14 16:26:05
この村そんな余裕ないの?
3730 ニート 欧司 2018/12/14 16:26:21
青窓的には晋護さんはもう手遅れかと。
明日以降頑張るしか・・・
3731 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:26:27
>>3725 >>3632以降が参考になるかもしれない。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
+361 ニート 欧司 2018/12/14 16:27:19
5963って割と多いな・・・
3732 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:27:47
>>3727 いや、岬さんは今日の最初のセットっぽい。
私が誤読していた。
2日目の歌い先は名言していない。
3733 赤子 羽風 2018/12/14 16:27:50
クリスタ自身が歌えなくてもいい説か
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
3734 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:28:20
ちょっと欧司さん。。。
ニート 欧司 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は ニート 欧司 のプレッシャーを感知しました。
3735 赤子 羽風 2018/12/14 16:28:23
>>3732
それは……クリスタ吊る?
3736 ニート 欧司 2018/12/14 16:28:39
ごめんなさい!
ポケベル送ってた・・・
3737 赤子 羽風 2018/12/14 16:28:54
おい、ニート暇だからってエスパーで遊ぶなよ〜〜
3738 ニート 欧司 2018/12/14 16:29:39
送る数字をもうちょいで少なくするべきだった・・・
+362 バニー 結良 2018/12/14 16:29:58
歌とか嘘に決まってんだろ
3739 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:30:04
>>3728 >>3696と考えたが。おかしいかな。。
ニート 欧司 が 警察官 晋護 に投票しました。
3740 赤子 羽風 2018/12/14 16:30:43
ポケベルのサービス、唯一やってた企業が来年の9月で終了することに決めたらしいな
3741 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:30:58
あんまりふざけられると別の人が混ざってないかの確認がめんどいのである。
3742 ニート 欧司 2018/12/14 16:31:44
>>3740
え、もう、ポケベル通じなくなる・・・いろんな意味で?
てか、まだあったのか・・・
3743 ニート 欧司 2018/12/14 16:32:03
>>3741
すみません。
3744 赤子 羽風 2018/12/14 16:32:22
>>3742
色んな意味で衝撃だよな〜
3745 ニート 欧司 2018/12/14 16:32:54
(この赤子何歳なんだ?)
3746 赤子 羽風 2018/12/14 16:33:48
俺か?1年は経ってないと思うが
3747 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:34:08
しかし、敵性なら荒らすことで私のリソースを容易に削れるし、村の味方かもしれない。
3748 ニート 欧司 2018/12/14 16:34:19
>>3746
そ、そうか・・・
3749 ニート 欧司 2018/12/14 16:36:06
そろそろ更新が来ないと、コンピュータも更新されない・・・
バニー様発言BOTとしてはな・・・
3750 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:36:07
欧司さんは人の心を捨ててなさそうだし、弱いか。
3751 赤子 羽風 2018/12/14 16:36:43
警察官吊るなら、吟遊詩人には襲撃止めてみてほしいなぁ
3752 ニート 欧司 2018/12/14 16:36:44
>>3747
親愛なる友人ですよ?
3753 赤子 羽風 2018/12/14 16:37:54
アルファコンプレックス化の計画とかしてそう
3754 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:38:07
>>3752 実は頼りにしている。
-189 ニート 欧司 2018/12/14 16:38:17
自分のログも読み難くなる事に今気がついた・・・
3755 赤子 羽風 2018/12/14 16:40:29
そろそろ投票するか
3756 カメラマン つくね 2018/12/14 16:40:33
>>3689 >>3695 あれ、晋護さん人外COしてたっすか?
赤子 羽風 が 文学部 麻耶 に投票しました。
3757 ニート 欧司 2018/12/14 16:40:41
>>3753
やってみたいとは思っています。
3758 カメラマン つくね 2018/12/14 16:40:59
課金者まわりの仕様把握したっす。さんくす。
3759 赤子 羽風 2018/12/14 16:41:42
>>3757
俺はウルトラバイオレット様にしておいてくれ
3760 ニート 欧司 2018/12/14 16:41:51
>>3754
墓下連合の意見は頼りになるはずです。
生命維持装置続さんが生きているのかは気になりますが・・・
3761 ウェイター 東 2018/12/14 16:42:04
>>3681
わいは現状晋護君投票のままやで。
クソ役職なので救済して欲しいが、この世には遥かに不幸な星のもとに産まれた人たちもいると思われるので、まとめに任せて席を譲っているよ。
3762 学生 比奈 2018/12/14 16:42:28
んーと、ヴィクトリアさんはクリスタさんのことを、
恋陣営かつ本人は襲撃役職(狼?)で恋仲間に詩人がいて、クリスタさんの恋相方を私だと思っているのかな?
3763 赤子 羽風 2018/12/14 16:43:46
>>3762
極端だなぁ。色んな可能性考えてるだけに見えるけど
3764 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:44:15
恋殺クリスタさん、恋吟遊詩人比奈さんに見えてた。
3765 学生 比奈 2018/12/14 16:44:33
そのわりにベイビーの>>3725 に対しては私の意見?の>>3731を参考に出してくれているが、私はここにはクリスタさんが襲撃役職であるような予想は記していないんだが。
3766 赤子 羽風 2018/12/14 16:44:44
>>3764
ほぇ〜〜
3767 ウェイター 東 2018/12/14 16:44:57
特に村人ひいて対抗もでている人たちを見れば....うん、
日本に産まれて良かったと思うな。

こいつらは不満や不安はないのだろうか
3768 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:45:17
あの怪しいクリスタさんを庇うのって恋相方か、と。
3769 学生 比奈 2018/12/14 16:45:33
極端とかそういうことではなくて、普通にヴィクトリアさんが何目的で、クリスタさんの中身を何と見て吊りたいと思っているか聞きたいだけだよ。
3770 ニート 欧司 2018/12/14 16:46:04
歌われていて気がつかない?
クリスタさんがもっとヤバそうな人に歌っていない?
ヴィクトリアさんにセット?

この辺りが私の疑惑ポイントですかねー。
3771 赤子 羽風 2018/12/14 16:46:07
恋ねぇ
3772 赤子 羽風 2018/12/14 16:46:30
せやな
+363 バニー 結良 2018/12/14 16:46:49
あのタイミングで証明のつもりでヴィクトリアにセット決めましたとか絶対ないやつやん
3773 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:47:21
殺人鬼か鬼かはよく分からない。
3774 赤子 羽風 2018/12/14 16:47:32
鬼?
3775 ニート 欧司 2018/12/14 16:47:35
>>3767
不満があるので手相占い師に頼るのでは?
後、手品師騙りに殺意・・・・
3776 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:47:46
鬼しゃなくて狼。
3777 学生 比奈 2018/12/14 16:49:12
うーん私のニュアンスが伝わってないのかなあ。
私は別にクリスタさんを村置きしたわけでも村認定したわけでもなくて、晋護さんと比較したら晋護さんの方が人外っぽいっていうか、クリスタさん人外であるなら恋(と小夜啼鳥)って思ってるから、恋として吊るには情報不足感が否めない。だから晋護さん吊りがいいって言っているんだが.....。
恋と見て吊るなら別にそれはそれで構わないんだが。
3778 赤子 羽風 2018/12/14 16:49:46
初日にどこに歌ったか言わないのはなんでなんだ
3779 ウェイター 東 2018/12/14 16:49:59
クリスタ君は禁則事項ですので、恋かどうかはその時分かるだろ。
3780 学生 比奈 2018/12/14 16:50:11
普通に私はクリスタさん恋説は提唱してたのにその相方位置が私になるのか...。
3781 カメラマン つくね 2018/12/14 16:50:52
んー、現状もろもろ俺の中では平行線すなあ。
というわけでもういいや更新させよう。
晋護さんに投票するっす。
カメラマン つくね が 警察官 晋護 に投票しました。
+364 バニー 結良 2018/12/14 16:51:24
生かそうという意思しか見えないね
3782 カメラマン つくね 2018/12/14 16:51:40
クリスタさん最初はどこ歌ったっすか?
3783 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:51:47
しばらくおいとこう、がメッセージだと感じていた。
+365 バニー 結良 2018/12/14 16:52:05
歌った先がないからさ
3784 赤子 羽風 2018/12/14 16:52:09
これで警察官のセットの話が罠じゃなくて求愛とかだったら笑える……がその場合セット先は適当でいいな
3785 文学部 麻耶 2018/12/14 16:52:11
>>3778 そもそも初日は初日限定アクションの関係で歌えないんじゃなかったか
3786 ウェイター 東 2018/12/14 16:52:24
>>3780
ヴィクトリア君はクリスタ君の不穏な動きを察知した張本人だけに、警戒心が敏感になってるんじゃねーかな。
3787 文学部 麻耶 2018/12/14 16:52:25
忘れられがちだけどまだ4日目
3788 カメラマン つくね 2018/12/14 16:52:32
本音だとクリスタさん投票したいので、もっとアラが出てくれば吊れるのでアラがほしい
3789 赤子 羽風 2018/12/14 16:53:30
>>3785
そなの?
3790 カメラマン つくね 2018/12/14 16:54:00
吟遊詩人(詩)【村人陣営】
二日目以降、歌を歌って選択対象の夜行動をキャンセルさせます。
相手は歌を聴いて夜に何も行わなかったことになります。
人狼が相手の場合1人の時のみキャンセルされます。2人以上の時には効果がありません。(歌った人狼のセットのみキャンセルされます)
前日に歌った相手に対して連続して歌うことが出来ません。
3791 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:54:24
晋護さんのほうがより人外くさいというが狂人だろうと考察していたのは比奈さんだろう。

吟遊詩人と繋がってそうな恋襲撃に見えるクリスタさんを後回しにするのが疑問だったよ。
3792 文学部 麻耶 2018/12/14 16:54:30
>>3789 たとえば求愛キャンセルされた求愛者とか勝てへんやん
3793 赤子 羽風 2018/12/14 16:54:36
踊りは踊れるから歌も行けると思ってたが、設定によるのか?
3794 カメラマン つくね 2018/12/14 16:54:39
二日目以降
+366 バニー 結良 2018/12/14 16:55:15
3795 学生 比奈 2018/12/14 16:55:20
アラがほしいっていう言葉はいいな。使わせて頂きたい。
狼があるのも妖魔があるのも狂人があるのもクリスタさんより晋護さんだと思うんだよ。クリスタさんは恋じゃなければ村だと思ってる。
人外の可能性が高いのも晋護さんだと思ってるんだよ。
だからクリスタさんは今日吊らずにアラを探して晋護さん吊ろうぜって言ってるんだ。
+367 バニー 結良 2018/12/14 16:55:31
アベルが歌ってるぞ
3796 絵本作家 塗絵 2018/12/14 16:56:10
まあ騙っていて非人外とは…あまり…
3797 情報学部 範男 2018/12/14 16:56:46
今北産業
3798 情報学部 範男 2018/12/14 16:56:57
はやくガチャ引かせて
3799 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 16:57:31
私は襲撃役職を狙いたい。
比奈さんは役職問わずより人外濃厚なところを吊りたい。
の違いなのではないかな。
3800 絵本作家 塗絵 2018/12/14 16:57:31
晋護さん人外はそうだろうねえ。
個人的に狡狼は薄いと思ってるから、非狼とは思うが。
3801 赤子 羽風 2018/12/14 16:57:38
待つ時間が長いほどいい役引けると信じよう
@6 turugi 2018/12/14 16:58:18
PPチェッカーつけると、人外が人の振りに気を抜けないせいか、さらにガチよりになっている感じはありますね。
+368 バニー 結良 2018/12/14 16:58:26
あのクリスタが村役なんて可能性1%だってあるわけねーだろ
3802 学生 比奈 2018/12/14 16:58:32
だからね、"吟遊詩人と繋がってそうな恋襲撃に見える"のはヴィクトリアさんから見てでしょう?
私は発言はちょっと意味わからんけど行動においては真詩人と思ってるんだ。なら人外なら?恋かなあ程度なんだよ。
それを庇っているように見えると言われればそれまでだが。
+369 バニー 結良 2018/12/14 16:59:49
吟遊詩人を隠したかった←wwwwwwwwwwww!?!?!!???
3803 学生 比奈 2018/12/14 17:00:06
そもそも私はクリスタさんを襲撃役職だと見ていない。恋だとしても詩人は真に見える。その違いかな。
3804 ウェイター 東 2018/12/14 17:00:09
三日目の比奈君発言を抽出しただけで、彼女のクリスタ愛がすげー事は分かる。恋人同士なら、人目を幅からず大声で痴話喧嘩して、ちゅっちゅするアレなcoupleだね。
+370 バニー 結良 2018/12/14 17:00:11
あるわけねーだろ!!!
3805 学生 比奈 2018/12/14 17:00:35
恥ずかしいからやめろや!
+371 学生 昌義 2018/12/14 17:00:48
あー分かるかも
発言は意味わからんし村ならクソムーブだけど村っぽい
3806 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:00:55
そこが違うのだろうね。
3807 絵本作家 塗絵 2018/12/14 17:02:04
クリスター比奈はまあある選択肢か

3808 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:02:46
比奈さんはギャンブラーを騙る吟遊詩人だと信じているが、私は信じていないんだ。
+372 バニー 結良 2018/12/14 17:02:46
露骨すぎて却って刺しづらい
3809 ニート 欧司 2018/12/14 17:03:02
枢機卿 アベル は 雇われ村長 ほわいと のために歌を歌っています。
が99人村3日目にあるので歌える
By バニーさん
3810 学生 比奈 2018/12/14 17:03:09
さらにぶっちゃけると晋護さんとクリスタさん以外に吊りたいとこなんて村人さんかな〜くらいにしか思ってないからクリスタさん吊るなら吊るで構わないんだけどな。
どうせ詩人真でもめっちゃ生きてるのが重要ってわけでもないし自分の推理に自信あるわけでもないし。
+373 バニー 結良 2018/12/14 17:03:40
じゃあ吊れよ
3811 学生 比奈 2018/12/14 17:04:06
あとそこ恋読みされるなら私はクリスタさん吊ってくださいに動くぞ。
クリスタさんなんかと恋なんか言語道断ですよもうまったく。
+374 バニー 結良 2018/12/14 17:04:09
警官こそ明日でいいだろ
3812 学生 比奈 2018/12/14 17:05:01
クリスタさんなんかどう考えても早死しそうなタイプじゃん。
+375 バニー 結良 2018/12/14 17:05:17
実際に動いてから言え
3813 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:05:44
摩耶さんに誰が投票すべきかあれだけ話し合っておいて、村側吟遊詩人がギャンブラーを騙ってゼロ票だから投票するわと言うとは思えない。
3814 絵本作家 塗絵 2018/12/14 17:06:06
いや…別に早死にはしなさそうに見えたが。
3815 ウェイター 東 2018/12/14 17:06:11
>>3807
あるのか。
人狼の世界での恋って、どちらかといえば背徳的で不倫関係のような秘密愛だと思ってたのだが。
3816 カメラマン つくね 2018/12/14 17:06:15
三日目朝に歌が聞いた人おらん?
3817 学生 比奈 2018/12/14 17:06:22
いやまあたしかにそれは意味わからんのよな。
発言はちょっと意味わからんとこが多い。
+376 バニー 結良 2018/12/14 17:07:04
行動も一切意味わからんが
3818 カメラマン つくね 2018/12/14 17:07:22
>>3809 墓には歌聞いた人いないっすかね?
+377 バニー 結良 2018/12/14 17:07:47
そんなやつはいねえ
3819 学生 比奈 2018/12/14 17:07:57
もし比奈-クリスタだったならすねて寝てしまった夫のために頑張る嫁という素晴らしい構図だな。
現実は非情だが。
3820 カメラマン つくね 2018/12/14 17:08:02
躍りと同じ設計なら、占いとかと同じようにできるはずなんで、三日目朝歌えるっすよ
3821 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:08:06
自分たちで選ぶかというとあからさまなのでキューピーがいるのではないかな。
カメラマン つくね が投票を取り消しました。
3822 絵本作家 塗絵 2018/12/14 17:08:16
ぼくが一番吊りたくなるのって
猫又系を騙る連中だよ

絶対襲撃されないし
-190 ニート 欧司 2018/12/14 17:08:54
ここは守れないなぁ。
後、決死のヴィクトリアさん襲撃とかあったら守るべきかなぁ。
出来ればそこで信用稼ぎたいんですけど・・・
手相占い師で一気に詰められたりしたらそこで反逆しますが・・・
3823 カメラマン つくね 2018/12/14 17:08:55
三日目朝歌聞いた人確認せんと気がすまんので、投票キャンセル
-191 バニー 結良 2018/12/14 17:09:00
まあ正確にはダミーありのせいで歌えない踊れないはあり得るけど
反応みたいので黙ってよ
3824 ニート 欧司 2018/12/14 17:09:18
>>3818
いない。
3825 赤子 羽風 2018/12/14 17:09:23
にゃーん
3826 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:09:37
聞いていないよ。
3827 ウェイター 東 2018/12/14 17:09:38
>>3819
くっそワロタ。何気に比奈君の評価が高いな。
3828 学生 比奈 2018/12/14 17:10:11
まあ昨日言ったようにヴィクトリアさんは村で見ているのでクリスタさん吊るというのなら普通にのみますよ。
クリスタの屍を越えていけ。
3829 赤子 羽風 2018/12/14 17:10:13
目を大きく開けて見てきたけど歌なかったわ
*242 外来 真子 2018/12/14 17:10:35
こんばんはログ進みすぎぃ!

とりあえず流れ見てきますねー。
3830 赤子 羽風 2018/12/14 17:10:43
<●><●>くわっ
3831 学生 比奈 2018/12/14 17:11:05
クリスタさん吊りになるなら私は手相に入れてぬるま湯に浸かりますけどね。
+378 学生 昌義 2018/12/14 17:11:11
今日歌聞いてたわ
3832 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:11:15
摩耶さん、クリスタ吊りに変えたいんですが。
3833 ニート 欧司 2018/12/14 17:11:20
チェックしてないなと思いましたが、とっくの昔に死んでた・・・
3834 カメラマン つくね 2018/12/14 17:11:25
俺もなかったっす
3835 情報学部 範男 2018/12/14 17:11:32
99人村はダミー無しだから初日歌えてもおかしくない
今回はダミー有りだから歌えなくてもおかしくない
つまり分からん
3836 学生 比奈 2018/12/14 17:12:12
ていうかクリスタさん詩人なら初日に私に歌聞かせてない時点で偽じゃね?
青!青!青!青!青!
クリティカルー!
勝者!チャレンジャー!!
3837 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:12:51
しかし、票揃うかな。。。
+379 学生 昌義 2018/12/14 17:12:53
ダミーなしの場合初日護衛有りなら初日歌うたいありかも知れん
ダミーありは歌歌えへん
3838 情報学部 範男 2018/12/14 17:13:09
>>3831
なんか自分は吊られなくて安心みたいに思ってる人吊りたい


私?私は吊られないから大丈夫
3839 学生 比奈 2018/12/14 17:13:18
このクリスタさんとかいう人いきなり中身もわからない私を通訳で共鳴会話に連れてきたやつだぞ...?
3840 カメラマン つくね 2018/12/14 17:13:59
クリスタさんができなかったというなら検証するしかないっすかね。
過去村の探し方がわからん
3841 情報学部 範男 2018/12/14 17:14:21
作ればいい
3842 学生 比奈 2018/12/14 17:14:24
まあ更新は明日の朝7時なんだから1回くらいは見に来てくれるはず.....。
3843 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:16:19
バタバタすると摩耶さんが危険なので、摩耶さんの判断を待ってから変更したい。
3844 学生 比奈 2018/12/14 17:17:02
私は最初のセットはクリスタさんにしたって言うのにな...。
やってらんねえぜまったく。
+380 バニー 結良 2018/12/14 17:17:16
あいつが承諾するわけねーだろ
3845 ニート 欧司 2018/12/14 17:17:20
元学生 昌義さん
ダミーなしの場合初日護衛有りなら初日歌うたいありかも知れん
ダミーありは歌歌えへん
3846 カメラマン つくね 2018/12/14 17:17:22
あ、初日護衛可能、初日占い可能ってボックスがあるので襲撃と占いは特別なんすかね、ダミーがいるとき。
3847 学生 比奈 2018/12/14 17:18:13
昌義、惜しい人材を失ったな。
3848 ウェイター 東 2018/12/14 17:18:14
せやね、朝には最低1回はチェックするようにするので、まとめよろしくな。
3849 絵本作家 塗絵 2018/12/14 17:18:17
歌うって実質護衛?
3850 カメラマン つくね 2018/12/14 17:19:08
ん、これダメっぽいっすね。
そして範男さんの反応的にほんとに歌確認できてそーに見えるっす。
*243 外来 真子 2018/12/14 17:22:45
勝手に議論がすごい方向に行っている。
なんでこうなった?感がすごい。

軽く読んだ感じでは投票は警察官さんかクリスタさん。でもまだ決まってない。みたいな。
お忍び ヴィクトリアは遺言を書きなおしました。
「エスパー(E)【村人陣営】
自分に投票、もしくは能力をセットされた瞬間に感知できる。
ヴィクトリア」
3851 学生 比奈 2018/12/14 17:23:54
麻耶さんが例えば1時とかそこらへんに来たら変えるのキツそうね。
カメラマン つくね が 警察官 晋護 に投票しました。
3852 学生 比奈 2018/12/14 17:24:57
30分前にいたのか。
ウェイトレス 南 は 文学部 麻耶 を襲撃します。
3853 情報学部 範男 2018/12/14 17:26:28
誰吊られてもいいけど
私のガチャだけは邪魔しないで
*244 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:26:37
吟遊詩人が夜行動キャンセルだというなら、一応私も麻耶襲撃押しておくか。
3854 カメラマン つくね 2018/12/14 17:26:42
とりあえず晋護さんに戻し
3855 囚人 要 2018/12/14 17:26:50
>>3723
間に合わねえよ?

間に合わねーけど、文学部がゴネるしなあ。
3856 囚人 要 2018/12/14 17:28:18
文学部か俺か、どちらかが折れなければまとまらん状況になった上に、文学部がああではなあ。
俺は音速のクリスタ吊りが正着だと思うが、出来る範囲で勝てるようなコースを取らなければならない。
3857 囚人 要 2018/12/14 17:28:52
>>3726
文学部がゴネたからな〜。
3858 囚人 要 2018/12/14 17:30:51
>>@6
いつでも本気を出せ。
3859 囚人 要 2018/12/14 17:31:27
>>3808
俺も一切信じてないからはよクリスタ殺​してえ。
でも文学部がゴネるからな〜
3860 囚人 要 2018/12/14 17:31:59
あれだけクリスタを吊って良い100の理由を並べてまだ文学部がゴネるなら、仕方ねぇから文学部に譲ってやっかな〜
3861 外来 真子 2018/12/14 17:34:01
こんばんは

・クリスタさん
手品師→ギャンブラー→吟遊詩人
範男さん歌聞いた確認>>3427

・ヴィクトリアさん
エスパーCO、何人かにセットされてるけどふざけてる人もいる。

大きいのはこんなものですかね?
投票は警察官さんでいいのかな。
流れ見るにもうただの村人感覚で生きていくでいい、かな。
なんかデメリットの可能性高そうですし。
+381 バニー 結良 2018/12/14 17:34:15
文学部一人ワガママ言ったっていいわ
クリスタにまとめておけ
*245 外来 真子 2018/12/14 17:35:22
一応様子見にしてますねー。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
3862 囚人 要 2018/12/14 17:38:41
村陣営としては、クリスタを吊って今日はヴィクトリアの命を確実に救いに行くべきである!
3863 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:39:00
小百合さん、今日飲み会だっけか。
3864 囚人 要 2018/12/14 17:39:06
他の窓の連中が歌っていた、も普通にあり得るのである!
3865 囚人 要 2018/12/14 17:39:44
が、文芸部があそこでゴネだしたんだから仕方あるめえ
この村は文芸部の判断で大ピンチに陥りました、で進めて行くしか無いだろうよ
3866 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 17:40:22
喋るセンサー面白かったです。
3867 囚人 要 2018/12/14 17:40:36
文芸部は人外かも知れない!
と言う路線で無理矢理クリスタ吊りに持っていってもいーが、そのラインって手相占いにで五人・六人同時に白にする計画も使えないんでちょっと厳しくね?
+382 バニー 結良 2018/12/14 17:41:02
文芸部が責任とるわけねーだろ
*246 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:41:14
本決定クリスタ吊りは、罠が怖いので私達の有利には働かない。
かなりの連中が麻耶投票に逃げるだろうしな。
3868 囚人 要 2018/12/14 17:41:17
結局な〜、文芸部の心証を多少取っておいて、気持ちよく働いて貰うことが勝利への一歩ではあるんだよな〜
3869 囚人 要 2018/12/14 17:41:57
だからあれだけ言って「うるせー警察官吊る」と言われてしまったのでは、100の論理も1の感情には勝てず、感情を殺して勝利の為のマシーンとなれる要が引き下がるしかない
*247 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:42:02
今日じゃなければクリスタに投票してもいいんだがな、
今日は被弾率がなー。
3870 囚人 要 2018/12/14 17:42:12
が、どう考えてもクリスタ吊りだよ、論理的にはね……
3871 囚人 要 2018/12/14 17:43:07
第二回99人村で、sazanami博士の学者COに騙されていた連中には解らないかも知れないが、自信満々=真であるとは限らない、結果は仲間のコピーで構わない

そしてクリスタは、余りにも他の窓が見えている発言をし過ぎたので、確実に何らかの窓を持っている
3872 囚人 要 2018/12/14 17:43:18
クリスタは、確実に窓持ちの人外だ!
3873 囚人 要 2018/12/14 17:43:34
が、まあ、文学部がああ言うんじゃな〜
しっかたねーよな〜
+383 バニー 結良 2018/12/14 17:43:57
占いの指定も責任嫌がって逃げるやつが吊りの責任とる道理がねえ
3874 外来 真子 2018/12/14 17:44:30
クリスタさん吊りに関しては、吊るなら狙いは第3陣営になりますよね。
範男さんは課金者で追認があるなら役職自体は吟遊詩人なのではと。
吟遊詩人でない場合は範男さんとリスタさんが何かしらでつながっている、
それだと恋、になるんですかね。妖魔、狼ではないかなと。
+384 バニー 結良 2018/12/14 17:45:32
人のせいにしてないでさっさと要かヴィクトリアでまとめろ
*248 外来 真子 2018/12/14 17:45:42
どうなるんでしょうね、今晋護さんにセットしている人も多いとは思うんですが。
3875 囚人 要 2018/12/14 17:46:29
恋窓が5、6連合ぐらい出来てて、その知識をちょっとずつかいつまんでいるような知的さを感じるね、クリスタには
3876 囚人 要 2018/12/14 17:47:45
でも文学部がゴネっからな〜
3877 学生 比奈 2018/12/14 17:50:09
要さんと麻耶さんのラップバトルで決着を付けよう。
*249 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:50:57
まあ静観だな。
麻耶投票者を増やしたくない。
=3 ウェイター 東 2018/12/14 17:51:01
村人co者が複数出てあたりがキツそうなので、この状況の村人なら摩耶投票すべきと暗に促してみた。
どう動くかは任せるよ
*250 研修医 忍 2018/12/14 17:52:13
凄いことになってる。罠発動で私被弾も念頭に置くともう一人襲撃は良案だと思う。
3878 情報学部 範男 2018/12/14 17:52:29
クリスタが私に歌歌った理由が確か怪しかった的な感じだったから
私的にはクリスタ吊ってもええよ
ただしガチャを引かせてくれ
*251 外来 真子 2018/12/14 17:52:38
はいー、どっちになるかおろおろしておきます。
=4 ウェイター 東 2018/12/14 17:52:40
実際、番長は村人だしなぁ。被害者やで。
*252 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:54:55
本決定の時間が遅れれば、すみませんあのあと寝てしまい、警察官に投票したままでした、が通るからなー。
=5 ウェイター 東 2018/12/14 17:56:03
既に手相占い希望しているが、再度話題にするのも吉かもしれない。
3879 外来 真子 2018/12/14 17:56:25
見直したら歌うたえるの小夜啼鳥もいるのか。まぁ村か第三かの違い?

結局どっちが良いですかね。
単純な人外という意味では晋護さん吊り、
恋なども見据えるならクリスタさん吊り、
といった感触ですね自分は…。
*253 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:56:55
私みたいにしょっちゅう覗いてる奴には、通らないが。
その時は私はお祈りだなあ。
それよりも麻耶投票者が増える副作用の方が嫌なんだよ。
外来 真子 が 警察官 晋護 に投票しました。
*254 ウェイトレス 南 2018/12/14 17:57:59
なんなんだよ手相占い師ってよ!!
ウェイター 東 が 修道女 クリスタ に投票しました。
*255 外来 真子 2018/12/14 17:59:34
何人も確白量産はたまったもんじゃないですからね…。

票集まり過ぎて吊られて結果出ねーぞ!になるほどはさすがにいかないでしょうしねぇ。

この村役職が極端。
3880 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:02:13
蝙蝠は殺せ

COしない蝙蝠だけが良い蝙蝠だよ
3881 囚人 要 2018/12/14 18:02:31
俺はクリスタが襲撃をヴィクトリアにセットしていて
歌えるのは他の仲間のアドバイスであり
このままではヴィクトリアが死ぬ、と言う想定をしている

その危機感を文学部が理解せずに警察官吊りするってーんなら、まあ、仕方無いだろうよ
危険度は散々語ったからな
3882 囚人 要 2018/12/14 18:02:57
さようなら、ヴィクトリア
文学部に殺されたようなものだが、元気でね……
3883 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:04:15
要さんもお元気で。
3884 囚人 要 2018/12/14 18:05:50
俺も死んでるかも知れん
3885 囚人 要 2018/12/14 18:06:02
まあ下で仲良くやろうや、ガハハ
-192 研修医 忍 2018/12/14 18:06:14
凄いイベントラッシュ!
エスパーすごい。歌われたというのは本当なんだろう。
村には見えない。
クリスタ吊りの方が良さげ?
決定出るまで投票は変えないでおくけど緊急オペが入ってしまったので遅くなる。
3886 囚人 要 2018/12/14 18:07:01
村人主導の開始ではあったが、石を投げれば人外に当たる村だと言う事をお忘れなく……
3887 囚人 要 2018/12/14 18:07:27
だからクリスタは素早く殺​すべきだったんだ……
3888 研修医 忍 2018/12/14 18:07:28
凄いイベントラッシュ!
エスパーすごい。歌われたというのは本当なんだろう。
村には見えない。
クリスタ吊りの方が良さげ?
決定出るまで投票は変えないでおくけど緊急オペが入ってしまったのでいつ帰りかわからん。
3889 囚人 要 2018/12/14 18:07:38
と言う説明は既に何十回もしたね?
3890 囚人 要 2018/12/14 18:08:06
でも、文学部が警察官吊りたいって深く考えず言いやがったからな〜
3891 囚人 要 2018/12/14 18:08:24
あいつは余りログを読みたくなかったらしい
だから要うるさいの一言で終了よ
3892 囚人 要 2018/12/14 18:08:39
ログを読んで無い文学部についてくよりゃあ、俺について来た方が勝てるぜ?
3893 囚人 要 2018/12/14 18:08:57
とは言え、俺は文学部とも仲良くすることが勝利へ近付くことだと思っている
3894 囚人 要 2018/12/14 18:09:10
両立出来なかったんじゃ、どっちかを捨てるしかねーよなあ〜
3895 囚人 要 2018/12/14 18:09:22
何事も思い通りと言う訳には行くまい
-193 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:11:41
護衛されてる可能性はあるんかな。
+385 バニー 結良 2018/12/14 18:12:05
占いできるだけの置物と考えれば上等だろ
そのうち壊れる使い捨てだ
3896 学生 比奈 2018/12/14 18:12:18
要!うるさい!
3897 学生 比奈 2018/12/14 18:12:32
死なないで要!
3898 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:12:55
ログをアツくした要因のひとつは私なので。
自業自得と言われても仕方ありません。
3899 囚人 要 2018/12/14 18:13:43
俺を生かして帰す積もりが無い奴等が多いのでその内には死ぬ
猫又だからシーソーゲームの最中には死なないだろうが
一度天秤が傾いたらおしまいだな
3900 学生 比奈 2018/12/14 18:13:52
それは、私も、ごめん。
3901 囚人 要 2018/12/14 18:14:34
俺は!
クリスタを!
一日でも早く!
殺したかった……
+386 バニー 結良 2018/12/14 18:15:09
どうせオメーらクリスタ吊りのがして負けたらクソ後悔するんだから強引に吊れ
3902 囚人 要 2018/12/14 18:15:30
でも、村建なんてのは我が強い奴がやる行為なんだよ
後出し村を容赦無く押しつけるような人間と正面からぶつかって、村全体に得があるか?
雰囲気が最悪になるだけじゃねーの?

そして俺は諦めた
3903 囚人 要 2018/12/14 18:16:06
先の事が見えすぎるが故に、諦めも切り替えも早いのが俺の特徴だ
3904 囚人 要 2018/12/14 18:16:52
ちなみにこうぐちぐち言ってるのは、俺の口からではなく周囲の同調圧力として「ねえ、クリスタ吊らない……?」みたいに言えば文学部は必ず折れるので貴様等が同調圧力掛けていけやと暗に言っている(明に今言った)
3905 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:16:58
これも巡り合わせでしょう。
3906 囚人 要 2018/12/14 18:17:26
あいつは6人ぐらいの同調圧力で必ず折れる、頑張れ
その同調圧力には俺が居ない方がいいんだ、あいつの性格上な
3907 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:18:04
私は入ってて大丈夫でしょうか。
3908 囚人 要 2018/12/14 18:18:04
ま、別に警察官吊りが絶対に取ってはいけない悪手って訳でもねぇさ……あいつも殺​すリスト上位だ、間違いねえ
3909 囚人 要 2018/12/14 18:18:19
>>3907
大丈夫だ
同調圧力していけ
3910 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:19:11
摩耶さん、私、クリスタさんを吊りたいです。
もう少し、生きていたいんです。
3911 囚人 要 2018/12/14 18:19:11
警察官吊りも、間違いでは無いんだ……間違いではな

最も正解に近い道でも無いだけだ
最も正解に近い道を歩けば余力が増えるが、間違ってないだけの選択肢ではいつかそのまま奈落に落ちることもある

今回はさて……どうなるかな
3912 赤子 羽風 2018/12/14 18:20:15
俺は麻耶ちゃんに入れてるが協力が必要になったら呼んでくれ
学生 比奈は遺言を書きなおしました。
「中身占い師。

修道女 クリスタ:一真さん
小学生 朝陽:からけさん」
3913 学生 比奈 2018/12/14 18:20:49
同調圧力がんばれー。
3914 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:22:05
ギャンブラーを騙る吟遊詩人なんていないと。
そう思うんです。
3915 ニット帽 光 2018/12/14 18:22:12
バイトのシフトを一日見間違えてた(´・ω・`)
3916 赤子 羽風 2018/12/14 18:23:05
(´・ω・`)
3917 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:23:20
晋護さんも村側には見えないのはわかります。
でも、私にはクリスタさんが襲撃役職に見えるんです。
*256 ウェイトレス 南 2018/12/14 18:24:09
>>3912
こういうのも居るんだなぁ。
3918 ニット帽 光 2018/12/14 18:24:12
まあ「昨日出勤日だった」よりは「明日が出勤日だった」の方が迷惑はかからないからよし(ポジティブ
3919 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:24:34
ひとつ思ったんだが、

聖人●クリスタ
  ▼警官

などどうだろう?
聖人はあって発狂だ。
恋窓に都合が良い判定は出さない筈だ。
+387 バニー 結良 2018/12/14 18:25:16
>>3919
逆にしろ
3920 赤子 羽風 2018/12/14 18:25:38
>>3919
それで吟遊詩人と出たら放置か?
3921 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:25:49
クリスタさん吊りに賛同していただけませんでしょうか。
3922 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:27:03
そんなもったいないことせんと吊ろうよ。
3923 学生 比奈 2018/12/14 18:28:40
塗絵は人外なので塗絵の言うことは聞かない。
3924 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:29:36
>>3920
ヴィクトリアの「襲撃役職」懸念に関しては有効だし、恋窓あるなら今回アイドルな気もしてるのよな。

アイドルジョロウグモなら本体を叩かなければ不味いだろうし…
*257 ウェイトレス 南 2018/12/14 18:35:20
クリスタが吊りで消えてくれること自体は望ましいんだがなー。
罠と、手相占いがなー。
思い通りには行かないものだ。
3925 赤子 羽風 2018/12/14 18:36:00
>>3924
でも明日ヴィクトリアが死んでたら聖人の占い結果なくてもクリスタ吊るでしょ
3926 赤子 羽風 2018/12/14 18:36:19
ヴィクトリアが生きてれば歌確認できるし……
3927 赤子 羽風 2018/12/14 18:37:48
いや歌はもう変えたのかな
3928 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:38:44
そうだな。聖人の占先にする必要は無いか。

3929 ニート 欧司 2018/12/14 18:41:55
+3849 バニー 結良
>>3919
逆にしろ
3930 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:43:46
カズマーン恨まれすぎでは

カズマーンまじで何やったの???
+388 バニー 結良 2018/12/14 18:46:16
クソ怪しい吟遊詩人COをしてるだろ
3931 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:46:18
まあ、ギャンブルにド嵌りしてたらそうもなるか…
3932 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:46:29
カズマーン…
3933 絵本作家 塗絵 2018/12/14 18:48:19
あいつは、やっぱり…
3934 赤子 羽風 2018/12/14 18:49:15
>>3929
逆は逆で、聖人●警察官は村人判定しか出ない気がする
3935 赤子 羽風 2018/12/14 18:50:37
じゃ、クリスタに入れとくわ
赤子 羽風 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3936 赤子 羽風 2018/12/14 18:51:38
これでヴィクトリアが罠踏んだら笑う
3937 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:51:50
羽風さん、ありがとう。
でも、摩耶さんから指示があればまた変えてくださいね。
3938 赤子 羽風 2018/12/14 18:52:27
>>3937
いいよ。1時くらいまでは起きてると思う
3939 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:53:28
捨て票できるほど変えてもらえるかわからないしね。。
3940 ニート 欧司 2018/12/14 18:53:45
一応いたらセット変えますが、クリスタさんを吊るなら今ここで宣言しない事には間に合わないと・・・
すでに間に合わないような気もしますが・・・
3941 赤子 羽風 2018/12/14 18:55:07
頑張れば間に合うよ。俺前の村で22時から変えたもん
3942 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 18:55:25
独断じゃなくて、摩耶さんと相談の上で吊りたいというのはワガママでしょうか。。
3943 赤子 羽風 2018/12/14 18:55:57
>>3942
それは間に合わないかもなー
+389 バニー 結良 2018/12/14 18:56:51
>>3942
ガタガタいうやつはシカトしろ
+390 バニー 結良 2018/12/14 18:57:30
あいつは責任持ちたくないんだよ
決めたからって言えば大丈夫だ
+391 バニー 結良 2018/12/14 18:58:28
あと一応占いできる置物だからあいつがクリスタに投票しないのは問題ない
それ以外で票を合わせろ
3944 ウェイター 東 2018/12/14 18:59:02
票が散ると、摩耶君が吊られる率が上がるというか、摩耶投票できる人の数を減らさざるを得ないんだがな。
何やってんの
3945 ウェイトレス 南 2018/12/14 18:59:15
取り急ぎ鳩から。
流れは把握しました。ただ、赤ちゃんみたいな方もいれば、
>>3831 こういう方も居ますからねー。
罠疑惑があるので気持ちは分かりますが、比奈さんのように思ってる方がいらっしゃっても、明言はしないで頂きたいですー。
理由は朝ごろ私が言ってたリスト化の懸念うんたん。
3946 赤子 羽風 2018/12/14 19:01:11
クリスタに揃えればええやん?
3947 ウェイター 東 2018/12/14 19:02:26
同調圧力がんばれーは同意だが、現時点で投票変更はお奨めはしない。
3948 赤子 羽風 2018/12/14 19:03:26
クリスタが本当に村側で吟遊詩人なら不貞腐れてる場合じゃないでしょ。その点警察官は、中身はめちゃくちゃだが頑張って灰雑してたぞ
3949 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:04:45
皆さん、常に村を覗けるわけではないのに、負担をかけて申し訳ないのですが。

クリスタさん吊りもしたい、手相占いの結果も欲しい、もし対応できそうなら協力をして欲しい、と思っています。
3950 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:05:15
今変えて欲しいわけではないのです。
3951 赤子 羽風 2018/12/14 19:05:57
あの占い結果シカトした灰雑、占い結果には興味ないんやろなって思ったけど個々を見ようとしてたっぽいとは感じたし、疑われたから黙るよりはいいと思う
3952 囚人 要 2018/12/14 19:06:14
やっぱクリスタ吊りだよな!
俺猫又だけど罠を恐れずにクリスタに投票するわ!
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3953 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:06:27
クリスタさん吊りになるようなら、酷いようですが、村人COの方たちには全員協力して欲しいです。本当に、酷いですが。
こんな提案をした時点で、協力してもらえなくなっても仕方ないレベルですが、露瓶さんとか割としてくれそうな善意につけ込んでいます。土下座役は要さんに任せるとしましょう。
私は、まだしばらく覗くだけになってしまうかもしれませんが、対応可能です。
3954 囚人 要 2018/12/14 19:07:09
うおおおお!
みんな、今日はクリスタを吊るぞおおおお!!!!!
ヴィクトリアの命を守れーっっっ!!!!!!
3955 絵本作家 塗絵 2018/12/14 19:07:30
ああ、猫又なんだが

猫又が罠で死んだあと連鎖はしないよ
3956 囚人 要 2018/12/14 19:08:10
クリスタ吊りの雰囲気整ったな?
と思ったら音速で切り替えて行く男。

別に文芸部がゴネてもクリスタが吊られるだけの票が集まればいいんだよ。
それで解決だ。
さあ警察官、本当に村側の罠師なら一緒にクリスタに投票しよう!

これでクリスタに投票しなかったら、警察官は人外告白ってことだぜぇええええ!!!!!!
3957 赤子 羽風 2018/12/14 19:08:14
村人COは好きにさせておけばいいんでない?
3958 囚人 要 2018/12/14 19:08:37
>>3955
ラッキー!
後顧の憂い無くクリスタに投票出来るな!
3959 学生 比奈 2018/12/14 19:08:45
ああ手相に入れれば罠回避にもなるのか。
人数足りないとかだったら普通にクリスタさんに入れますよ。
恐らく4時半くらいまでは覗けるので。
3960 囚人 要 2018/12/14 19:08:59
罠があろうが!
無かろうが!
人外は吊るしかねえんだよ!!!!!!!!

それが村側だ!!!!!!
3961 囚人 要 2018/12/14 19:09:25
この命、捨てかまつるは今ぞ。
+392 バニー 結良 2018/12/14 19:09:36
>>3960
そうだそうだ
3962 学生 比奈 2018/12/14 19:09:45
罠関係なしに白貰って楽したいしか考えてなかった。
3963 カメラマン つくね 2018/12/14 19:10:03
一瞬。とりあえずちょいと投票はずしておく……?
+393 バニー 結良 2018/12/14 19:10:11
薩摩隼人の男気見せたれや〜〜!!
カメラマン つくね が投票を取り消しました。
3964 囚人 要 2018/12/14 19:10:32
白出る人外も居るし、白出たら楽ーって手相を見て貰いたい奴は居るだろうね。
3965 学生 比奈 2018/12/14 19:10:52
というか罠のことを考えると逆に私は手相よりクリスタさん投票するべきだな。
変えておきます。
3966 囚人 要 2018/12/14 19:11:02
自らの命を惜しまず、人外を皆殺しにしてやろうと言う動きこそが、村側の証明なのだ!
学生 比奈 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3967 囚人 要 2018/12/14 19:11:25
どうせクズ運の俺が罠を踏む。
知ってるんだ。
3968 赤子 羽風 2018/12/14 19:11:33
俺はクリスタに入れるぞ
3969 囚人 要 2018/12/14 19:11:55
はあ、生き残って四天王勝利したかったな。
しかしそれは適わぬ夢。
この命、村の為に捧げましょうぞ。
+394 バニー 結良 2018/12/14 19:11:56
ベイビーサイコーだぜ
3970 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:12:09
>>3957
もちろん、頼めた義理はありませんねー。
今からの変更で票数が揃うのかという心配からのお願いでした。
3971 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:12:14
アイドルの存在を想像していたのですが。
クリスタさん吊りの流れの中、投票しない人が候補になるでしょうか。
3972 囚人 要 2018/12/14 19:12:16
赤子はなんつーか、占うまでもなく村側っぽいんだよな……動きが。
3973 ウェイター 東 2018/12/14 19:12:31
というかだね、摩耶君は村のまとめに同意の意志を示しているのだから、今日の吊り先をまとめて仮決定だせばええ話やろ。
3974 囚人 要 2018/12/14 19:12:58
>>3970
揃うかどうかじゃねえ!
揃えるんだよ!

村側は、全員、クリスタに投票だああああ!!!!!
俺に続けええええええ!!!!!!!!
3975 赤子 羽風 2018/12/14 19:13:32
揃わなそうだと心配してくれる人は勝手にクリスタで揃えてくれるさ
3976 囚人 要 2018/12/14 19:13:44
>>3973
クリスタ吊りしよう!
村の決定を、クリスタ吊りにしよう!

反対の者はおるかー!?
おるなら叫べー!
ウェイトレス 南 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3977 ウェイター 東 2018/12/14 19:14:18
わいもクリスタ投票でも構わない。
3978 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:14:26
私が仮決定出してもいいんでしょうか。
3979 囚人 要 2018/12/14 19:14:30
声高に反対しないと、俺達は村側勝利の為にクリスタに投票してるぞー!
俺達を止めたいなら、ちゃんと叫べー!
うおおー!
ニット帽 光 が 修道女 クリスタ に投票しました。
3980 赤子 羽風 2018/12/14 19:14:50
>>3972
俺はただの赤ん坊さ
3981 囚人 要 2018/12/14 19:14:52
>>3978
言ったもん勝ちだ。
やれ。

エスパーを疑う奴はいまい。
3982 囚人 要 2018/12/14 19:15:33
文芸部が何処に投票しても大丈夫なよう!
俺達で、クリスタ投票に合わせるんだよっ!!!!
*258 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:15:34
麻耶投票予定者がクリスタ吊りに乗ってくれることもあるなら、悪くないか。罠を踏みたくはないが、そこは祈るしかないなー。
3983 ニット帽 光 2018/12/14 19:15:41
罠覚悟でクリスタ吊りか
いいだろう
3984 囚人 要 2018/12/14 19:16:02
罠は俺が踏む!
安心して俺に続けぇーーーー!!!!!
3985 囚人 要 2018/12/14 19:16:17
死は怖くない。
人外に負けることが、恐ろしい。
+395 バニー 結良 2018/12/14 19:16:33
>>3982
そうだそうだ
腐っても占いだからまかり間違って爆発したら困るんだよ
文芸部は別でいい!
それ以外で揃えろ!!
+396 アイドル 茜 2018/12/14 19:16:36
クリスタ側は不快でしかない気がするわねこれ☆
3986 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:16:38
私もクリスタさん投票で構いませんよ。
変えて置きます。こまめに覗くようにしますね。
*259 外来 真子 2018/12/14 19:16:41
さすがにこの流れはクリスタさん吊でしょうね。祈りましょう。
3987 ニット帽 光 2018/12/14 19:17:02
しかしながら長期のエスパーはほんと強いな
3988 ウェイター 東 2018/12/14 19:17:14
勝手だと、票を変えた奴がいたら問答無用で殺せないだろ。
明確にすべきだよ
3989 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:17:16
仮決定

▼クリスタさん

占われたい村側は空気を読んでね。
+397 バニー 結良 2018/12/14 19:17:25
やられる側はいつだって不快だよ
3990 文学部 麻耶 2018/12/14 19:18:02
なんか寝てたらクリスタ吊りになってるけど罠で占い結果もあぼんするの怖いから警官票は変えないでおくわ
ログを見る時間はない
*260 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:18:20
紅さんはそのまましらばっくれて警察官でも違和感なさそうですね。
真子さんと忍さんは、任せます。
賭けに勝った時のメリットはそこそこですが、爆死する可能性もそこそこだからな……。
3991 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:18:21
皆さんのご協力に心からの感謝を。
3992 ウェイター 東 2018/12/14 19:18:45
>>3978
やれ、やるんだ。
3993 文学部 麻耶 2018/12/14 19:19:23
というかなぜそんなにクリスタを吊りたいのかよーわからん
歌聞いてる人おるやん?
3994 囚人 要 2018/12/14 19:19:28
>>3990
勿論文学部はそれでいい。罠は俺が踏む!
3995 ウェイター 東 2018/12/14 19:19:37
>>3990
おいおいおいおいおい
3996 外来 真子 2018/12/14 19:19:42
クリスタさん吊でいいんですかね。
割れてもあれなので揃えておきますね。

今日の夕飯はグラタン。食べながら眺めてますね。
外来 真子 が 修道女 クリスタ に投票しました。
*261 研修医 忍 2018/12/14 19:20:01
ですねー
3997 赤子 羽風 2018/12/14 19:20:13
歌がクリスタによるものとは限らないうえに本人が怪しい
3998 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:20:15
>>3990 摩耶さん、すいません。
変えさせてもらいました。
摩耶さんはそれでいいと思います。
+398 バニー 結良 2018/12/14 19:20:29
歌を聞いた?
そんなやついなかったよ
3999 赤子 羽風 2018/12/14 19:20:43
>>3996
真子ちーは麻耶ちゃんでもいいと思うけどな
4000 囚人 要 2018/12/14 19:20:45
>>3993
アイドル陣営クリスタがヴィクトリア襲撃しながら、仲間の歌に合わせて適当言っただけじゃん?

質疑応答で途中でギャンブルCOを挟んでいた理由は、その時は咄嗟に騙れなかったからじゃん?
と言う見方が優勢。
4001 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:21:05
私はどうすべきでしょうか。。
*262 外来 真子 2018/12/14 19:21:29
まぁいるときに見たら変えるでしょうからねぇ。
素直に村人の動きをしておきます。

忍さんは忙しいって明言してるので晋護さん投票でもおかしくはないかなと。
*263 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:21:35
吟遊詩人の能力は邪魔だし、どうもほんとに村側の吟遊詩人に見えるので、処理しておきたい。
恋人ならさらに上等。
4002 囚人 要 2018/12/14 19:21:39
文学部よりログを読んでいる俺達は、クリスタを処刑せねばヴィクトリアが襲撃されると判断した!
それだけだ!

別に警察官吊りも間違ってる訳じゃないぞ!!!!
4003 囚人 要 2018/12/14 19:22:22
>>4001
猫又が罠で死ぬのも、エスパーが罠で死ぬのも、道連れを一つ失う事には変わらないんじゃね?
一緒にクリスタ投票しようぜぇ……。
4004 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:22:28
>>4001
謎の責任感を発揮してないで、生き汚く警察官さんに投票してれぼいいと思います。
+399 バニー 結良 2018/12/14 19:22:37
>>4000
何から何までこの通り
4005 囚人 要 2018/12/14 19:23:05
勿論、口先だけクリスタ吊れと言っておきながら、実際は投票しないでもいーんだよ。
ただ、ヴィクトリアは口先だけでもクリスタに投票しました! と言った方が、後続は続きやすいかもな。
4006 文学部 麻耶 2018/12/14 19:23:11
>>4000 (もし恋化してるなら罠的な意味で本体とか相方叩いた方がいいんじゃ……と思わなくもないがまあ)
+400 バニー 結良 2018/12/14 19:23:16
アイドル陣営かは疑問が残る
4007 囚人 要 2018/12/14 19:23:34
>>4004
口先だけ「クリスタに投票しました!」と言いながら、警察官投票だろ最善は……。
4008 ウェイター 東 2018/12/14 19:23:51
クリスタ吊りに変更しとくわ。
明け方覗きにくるけどな。
4009 文学部 麻耶 2018/12/14 19:24:01
とりあえず仕事
ようやく寝過ごさずに行ける……
お忍び ヴィクトリア が 警察官 晋護 に投票しました。
4010 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:24:07
>>4004
こういうのを私の口から言わせるヴィクトリアさん、汚い!!
わかってる癖にぃ〜〜!!
4011 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:24:20
クリスタさんに投票しました。
4012 囚人 要 2018/12/14 19:24:22
>>4006
警察官吊りで叩けるダメージより、クリスタ吊りで叩けるダメージの方が明らかに大きい!!!!

ログ読んだ多くの人間が現状そう判断しているだけ。
勿論警察官吊りも間違いじゃないよ。
4013 囚人 要 2018/12/14 19:24:52
それに、罠があるかどうかなんて知らんしなあ……。

この先、「その人外には罠があるぜ!」と言われる度に躊躇うのか?
そんな暇は無い。
4014 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:25:06
あ、あれ?
*264 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:25:44
忍は結構白視してる人も多いし、ここでしらばっくれた程度で信用は揺るがん気もするな。
何より人狼3ぶっこむのはさすがに確率が怖いのもある。
4015 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 19:26:04
もうすぐ到着なので離れます。
4016 外来 真子 2018/12/14 19:26:27
>>3999
うーん、結構見れてない人いるので割れる可能性高いと思うんですよね…。
あとデメリットの可能性高く、流れでそのうち吊られる可能性はたぶん変わらないと思いますし、変に投票が割れる可能性が高そうなので揃えた方がいいかなと思います。
票数計算はしてませんが。
4017 囚人 要 2018/12/14 19:27:24
投票が読めなくて困るのは、大体の場合村側じゃなくて人外だからな。
4018 囚人 要 2018/12/14 19:27:31
余裕余裕。
4019 囚人 要 2018/12/14 19:27:49
占われたい奴はこっそり文学部いっときゃいーよ。
4020 外来 真子 2018/12/14 19:28:49
ほうほう、ならいれるかもなーいれないかもなー(棒
外来 真子 が 文学部 麻耶 に投票しました。
外来 真子 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4021 囚人 要 2018/12/14 19:29:57
どっちか解らん方が、人外も行けるかどうか解らなくて困るのさ。
*265 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:30:02
さすがにここで罠踏む南ちゃんではないと信じたい。
4022 学生 比奈 2018/12/14 19:30:11
ブロック役職はクリスタさんに投票しておけよ。
4023 囚人 要 2018/12/14 19:30:26
フルオープンより、潜伏の方が安全。
この考えが出来るのであれば、投票をフルオープンにする必要は全くあるまい?
*266 外来 真子 2018/12/14 19:30:44
とか言いつつ入れない。
4024 赤子 羽風 2018/12/14 19:30:44
ブロック久しぶりに聞いた
4025 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:30:49
>>4021
ま、そういうことですねー。
4026 外来 真子 2018/12/14 19:31:29
ブロックってなんです?護衛?
4027 囚人 要 2018/12/14 19:31:38
なのに集計とかしようとするのは、こいつ本当に村側か……?
とか思っていたが。
エスパーだった。
4028 囚人 要 2018/12/14 19:31:57
集計したいのは人外の方ですよ。
*267 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:32:01
狼やってる以上、何かしらの賭けに勝つ必要はあるしな。
4029 囚人 要 2018/12/14 19:32:19
村側の方が情報が少ないんだから、逆に情報の少なさを武器にして殴った方が強い場合も多い。
4030 囚人 要 2018/12/14 19:33:03
しかし、南が「解ってますよ、sataneさん。私が代わりに泥を被ります……」と言うのはこれで二回目だな。
*268 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:33:07
思ったより麻耶→クリスタに流れてくれるヤツが多そうなのも幸運だ。
-194 絵本作家 塗絵 2018/12/14 19:33:19
>>4029
情報の少ない
数も少ない

そんなぼっち妖魔はほんま…
4031 囚人 要 2018/12/14 19:33:23
一応sataneにそんな積もりは無いらしい。
4032 学生 比奈 2018/12/14 19:33:26
クソほど役に立たない役職を持った人のことだ!私のようにな!!
このクソガキめ!
*269 外来 真子 2018/12/14 19:33:40
襲撃が一番の賭けで護衛いなさそうとか思ってましたのに。
いろいろあるなぁ。
4033 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:33:50
>>4030
ほんと酷いんですよあの人!!
4034 囚人 要 2018/12/14 19:33:53
しかし

南「ぐっ、sataneめ……! 俺の手を汚させやがって……!」

といつも思っている。
4035 囚人 要 2018/12/14 19:34:32
一応、ヴィクトリアにそんな積もりは無いんですよ、南さん。
4036 ウェイター 東 2018/12/14 19:34:50
>>4032
ぬるま湯路線にいかずえらい。
4037 囚人 要 2018/12/14 19:34:55
南さんが汚れ仕事をしなければいけない事は一緒ですけどね。
4038 赤子 羽風 2018/12/14 19:36:04
>>4032
俺は悪くねぇ
4039 外来 真子 2018/12/14 19:36:43
謎の信頼感が見える。良いのかは知らない。
4040 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:37:00
いいんですよ。
私は参加者に蛇蝎のごとく忌み嫌われようと、sataneさんに完全勝利を捧げる者ですから……。
4041 囚人 要 2018/12/14 19:37:40
>>4038
どう考えてもヴァン先生が悪い
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4042 赤子 羽風 2018/12/14 19:38:10
蛇蝎の精神
*270 研修医 忍 2018/12/14 19:38:13
ここで変える事によって、かなりポイントアップなので。迷うところ。リアルでダイスふった所良い目がでた。賭けますか?
4043 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:38:19
>>4026
対して役に立たない役職者のことです。
4044 赤子 羽風 2018/12/14 19:38:44
>>4041
だよな〜〜
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*271 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:38:52
>>*270
賭けるのも悪くない。
4045 絵本作家 塗絵 2018/12/14 19:39:02
>>4040
第一回99人村の話か…
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*272 研修医 忍 2018/12/14 19:40:16
タロットは、戦車の正位置。暗示する意味は勇気と勝利とある。
4046 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:41:14
>>4045
第三回もそうするつもりでしたが、実力不足でしたね。
4047 外来 真子 2018/12/14 19:41:24
>>4043
ありがとうございます。
なるほどそういう意味か…。
*273 外来 真子 2018/12/14 19:41:50
カッコいい
*274 研修医 忍 2018/12/14 19:42:43
適当な時間に来て変えるかは直感でいってみる。
4048 赤子 羽風 2018/12/14 19:54:48
出典:14494村 キチガイ達の99人村part2

『この村には面白い能力をもった役職と、そんな連中ばっかりだとゲームが成り立たないから仕方なく組み込まれた超つまんねえ普通の役職がある。
ひとえの役職の差異といっても、事実上は天下一武道会の参加選手と、試合場の床のブロックくらいの違いがあるな。

ブロック奴おるか??www』

byエロ漫画家 あんだんて
カメラマン つくね が 修道女 クリスタ に投票しました。
4049 ウェイトレス 南 2018/12/14 19:59:05
>>4048
なるほどな〜〜。
4050 カメラマン つくね 2018/12/14 19:59:20
うっす、投票したぜ!しかしまた離脱
絵本作家 塗絵 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4051 赤子 羽風 2018/12/14 20:00:53
俺は村ブロックとしてクリスタに入れるんだ
4052 外来 真子 2018/12/14 20:00:58
>>4048
てっきり参加をブロックされるような役に立たない役職って意味かと思ったんですが
そっちのブロックなんですかw
4053 赤子 羽風 2018/12/14 20:01:35
>>4052
床ブロックだな。途中からレゴブロックの意味も持ち始めたようだ
4054 外来 真子 2018/12/14 20:02:12
>>4053
使いようによっては良くなるんですかね>レゴブロック
4055 囚人 要 2018/12/14 20:02:18
(鏡を見ながら)どう考えてもピッコロ大魔王だよなあ……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4056 赤子 羽風 2018/12/14 20:04:03
>>4054
優秀な役職者にくっついていればいいの意
*275 ウェイトレス 南 2018/12/14 20:04:07
しかしクリスタはほんとに恋矢も刺さってない、ただの吟遊詩人だと思うんだよな。何やってんだアイツ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
*276 ウェイトレス 南 2018/12/14 20:05:09
一真君……私の相手をするには、君はまだ、未熟!!
4057 外来 真子 2018/12/14 20:06:19
>>4056
そっち!?
つくづくひどい扱いの役職の総称ですか。

自分もそれかもしれないんだなぁ…。きにしないでおこ
*277 外来 真子 2018/12/14 20:07:15
それは思いますというか。

なんであんなにヘイト集めてしまったんだろう。
ヴィクトリアさんが復讐陣営でもあるまいし。
4058 囚人 要 2018/12/14 20:07:45
ピッコロ大魔王である俺にくっつかないか?
4059 囚人 要 2018/12/14 20:09:04
行くぞタンバリン! シンバル! ドラム!
4060 囚人 要 2018/12/14 20:14:09
もう長い事窓付きを引いて無いが、次回引いたら仲間に勝手にタンバリンとかシンバルとか名付けて誤爆対策をするか。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4061 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 20:15:17
す、すいません。。。
4062 赤子 羽風 2018/12/14 20:16:09
コードネームというやつか

俺の故郷ではCNとはキャラクターネームのことだったが
4063 赤子 羽風 2018/12/14 20:17:00
俺にピッタリなコードネームが欲しいな
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


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 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4064 囚人 要 2018/12/14 20:21:49
>>4063
今日からお前は……ワイルドパンチだ!
4065 学生 比奈 2018/12/14 20:21:54
ばぶって言うほどガキやない。
KUMON行くほど大人やない。
4066 赤子 羽風 2018/12/14 20:23:34
>>4064
ワイルドパンチ……野性味溢れる感じが俺にピッタリだな。ありがとう
ニート 欧司 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4067 ニート 欧司 2018/12/14 20:24:50
クリスタさんに変更しておきます。
4068 赤子 羽風 2018/12/14 20:25:59
ググったらなんか馬が出てきた
4069 ウェイトレス 南 2018/12/14 20:26:14
罠、ニートさんにも飛んだりするのかな?
4070 囚人 要 2018/12/14 20:26:37
親に名付けられた名前は変えられない。(※……変えられる場合もあります)

だが魂の名前を探す事は……誰にも止められ無い!!!
4071 外来 真子 2018/12/14 20:26:48
>>4063
ミラクルラトル(手に持ってるガラガラから)
4072 囚人 要 2018/12/14 20:27:12
https://ja.wikipedia.org...(%E5%BC%B7%E7%9B%97%E5%9B%A3)
4073 囚人 要 2018/12/14 20:27:31
明日に向かって撃て、ワイルドバンチ!
カメラマン つくねは遺言を書きなおしました。

https://www.asahibeer.co.jp/enjoy/recipe/search/recipe.psp.html?CODE=0000002421
http://www.kikkoman.co.jp/homecook/search/recipe/00006196/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E7%A4%BC
http://nejiten.halfmoon.jp/index.cgi?cmd=doc#409
4074 囚人 要 2018/12/14 20:27:48
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%81_(%E5%BC%B7%E7%9B%97%E5%9B%A3)
4075 赤子 羽風 2018/12/14 20:27:58
>>4071
おお、可愛い名前もイケるな。ありがとう
4076 学生 比奈 2018/12/14 20:29:12
貴様なんかブロックで十分だ!
4077 赤子 羽風 2018/12/14 20:30:11
>>4076
俺にくっつくと火傷するぜ
悪戯好き ダーヴィド が 修道女 クリスタ に投票しました。
*278 ファン 紅 2018/12/14 20:39:55
なんか読めてないけどクリスタさん吊りの流れになってる。
*279 ファン 紅 2018/12/14 20:41:01
とりあえず襲撃は様子を見るにしてあるよ。
4078 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:41:20
おはよーおはよー
修道女 クリスタ が投票を取り消しました。
*280 ウェイトレス 南 2018/12/14 20:41:42
紅さんの投票は警察官でいいと思う。
4079 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:42:58
今朝はめっちゃキレてたが、寝たらスッキリした
*281 ファン 紅 2018/12/14 20:43:25
うん。そのまま晋吾さんにしておくね。
4080 ニット帽 光 2018/12/14 20:44:16
>>4063
・・・ミルキートライブ?
深く考えたら負けだが
4081 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:45:52
なにから説明したらいいのかわからんが、2日目はセット出来なかったよ
セット出来たのは昨日からで、その際に初日後からコミットしたとこがセット役職だろうと思ってその中から範男を選んだ
+401 バニー 結良 2018/12/14 20:45:56
青い世界に早く来いよクリスタァ
4082 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:47:00
範男は課金者なのになんで歌って邪魔したの?とか言われても範男が課金者なのわかったのは歌った後のことなので知らんよ
なんか普通にガチャ引けてるっぽいから邪魔されないのか???とか思ったが、変身が邪魔されるのね
4083 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:48:49
麻耶、範男、塗絵、茜、光が初日は発言後にすぐコミットしてなかったから3日目はこの中から選んだ
最初塗絵にしてたが、なんか村っぽかったからよくわからん範男にセットした
4084 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:50:17
今日は麻耶は手相COしてたし、なんか茜が死んでるしで初日のコミットあんまり関係なさそうだなと思って>>3173まではなにか持ってそうな岬にセットしていた
4085 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:54:25
そしたらなんかこんな賢いこと言うクリスタは人外だみたいなこと言われるし、周りもクリスタ吊るみたいな話を出してくるから四天王勝利を目指してて死にたくなかったのと普通に罠持ちが吊られるのはやべーっしょと思って後々証明出来るようにヴィクトリアにセットした
+402 バニー 結良 2018/12/14 20:56:31
後々証明できるようにっていうのが全く意味わからんな
ヴィクトリアが後々まで生きる確証なんか全くなく
よっぽど罠ついてるクリスタの方が生き残るぜ
本来ならな
4086 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:56:48
吟遊詩人ならヴィクトリアにセットするのおかしいでしょ、人外の邪魔しろとみたいなこと言われてた気がするが、吟遊詩人の能力の使い方ってこういうのもアリでしょって思っているので知らねえよって感じ
+403 バニー 結良 2018/12/14 20:57:14
こんなことを言い出してセットする吟遊詩人なんかいるわきゃないんだよなあ
ノータイムで処刑が妥当ですね
悪戯好き ダーヴィド が 警察官 晋護 に投票しました。
4087 修道女 クリスタ 2018/12/14 20:59:10
人狼に当てても意味ないし、この人数なら人外にヒットするかもよくわからんかったし、歌った先に歌聴こえてないんですけどとか言われて偽視されても困るので一日ぐらい証明に使ってええやろと思ってセット役職じゃなさそうなヴィクトリアにした
+404 バニー 結良 2018/12/14 21:00:50
>>4087
普通要だよね
4088 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:02:30
>>3221に関してはそう考えてヴィクトリアにセットしたので明日なら証明出来たのにって思って言っただけで、ヴィクトリアさんはそら出るでしょって言われてもああはいそうっすねぼくがエスパーでも出ますねって感じ
なんかやったことが裏目に出て最悪の結果になったしキレてたのでそういう風に言った
4089 学生 比奈 2018/12/14 21:03:37
0票云々の話は?
4090 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:07:22
手品師とギャンブラー騙ったことに関しては、完全にふざけていたとしか言えない
罠あるからそうそう死なんやろ〜wと思って手品師COしたし、ギャンブラーはスロカスみたいなことを言っていたので思いついたから言った
カメラマン つくね が 警察官 晋護 に投票しました。
4091 囚人 要 2018/12/14 21:08:32
そうまで見事に味方の敵である行為を、ふざけてやったの一言で済むほど村は余裕がある訳じゃないんだよなあ……。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
カメラマン つくね が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4092 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:09:04
>>4089
俺が麻耶投票に入って、それで1人抜けて情報減るのもなあって思って村人3人が投票することなさそうだし、1票ぐらい増えても大丈夫やろと思って言った
+405 バニー 結良 2018/12/14 21:09:19
票数を騙る行為は見つけ次第即死罪ゾ
4093 囚人 要 2018/12/14 21:09:24
つまり、ストレートに人外なんで吊ろうぜ!

この村、人外は割と限界ギリギリまで出てると思っていいぞ。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4094 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:09:38
余裕があるなしは知らないけど、全部ふざけてやってたので味方の敵だね
+406 バニー 結良 2018/12/14 21:10:29
そんなクソ野郎は吊るしか有りませんね
4095 囚人 要 2018/12/14 21:10:36
と言う言い訳をしてるだけで、普通に人外の行為と考える方が自然だからな……?

幾らクリスタでも、そう見事に味方の敵行為はせんやろ〜
4096 囚人 要 2018/12/14 21:10:47
素直に村側の敵なんやろ〜
4097 囚人 要 2018/12/14 21:11:05
紗紋先輩も、カズマーンは結構ちゃんと動けますよ、みたいなことを言っていた
+407 バニー 結良 2018/12/14 21:11:10
終わったあとも次の3村くらいは責められ続ける大罪だぞ
4098 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:11:25
まぁ人狼でないことも妖魔でないことも殺人鬼でないことも明日になれば証明できるし、吟遊詩人であることも明日になれば証明できるので1日置いてほしいとしか
サブは流石に証明出来んので恋や復讐疑われてもなんも言えんが
4099 囚人 要 2018/12/14 21:11:55
十年選手が、こんな余裕が無い村で「ふざけてやった」とか味方の敵行為を連発するか?
カズマーンはそんな超絶雑魚野郎ですと、自信を持って言える者は居るか?
+408 バニー 結良 2018/12/14 21:12:08
まあさすがのカズマーンさんもそこまで納豆野郎ではないでしょう
吊りですね
4100 囚人 要 2018/12/14 21:12:39
俺は、カズマーンをそんな超絶クソ雑魚ナメクジクソ野郎だなんて思ってないよ……

普通に村側の敵として、使命を全うしただけなんだよな。
お前は良く頑張ったよ……
4101 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:12:46
復讐なら吊らない方がいいし、恋なら黒幕いるんで黒幕死ぬまでは置いておいてもらえませんかね
罠持ってて吊りは本当に勿体ない
4102 囚人 要 2018/12/14 21:13:22
一日どうとか言っているが、一日の余裕も無い村と思っていいと最初から言っている、言われているよな……?
4103 囚人 要 2018/12/14 21:13:35
その罠も嘘っぽいじゃん
4104 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:13:45
前村で露出した仔狼の発言を完全に無視して村の余裕のなさを感じていたクリスタさんが、3襲撃賢者死亡の状況で完全におふざけですか。。。
文学部 麻耶は遺言を書きなおしました。
「手相占い師だよん
自分に投票した人を占えるとかいう雑魚
雑魚だと思ってたけどたぶん役に立てたようで何より
要人間
マヤ」
*282 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:13:59
わらう
4105 囚人 要 2018/12/14 21:14:51
だらだらしてたら安全に勝てるよねー

なんて村じゃなく、勝つ為には博打の連続を撃たなければいけない程ひったくした村だよ
何せ、幾つかの人外希望が確実に証明していることが村側の希望から解っている=人外は定数ギリギリまで出て居る

なんだからな
4106 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:15:07
証明の為にヴィクトリアにセットしたままだけど、ヴィクトリアが襲撃されたら意味ないよなあとか思ったんだけど、襲撃されたら襲撃されたで他にセットされるからいいのか?とか思ってこのままにしていいのかよくわからん
+409 バニー 結良 2018/12/14 21:15:12
最初は襲撃筋ひとつだと思ってたんでまだ余裕ありましたけど
4日目に入って3人犠牲とか見たら全く余裕はなくなりましたね
4107 囚人 要 2018/12/14 21:15:18
村の余裕は全然無いぞぉ〜?

全く無い訳じゃないが、ほぼ無いと思っていい
4108 文学部 麻耶 2018/12/14 21:15:27
3日間のブランクを感じさせる仕事っぷりです(トイレ休憩)

どうでもいいけどここでRPという略称を知ったから、慣れてない頃はRPとRPPとPPが混同してわけわかんなくなってた
4109 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:15:47
ミュート機能マジで使いにくいな
4110 囚人 要 2018/12/14 21:16:19
郷に入ったら郷に従え

▼とか◆とか◇とか●とか謎の暗号ばっかで喋る場所も多いからな、正直一見さんお断りだぞ各国
4111 文学部 麻耶 2018/12/14 21:16:39
>>4105 人外は定数ギリギリまで出ている じゃなくて定数固定なんすよ
ほんじゃまた日付変更後に
4112 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:16:44
>>4104
総統閣下とか手品師とか言ってた時点でそこまでガチガチではないと思うんだけど
4113 囚人 要 2018/12/14 21:16:48
ねじ天は特に、一見さん絶殺仕様だよ
村人CO=疑われて死ぬ

であるのはこの国ぐらいなもんだ
4114 囚人 要 2018/12/14 21:17:59
その上この国にルールの文字は無い……やべー!
4115 文学部 麻耶 2018/12/14 21:18:12
どうでもいいけど仕事内容に一切関係ないのにひと昔前の損保24のCMソング(コアラっぽいコウモリが出てくるやつ)が頭から離れない

今度こそ離脱
4116 囚人 要 2018/12/14 21:18:16
スクリーンショットを貼って真証明してもいいんだぞ、クリスタ
4117 囚人 要 2018/12/14 21:18:35
この国では……許される!
4118 囚人 要 2018/12/14 21:18:58
それぐらい禁止しとけよぉ
4119 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:19:11
今回ぐらい人外引けるかな〜とか思って期待して見たら吟遊詩人とか書いてたし、なんでこんな役職入ってんだよ
ふざけたくもなる
4120 囚人 要 2018/12/14 21:19:46
流石に俺達も、お前が本当に吟遊詩人で、スクリーンショットを貼ってくれたら警察官投票に変えるよ、当然だろう?
+410 バニー 結良 2018/12/14 21:19:56
吟遊詩人っていうほど外れか?
4121 令嬢 御影 2018/12/14 21:20:05
前回吟遊詩人引いた私に喧嘩売ってるのか
4122 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:20:06
>>4112 ふざけていい状況かどうか判断できる人だと思っているので。
4123 囚人 要 2018/12/14 21:20:24
最初にandanteさんが警察官に「これは……ガチだぜ」と言ってたのを見とらんのか?

俺達はいつも勝つ為にやってる。
4124 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:20:40
というかなんか他の人が吟遊詩人説が出てたな
今ヴィクトリアにセット連打して証明してもいいよ
修道女 クリスタ は お忍び ヴィクトリア のために歌を歌います。
お忍び ヴィクトリア は 修道女 クリスタ のプレッシャーを感知しました。
修道女 クリスタ は お忍び ヴィクトリア のために歌を歌います。
お忍び ヴィクトリア は 修道女 クリスタ のプレッシャーを感知しました。
修道女 クリスタ は お忍び ヴィクトリア のために歌を歌います。
お忍び ヴィクトリア は 修道女 クリスタ のプレッシャーを感知しました。
4125 囚人 要 2018/12/14 21:20:58
お前は今、「この村の井戸に毒を流し込みました」と宣言した訳だが、お前エピローグで村側だったらマジで許さねえからな……?
4126 令嬢 御影 2018/12/14 21:21:14
スクリーンショットくらい合成で簡単につくれるので写メじゃないと
4127 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:21:17
セット連打は素村でも出来るんだよな……。
4128 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:21:22
>>4121
入ってなかったんでしょ!
4129 囚人 要 2018/12/14 21:21:28
井戸に毒を流した奴がどうなるか、目にもの見せてやるよ……
宇宙飛行士 星児 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4130 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:21:58
うい、投票変えたよ。
4131 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:21:59
>>4122
出来てないからこういうことになってるとしか
4132 囚人 要 2018/12/14 21:22:21
>>4126
合成する努力までしたら、例え敵相手でも、その努力は認めてやる

俺は人外で頑張ってスクリーンショット合成を行った経験を持つからな
それぐらい頑張るならいいだろ、写メとか可哀想だろ
4133 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:22:30
3回セットされましたよ。
4134 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:22:53
そういや投票でも出来るの忘れてたワロタ
意味なく連打してしまった
4135 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:23:14
>>4133
普通にバカだったので忘れてください
+411 バニー 結良 2018/12/14 21:23:24
ケフカさん!
4136 囚人 要 2018/12/14 21:23:33
ブラッドとかbouさんとか他人だから井戸に毒を流しても「死​ね」で済むが、カズマーンはそれだけで済まさないからな……
4137 囚人 要 2018/12/14 21:24:20
と言ったところで、まあ、クリスタどうせ人外なんですよ
だから役目上こう言ってるだけだけ〜

全然心配無いッスよ、クリスタ吊りでGO!
4138 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:26:05
吊られるなら吊られるで罠があるので、まぁ投票は参考になるかもしれない
道連れ恐れて人外が投票外すようなことがあったらの話だけど

外さないなら人外持って行けるように祈っておこう
4139 学生 比奈 2018/12/14 21:28:11
なんというかこういうキレとかの感情に乗せた発言に弱いからかもしれないけど、言い分に筋は通ってると思ったんだよな.....。
ただ私がそれを主張することでさらにクリスタさんの恋疑惑を強めてしまうようだからな。
4140 警察官 晋護 2018/12/14 21:29:09
クリスタさんを弁護するわけではないけど
そこ...罠ありますよ?(確認)
+412 バニー 結良 2018/12/14 21:29:24
欠片も筋がない
フニャチンだぞ
4141 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:29:46
俺が人外なら流石に聖人や賢者に対して歌うので人外じゃないって言えるが、恋疑惑ってどうやって晴らせばいいんだ
4142 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:31:23
罠がマジで勿体ないんだよな〜
流石に襲撃で道連れは出来んとは思うけど、吊りで道連れがな〜
4143 学生 比奈 2018/12/14 21:31:28
恋は吊られて初めて証明できると思う。
4144 学生 比奈 2018/12/14 21:31:51
金ポンプ取ったのに速攻で死んだムカつくな〜〜〜。
4145 警察官 晋護 2018/12/14 21:32:30
クリスタさん恋疑惑...?
恋疑われてるのか...?
4146 赤子 羽風 2018/12/14 21:32:31
道連れなんて案外人外に当たるもんさ
4147 学生 比奈 2018/12/14 21:32:52
赤子にいけばいいのに。
4148 赤子 羽風 2018/12/14 21:32:59
この前見たときはしっかり狼が死んだから大丈夫大丈夫
4149 警察官 晋護 2018/12/14 21:33:14
それならいいのですが。
4150 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:33:24
流石に恋以外疑われてないと思ってるが
*283 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:33:34
4151 赤子 羽風 2018/12/14 21:33:40
俺に罠が当たったら年末ジャンボも当たる呪いかけて
4152 学生 比奈 2018/12/14 21:34:01
呪いかけるから半分分けて。
4153 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:34:12
あの罠は許せない。
4154 赤子 羽風 2018/12/14 21:34:26
一等当たったら山分けな
4155 学生 比奈 2018/12/14 21:34:42
やったぜ。
4156 赤子 羽風 2018/12/14 21:35:11
とりあえず宝くじ代2万くれ
4157 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:35:37
俺が罠見た時も復讐にPPされてたのに復讐道連れになって村勝ったから大丈夫か
4158 警察官 晋護 2018/12/14 21:35:40
>>4151
わかりました
4159 学生 比奈 2018/12/14 21:36:07
死んだらな!?
4160 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:36:59
なぜセットが摩耶さんではなくヴィクトリアなのだろう。
4161 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:37:09
フラグが立っていく……。
4162 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:37:17
俺が代わりに吊られるので晋護は村ならもうちょっと頑張って生きてくれ〜
4163 警察官 晋護 2018/12/14 21:37:53
クリスタさん吊りmjか...
4164 赤子 羽風 2018/12/14 21:38:10
>>4080
おっ、俺のコードネームが増えてる!ありがとう!!
4165 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:38:11
>>4160
証明するのになんで今日のセット先が麻耶さんじゃなくてヴィクトリアなのかってこと?
4166 警察官 晋護 2018/12/14 21:38:33
>>4162
言われずとも。
4167 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:38:58
>>4165 そう。
4168 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:40:50
手相占い師の仕様がよくわかってないんだよね
夜行動をキャンセルするわけだからセットアクションじゃない手相占いも邪魔しちゃうんじゃないかと思って怖かった
4169 警察官 晋護 2018/12/14 21:41:23
ん、伊澄さん投票したままだけど
流れ変わってそうですしお寿司
未設定にしておきます。
警察官 晋護 が投票を取り消しました。
4170 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:42:41
こんばんは。ねぇ、聞いて。忘年会でりんご一箱当たっちゃった
*284 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:43:00
>>4170
おめでとー。
+413 バニー 結良 2018/12/14 21:43:05
おめでとう!
-195 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:43:08
よくわからんまま麻耶さんにセットして手相占いを邪魔してしまうとそれこそマズいので、流石にそれは避けた
それで証明可能って言ってたヴィクトリアがいたので、たぶん占狩じゃないだろうと思ってヴィクトリアにセットした
4171 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:43:18
よくわからんまま麻耶さんにセットして手相占いを邪魔してしまうとそれこそマズいので、流石にそれは避けた
それで証明可能って言ってたヴィクトリアがいたので、たぶん占狩じゃないだろうと思ってヴィクトリアにセットした
4172 赤子 羽風 2018/12/14 21:43:39
俺はみかんが欲しい🍊
4173 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:43:53
その配慮が出来て、ギャンブラー騙り。。。
4174 赤子 羽風 2018/12/14 21:44:16
>>4171
証明がセット関連だとは思わなかったのか
4175 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:44:45
4176 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:44:59
>>4173
全部自分が生き残るためだからな
4177 警察官 晋護 2018/12/14 21:45:03
リンゴが足りんご
4178 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:45:05
多分手相占いは邪魔できるよ。
4179 囚人 要 2018/12/14 21:45:38
その配慮が出来て人外じゃない訳無いだろ!
カズマーンがそんなクソ雑魚ナメクジだとみんな思ってんのか!
4180 警察官 晋護 2018/12/14 21:45:55
>>4175
はい
4181 囚人 要 2018/12/14 21:46:05
そんな村の井戸に毒を投げ込むようなクソ雑魚ナメクジなら、俺がこの手で追放してやるよ……
4182 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:46:15
警察官さんが爆死しても誰も困りませんので、クリスタさんに投票してください。(酷
4183 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:46:34
>>4170 おめでとう。
ついでに>>3989も見て欲しい。
+414 バニー 結良 2018/12/14 21:46:51
このポリ爆死は絶対しないんだよなあ
+415 バニー 結良 2018/12/14 21:47:11
罠師は爆発したっけな
4184 ニット帽 光 2018/12/14 21:47:19
>>4170
すりおろして醤油、生姜、その他調味料を混ぜて3日ほど寝かせればおいしい熟成しょうゆだれができるぞ
4185 警察官 晋護 2018/12/14 21:47:24
>>4182(泣)
4186 赤子 羽風 2018/12/14 21:47:24
今頃小百合ちゃんは忘年会で腹踊りだろうか
4187 囚人 要 2018/12/14 21:47:58
リンゴ一箱は嬉しいねぇ……

警察官が爆死しても誰も困らんな、確かに、自分の不始末を自分で回収するチャンスだぞ
4188 囚人 要 2018/12/14 21:48:28
むしろ此処でクリスタに投票しないようなら警察官の死期が早まる
4189 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:48:37
忘年会か。
4190 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:48:38
>>4174
証明できるセット役職ってのがあんまり思いつかなかったので、セット役職じゃないと思っていた
そもそも勇者とかそういうのだと思ってたので致命的になると思ってなかった
4191 ニット帽 光 2018/12/14 21:48:48
今です、警察官
自爆なさい
4192 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:48:52
もうそんな時期か……。
4193 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:49:04
>>4178
あれも占いだからたぶん邪魔出来るよね
やらなくてよかった
4194 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:49:38
えっ?クリスタさん吊りになったの…??
4195 警察官 晋護 2018/12/14 21:49:53
>>4187のいうとおりなのですが
罠師は罠に引っかからないような
仕様だった気が
4196 外来 真子 2018/12/14 21:50:07
>>4170
おめでとうございます。

カレーに入れて自家製バーモンドカレー
4197 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:50:32
>>4184
すごくおいしそうだ…!やってみるね!
りんごは腐るほどある…
4198 警察官 晋護 2018/12/14 21:50:37
土管がドッカーン!
4199 囚人 要 2018/12/14 21:50:58
>>4195
そういやそうだった
俺は既に罠の仕様をこの村で五回確認して六回ぐらい忘れている
4200 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:51:11
>>4195
確かにそうだ。

許せねえ……。
4201 外来 真子 2018/12/14 21:51:13
罠【陣営変化なし】
罠が設置されています。
自分自身では罠が設置されているかわかりません。
襲撃された時は襲撃者を、処刑されたときは投票者の中から一人を道連れにします。
護衛された時は護衛者共々道連れにします。(探偵/忍者/逃亡者にも有効)
【罠を設置できる役職に対しては発動しません。】
4202 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:51:30
>>4196
それも良いね!!角切りしたやつも入れてみよ〜
4203 囚人 要 2018/12/14 21:51:52
確か、警察官が罠師であることを信じると、クリスタが文学部に投票した瞬間文学部が死ぬんじゃなかった?

なのにクリスタが文学部に投票すれば云々とか言ってなかった?
教育学部 伊澄 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4204 警察官 晋護 2018/12/14 21:52:28
自分の不始末を回収できないようにするための仕様...だと...
4205 囚人 要 2018/12/14 21:52:31
いや、護衛であって占いには反応しない……か

俺は既にこの村で罠の仕様を六回確認し、七回ぐらい忘れている
4206 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:52:31
>>4195
はあー、なるほど。警察官さんにはそもそも爆死抽選がいかないということでしょうかね?
4207 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:53:13
過去に自分の罠に掛かった狼でもいたんだろうか。
4208 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:53:33
それとも爆死抽選自体の対象ではあるけど、無効化するということでしょうか?
4209 赤子 羽風 2018/12/14 21:53:36
>>4190
君自身がセットできる証明役職ではないのか……?
4210 外来 真子 2018/12/14 21:53:47
さすがに自分で仕掛けたものにかかるのは可笑しいという仕様

…実際は結構かかりそうなものなのに
4211 赤子 羽風 2018/12/14 21:54:03
>>4207
罠を仕掛けたのは別の狼だった
4212 囚人 要 2018/12/14 21:54:35
何にせよ、あの十年選手のカズマーンさんが、村側でそんな味方の敵をするはずがねーだろ!!!!!
4213 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:54:49
>>4209
それでも1日邪魔したところで致命的じゃないよねって思ったからしたんだけど
4214 囚人 要 2018/12/14 21:54:49
人狼歴十年だぞ!!!!!
十年!!!!!!!
4215 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:54:55
クリスタさんにセットしたけど、警察官さん吊りからどうなってこうなったのかな…?
4216 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:55:20
>>4208
これであるなら、赤ちゃんとか比奈さんは白く思っておりますので、爆死抽選先は増やしておきたいですねー。
人外もクリスタに入れているなら、増やさないほうがいいのかもしれませんが。
4217 外来 真子 2018/12/14 21:55:23
別の人が仕掛けていてもプロだから引っかからないのでは?
説明書みるに。
4218 赤子 羽風 2018/12/14 21:55:45
>>4212
しかし角材で殴られるのは味方の時だと聞いた……
4219 囚人 要 2018/12/14 21:55:56
>>4215
何かクリスタが村側の敵みたいな行為を沢山繰り返してやっぱりこいつ人外だったんだね……みたいな感じになった。
4220 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 21:55:56
罠抽選→警察官が選ばれる→無効化
なのか
警察官を抜いて罠抽選→罠発動
なのか。
4221 警察官 晋護 2018/12/14 21:56:03
>>4215
まだログを読んでないので
よくはわかりません
4222 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:56:08
要さんも人外には見えませんので、爆死してほしくはないですね。
-196 外来 真子 2018/12/14 21:56:11
狡狼の襲撃は防げないということでもある。
4223 囚人 要 2018/12/14 21:56:27
>>4218
俺じゃなくて村の井戸に毒を混ぜてるよね?

だから人外だよ。
+416 バニー 結良 2018/12/14 21:56:30
4224 囚人 要 2018/12/14 21:57:11
俺個人を角材で殴るのではなく、村の井戸に毒を投げ込むような奴は人外だろ〜
4225 警察官 晋護 2018/12/14 21:57:22
仕様の話はどちらか分かりかねます。
4226 赤子 羽風 2018/12/14 21:57:34
>>4223
俺の頭は無事だからいいか
4227 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:57:39
>>4219
えっ、そうだったの…?それは普通に怪しいね
4228 赤子 羽風 2018/12/14 21:58:29
髪が薄いのにこれから生えてくる希望があるって自慢できることだよな
4229 修道女 クリスタ 2018/12/14 21:58:34
俺は生きて四天王勝利がしたかったので……
4230 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 21:59:04
>>4215 >>4221
>>3000以降を読むと流れがわかると思う。
4231 ウェイトレス 南 2018/12/14 21:59:12
一応村側が爆死する可能性のほうが高いので、薄められるなら薄めたいものです。よくわからないので、警察官さんもクリスタさんに投票してくれませんか?
4232 警察官 晋護 2018/12/14 21:59:31
>>4228
某芸人を思い出した
-197 教育学部 伊澄 2018/12/14 21:59:34
>>4229
四天王だよ…!とは言えない
4233 赤子 羽風 2018/12/14 21:59:34
黒幕さん、クリスタは四天王じゃないと教えてあげて
4234 警察官 晋護 2018/12/14 22:00:04
>>4230
ありがとうございます
4235 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:00:25
>>4230
ありがとう。酔いが醒めたら読んでみるね〜
-198 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:00:51
>>4233
君も四天王だよ…!とも言えない
4236 警察官 晋護 2018/12/14 22:00:54
黒幕<(そいつ四天王だぞ)
-199 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:01:15
>>4230
メモ!!
-200 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:01:40
>>4236
君だよ!!!
+417 バニー 結良 2018/12/14 22:02:29
罠ついてたんなら普通にしてたら長生きできたのにな
4237 カメラマン つくね 2018/12/14 22:02:41
戻り。覚悟決めて罠踏もうぜってところかねこれ。
4238 学生 比奈 2018/12/14 22:02:56
これで罠無かったら面白いけどな。
4239 警察官 晋護 2018/12/14 22:03:04
>>4231
手相占いの予約が
取れないので
ログを見たあと
そうしようかと...巻き添えが出てしまうのはあれですが
4240 赤子 羽風 2018/12/14 22:03:15
みんなで踏めば怖くない
4241 カメラマン つくね 2018/12/14 22:03:26
>>4230 俺の顔から始まってるが読んでこよっと
-201 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/14 22:03:30
死にたくないので警察官に入れたままにしよっと
4242 外来 真子 2018/12/14 22:04:08
黒幕からは見えるんですね>四天王

すでに2人くらい死んでませんでしたっけ?
初期34だから8〜9人、のこり6〜7人ですかね。たぶん。
4243 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:04:20
ん…?あれ?クリスタさん投票?
4244 赤子 羽風 2018/12/14 22:04:30
>>4242
初日にシスメでるんじゃなかったかな
4245 警察官 晋護 2018/12/14 22:04:40
>>4238
もしそうだったらどうなりますか?
4246 悪戯好き ダーヴィド 2018/12/14 22:04:56
ただいも🍠
罠をみんなで踏んで死んだ奴を笑うってことね。了解
わかったべ
4247 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:05:08
クリスタさんって罠…?あれ?
4248 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:05:38
>>4243
伊澄くんは、絶対にクリスタさんに投票してください。
4249 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:05:38
>>4243
伊澄くんは、絶対にクリスタさんに投票してください。
4250 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:05:39
あぁ、それも承知の上なんだね。
4251 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 22:05:53
>>4245
吊りか殺人鬼か一匹狼先生に働いてもらう。
+418 バニー 結良 2018/12/14 22:05:54
いつか踏まなきゃならないなら早い方がいい
4252 教育学部 伊澄 2018/12/14 22:05:57
>>4249
はーい
4253 赤子 羽風 2018/12/14 22:06:49
>>4251
殺人鬼先生を呼び捨てにするとは……まさか殺人鬼先生の友達!?
4254 警察官 晋護 2018/12/14 22:06:57
>>4251
ヽ(;▽;)ノ
4255 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:07:29
吊り変わらなさそうだから投票しとこう
修道女 クリスタ が 外来 真子 に投票しました。
4256 赤子 羽風 2018/12/14 22:07:43
>>4245
これ罠師じゃないよって言ってるよな
4257 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:07:57
俺と殺人鬼は、昔からよォ……みたいな関係ですかね。
4258 外来 真子 2018/12/14 22:08:09
>>4244
黒幕さんのみ
どうやらこの騒動の〜
のシスメの上に出てるっぽいですね。


危ない罠、みんなで踏めば、怖くない
の精神ですねぇ。
4259 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 22:08:18
>>4253
バレてしまったか……!
4260 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:10:09
ふざけてすいませんでした〜
反省してま〜す
4261 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:10:42
。。。
+419 バニー 結良 2018/12/14 22:11:09
まさかさしたる理由もなくチキる雑魚はおらんよなあ
4262 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:11:22
俺だってたまにナサニエルやユイにゃんのようなプレイをするんだ
4263 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:11:32
申し訳ございませ〜ん
4264 学生 比奈 2018/12/14 22:11:36
罰として明日は2万円はお休みよ!
4265 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:11:41
第2回99人村で一匹狼にマジギレしてたのに。。
4266 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:12:40
>>4265
それ言われたら本当に申し訳なさが
4267 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:13:01
反省してますよ、反省反省
@7 tom928 2018/12/14 22:14:03
エスパーCOかっこいいなー(こなみ)
4268 赤子 羽風 2018/12/14 22:14:11
ルージュがやらかした時か
4269 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:14:46
吟遊詩人なのに手品師COやギャンブラーCOしてさーっせんっしたぁ〜
4270 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:14:46
豆蔵2号!!
4271 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:15:44
次回以降は救世主COにしときます
申し訳ございませんでした
4272 赤子 羽風 2018/12/14 22:15:58
困った豆蔵だな
4273 研修医 忍 2018/12/14 22:16:30
こんばんは。結局どこ投票になったの。
4274 赤子 羽風 2018/12/14 22:16:44
クリスタ
*285 研修医 忍 2018/12/14 22:16:54
ゲンスルー好き
4275 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:17:00
<( ̄∇ ̄)ゞゴメリンコ〜♪
4276 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:18:07
4277 研修医 忍 2018/12/14 22:18:56
>>4276 了解。クリスタに投票する。
+420 バニー 結良 2018/12/14 22:19:05
先輩いいとこで飲んでんだろうな〜
妬ましい
研修医 忍 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4278 カメラマン つくね 2018/12/14 22:19:37
とりあえずログ見直して要さんがクリスタさんのこと大切なお友達だと思ってることはわかったっす!
4279 研修医 忍 2018/12/14 22:20:40
直近が開き直った人外以外の何者でもないな。。。
4280 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:21:17
はてさて、果たして罠は実在するのか?
ならば、爆弾は誰の手に?

爆薬入りチョコレートケーキ、この南が皆さんに切り分けて参ります〜。一名様にとっては最後の食事ともなりえるこの極上のメニュー、ご賞味ください!
*286 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:21:34
ダイス!
4281 カメラマン つくね 2018/12/14 22:22:09
そもそもクリスタさんに関しては真吟遊詩人だとしても今後陣営変化もあるかもだし、村に協力的でない(というか、村の推理に負担かけてる?)状況なのを加味して、人数多いうちに罠踏もうぜ、みたいな。
ここは俺、罠のこと知ってからぶれてねーっすね。
4282 赤子 羽風 2018/12/14 22:22:24
>>4279
間違いない
4283 小学生 朝陽 2018/12/14 22:22:33
占い判定でバレる人外は手相占いよりクリスタに入れた方がマシという状況になってはいる
4284 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:22:44
俺も陣営変化したかった
4285 赤子 羽風 2018/12/14 22:23:21
>>4280
いちごが大きいやつがいい
+421 生命維持装置 続 2018/12/14 22:23:40
>>+419
カタ(((・Д・)))カタ
4286 カメラマン つくね 2018/12/14 22:24:41
晋護さんに関して、灰雑のときに俺のこと「クリスタさん吊りを推してたから人外め」みたいな評価だったのが、晋護さんの当時の理解度から不自然で、晋護−クリスタでなんかつながってるんかなって思ったっす。
4287 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:24:44
>>4285
これですね〜。はいどうぞ!乗ってたチョコのネームプレートもつけてあげます!
4288 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:24:46
俺は村なので先に誠意を込めて謝っているのに、開き直った人外呼ばわりとはね
4289 赤子 羽風 2018/12/14 22:25:05
>>4287
きゃっきゃっ
4290 警察官 晋護 2018/12/14 22:25:17
>>3071
(´⊙ω⊙`)
4291 学生 比奈 2018/12/14 22:25:23
年相応なガキだな!
4292 カメラマン つくね 2018/12/14 22:25:34
>>3070 これがほんまになるとは
4293 修道女 クリスタ 2018/12/14 22:25:35
次は気を付けて手品師COしまぁ〜っす
4294 学生 比奈 2018/12/14 22:25:37
いや、年相応か...?
4295 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:26:21
魔女泥棒事件の際に独り言不使用だったそうだし、晋護さん恋?アイドルいるの?みたいな気分に。
4296 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:26:53
>>4283
確かに。ただ、指定制ではなくなった以上、手相占いは自由意志で村側に白判定を増やしてもらって圧迫する目的が主になったと思いますー。
こっそり空気を読んでくれる方も大事ということですね。
+422 生命維持装置 続 2018/12/14 22:27:19
今日は2回も雪かきしてマジ疲れた(^^)
ログが長いねんな。
+423 バニー 結良 2018/12/14 22:27:44
もうそんな季節ですか
4297 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:27:45
>>4281 いい着眼点なのでは。
4298 カメラマン つくね 2018/12/14 22:27:49
まあ明日以降の議題にはなるかと思うんすけど、どうせ恋陣営おもしろおかしく希望した人多い気がしてて、リア充やらアイドルやら絡新婦やらがいるかもで、なみさんや要さんが恋化してる可能性もあるっすよね
+424 バニー 結良 2018/12/14 22:28:10
54時間くらい4日目やってるからな
4299 学生 比奈 2018/12/14 22:29:04
恋陣営ってそんな楽しいか...?
4300 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:29:48
窓は楽しかったけど、動きにくかった。
4301 小学生 朝陽 2018/12/14 22:30:22
エスパー様がどうしても色が気になる人とかはいないのか?
4302 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:31:19
まあ、素村側を引くよりは楽しかったと思いますよ、前回の恋陣営。
4303 研修医 忍 2018/12/14 22:32:13
リア充でギスギスオンライン化した記憶が強い。
4304 研修医 忍 2018/12/14 22:33:22
BJ計画は今思うと何故遂行できたんだろうと。
4305 警察官 晋護 2018/12/14 22:35:44
>>4295
たしかに少ししか使ってませんでしたね。
まあ全く使わなかった訳ではないのですが。

あと、エスパー把握です。
4306 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:37:23
>>4301 投票変えなさそうかなぁ。。
4307 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:38:33
>>4302 今はもういい思い出です。
4308 カメラマン つくね 2018/12/14 22:39:56
晋護−クリスタで同窓同士の場合、爆弾魔の本当の罠は別なところにある可能性がある
4309 カメラマン つくね 2018/12/14 22:40:30
ランダム発動に関する誤爆は本物。
相手がクリスタさんという話が偽物、みたいな。
4310 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:41:08
>>4307
今回のエスパー人生を愉しみましょう!
4311 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:42:01
>>4310 キュピーンと出来て大変満足しました。
4312 学生 比奈 2018/12/14 22:42:32
キュピーン。
4313 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:42:34
>>4311
たのしそうだよなあ。
4314 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:43:35
私のはなんつーか……。
4315 学生 比奈 2018/12/14 22:44:27
南ちゃんブロック?
おしゃま 優奈 は役職調査対象選択を取り消します。
警察官 晋護 が お忍び ヴィクトリア に投票しました。
お忍び ヴィクトリア は 警察官 晋護 のプレッシャーを感知しました。
4316 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:45:30
いえ、ブロックではないと思います。
ただ今回の状況だと……時が来たらお話します〜。
警察官 晋護 が投票を取り消しました。
4317 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:46:21
ふぁっ。
晋護さん、人外宣言ですか。。
4318 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:47:01
>>4315>>4316 の間に1回。
4319 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:47:04
>>4317
キュピーン来ました?
4320 カメラマン つくね 2018/12/14 22:47:10
エスパーは楽しそうっすね。99人村でもぜってー強いっす!
4321 小学生 朝陽 2018/12/14 22:47:16
うーん麻耶が明日死んでたら人外探しには使えなかったと諦めるしかないか
4322 警察官 晋護 2018/12/14 22:47:20
すぐ取り消しました。
4323 警察官 晋護 2018/12/14 22:47:47
4324 カメラマン つくね 2018/12/14 22:47:47
あらら、さすがに投票しないでしょうし。
4325 赤子 羽風 2018/12/14 22:48:05
>>4322
アウトやなぁ
4326 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:48:36
すぐ取り消したとかいう問題ではないのでは?w
4327 警察官 晋護 2018/12/14 22:48:37
>>4318
あってます。
4328 カメラマン つくね 2018/12/14 22:48:44
いや、クリスタさんとヴィクトリアさんがプルダウンリストで並んでるのでもしや
4329 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:48:46
>>3339は読まなかったですか。
4330 学生 比奈 2018/12/14 22:49:44
合ってますちゃうねん!
4331 赤子 羽風 2018/12/14 22:50:10
この警察官、すごくクリスタを庇ってるように見える
4332 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:50:36
イベントが絶えないなあ……。
+425 バニー 結良 2018/12/14 22:50:49
やはり狂人だったか
4333 ニート 欧司 2018/12/14 22:51:09
明日、ヴィクトリアさんが生きていた場合
村側は基本間違えてもセットしないように、お願いします。
一回でもセットして、ヴィクトリアさんが死んだ場合容疑者というか犯人になります。
護衛はあのそのあれ。
4334 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:51:23
>>4331
ぜんぜん投票してくれませんしね。
ログを読んでいるようにも見えないのですが。
4335 カメラマン つくね 2018/12/14 22:51:34
>>4331 これこれ>>4286
4336 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:51:49
窓で話してるんですか?
-202 ニート 欧司 2018/12/14 22:52:07
まっずいなぁ。
どうすっかな・・・
4337 赤子 羽風 2018/12/14 22:52:29
>>4333
能力自体が護衛のようなものだから護衛いらんじゃろ
4338 お忍び ヴィクトリア 2018/12/14 22:52:42
欧司さん、ありがとうございます。
4339 警察官 晋護 2018/12/14 22:52:44
>>4329
多分読み逃してますね。。
申し訳ない。。。
流し読みしているので。。
4340 赤子 羽風 2018/12/14 22:53:22
>>4335
いや、そもそも警察官が人外ならクリスタ罠発言から庇ってるような
4341 カメラマン つくね 2018/12/14 22:53:32
>>4333 ヴィクトリアさんが生きてたら護衛、死んでたら襲撃だ!
未CO者からのキュピーンの履歴は後出しでよいのでは?
4342 警察官 晋護 2018/12/14 22:53:34
かばってはないんですがね。。
4343 カメラマン つくね 2018/12/14 22:54:15
えっと、晋護さんさヴィクトリアさんになにしたの?
4344 ニート 欧司 2018/12/14 22:54:35
>>4337
基本踏みには来ないと思いますけどね・・・
そのまま私が告発しますし。
その場合村狼1ー1交換なので許容できます。
4345 警察官 晋護 2018/12/14 22:54:52
「証明のために吊る」
⬆これがよくわからなかったので。
4346 絵本作家 塗絵 2018/12/14 22:55:18
んー

まさか、いやまさかね
4347 警察官 晋護 2018/12/14 22:55:23
>>4343
投票した後すぐキャンセルしました。
4348 カメラマン つくね 2018/12/14 22:55:49
>>4347 投票した理由は?
4349 赤子 羽風 2018/12/14 22:56:13
>>4347
キャンセルは関知しない
4350 警察官 晋護 2018/12/14 22:56:32
罠まだ使ってないのなら
ここでヴィクトリアさんに使ってたな。。。
*287 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:57:11
なんでこんな、人狼のSGがどんどん出てくるんだ。いいけど。
4351 ニート 欧司 2018/12/14 22:57:57
>>4341
ヴィクトリアさんが死んでも基本はセット1人の方がやりやすいはず。
護衛は要りませんね。
4352 赤子 羽風 2018/12/14 22:58:02
警察官……罠……囮捜査か
4353 カメラマン つくね 2018/12/14 22:58:15
んー、まあこれは投票ミスかなみたいな……他のセット能力者で一連のあれこれはちょいと難易度高そうな
4354 警察官 晋護 2018/12/14 22:58:36
>>4347
エスパーについての使用(途中投票も感知するのか)
よくわからないので
未投票者はまだいるしコミットされないから
害はないだろう、と
実験をしました。
4355 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:59:29
コイツ前回魔女能力奪われてなかったとしても、大して役に立たなかったんじゃねーか?
4356 警察官 晋護 2018/12/14 22:59:38
>>4352
座布団2枚あげます
4357 赤子 羽風 2018/12/14 22:59:44
足掻いてももう今日はクリスタで決まりだぞ
4358 ウェイトレス 南 2018/12/14 22:59:45
思わず素で喋ってしまいました。
4359 カメラマン つくね 2018/12/14 22:59:55
俺は晋護さん人外だと思ってるけど>>4354 の理由はガチぽいと思うっすよ
4360 外来 真子 2018/12/14 22:59:57
>>4328のとおりクリスタさんとヴィクトリアさん投票で隣同士なので
投票間違いでヴィクトリアさんに投票。(自分もしかけた)
というのならわかりますがそれなら投票しなおしをすぐしそう。
でも解除しただけなので→何かしら別のセット?
って疑惑が…。

ってあえてやってるのですか?
4361 警察官 晋護 2018/12/14 23:00:15
>>4355
かなしいです。
4362 赤子 羽風 2018/12/14 23:00:31
>>4355
しーっ

いや人外なんだよきっと。俺は人外だと信じるぞ
4363 情報学部 範男 2018/12/14 23:00:53
ガチャまだかなー
4364 ニート 欧司 2018/12/14 23:01:33
>>4354
一応村側のていで話しますが、疑われている状況では動き方に注意が必要かと・・・
エスパーのチェックも村側ならあんまり必要じゃないはずです。
村側がエスパーに投票・能力行使するパターンは・・・
4365 警察官 晋護 2018/12/14 23:01:37
。。。。。
4366 外来 真子 2018/12/14 23:01:54
誰かがすでにそういうことはしてたような、
しかもやりまくってヴィクトリアさんの目にダメージ与えてたような…
4367 カメラマン つくね 2018/12/14 23:01:58
晋護さんはまだ投票しないのは投票先迷ってるっすか?
4368 警察官 晋護 2018/12/14 23:02:41
>>4364
そうだったなら申し訳ないです。。
4369 ニート 欧司 2018/12/14 23:02:48
>>4366
その、ポケベルがわりに出来るやん!と・・・
4370 警察官 晋護 2018/12/14 23:03:31
いや、迷ってはないです。
えー、クリスタさんでいいんですよね?
4371 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:04:08
。。。。。。なのはこっちなんだよ。
なめてんのか!
4372 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:04:29
落ち着きます。
4373 外来 真子 2018/12/14 23:04:30
>>4369
眩しいオレンジらしいので控えてあげてください(ニートさん以上の人がいた気もする)

ちなみにポケベルは名前しか知らないですねぇ。
4374 警察官 晋護 2018/12/14 23:04:43
ごめんなさい。
4375 ニート 欧司 2018/12/14 23:05:43
>>4368
途中投票は検知するのか?
村側は基本、村側に投票しないので、チェックする必要性が薄いかなぁ。

単純な好奇心とかだと申し訳ないんですが・・・
4376 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:05:46
RPを剥がさせた第一の男として、記憶しておきます。
警察官さん、すごい人です……!
4377 ニート 欧司 2018/12/14 23:06:34
>>4374
あやまらなくても・・・

投票はクリスタさんでお願いします。
4378 警察官 晋護 2018/12/14 23:07:25
>>4375
これでコミットされるなら大問題なんですが
そうではなかったので。。
警察官 晋護 が 修道女 クリスタ に投票しました。
*288 外来 真子 2018/12/14 23:07:46
うーむ、ガチ人外なのだろうか?
クリスタさん吊られそうなこの状況でやるのはクリスタさん庇いに確かに見える。

ただ恋でつながってるにしては迂闊かなぁと思うんですね。
恋の大本(キューピッドとか)でランダムクリスタさんと誰か
とかなんですかねぇ。これ。
4379 警察官 晋護 2018/12/14 23:07:50
投票しました。
4380 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:08:06
小百合さんは酔っぱらって寝てるんですかねー。
4381 学生 比奈 2018/12/14 23:08:07
ちょくちょく剥がれてたような。
4382 警察官 晋護 2018/12/14 23:08:20
すごい人なのか。。。。
4383 外来 真子 2018/12/14 23:08:29
>>4375
まぁ好奇心っぽいですねぇ。反応見ると。
4384 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:08:59
>>4381
自分の意志で剥がしたことはあります。剥がれるのを抑えられなかったのは、今回が初めてです。
4385 学生 比奈 2018/12/14 23:09:08
できる限りログは読むようにしような!それだけで大分変わる!
4386 赤子 羽風 2018/12/14 23:09:21
>>4378
コミットされなくても大問題なのだが。

例えば明日ヴィクトリアが噛まれて死んでいた場合、警察官が軽はずみにセットしたことで容疑者が増えるということは分かるかい?
*289 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:09:31
>>*288
それべつに表で言ってよくない?
*290 外来 真子 2018/12/14 23:10:05
たしかに
4387 ニート 欧司 2018/12/14 23:10:23
>>4379
お疲れ様です。
考察とか頑張ってくれたのはみていますので(ただ吊らないパターンは・・・)
4388 外来 真子 2018/12/14 23:10:37
うーむ、ガチ人外なのだろうか?
クリスタさん吊られそうなこの状況でやるのはクリスタさん庇いに確かに見える。

ただ恋でつながってるにしては迂闊かなぁと思うんですね。
恋の大本(キューピッドとか)でランダム発動でクリスタさんと誰か
とかなんですかねぇ。これ。
4389 学生 比奈 2018/12/14 23:10:45
>>4384
なるほど.....。
*291 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:11:07
まあさすがに人外なんじゃねーかな。
4390 警察官 晋護 2018/12/14 23:11:38
>>4386
あー、なるほど…?
4391 赤子 羽風 2018/12/14 23:11:40
>>4388
見たままなら狂人とかそういう系っぽく見えるね
4392 学生 比奈 2018/12/14 23:12:40
今回は窓でカバーができないから頑張ってくれたまへ。
4393 警察官 晋護 2018/12/14 23:12:42
>>4385
もちろんです。
4394 赤子 羽風 2018/12/14 23:12:44
>>4390
セットは関知するが、取り消しは関知できない。

テストと称して大人数がセットすれば襲撃セットをごまかせるんだよ
4395 囚人 要 2018/12/14 23:12:48
ログを読まないが勝ちたいと主張する者は多い。
4396 囚人 要 2018/12/14 23:13:03
まあ、俺はエスパーには触るなと散々言ったからな……。
+426 バニー 結良 2018/12/14 23:13:08
真面目じゃないとは言わんが
周りが何について議論してるか理解する気がなさそうなのは困るね
*292 外来 真子 2018/12/14 23:13:14
まぁ直近の挙動は村に見えませんからね…。

昨日あたりまではやらかした罠師に見えなくもなかったんですが。
4397 赤子 羽風 2018/12/14 23:14:03
俺も言ったが一回言っただけではまぁ読んでない人には伝わらないな。反省しなくては。
4398 外来 真子 2018/12/14 23:15:01
>>4391
単独で吊られても構わない=狂人?、って感じに見えますよね。
背徳者系とかの可能性もあるのかな?
*293 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:15:10
一応、ある意味では味方である人外が、こんな頼りないやつだとはな……。
4399 赤子 羽風 2018/12/14 23:15:14
>>3709再掲
4400 赤子 羽風 2018/12/14 23:15:53
>>4398
背徳とかQとか、自分の生死は重要じゃない系かな
4401 警察官 晋護 2018/12/14 23:16:10
>>4394
あ、そういうことですか。
納得しました。
迂闊に実験するではなかったです。。
疑いの目がこっちに向くのか。。
まあすでに疑われているのですがね。。
4402 研修医 忍 2018/12/14 23:16:16
カッコつけユリアンがまた閃いた間にこの警察官。。。
4403 ニート 欧司 2018/12/14 23:16:17
好奇心は抑えられない。
コンピュータがプレッシャーを与えられるのか、死体がプレッシャー出していいのか?
おさまれ!私のエンターボタンとか思いながらセットしましたし・・・
*294 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:17:04
いや、頼りあるのか。まあまあ村を荒らしてくれたしな……。
+427 バニー 結良 2018/12/14 23:17:34
えてしてこういうやつは村側なのである
残念ながら!
4404 宇宙飛行士 星児 2018/12/14 23:18:08
こいつ……死体のはずなのに威圧感が……!
4405 警察官 晋護 2018/12/14 23:18:15
それを読む前に実験をしてしまった。
+428 ニート 欧司 2018/12/14 23:18:17
とはいえ、生かしておくわけにも・・・
4406 研修医 忍 2018/12/14 23:18:41
>>4403 ニートと警察官では、失うものが違いすぎる。
4407 赤子 羽風 2018/12/14 23:18:49
>>4401
つまり、

一旦は警察官吊りだった流れがクリスタに流れた

警察官が迂闊な行動をした

クリスタ吊りから自分疑いに戻したいのでは

というのが今の話題である
4408 警察官 晋護 2018/12/14 23:19:21
コンピュータがやったのでいいだろと
いうことにしとけばよかったのか。。
4409 ニート 欧司 2018/12/14 23:19:35
>>4406
安全圏ですし・・・
やりすぎて怒られてしまいました・・・

元ニートです。
4410 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:19:52
やらなければよかったのでは?
+429 バニー 結良 2018/12/14 23:19:57
要とヴィクトリアの頑張りのお陰で奇跡的にクリスタを吊れそうなので
その先はまた様子を見てだな
死ぬ可能性は高いが
4411 囚人 要 2018/12/14 23:20:32
エスパーには触るなと、散々、言ったからな……。
それでも触るって事は、吊られ希望と取って構わないだろう。
4412 ニート 欧司 2018/12/14 23:20:34
>>4408
私は襲撃役職の可能性が0なので・・・
セットしても容疑者は増えないです。
4413 外来 真子 2018/12/14 23:20:49
>>4400
死んでも後追い起きないし生存してなくても陣営勝てばよい系ですね。

>>4403
まぁニートさんは非襲撃は確定してますから疑われないので…。
4414 警察官 晋護 2018/12/14 23:20:56
>>4410
はい。。
4415 囚人 要 2018/12/14 23:21:07
警察官は吊られ希望の人外だ。
みんな良く解ったな!
+430 バニー 結良 2018/12/14 23:21:14
罠をつけたら狂人はあと吊られるくらいしか仕事ないからな
4416 囚人 要 2018/12/14 23:21:39
村側でこれをやってたら、味方の敵レベルが非常に高い。
4417 ニート 欧司 2018/12/14 23:21:51
この国は初見殺しが強力過ぎる・・・
4418 囚人 要 2018/12/14 23:21:58
まさか……まさかそんなゴミ野郎ばかりが味方の訳が……。
4419 囚人 要 2018/12/14 23:22:04
よろり
*295 外来 真子 2018/12/14 23:22:33
まぁ明日は警察官さん吊に流れそうではありますし助かります。
村トレースすると残しては置けない…。
4420 赤子 羽風 2018/12/14 23:22:36
ふぇーん
-203 警察官 晋護 2018/12/14 23:22:37
-204 警察官 晋護 2018/12/14 23:22:38
4421 警察官 晋護 2018/12/14 23:23:06
。。
4422 囚人 要 2018/12/14 23:23:07
初見殺し、解らん殺しが凄すぎるからな、ねじ天は。
ログ読まないで解らん殺しされました!
と言う可能性もあるが

やだやだ
拙者ログ読まないけど死にたくないですとか
吊られ希望の行動しますけど村側ですとか主張する奴と同じ陣営にいたくない
やだやだ
小生やだ!
4423 囚人 要 2018/12/14 23:23:38
だからこれは味方の敵じゃなく、普通の敵なんだ……きっとそうだ……そうであれ……よろり
+431 ニート 欧司 2018/12/14 23:23:46
エスパーに触れる
変な踊り見たCO
村人CO
危険物多過ぎ・・・
4424 警察官 晋護 2018/12/14 23:24:16
そうじゃないのでつらいです。
4425 赤子 羽風 2018/12/14 23:24:45
まぁドンマイ
4426 囚人 要 2018/12/14 23:24:49
カズマーンも警察官も村側だったらエピローグでカズマーンの中学生の時アップしたyoutubeの動画をアップロードするとかやりかねない
-205 外来 真子 2018/12/14 23:24:53
まぁ反面教師として刻んでおこう。説明書よく読んでこの役職はどう動くべきか…。
最悪役職によるけどCOしてもいいくらいだな、この国だと(さすがに護衛系はまずいか)
*296 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:25:30
まあ、学者は警察官占えとかの意見も見えたが。
表面上の判定は優奈に任せよう。
+432 バニー 結良 2018/12/14 23:25:43
楽して勝ちたい迂闊にエンジョイは理解できるが
堂々行動されると真面目にやってる我々は死ぬほど叩きたくなってしまう
4427 研修医 忍 2018/12/14 23:26:49
>>4426 そこまで
4428 ニート 欧司 2018/12/14 23:27:15
私もエスパー即時キュピーンだとは思っていなかったので、人外とかで事故って死んでたのは私かもしれなかったわけで・・・
その、ドンマイ!
*297 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:27:16
弥生がぶっさした時点で優奈の信用なんかないものと思っていたが。
警察官とかクリスタが出てきて優奈吊りどころじゃないのが笑う。
4429 アイドル 岬 2018/12/14 23:27:21
待たせてなくて良かったです。
取り敢えず投票はクリスタさんに変更。

クリスタさん、吟遊詩人の言動じゃないだろうとは思うけど、その場合範男偽か陣営変化してるかなのよね。
私も彼は真っぽいな思ってたけれど。
4430 赤子 羽風 2018/12/14 23:27:26
聖人が明日別の場所から吟遊詩人持ってきたりしないかな
-206 外来 真子 2018/12/14 23:27:43
とか考えるべきだな。
今回は仲間が心強くて助かった…。
アイドル 岬 が 修道女 クリスタ に投票しました。
+433 バニー 結良 2018/12/14 23:28:43
範夫まあまあ真っぽいなと思ってたけど歌聞いたとか言い出したからアイツも吊るべきリストに入ったわ
4431 赤子 羽風 2018/12/14 23:29:07
>>4429
クリスタの仲間が吟遊詩人で歌自体は合ってる可能性
*298 外来 真子 2018/12/14 23:29:36
帝狼による従者疑惑がどっか行ってますからね…。
看板娘で議論が長引いてだれてる感も少々。

また優奈さん本人は脅威に見られてないんでしょう。
ちょうど第三回のいなさんポジションですね。
信用できないが吊ってる暇がない。
+434 バニー 結良 2018/12/14 23:29:58
俺は歌自体が嘘派だね
-207 赤子 羽風 2018/12/14 23:30:05
*299 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:30:40
長生きしてくれると嬉しいな〜。
4432 研修医 忍 2018/12/14 23:31:30
思ってたより伯爵が受けてるダメージが多かった。
わかるけど。。。
とりあえず寝る。おやすみ。
*300 外来 真子 2018/12/14 23:31:31
あー、そうか。みんな優奈さん殺人鬼先生に噛まれると思ってるのかな。

存在忘れかけてましたが。
-208 警察官 晋護 2018/12/14 23:31:35
つまりエスパーを禁則事項ですには本人のいないうちに襲撃をセットしたあとすぐに投票をセットするのが有効なのか?でもこの村だとコンピュータがいるから村側だと襲撃役もろともおっ死んじまうのか。
4433 ニート 欧司 2018/12/14 23:31:58
>>4431
吟遊詩人以外の歌歌う系役職が仲間のパターンにbet.
*301 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:32:32
んー…紅撫子や狛犬じゃ信用が足りないな
紅には刑部狸として動いてもらおう
騙りの信用は「行動の一貫性」で決まる
必ず「発言が落ちた理由」を話させる必要がある
「聖人に村役職判定で役職を隠してもらった以上役職を読まれたくなくて上手く発言ができなかった」とか言ってもらおうか
*302 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:32:48
それもあるね。
殺人鬼先生、一時休戦しようよ〜。
*303 研修医 忍 2018/12/14 23:32:53
明日首尾よく行ってる事を祈ろう。おやすみなさい。
-209 警察官 晋護 2018/12/14 23:33:05
そういや「禁則事項です」は禁則事項だったな。
4434 令嬢 御影 2018/12/14 23:33:18
吊り先決まった?
4435 警察官 晋護 2018/12/14 23:33:33
クリスタさん。
*304 外来 真子 2018/12/14 23:33:41

刑部狸(刑)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:×][狼:×][妖:×][呪:×]
終了判定では人狼にも人間にも数えません。
人狼から襲撃されると生存している村人陣営全員を、処刑されると生存している人狼陣営全てを富者にします。(投票数+1)
村人陣営役職からの襲撃の場合は人狼陣営を、人外陣営からの襲撃の場合は村人陣営を富者にします。
ダミーがこの役職になった場合は何も起こりません。
※この役職が編成に含まれると強制的に票数公開オフになります。
4436 ニート 欧司 2018/12/14 23:33:43
クリスタさんに
4437 赤子 羽風 2018/12/14 23:33:46
ニートはいいコンピュータかもな
*305 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:34:12
刑部狸(刑)【村人陣営】[占:○][霊:○][数:×][狼:×][妖:×][呪:×]
終了判定では人狼にも人間にも数えません。
人狼から襲撃されると生存している村人陣営全員を、処刑されると生存している人狼陣営全てを富者にします。(投票数+1)
村人陣営役職からの襲撃の場合は人狼陣営を、人外陣営からの襲撃の場合は村人陣営を富者にします。
ダミーがこの役職になった場合は何も起こりません。
※この役職が編成に含まれると強制的に票数公開オフになります。
おしゃま 優奈は遺言を書きなおしました。
「聖人CO By優奈
学者:昌義村人→紅刑部狸→小百合
霊媒:昌義村人→弥生村人
神主:欧司村人→智哉埋毒者→茜激おこぷんぷん丸→続賢者→結良看板娘」
4438 警察官 晋護 2018/12/14 23:34:35
もしエスパーさんが死んでも
コンピュータさんが犯人を
伝えてくれる、かもですね。
4439 赤子 羽風 2018/12/14 23:34:38
クリスタ吊りについてバニーちゃん何か言ってる?
4440 ニート 欧司 2018/12/14 23:34:52
>>4437
急になんですか?擦り寄りですか?
擦り寄りますよ?
+435 バニー 結良 2018/12/14 23:34:58
>>4438
犯人の一人はお前やぞ
*306 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:35:04
紅さんに会ったら伝えておこう。
4441 警察官 晋護 2018/12/14 23:35:16
スリスリ
*307 外来 真子 2018/12/14 23:35:17
>>*303 おやすみなさいー。
+436 バニー 結良 2018/12/14 23:35:20
>>4439
ようやった
そのままぶっ殺せ
*308 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:35:43
よろしく
COするタイミングになったら
「発言が落ちた理由」を上手く話させるようにね
4442 赤子 羽風 2018/12/14 23:36:03
>>4440
バニーちゃんの言葉が本物っぽいのとか、意見の感じがなんとなく
*309 外来 真子 2018/12/14 23:36:31
地味に恐ろしい効果ですね。要は人数が疑似的に2倍。PPも容易に。
4443 ニート 欧司 2018/12/14 23:36:49
>>4438
そういうことです。
なので狼は狼以外の容疑者を増やしたい。
容疑者を増やす動きは・・・
4444 警察官 晋護 2018/12/14 23:37:03
コンピュータについては反逆コンピュータなら
幽霊COしそうなものだし、
協力コンピュータでみようかな、と
思っています。
4445 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:37:11
来るのが遅くなったと思ったら
クリスタ吊りの流れになってた
まあ怪しい所は吊るってのは方針として正しいと思うけどね
4446 文学部 麻耶 2018/12/14 23:37:13
日付変更後にと言ったな、あれは嘘だ。(2度目のトイレ)

クリスタは割と村目で見てたからクリスタ吊り扇動してる人らが人外なんじゃないかと思ってたんだけど、考えてみれば仮に発狂やら何やらしてた場合吟遊詩人の歌でわたしが無駄死にする恐れがあるからある意味これが最善手なのかもな
4447 ニート 欧司 2018/12/14 23:37:52
>>4439
バニー様より
>>4439
ようやった
そのままぶっ殺せ
+437 バニー 結良 2018/12/14 23:38:07
あれが村目ってマジかよ
4448 文学部 麻耶 2018/12/14 23:38:15
あと、そうだなあ。
襲撃役職は頭数減らすよりも黒幕をさっさと退治してくれ
おしゃま 優奈 が投票を取り消しました。
4449 赤子 羽風 2018/12/14 23:38:35
優奈ちゃんはかわいいなぁ
4450 令嬢 御影 2018/12/14 23:38:43
クリスタって入れると死ぬかもしれないんじゃないのか?
+438 バニー 結良 2018/12/14 23:39:04
>>4450
一人くらい必要な犠牲だよ
4451 赤子 羽風 2018/12/14 23:39:04
>>4447
了解っす
4452 文学部 麻耶 2018/12/14 23:39:06
お墓に行ったらリアルの愚痴でも零してようかね
いや10割自業自得な案件なんだけども
4453 赤子 羽風 2018/12/14 23:39:35
>>4450
運悪いやつ1人だけやで。日頃の行い次第でなんとでもなる
4454 警察官 晋護 2018/12/14 23:39:37
黒幕やたらと意識してますね。
黒幕で見ている訳ではないのですが。
4455 文学部 麻耶 2018/12/14 23:40:18
あ、そうそう
人狼関係ない完全に個人的なアレなんだけど、わしが死んだらサクッと伊澄クンを墓送りにしてくれると嬉しいよ
ぼくは死んでもご飯が食べたい
4456 警察官 晋護 2018/12/14 23:41:03
なにか恨みでもあるんですか定期。
4457 文学部 麻耶 2018/12/14 23:41:09
>>4454 むしろみんなが意識しなさすぎなんだよー
6Wしかいないのに今お墓に2Wいるんだよ?
しかも襲撃役職が狼以外にもいるからいつ終わるかわかったもんじゃないもの
4458 赤子 羽風 2018/12/14 23:41:18
>>4455
専属コックは死してなお作らされる……うーんブラック
+439 バニー 結良 2018/12/14 23:41:25
殺人鬼からしたら黒幕なんか狙って食わんやろ
村減らして四天王のほうがまだ勝つ可能性高いぜ
4459 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:41:26
それでこれ私はどこに投票するべきなのかな
疑われてるんならクリスタに投票するべきなんだと思うんだけど
そんなことしても村陣営が有利になるとも思えないんだよね
+440 バニー 結良 2018/12/14 23:42:15
>>4459
どうせ従者だろうから適当なところに捨て票しといたら
4460 文学部 麻耶 2018/12/14 23:42:39
伊澄クンに関しては恨みよりもご飯係としてついてきてくれ感あるね
ヤンデレ(役職)じゃないのでそこまで頼みはしないがせめてお供えはください
4461 赤子 羽風 2018/12/14 23:43:07
>>4459
心配なら麻耶ちゃんにでも入れてみたら?
4462 警察官 晋護 2018/12/14 23:43:17
>>4457
あー、6W保護っていうのは
6W以上、ではなく
本当に6Wしかいないんですね

まあでもLWにならない限り大丈夫
だとは思うんですけどね。(超楽観的)
-210 外来 真子 2018/12/14 23:43:19
これ警察官さん黒幕?でもセット能力は無いよね、黒幕。
4463 文学部 麻耶 2018/12/14 23:43:19
んじゃあと20分くらい頑張ってきまーす
そのあとバイトだけどまあ
4464 ニート 欧司 2018/12/14 23:43:23
>>4460
お供え(伊澄さん)
4465 警察官 晋護 2018/12/14 23:44:03
死ぬのがいやなら私にでも投票しておけと
要さんは言っていた。
4466 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:44:22
>>4461
まあそれでもいいんだけどそれって私が入れた分占いできる人少し少なくならない?
4467 警察官 晋護 2018/12/14 23:44:43
あ、私というのは自分のことです。
*310 外来 真子 2018/12/14 23:46:03
眠いのでこのまま表も出ずにフェードアウトしますー。

おやすみなさいー。
4468 警察官 晋護 2018/12/14 23:46:06
ヤンデレは対象と生死が同じであれば
勝ち判定のその他、でしたよね?
*311 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:46:31
みんなおやすみ
4469 令嬢 御影 2018/12/14 23:46:59
日頃の行いには自信があるんだ
令嬢 御影 が 修道女 クリスタ に投票しました。
*312 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:47:18
それぞれ騙る役職も決まったしここからはスタンドプレイ
仲間なんていない!
私たちは全員それぞれ真を取るつもりで動くんだ!!
+441 バニー 結良 2018/12/14 23:47:31
>>4469
行け〜!
納豆野郎を吊るせ〜!
*313 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:47:51
おうおう
-211 教育学部 伊澄 2018/12/14 23:48:26
>>4460
わーい
4470 警察官 晋護 2018/12/14 23:48:33
ヤンデレ(ヤ)【特殊陣営】
あなたはある想い人のことをどんな状態でも追いかけようとするヤンデレです。どの陣営にも属さず特殊な勝敗条件をもつ役職です。
あなた1日目にある想い人について思い巡らせます。
その運命の想い人は生きている間はもちろん一緒に生きていることが幸福でしょう。しかし死んでしまった場合は自分も一緒に死んでいることこそ幸福と思い込みます。
村が終わったとき想い人が生きていたのなら自分も生きていることが、死んでいたのなら自分も死んでいることこそがあなたの勝利となります。
あなたの想いはあくまで一方通行。悲しいことですが想い人は何も気付いていないでしょう。

うん、あってたあってた
4471 ニート 欧司 2018/12/14 23:48:59
>>4470
99人村で引きたかった役職。
4472 ニット帽 光 2018/12/14 23:49:04
コンピュータがなんかの拍子にバグって寝返ったりしないかが心配だな
今のとこ大丈夫そうだが
4473 警察官 晋護 2018/12/14 23:49:11
なんか自問自答みたいになってしまった。
4474 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:50:01
ヤンデレ…ある意味恋人の上位互換だよね
4475 ニット帽 光 2018/12/14 23:50:02
闇鍋に入れた役職は何もすることなく息を引き取ったな(遠い目
4476 警察官 晋護 2018/12/14 23:50:11
>>4471
大抵勝てそうですよね。
4477 赤子 羽風 2018/12/14 23:50:16
>>4466
事前に打ち合わせしてないから何人入れるか不明。そこは気にしなくて良いかと
4478 アイドル 岬 2018/12/14 23:50:35
>>4431 >>4433
な、なるほど……?

狼に歌える役職は無いみたいだから、恋辺りで繋がってることになるのかしら。
なんか、都合よく解釈した感は否めないな。
4479 ニート 欧司 2018/12/14 23:50:39
>>4472
キュインキュインキュイン
バグりました・・・

シュウフク スル ニハ ユキチ ヲ 5人 イケニエ 二
4480 ニット帽 光 2018/12/14 23:51:27
>>4479
誰か福沢諭吉(ルーラー)召喚してきてー
4481 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:51:55
>>4477 うーん
まあよっぽどのことがない限り吊れることはなさそうだし
それならとりあえず麻耶に入れとこうかな
4482 赤子 羽風 2018/12/14 23:52:17
俺に罠当たったら年末ジャンボ当たるからそれで直してやるよ
4483 警察官 晋護 2018/12/14 23:52:18
>>4479
金食う機械だなコイツ!
*314 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:53:02
霊媒判定どう出すか困るんですけどぉぉぉぉ!!!
4484 警察官 晋護 2018/12/14 23:53:08
それと手相占いは投票者全員占えるんですね(いまさら)
*315 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:53:22
それは非常にわかる。
4485 ニット帽 光 2018/12/14 23:53:23
実際問題バグった機械って金食うからなあ
4486 絵本作家 塗絵 2018/12/14 23:53:24
このコンピューターはでき損ないだ、食べられないよ
4487 赤子 羽風 2018/12/14 23:54:02
できたコンピュータなら食べられるのか……?
*316 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:54:22
基本は真判定出そうか
人外数攪乱よりは下手な信用落としの方がきついかな
おしゃま 優奈 が 文学部 麻耶 に投票しました。
4488 ニート 欧司 2018/12/14 23:54:47
パソコンなぁ、修理させる気ないよなぁ。
高いんだよなぁ。

バグるのはいい。
急なブルースクリーンは心臓に悪いからやめてほしい。
4489 赤子 羽風 2018/12/14 23:55:13
>>4478
まぁ可能性のひとつとしてね
*317 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:55:21
まあ、そうね。あれが本当に吟遊詩人だったところで、私達が怪しくなるわけじゃないし。
4490 ニット帽 光 2018/12/14 23:55:21
よくできた食用コンピュータ

うーんこれはSCP
*318 おしゃま 優奈 2018/12/14 23:56:28
手相占い師投票者が不明な以上小百合に出す判定に困るな…
占われてたら探知師
占われてなかったら村人を当ててみようか…
4491 ニート 欧司 2018/12/14 23:57:11
OSがNI10だからなぁ。
おしゃま 優奈 は 囚人 要 の役職を調べます。
4492 キャバ嬢 瑠樺 2018/12/14 23:57:33
>>3710

見づらくしてごめんなさい。
警察官に変えました。
もうしません。すみません。
4493 警察官 晋護 2018/12/14 23:57:36
>>4490
SCP-1259-JPとSCP-079が
合体するとできそう。
4494 赤子 羽風 2018/12/14 23:57:38
そろそろ寝るか……長い4日目だった
*319 ウェイトレス 南 2018/12/14 23:57:44
いいと思う。
4495 赤子 羽風 2018/12/14 23:58:06
>>4492
クリスタやでママ
4496 学生 比奈 2018/12/14 23:58:09
見づらいという問題ではないんだよなあ。
4497 赤子 羽風 2018/12/14 23:59:15
ようやく891の約半分消費したと思ったら要っち……流石やで
4498 警察官 晋護 2018/12/14 23:59:22
画面見るたびまだ殺されていないのか…
と怯えるような日でしたヨ。。。
4499 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:00:34
余談だけどSCPって結構有名なのかな?
番号まで覚えている人を見るとその人が大量に覚えているだけなのか
それともごく一部有名なものがみんなに知られているのか気になる
4500 警察官 晋護 2018/12/15 00:00:55
99/3人しかいないのに2日目の99人村が如く
ログが伸びている。
4501 ニート 欧司 2018/12/15 00:01:13
>>4499
コアなファンが多いイメージ?
4502 ニット帽 光 2018/12/15 00:01:25
番号まではほとんど覚えてないけどSCP-040-JPは強烈に頭に残っている
*320 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:02:46
とはいえ明日は警察官吊り濃厚なら、小百合を敵に回す一日にしなくてもいい気はするな。
4503 警察官 晋護 2018/12/15 00:03:39
番号はほとんど覚えず項目名で覚えているのがほとんど。
>>4493の発言は検索したからわかっただけ。

へっくしょん! ねこです
*321 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:04:52
霊界の通信が伝えられる前の小百合真判定なら、信用も上がるとは思う。小百合が陣営変化1だと通知されているなら、小百合が優奈を疑うことはなくなるかもなあ。
4504 警察官 晋護 2018/12/15 00:05:19
自分のクラスにはSCP知ってる友達が一人しかいなかった。

へっくしょん! 確保、収容、保護。
4505 ニート 欧司 2018/12/15 00:06:23
有名な猫ものに関してはは知っているいひとがま多かったりしますねーす。(猫とかコンクリとか)
*322 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:06:29
小百合は探知師だから明日COしてくる
「人外変化1人」と結果を出されたら実質私とのラインは切れる
先手を打ってあわよくば「弥生を捨て駒にした狼のブレイン」にしたい
4506 ニート 欧司 2018/12/15 00:07:44
投票はクリスタさんでお願いします!
4507 ニット帽 光 2018/12/15 00:07:55
ねこはだいたい収容違反です
よろしくおねがいします
4508 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:07:56
猫ですの動画があるのは知ってるけど怖すぎてまだ見てない
4509 警察官 晋護 2018/12/15 00:08:04
あはい
*323 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:08:45
ふむ?仕様に誤解があったようだ。
優奈のやり方に合わせよう。
*324 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:08:52
逆に手相に票を突っ込んでるようなら探知師判定を出して信用稼ぎ
結果が「人外変化1人」とかならなおラッキー
4510 文学部 麻耶 2018/12/15 00:08:52
寒いよおおおおおおおお
4511 警察官 晋護 2018/12/15 00:09:18
>>4507
収容違反しているのが
よく伝わりました。
*325 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:09:26
「人外変化2人」だったわ
長期だと結果が出る日は1日ずれるらしい
小百合はまだ結果を持ってないはず
4512 文学部 麻耶 2018/12/15 00:09:29
看護師どこ行ったんやろ
今日ほぼ確実に自分が死ぬからアンカー譲りたくないんだけど
*326 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:09:39
まあその場合のネックは麻耶か。
4513 学生 比奈 2018/12/15 00:10:10
看護師は忘年会。だったような。
*327 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:10:26
>>*325
なるほどなー。
4514 文学部 麻耶 2018/12/15 00:10:31
バイト寝過ごしすぎてバイト先の先輩からLINEのメッセージと着信来てた
まじ申し訳ねえ
*328 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:10:33
できれば麻耶とは結果を割りたくない
紅が票外しできたのは僥倖だね
4515 文学部 麻耶 2018/12/15 00:10:40
あー
4516 警察官 晋護 2018/12/15 00:10:54
ここの村護衛いないはマジですか?
-212 ニット帽 光 2018/12/15 00:11:37
>>4516
いるんだな、それが
4517 警察官 晋護 2018/12/15 00:11:41
⬅一応護衛の分類
4518 番長 露瓶 2018/12/15 00:11:55

すまん今来た
クリスタ吊り?
*329 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:12:04
この村、あんまり矢が飛んでる気がしないんだよな。
わからんけど。
4519 ニート 欧司 2018/12/15 00:12:27
>>4518
そうなりました。
-213 ニット帽 光 2018/12/15 00:12:38
悪鬼だから村陣営も死ぬけどね!
*330 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:12:46
それは同意
まあドラキュラとかいるかもしれないし?
あればラッキー程度で
番長 露瓶 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4520 警察官 晋護 2018/12/15 00:13:54
罠は黒幕にでも当たれと願うのみです。
4521 番長 露瓶 2018/12/15 00:13:58
クリスタに変更した
*331 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:14:19
護衛系はどうなのかな…
昨日は私を護衛してた可能性もあるけど
魔狼の能力を温存しながら麻耶襲撃が成功すれば一番いいんだけどね
*332 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:14:27
小百合がログを読むなら、麻耶に投票するんじゃないかな。
明日発表したいだろうし、罠に突っ込まなそう。
4522 囚人 要 2018/12/15 00:14:47
ドラゴンボールが無いのにアンカー気にするのは何だ?
何かあるのか?
4523 囚人 要 2018/12/15 00:15:05
まあ突然昼間を打ち切る役職ぐらいはあるが。
4524 囚人 要 2018/12/15 00:15:17
いや、消えたんだっけか?
*333 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:15:25
そうだがまあ、麻耶に2回目の占いをされた日には死んでしまうので魔狼使うしかねえな……。
4525 ニット帽 光 2018/12/15 00:15:28
「黒幕が死んだか・・・」
「ククク、奴は我らの中で最も重要・・・つまりボスだ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「「「「よし、解散」」」」
4526 囚人 要 2018/12/15 00:15:30
真邪気眼とかも消えたしな?
*334 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:16:04
それなら結果を合わせるか
要も調べたいし今はまだグレーに村人判定を撃ちたくもない
グレーを狭めずに行けるなら十分かな
4527 警察官 晋護 2018/12/15 00:16:12
>>4525
笑った
*335 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:16:13
護衛が発生しないと温存されるのか?
4528 囚人 要 2018/12/15 00:17:10
では文学部が安心して投票出来るよう、コミットアンカーは俺がやろう
*336 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:17:16
小百合にはわりと私信じられているようなのでまあ、ヤツが生きててもいいだろう。
囚人 要 が投票を取り消しました。
4529 警察官 晋護 2018/12/15 00:17:49
>>4525
「黒幕はもういない…あとは私が自分で勝つのみ・・・」
「黒幕、あいつはいいやつだったよ・・・」
4530 囚人 要 2018/12/15 00:18:04
俺に回すのも嫌だとか言われたらつまり、自分がコミットアンカーをしたいのか?
と言うか、アンカーってドラゴンボール無しで何かいいことあるか?
あるのか?
どうなんだ?
4531 囚人 要 2018/12/15 00:20:42
取り敢えずロマサガRSの話をしよう。
*337 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:22:51
>>*335 別に特別なアクションを行う訳じゃなくて襲撃失敗時に発動だからそのはず
4532 囚人 要 2018/12/15 00:23:09
ランク131のスタミナは161だ。
この辺りからレベル2につき1上限アップ。

既に世界の何処を回ってもパラメーターが上昇しない。
三光十層とかベリハストーリーとか螺旋30とか大体制覇した。
無課金に優しいゲームだな。
4533 学生 比奈 2018/12/15 00:23:22
何がとりあえずなのだ...っ!
4534 囚人 要 2018/12/15 00:23:54
配布されたヘクターは最後まで使えるいい奴だよ。
なんなら雪だるま入りでもクリア出来る。
リセマラなんて要らなかったんや!
*338 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:24:10
>>*337
なかなか強力だな。
*339 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:24:48
帝魔幻凍仁仁か。
4535 囚人 要 2018/12/15 00:25:11
このクソゲーは、毎日300円分のガチャが無料。
つまり年間で無料365連するので、登録してガチャを引くだけでもそれなりに愉しいし、そのペースで無料を引き続けるなら一年後には恒常SSは大体コンプリートしてるのでは?
或る程度進軍可能なメンバーが出たら、リセマラとか必要無いのでは?
*340 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:25:25
贅沢は言わんが、もう一声……。
*341 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:25:58
>>*338 護衛貫通系では一番強力だろうね
汎用性の高さと効果の強さを両立している
4536 ニット帽 光 2018/12/15 00:26:10
どこでも王の話をしだすマーリンみたいな奴だなこの囚人
*342 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:26:28
ん、私も麻耶襲撃押してるが問題ないよな?じゃあ。
4537 囚人 要 2018/12/15 00:27:15
スマブラをしながら石砕いて再戦ボタンを押すだけで自軍がぐんぐん強くなるんだ。
そして戦闘時に大事なことは、祈り。pray。
或る程度戦力が整ったら、縛りプレイをするおやつの如く、此処で触手を使わないでくれぇー! とか祈り続ける事が大事だ。
一応地道にスタイルの限界突破とかして行くなら安定して越えられるようになるのだろうが、今の段階で高難度を安定して越えるには、課金か祈りの力が必要と言える。
*343 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:27:25
>>*341
ワガママは言わないでおくかー。妖狼もいなそうだし。
警察官 晋護は遺言を書きました。
「☆公明の罠DA☆」
警察官 晋護は遺言を書きなおしました。
「☆孔明の罠DA☆」
*344 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:28:50
他の狼がセットする分には問題ないよ
むしろ運が良ければ返り討ちが魔狼から幻狼に逸れる
…返り討ち系いるかどうか知らないけど
一応逆に凍傷の罠とかがあったら一緒にかかるね
4538 囚人 要 2018/12/15 00:29:09
ヘクター君が結局A武器で最後まで戦い抜いたので、力付きのマスターブレイドでも掘りに行くか。
4539 文学部 麻耶 2018/12/15 00:29:27
>>4522 >>4523 コミットアンカーを握りたいのは個人的な主義(?)
特に自分が死ぬのが確定しているような日は言い残しがないようにしておきたいのよ(今回コンピいるとはいえ全部代弁してもらうわけにもいかないし)
昼間を打ち切るのは独裁者かな
*345 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:29:34
命なんて安いものだ……特に俺のはな。
*346 おしゃま 優奈 2018/12/15 00:30:16
狂人なしはきついけど妖狼なしはラッキー
…代わりに妖魔の足取りは全くつかめてないけどね
*347 ウェイトレス 南 2018/12/15 00:31:14
妖魔には、白さで勝って吊ってやろう。
+442 バニー 結良 2018/12/15 00:33:34
言うほど言い残すようなことがあるのか
4540 文学部 麻耶 2018/12/15 00:33:40
あとコンピの幽霊騙りは絶対チェッカーONのこの編成ではあまり現実的ではないかなあ
あとあと溢れて一気に信用落とす可能性高いし
4541 囚人 要 2018/12/15 00:34:13
成る程成る程、じゃあクリスタに投票しておこう。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
+443 バニー 結良 2018/12/15 00:34:27
幽霊って内部カウント人外だけどな
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
+444 バニー 結良 2018/12/15 00:34:57
村側の癖に人外の枠を食うとんでもないやつだよ
4542 囚人 要 2018/12/15 00:35:23
突然死アリの状態でコミットアンカーが独裁したら……えーっと?
まあいい、深く考えないことにしておこう。
4543 文学部 麻耶 2018/12/15 00:35:32
どうでもいいけどシノアリスは毎日無料ガチャを引くとデイリーミッションクリアとなって石が2個もらえるよ(ガチャ1回石30個)
ちなみに無料ガチャは30回目でSS確定するよ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4544 文学部 麻耶 2018/12/15 00:36:05
>>4542 過去にそれをやって大変なことになった隠元豆さんという人がいます
4545 警察官 晋護 2018/12/15 00:36:26
>>4540
オーウ、そうでしたか。
ならば幽霊騙りはできなさげなんですね。
4546 囚人 要 2018/12/15 00:36:46
やっぱり昼間打ち切り能力は残っていたかー、ンッンー。
4547 囚人 要 2018/12/15 00:37:05
流石トップ勢が好んで使う役職、独裁者だけあるぜ。
4548 文学部 麻耶 2018/12/15 00:37:45
絶対チェッカーは村陣営と狼数を固定する(≒残り人外数も固定される)からね
下手に村利の人外が村役騙ると裏目にでる可能性がある
+445 バニー 結良 2018/12/15 00:37:51
トップ勢さんは一発言もみないで独裁で人外吊るからな
4549 警察官 晋護 2018/12/15 00:37:54
証明できる上に議論を打ち切れるからppにも強い。
+446 バニー 結良 2018/12/15 00:38:27
たぶん役職が透けて見えるんだろうな(比喩)
4550 警察官 晋護 2018/12/15 00:39:06
>>4548
なるほど
4551 文学部 麻耶 2018/12/15 00:39:26
最後のとしった身内村で蝙蝠巻き込みPPの盤面を独裁逆転決めたときは気持ちよかったなぁ
4552 囚人 要 2018/12/15 00:40:11
うーん、クソ役職。
4553 文学部 麻耶 2018/12/15 00:41:08
あれが最後じゃなくてタッグが最後だったか
まあ、ともあれ一度も死なせたことがないカズィさんを記念に死なせるつもりで入村したんだけど、いやぁ生存フラグ立ちまくりでニヤニヤが止まりませんでしたね
4554 文学部 麻耶 2018/12/15 00:45:04
占星術と風水が発狂、風水結果をわたしが受け取って「PPするなら早くしろ」と煽り見事PP宣言と吊り指定カズィの座を手に入れた
吊り指定されたってことは襲撃されないってことだからね、あとはまあ狼の片割れを独裁して蝙蝠と一緒にLW吊って終わり
あれはほんと楽しかったし潜伏はいいぞと思った
4555 警察官 晋護 2018/12/15 00:47:02
気持ち良さそう
よく最後まで生き残れましたね…
+447 ツンデレ 弥生 2018/12/15 00:48:01
ただいまー一日長すぎね?
もう三回ぐらいただいまーって言った気がするんだけれど
+448 バニー 結良 2018/12/15 00:48:07
蝙蝠を生かしておいたらいかんということだね
+449 バニー 結良 2018/12/15 00:48:22
おかえりんこ
4556 警察官 晋護 2018/12/15 00:49:33
明日こそコミットされていることを願って寝ます。
おやすみです。
4557 文学部 麻耶 2018/12/15 00:49:42
いやーそれがさ、3Wでねじれ狼吊って蜘蛛がGJ出した翌日に占いがW発狂したもんだからさ
4558 文学部 麻耶 2018/12/15 00:50:16
あしたこそコミットっていうか明日は強制的に日付変更するんだけどね
4559 文学部 麻耶 2018/12/15 00:50:46
そろそろバイトの準備せな
3時半くらいに顔出すよ
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要 は おしゃま 優奈 の道を極めます。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
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囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
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囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
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囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要 が 修道女 クリスタ に投票しました。
囚人 要は遺言を書きなおしました。
「盗まれた手紙の話
坂口安吾


+目次

 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。
 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。
 なにがし区なにがし町――といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。
 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる/\ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、曾かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。
 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。
 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。
 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。
 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。
 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。
 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。
 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。
 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。
 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。
 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん、縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。
 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。
 又或る男は――これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することを略ほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。
 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。

 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。
 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。
 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。
 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。
 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。
 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。
 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。
 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。
 そのうち最後の時が来た。
 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。
 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるが底ていの第二暗示を読まなければならなかつた。
 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。
 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。
 宿昔青雲の志、蹉※(「足へん+它」、第3水準1-92-33)さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。
 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。
 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。
 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。
 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。
 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。
 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる/\走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。
 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。
 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただ徒いたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。
 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説に鴇ホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇の栖すむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。
 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。
 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。
 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。
 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。
 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。

 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。
 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。
 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。
 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやら梵ぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観も略ほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん、無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。
 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。

 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。
 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。
 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。
 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。
 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。
 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳を藉かさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。

 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事の秋ときが近づいたことの予告を受けた。
 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。
 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。
 オヤ/\あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。
 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか/\と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。
 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。
 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。
 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。
 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。
 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。
 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。
 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。
 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、行ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者の行ギョウなのである。
 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てを行ギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。
 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。
 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。
 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由――然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由――便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。
 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。
 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。
 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。
 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。
 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。
 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。
 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。
 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ/\刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。辷すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。
 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。
 なにがしはおでん屋の盥たらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるなら将まさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。

 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。
 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。
 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。
 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。
 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。
 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。
 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。
 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。
 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。
 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。
 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。
 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。
 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。
 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。
 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。
 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。
 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。
 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。
 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。
 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。
 兜町の豪傑連も驚いた。
 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん/\唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。
 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。
 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。
 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた/\貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。
 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。
 思ふに手紙を書きあげるまでまる/\数日かかつた筈で、荏苒日を空むなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。
 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。
 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。
 盗んだ男がゐたのである。
「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。
 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。
 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。
 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。
 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。
 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。
 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。
 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日の閑ひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。
 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。
 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。
 いかさま町も愈いよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ/″\となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ/\と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。
 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すと圧つぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。
 まさしく居る。――をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。
 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ/\笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと/\勝手が分らない。
 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。
「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで――もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。
 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。
「お待ち致してをりました」
 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。
 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。
 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの/″\とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。
 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。
 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。
 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。
「失礼ですが、この御用件の方でせうね」
 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ/\させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。
 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。
「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮仕つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」
「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」
 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ/\させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。
「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」
「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」
 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ/\御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」
「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事の秋ときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」
「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」
「なるほど。たしか、そのやうでしたな」
「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図に順したがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ/\来て、何時何分頃に霽はれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」
「成程々々」
「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」
「いかにも/\」
「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて――仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へて尠すくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」
「いかさま。さうでせうとも」
「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」
「なるほど」
「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」
「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ/\などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」
「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これと略ほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」
「いかにも」
「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」
「成程々々」
「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」
「ウム/\」
「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」
「…………」
「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」
「成程々々」
「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。
 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。
 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ/\気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。
 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。
 愈これは――と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。
 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら――だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やら絽ろの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。
 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。
 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七吋インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。
 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、扨さて又顔の表情がビクリと動いた気配もない。
 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる/\とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。
 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。
 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。
 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。
 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。
 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん/\お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ/\とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」
「御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」
「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして――いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」
「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」
「さ、それが――」
 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。
 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや/\したりすると、ポカリとやられることになる。
 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。
「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」
「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」
 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。
 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ/\点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。
 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。
 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。
「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」
 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。
「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして――何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」
 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。
 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。
 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。
「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」
 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまで撮つまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ/\させてゐる。
「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ/\御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」
 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ/\とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。
 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ/\と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し/\といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。
 生憎さうはいかなかつた。
 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものは枉まげることが出来ないのである。
 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。
 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。
 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。
 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。
 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。
 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。
 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。
 それにしても手数のかかつた方法で騙かたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。
 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。
 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。
 深川の顔役ともあらう者が――それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が――これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。

 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。
「旦那」
 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。
「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」
「そんな話があるものか」
「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」
「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」
「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」
 と、三人は精神病院へ上りこんだ。
 待つほどに、ガチャン/\と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。
 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ/\と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。
 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。
 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。
 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、顫ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。
「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」
 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。

十一

「虎八に鮫六」
「ヘエ」
 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。
「なア。虎八に鮫六」
「ヘエ」
「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」
「はアてね」
「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」
「さうかも知れないねエ」
「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」
「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」
「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」
「オヤ。なるほどねエ」
「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」
「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」
「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」
「まつたく世の中は宏大でがすねエ」
「虎八に鮫六」
「ヘエ」
「お前達おふくろが有るだらうな」
「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」
 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。
 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん/\激しくこもつてきた。
「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」
「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」
 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ/\と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ/\と畑の中へ消えこんだ。
「モシ/\。旦那」
 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ/\と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ/\と涙を流した。
「虎八に鮫六」
「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」
「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」
「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」
 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。
「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」
 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ/\と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。
 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。
 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。
 とつぷり夜が落ちてゐた。
 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。




底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林
   1940(昭和15)年6月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:北川松生
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。」
4560 ニット帽 光 2018/12/15 00:53:58
>>4551
あれはなつかしい
+450 ツンデレ 弥生 2018/12/15 00:54:10
ただいまんこ!!!!!!!
-214 警察官 晋護 2018/12/15 00:56:27
発狂で思ったが桜狼希望されてて
手相がそれで発狂したらやだなあ。

まあ手相の真偽もまだ分かってないケド。
4561 ニット帽 光 2018/12/15 00:56:52
>>4557
このGJ出した蜘蛛確か自分だ
-215 ニット帽 光 2018/12/15 01:06:27
4562 ニット帽 光 2018/12/15 01:07:11
該当する村へのリンクを独り言に貼っておいた
ウェイトレス 南は遺言を書きなおしました。
「皆さんがこのメッセージを読んでいるということは、私はこの世には居ないということでしょう。

私は灰かぶりとして、この世に生を受けました。
私は考えました。どうするべきなのだろうかと。
とりあえずのらりくらりと過ごし、かなりゆとり村仕様なのだと分かりました。となると。面白みのない人生になりますが、占われないようにすべきであると、結論付けたのです。

ところが、卑劣なsataneという男がどうしても私を占わせたかったのか、私が占い候補希望上位になるよう工作を始めたのです。
本当に薄汚い男です。
占われずとも信用してもらえるよう発言を頑張っていた私は、怒りに震えました。お前、そんなに私を人外にしたいのか。ならいいだろう、なってやる。お前のせいだからな。と、自棄になる気持ちもありましたが、冷静に自分を抑え、sataneさんに文句一つ言う事はなかったのです。

従者化してるっぽい聖人が生きている以上、COするわけにもいきませんでした。

南は、つらかったです。」
4563 看護師 小百合 2018/12/15 01:35:48
タダイマ
4564 看護師 小百合 2018/12/15 01:36:28
私待ちかしら。すいません…。
まだ何も読んでないけどなにをどこに投票すればいいでしょうか。
4565 看護師 小百合 2018/12/15 01:40:01
「投票」で検索したらクリスタ投票仮決定と見えて、えーと
何かイベントでも起こったんですかね…。

ちょっとログ読む気力までは、こう、ない。
4566 看護師 小百合 2018/12/15 01:42:24
うーんと、手相占の指定があるわけではないのね。
自己判断?
4567 看護師 小百合 2018/12/15 01:43:21
いろいろちょっときついので、思考停止でいいか…。
看護師 小百合 が 文学部 麻耶 に投票しました。
4568 看護師 小百合 2018/12/15 01:44:00
すいません。大分きついので寝ます。
明日は休みなので読みます。ごめんなさい!!
4569 学生 比奈 2018/12/15 01:45:32
えーっとなんてまとめればいいんだろう。
/25 看護師 小百合 2018/12/15 01:45:51
うっかり能力発動できないよりはこっちのほうがマシかな。
罠がマジの可能性あるし
4570 学生 比奈 2018/12/15 01:46:22
>>4568
あっ寝てしまう。
ちゃんとお水飲んでくださいねー!
ゆっくりおやすみください!
-216 看護師 小百合 2018/12/15 01:49:12
・クリスタ仮決定の流れの理由がわからないまま投票(読む気力はない)(罠疑惑が一応ある)(私は明日の能力を発動させてCOしたい)
・手相占い投票(自己判断なのでうっかり吊る可能性がある)(私を占いたい意見は多少見えてたのを認識してる)

まあこっちで。
4571 学生 比奈 2018/12/15 01:50:39
今日の出来事と方針を数行でまとめるのは難しいな。
4572 修道女 クリスタ 2018/12/15 02:08:36
えっ俺吊られるの?
4573 修道女 クリスタ 2018/12/15 02:08:43
なんで?
+451 ツンデレ 弥生 2018/12/15 02:12:03
はやくこっちこい
4574 警察官 晋護 2018/12/15 02:43:25
手相占いさんが桜狼で発狂したらやだなあ。
手相の真偽もまだ分かってはいないが。

しかも桜狼って、名前かっこいいし希望されやすそうですしお寿司?
+452 ニート 欧司 2018/12/15 02:45:51
>>+444
ワレ ソンザイ ガ 村利 では?
4575 ニート 欧司 2018/12/15 02:46:48
>>4540
へー!
4576 ニート 欧司 2018/12/15 02:47:11
メモメモ・・・
4577 番長 露瓶 2018/12/15 02:52:03
ログ読んできた
4578 番長 露瓶 2018/12/15 02:55:01
>>3409
これは俺がセットしたという意味ではないと解釈したが、それでいいよな?
俺は投票していないし、後でこう言ってるし >>3710
+453 バニー 結良 2018/12/15 02:55:05
はやくこっちこい
4579 ニート 欧司 2018/12/15 02:55:33
>>4578
大丈夫です。
4580 番長 露瓶 2018/12/15 02:56:10
>>4579
おまえかー!wwww
4581 番長 露瓶 2018/12/15 03:05:38
クリスタに投票してるが、摩耶に変えるかまだ悩んでる…
4582 ニート 欧司 2018/12/15 03:05:53
#コンピュータ通信

本日の(本日長くね・・・)なんやかんや
警察官さん吊るぞ!

なんやかんやでクリスタさんが痛恨の潜伏エスパーにセット。

エスパーヴィクトリアさんがクリスタさんがセット役職であると告発

(当然ヴィクトリアさんはエスパー確認の執拗な投票をキュピーンしてた)

出涸らしっぽい警察官さんより襲撃職の可能性も加味してクリスタさん吊りで

警察官さんも、エスパー投票で・・・

★ブラック?じょーく!
神様
「一日一回、人間に神罰を」
天使
「いいんですか? 理由もなくそんな事して」
神様
「なあに、こっちに理由がなくったって、神罰を受けた方には思い当たるフシがあるもんだ」
4583 番長 露瓶 2018/12/15 03:07:26
本当に素村なら白もらってぬくぬくと暮らしたい…
しかし希望役職で入ったならもっと変なやつだろうな、っていう
4584 ニート 欧司 2018/12/15 03:10:32
>>4583
ほぼほぼなんか変化するやつ・・・
変化した→人外やん殺そう
変化しなかった→嘘ついたな殺そう
逆呪殺した→殺そう
呪殺された→死んだ
4585 番長 露瓶 2018/12/15 03:11:23
>>4584
どう転んでも死ぬやんけ!
4586 番長 露瓶 2018/12/15 03:12:35
占いで変化する村役職だとしても、証明できなければ無駄になるんだよなー
やっぱ薄い賭けすぎる…
4587 ニート 欧司 2018/12/15 03:12:49
>>4585
「村人だもの 」にーと
この国はすごいなぁ・・・
4588 番長 露瓶 2018/12/15 03:13:41
パン屋さんに変化する特異点だと信じて生きるしかないのだろうか
4589 ニート 欧司 2018/12/15 03:18:13
村人苦難の生存パターン

村人ですか?
Yes
占われて生きていますか?
Yes
占い師も生きていますか?
Yes
自力で証明できる役職でしたか?
Yes
我々の村は友人である貴方を仲間として認めます。

村人は基本死ぬ村を村と呼んでいいのだろうか?
コンピュータは訝しんだ・・・
4590 番長 露瓶 2018/12/15 03:18:17
ああ、そうか
逆呪殺して白出たら忌み子の証明になるかと思ってたが、元から逆呪禁則事項でする人外だったんだろって見られるのか
4591 番長 露瓶 2018/12/15 03:23:05
しかし誰も出てこない、出てきてないよな? 村人表示系役職を希望した人
4592 ニート 欧司 2018/12/15 03:25:13
良心の呵責があって言い出さないのでは?
4593 番長 露瓶 2018/12/15 03:26:16
たぶんこうやって悩んでるのを見て楽しんでる系だと思うぞ!
=6 番長 露瓶 2018/12/15 03:29:58
手相占いで白でたらオイシイっていうのは東さんの話ね。
私は手相占いに投票したら即吊り圏内に行くと思う。
4594 ニート 欧司 2018/12/15 03:39:01
>>4593
なるほど!
自分で希望を出して自分で引いてしまいましたか・・・
南無
4595 番長 露瓶 2018/12/15 03:44:07
>>4594
してないんだよなあ
4596 番長 露瓶 2018/12/15 03:44:08
>>4594
してないんだよなあ
4597 番長 露瓶 2018/12/15 03:45:07
ああ、これスマホで発言を連打してしまったらなるのか
ウェイター 東 が 修道女 クリスタ に投票しました。
4598 ニート 欧司 2018/12/15 03:54:43
何個襲撃があるかなぁ
*348 ウェイトレス 南 2018/12/15 04:05:52
なんだ麻耶のやつ、来てないじゃねーか。
寝てんのか。
4599 文学部 麻耶 2018/12/15 04:09:09
すまんバイト4時までだったわ
4600 文学部 麻耶 2018/12/15 04:09:53
特に遺言も思い浮かばなかったのでコミ
ニートよ頼んだ
文学部 麻耶 が 警察官 晋護 に投票しました。

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